撥の話Ⅳ

梅雨に入り、気温もぐっと下がってまいりました。湿気も強くなりましたので、調子に乗ってビールばかり飲まないように体調にも気を付けたいところです。

先日の琵琶樂人倶楽部は、あの小さなスペースに満杯のお客様が来ていただき、大盛況のうちに終える事が出来ました。しかしながら私は最初の曲でちょっと失敗をしてしまったのです。それが撥の選択。今回の琵琶は大型ではなく中型を持って行ったのですが、家を出る時からちょっと撥をどうしようか気になっていたので、最近使っている厚目の撥と、今まで使っていた少し薄めの撥の両方を持って行きました。

中型琵琶と厚目の撥の組み合わせは最近もよく使っていて問題無かったのですが、この日は雨。湿気がかなりすごく、会場内も熱気がむんむんしていてチューニングに苦労しました。そこ迄は良かったのですが、1曲目の弾き語りによる演奏を始めると、何ヶ所かサワリの音が鈍い。勿論チューニングは結構落ちて来る。加えて高音の響きが悪く、低音ばかりが出過ぎる位に出ていて、高音が聴こえて来ない。会場のヴィオロンはもうずっと使っているものの、今回は満席+という位にお客様が入っているので、特にこの日は響きが無く、高音ががっつりと沈んでしまったのです。こういう時には薄目の撥がバランスが取れて良いですね。

この日は2曲目から声(メゾソプラノ・朗読)との共演で繊細に弾く事を要求される曲でしたので、直ぐに撥を変えて問題無く最後までできたのですが、湿気と厚撥、そして細い絃の相性は良い勉強になりました。思い返してみると、もう10年以上前にも雨の日のコンサートで細い絃が鳴らずに、力任せに弾いてしまって後悔したことがありました。1曲目を弾いている時に10数年前の演奏会の事を思い出しました。
厚目の撥は全体のヴォリュームが上がるのは良いのですが、太い絃に対してはパンチのある音が出る一方、細い絃に対しては力加減を考えないと、潰れた音になりがちです。撥のパワーが強すぎるのです。今回のように湿気で細い絃が鳴らない時は、尚更繊細に弾く位にしないと、音が潰れて音楽が表現できません。

さっそく家に帰ってからサワリの甘い所を早速調整し直しました。いつもなら問題ない程度なのですが、湿気のある所では、ほんのちょっとの甘さが如実に出てしまうという事も久しぶりに味わいました。まだまだ修行が足りませんな。
現場こそ一番の勉強の場ですね。最近は若者に琵琶を教える機会が増えたので、こういう現場でしか判らない事を沢山伝えてあげたいですね。

琵琶樂人倶楽部にて with厚撥 photo 新藤義

撥の扱いについては、是迄自分なりに随分と工夫も研究もして来ました。右手については弦楽器なら皆共通していて、先ずは何より右手首を柔らかく使うのが基本なのですが、琵琶の場合、手首を柔らかくしなやかに使えるのなら、しなりのある薄い撥よりも少し厚目の撥の方が良いと思っています。以前は撥自体の「しなり」がとても気になったのですが、最近は逆に、撥に「しなり」があり過ぎるとかえって手首のしなやかさが上手く使えないように感じています。自分が以前よりは少し厚目の撥を使うようになった事もありますが、生徒達を通して右手首の動きを客観的に見て行くと、撥のしなりよりも手首を柔らかく使って、撥をコントロールする方が重要だという事に改めて気が付きました。右手首を自在に動かして使えば、薄撥よりも厚目の撥の方が、低音の迫力を出せるし、且つ繊細な高音部の表現も、それなりに出来るので全体としてダイナミックスが増します。上記した湿気の強い時には注意が必要ですが、厚目の撥を今後共メインに使って行きたいと思います。

4月の琵琶樂人倶楽部 筑前琵琶の石橋旭姫さんと photo 新藤義

先日、もう引退した大先輩の撥を見せて頂く機会がありました。T流の第一世代の方々の撥を手に取ってみるのは実は初めてだったのですが、実際手にしてみて驚きを通り越して目を見張ってしまいました。極の付く程薄い撥を使っていたんですね。ギターで言う所のThinのピックと同じです。今の私のスタイルで弾いたら一発で割れてしまいそうな感じでした。強いハタキが特徴の流派で知られるT流の方は、流祖先生はじめ撥を割ってしまう方が多いと聴いていましたが、納得ですね。薄撥だと叩く音も小さいので、ハタキでもあまりうるさくならず、絃の音を補うようにアクセントが付けられて、歌の伴奏としてはちょうどバランスがとれていたのかもしれないですが、私にはとても使えません。
私は塗り琵琶と薄撥による、あの何とも鳴りきらない感じの絃音がどうにも馴染めず、T流に入った最初からどんどんと弾き方を研究し、楽器も改良し、気が付いたらT流とは奏法も音楽自体もかなり遠い所に行ってしまったという具合です。弾き方も音色も、楽器を含めそれらを受け継ぐのが流派というものだと思えば、私が早々に流派を離れてしまったのも致し方ないですね。ただあの特徴的なハタキだけは、しっかり自分のやり方にして受け継いでいます。

