春めく頃

随分前に行った越生の梅園


昼間の陽射しはもうすっかり春の気配になりましたね。今はコロナという事もありますが、毎年この時期は演奏会が少ないので、ゆっくり身の回りを整えて行くのが恒例行事です。譜面や本やCD、PC周り、書類等々、ちょっとした整理や区切りを時々付けて行くと、気分もリフレッシュして新たな発想も出て来ます。今年も色々と整理して、お陰で部屋もすっきりしました。

それにしても春の陽射しは様々なものを想い起させます。私は音色の中に色彩が常にセットになって見えるので、季節による色彩の変化はそのまま自分の出す音色にも大きく関わってきます。表面的には変わらないと思いますが、私の中では様々な変化があって、いつもあれこれ色んな事を感じながら弾いています。
私の作る曲では秋がベースになっているものが一番多いでしょうか。冬と春は同じくらい。夏に関わるものはほとんど無いですね。それは私があまり夏の暑さが得意ではなく、夏の色彩が自分の中にあまりないからだと思います。琵琶に一番似合わない時期が夏だとも感じている事もあって、夏はぎらつく陽射し以外に、私を豊かな気分にさせてくれる色彩を感じないのです。常夏の国にはとても住めそうにありませんね。色彩感の乏しいものにはどうも関心が行きません。

季節の移り変わりやその色彩を感じながら、曲を創り、演奏して行くのは、私の変わらぬスタイルですが、これだけ早い速度で世の中が変わって行くと、そのスタイルの表現方法も考えて行く必要があります。社会の中における音楽の在り方も変わって行く事は必定でしょうから、音楽活動も変わって行くのは当たり前です。
舞台はどうなってゆくのでしょうね。ネットで仮想現実の世界に簡単に飛んで行けるようになりつつある昨今、季節の風情を感じ、漂うように遊ばせる感性は、もう今のやり方では伝わらないでしょうね。何事も時代に沿った形にして行く事が必要です。今後は音楽配信が活動の中の大きなパーセンテージを締めて行くのは間違いないと思いますが、どんな時代になっても、この日本の風土から沸き上がる豊かな感性を、次世代に届けたいものです。

昨年12月の楽琵会 Vnの田澤明子先生と  photo 新藤義久

目下の仕事としましては、来月頭の田澤明子(Vn)先生とのレコーディングです。ここ数年、随分と一緒にライブをやってきたので、これ迄の二人のレパートリーを録り、そのまま配信という事になります。こういう形がこれから一般的になって行くのでしょうね。
今後はCDとしての個体を作る事はもう無くなって行くでしょう。記念に残るものが欲しいという気持ちもありますし、コンセプトアルバムという概念は今後も持って行きたいのですが、世の流れと共にセンスもやり方も変わるのは致し方ないですね。私自身が変わって行かなければ音楽家として生きて行く事は出来ません。

毎月の琵琶樂人倶楽部はずっと同じ形でやって行けそうですが、私がメインでやっていた小さなサロンコンサートは、もうなかなか開催が難しいと思いますし、CDを売るという事もなくなるでしょう。またリスナーの年齢層も、コロナの影響なのか世代交代しています。年初めには横浜の7artscafeや日本橋楽琵会等、シリーズでの演奏会を展開しようと考えていましたが、少し読みが甘かったようです。桜が咲く頃からは、また色々と舞台の予定も入ってますが、今後の演奏会の開催については、更にじっくりと考える必要がありますね。先ずは今自分が出来る事として、このレコーディングをやる事にしました。

