タカギクラヴィア松涛サロン演奏会~中村仁樹ミニリサイタル

昨日、渋谷松涛のタカギクラヴィアサロンにて、中村仁樹君のミニリサイタルがありました。中村君の曲二曲と私の「まろばし」「塔里木旋回舞曲」を演奏してきました。

今回はサブタイトルが凄い!「二十一世紀のスタンダードがこの日から始まるのです」かなり気合の入った感じですね。尺八・ピアノ・琵琶という今までにない組み合わせのトリオで、主催の久保木氏曰く、洋楽器の王様がピアノ。和楽器の王様が琵琶。その二人に囲まれて尺八の王子様(つまり中村君)が演奏するというイメージとおっしゃってました。まあ中村君の王子様は誰が見ても納得なのですが、私はどう見ても王様には見えないですな。

2009takagisalon2左がピアノの菊池智恵子さん。右が中村君。二人とも若い!

若者はとにかく勢いが良い。加えてこの二人は技術も志も高い。実にさわやかで良い感じです。

琵琶と尺八は今までにもやってきましたが、ピアノとはずっと共演を避けてきました。それはやはりチューニングの問題。固定された音との相性は抜群に悪いのは言うまでもありませんが、ジャズ出身の私としましては、妙に和音やスケールが聞こえてきてしまい、琵琶の音楽性との隔たりを感じてしまうからです。

かつて鶴田錦史先生がピアノのキースジャレットとデュオをやりましたが、やはりキースジャレットは弾いていられなくて、パーカッションを持ち出して鶴田先生の周りで踊りだしてしまいました。あの名手二人にしてそうなのですから、今回はどうなる事やらと思っていました。しかしフレッシュな二人は何事にも柔軟で、やってみたら何の違和感も無くアンサンブルが出来るのです。

中村君の曲も良く出来ていて、実にメロディアスで雰囲気があるので、琵琶の音色がバッチリとはまります。もちろんこれからもっと曲作りを練りこんでいかなくてはいけませんが、今回の演奏会は音楽的に手ごたえのようなものを感じました。

2009tagagisalon 1主催の久保木氏と中村トリオの記念写真。
来年の2月26日にも第2弾の演奏会があります。中村君も気合充分で臨むとのことですので、ぜひお越しくださいませ。

2009takagisalon 3こちらは今回のスタッフとお客様。中村君との共演のきっかけとなった日本橋劇場「和の煌き」を主催した響和堂さんもお越し頂きました。
感謝。

音楽家はある程度活動して、技術も出来上がるとどうしても自分の世界にひきこもってしまう人が多いのです。そういうミクロの視野も大切なのですが、同時にマクロの視野も持っていないと豊かな音楽は生まれてきません。かく言う私もまだまだではあると思いますが、こういう出会いが私をまた新しい世界へと導いて視野を広げてくれます。
いつもの仲間との演奏は息もぴったりで確かにクオリティーの高い音楽が出来ますが、その安住の場所にいたら何時まで経っても世界は広がらない。むしろ萎んでいく。
中村君、菊池さんそしてプロデュースの久保木氏という出会いは、これから私にとって、このトリオにとって豊かな新しい音楽と時代を、きっと生みだして行く事と思います。

乞うご期待!!

夕暮れコンサートVol.9 

昨日は練馬のカフェ グリーンテイルにてサロンコンサートをやってきました。

ここグリーンテイルでは毎年5月と12月に定例でやっていて、毎回相方を変えて、もう9回目の演奏会となります。これまでの出演者は、笛の福原百七さん、筝の小笠原沙慧さん、尺八の香川一朝さん、笛の大浦典子さんなどなど実力者ばかりを誘ってやってきたのですが、今回は期待の若手、尺八の中村仁樹君に声をかけて演奏してもらいました。

彼とは今年の日本橋劇場での「和の煌き」などで共演して、今月末にも渋谷松涛のタカギクラビアサロンでも一緒にやる予定なのですが、演奏の相性も良く、良いアンサンブルが出来る貴重なパートナーです。
ちなみに私と中村君では親子ほど年が違うので、中村君からは「チャン」と呼ばれています。GT2009・12-3

今回はデュオの演奏を多くして、薩摩と尺八で「まろばし」、楽琵琶と尺八で「ルナリアンダンス」「塔里木旋回舞曲」など演奏してきました。特に「まろばし」はウズベキスタンのイルホム劇場でやってきたばかりなので、今回はその違いがなかなかスリリングでした。中村君、ネイに負けてなかったぞ!!

