シルクロードコンサートツアーⅤ~トビリシ前編

喧騒のバクーを何とか飛び立ち、このツアーの最終公演地トリビシに向う。機内からは、前回の日記の最後にも貼り付けたようにコーカサスの山々がその雄大な姿を見せて我々を迎えてくれました。

トビリシの空港に到着。とても綺麗で清潔な空港。日本を除き空港の職員はだいたい怖い顔をしているのですが、ここの国の人は穏やかな顔をしている。バクーでの出入国の困難がうそのよう。ゲートも普通の検査だけですんなりと通してくれて、パスポートを渡しながらWelcome to Georgia と声をかけてくれる。それもグルジアではない、ジョージアと言っている。
そう、ここグルジアは旧ソ連ではありますが、完全にアメリカを向いているのです。ロシアとの対立、小競り合いは記憶に新しい所ですが、街中にそういった不安要素は全く見えませんでした。

人もアラブ系はほとんど見かけない。車の運転も東京に比べればまあそれなりですが、バクーから来るとかなりマナーは良い感じに思えました。

空港では、大使館から矢野さんが迎えに来てくれていました。矢野
こちらが目ぢからバッチリの矢野さんです。
公演の時も細やかに対応していただきました。出国までガイド&通訳、大変お世話になりました。

井上・宝川こちらは同じく大使館職員の井上さんと宝川さん。色々とお世話をかけました。
グルジアは私の先輩で黒澤組の役者でもあるI 藤さんがここ何年か凝っていて、色々と話を聞いたり、先輩が主催して開いたグルジア展にも行ったりして、期待が高かったのですが、その期待を大きく上回る素晴らしい街でした。

街の教会

              高台から見た町並み

町並みとにかくこの街は大小の教会が無数にあって、都会ながらとても歴史を感じる風情ある街なのです。日本で言えば京都という感じ。
道も石畳の所が多く、古い建物と相まって、本当に落ち着いた気分になります。公用語は一応ロシア語ですが、人々の言葉も穏やかで、アゼルバイジャンと同じ言葉とはとても思えません。

街行く人々は普通のおばちゃんもバスの運転手さんも、皆教会の前をと通れば十字を切っていて、信仰と生活がとても密接な関係にあることが伺えました。

泊まったホテルは旧市街の路地にあるKOPARA Hotelというところで、こじんまりとした感じがとっても気に入りました。
初日は大使館の方々とホテルのレストランで顔合わせを兼ねて食事をしたのですが、ここからの夜景はもう本当に美しく、見とれずにはいられませんでした。凄かった。
都会の人工的なそれではなく、無数の教会など古い建物が歴史を背負って佇む姿。それを優しくライトアップしている光は、正にろうそくの明かりのようで、街全体が教会のようでした。残念ながら私の安カメラでは捕らえきれませんでしたが、ぜひ観光で行ってみることをお勧めします。
グルジアは今年日本大使館が出来たばかりで、まだ直行便も通っていませんが、これだけの観光資源があれば、これから観光の面で大いに発展して行くと思います。

さて、このグルジアでは久しぶりににんにく風味の料理を食べました。グルジアは今までの3カ国と違って石油などの資源が無いので、農産物に力を入れているそうで、野菜が結構豊富です。またワイン通にはグルジアワインはこの所にわかに人気が上昇しているということです。もちろん私達も頂いてきました。
料理はちょっと塩が強いのですが、ミネラル分が多いのか、いわゆる塩辛いという感じがしません。そしてにんにく風味がグルジア料理の特徴です。

左はほうれん草をすりつぶして作ったほうれん草饅頭みたいなもの、右はくるみソースを使った料理。とにかくグルジアは日本人にとって、料理に関してはとっても相性の良い国なのです。

そしてグルジアといえばヒンカリ。これに尽きます。まんまショウロンポウで、中身が肉だったり、きのこだったりして大変に旨い!先ずはちょっと穴を開けて、中の肉汁をすすってから食べるのがお作法。

実はヒンカリハウスなる所に皆で行くことになっていたのですが、私一人だけおおぼけをかまして行かれなかったので、ひそかに一人でうずうずしていた所、今回の公演で照明を担当してくれた畠中さんが気を利かせて連れて行ってくれました。感謝。ちなみに畠中さんは大変な料理好きで、帰国後グルジア料理を自分で再現して作っているようです。新年会は畠中邸に決まりだ!!

