世の中、騒然としていますね。いったい日本はこれからどうなって行くのでしょう。もう平和な国とも言えなくなってきていますし、普段の生活の仕方も変えて行かなくてはいけない時代になるのでしょうね。
そんなこの頃ですが、毎年6月末から7月頭は、一年に一度のお楽しみの時間なのです。
というのも琵琶樂人倶楽部では毎年8月に、日本に数台しかないクレデンザという蓄音機の名器で、SPレコードコンサートをやるのですが、毎年この時期には、どのSPレコードを書けるか、ヴィオロンのマスターとあれこれコレクションを引っ張り出して、聴き比べをするのです。これが実に楽しい。毎年この時期が待ち遠しいのです。
以前は第一部も二部も全部琵琶でやったのですが、さすがに聴くだけで疲れてしまうので、ここ5年程は、このチラシのように第一部を琵琶。第二部は声楽という形でこの所やって来ました。今年は水藤錦穰と豊田旭穰という女流の琵琶樂を創った偉大な二人の演奏を聴いてもらいます。女流なんて書くと今はちょっと厳しい時代ですが、この時代女性の演奏家がいかに大変な想いをしていたかという事も含めてお話したいとお思います。演目はもう以前から決めていたので、今回はすんなりレコードの選択も出来ました。しかし今年は第二部でいよいよジャズのSPをかけます。もう耳にタコと何度も言われますが、私の青春時代は正にNo Jazz No Lifeだったのです。私はジャズギタリストを目指して上京して、紆余曲折を経て結果として作曲家の石井紘美先生との出逢いで琵琶に転向した訳ですが、ジャズは私の血であり肉であることには変わりないのです。今回かけるジャズジャイアンツと呼ばれる方々のレコードは本当に擦り切れるほど聴いて聴いて聴いて聴きまくって、血肉の髄まで染み渡らせてきたのです。
とにかく高校生の事はジャズのライブに行きまくっていましたね。あの頃は今では考えられませんが、ジャズの大物が毎月のように来日していて、静岡のような地方都市にもしょっちゅうやって来ました。書き出すとキリがないですが、ソニー・ロリンズやMJQ、エルビン・ジョーンズ・アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズのようなレジェンドがコンサートで聴けたのです。ジェームズ・ブラッドウルマーみたいな、かなりマニアックな方々迄、静岡の地で聴くことが出来ました。考えてみれば凄い時代でしたね。また東京に出て来てからはパット・メセニーやチック・コリア等、最先端を走る方々のライブも数えきれない程聴きに行ってました。
私の世代ですと一般的な高校生はサザンやYMOが人気だったともいます。しかし私ははそういうものはほとんど目もくれずジャズまっしぐらでした。尾崎豊なんかは今聴くとまた感じるものがあるのですが、あの頃は全く耳に入りませんでしたね。中でも10代の終わりに生で聴いたマイルス・デイビスのコンサートは衝撃的で、今に至る琵琶のスタイルの源泉はマイルスにあると言っても過言ではない位に影響を受けました。これまでも何度もブログに書いていますが、永田錦心よりも鶴田錦史よりも誰よりもマイルスです。マイルスが常に時代の最先端を走り、ジャズを創り上げていった姿こそが私が琵琶に求める姿です。上記の動画は、1981年に私が新宿の野外特設舞台で聴いたマイルスグループのライブです。こうして動画を観ていると、あの時の衝撃が今そのまま琵琶の中に息づいていると確信できますね。
水藤錦穰師
ジャズと薩摩・筑前の琵琶はちょうど同じ時期に出て来た音楽で、一見全く関係ないようで、今比較してみると色々なものが見えて来ます。という訳でしゃべり出すと止まらなくなりそうなので、今回は気を付けないといけませんね。
一応今回かけるアーティストは、マイルス・デイビス、チャーリーパーカー、スタン・ゲッツ、カウント・ベイシー、サッチモ、そしてビリー・ホリデイ。勿論「Strange Fruit」もかけます。ビリー・ホリデイの歌をじっくり聴いたのは久しぶりでしたが、この「Strange Fruit」も今また色んな意味で投げかけるものを感じる歌だと思いました。
ジャズはこの百年程の歴史の中で驚くべき発展と変遷をしてきました。