2019年日本橋楽琵会にて フルートの久保順さん、笙のジョウシュウ・ジポーリン君と

とにかく今はもっともっと作品を創る事。それに尽きます。ヴァイオリンやフルートとの作品は、和楽器同士のアンサンブル作品と共に、是非多く残しておきたいと思っています。琵琶を和楽器や邦楽、民族音楽という枠の中だけに閉じ込めたくないのです。とにかく形に固執していては、次世代に響きません。昭和4年に作られた宮城道雄の「春の海」は、ヴァイオリンと筝が豊かに日本の情景を描き出して、現代のスタンダードになりました。邦楽の新たな時代があの曲から始まったのです。豊かな日本の美を新しい形で、次世代に残した宮城道雄の功績は多大なものがあると感じています。そして現代では洋楽器と和楽器の合奏は時代の必然だとも思っています。
また演奏会のように、生音に包まれた場所で音楽を聴く事よりも、配信ライブやYoutube等で音楽に接するのが日常となるリスナーはどんどんと増えて行くと思います。そんなこれからの時代に於いては、ジャンルや伝統の在り方も感じ方も変わって行くと思いますので、多彩な楽曲や和楽器洋楽器の組み合わせ、新たなプログラム等、多様なバリエーションも必要だと思います。

古の若き日 京都清流亭にて 笛の阿部慶子さんと


日本の四季を感じるような作品を創りたいですね。新たな時代に新
たな琵琶の音色を響かせたい。私は宮城道雄のような曲は創れないかもしれませんが、それでもその高みを目標にしていきたいのです。

梅花の季節2022

先日は結構な雪が降って、ちょっと雪の風情も楽しもうなんて思っていたら、次の日は春を通り越して暑いと感じるような日差しでした。近くの公園では梅の花も咲き出し、河津桜のつぼみも大きくなって、蝋梅もちょっと密やかに咲いていて、もう気分は春に突入ですね。

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先日の善福寺緑地 まだこれからですね


季節の移り変わりを体感し、それを歌に詠み、感性を磨きあげて来た日本人は、文学も音楽も演劇も本当に素晴らしいものを創り出してきました。梅花桜花などの季節の花を眺めていると、この風土こそが日本文化そのものだと感じずにはいられませんね。古代から万葉集や古今新古今はもとより、「源氏物語」「平家物語」等の物語文学、平曲、能などの音楽や演劇が誕生し、更には茶道、華道、俳諧等の文化が花開き、近世には浄瑠璃(三味線音楽)、歌舞伎、その他あまたの文化を生み歴史を紡いできた歴史を見ると、もう圧巻と言っても良いくらいの豊かさだと思います。

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一昨年の善福寺緑地 上と同じ場所


しかし明治から西洋文明を取り入れ、昭和の戦後からはもう西洋一辺倒になって、世界=欧米であり、英語が世界共通語だと叩き込まれてきました。学校の音楽教育はすべてが西洋クラシックになり、英語・キリスト教文化圏の話題だけをマスコミに見せつけられ、そして誘導され、欧米の文化が一番優れ、格好良く、最先端のものだというように洗脳させられているという事を判って欲しいです。よく考えてみれば、英語の通じる地域は限られています。日本人は英語の通じる所にしか行かないから、英語=世界と思い込んでいるのです。地図を見ればイスラム文化圏の方が広くなりつつあり、人口も多くなってきています。西洋文明はもう落日と言ってもいいかもしれません。

現在は日本経済も落日どころかどん底のように言われていますが、今こそ日本の文化力が試される時が来ているのではないかと私は思います。日本の深く豊饒な文化力が残ってさえいれば、日本はこれから経済云々という事ではなく、独自の日本らしい道を歩んで行く事が出来ると私が考えています。政治も経済もその根底には、その国独自の文化があってこそ成立するもの。今はその根底をもう一度確認する時期なのかもしれません。

