前回は琵琶を運ぶ時のことを書きましたが、色んな方に「どんなやり方で活動しているの」とよく問われるので、今回は私の活動のやり方について書いてみます。
私は基本的に一人で動き、演奏会も一人もしくは、笛の大浦典子さんのようなリスペクト出来る音楽家とコンビを組んで演奏します。曲によってはカルテット位の編成の演奏もない訳ではありませんが、ほとんどデュオか多くてもトリオまでですね。
私は琵琶で活動を始めた25年程前からずっと、演奏する全ての曲を自分で作編曲しています。相手が洋楽器でも邦楽器でも全て私がスコアを書いて演奏してもらっています。それは都内のライブでも同じで、全曲自分で創った曲を演奏します。ですので赤字になっても必ず共演者にはこちらからギャラを払って演奏してもらいます。小さなライブの時にはあまり出せないのですが、集客数に関わらず、こちらから頼んだ以上はそれなりのギャラを払います。したがってメンバーが多いと支払いも多くなるので、大人数でやる曲は、私のような人気も集客力も無い者には実現可能な曲ではない、とも言えますね。
2019年ヴァイオリニストの田澤明子先生、フルーティストの久保順さんと、人形町楽琵会にて
何故そうするかと言えば、薩摩琵琶がとにかく特殊な楽器で、ヴァイオリンやギターのように技術があって譜面が読めれば何でも弾ける楽器ではないので、いわゆるスタジオミュージシャンのように、どんな仕事でもこなせるというものではないからです。先日は能の津村禮次郎先生と和太鼓の坂本雅幸さんと私でフリーの即興演奏をしてきたのですが、お互い何が出来るのかという事を津村先生も私も何度も一緒に舞台をやって解っているから出来るのであって、初めての人とはなかなか上手く行きません。薩摩琵琶は楽器の構造上、他の楽器と同じ目線で捉えていては、仕事はやっていけません。来年はアンサンブルの仕事がいくつか入っているのですが、正直な所心配ですね。
先日の如水会パーティーにて 能楽師の津村禮次郎先生 太鼓奏者の坂本雅幸さんと
薩摩琵琶の特徴は「サワリ」なんですが、この「サワリ」がある為に薩摩琵琶は、チューニングを変える事がとても難しいのです。細い絃は一音程度なら上げる事は出来ますが、太い絃は「サワリ」の音が変わってしまうので、チューニングを変えるとまともに音が鳴らなくなってバランスが崩れ、演奏出来なくなってしまいます。私は1・2の絃は常にD。3の絃はGかA。4・5の絃はDかE。それ以外のチューニングにはしません。また新作初演を担当する場合には、作曲家に上記のチューニングで書くように常に言って了解を得た場合のみ仕事を受ける様にしています。。
薩摩琵琶は基本的に歌の伴奏用として発達したので、歌う人の声の高さに調整をしますので、人によってチューニングはそれぞれ基音が違います。また「サワリ」を調整をするには糸口から駒(フレット)まで全て絃の当たる所を削らないと良い「サワリ」の音は出ません。つまりチューニングを変えるには、その都度フレットや糸口を全部削り直さないといけないという事です。これがなかなか理解してもらえません。また転調に関してもフレット数が少ないので、ほとんど出来ません。こういう琵琶の特性を解って作曲できる作曲家はほとんど居ませんね。
琵琶は珍しいので、習った曲が上手に弾けるようになると周りから声もかかるし、ちょっとしたお仕事もやるようになる人も居ると思いますが、なかなか世の中甘くないです。そういう仕事はアーティストとして呼ばれている訳ではなく、ただ珍しい楽器だから呼ばれているだけで、流派の弾き語り曲を並べている内は、お稽古事としか見てもらえません。
独自の世界を創って聴かせる事が出来る人をアーティストというのであって、習った事しか弾けない人はアーティストと同じ舞台には立てません。是非お稽古事のレベルから飛び出して、舞台で勝負するような若手が出てきて欲しいものです。