私はその変遷の姿を見て、そこに夢を見ました。次々に変わって行くジャズの姿には、ついて行くのが必至という位でしたが、それこそがエネルギーだったと、今では思います。今ジャズは往時の勢いはないですが、また形を変えて、きっと受け継がれてゆくように思います。マイルス・デイビスと共にジャズは終わったなんて人もいますが、確かに今のジャズは創り出すより、いかに上手かという風になってしまいましたね。邦楽と全く同じ兆候だと思います。
マイルスは常に時代の最先端を走り、創り続けて来ましたが、彼自身の演奏スタイル自体は変わっていないのです。表面の形は時代と共に変わっても、核はずっと同じ。この核の部分を魂というのでしょうか。人間の生活や社会を見れば、音楽も時代と共に形が変わるのは必然ですが、人間として、日本人として、その核は変わらない。ここが一番大切な所であり、逆に表面は時代と共に変わるべきだと私は考えています。表面の形に固執すると、社会の中で弊害が生まれてきてしまう。邦楽も家元制度や旧来のしきたりを今の人に強制する事が、どれだけ邦楽の継承発展に支障をきたしているか、いい加減気が付くべきですね。
11thアルバム 「Voices from the Ancient World」ジャケット画
日本人は舶来のものを取り入れ、真似るのが好きです。それは奈良時代からずっと同じです。今世界のあらゆるジャンルの音楽を生演奏で聴けるのは日本だけかもしれません。もう随分と前にスウェーデンの民族音楽をやっているという女性がライブに来ましたが、共演していたスウェーデン人のグンナル・リンデルさんはその音楽を知りませんでした。それくらいニッチなものまで真似したがる、実に面白い民族です。だからただの物真似で終わるものも多いです。しかしそうした外側のものが日本の感性に取り入られ熟成されて行き、新たなものを創り出すところまで行くと凄いものを生むんです。平安時代に国風化された雅楽や声明から平家琵琶が生まれたのもそうです。それを生み出す力は、まだまだ現代日本にも残っているんじゃないかと思います。
形を変え、新たなものを生み出しながらも、魂はずっと受け継がれて行って欲しいものです。クラシックもジャズも、常に時代と共に在るからこそ世界の音楽に成ったのです。余計な衣は要りません。表面の看板ではなく、核の部分を持って時代へと繋げて行って欲しいものです。このコロナを経た今、様々な感性が変化し表に出て来る時だと思っています。そこからきっと次の時代が開いて行くんじゃないでしょうか。しっかりと核を受け継いだものが、時代の邦楽を創造して行く事を期待しています。
そして毎年のお楽しみはSPレコード選びだけではありません。実はマスターと私は「カレー仲間」でして、毎年SPレコードの選択が終わってから、カレーの名店に行くのが恒例なのです。今回は朝10時からSP選びをやり始めたのですが、朝から何故か二人とも無性に渋谷道玄坂のムルギーのカレーが頭に浮かんでいて、もうムルギーしかないという呼吸になっていましたので、渋谷までわざわざ二人でバスに乗って行き、しっかり食べました。ムルギーはカレー好きには知らない人がいない名店中の名店ですが、マスターはなんと16歳の頃から通っていたそうです。私も先代のおじちゃんの頃から行っています。
ここのカレーは先代の方が、戦前にミャンマー・ビルマに行った時に食べたカレーを日本で再現し、工夫して定着させたそうです。今や渋谷のムルギーと言えば、もうカレーの定番です。奈良平安の時代に雅楽を取り入れて、国風化したようなものですね。日本の食の文化は、こうして豊かになって行ったのだと、納得しながら大盛りを平らげてしまいました。
邦楽も長い時を経て愛される音楽であって欲しいものです。そして楽しい時間を享受できる平和な日々であって欲しいものです。
暑くなりましたね。こう猛暑が続くと、ちょっと出歩くのも難しいですね。
私は先週のツアーの後、家の中で色々と譜面を書いています。先ずは今月の琵琶樂人倶楽部で演奏するために、笛と樂琵琶の小品を一つ仕上げました。譜面の整理をしていたら、以前劇伴で使った曲が出てきて、久しぶりに音出ししてみたら、ちょっとノスタルジックな雰囲気が良い感じなのです。今月は「樂琵琶の話」というタイトルなのですが、雅楽の話に少し潤いを与える為にもちょうど良い感じだと思い、笛と樂琵琶のデュオに編曲しました。
今月のゲスト 笛の長谷川美鈴さんと photo 新藤義久