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photo 新藤義久


最近知人から回ってきたあるクラシック関係者の文章を読みました。書いた方は千葉県に生まれ、20代半ばにヨーロッパに渡り指導者として活動している日本人で、現在60代の大ベテラン。若い方へのアドバイスの形で書かれていました。通して読んでみて、この方が彼なりに頑張ってきたんだという事はよく判りましたし、これからの世代に対する気持ちも判りましたが、「芸術家と音楽屋」「クラシック音楽の伝統」「一流を目指せ」等々、あまりに前時代的で、多分に欧米コンプレックスに裏打ちされた言葉の羅列にびっくりしました。今まで自分がやってきた事がこれからも同じように続くと思い込んでいて、これが正しいのだという一つの形しか見えていないのでしょう。
世は移り変わり、世界的にも演奏会の形はどんどん変わり、興行のやり方も変わり、CDの売り上げは今後ほとんど無くなり、クリュレンティスやコパチンスカヤのような新たなセンスと、全くこれ迄とは違うやり方の人が成功している。今迄良いとされてきた事がひっくり返っている。そんな現実がまるで見えていない。ましてやこのコロナ禍にあって、急激な変化の中に在るこの時期に、こんな文章を出すという事は、自分を取り巻く小さな範囲しか見えないという事を示しています。私はこの文章を読んで、伝統邦楽の大先輩方と全く同じように思いました。可哀そうだけど、この思考では伝統邦楽と同じ道を辿って、彼の生徒達もしぼんで行ってしまう。挙句に自分の弟子で目が出ない奴(50代)が居るから何とかしてやってくれみたいな内容を見て、何とも哀れを感じてしまいましたね。

6m琵琶樂人倶楽部にて フルートの吉田一夫君と photo 新藤義久
多分この文章を書いた人は、後輩思いの愛すべき人なんだと思いますが、人の上に立つ器の人間ではないのに、年齢的にそういう立場に置かれてしまって、自分でも勘違いしているのでしょう。先ず第一に、何故日本人の自分がクラシック音楽を伝統音楽としてやるのかという、根本を突き詰めていないですね。欧米のものがグローバルスタンダードで、世界の基準だと思い込んで、自分は正しい道を生きて来たんだ、間違いない・・・・・こういう御仁は未だに結構多いです。今60代~70代のバブルを謳歌した世代に特に多いように思います。西洋アカデミズムの中でキャリアを積むことがステータスだと思い込んで、自分はそれなりに成ったと勘違いしていると、こんな言葉しか出て来ないのでしょうか・・・。そこに日本人としての誇りや矜持も感じられないし、且つてドビュッシーやラベルがクラシックの中に新たなジャンルを確立したような、創造する魂や志も全く感じられません。ただ西洋文化に同化させられているだけの音楽屋になってしまっては残念としか言えないですね。

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日本橋楽琵会にて Vnの田澤明子先生と

よく考えてみれば、生活も習慣も言葉も感性も宗教も違う地域の音楽を、同じようにやれと言っても無理があります。逆を考えればよく判る事でしょう。自分が存在するという事は、命の連鎖が何千何万世代に渡ってずっと続いてきたからであり、その運命を背負って、今ここに居るのです。いくら海外に渡って何十年住みついても、自分の受け継いだ血も生まれ育った風土も、この身からけっして消えはしないのです。その風土や歴史や宗教が、その地域独自の文化芸術を創り上げる事を考えれば、先ずは自分の足元にある文化を自覚することなくしては何も出来ません。それはどの国に行っても同じです。日本人が、この風土に培われた日本文化や芸術の感性を持ち、それを誇りに思う事は、海外に出て行く時に持ち合わせるべき必須の素養だと私は思います。憧れの海外に行って、お仲間に加えてもらって勘違いしてニコニコしているだけでよいのでしょうか。そこに人間として、そして日本に生まれ育った者としての誇りや矜持はあるのでしょうか。かつてのクラシックやジャズにはそんな人を確かに多く見かけました。自分一代で何か判ったようなつもりになる事自体が、浅はかとしか思えません。