中村君はとにかく良く練習をするのです。だからどんな曲も安心して任せられるのです。逸材ですね。若さ溢れるパワー感も時に過剰ではありますが、それもまた好感が持てるし、高い技術と熱心な向学心も持っているので、これからが楽しみです。

今回は最後のアンコールでお経の「開経偈」をやったのですが、私は琵琶を弾かず、唄と尺八のデュオでやりました。これがとってもいい感じで嬉しかったですね。中村君はお寺の息子さんなので小学生の頃からお父さんと一緒に本堂で朝のお勤めをしていたそうで、もう開経偈なんかは体に染み付いている感じで、尺八と唄がピタリと寄り添って気持ちよかったです。

IMGP0542こちらはこのサロン、グリーンテイルのマスターです。毎回本当にお世話になっています。芸術に理解のある方で、いつも終わってからの打ち上げタイムが盛り上がります。音楽の話はもちろんのこと、カメラ、オーディオ、時計、ジオラマ・・・話が止まりません。ちなみに私がついてゆけるのは、オーディオと時計位です。

私が琵琶で活動を始めた頃、とある邦楽プロダクションの方が、「小さいサロンコンサートを毎月やれ」と言って背中を押してくれました。
縁あって最初は大阪を中心に始めたのですが、小さなサロンや喫茶店、ギャラリーなどで、月に多いときには10本位やってました。その時の経験が今の私を作ってくれたと言っても過言ではありません。

だから今でもこうしたサロンコンサートは私の原点として大切な場であり、一番楽しい時間でもあります。
このグリーンテイルでは、毎回来てくれる常連さんもいて、毎回ゲストを迎えて本当に充実した演奏をさせてもらって、私にとって本当に素敵な空間
になって来ています。

IMGP0543
こちらは琵琶修行中の青年と中村君。こういう世代がどんどん活躍して欲しいですね。

さて来週はお江戸日本橋亭にて薩摩琵琶の四弦と五弦の対決。まだ少しお席もあるようですので、御興味のある方は是非聴きに来てください。

シルクロードコンサートツアーⅥ~トビリシ後編

いよいよこのツアーの最終公演となりました。
グルジアは音楽や芸術が溢れていて、街には絵を売る人や古本屋さんなどがいっぱいありました。男性のコーラスは世界的に有名ですし、「グルジア人は音楽とともに生きる人々」という言葉を先のバクーでも聞きました。

ルスタベリ劇場の正面

最後の公演はルスタベリ大通りに面した素晴らしい、国立ルスタベリ劇場での公演。こういう所ではもう滅多に演奏する機会は無いだろう、と思う位豪華な劇場でした。ここでは演劇を中心に上演しているようです。すぐ隣にはオペラ専門の劇場もありました。

      
 こちらは劇場の天井。かなり凝ったつくりになっていました。私の安カメラでは良く判りませんが・・。

この日のステージはこんな感じ。

!グルジアの日本大使館は今年出来たばかりで、私達の公演も大使館主宰としては初めて。もちろん日本人がグルジアで演奏したのも初めてということで、大使館としても気合が入った公演となったようです。

左が大使、真ん中は前出の矢野さん。そして右が大使夫人。気さくな方でしたので、パーティーも楽しかったです。

こちらは大使館のスタッフの皆さん。
スタッフ2
ちょっと太目の男性は、なんとこの日の朝、

素晴らしい劇場で素敵な人たちに囲まれての、ツアーのラストコンサート。本当に素晴らしいツアーとなりました。

今日のおまけはこちら。

空き時間に、とにかくトビリシには街にも郊外にも古い教会がそのまま残っていて、見所いっぱい、美味しさいっぱいの魅力的な所でした。

半月に渡るコンサートツアーもこれで全ての公演が終わり、シルクロードの旅もこれでおしまい。

思えば、琵琶を始めた頃、「琵琶を背負ってシルクロードを旅してみたい」と漠然と周囲に言っていましたが、あれから長い年月を経てそれがはからずも実現しました。その間、今回私が訪れた国々にとってはソ連からの独立があり、日本大使館が出来、政治的に色々な変遷があったことでしょう。
グルジアやトルクメニスタンなどは日本大使館が出来たばかりという、このタイミングでコンサートツアーが出来たことは、本当に凄いことだと思います。正に何かの縁に手繰り寄せられるようにして実現したツアーでした。