ルーテル武蔵の教会にて 2016年 
俳優の伊藤哲哉さん 5絃コントラバスの故 水野俊介さんと方丈記を上演

何事もやればやるほどに発見があり、新たな光も見えてくるものですが、本当に「見上げる空は一つなれど果て無し」ですな。
私はこれまで様々な場面に出くわしてきて思うのは、多くの様々な経験がいかに大事かという事と同時に、その経験に囚われると、それに引っ張り込まれてしまうという事を学んできました。「これはこういうものだ」「こうすれば出来る」等々、我々はすぐに自分の小さな頭で判断を下してしまいますが、自分の小さな世界に留まる事がいかに危ういか。そういう事を学んできました。日々移りゆく現実に対し、どれだけ柔軟に、且つブレないで対処できるかが、日々を生きる鍵であり、またその人の器の大きさだと思っています。これは武道なども同じように思いますね。音楽も武道も自分の過去の経験に寄りかかって、持っている技を出そうという気のある人は、そこに囚われて結果としてせっかくの実力を発揮する事が出来ないのです。

柳生宗矩は6つの心の病という言葉を残しています。

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勝たんと一筋に思う病

兵法使わんと一筋に思う病

習いのたけを出さんと一筋に思う病

かからんと一筋に思う病

またんとばかり思う病

病を去らんと一筋に思い固まりたる病 

皆習ったことは披露したいし、技も使ってみたくなるものです。しかしそれに囚われると現場での対処が鈍くなってしまう。撥の扱い一つとっても、心の柔軟さが無ければ、力技で押し切ろうとして、結果、音楽はそこに無くなってしまう。

常に柔軟に、しなやかに、そして健やかにしていたいものですね。


我が身ひとつはもとの身にして

湿度が増してきていますね。早目の梅雨という感じになるのでしょうか。琵琶にはつらい季節です。
それにしても世のうつろいは本当に早く、自分だけは変わらないつもりでも、自分を取り巻く状況はもう去年とは違うし、社会の流れそのものも変化しています。まあ平安時代にすでに在原業平が「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」と詠んでいる位ですから、世というものはどんな時でも変わらずうつろうものなのでしょう。

お陰様で私はそこそこ仕事を頂いていますが、内容はコロナ前とは随分様変わりしています。今後ももっと変化して行くと思っています。私がここ数年間何とかやって来れたのは、毎月定例の琵琶樂人倶楽部を続けていた事と、レクチャーなどの仕事がずっと入っていた事、それから急に琵琶を習いたいと言って来る若者が次々にやって来たのも良いモチベーションとなりました。収入は残念ながら下降気味なのですが、モチベーションが下がらずに、相変わらずの感じで作曲したり演奏したりしてやって来れました。

私には相変わらずエンタテイメントには程遠い所に居ます。私自身がエンタメには興味が薄いですし、普段からそういう顔をして、非エンタメのオーラを発しているのでしょう。今後もやりたいとは思っていないですが、世の中はエンタメ寄りの方が本当に多いですね。よくもまあそんな世の中で「我が身一つはもとの身にして」なんていいながら、これ迄生きて来れたと思います。本当に有難い事です。随分昔には演歌歌手の録音など何度かやったことがありますが、あれは私の仕事ではないですね。まあ映画音楽で映像と音楽が切り離せない程に作品として成立していて、一緒に作品を創り上げるようなものならやってみたい気もありますが、「ベニスに死す」や「ニューシネマパラダイス」のような作品は、この所とんと見たことがありません。見たいなと思う映画も減ってきました。

音楽家は油断すると、直ぐいいように使われて何でも屋になってしまいます。特に琵琶は珍しいので、飛び道具的に珍しさを前面にした形で技の切り売りをさせられがちです。そこには音楽は無い。ただの体の良い便利屋になっているだけです。そうして食って行く為の芸に落ちたら、もう音楽家としてお終いだと私は思っていますので、自分のやりたいものを、これまで通りに地道にやって行きますよ。

今は無き、明大前のキッドアイラックアートホールにて
Asax:SOON Kim 、ダンス:牧瀬茜、映像:ヒグマ春夫各氏と


最近建築家の安藤忠雄さんがインタビューで、「働く事は夢中になる程楽しくなければいかん」と言っていましたが、激しく同意しますね。昔は「辛い事をやるからこそ金がもらえるんだ。好きな事をやるんだったら金はもらえない。そんなものは仕事ではない」等と上から目線で説教する大人が大勢居ましたが、辛い・大変と思ってやっている仕事で、クオリティーの高い仕事が出来る訳がない。誰が考えても当たり前だと思うのですが、そんな根性論的な感覚が、以前はまるで主流のように社会の中にありました。
今はエンタテイメントが全てに渡って蔓延っていますが、実は日本人はエンタテイメントを本当に楽しんでいないのかもしれません。もう少し言い方を変えると、楽しむことがとても下手と言えるかと思います。仕事でも表面を楽しんでいるようにしているだけで、とことん夢中になる程楽しんでいない。私にはそう思える事がよくあります。上記のような根性論的な感覚がまだ抜けないのかもしれませんし、音楽や芸術に関しても、どこかで仕事と思う事が出来ないのかもしれません。まあ日本がここ30年で衰退したのは、そんな大人達の旧態然とした根性論的感性ゆえかもしれませんね。