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筝:宮城道雄 Vn:ルネ・シュメー

ドビュッシーやラベルやシェーンベルク、バルトークのように伝統の中に、新たなジャンルを創造する位やっている事こそ芸術家の芸術家たる矜持ではないかと私は思います。自分とは違う素晴らしいものと出逢い、そこから更に新たなものを創造する事、その行為そのものが芸術活動であり、それが芸術の伝統を受け継ぐ事ではないでしょうか。西洋アカデミズムに同化して優等生として生きる事は芸術活動でもなんでもないと思います。
かつては宮城道雄や武満徹、黛敏郎等が海外に向けて芸術活動を旺盛に展開していました。これからの若者には、その志を是非受け継いで欲しいものです。欧米コンプレックスに染まり、未だ舶来に憧れ続け自分の見えている所にしか思考が及ばないような、ちまちまとした目先の夢や食い扶持を追いかける姿はこれからの若者には相応しくない。若き日に素晴らしい音楽に触れ、感激したのなら尚更、世界一の歴史の長さを持ち、豊饒なまでの文化に溢れたこの日本の、次代の音楽を創り、世界に発信して欲しいですね。

世界には素晴らしいアーティストが沢山居ます。この動画は最近注目している方でパキスタン人のアーティストArooji ahtabという方です。彼女はバークレー音楽院で勉強した作曲家であり、歌手でもあり、映画製作のプロデューサーでもありますが、けっして自分の足元を忘れていない。是非聴いてみてください。自分のルーツをしっかり持ちながら、既存の権威や西洋のアカデミズムに寄りかからず、取り込まれることも無く、且つ時代に寄り添い作品を発表して行く姿は本当に素晴らしいです。彼女は既にアメリカでは知られている方ですので、日本でも知っている方も多いかと思いますが、NYタイムスから「2018年のベスト・クラシック・ミュージック・トラック25」にも選ばれています。

ものやお金が無くても歌は湧き出づる。その歌が出てくる感性こそが豊かさであり、アイデンティティーなんだという事をあらためて実感して欲しいですね。これだけの長い歴史と豊かな文化を誇る国は他にはないと思いますよ。自分の足元に溢れるような美があるという事を判って欲しい。そして誇って欲しい。右だの左だのという事でなく、この風土を、そして文化を愛して欲しいのです。西洋に憧れて、かぶれている時代はもう終わったのです。この風土に遍在する美を芸術を、世界に向けて発信して行く時が来たのだと思います。

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今はもう無い、かつての吉野梅郷


若い世代の方には特に、この豊かな風土を是非大いに大いに感じて欲しいですね。クラシックをやろうがジャズをやろうが、その根底にいつもこの風土があり、文化があるという事を感じていたら、そこから新たな音楽が生まれ、また日本は本来の日本を取り戻すでしょう。空海、道元、世阿弥、利休、芭蕉・・・新時代を創り出し、日本文化を創って行った偉大なる先達が、沢山自分の前に居るのですから、海外に居ようと国内だろうと、日本人として誇りを持ってこの風土から沸き上がる音楽を歌い上げて欲しいのです。日本人は古代に大陸から得たものを独自に発展させ、これだけの豊饒な文化を千数百年に渡って築いてきた民族なのですから、きっとこれからも素晴らしい音楽を紡いで行ってくれると思っています。次世代の音楽家に期待ですね。

これから花の饗宴とも言える季節になります。楽しみでなりません。

教えるという事Ⅲ

2022-2-5「中島敦の世界先日、隣町珈琲にて、能楽師の安田登先生、狂言師の奥津健太郎先生と私とで、「中島敦の世界」をやって来ました。久しぶりに「山月記」をやりましたが、なかなかいい感じで出来ました。私が常に書いている「語りと琵琶を分けるスタイル」の実現としては、もう申し分のない語り手が二人もいる訳ですから、言うことはないですね。秋には素晴らしい朗読家である櫛部妙有さんとの会もいくつか予定しています。出来れば若手の語り手の方とも組んでみたいと思っていますが、今の所なかなか巡り合わないですね。
公演後に、邦楽の稽古を楽しんでいる方から声をかけて頂きまして、稽古について色んなお話を伺いました。これ迄も教えるという事については色んなことを書いてきましたが、昨年より私が生徒に琵琶を教える事をしだしたので、ちょっとばかりお話してきました。
私は小学生の頃からギター教室に通ったりしていて、お稽古はずっと何かしらやっていましたが、琵琶に関しても作曲に関しても、どの先生も好きなようにさせてくれる方ばかりでした。だから稽古に関しては疑問を持ったり、伸び悩みがあったりしたことはないのですが、今の琵琶の稽古はどうなっているんでしょうね。