しかしながら、感無量の想いと同時に、時間というものは実に淡々と時を刻み、無常なまで
にこちらの意思とは関係なく進んでゆくものだな、と実感しました。
何か特別な気持ちを持とうとする私の心が一人で踊っているだけで、ふと気がつけばイスタンブールに向う飛行機の中にいたり、普通では入国できないアシュカバットで散歩していたり・・・・。

現実は人の心が作り出した幻想である、と仏教では教えているようですが、満開の桜を愛でて、葉っぱだけになった桜には見向きもしない、そういう都合よく身勝手な人間の心は、物事の本当の姿をどれだけ捉えているのだろうか・・。とそんなことが頭に浮かびました。

このツアーも多くの縁が繋がって実現したものですが、いくら私が思い入れを持とうが何しようが、シルクロードはそこにあり、人々もまたそこに生き、日々を過ごしているのです。何だか浮かれている自分が小さく見えました。

ただ私の演奏を聴いた人が、淡々と過ぎ行く日々の生活の中で、極東から来た琵琶法師の姿と音楽を記憶のどこかに留めてくれたならこんな嬉しいことはありません。
私はそうやって色々な土地の、色々な人々に音楽を聞かせて歩いているのですから・・・。

シルクロードコンサートツアーⅤ~トビリシ前編

喧騒のバクーを何とか飛び立ち、このツアーの最終公演地トリビシに向う。機内からは、前回の日記の最後にも貼り付けたようにコーカサスの山々がその雄大な姿を見せて我々を迎えてくれました。

トビリシの空港に到着。とても綺麗で清潔な空港。日本を除き空港の職員はだいたい怖い顔をしているのですが、ここの国の人は穏やかな顔をしている。バクーでの出入国の困難がうそのよう。ゲートも普通の検査だけですんなりと通してくれて、パスポートを渡しながらWelcome to Georgia と声をかけてくれる。それもグルジアではない、ジョージアと言っている。
そう、ここグルジアは旧ソ連ではありますが、完全にアメリカを向いているのです。ロシアとの対立、小競り合いは記憶に新しい所ですが、街中にそういった不安要素は全く見えませんでした。

人もアラブ系はほとんど見かけない。車の運転も東京に比べればまあそれなりですが、バクーから来るとかなりマナーは良い感じに思えました。

空港では、大使館から矢野さんが迎えに来てくれていました。矢野
こちらが目ぢからバッチリの矢野さんです。
公演の時も細やかに対応していただきました。出国までガイド&通訳、大変お世話になりました。

井上・宝川こちらは同じく大使館職員の井上さんと宝川さん。色々とお世話をかけました。
グルジアは私の先輩で黒澤組の役者でもあるI 藤さんがここ何年か凝っていて、色々と話を聞いたり、先輩が主催して開いたグルジア展にも行ったりして、期待が高かったのですが、その期待を大きく上回る素晴らしい街でした。

街の教会

              高台から見た町並み

町並みとにかくこの街は大小の教会が無数にあって、都会ながらとても歴史を感じる風情ある街なのです。日本で言えば京都という感じ。
道も石畳の所が多く、古い建物と相まって、本当に落ち着いた気分になります。公用語は一応ロシア語ですが、人々の言葉も穏やかで、アゼルバイジャンと同じ言葉とはとても思えません。

街行く人々は普通のおばちゃんもバスの運転手さんも、皆教会の前をと通れば十字を切っていて、信仰と生活がとても密接な関係にあることが伺えました。

泊まったホテルは旧市街の路地にあるKOPARA Hotelというところで、こじんまりとした感じがとっても気に入りました。
初日は大使館の方々とホテルのレストランで顔合わせを兼ねて食事をしたのですが、ここからの夜景はもう本当に美しく、見とれずにはいられませんでした。凄かった。
都会の人工的なそれではなく、無数の教会など古い建物が歴史を背負って佇む姿。それを優しくライトアップしている光は、正にろうそくの明かりのようで、街全体が教会のようでした。残念ながら私の安カメラでは捕らえきれませんでしたが、ぜひ観光で行ってみることをお勧めします。
グルジアは今年日本大使館が出来たばかりで、まだ直行便も通っていませんが、これだけの観光資源があれば、これから観光の面で大いに発展して行くと思います。