以下の曲は私の現代音楽ラインとは別の、シルクロードをテーマとした作品群の代表曲で、樂琵琶と篠笛の作品ですが、この曲は二胡とピパによる演奏ヴァージョンやヴァイオリンと樂琵琶バージョンもあります。
ヴァイオリンと樂琵琶バージョンはこちら
先日の静岡のお寺の公演では、高山樗牛氏のお墓のあるところでしたので、樗牛氏の代表作「滝口入道」を基に笛とデュオの曲を創り、地元静岡を拠点にして世界に飛び出して活躍している劇団SPACの女優さんに語りを入れてもらって新作の上演をしました。こういうことをやっているから、様々な場所で演奏の話が来るのです。こうやって自分の主張も入れながら要望にも応える事で、自分の音楽の幅も広がるし、プログラムのバリエーションも増えて行きます。以下の曲は元々琵琶と篠笛の曲でしたが、筝の方のアルバムに収録するために筝とフルート用に編曲したものです。
私の音楽は邦楽器を使った「日本音楽の最先端」がテーマです。上記のようなシルクロードラインの曲も作っていますが、メインは前衛作品の方です。弾き語りに関しては、要望が無い限り祇園精舎くらいしかやりません。日頃一流の歌手の歌をよく聴いているので、歌う事は私の仕事ではないと思っています。少しばかり声が出ても、歌に人生をかけて歌っている歌い手の前では、私はとても声は出せません。歌う・語るというのは片手間で出来るものではないと思っていますし、私は琵琶を手にした最初から弾く事に特化してきて、器楽こそが自分の音楽だと認識していますので、弾き語りは中世以降の琵琶の基本スタイルという認識はしていますが、私のメインスタイルにはしていません。仕事で平家の弾き語りなどをやって欲しいという事も時々あるのですが、そんな場合でも全て私が作曲した平家物語の一節を弾き語り演奏します。流派の曲は一切やりません。それがアーティストとしての私の矜持です。演奏会によってプログラムも様々ですが、どんな仕事でも自分の音楽的主張は通し、媚びるような仕事は一切しません。自分の世界を表現出来るプログラムを常に心がけています。これ迄この姿勢でやって来れたのは本当に有難い事だと思っています。今後も矜持を持ってやって行きたいです。
演奏活動の他、私はレクチャーの仕事も結構やっています。先月はこの所毎年恒例の東洋大学文学部での特別講座をやってきました。他市民講座や美術館などでも時々やります。また最近は能楽師の安田登先生によく声を掛けられて、様々な講座や企業セミナーにも行かせてもらっていますが、内容は古典文学や古典音楽の変遷、洋楽と日本音楽との比較等色々喋らせてもらってます。こうした仕事はどういう訳か琵琶で活動を始めた頃から依頼があって、色んな大学や市民講座で毎年特別講座をやらせてもらっています。自分の知識も広がりますし、勉強にもなるので、作曲をする際の思考や哲学面でも大いに役立っています。
photo 新藤義久
私は高校生の頃ジャズギタリストになろうと思って上京してきたので、ショウビジネスやエンタテイメントの世界を若き日に見てきて、とても自分が生きて行ける世界でないという事を実感していました。「音楽を売る」というのはある種壮絶なものがあると今でも思っています。だから琵琶に転向してからは、あくまで売るよりも、自分の世界を音楽で具現化する事を第一目的としています。ですからエンタメを目指している人はきっと全く違う考え方で、違う動きをするでしょう。色んな人が色んな活動を展開できるような世の中になると良いですね。
私は自分の思う道を行くのみです。
いよいよ冬ですね。若い頃はやっと革ジャンが着れるなんてワクワクしたものですが、寄る年波には勝てず、近頃は寒さが心にも体にも響きますね。
さて今回は「旅と琵琶」。私は琵琶で活動を開始してからもう随分と時が経ちました。国内では九州から東北まで(北海道だけ行った事がありません)多くの場所に導かれ、稀有な体験をかなりさせてもらいました。多分私程旅をして来た琵琶奏者は他に居ないんじゃないでしょうか。
40代はじめの頃、宮島の厳島神社社殿での演奏会にて 若い!