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photo  新藤義久


私は琵琶を習うというのは、技術というよりは日本の感性、つまり伝統文化を習うものと捉えています。薩摩琵琶がちょっと弾けても、源氏物語はあまり知らない、万葉集も雅楽も能もよく知らないというのでは、せっかく長い歴史を経て伝えられた琵琶も深く鳴り響きません。新しい事をやるのは大いに結構ですが、その為にも琵琶が辿って来た長い長い道のりに対し、尊敬の念を持って欲しいものです。教える先生も、琵琶を教える以上、古典にある程度精通していて当たり前でしょう。私が最初に琵琶を習った高田栄水先生は、それはそれは古典文学や音楽に詳しい方でした。私が習った当時既に90歳で、明治生まれの方でしたので、明治に誕生した薩摩琵琶がどのように変遷してきたか、実体験を色々と聞かせてもらいました。毎回の稽古では、先生のそういった古典芸能のお話を聞くのが楽しみでした。

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2021年島根県民会館にて 能楽師の安田登先生  浪曲師の玉川奈々福さんと

日本の文化に於いて師というのは、先生、いわゆるティーチャーとは違うと安田登先生に教えてもらいました。師とはその道に精進している先達であり、古典を体現して、終わりなき道をずっと進んでいる存在。弟子になるとは、そういう先達に続いて就くといえば解り易いでしょうか。
私はまだ教えるという事は始めたばかりで何とも言えませんが、この道で生きて行く弟子を取るというのなら師匠も弟子も生半可ではいられません。先ず師匠自体がその道で生業として生きていなくてはお話になりませんし、知識も経験も器も芸術性も兼ね備えた先達として精進しているようでなければ弟子は取れません。安田先生のお話を聞いているだけでも、能における玄人さんの稽古はすさまじいものがあります。今琵琶の世界にそんな「師」はどれだけ居るのでしょうね。
しかしお稽古を楽しんでやっている会であれば、のんびり楽しくやるのが良いかと思います。ただ教育が一つの価値観やセンスを押し付け、色に染めるかのようになってしまわないように、常に目を開かせ得るようなものであって欲しいですね。

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滋賀 還相寺にて 大浦典子さんと


私は今8人程の方に教えているのですが、先ず最初に「短歌を作ってみよう」という課題を出します。それは日本文化が短歌(和歌)に集約され、そこから日本独自の音楽や文学になって日本の感性が創られていったと思うからです。以前もアメリカ帰りのフルート奏者に新古今和歌集を勧めた所、熱心に読みだして雅楽も習いに行きだした方がいました。
琵琶の弾き方は勿論教えるのですが、「日本文化」が判らないと、ギターの代用品にしかならならず、いくら壇ノ浦や敦盛を表面的になぞる事が出来たとしても、そこに日本独自の感性が伴わないのでは、外国人が物真似しているのとほとんど変わらないからです。

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麻布十番 善福寺ナレッジ&カルチャーアカデミーにて講義中

現代日本人は自国の古典文学は一切読まない代わりに、外国の文学音楽にはよく接していて、源氏物語や平家物語は読んだことないけれど、したり顔でフランス文学やオペラやジャズの蘊蓄を語るような人は沢山居ます。インドやアラブ、アフリカ、ラテン文化等に詳しい人も沢山居ますね。それぞれ皆さん楽しそうで良いと思うのですが、先ずは自分の足元にある文化を知らずして外国ものを語られても、ただの「かぶれ者」のようにしか見えません。
以前とある大学で琵琶を通した日本の歴史を講義したことがあるのですが、当日は留学生も来るので、英文科の先生が通訳しながらやるとこになっていました。私も通訳しやすいように区切りを考えながら話していたところ、途中で「鎌倉と室町はどっちが先でしたっけ」なんて声が聴こえてきて、結局通訳者が日本の歴史の事が全く分からず通訳が出来なくなってしまった事がありました。あんなに情けなく思ったことはなかったですね。最高学府に於いてあの調子では。
英語が喋れても、自国の文化が基本的に解っていなければ英語圏の文化に取り込まれて同化させられて行くだけです。以前はジャズメンもクラシックの方も皆本場に行って、その国の言葉をしゃべり、お仲間に入れてもらって「俺は一流の仲間入りをした」と喜んでいる方が多かったですが、私はそういう人に対し大いなる違和感しか感じません。