楽琵会にて、Vn:田澤明子先生、笙:ジョウシュウ・ジポーリン君と
photo 新藤義久

私は最近は洋楽器を取り入れた作品を色々と創っています。演奏会のパートナーにもヴァイオリンやフルートを入れる事が多くなりました。邦楽器では実現し得ない世界が視野に入ってきたという事です。
少し前にお知らせしましたが、Vnの田澤明子先生との録音が編集作業を経て、今月末~来月初め辺りには配信される見込みです。その他フルートやメゾソプラノを入れた作品なども色々と出来上がっていますので、順次録音・配信をして行きたいと思っています。

邦楽器同士でなければ表現できない世界は確実にあります。しかし逆に邦楽器のみでは実現できない世界もあります。現代における楽曲リリースは、一瞬でドメスティックな世界を越えて世界に向けて発信されます。そう考えれば、その感覚も小さな枠の中に囚われているようなものは世に響きません。世の動きとの密接な関わりは、芸術活動に於いてとても重要な事なのです。これだけ世界が経済・政治から繋がって身の回りの生活にも大きく関わっている現代において、洋楽器を排して考えるのは、世の中と矛盾しているような気になるのです。日本の中ではなく、世界の中での琵琶樂というセンスはこれから是非とも主軸にしたい感覚です。そう考えれば琵琶でもっと自分の思う表現を実現する為には、洋楽器との組み合わせは今後、とても重要になって来る感じていて、表現領域を広げる過程で洋楽器とのコンビネーションが多くなって行ったのです。これからは世の中とどのように関わって行くか、そこにセンスと器が問われます。

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六本木ストライプハウスにて photo 新藤義久

世の中に沿う事はとても大事な事ですが、迎合する事と沿う事をはき違えないようにしています。先ずは私は日本の音楽をやっているのですから、日本の歴史や古典を知らない訳には行きません。これはクラシックでも同じでしょう。クラシックを演奏していてキリスト教を知らないなんてのは偽物と言われても仕方がないように、音楽は常に歴史や宗教、そして社会と共に成立するものです。
世のセンスはどんどんと移り変わります。価値観も形もどんどんと変わります。その中で変わらないものは何なのか。そこを見極める目がある人だけが仕事をして行けます。少しばかりの知識や経験に寄りかかって、小さなプライドを持ってしまうような人は、ほどなく仕事もやって行けなくなるのはどの分野でも同じ事。どれだけやっても、まだ自分には計り知れない世界がある事を感じている人は、視野も行動もどんどんと広がり、時代に合った形で自分の求める仕事が出来て行くと思いますが、現代ではなかなかそんな人に出逢うのが稀になりました。
幸い私の周りには、自らの根幹や核を見失う事の無い本当に尊敬すべき人が居ます。これも運命というものでしょうか。ありがたいですね。何かとふらついてしまう私にとって、そういう方は私の指針となっています。私は到底その域に到達は出来ないまでも、私も移りゆくものと変わらないものを見極める人でありたいと思います。

さて今週は第174回の琵琶樂人倶楽部「琵琶を巡る三種の声」と題しまして、私の弾き語り、メゾソプラノの保多由子先生、舞台女優の佐藤蕗子さんの声で琵琶樂の様々な形をお聞きいただきます。エンタテイメントには程遠い、重く、長い作品が3つ続きます。でもとても興味深い内容になると思っています。目先の楽しさを追いかけて、いつしかこの風土から紡ぎ出された音楽を忘れてしまった現代人にこそ聴いて頂きたいと思っています。是非お越しくださいませ。

メインテナンス~糸口Ⅱ

陽射しも大分らしくなって来ましたね。やっと上着を着ずに過ごせそうで嬉しいです。
今月の頭に新潟へ行っていたのですが、GWだというのに何だか寒くて、雨と晴れが交互に続くという変な天気でした。そんな中での公演を3日間ほどやってきたのですが、その際絃が湿気を吸ってしまったのか、サワリ音が上手く出ず、本番前に何とかしないといけないので、ちょっと焦りました。結局糸口の木部迄削って対処したのですが、東京に戻ってよくよく糸口を診てみると、これはもう入院だと判断しまして、早速坂戸にある石田さんの工房持って行って修理してもらいました。