その後は、先月の安田先生とのツアー中にほぼラフスケッチを書きあげた、能管・声・琵琶による作品を仕上げました。この作品は9月に予定している3.11関連の演奏会の為の新作曲なのですが、震災を経験した詩人の詩を頂いて、それを基に曲にするという依頼です。以前やはり震災詩人と呼ばれている和合亮一さんの詩を和合さん本人の朗読と共に演奏したことが何度かありましたが、今回の方は既に故人だそうですので、その詩から浮かび上がるものを受取り、それを自分の中にある想いと照らし合わせて曲にしました。能管・琵琶・Voの3種の声が織りなす、ちょっと前衛的な作品に仕上がりました。拙作「まろばし」に近い感じです。もう少しアンサンブルを練って行く部分が必要ですが、良い形になって嬉しく思っています。
「四季を寿ぐ歌」初演時 photo 新藤義久
コロナ前に書いた「四季を寿ぐ歌」全6曲も、その時々で出演出来るメンバーでやれる曲を抜粋して上演をしてきましたが、是非全曲の再演、そして録音・配信まで漕ぎつけたいところです。カルテット作品なので、なかなか4人集まって練習する事が出来ず、また上演するにしても経済面での負担が大きく未だ予定が立っていません。次回録音の機会があったら、これらの曲をまとめて録音して、また作曲作品集としてリリースしたいと思っています。
ちなみにこの所宣伝しているヴァイオリンの田澤明子先生を迎えてレコーディングした11thアルバム「塩高和之作曲作品集Vol.3 Voices fron the Ancient World」は今月のリリースです。もうCDという媒体の時代ではないので配信のみのリリースになります。是非聴いてみてください。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
最近この「創る」という事が世の中全体滞っているように思えてなりません。若い方には知識も豊富だし勉強熱心な方も数多く居るのですが、私はどうも「創る」という部分に関しては、ちょっと勢いを感じないのです。知識や蘊蓄で遊んでいるのも良いですが、是非創る所まで行って欲しいですね。創るには当然ヴィジョンが必要です。何となく遊びながら創ったものは、それなりでしかありません。「作る」と「創る」の違いです。
仕事柄、老舗と言われる店や会社の方々と逢う事が多いですが、皆さん一様に、続けて行く為には「創る」事が必要だとおっしゃいます。伝統を守りながらどれだけ時代を見据えて、次の時代に向けて新しいものに挑戦し「創る」事が出来るか、そこが勝負だと何度も聴きました。創造と継承の両輪を回せるものだけが生き残って行けるのはどの分野でも同じという事ですね。
ジャズや邦楽は、この創り出すという事が、今停滞しているように感じます。創るよりも、今あるものを上手にやろうとする心が先に行ってしまっている。それはそのまま音楽に出ていますね。結果どんどんとエネルギーが減っているような気がしてなりません。
美術や文学では当たり前ですが、ポップスやロックの分野も創るのが前提であり、創らない人をアーティストと言いません。今琵琶人にアーティストと呼べる人は居るでしょうか。お教室で習った事をいくらお上手にやっても、リスナーはアーティストとして評価はしてくれません。どんなにミス無く上手に演奏しても、それはお稽古事です。かつての永田錦心や鶴田錦史の創造の精神が復活して欲ものです。
「踊る妖精~国際舞台芸術祭2022」
先月半ばになりますが、シアターXで「踊る妖精」という会がありました。これはシリーズ化している企画で、今回もケイタケイさんや花柳面先生の他5人の踊り手が「鶴のおんがえし」をテーマに作品を創り上演しました。皆さんご存じのように、この話には様々な側面があり、アフタートークでは「人間の自然からの搾取を描いた作品」「犠牲の上に成り立つもの」など様々な意見や感想が出て来ました。その中で花柳面先生ただ一人だけが「美しい反物をただ、その美しさを思って舞いました」とおっしゃっていました。確かに犠牲や搾取という面は物語の一つの側面だと思うし、そういう側面もあってこそ受け継がれている物語だと思うのですが、そういう所に囚われていると「美」を見失ってしまう気がしてなりません。蘊蓄屋は「犠牲」や「搾取」等、ちょっと隠されたような部分を見つけてはやし立て、もっと大きな「美」を見ようとしない、と私は常々感じています。「美」は、その中に内包される様々なものがあってこそ「美」としてその魅力を放っているのであって、表面が綺麗だとか言う問題ではないのです。上記の犠牲も搾取も作品の中に包括されてこそ、それらが「美」となって、物語では反物として具現化されていると私は思います。