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北鎌倉 其中窯サロンにて photo  川瀬美香


自分の生まれ育った文化に誇りを持てない人間がどうして他国の文化を学ぶ事が出来るのでしょう。日本の感性を持って海外の文化に目を向け、そこから学んだものから新たなものを創造しようとしなければ、正にまんまと同化政策にはまったようなものです。古代の日本は大陸から様々なものを学びましたが、そこからひらがなもカタカナも創り出し、そして他のどこにもない文学も音楽も芸能も創りあげ、日本独自の感性を築き上げてきました。日本にかつてあった熱い志や矜持やエネルギーはどこに行ってしまったのでしょう。

私はこれから何をどう教えて行くか、考えなければいけませんね。自分ではこの道で生きて行っているつもりですが、師としてどうなのかは自分では判りません。まだ道程は遠いのです。

岐路

東京では少し寒さが和らいで、気の早い梅もちらほらと咲き始めました。そんな春の気配とは裏腹に、もしかすると戦争が起こるというような崖っぷちの状況が世界に起こっていますね。出口の見えないウイルスの脅威といい、日本も今後どうなって行くのか、なかなか先の事が見通せません。そして私という個人もまた岐路~というと大げさですが~の時期にあると感じています。

石神井 道場寺


最近はあまり新しい曲は浮かんでこないので、曲のブラッシュアップを淡々とやっています。面白いもので曲が浮ばない時には、これ迄の作品の譜面を開く度に細かな所が見えてくるのです。これはこれで大事な作業ですので、熟成をかけるつもりでコツコツやってます。そしてこの所ヴァイオリンと組むことが多くなったので、そのレパートリーを来月録音する予定です。もうCDを制作する時代でもなくなってきましたし、コンセプトアルバムの時代も過ぎつつあるので、作品個々のコンセプトが大事になってくるのですが、私は元々曲ごとに明確なコンセプトを持って創っていたので、私にとっては良い方向になってきたような気がします。まあ今迄アルバムが8枚、オムニバスが2枚出ていますので、ちょうど一区切りで次の段階へと進むには良い時期だと思います。音楽活動の在り方も変えて行く時期だと思いますし、また同時に自分の生活環境についてももう少し整えて行きたいとも思っています。

枯木鳴鵙図 宮本武蔵
時代はどんどんと変わってきているのに、それに追いつけないのが時代の中心に居た人達です。歴史を見ても、平安から鎌倉になって武士の時代になると、荘園のあがりで生活していた貴族達は、世の仕組み自体が変わってしまって、どうにも出来ず没落していった者も多かった事でしょう。中世ですと戦国が終わり江戸時代になった時でしょうか。もう武力としての刀は必要無くなり「世の海を渡りかねたる石の舟」と自らを歌った柳生石舟斎のような、生き方も感覚も変える事が出来なかった武士が多く居たことと思います。同時期に居た宮本武蔵は後半生で、独行道として武道を哲学的に掘り下げる方向に独自の剣の道を見つけて行きましたが、達人が次世代の武道の在り方を示したのだと私は考えています。明治維新の頃も、第二次大戦後も同様に急激な価値観の転換が起こり、世の中心に居た人ほど、変化について行けなかった事と思います。