とにかく活動を始めた最初の頃は毎月のように旅に次ぐ旅という具合で、なかなか充実の音楽人生を送らせて頂きました。あの頃から移動に関しては苦労していましたが、未だに毎回気を遣いますね。私は基本的に国内でしたら九州でも新幹線で行きますし、島根など新幹線の通っていない所にも、在来線を乗り継いでのんびり移動します。前の日や演奏後もホテルを取らないと時間的に難しいので、現地の人には敬遠されがちですが、そういう条件が整はない限り地方公演には行きません。
30代の頃、某邦楽雑誌の編集長に「琵琶で呼ばれるのではなく、塩高で呼ばれるようになれ」と言われましたが、こんな面倒な条件でもこいつを呼びたいと思わせる位にならないと、とても琵琶奏者を生業には出来ません。
海外も中央アジア、ヨーロッパ、カリブ海周辺等にも行かせてもらいましたが、何せ私の琵琶は巨大ですし、各航空会社で琵琶を飛行機に持ち込んだ前例があまりないので大変なのです。スカンジナビア航空などでは、前例がないので認められないとのお達しをもらってしまいました。ストックホルム大学の先生の推薦文で何とかなったのですが、とにかく琵琶を飛行機に持ち込むのは揉め事の種なのです。飛行機に乗せる時には全て席を二席取ってもらってます。プチプチの緩衝材に巻いて貨物室に入れてしまうという方も居るようですが、私には考えられません。勿論国内線でも飛行機を使う時には二席用意してもらってます。逆に二席分の予算が先方に無い場合は、お仕事自体をお断りする事も多いです。
時にはスケジュールの関係で分解型琵琶を宅急便で送る事もありますが、分解型を使うのは、あくまで弾き語り中心の会の時のみですね。また分解型はキャリーケースではなく「箱」ですので、ゴロゴロ持ち運ぶことはほとんどできません。宅急便で送っても大丈夫なように、写真のようなProtexという精密機械を運ぶような特殊な大きく重く頑丈なケースを使うので、演奏会場に直接送り、そこで演奏したらまたばらして宅急便で送るという形で使っています。以前も島根県益田市のグラントワの公演で、ホールにこれを送り演奏したことがあります。これだと安心して送る事が出来ますが、現地で持ち運ぶには車がないと動けませんので、これはこれでまた厄介なのです。
高々この程度のものを運ぶのに、何をそんなに手間をかけるのか、なかなか判らないでしょうね。実は少し後に飛行機で移動する仕事が2つほど来ているのですが、どうなることやら。宅急便で送って現地でレンタカーを借りればよいでしょうなんて言う人も居るのですが、地方在住の方に「私は車の運転をした事が無い」と言うとこれまた本当にびっくりされます。
私の琵琶と標準サイズの琵琶比較
標準サイズの琵琶で弾き語りをするだけだったら、こんな苦労も無いでしょう。私の生徒には常にギターと琵琶を両方担いで、どこにでも行く若者もいますし、標準サイズの分解型なら、一般的なキャリーケースの中に納まって、どこにでも持って行けます。弾き語り専門の方なら全く心配も無いしストレスも無いです。しかし私の場合は器楽曲が演奏の中心ですし、標準サイズの楽器では、器楽曲は自分の思う表現が出来ないので、いつも大型を持って行きます。弾き語り系の仕事の時には中型を持って行くこともありますが大体大型が多いですね。また弾き語り系の仕事の場合、色んな事情で分解型も時に使いますが、プログラムに器楽がある時には、分解型ではとてもこなせません。全然物足りないのです。だからここまで移動に苦労する訳です。あくまで表現者として、演奏する音楽には微塵も妥協はしないので、活動を始めた25年程前から、ヨーロッパだろうがアジアだろうが国内だろうが、あの巨大な大型琵琶を持って行くのです。琵琶=弾き語りだと思っている人には関係ない話です。
昔ピンクフロイドというバンドが世界ツアーをやる時に、あまりの機材の多さに、移動が大変で公演をやるのが難しいという話を聞きましたが、自分が思う事をやりたいのなら、そのリスクも引き受けるようでないと活動はやれませんね。それは単に運搬云々という事だけでなく、活動全般に渡ります。自分でオリジナルな音楽を創りアーティスト活動をするには、経済的な面は勿論、習った曲を並べて「演奏会」なんてメンタルをしていたら全く生業としてはやっていけません。
いつも書いていますが、軍国時代に成立した薩摩琵琶の曲を、私が演奏する訳には行きません。アーティストとしての質を疑われれしまいます。私は自分の作品を演奏して、日々の糧を得ている訳で、納得のいかない他のものを演奏したのでは、私の評価にも関わります。ま