糸口糸口2

糸口1本番が目の前に来ていて、かなり切羽詰まった状態でしたので致し方なかったのですが、貝プレートは簡単に交換できても土台はそう簡単には交換出来ません。それに糸口を削れば当然弦高は下がるので、1の糸と1の駒の距離も近くなってしまい、音がベチャベチャと潰れた音になる事を防ぐためにも、1の駒の方も上部を削りました。
駒の高さはとても大事な部分で、いくら各駒のサワリの調整が出来ていても駒の高さのバランスが取れてがいないと全てが台無しです。今回はそういう意味で駒の高さのバランスは悪くなるのですが、1の駒を使わないように、弾くフレーズを考えて演奏しましたので、とりあえず本番では良いサワリの琵琶の音色を届けることが出来ました。
本番は良かったですが、すぐに直さないと次に使えませんので、早速直してもらった次第です。

糸口3来月にはまた一週間ほどのツアーがありますし、今後ツアーが復活してくることも踏まえ、今回のような天気に当たってしまう事も想定して、スネークウッドの部分を削らなくてもよいように、右の1号機と同じく縦幅の広いものにしてもらいました(左写真 以前の倍ほどの縦幅になっています)。
更に1絃2絃側のスネークウッド部分と、3絃4・5絃側のスネークウッド部分が独立して交換できるよう工夫してもらいました。私はスネークウッドの部分を自分で交換する所まではやりませんが、工房に出した時にすぐに対処してもらえるように、接着を工夫してもらいました。
糸口のサワリは、細い絃はほとんど狂わないので、ツアー中でもいじる事がほとんど無いのですが、1・2絃側の太い絃はかなり敏感に音色が変化します。湿気を絃が吸って膨張してしまうのでしょうね。特に私の場合第1弦が45番、第2絃が中型で1ノ太目、大型では35番という極太の絃を張ってありますので、直ぐに影響が出てしまいます。したがって貝プレートも削るのは1・2絃側がほとんどなのです。各駒のサワリは毎日のようにチェックして削っていますが、削り過ぎたら駒の下に一枚板をかましてかさ上げしてあげれば事足ります。しかし糸口はそういう訳にはいかない。

糸口2以前左写真(右側)のように糸口に象牙を使っていた頃は、削り過ぎると象牙の塊を交換するか、もしくは象牙の全体を削り直して、更に一度はずして下に黒檀の板を入れるかしないといけないので、全絃の高さが変わってしまい、調整がとても大変でした。コストも手間もかなりかかっていたのです。
今は削り過ぎたら貝プレートを簡単に交換し、もし今回のように第二土台まで削ってしまったら、1・2絃側の第二土台のみ交換すればよいので、コストも手間も大幅に減りました。

音色が気になるという方も多いかと思いますが、音色は全く象牙と変わりませんね。これまでのブログにも書いてきましたが、もう丸4年間全国の大小舞台で使って、レコーディングにも何度も使って来て、音色に満足しないという事は一切ありませんでした。太鼓判を押しますよ。象牙しか使ったことの無い方は躊躇するかと思いますが、聴き比べても弾き比べても違いを指摘できる人は先ずいないのではないかと思います。ただサワリの調整は象牙同様厳密にすることが必須ですので、ろくに調整もしないで「これはだめだ」などと判断を下す事の無いようして頂きたいものです。
コロナで海外公演はもう当分無いと思いますが、象牙の使用は世界の情勢を考えれば、もう止めた方が良いと思いますし、下手をすると批判の対象ともなりかねません。凝り固まった頭と価値観・概念をほぐし、世の価値観にしなやかに沿って行く為にも、こうした所から変えて行くのは大切な事だと考えています。象牙ではコストも高くつきます。

2020フルセット④

そして琵琶が修理から返って来てからは調整が必要です。せっかく修理したのに何故と思う方もいらっしゃると思いますが、サワリ音を自分のサウンドにする為には、細かい所は自分ややらないと思い通りの音は出ません。その為に石田さんは貝プレートをスネークウッドの土台よりほんの少し高目に付けてくれています。微調整をしてぴったりになるように最初から遊びのような部分を設けてくれているのです。その調整をしてから、4面の薩摩琵琶の全部のサワリ調整もついでにしました。大体この薩摩4面はいつもベストな状態にしてありますが、常にサワリも絃も手をかけて面倒を見ていないと良い音で鳴ってくれません。触っただけでビャ~ンというサワリの音が出る位に微妙なセッティングが出来ていないと、私の音楽は演奏できませんし、楽器の状態が悪いまま舞台に立つのは、プロの演奏家としてのプライドが許してくれません。伴奏で合いの手にベンベンやっているだけなら多少ほったらかしておいても大丈夫だと思いますが、琵琶の音だけで勝負しようと思ったら、メンテナンスは完璧でなくては仕事になりません。これはピアノでもヴァイオリンでもなんでも、楽器の演奏家というものは皆そういうものです。高い楽器を買うよりも、メンテナンスにお金をかけ、手をかける事が出来ない人は器楽の奏者には向いていません。

楽器も整ってやっと気持ちも落ち着きました。いつものメンツが揃っていないとどうも落ち着きませんからね。これからもどんどん魅力的な琵琶の音色を届ける為に、作曲・演奏両面で活動を展開して行きます。乞うご期待!!。