そういう時代の流れの中で邦楽は、世の中心にあった訳でもないのに、権威や因習等の幻想に囚われて、その価値観もスタイルも変えられなかったですね。琵琶樂も同様です。明治期に新時代の琵琶樂を創り上げた永田錦心は今、この現状を見て、冥界でどう思っているのでしょう。

もう少し身近な所では、70年代から80年代初頭辺りまでは、何事にも大きく、重く、強くというパワー主義的な男性主導の価値観が幅を利かせていました。「大きい事は良い事だ」なんてフレーズを覚えている方も多いと思います。オーディオ専門誌などには、マウントを取るかのように超高価なオーディオセット自慢するおじ様達が毎回載っていました。私は2002年に「おとこの隠れ家」という雑誌で、それもオーディオ関連のコーナーで取材されたことがあるのですが、先日読み返していたら、オーディオ自慢の方々に交じって、私の華奢な(?)オーディオセットが並んでいるのが実に面白いです。私は結構な音オタクなので、自分のセットは個性的且つシンプルに選び、音には絶対の自信をもって組んでいたのですが、大きく、重く、そして高価という当時まだまだ幅を利かせていた、おじさんマウント路線の真逆でした。その真逆の代表として取り上げてくれたんでしょうか??。

当時の巨大ともいえるアンプやスピーカーは、今や邪魔者のように扱われ、音質もスマホ&イヤフォンの方がよっぽど良いという事もあるでしょう。これが世の流れというもの。70年代に高価な家具みたいなセットを並べて、それをステイタスだと悦に入っていたおじ様方が、スマホにダウンロードされた曲をイヤフォンで聴くことが出来るでしょうか。

形やステイタス等の目に見えるものに囚われていると、しなやかに変化して行くことが出来ないものです。それは自分で自分の身を縛り上げているともいえますね。それがかつての貴族や武士たちであり、現代では旧価値観に凝り固まった人達です。
音楽や芸術は時代と共に在ってこそ、その存在意味も意義もあると私は思っています。姿をその時々で変えながら、この風土から紡ぎ出された感性を脈々と受け継がれて行くのです。世の中は社会も生活も、市井に生きる人の感性もめまぐるしく変わって行きますが、日本の感性は古代から変わらない。ここにアイデンティティーや矜持があるのであって、目に見える豪華な形や肩書は幻想でしかありません。視点を変えると、変化の時に凝り固まった感性と戦うのが芸術家というものかもしれませんね。

琵琶樂人倶楽部にて Vnの田澤明子先生と photo 新藤義久


ここ数年で配信動画が一般的になりましたが、生の楽器の音を欲する人間の欲求は本能的な部分で変わらないと思いますので、生楽器の音を聴く新たな形が今後出てくるのではないかと私は思っています。私がこの岐路に立たされた世の中で、新たな流れに対応しやって行けるかどうかは判りませんが、周りには生き方そのものを変えて動き出した人が少なからず居ます。全世界が岐路に立っている今、私という小さな存在もまた勝負どころに立たされているという事ですな。

画面の中の音楽

「まん防」でまた世の中逆戻りな感じですね。素人にはウイルスの事は判りませんが、今後はどうなってど行くのでしょうね。

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昨年の楽琵会にて


一昨年からのコロナ騒動で、何が変わったかと言えば、動画配信が急に増えたことです。新宿区主催の「漱石と八雲」、金沢能楽美術館での「耳なし芳一」、あうるすぽっと公演、ジャパンフェスタ「銀河鉄道の夜」、熱海未来音楽祭LAND FES等々、色んな配信動画が出ました。もう配信期間を過ぎたものもありますが、ご興味のある方はYoutubeで検索してみてください。
今年も年明けからいくつかの配信が既に出ました。先ず昨年2月5日に、ベルベットサンにて収録した動画がやっと公開されました。

もう一つ昨年秋に焼津「帆や」で収録された動画も配信されました。(後半は1月28日に公開予定です)

そして土曜日には前回のブログでお知らせしました、ギャラクシティープラネタリュウムでの公演「黒塚の鬼」がライブと同時配信されました。残念ながらちょっと音のバランスが悪かったのですが、ご覧になれますので、以下をどうぞ。
プラネタリウムで能舞台「黒塚の鬼」 – YouTube