さて、このグルジアでは久しぶりににんにく風味の料理を食べました。グルジアは今までの3カ国と違って石油などの資源が無いので、農産物に力を入れているそうで、野菜が結構豊富です。またワイン通にはグルジアワインはこの所にわかに人気が上昇しているということです。もちろん私達も頂いてきました。
料理はちょっと塩が強いのですが、ミネラル分が多いのか、いわゆる塩辛いという感じがしません。そしてにんにく風味がグルジア料理の特徴です。

左はほうれん草をすりつぶして作ったほうれん草饅頭みたいなもの、右はくるみソースを使った料理。とにかくグルジアは日本人にとって、料理に関してはとっても相性の良い国なのです。

そしてグルジアといえばヒンカリ。これに尽きます。まんまショウロンポウで、中身が肉だったり、きのこだったりして大変に旨い!先ずはちょっと穴を開けて、中の肉汁をすすってから食べるのがお作法。

実はヒンカリハウスなる所に皆で行くことになっていたのですが、私一人だけおおぼけをかまして行かれなかったので、ひそかに一人でうずうずしていた所、今回の公演で照明を担当してくれた畠中さんが気を利かせて連れて行ってくれました。感謝。ちなみに畠中さんは大変な料理好きで、帰国後グルジア料理を自分で再現して作っているようです。新年会は畠中邸に決まりだ!!

更にこちら。ちょっと画像が悪いですが、ホルモンなどの内臓肉で出来たソーセージ。好きな人と嫌いな人にはっきりと分かれましたが、私は◎ おかわりしてしまいました。

という訳で、グルジアは街も料理も人も全てが私を癒してくれました。
さあ、これから最後の公演。グルジアでも最高級の歴史ある劇場 国立ルスタベリ劇場の幕が開きます。
後編を乞うご期待!!!

シルクロードコンサートツアーⅣ~バクー

タシュケントから次の公演地アゼルバイジャンの首都バクーへ向う。飛行機の連絡が悪く、一度モスクワに行ってからバクーへ行かなくては行けないのが面倒。しかしこういう所も面白がっていないと旅は楽しくないのです。

モスクワ空港では待ち時間に、奄美FMの番組に国際電話で生出演しました。奄美FMが島唄の前山君を追いかけて番組をやっているところに「奄美の天敵薩摩琵琶の塩高さんです」なんて紹介されてちょっとばかり照れながらお話をさせていただきました。
御承知の通り、奄美島唄は薩摩藩の支配と搾取の300年の時期に出来上がった民謡なので、奄美にとって薩摩は正に天敵。今年は特に薩摩進攻400年という年なので、これを機会に「進攻」から「親交」へと新しい時代を築こうということでこの企画ができたので、そんなお話をちょろり。奄美の人たちはどんな印象を持ったのだろう???

さてバクーへ到着。しかし空港では無意味とも思える検査を何度もされて、散々止められてメンバー皆参ってしまいました。単に仕事を作っているとしか思えない!。
国際空港なのに英語はほとんど通じず、話ができない。更に他の国と同じロシア語圏なのに、ここは「けたたましい」感じで皆がしゃべりまくっています。人もほとんどがアラブ系のようで、このけたたましさは最後まで悩まされました。

田窪

お世話してくれた通訳&ガイドは田窪さん。明るい性格の方で入国から出国まで細やかに対応してくれました。感謝です。

バクー国立音楽院バクーでは先ずバクー国立音楽院にてセミナーをやりました。現地音楽家とも共演をするということでしたが、残念ながら音楽的にはほとんど接点がありませんでした。
どうしても自分達に合わせろ!という感が強かったです。詩吟をやった時にちょっとトニックとドミナントの音を入れてくれたのが、まあ成果といえば成果でしょうか。ウズベキの歌手の方も主張は強かったものの、色々とお互いの接点を探ってくれたのですが、こちらではそうは行かなかった。個人の人柄と言うよりこの国の気質の問題と感じました。

