先日横浜の7arts cafeにてライブをやってきました。今回は3回目となるのですが、いつもとはまたお客様が変わって、面白い方々が集まりました。

演奏の方は、メゾソプラノの保多由子先生、フルートの久保順さんを迎え、バリエーションのあるプログラムでやりました。正直な所、ちょっとリハーサル不足かなという部分も無きにしも非ずでしたが、最後の「Voices」は再演という事もあり、なかなか良い感じで出来ましたし、今後に向けて色々と得るところが沢山ありました。
7 arts cafeの「
7 arts」とは、7つの伝統芸術(建築、ダンス、映画、文学、音楽、絵画、彫刻)を意味します。
オーナーのジョセフ・アマトさんとは、かれこれ20年近く前からのお付き合いで、最初は2003年に彼が立ち上げた福岡現代邦楽フェスティバルでした。3人の作曲家が、琵琶の入った合奏曲を書いて、私はそれらの曲を初演するという面白い企画で、眼龍義治氏、高橋久美子氏、内山有希夫氏の新作合奏曲を、筝の深海さとみ、クリストファー遥盟、栗林秀明、望月太左衛の各先生方と一緒に弾きました。その他アマトさんの筝独奏の新作も発表され、華やかで楽しい会でした。その後アマトさんとは横浜インターナショナルスクールでのワークショップ等、色々と声を掛けて頂ききました。
箱根のギャラリー「やまぼうし」にてアマトさん主催のワークショップ時
彼は作曲家であり、また正派音楽院にて勉強した筝の名取でもあるので、日本音楽にも大変造詣が深く、横浜インターナショナルスクールではICJCという団体を内部に作り、日本音楽を生徒達に教えるプロジェクトを展開していた人物です。そんな彼が始めたスペースなので、7 arts cafe には常に国籍もジャンルも関係無く幅広い人が集まってくるのです。また一昨年より
JCPMという団体を立ち上げ、日本文化を世界に発信する活動をしていて、この 7arts cafeはその活動スペースでもあるのです。
今回来てくれたお客様は、皆さんアメリカ在住歴のある方々が集まってくれたこともあって、凄いシンクロが起きました。フルートの久保順さんとアマトさんは同じ大学の出身ですし、お客様やスタッフが皆アメリカで何かしらの縁を持っていたとこが判明。聴きに来てくれた私の生徒H君の友人に筝を教えていたのなんとアマトさんだったりして、もうあちこちで制御できない程のシンクロ空間が出現し、店中盛り上がって、アメリカンイングリッシュで溢れてました。ここは普段から英語ベースで営業している事もあり、スタッフもアマトさんも英語の方が俄然饒舌になるので、今回はかなりの熱気に包まれたライブとなりました。7 arts cafeではこれ迄もこうした事が良くありましたが、今回は凄かった!!。
8月のSPレコードコンサートにて photo 新藤義久
私のライブではこういうシンクロは時々起こるのですが、こうして私のライブで色んな縁がつながって行くというのは実に嬉しいんです。私は琵琶で活動を始めた時、多くの方に助けてもらいましたので、活動とは縁を繋ぐ事だとつくづく思っています。駆け出しの私に声を掛けて助けてもらった記憶がしっかりと残っています。40代はじめの頃、邦楽ジャーナルのインタビュー記事にもそんな事を言いました。
演奏会で音楽を聴いてもらうという事は、その場に人が集うという事ですし、一人でCDを聴いているのとは違い、同じ空間で聴いたもの、感じたものを人と共有するのが、演奏会というものと思っているので、私は教室で習ったものを上手にやるような事は絶対しません。作曲家が創った曲でも、あくまで私が解釈した形で演奏し、常にアーティストとして自分の世界を聴いてもらうようにしています。勿論解釈する以上は、その背景となるものをしっかりと勉強する事もアーティストとして必須な事だと思っています。目の前のお上手を披露したり、根拠の無い表層の思い付き、思い入れで演奏したりするような感性では、エネルギーが低すぎてリスナーに共感も感動も湧き上がりません。
2008年高野山常喜院演奏会にて