音色は語る

やっと周りの音楽家やアート系の人々が活発に動き出してきました。この所そんな面白い方々と会って話をしたり、音合わせをしたりすることが多くなりました。

特に声を使ったアーティストと話していると、語る言葉が音楽になっているような人が少なからずいますね。私も自分の弾く琵琶は言葉にならない部分を音にするように心がけていますが、何かを表現しようとする時に言葉だけ、または歌や語りだけでやろうとしてしまうと音楽全体が小さくなってしまいます。優れたアーティストは、どこを言葉にして、どこを楽器の音色にすれば良いかを本能的に解っていますね。そこが一流と二流の分かれ道ということでしょうか。

2s

琵琶樂人倶楽部にて、朗読の櫛部妙有さんと。私の右横に居るのは来月朗読をやってもらう若手の佐藤蕗子さん

琵琶の音を単なる伴奏としか考えられない人は、自分の弾く音が言葉になっていない人が多いですね。琵琶に語らせることが出来て初めて琵琶奏者だと私は思っているのですが、なかなかそんな人に出逢った事は無いです。言葉にならない想いをどれだけ琵琶の音で語る事が出来るか、そこが大切であり、魅力だと思いますし、それが出来るのが琵琶という楽器だと思っています。従来の琵琶歌は全部ストーリーから心情・背景迄言葉で説明してしまって、琵琶は合いの手にしか入れない。私はここが一番気に入らない部分でした。だから流派の曲は一切やらないのです。TVも無い大正時代辺りに発展した芸能ですから、もう今の感覚には合わないのでしょうね。何事も言葉を尽くすよりも「沈黙」や、無言の「眼差し」の方がよっぽど伝わる事も多いと私はいつも感じています。如何でしょうか。

IMGP0652糸口を貝プレートにした塩高モデル
ヴィジュアルが溢れ、情報が溢れすぎている現代においては、言葉を並べて説明するのはごくごく少量でいい。リスナーには理解ではなく「感じて」もらうのが私の仕事だと思っています。言葉を出せば出すほど、時間軸は先にしか進まず、ストーリーを追いかける事に終始し、どんどんと平面的になってしまいます。話を理解しているだけでリスナーの想像力は掻き立てられること無く曲が過ぎてしまう。
悲しさを伝えるために言葉で「かなし~~」とやってしまっては陳腐そのものだと思いませんか。見せる事が出来ない涙や、言葉に出来ない心の奥底の想いこそ、琵琶の音が代わりに深く語るのではないでしょうか。感情は音で表現する。情景も音で表現する。直接の言葉ではなく、琵琶の音という抽象表現だからこそ、聴衆の中にその想いが無限に広がり伝わるのです。理解よりも、共感そして感動迄リスナーを掻き立て初めて私たちの音楽が成立するのです。表現と技の御披露を勘違いしている演者があまりに多いと私は思っています。
今、この辺りへの考察が日本の伝統音楽の最重要課題だと私は思っています。従来のやり方に固執し、表面の形に囚われ、過去をなぞる事に終始していたら、本質や核の部分は伝わらず、次世代にはどうなってしまうのでしょうか。現代の世、そして時代に世の中に、どうしたら日本音楽の魅力を伝える事が出来るのだろうか。今は器と腕の見せ所、正念場ですね。

しかしそんな伝統音楽の中でも能だけは、そういう言葉を超えた所がふんだんにありますね。私はそこにとても注目しています。今後、能こそ次世代へと日本の文化を伝えて行くキーワードになるとも思っています。能の言葉を超えた世界こそが私の胸熱ポイントです。それはリスナーの想像力を旺盛に掻き立てる事にもつながり、時間軸を軽々と超え、音楽や舞台そのものを立体的に表現するのです。

本番6

戯曲公演「良寛」の舞台より、能楽師の津村禮次郎先生、パフォーマーの中村明日香さんと

言葉にならない所を琵琶で表現し、琵琶を歌わせるためには、先ず楽器をコントロールする高いテクニックが必要なのは言うまでもありません。
ギターでも楽器を歌わせることの出来る人はなかなか居ないのですが、まあ歌うギターと言えば、筆頭はジェフ・ベックでしょう。1975年にリリースされた「Blow by blow」はエレキギターの表現力を世に知らしめた名作だと思います。ジミヘンから始まり、ジェフ・ベック、ヴァンヘイレン、ブルースですとデレク・トラックス辺りがその良い例でしょうか。ヴァンヘイレン以降は表面的なテクニックは物凄く発展して、聴く度にどうやって弾いているのか想像も出来ず驚くばかりですが、その技術で弾く為にディストーションの音質が平面的になってしまって、音数ばかりが多くなっています。言葉で何でもしゃべって説明する語り物と同じく、自分では表現しているつもりでも、情感・情念を感じるようなフレーズを弾く事が出来ないプレイヤーが増えてしまいました。