それとアゼルバイジャンは携帯電話のマナーが全く無く、練習中でもしゃべっているし、コンサート中も携帯でしゃべっている。もちろんコンサート中のカメラやフラッシュなんて当然。携帯だけでなく、この国にはマナーや相手を気遣う細やかさはほとんど無いようです。常に自己主張を繰り返すのが日常のようで、またそうでなければ生きてゆけない土地柄なのでしょう。日本とは相容れないものを感じずにはいられませんでした。

セミナーこれがセミナーの模様。
最後のセッションは結局パーカッションでリズムを刻んで遊んで終わり。民族の音に接点が無いのはしょうがないとしても、例えば英語のような別の共通言語を使ってセッションするのもだめなようです。スケールや和音など西洋音楽の知識は多分持っていると思いますが、民族楽器でそういう洋楽をやる発想が無いのでしょうね。残念。

現地音楽家このとき共演のお二人。演奏は上手でしたが、空港でのおじさんたちと同じで、かなり性格的にきつく、自己主張を繰り返す。アラブ系の特徴なのでしょうか??
武満徹さんが以前「音楽には国境があるんですね」と言っていたのを思い出しました。

古川・ペリ・ハティラ
こちらは田窪さんとともに今回お世話になった方々。ギュネル
左が大使館の古川さん。そして真ん中が、笑顔の可愛い通訳 ぺリさん、右はサポートのハティラさん。もう一枚の方は、演奏会当日通訳のサポートに来てくれたギュネルさん。
ぺりさんは他のアゼルバイジャン人と違い、ゆったりのんびりとして優しくて、癒し系の感じなので助かりました。セミナーはペリさんが通訳をしてくれて、琵琶の歴史などレクチャーして来ました。ありがとう!!

アゼルバイジャンはここ2,3年のオイルマネーの高騰で潤ったせいか、街は六本木のような雰囲気でものが溢れ、道路は無法地帯のように車が行きかっていました。クラクションは途切れることなく「けたたましく」鳴り響き、あのしゃべり口そのままのようで、外に出ると皆いらいらとしていました。

アゼルバイジャン人はやさしくて面倒見が良いということでしたが、それは地方の話のようです。都会は欲望と身勝手と自己主張の嵐。まあ東京もそうですが、更に激しい感じで、もうへとへとでした。

さて公演ですが、同行メンバーが一人ダウンしていたので、各人のソロで補うように演奏しました。お客様は相変わらず各国大使など色々来ていて、「素晴らしい」の連発でしたが、あまり言われるのもちょっと恐縮してしまいます。本番1

余談ですが、会場の隣がイラク大使館だったので、警備もそれなりでした。ウズベキスタンが盛り上がり過ぎたせいか、こちらではちょっと全体におとなしい演奏になってしまったのが悔やまれます。

そして今回のおまけはやはり大使公邸での晩餐会。
しかしあまりの美味しさともてなしの見事さに酔って、写真を撮り忘れてしまいました。
アゼルバイジャンで極上の中トロの刺身が食べられるなんて驚きです。ホテルに帰ってからも「あの中トロは旨かったね」なんて思わず口に出てしまうくらい、メンバー皆さん大満足!また大使の奥様がタイの方とうことで、椀物はタイ風味になっていたのですが、これがまあなんとも上品で美味。ウズベキの晩餐会を超えましたね。

大使は若い頃バックパッカーをして中東やインドを回っていたとのころで、お話も楽しく、大きな器で我々を迎えてくれました。こういう大使がいるというのはいいですね。こういう方こそ、日本の代表としてふさわしい。日本人として嬉しくなります。お世話になりました。

さて出国となりましたが、この時も散々にもめてもめて、もう最後までこの街には振り回されっぱなし。ガイドの田窪さんがいなかったら出国できなかったかも・・・、と思うくらいでした。

こちらはバクーからトビリシへ向う機内からの風景
IMGP0391右手にはコーカサスの山々が見えていましたが、あまりの雄大さに唖然としてしまいました。なんだか「地球」という言葉が出てきました。凄かった。

ストレスも一気に吹き飛びました。

というわけで、次は最後の公演地グルジアのトビリシです。美しい町並み、美味しい料理、コーカサスの京都のような素敵な街!!

乞う御期待。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.