私は琵琶を手にしてから多くの縁に恵まれ、育まれてきました。琵琶を手にする前と後では、では比べる事が出来ない程に多くの人と出逢い、様々な機会を与えられ、そしてやっと自分想い描く世界に手をかける所まで辿り着く事が出来ました。琵琶がもたらし繋ぐ縁に生かされてここまでやって来たという想いは、常に私の中に溢れています。これ迄こうしてやって来れたのも、多くの縁に包まれているからなのです。
縁は円でもあると私は思っています。琵琶を教える時には、技よりも先ず呼吸を円運動として感じてもらう事から始めるのですが、それは自分の中だけでなく、共演者ともリスナーとも同じ円で同期し、つながって行く事でもあり
ます。円でつながり、そこから縁が広がって行くのは嬉しいし楽しいものです。これからもそんな円でつながり、縁の広がる演奏会をやって行きたいですね。
急に寒くなりましたね。私はお陰様で色々と演奏会もやらせてもらっていますが、世界情勢も予断を許さない感じになって、今後がちょっと心配なこの頃です。
そんな中でも私はのんびりマイペースでやっているのですが、やっと世の中解禁状態になって来たこともあり、コロナ禍ではなかなか話す機会の無かった方々と、この所会う機会が増えました。先日は私の楽曲配信をやってくれているFEIレコードのTさんと本当に久しぶりに呑み会に繰り出しましたし、語りの古屋さんやメゾの保多先生、FLの吉田君、スタジオのKさん、能楽師の津村先生、その他友人知人達とゆっくり話をしています。忙しい忙しいと言いながら、こういう時間は結構作れるものです。それに皆どこかで顔つき合わせて話をしたいという欲求が募っているのでしょうね。
戯曲公演「良寛」にて 能楽師の津村禮次郎先生、パフォーマーの中村明日香さんと
結局私はずっと音楽で語りあう事をしてきたのだと、最近よく思います。私が書く曲は、主役と伴奏に別れているような曲はほとんどありません。どの曲も、そこに関わる演者で、その場でないと成立しないものを創り上げるように、あえて余白を多く取り入れています。再現性よりも、その場でいかようにも変化して行くリアルな空間を創り出せるように作曲していますので、一緒に演奏するメンバーとは正に語りあいながら音楽を創っているという訳です。独奏曲でも、楽器と会話している感じが常にありますので、こちらの頭が固くなって、楽器をコントロールしようなどと思うと上手く行きません、その時々の楽器の調子、私の調子で一緒に音楽を創って行く位に思っていいると豊かな演奏になります。
また聴いてくれている方々や会場(特に響き)とのコミュニケーションは何よりも大事ですね。これによって間の取り方も変わればテンポも弾き方も変わってきます。もう少し言うと、スタッフにどんな方がいるのかもでも随分と違いますね。音楽も人間も自分を取り巻く人やものとの関係性の中で成り立つもの。いつも良い語りあいをしたいものです。
アゼルバイジャンバクー音楽院ガラ・ガラエフホールでのセミナーにて
いつも思う事ですが、言葉は危うい。そう思えて仕方がないのです。こうしてブログを書いていながら無責任ではあるのですが、ブログやメールなどは手書きの手紙と違い、字に現れる書き手の心持ちも感じられないし、行間に漂う心情も見えて来ないのです。手書きの手紙は、相手の書いた字を見ているだけで、こちらの想像力が掻き立てられて想いが募ってきます。つまり情報量が多いのです。会話にしても、言葉をツールとしながら、実は会話の中核をなすものは、言葉以外のもの~会話している時の顔の表情、身体の動きなど~ではないでしょうか。目つきひとつで「楽しい」「嬉しい」という言葉を発しながら全く逆の事を訴える事も出来ますし、言葉を尽くして喋っても結局伝わらないという事も多々あります。
音楽家はそんな言葉にならない想いや感情、風景等を音で表現するのが仕事。譜面に書いてあることだけを上手になぞったところで音楽にはなりません。歌も、歌詞を歌う事で、そこに描かれた大きな世界を聴かせるのが歌であって、字面の表面を技巧を凝らし、コブシ回して喜んでいるようなものは、表現ではなく単なる技でしかないのです。そんな風に表面の技巧を振り回わすと、かえっていやらしさや、俗な自己顕示欲が見えてくるものです。どんな演奏でも、その先の豊かな世界が聴こえてくるどうか、その辺りが大きなポイントですね。邦楽は今どうでしょうか。