ジミヘンもヴァンヘイレンもBB・キングも、皆ギターを歌わせることの出来るプレイヤーは、どこか「一音成仏」の世界と繋がっているような気がするのですが、最近は皆さんその対極に行ってしまいますね。よくブログに登場するジョー・サトリアーニも歌わせるという点についてだけ言うと、今一歩だと私は思っている位です。以下のデレク・トラックスのような、ギターがそのまま声になっているような演奏をする人を最近はとんと見かけませんね。

薩摩筑前の琵琶の場合は、まだ流派が出来て100年程の若い芸能ですし、弾き語りから始まったせいか、どうしても声や言葉から離れられず、琵琶本体を歌わすことが出来る人が居ないのが残念です。
永田錦心は音楽のスタイルをモダンにしたことが素晴らしい功績ですが、琵琶は単なる伴奏以上のものではありませんでした。水藤錦穰は今でも誰も追いつけない位のレベルの演奏テクニックを確立しましたが、やはりどうしても歌う・語るという所から離れられず、あれだけのテクニックがありながら、琵琶の音色で器楽の分野を確立する事をしませんでした。鶴田錦史も「春の宴」で器楽的なものを少しだけ弾きましたが、あれを発展させるような楽曲は創りませんでした。武満作品などの器楽曲は弾いていましたが、琵琶を歌わせているとは私には思えません。

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左:楽琵会にて 久保順さん(龍笛・フルート)、ジョウシュウ・ジポーリン君(笙)

右:21世紀トリオライブ 中村仁樹君(尺八)菊池智恵子さん(ピアノ)


琵琶は実に多彩な音を持っています。これは三味線とは随分と違う点だと思います。先ず調整次第で音が充分に伸びる所が良いですね。そしてその音をベンドアップダウンして自在に声のようにコントロールさせることが出来、且つヴィブラートも自由自在にかけられる。音色も鋭くも甘くも出来る。これは現代で言えばディストーションの効いたエレキギターのように、必要に応じてリアとフロントのピックアップを切り替えたり、トーンを調節したりする事と同じです。更に打楽器的奏法をうまく活用すると、ハムバッカーのゴリゴリの低音にも負けない迫力のドライブ感とうねりが出せるし、あらゆる情景をこすったり叩いたりすることで演出できるのです。オケに匹敵するような表現力を持っていると思います。日本の楽器の中では、他に類を見ない唯一ともいえる表現力を兼ね備えた楽器が琵琶ではないでしょうか。

それを実現するには絃やサワリのセッティングなどをかなり詰めて吟味しなくてはいけませんが、そういう調整をほとんどの方がしませんね。どうしても頭の中が伴奏楽器の概念を超えていない。独奏楽器としてのポテンシャルがこれだけあるのに実にもったいないと、私は琵琶を手にした最初から感じていました。だからこそ塩高モデルの開発に着手したのです。私の大型琵琶は時々ブログで紹介するヴァンヘイレンの「Eruption」のあの低音のうなりを琵琶で実現したいが為に石田克佳さんに相談して創り上げたのです。

コルトレーンやジミヘンが60年代の終わりに世を去って、一つの時代の節目を迎えた頃から、キング・クリムゾンが「21st century Schizoid Man」を69年にリリース。前述の「Blow by blow」が75年、そしてこのEruptionが出たのが1978年。ジャズではマイルス・デイビスの「in a silent way]」「Bitches Brew」が69年。「Agharta」「Pangaea」が75年。72年にはチックコリアが名盤「Return to Forever」をリリース。そして80年の奇跡の復活から新宿西口特設会場での伝説となったLiveを記録した「We want Miles」が81年。今やジャズ界のレジェンドとなっているウイントン・マルサリスが18歳にしてアートブレイキー&ジャズメッセンジャーズでデビューしたのが80年。その間、かのECMレーベルが69年に誕生。新たな世界観を全世界に示し、キース・ジャレットの「ケルンコンサート」が75年、79年にはラルフ・タウナーの「Solo Concert」がリリースされ、その後アルボ・ぺルトの衝撃的な初作品集「TABULA RASA」が84年にリリース。クラシックではギドン・クレーメルが、まだ無名だった現代の(特に東欧の)作曲家をどんどんと紹介していったのも70年代後半からです。つまり60年代後半から80年前後辺りは、世界の音楽界が正にひっくり返るような大変革の時期だったのです。

琵琶界では鶴田錦史が活躍していた時期と重なりますが、あの頃、鶴田錦史がこういう当時最先端の音楽に耳を傾けていたら、琵琶ももっと多様な表現が花開いて行っただろうと思いますね。鶴田は楽器の改造などにも関心があったそうですから、自分の好みを別にして世界の音楽事情を敏感に感じ取っていたら、器楽としての琵琶をもっと弟子達に託していただろうと思わずにはいられません。さすがの鶴田も、そこ迄の視野は持っていなかったのでしょうね。残念です。

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若き日 左:京都東山清流亭にて  右:宮島厳島神社本殿にて