面先生の一言は、正に「美」をしっかりととらえ、そこにある様々なものを包括し、その上で「美」を舞に昇華させた舞台でした。共演の福原百之助さんも素晴らしいサポートだったと思います。
物事には色んな階層も側面もあって、それぞれ見えてくるものが違います。何処を見るかで、同じものも全く違うものになりますし、またそれら全てが実態であり、皆真実であり、包括されています。この存在の深さを感じようとしないと、自分が見える所だけを持って「こういうものだ」と判断を下してしまう。部分や側面しか見えないようでは作品は創れません。今古典として残っているものは皆、そのあらゆるものが内包されているのです。エロスとタナトス、醜・憎・怒、そして愛も喜びも皆内包されているから人の心を打つのです。平家物語、源氏物語皆そうですね。どこかの部分を強調するにも、その背景にどれだけのものがあるのか、そこが問われるのです。
9thアルバム(オムニバスを入れると11th) 「Voices from the Ancient World」ジャケット画像
結局は毎度書いているように、何を考え、どこを見てているか、その器がそのまま作品となって、舞台となって表れるのです。芸術に規制は無いので、何をやろうともその人の勝手。評価は全て鑑賞する人が下すもの。だからこそ薄っぺらいものばかりが世に出てきて、消費されて行くだけの時代は、結局社会全体がそうなっているということです。肩書を見せびらかしている連中が跋扈するのも同じ事で、中身を見ようとせず、物事を表面的にしか見ない、感じない社会になっているという事です。
次代に向けて創り続けて行きたいですね。
この所、安田登先生と旅回りをしていました。たかだか一週間程でしたが、やっぱり旅は良いですね。
梅雨という事もありちょっと絃が湿気を吸っていて、会場によっては鳴りが悪かったのですが、演奏はまずますずといった所で、どの会場も気持ち良く演奏が出来ました。
先ずは山口。数楽の風という私塾での演奏でした。会場は御覧の通りお寺を移築した所ですので、雰囲気も良く良い雰囲気でした。レクチャーで敦盛最期の場面をやるとのことで、急遽拙作敦盛の短縮版をやったのですが、ちょっと準備が足りず残念でした。やはり時代に合わせ、短縮版も用意しておかないといけませんね。良い勉強になりました。皆さんとても熱心に聴いていられて、会の雰囲気がとても良かったです。琵琶も実際に手に取ってもらって、会話が弾みました。


次の日は時間がありましたので壇ノ浦に連れて行ってもらいました。ここはやはり私にとって特別な場所です。鶴田錦史の作った壇ノ浦(弾き語り曲)が無ければ、今の私は無いと思います。私は弾き語りを専門にしている訳ではありませんが、あの曲の先進性があればこそ、今の私のスタイルが出来上がったと深く感じています。実際私は他の方と違い、壇ノ浦チューニングと呼ばれている鶴田錦史が考案した、あの独特のチューニングで、活動を始めた最初から全ての曲を演奏しています。他の琵琶奏者のように手前に高い音を持ってくる従来の調弦は一切使ったことがありません。それくらい鶴田錦史の作った壇ノ浦の琵琶曲は私にとっての基本なのです。ただ私は鶴田錦史のスタイルや演奏、声は好みではないので、音色もフレーズも声も真似するという発想はありませんでした。あの曲の持つ最先端を突き進むエネルギーや細部に溢れる現代性はしっかりつかんでいますが、曲は自分で創りました。久しぶりに壇ノ浦を見て、この30年程が色々と湧き上がってきましたね。
そしてその後は、壇ノ浦のすぐ裏側にある平家の隠れ里、高畑に行ってきました。結構山深い所で、平家塚というかなり寂しい感じの石碑があり、少し歩くと霊神社という名前のこれまた何とも、時に忘れさられたような風情の鳥居と祠がありました。この高畑地域は、壇ノ浦のすぐ近くという事で、隠れ家としてはかえって見つかりにくかったそうで、古くからずっと存在する歴史のある集落とのことでした。
山口では大変ご馳走にもなり、過分なおもてなしを頂きました。感謝しかないですね。
安田登先生と広島女学園の特別授業にて HPから切り抜かせて頂きました