2009年ウズベキスタンの首都タシケントにあるイルホム劇場にて、アルチョム・キム率いる
オムニバスアンサンブルのメンバーとリハーサル中
言葉を媒介としなくとも、面と向かっていればコミュニケーションはしっかり取れるものです。上記の写真は、一番上がアゼルバイジャンのバクー音楽大学でのセミナーでの様子。そしてすぐ上のものはウズベキスタンのイルホム劇場で、拙作「まろばし」を現地のオムニバスアンサンブルの方々と上演すべく、リーダーで作曲家・指揮者のアルチョム・キムさんと私とメンバーで入念なリハーサルをやっている時の写真です。現地はロシア語標準なので、英語とロシア語、そして通訳の方に少し日本語にもしてもらってやりました。言葉があまり通じなくても、面と向かって対峙して、且つそこに音があると、すんなり話は進むものです。語りあうには、巧みな言葉遣いも美声も要りません。逆にそういうものはマイナスな事も多いかと思います。
さて、今度の日曜日23日は横浜日ノ出町の7arts cafeにて、3回目のライブがあります。今回は先日初演し好評を得た「Voices」の能管パートをフルートに変えての再演です。フルートは久保順さん。そしてメゾソプラノはこの所おなじみの保多由子先生。ハイレベルのメンバーです。午後3時の開演となっていますので、是非是非お越しくださいませ。幅広いプログラムで演奏します。
この3人でしか実現しない世界、そして語りあいも是非お聴きくださいませ。
2019年人形町楽琵会にて、久保順さん、ジョウシュウ・ジポーリン君と
ゆっくりと語りあえる社会でありたいですね。そしてじっくりと語りあって音楽を創って行きたいのです。
秋の演奏毎シーズに入りました。例年よりは数がすくないのですが、充実した演奏会を先月辺りからやらせてもらっています。
先ずは今週の琵琶樂人倶楽部は、朗読家の櫛部妙有さんと、宮沢賢治の「雁の童子」を上演します。カシュガルを舞台にした幻想的な作品ですので、樂琵琶のオリエンタルな雰囲気ばっちりとはまり良い感じに仕上がっています。
その後は毎年の恒例になっている東洋大学での特別講座。そして上記チラシの横浜7 arts cafeでの第3回となるライブがあります。今回はメゾソプラノの保多由子先生とフルートの久保順さんを迎えてのライブ。先月初演した「Voices」の能管パートをフルートに移し替えての再演です。能管とはまた違ったアプローチで、こちらも良い感じで仕上がってきています。
11月頭には、静岡大学の小二田誠二先生のお声がかりで、静岡の龍華寺(清水)と蓮生寺(藤枝)にて笛の大浦典子さん)と演奏会。
来月の琵琶樂人倶楽部はヴァイオリンの田澤明子先生と、7月に出した11thアルバムの中の曲を中心にしたプログラムで演奏。そして埼玉の武蔵藤沢駅前にある「音降りそそぐ武蔵ホール」で櫛部さんの朗読会に客演。
21日には日舞の花柳茂義実さん主催の「ひとつのメルヘン舞踊会2022」(内幸町ホール)にて、中原中也の「湖上」をテーマとした創作舞台で、Tpの金子雄生さんと音楽を担当します。
加えて今年再開した阿佐ヶ谷ジャズストリートでも、性懲りもなく今年もSKY Trioで遊ばせてもらいます。まあ結構な忙しさですね。いつもの秋が戻ってきた感じですが、やはり私は家で作曲する事と、舞台で演奏する事の両輪が回ってこそはじめて調子が整います。お得意なレパートリーをただやるのではなく、常に新作を引っ提げて舞台に立つ事を、もう25年やっているのですから、当分はこのスタイルも変わらないと思いますね。