た弾き語りはその中のスタイルのごくごく特殊な一部でしかないので、ヨーロッパでも中央アジアでも流派の弾き語り曲は一切やりませんでした。先日の静岡の公演でもメインは現代曲。弾き語りもやりましたが、勿論それもオリジナル作品です。
上手を披露するのはお稽古事、アーティストは独自の世界観を表現するもの。この違いが判らずに勘違いしている邦楽人琵琶人は多いですね。
近江楽堂にて 尺八:田中黎山 Per:灰野敬二 各氏と
お陰様でどんな舞台でも自分の作品を演奏させて頂いているので有難い事ですが、とにかくオリジナルな世界を具現化するには、私の場合標準サイズの琵琶ではどうにもならないのです。これからもあの巨大な琵琶を担いで旅をする事になると思います。
以前から私の演奏会では、従来の「月に叢雲花に風」なんて唸るのを琵琶だと思っている方には、かなり違和感を与えていました。1stCDを出した時にも、全編現代音楽作品でしたので、芸術系の方には熱狂的に支持されましたが、弾き語りの流派の曲が古典だと思い込んでいる人には、全く訳が分からなかったようです。
「媚びない、群れない、寄りかからない」というモットーは琵琶を手にした最初から変わりません。お陰様で、自分の作曲作品を演奏して、こうして生かされて頂いているので有難い事ですが、とにかく自分の表現をしない限りは、活動そのものが成り立ちませんので琵琶自体も私の表現が出来る大きなものを使うのです。
以前石田琵琶店に行った時に、とあるお客さんが訪ねてきて「琵琶が重いので、小さい琵琶を作って欲しい」と言っていましたが、その時親父さんは「あれが重いようじゃ、もう琵琶をやめろ」と言い放っていたのを覚えています。さすがに親父さん気骨がありますな。自分の楽器は自分の体と同じ。自分の音楽をやりたかったら、どこまでも責任を負うのは基本ですね。
先日の皆既月食見たでしょうか。何とも不思議で、且つ惹きつけられる風情でした。前回観たのが2018年でしたから久しぶりでしたね。それにしてもなぜ人は月の姿に心が騒ぐのでしょう。もの想いに浸ったり、楽しくなったり、何とも惹かれてしまいます。私は作曲する時のイメージに月や風が必ず出て来てしまうのですが、それは人間の力の及ぶところでないものに対する畏敬や憧れが強いのでしょうね。それに月の姿やそよぐ風、自然全般に生命感を感じているからなのかもしれません。時々月蝕みたいなものに出逢うと、日々や人生を色々と振り返り考えるきっかけになりますね。
photo 新藤義久
琵琶樂人倶楽部16周年の「琵琶と洋楽器の新たな世界」も、お陰様で賑々しく終わり、今はちょっとばかりのんびりしています。まだ腰の痛みも引いていませんでしたので、家でゴロゴロしている最中です。来週からは舞踊の会と朗読の会、そして能楽師の津村先生との大学関連のイベント、安田登先生との図書館でのレクチャー等々続いています。
一つのメルヘン舞踊会(内幸町ホール)櫛部妙有朗読会(武蔵ホール)
来年年明けにはシアターXにて、日舞の花柳面先生、韓国舞踊のぺ・ジヨン先生との15分位の作品を発表するのですが、その際に拙作の琵琶独奏曲「彷徨ふ月」を使う事になり、細かな直しなどしてました。この曲はヴァイオリンといつもやっている「二つの月」のモチーフを取り出して独奏曲にしたもので、幻想的な感じがとても気に入っているのですが、静かで地味という事もあり、なかなか上演の機会が無かったので、この曲と日韓の舞踊が出逢い作品になることは願ったり叶ったりなんです。「彷徨ふ月」もやっと彷徨うことなく居場所が与えられそうです。
外はもう冬の感じになってきましたね。何だかあまりに時のうつろいが早く、驚くばかりなのですが、日本も世界も先行きが見えない時代に入り、自分もそれなりの年齢になってくると、心の中もさだまりませんね。自分の中の変化と世の変化にギャップがあるという事なのでしょうね。今迄も30歳前後の頃は、行く道が見えずあたふたしていました。また40代半ばの頃は、作品も出来上がって来て、海外公演に出始めたにも拘らず、いつもどこかに焦りがあり、結果声は出なくなるは、体調は崩すはで落ち着きませんでした。自分にまだ自信が持てず、のんびり構えるという事が出来なかったのでしょう。
笛の大浦典子さんと Photo 新藤義久