次の日は広島へ。広島女学園というキリスト教系の学校で、700名の女子高生を前に演奏してきました。以前甲南女子大で数百名の女子大生を前に90分の講演を一人でやったことがありますが、人が集まるというのは凄いエネルギーですね。しかし安田登先生はとにかくレクチャーの天才ですので、女子高生たちもなかなか乗りが良く、先生方も大喜び。この学校は大変品性正しい学校でもあり、とても純粋なエネルギーに満ちていたので、こちらもとても気持ち良く演奏出来ました。
一日置いて最後は福島の郡山。倉庫協会という業界団体の75周年記念パーティーでの講座だったのですが、安田先生が解説した世阿弥の「老後の初心」という言葉に皆さん、いたく感じ入っていました。続く祝宴では若手筝奏者の大川義秋君が演奏。彼は中村仁樹君率いる「桜Men」のメンバーだそうで、フレッシュな演奏でした。若さというのは何にも代えがたい可能性ですね。
photo 新藤義久
こうして旅が出来るというのは本当に嬉しいです。コロナの時期も私は有り難いことに結構色んな所に行かせてもらっていましたが、琵琶弾きになって何が嬉しいと言えば、全国を旅してまわっている事なんです。年を重ねれば重ねる程、旅があるからこそ生きているという気がしますね。ちょうど1stアルバムを出した40歳辺りからはとにかく旅に次ぐ旅で、毎月必ず一週間程のツアーが入っていて、小さなギャラリーからお寺・ホール等、色んな所で演奏して回っていました。勿論都内でのライブや仕事などもありましたので、結構な忙しさでしたが、何故かその時々で良い方向に導いてくれる方に恵まれ、演奏会の数だけは誰にも負けない(?)位にやって来ました。昔程ではないにしろ、今でも多くの公演をやらせてもらっているのですから嬉しい限りです。
ただ私はエンタテイメント派ではないので、未だにメジャーな所には一向に縁が無いし、有名になる訳でもなく、多くの収入を得てきた訳でもありません。しかし最近とみに「働く事は夢中になる程楽しくなければいかん」という安藤忠雄さんの言葉を思い返します。今までやって来て本当にそうだと思うのです。今邦楽はメジャーデビューをする事や有名になる事、その他賞をもらったり、肩書をもらったりする事に囚われ過ぎているのではないでしょうか。そんな事よりもこの道でこうして飛び回って、やりたい事をやりたいようにやって生きている事の幸せは、何にも代えがたいと私は思うのですが・・。
そして流派で習った曲でもなく、誰かの作ったものでもなく、真似でもなく、全て自分が創ったものを演奏している事に私は大きな喜びと矜持を感じています。
左:今回のアルバムジャケット 右:2018年の前作「沙羅双樹Ⅲ」の時のレコーディング時 Vnの田澤明子先生と
来月、私の11枚目となるアルバム「塩高和之作曲作品集Vol.3 Voices from Ancient World」がリリースされます。これ迄の2枚の作曲作品集は、CDに入りきれなかったものを中心にオムニバス形式で集めたのですが、今回は全て新録音です。今回もヴァイオリンの田澤明子先生とのデュオを中心に、薩摩琵琶・樂琵琶で録りました。新作も交え、是迄笛や尺八とのコンビでやってきた曲を、若干アレンジを変えてヴァイオリンと演奏しています。初めて使うスタジオでしたので、勝手が違ってちょっと苦労しましたが、まあまあいい感じに録音されています。樂琵琶の独奏曲も入っています。
また今回からはもうCDとしてプレスはせず、ネット配信のみのリリースです。私の作品はこれで約50曲程がリリースとなります。まだまだ録音したい曲が10曲はありますので、これからどんどんと録音・配信を勧めて行きたいと思っています。iTunesやsupotify、レコチョク等々80社程に出していますので、今回の作品も同様に世界に向かって配信されます。是非是非聴いてみてください。
今はネット配信で世界の方が、気軽に私の演奏を聴いてくれていて本当に嬉しいのですが、やはり音楽は目の前でリアルに聴いてこそ音楽として成立するという想いは、年を追うごとに益々感じています。もっと旅を重ね、目の前で是非琵琶の音色を感じて欲しいですね。
これからも旅は続きます。
梅雨に入り、気温もぐっと下がってまいりました。湿気も強くなりましたので、調子に乗ってビールばかり飲まないように体調にも気を付けたいところです。
先日の琵琶樂人倶楽部は、あの小さなスペースに満杯のお客様が来ていただき、大盛況のうちに終える事が出来ました。しかしながら私は最初の曲でちょっと失敗をしてしまったのです。それが撥の選択。今回の琵琶は大型ではなく中型を持って行ったのですが、家を出る時からちょっと撥をどうしようか気になっていたので、最近使っている厚目の撥と、今まで使っていた少し薄めの撥の両方を持って行きました。