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昨年の熱海音楽祭LANDFESにて。巻上公一さんと

私の年ですと音楽家の動画と言えば、中学か高校生の頃NHKで観たYesやEL&Pのライブなどが、実に生々しく記憶の中に在ります。あの頃は音楽系のライブ動画は先ずなかったので、海外ミュージシャンの動く姿は、10代の若者には物凄い刺激でした。今でもあの時見た衝撃は残っていますね。
当時ロックやジャズは地方に住む少年にはまだ遠い国の音楽でした。しかし何だか訳も判らないだけに、手が届かないものに対する憧れがすごく強かったです。私は高校生の頃はもうジャズ一色でしたので、静岡に来るジャズ系のミュージシャンのコンサートは出来る限りチケットを取って行っていました。地元のカワイ楽器でやっていたジャズのレコードコンサートにも毎月通って欠かしたことがありませんでした。身の回りにはジャズの情報など無かったので、得られるものは何でも欲しかったんでしょうね。
今はこうしてYoutubeで何でも観る事が出来、私も演じる側となって演奏を動画で配信することが出来、有難い限りなんですが、FMのジャズ番組「ジャズフラッシュ」で出てくるミュージシャンの名前を片っ端からノートに書いて聞き入っていた、あんな熱情とも言える感覚はもう現代ではないのでしょうね。なんだか寂しいです。

otokatari先日、日暮里のサニーホールでこんなコンサートを聴いてきました。N響のヴィオラ奏者 村上淳一郎氏を迎えたクラシックのワークショップ関連の演奏会なのですが、村上さんのふくよかで芳醇な音色をすぐ前で聴く事が出来、とても気持ち良かったです。主催したヴァイオリニストの本郷幸子さんは、コロナ禍の中、さぞかしご苦労が多かったと思いますが、よくぞ開催してくれました。こうして生の音色、生のパフォーマンスを肌で感じる事が出来るというのは、やはり格別ですね。

今は、配信動画がどんどんと増え、音源もネット配信で世界中に拡散しています。これは確かに素晴らしい事ですが、音楽を求める心や、生演奏のヴァイブレーションは、是非とも忘れて欲しくないですね。ここ数年の自粛の中でギターやウクレレが、凄い勢いで売れているという話も聞きますが、人間にとって楽器の音色というのは格別な快楽であり、文化であり、民族のアイデンティティーでもあります。

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ストライプハウスギャラリーにて photo 新藤義久


琵琶の音は千年数百年以上前から日本に響いていました。平安時代の樂琵琶に始まり、中世には平家琵琶が誕生し、近代近くには薩摩琵琶も誕生し、音楽も楽器の形や音色も様々に、ずっと日本の歴史と風土の中で琵琶の音が響いていたのです。特にサワリの音は、琵琶に限らず笛や三味線など、近世からはっきりとした楽器の音色となって、日本人の心に直結した民族の音になったと私は感じています。
今経済も学問もかなり落ち込んで、国力そのものが危機に瀕していますが、そういう時にこそ、この音色を聴いて欲しい。この音色の中には悠久の歴史も文化も、豊かな風土も入っていて、脈々と受け継がれているのです。受け継がれたものを見ずして、次代は創りようがないと思うのですが、如何でしょう。本当に我々がこれから進むべき道は、この音色の中に在ると私は信じています。この風土に響き渡ってきた音色を忘れてはいけない。

世界の音楽が手軽に聴くことが出来る配信動画も良いですが、生演奏を聴きに行くというのは格別の時間です。今後演奏会というスタイルがどれだけ復活してくるか判りませんが、音楽を耳だけでなく目でも皮膚でも感じるような環境は残って欲しいものです。
このコロナ禍で配信は身近になりましたが、だからこそ再び楽器の生の音色に人々の興味が向いて行く契機になって欲しいですね。

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