相変わらずこんな感じで飛び回っているのですが、私は年を経るごとに「肉体性」というものを色々な場面で感じ・考えるようになりました。自分の肉体が衰えてきている事を感じるからこその感覚なのだと思いますが、現代社会は身体が脳と分離してしまっているような気がするのです。言い方を変えると生々しさが無くなったと言えばよいでしょうか。それは音楽に於いても言える事で、ジャズも今や教室で習うものになって、邦楽と同様、二言目には「○○門下、○○師匠」などという事をミュージシャン達が口にするようになりました。時代は変わりましたね。相変わらずアメリカのジャズメンのコピーのような人がベテランなどと言われ、ロックでさえ、○○ミュージックスクールなんていう所で勉強するというのだから恐れ入ります。コルトレーンやジミヘンが今生きていたら、どう思うのでしょうね。もうジャズもロックも誕生当初の本質を失い、別のものに変質したという事です。それを発展とみるか、もしくは衰退とみるか、それは人によるのでしょうね。
創りたいものを創るのがアーティスト。目の前にある既存の理論や知識は、むしろぶっ壊すものという位の気概を持っている人がアーティストというのではないでしょうか。少なくとも私が聴いて来た音楽家はクラシックでもジャズでも皆そういう人達でした。お上手を目指す時点で既にアーティストという言葉は似合わない。
肉体を失い脳化の進んだ音楽は、原初の呪術性から秩序ある体裁の整った音楽になり、表現する音楽からBGMへとその姿と本質を変えて行きます。洗練とは何事に於いても重要な事ですし、音楽に於いても大事な部分のですが、その洗練の中に、本来持っていただろう魂をどう残し継承して行くかが、アーティストの役目なのです。形に固執せず、時代と共に形を変えながら、その魂を受け継いで行く事が出来れば、幾世代にも渡って継承されて行くでしょう。
反体制や反権力、世の矛盾を暴き出すような所から始まったロックやジャズは今や、綺麗なデジタルリバーブに包まれて、毒気も失い、シャレオツ(古い!)なBGMへと変化を遂げました。お教室で理論やら和音やらを勉強する「お稽古事」となり果てた姿は正に邦楽と重なります。上手も下手も無い、リズムも和音もぶっ壊したような70年代パンクが、音楽表現の最後の砦だったのかもしれません。
2016年キッドアイラックアートホールにて Per:灰野敬二 尺八:田中黎山各氏と
私がこれ迄感動した記憶は、感性だけでなく常に肉体の記憶でもありました。初めて握手したエルビン・ジョーンズの手の感触、波多野睦美さんの声を耳より肌が反応した記憶、津村禮次郎先生との「良寛」の舞台で、ラスト8分間で会場が異次元空間に変わってしまったかのような瞬間等々、皆肉体が反応した記憶なのです。
肉体を失った人間は存在できるのでしょうか。今世の中のものが、だんだん目の前のビジュアルや脳内のみで完結するものになって来ていますが、それがどれだけ人間を歪ませ、社会や環境を破壊して行くか、もう一度考えるべき時に来ているように思えてなりません。
私は自分が創り出したものを、舞台の上で演奏するアーティストでありたいです。
やっと涼しくなりましたね。秋にあると体も楽になり、創作も演奏も調子がぐんと上がります。
私は30代から作曲と琵琶演奏の活動を始めたのですが、1stアルバム「Orientaleyes」から器楽としての琵琶樂を目指してやっていましたので、弾き語りはやっていませんでした。中学生の頃からジャズを聴いていたせいか、歌のある音楽には基本的に興味がなく、歌のある音楽を創りたいとはこれまで思ったことはほとんどありませんでした。だから琵琶でのデビューアルバムは是非ともインストで決めたかったのです。声は少しばかり使っていますが、あくまでVoiceであって歌ではないです。このアルバムはもう20年も前のものですが、若さゆえの粗削りではあるものの、今でもお気に入りの一枚です。
そんな私ですが、琵琶弾きとしてやって行くには、やはり歴史的な観点から見ても弾き語りは無視できないので、琵琶語りに対してもだんだん意識が変わり、3rdアルバム「沙羅双樹」でオリジナル作品の弾き語り曲「経正」を収録しました。歌詞は森田亨先生にじっくり時間をかけて書いて頂きました。やはり安易な歌詞は歌う気になれないし、近代軍国時代に作られた歌詞は、私には到底受け入れがたいものでしたので、せっかく弾き語りをやるのなら、弾法も歌詞もオリジナルでやろうと考えたのです。しかし初の弾き語りの録音で、一生懸命大声を張り上げている私に、笛の相方 大浦さんから「言葉に意味は無い」という強烈なアドバイスを頂き、歌うという事に関して大いに考える所がありました。