中型琵琶と厚目の撥の組み合わせは最近もよく使っていて問題無かったのですが、この日は雨。湿気がかなりすごく、会場内も熱気がむんむんしていてチューニングに苦労しました。そこ迄は良かったのですが、1曲目の弾き語りによる演奏を始めると、何ヶ所かサワリの音が鈍い。勿論チューニングは結構落ちて来る。加えて高音の響きが悪く、低音ばかりが出過ぎる位に出ていて、高音が聴こえて来ない。会場のヴィオロンはもうずっと使っているものの、今回は満席+という位にお客様が入っているので、特にこの日は響きが無く、高音ががっつりと沈んでしまったのです。こういう時には薄目の撥がバランスが取れて良いですね。
この日は2曲目から声(メゾソプラノ・朗読)との共演で繊細に弾く事を要求される曲でしたので、直ぐに撥を変えて問題無く最後までできたのですが、湿気と厚撥、そして細い絃の相性は良い勉強になりました。思い返してみると、もう10年以上前にも雨の日のコンサートで細い絃が鳴らずに、力任せに弾いてしまって後悔したことがありました。1曲目を弾いている時に10数年前の演奏会の事を思い出しました。
厚目の撥は全体のヴォリュームが上がるのは良いのですが、太い絃に対してはパンチのある音が出る一方、細い絃に対しては力加減を考えないと、潰れた音になりがちです。撥のパワーが強すぎるのです。今回のように湿気で細い絃が鳴らない時は、尚更繊細に弾く位にしないと、音が潰れて音楽が表現できません。
さっそく家に帰ってからサワリの甘い所を早速調整し直しました。いつもなら問題ない程度なのですが、湿気のある所では、ほんのちょっとの甘さが如実に出てしまうという事も久しぶりに味わいました。まだまだ修行が足りませんな。
現場こそ一番の勉強の場ですね。最近は若者に琵琶を教える機会が増えたので、こういう現場でしか判らない事を沢山伝えてあげたいですね。
琵琶樂人倶楽部にて with厚撥 photo 新藤義久
撥の扱いについては、是迄自分なりに随分と工夫も研究もして来ました。右手については弦楽器なら皆共通していて、先ずは何より右手首を柔らかく使うのが基本なのですが、琵琶の場合、手首を柔らかくしなやかに使えるのなら、しなりのある薄い撥よりも少し厚目の撥の方が良いと思っています。以前は撥自体の「しなり」がとても気になったのですが、最近は逆に、撥に「しなり」があり過ぎるとかえって手首のしなやかさが上手く使えないように感じています。自分が以前よりは少し厚目の撥を使うようになった事もありますが、生徒達を通して右手首の動きを客観的に見て行くと、撥のしなりよりも手首を柔らかく使って、撥をコントロールする方が重要だという事に改めて気が付きました。右手首を自在に動かして使えば、薄撥よりも厚目の撥の方が、低音の迫力を出せるし、且つ繊細な高音部の表現も、それなりに出来るので全体としてダイナミックスが増します。上記した湿気の強い時には注意が必要ですが、厚目の撥を今後共メインに使って行きたいと思います。
4月の琵琶樂人倶楽部 筑前琵琶の石橋旭姫さんと photo 新藤義久
先日、もう引退した大先輩の撥を見せて頂く機会がありました。T流の第一世代の方々の撥を手に取ってみるのは実は初めてだったのですが、実際手にしてみて驚きを通り越して目を見張ってしまいました。極の付く程薄い撥を使っていたんですね。ギターで言う所のThinのピックと同じです。今の私のスタイルで弾いたら一発で割れてしまいそうな感じでした。強いハタキが特徴の流派で知られるT流の方は、流祖先生はじめ撥を割ってしまう方が多いと聴いていましたが、納得ですね。薄撥だと叩く音も小さいので、ハタキでもあまりうるさくならず、絃の音を補うようにアクセントが付けられて、歌の伴奏としてはちょうどバランスがとれていたのかもしれないですが、私にはとても使えません。
私は塗り琵琶と薄撥による、あの何とも鳴りきらない感じの絃音がどうにも馴染めず、T流に入った最初からどんどんと弾き方を研究し、楽器も改良し、気が付いたらT流とは奏法も音楽自体もかなり遠い所に行ってしまったという具合です。弾き方も音色も、楽器を含めそれらを受け継ぐのが流派というものだと思えば、私が早々に流派を離れてしまったのも致し方ないですね。ただあの特徴的なハタキだけは、しっかり自分のやり方にして受け継いでいます。