お陰様で、やっとこの頃は自分の納得する作品も具現化して来て、演奏スタイルも含め、自分の表現したい世界を見据える事が出来てきたので、以前のような音楽的な迷いや気負いは無くなりました。私は元々太陽族というよりも月族の人で、若い頃はそれでも太陽が照り輝く下で飛び回って行く感じでしたが、そんな時代から、今はゆったりと自分のペースで活動して行く、いわば月の時代へと確実に移行しているのは確かですね。やっと本来の姿に戻ってきたのかもしれません。これから更に充実した作品を創り出すためにも、本来の自分らしさを取り戻し、生活そのものを変化させるべき時だと感じています。今は、その岐路に立っているように思います。逆に言えば、これ迄よくまあこんな綱渡りみたいな暮らしを、この年まで続けて来たなと感心するばかりです。「彷徨ふ」とは我人生の事ですな。
藤枝の山のコテージから月を見る
この秋はまた新たな曲を創ろうと持っています。やはり今回も月明かりの下に佇む人の姿が、イメージとして出てきています。ちょっとピエロリュネール的な感じでしょうか。この雰囲気は以前からなかなか具現化する事が出来なかったのですが、静寂の内側にたぎる生命の躍動みたいなものがで表現できると嬉しいです。業火の中に生きながら、一方で清浄で淀みの無い世界を求める、人間の中に溢れ出るものを描きたいですね。
先週からは大忙しで、静岡県の清水にある高山樗牛ゆかりの龍華寺、藤枝市にある熊谷次郎直実ゆかりの蓮生寺での演奏会、そして琵琶樂人倶楽部16周年第179回演奏会と続きました。



どうです。この星空、そして漆黒の闇。山の中なんですが、個人所有の山なので、周りにはこのコテージ以外人間の痕跡が何もなく、虫や小動物の声や音が響くという、完全に俗世間とは切り離された場所です。ネットも通じません。ここに連れて行ってくれたのは従兄弟なんですが、彼と私は子供の頃から同じような思考回路を持っているので、正に今の私にドンピシャな所に誘われました。これが市内から30~40分程度の所に存在するというのが驚きでした。是非また行ってみたい場所です。
私は18歳で東京に出てきた時、大きな期待を胸に抱き、お風呂もトイレも無い高円寺のアパートで暮らし始めました。刺激が多く楽しい日々でしたが、新宿に初めて行った時に「ここは欲望の街だ」と感じたことを未だに覚えています。その後何の因果かナイトクラブのバンドマンなどをやったおかげで、都会の夜の欲望渦巻く人間の姿を見て、そういう世界にはだんだん寄り付かないようになりました。
音楽の世界もショウビジネスは私には結構厳しいですね。私が思う琵琶樂はそういう所からはかけ離れているので、全然違う世界に身を置いているのですが、それでも自己顕示欲や名誉欲に取りつかれて凄い形相をして闊歩している人間は、年齢性別関係無くどこにでも居るものです。きっと自分自身の中にもどこかにそういうものがあるのでしょう。それを目の前に見させられるから、眼をそむけてしまうのだと理解しています。
コテージでのプライベートライブ
40代辺りまでは、まだ動き回っている自分に満足していたような所が多分にありましたが、やっと自分の表現したい世界が具現化してきて、自分の思う形で演奏活動が出来、音楽の内容で満足するようになって来ました。何事にも人の何倍もの時間がかかってしまう私らしい進み方ですが、こうして自分が思ったものを作曲・演奏を続けていられるというのは本当に幸せな事です。これからも更にこの道を歩んで行く為にも、俗欲が溢れかえっている所から離れ、じっくりと音楽に対峙できる環境に身を置きたいですね。
琵琶樂人倶楽部は、お陰様で今月9日(水)の開催で15周年となります。
あっという間の15年間というのが正直な所ですが、この琵琶樂人倶楽部は毎回集客を気にせずにやって来たので、運営に当たってのストレスが無く、毎月やりたいようにやらせて頂き、本当に楽しく続けて来れました。名曲喫茶のスペースを借りてやっているので会場は小さいですが、最近は毎回満席のお客様に恵まれまして、本当に感謝しております。
私が演奏活動を始めた25年程前の琵琶樂の現状は、とにかく情けない状況で、プロで活躍する人もほとんどおらず、新作を創ろうとする機運も創造性も見えず、琵琶樂全体にエネルギーが感じられないような状況でした。これだけ魅力ある音色と豊かな歴史を持ち、昭和には武満作品などの世界的に知れた画期的な曲もあったにも関わらず、楽器として演奏する人は皆無だし、歴史を研究しようという人も居ないという有様でした。