笛の大浦典子さんと 戯曲公演「良寛」にて
琵琶の音は、言葉を豊かに表現するために言葉を支え、そして言葉にならない想いを琵琶の音で奏でていたのではないでしょうか。それが明治末期に組織が出来てからは、定型が出来上がり、出来合いの節回しを追いかけ、コブシを回して自慢し合って、決められたフレーズを弾くようになってしまいました。どの曲も同じイントロ、同じフレーズなんて、そんな音楽はありえないと思いませんか。私は最初からそんな薩摩琵琶の曲に強い違和感しかありませんでした。
結局良い声も、上手な節回しも技でしかありません。言葉の裏側にある心や想いにこそ真実があるのであって、弾くフレーズにしても、ただ決められたものを弾いても何も伝わりません。言葉と同様、その一音に無限の想いが広がって、初めて琵琶の音に命が宿るのです。
何を表現したいのか、何故それを表現したいのか、という動機がない限り、音楽に何の説得力も現れて来ないのです。そしてその動機が出てくるもっと奥にある、また自分は何者なのかという根本となる土台も明確に認識していないと出てくるものに説得力はありませんし、時代の中で響いて行きません。
そういうことを教えてくれたのが、大浦さんと共に、よくこのブログに登場するH氏でした。あの頃、私は無意識に「負けられない」と思いこんでしまうような部分がまだあって、心も体も解放されない感じだったのですが、H氏が「戦う必要はない」と精神面でアドバイスをくれて、心と身体をほぐしてくれました。あの頃、笛の大浦さんから芸術面でアドバイスを頂き、H氏からは精神面で支えを頂き、私は初めて言葉や歌というものと対峙する事が出来るようになって行ったと思っています。元々不器用な方ですので、直ぐに切り替えは出来ませんでしたが、徐々に時間をかけて自分の中でそれらのアドバイスが熟成し、本来の自分の姿を見出すことが、この頃やっと出来て来たように思います。長い時間がかかりましたが、年齢を重ねる程に自分自身に成りきって行くというのは、良いんじゃないかと思っています。
画家の山内若菜さんが打ち上げ時に即興的にスケッチしてくれた「Voices」を初演したメンバー。一番左がメゾソプラノの保多由子先生、真ん中が大浦典子さん、そして私
先日初演した「Voices」は震災詩人と言われた小島力さんの詩に私が音楽を付けたのですが、素朴な装飾の無い表現で、何のケレンも無い素直な言葉が並び、詩を読めば読むほどに、そこに溢れる深い想いが満ちて来ました。あの歌詞を歌うという事は、自分の中に強い想いがなければ歌えません。保多先生だからこそ成立した作品だと思っています。言葉を声に出すという事にじっくりと取り組んでくれたおかげで作品が立体的に立ち現れました。
声も言葉も音楽も、技芸は簡単に表面に見えますが、その内側のものは簡単には伝わりません。目の前を楽しませるパフォーマンスも賑やかしもエンタテイメントとしては良いだろうし、そういうものに触れる事で気分も変わり人生が楽しくなる事も多いでしょう。しかしそれは私のやりたいものではありません。
Photo 新藤義久
聖書でも「初めに言葉があった」と書かれていますが、言葉は文化の基本であり、人間の精神の土台にあるものです。特に日本では言霊と言われる位ですので、言葉、そしてそれを声に出すという事は、とても大事な人間の基本であり、世に溢れる言葉や声はそのまま、その時の世の中を表していると感じています。古今集などをつらつらと読んで眺めていますと、本当に豊かな世界を感じます。言葉を使うための技術の大事さを思いますし、目に見える世界から、臭覚や聴覚等、視覚ではない他の感覚器官を通して感性を広げ、言葉によって表現して行く様は、正に日本語ここにありという感じがしますね。