私は琵琶のその音色に惹かれたのです。とにかく琵琶を弾きたかったのです。私が2番目に習ったT師匠の所に最初に稽古に行った時、「私は琵琶歌には興味が無いので、琵琶だけ教えてください」と稽古を始める前に先ず宣言するように言い放ったことを今でも忘れませんね。師匠はニコニコしてましたが、どう思っていた事やら・・・。
まだ10代の頃、マイルスの復活ライブをこの目で見て強烈な衝撃を感じ、同世代のウイントン・マルサリス・山下和仁の世界デビューを見て、ぺルトやラルフ・タウナーの世界に感激しまくっていました。そんな若き日に作曲の石井紘美先生の勧めで、琵琶楽という全く未知の世界に飛び込んでいきました。古典文学や和歌は子供の頃から身近に在り、興味もありましたので、琵琶の音色はすんなりと染み入るようなものを直感しました。しかし勇んで足を踏み入れてみたものの、いざ入ってみると、忠義の心だの合戦ものなんかを得意になって声張り上げて歌っていて、ろくに琵琶を弾いていない。その姿には違和感しか感じませんでした。

こんな魅力のある音色を持った楽器なのに、そこにはこれまで私が貪るように聴いてきた創造性も、先端を突き進もうとする勢いも全くありませんでした。だったら創るしかない。という訳で、最初から私は琵琶を、私の作品を弾く為の楽器という位置づけで考え、オリジナルモデルの開発で自分独自の音色を追求し、それが古典世界と繋がり、そのまま最先端の日本音楽へと向かって行ったのです。この25年程の活動で作品も60曲以上出来上がり、CDアルバムも8枚、オムニバスの作品集が2枚、現在楽曲は50曲以上がネット配信されています。今回ヴァイオリンとのデュオを5曲、樂琵琶のソロを1曲リリースしますが、これだけの作品を世に出して行くことが出来たことはとても嬉しいです。様々な逡巡も失敗もありましたが、充実したものになったと感じています。そしてこれからも20年、30年とこうして活動を続けて行こうと思っています。言葉ではなく、あくまで琵琶の音色を歌わせ、どこまでもその音色で最先端の日本音楽を語り、表して行きたいですね。

そして言葉ではなく、琵琶の音で語るような、大器を持った若手の登場を期待せずにはいられません。

風の中のあなた

先日の琵琶樂人倶楽部は盛況の内に終わりました。琵琶人も沢山来てくれて、久しぶりに琵琶談義に花が咲きました。私は今回大型琵琶で弾き語りをしたのですが、案外これが良い感じで、今後も大型琵琶での弾き語りをやって行こうと思ってます。曲のつくりをもう少し工夫すると、かえって中型より琵琶の音色をより届けられると思いますし、とにかく囁くような小さな音から、強烈にドライブする爆音迄ダイナミックスが出るのが最高です。自分で弾き語るにせよ、別に語り手を立てるにせよ、これから新たな形の琵琶と声のスタイルが出来て行くような気がしています。こうしてやる度に色々な発見があるというのはワクワクして楽しいです。

福岡から来てくれた筑前琵琶の石橋旭姫さんとphoto 新藤義久

私は活動の最初から、ずっと誰かしらパートナーと組む事で演奏をしてきました。それは現在でも変わらずすっと続いています。だから私の作品の多くはデュオのスタイルなのです。
森有正の「孤独は孤独であるがゆえに貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのだ」という言葉を時々引用しますが、この言葉の後には「自分勝手に作り出した孤独程、無意味で醜いものはない」と続きます。これは今でも自分自身の根本的な在り方を示してくれた言葉だと思っています。この貴い孤独の状態が先ず自分の中に無いとアンサンブルが出来ません。私は自分で作曲しているという事もあり、私の創った譜面という土台の上で、相手に存分に演奏してもらって、私が相手の演奏を支えているとういう形が私の基本スタイルです。相手がどんな風に演奏しても、それを私が受け止めて、先へと導いて行くようにしています。相方には、「たとえ間違っても飛ばしてしまっても~自分が演奏したらこうなる~位の気概で演奏してください」と常に言ってます。その為にも自分の軸がぶれるようではアンサンブルは出来ません。

こんな形で常に演奏しているので、パートナーとの良い関係を紡いで行く事が、私の音楽活動と言ってもよいかと思います。それに全国色々な場所に呼ばれて行っている事を思えば、そういう音楽の周辺に居る方々との繋がりも大きな縁です。縁は音楽が響きだす一番の根底であり、縁なき所に音楽は生まれ得ません。これは琵琶を手にした時から一貫している私の想いです。もう少し言い方を変えると、この数十年の音楽家生活は、いかにパートナー~共演者だけでなく関わる人全て~というものが大切なのかを勉強する為にあったと思っています。
音楽活動をしてると、時に上手く行かない事もあるし、作曲も進まないこともありますが、そんな時はどこか感覚が閉じこもっている時ですね。自分だけで何とかしようと凝り固まっていると発想も出て来ませんね。

以前組んでいた邦楽アンサンブルまろばし、川崎能楽堂公演にて 2009年
左から筝:小笠原沙慧 日舞:五條詠二(現 詠寿郎)作編曲・琵琶:私 尺八:香川一朝 日舞:花柳面萌