日本は、その歴史自体が世界一の歴史を誇る国家であり、雅楽や能などは世界に例を見ない歴史の長さを誇る音楽芸術が、未だに現役で受け継がれている国です。その中で琵琶樂は平安時代から様々な形で続いて、その魅力を今にかろうじて伝えています。薩摩・筑前の琵琶は明治後期に初めて流派が出来た日本の若い琵琶樂ですが、明治には、永田錦心を筆頭としてエネルギーも創造性も旺盛に溢れ出ていて、大衆芸能としても人気を博しました。高度成長期には上記したように鶴田錦史による現代音楽分野への進出が、世界的にも大きな話題となりました。
しかしながら琵琶樂人倶楽部発足前夜の1990年~2000年頃の琵琶樂の現状は、過去の焼き直しに終始し、更にはその正統性を主張しようとして、古典だ伝統だと吹聴していて看板を挙げて虚勢を張っている有様でした。私はそういう琵琶樂の姿が何とも悔しかったのです。世界を視野にして琵琶樂を考えていた永田錦心の志を受け継ぐ人は誰もおらず、創造的な音楽としての魅力を発信する人も皆無でした。
2011年1月、毎年恒例だった「薩摩琵琶三流派対決」
発足時に一緒に立ち上げをやってくれた古澤月心さん、琵琶製作者でもる石田克佳さんと当時の私は、まだまだ自分自身が発展途上でありましたが、とにかくこの現状に甘んじていたらどうにもならないと思い、自分自身の演奏活動と並行して、琵琶樂をもっと知ってもらおうと思い、雅楽・平家・薩摩筑前、そして現代の琵琶樂の紹介をする場として琵琶樂人倶楽部を設立したのです。最初は古澤月心さんが薩摩四絃と平家、私が薩摩五絃と樂琵琶の演奏を担当し、レクチャーは私がやりました。
全ての企画は最初から私がしていましたが、多々失敗もありました。会の趣旨に合わない人を呼んでしまったり、勉強不足でレクチャーの内容が中途半端に終わってしまった事もありました。しかし私自身はそんな毎回の企画やレクチャーなどを通して、多くの勉強をさせてもらったのです。
実はもう20年程前から大学や市民講座などの特別講座をほぼ毎年、あちこちでやらせて頂いていますが、ネタは造りは皆この琵琶樂人倶楽部の企画内でやっていたと言っても過言ではありません。先月も東洋大学文学部でお話させたもらいましたが、私のレクチャーも随分とこなれて来ました。琵琶樂人倶楽部をやっていたお陰ですね。
今年から、琵琶樂人倶楽部専用のブログページも出来ました。
ゲストの方の写真も了解を得ている方については載せるようにして、15年経ってやっと恰好がついてきた感じです。ここ数年は毎回誰かゲストを迎えていますが、私の作曲活動も少しづつ進んでいますので、それに伴ってゲストも色々と変化しています。今月は、すでに相方と言っても良いコンビネーションを築いているVnの田澤明子先生に加え、AsのSOON・KIMさんが初登場します。キムさんは20歳頃からNYに渡り、あのオーネット・コールマンの下で研鑽を積んできた稀有な方で、主にヨーロッパで活躍されていました。8年程前にキムさんが日本に一時戻ってきた頃からのお付き合いですが、また今年中にもヨーロッパに行ってしまうとの事ですので、その前に声を掛けさせていただきました。常に世界が視野にあり、それに伴ってジャンルを軽々と飛び越えて音楽を創り出す姿勢が素晴らしいミュージシャンです。琵琶人にも、かつての永田錦心や鶴田錦史のように、ジャンルを越境して音楽を創り出し、活躍するような人がそろそろ出てきて欲しいですね。
以下は渋谷クラブクアトロで行われたオーネット・コールマン追悼公演の模様です。キムさんとカルヴィン・ウエストン、バーノン・リード、アル・マクドウェルという世界で活躍するオーネットスクールのトップメンバーによるライブは凄まじいものでした。Tower of Funk in Japan 2015-2 – YouTube
琵琶樂人倶楽部発足当時の私(若い!)広島の厳島神社社殿での演奏会にて
琵琶樂人倶楽部は、とにかく様々な人とのつながり、関わりの中でこれまでやって来れました。私は琵琶を弾く事で人と繋がり、今生かされているといつも感じていまして、音楽活動をするという事は縁を繋ぐ事だとずっと感じています。
琵琶というと放浪芸人のような琵琶法師や耳なし芳一というイメージだけを利用して見せる例も多いですが、何となく和風というような目の前だけを楽しませる安手のエンタテイメントではなく、またお稽古事
のようなものでもなく、世界に飛び出して、他のジャンルと同じ芸術音楽として聴いてもらえる琵琶樂を、これからも微力ながら紹介して、私自身も演奏・作曲活動を展開して行こうと思っています。これからも是非御贔屓を。