人間の行動すべてに言えますが、特に言葉には虚偽が溢れているものです。例えば「悲しい」「愛おしい」という言葉にどんな感情が隠れているか、言葉を尽くしても大きな声や高い声で表現しても、そんな小手先の技術では伝わりません。現代はネットやメディアによって言葉がどんどんと消費され、使い捨てされているように感じます。今一度、言葉を、声を取り戻したい。豊かな感性が溢れる日本語を琵琶に乗せたいですね。琵琶樂は千数百年に渡って、その時々で姿もスタイルも変えながら受け継がれて来たのですから、習ったことを何も考えずにそのまま上手にやるという発想を早く脱却して、琵琶の音と共に豊かな言葉と世界を表して欲しいものです。
私はやはり琵琶の音で表現するのが自分らしいので、ここ5,6年は弾き語りはどんどんやらなくなってきました。言い方を変えると、歌わなくても演奏会が成立するようになったという事で、私の考える作品がかなり出揃ってきて、自分の世界観を器楽で表現できる所までやっとたどり着いて来たとも言えるかと思います。H氏や大浦さん、そして作曲家の石井紘美先生から頂いた、アドバイスがやっと今形になってきたような感じがしています。
自分の思う音楽を素直に創って行きたいですね。
PS:30日はH氏の命日です。この時期になると、何だかふとH氏の事が想い出されます。本人はうざったいと思っている事でしょうね。
先日、新横浜のスペース・オルタにて「ひびきあう絵 みつめあう音」の公演をやってきました。これは3.11のチャリティー公演でしたが、関わる全員の熱量が大変高く、公演前には新聞でも取り上げられ会場は満席、当日券も出すという賑わい振りでした。
私はここで震災詩人 小島力さんの詩「草茫々」に曲を付け初演をさせてもらいました。最初にメゾソプラノの保多由子先生から詩を見せて頂いた時には、これに音楽を付ける必要はないのではないかとも思いましたが、画家の山内若菜さんの作品「牧場 放」(上記チラシ)を見て、自分が当初感じていた以外にももっと多くの視点を感じる事が出来、メロディーに言葉を載せるという事から解放され、創作の糸口をつかむことが出来ました。
メンバーもメゾソプラノと琵琶に能管を加える事で、更に広がりのあるものが創れたように思います。
この作品は来月、横浜日ノ出町に7 arts cafeでも再演します。残念ながら能管の大浦典子さんは参加できないので、あえて能管とはアプローチの違うフルートの久保順さんを迎えて、また違う視点で取り組んでみようと思っています。
実は今回演奏したスペース・オルタは琵琶に縁の深い所で、以前は田原順子先生や錦心流の中谷襄水氏などが盛んに演奏会を開いた所だったようで、会場のプロデューサーの方に興味深い話を色々と伺いました。そんな場所で演奏出来るのは有り難いですね。今回はまた全曲、私の作曲作品での演奏会でしたので、その嬉しさも倍増しました。
当日のセットリストは左の通り。第一部が「風の宴」「祇園精舎」「まろばし」。第二部は新作「Voices」「祷~Ave Maria」
開場は演劇の小屋なので響きがなく、PAのお世話になったのですが、ちょっと深い残響に任せて、たっぷりと間を取って演奏させて頂きました。
そして演奏中に客席で聴いていた山内若菜さんが私をスケッチしてくれました。許可を頂いたので、載せさせていただきます。
何とも嬉しいですね。今にも音が鳴りそうな感じがします。それに若菜さんとお話していて面白かったのは、「琵琶は丸と三角がとても印象に残っている」という言葉。確かに丸い胴と三角の撥なんですが、今迄そういう視点で見てくれた方は居なかったので、その視点をとても新鮮に思いました。さすが画家は見ているところが違いますね。こういう視点や感性に出逢うと、こちらの目も開きます。芸術は常に無垢な感性と共に在り、自由で、常識や因習、村意識のような偏狭な視野から解放されているからこそ成り立つもの。嬉しい出会いを頂きました。
photo 新藤義久