ルーテル武蔵の教会にて 2016年
俳優の伊藤哲哉さん 5絃コントラバスの故 水野俊介さんと方丈記を上演
何事もやればやるほどに発見があり、新たな光も見えてくるものですが、本当に「見上げる空は一つなれど果て無し」ですな。
私はこれまで様々な場面に出くわしてきて思うのは、多くの様々な経験がいかに大事かという事と同時に、その経験に囚われると、それに引っ張り込まれてしまうという事を学んできました。「これはこういうものだ」「こうすれば出来る」等々、我々はすぐに自分の小さな頭で判断を下してしまいますが、自分の小さな世界に留まる事がいかに危ういか。そういう事を学んできました。日々移りゆく現実に対し、どれだけ柔軟に、且つブレないで対処できるかが、日々を生きる鍵であり、またその人の器の大きさだと思っています。これは武道なども同じように思いますね。音楽も武道も自分の過去の経験に寄りかかって、持っている技を出そうという気のある人は、そこに囚われて結果としてせっかくの実力を発揮する事が出来ないのです。
柳生宗矩は6つの心の病という言葉を残しています。
①勝たんと一筋に思う病
②兵法使わんと一筋に思う病
③習いのたけを出さんと一筋に思う病
④かからんと一筋に思う病
⑤またんとばかり思う病
⑥病を去らんと一筋に思い固まりたる病
皆習ったことは披露したいし、技も使ってみたくなるものです。しかしそれに囚われると現場での対処が鈍くなってしまう。撥の扱い一つとっても、心の柔軟さが無ければ、力技で押し切ろうとして、結果、音楽はそこに無くなってしまう。
常に柔軟に、しなやかに、そして健やかにしていたいものですね。
湿度が増してきていますね。早目の梅雨という感じになるのでしょうか。琵琶にはつらい季節です。
それにしても世のうつろいは本当に早く、自分だけは変わらないつもりでも、自分を取り巻く状況はもう去年とは違うし、社会の流れそのものも変化しています。まあ平安時代にすでに在原業平が「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」と詠んでいる位ですから、世というものはどんな時でも変わらずうつろうものなのでしょう。
お陰様で私はそこそこ仕事を頂いていますが、内容はコロナ前とは随分様変わりしています。今後ももっと変化して行くと思っています。私がここ数年間何とかやって来れたのは、毎月定例の琵琶樂人倶楽部を続けていた事と、レクチャーなどの仕事がずっと入っていた事、それから急に琵琶を習いたいと言って来る若者が次々にやって来たのも良いモチベーションとなりました。収入は残念ながら下降気味なのですが、モチベーションが下がらずに、相変わらずの感じで作曲したり演奏したりしてやって来れました。
私には相変わらずエンタテイメントには程遠い所に居ます。私自身がエンタメには興味が薄いですし、普段からそういう顔をして、非エンタメのオーラを発しているのでしょう。今後もやりたいとは思っていないですが、世の中はエンタメ寄りの方が本当に多いですね。よくもまあそんな世の中で「我が身一つはもとの身にして」なんていいながら、これ迄生きて来れたと思います。本当に有難い事です。随分昔には演歌歌手の録音など何度かやったことがありますが、あれは私の仕事ではないですね。まあ映画音楽で映像と音楽が切り離せない程に作品として成立していて、一緒に作品を創り上げるようなものならやってみたい気もありますが、「ベニスに死す」や「ニューシネマパラダイス」のような作品は、この所とんと見たことがありません。見たいなと思う映画も減ってきました。
音楽家は油断すると、直ぐいいように使われて何でも屋になってしまいます。特に琵琶は珍しいので、飛び道具的に珍しさを前面にした形で技の切り売りをさせられがちです。そこには音楽は無い。ただの体の良い便利屋になっているだけです。そうして食って行く為の芸に落ちたら、もう音楽家としてお終いだと私は思っていますので、自分のやりたいものを、これまで通りに地道にやって行きますよ。
今は無き、明大前のキッドアイラックアートホールにて
Asax:SOON Kim 、ダンス:牧瀬茜、映像:ヒグマ春夫各氏と