私は風をテーマにした曲が多いので、風について想いを巡らすことが多いのですが、そうするとこれ迄共演した方や、関わってきた人の顔が浮かんで来ます。そして時に逢ったことが無い人も浮かんで来ます。そんな方々を風の中に見ていると、不思議な事に曲も浮かび上がってくるのです。
私の曲は作曲する時、その初めからすでに共演者を想定して書いています。これまで笛や尺八、語り、歌、ヴァイオリン、フルート、筝、珍しい所ではクリスタルボウルとやったり、ピアノやギター、そして多くの踊り手やパフォーマーとも一緒に舞台をやって来ましたが、いずれもそんな方々と一緒に舞台を創る演奏する為に、彼らの持っているスタイルが一番輝くような曲を書いてきました。皆さん本当に良い仲間達でしたが、そんな方々と何度も演奏するうちに成熟・発酵して、他の楽器でやってみたり、同じ楽器でも別の演奏家とやってみたりして、更に洗練されて行くという過程をどの曲も辿っています。

左:Vnの田澤明子先生と  右:Flの神谷和泉さんと  photo 新藤義久


先日ヴァイオリンの田澤明子先生とレコーディングした作品は琵琶独奏曲を除き、これ迄尺八、篠笛、フルートでやってきた曲ばかりでした。その中の「Eaynak~君の瞳」は、作曲時には共演者にフルートの神谷和泉さんを想定していました。数年前に神谷さんとの演奏会があり、その時の演奏曲として、エジプト文化大好きな彼女のアイデアを基に、彼女の個性に合う曲を創ろうという事から始まったのです。勿論初演も神谷さんですし、その後何度も彼女と演奏しましたが、曲がこなれてきた頃、田澤先生とのデュオの演奏会で、試しにヴァイオリンでやったらどうなるかと思い、お願いしてみたら、その演奏がなかなか良い感触で、フルートとはまた違う魅力が曲の中に見えて来ました。今回の録音企画ではヴァイオリンとのデュオという事でしたので、思い切って田澤先生に演奏してもらった次第です。次回は一回り成長したこの曲をフルートで録音したいと思っています。

笛の大浦典子さんと6thCD「風の軌跡」レコーディング時
今回の録音では琵琶の独奏曲「風の唄」と上述の「Eaynak~君の瞳」以外では、「花の行方」「まろばし」「塔里木旋回舞曲」を録音しました。この3曲はいずれもよく一緒に演奏している笛の大浦典子さんとのコンビで作曲初演した曲です。大浦さんからは、琵琶での活動を始めた最初より数々のアイデアを頂いています。また樂琵琶を勧めてくれたのも大浦さん。シルクロードオタクの私を見越して「雅楽スタイルではなく、自由に弾けばいいんじゃない」と言ってくれたおかげで、今のスタイルが出来上がりました。
曲というのは本当にその時々の姿があるもので、いつも尺八でやることの多い「まろばし」も初演の時は大浦さんの能管でした。しかし私の1stCD「Orientaleyes」では、スウェーデンの尺八奏者のグンナル・リンデルさんが吹いてくれました。振り返ってみると面白いものですね。あれからもう25年経ちましたが、今回はその「まろばし」をヴァイオリンで録音したのです。

他にも以前紹介しましたが「塔里木旋回舞曲」は台湾のピパ奏者 劉芛華さんと二胡奏者の林正欣さんがリサイタルで上演してくれました。命はこうして様々に形を変え受け継がれ、成長して行くのだな~~と、自分で創った曲ながら感心しています。だから何度やっても、何年やっても新たな魅力が輝きだして飽きが来ないのです。

今回のヴァイオリンとの録音は、早ければ6月中にはネット配信に挙がると思います。iTunesやスポティファイ、レコチョク等主要な所には全て出ますので、ぜひお聴きくださいませ。また改めてお知らせします。

大分能楽堂 寶山左左衛門追悼公演にて 福原道子さん、福原百桂さんと


風の中に浮かんで来る人々は、共演者だけでなく、リスナーの方々やアドバイスをくれた方、プライベートな友人知人等々・・。今ではもう遠く離れてしまった人も多いのですが、ふと想い出す(想い出ると言った方が合いますね)と、どんな人からも色々と教わっていたな、と感じますね。自分がそういう事を感じる年齢になったという事かもしれませんが、風の中に関わりの在った人達が見えている内は、大丈夫だろうと勝手に考えています。活動を続けて行くと、ある種の自信も付き、プライドも生まれて来ます。しかし自信は時に奢りともなり得ます。また一方謙遜する事も覚えて行きますが、そこには卑屈も生まれて来ます。こうしたバランスを良好に取れているのも、多くの人の関りの中で自分が生かされていると感じているからこそ。一人で何でも出来るなんて思いだしたら、このバランスは崩れてしまいます。これも器という事かもしれませんが、いつでもそんな風を感じていたいですね。

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