音楽活動をしていると、己の頭の中だけで完結してしまったり、またいつしか仲間内という村のような枠を作ってしまいがち。それだけ世には波騒というものが沢山あり、己もまた気が付かない内に訳の分からない枠を自分の中に作ってしまうものです。
特に音楽はショウビジネスと背中合わせにあるだけに、自分自身が上手や名人を目指す事を目的として行く芸人の枠に居るのか、それとも純粋に創作活動をして行く所に居るのかが判らなくなって、自分の行く道を見失ってしまいます。舞台に立つとはエンタテイメントの世界に身を置くという事でもあるので、よくよく自分自身を見つめていないと自分で自分が解らなくなってしまいます。有名になってお金が入って来るそんなエンタテイメントの世界にはトラップがいっぱいあるのです。私が流派や協会の琵琶人よりも芸術家と積極的に交流するのは、自分をいつでも創造する状態にしておくためです。
今回の作品「Voices」も、先ず小島力さんの詩があり、そして山内若菜さんの作品にインスパイアされたからこそ出来上がったものです。また演奏のメンバーとの意見交換もとても大切で、作曲したのは私ではありますが、皆それぞれに意見を出し合い、アンサンブルを深めて行ったからこそ作品は出来上がったのです。そして更には3.11の日から今迄、日本の社会や我々が過ごしてきたこの時間というものもとても重要でした。それら全てがあってはじめて音楽作品として創られて行ったのです。それは9.11をテーマとした拙作「二つの月」に於いても同じです。2001年に作曲・リリースした作品を、2018年に再アレンジを施して再びリリースしたのは、17年間という時間があったからなのです。それだけ時を経るという事は人間にとって重要な事だと私は思っています。
そして舞台で演奏する時にはそこに集ってくれた方々の感性も大きく影響して鳴り響きます。場の力も大きいですね。スタッフの想いも勿論の事、今回は初演をあのような形で迎える事が出来、あの曲に新たな命が宿ったように思いました。こうして作品は歩みを始めて行くものだと思っています。
2017・2018年 福島 安洞院 3.11祈りの日公演
今回の公演はフクシマ応援隊の主催による会だったのですが、震災から10年以上を経て、今また原発を再稼働、そして新設などという声も出てきました。日本は本当にどうなって行くのでしょうね。
日本人は良くも悪くも、すぐ忘れてしまうと言われます。原爆を落とされたすぐ後に「憧れのハワイ航路」という流行歌がヒットして映画まで作られるなんてことは他国では考えられないでしょう。辛い事を水に流して忘れていったからこそ、長い歴史を紡いできたという方もおられるかもしれませんが、何でもかんでも辛い事は忘れてしまえという姿勢のまま、また3.11と同じ事を繰り返してよいとは、私には到底思えません。
日本は歴史が長いだけに素晴らしいものが沢山あるし、文化面や精神性に於いても学ぶべきものは多々あります。だからこそ今、残し伝えて行くべきものと変えて行くべきものをはっきりと認識する「創造と継承」の姿勢と精神が、今後の日本の課題のように思えてなりません。
箱根岡田美術館にて
社会はこれからどんどんと発達するのでしょう。しかし人間自体はそう変わるものではありません。現代社会は自分で把握できないテクノロジーに囲まれ過ぎて、物に振り回され、「物で栄えて、心で滅ぶ」状態になってはいないでしょうか。
世の中は、テクノロジーは勿論、経済や政治・軍事等何一つかけても国家は運営できない事は、世の中に疎い私でも、それなりに承知していますし、特に今は周辺国との緊張関係の中で、その舵取りはとても重要で且つ微妙なものである事も私なりに理解はしています。だからこそ今後の日本社会がより良い方向に行く為にも、かつて福島でどのような事が起こり、その後どうなって行ったのかを発信する事も大切なのではないでしょうか。
私は微力ながらも、音楽を聴き、絵を観て、人間同士が会話をして手を取り合って行く、そんな身体で感じる音楽をどんどんと発信して行きたいですね。
今回作曲した「Voices」は是非これからも再演を繰り返して行きたいと思いました。