最近建築家の安藤忠雄さんがインタビューで、「働く事は夢中になる程楽しくなければいかん」と言っていましたが、激しく同意しますね。昔は「辛い事をやるからこそ金がもらえるんだ。好きな事をやるんだったら金はもらえない。そんなものは仕事ではない」等と上から目線で説教する大人が大勢居ましたが、辛い・大変と思ってやっている仕事で、クオリティーの高い仕事が出来る訳がない。誰が考えても当たり前だと思うのですが、そんな根性論的な感覚が、以前はまるで主流のように社会の中にありました。
今はエンタテイメントが全てに渡って蔓延っていますが、実は日本人はエンタテイメントを本当に楽しんでいないのかもしれません。もう少し言い方を変えると、楽しむことがとても下手と言えるかと思います。仕事でも表面を楽しんでいるようにしているだけで、とことん夢中になる程楽しんでいない。私にはそう思える事がよくあります。上記のような根性論的な感覚がまだ抜けないのかもしれませんし、音楽や芸術に関しても、どこかで仕事と思う事が出来ないのかもしれません。まあ日本がここ30年で衰退したのは、そんな大人達の旧態然とした根性論的感性ゆえかもしれませんね。
楽琵会にて、Vn:田澤明子先生、笙:ジョウシュウ・ジポーリン君と
photo 新藤義久
私は最近は洋楽器を取り入れた作品を色々と創っています。演奏会のパートナーにもヴァイオリンやフルートを入れる事が多くなりました。邦楽器では実現し得ない世界が視野に入ってきたという事です。
少し前にお知らせしましたが、Vnの田澤明子先生との録音が編集作業を経て、今月末~来月初め辺りには配信される見込みです。その他フルートやメゾソプラノを入れた作品なども色々と出来上がっていますので、順次録音・配信をして行きたいと思っています。
邦楽器同士でなければ表現できない世界は確実にあります。しかし逆に邦楽器のみでは実現できない世界もあります。現代における楽曲リリースは、一瞬でドメスティックな世界を越えて世界に向けて発信されます。そう考えれば、その感覚も小さな枠の中に囚われているようなものは世に響きません。世の動きとの密接な関わりは、芸術活動に於いてとても重要な事なのです。これだけ世界が経済・政治から繋がって身の回りの生活にも大きく関わっている現代において、洋楽器を排して考えるのは、世の中と矛盾しているような気になるのです。日本の中ではなく、世界の中での琵琶樂というセンスはこれから是非とも主軸にしたい感覚です。そう考えれば琵琶でもっと自分の思う表現を実現する為には、洋楽器との組み合わせは今後、とても重要になって来る感じていて、表現領域を広げる過程で洋楽器とのコンビネーションが多くなって行ったのです。これからは世の中とどのように関わって行くか、そこにセンスと器が問われます。

世の中に沿う事はとても大事な事ですが、迎合する事と沿う事をはき違えないようにしています。先ずは私は日本の音楽をやっているのですから、日本の歴史や古典を知らない訳には行きません。これはクラシックでも同じでしょう。クラシックを演奏していてキリスト教を知らないなんてのは偽物と言われても仕方がないように、音楽は常に歴史や宗教、そして社会と共に成立するものです。
世のセンスはどんどんと移り変わります。価値観も形もどんどんと変わります。その中で変わらないものは何なのか。そこを見極める目がある人だけが仕事をして行けます。少しばかりの知識や経験に寄りかかって、小さなプライドを持ってしまうような人は、ほどなく仕事もやって行けなくなるのはどの分野でも同じ事。どれだけやっても、まだ自分には計り知れない世界がある事を感じている人は、視野も行動もどんどんと広がり、時代に合った形で自分の求める仕事が出来て行くと思いますが、現代ではなかなかそんな人に出逢うのが稀になりました。
幸い私の周りには、自らの根幹や核を見失う事の無い本当に尊敬すべき人が居ます。これも運命というものでしょうか。ありがたいですね。何かとふらついてしまう私にとって、そういう方は私の指針となっています。私は到底その域に到達は出来ないまでも、私も移りゆくものと変わらないものを見極める人でありたいと思います。
さて今週は第174回の琵琶樂人倶楽部「琵琶を巡る三種の声」と題しまして、私の弾き語り、メゾソプラノの保多由子先生、舞台女優の佐藤蕗子さんの声で琵琶樂の様々な形をお聞きいただきます。エンタテイメントには程遠い、重く、長い作品が3つ続きます。でもとても興味深い内容になると思っています。目先の楽しさを追いかけて、いつしかこの風土から紡ぎ出された音楽を忘れてしまった現代人にこそ聴いて頂きたいと思っています。是非お越しくださいませ。