更にこちら。ちょっと画像が悪いですが、ホルモンなどの内臓肉で出来たソーセージ。好きな人と嫌いな人にはっきりと分かれましたが、私は◎ おかわりしてしまいました。

という訳で、グルジアは街も料理も人も全てが私を癒してくれました。
さあ、これから最後の公演。グルジアでも最高級の歴史ある劇場 国立ルスタベリ劇場の幕が開きます。
後編を乞うご期待!!!

シルクロードコンサートツアーⅣ~バクー

タシュケントから次の公演地アゼルバイジャンの首都バクーへ向う。飛行機の連絡が悪く、一度モスクワに行ってからバクーへ行かなくては行けないのが面倒。しかしこういう所も面白がっていないと旅は楽しくないのです。

モスクワ空港では待ち時間に、奄美FMの番組に国際電話で生出演しました。奄美FMが島唄の前山君を追いかけて番組をやっているところに「奄美の天敵薩摩琵琶の塩高さんです」なんて紹介されてちょっとばかり照れながらお話をさせていただきました。
御承知の通り、奄美島唄は薩摩藩の支配と搾取の300年の時期に出来上がった民謡なので、奄美にとって薩摩は正に天敵。今年は特に薩摩進攻400年という年なので、これを機会に「進攻」から「親交」へと新しい時代を築こうということでこの企画ができたので、そんなお話をちょろり。奄美の人たちはどんな印象を持ったのだろう???

さてバクーへ到着。しかし空港では無意味とも思える検査を何度もされて、散々止められてメンバー皆参ってしまいました。単に仕事を作っているとしか思えない!。
国際空港なのに英語はほとんど通じず、話ができない。更に他の国と同じロシア語圏なのに、ここは「けたたましい」感じで皆がしゃべりまくっています。人もほとんどがアラブ系のようで、このけたたましさは最後まで悩まされました。

田窪

お世話してくれた通訳&ガイドは田窪さん。明るい性格の方で入国から出国まで細やかに対応してくれました。感謝です。

バクー国立音楽院バクーでは先ずバクー国立音楽院にてセミナーをやりました。現地音楽家とも共演をするということでしたが、残念ながら音楽的にはほとんど接点がありませんでした。
どうしても自分達に合わせろ!という感が強かったです。詩吟をやった時にちょっとトニックとドミナントの音を入れてくれたのが、まあ成果といえば成果でしょうか。ウズベキの歌手の方も主張は強かったものの、色々とお互いの接点を探ってくれたのですが、こちらではそうは行かなかった。個人の人柄と言うよりこの国の気質の問題と感じました。

それとアゼルバイジャンは携帯電話のマナーが全く無く、練習中でもしゃべっているし、コンサート中も携帯でしゃべっている。もちろんコンサート中のカメラやフラッシュなんて当然。携帯だけでなく、この国にはマナーや相手を気遣う細やかさはほとんど無いようです。常に自己主張を繰り返すのが日常のようで、またそうでなければ生きてゆけない土地柄なのでしょう。日本とは相容れないものを感じずにはいられませんでした。

セミナーこれがセミナーの模様。
最後のセッションは結局パーカッションでリズムを刻んで遊んで終わり。民族の音に接点が無いのはしょうがないとしても、例えば英語のような別の共通言語を使ってセッションするのもだめなようです。スケールや和音など西洋音楽の知識は多分持っていると思いますが、民族楽器でそういう洋楽をやる発想が無いのでしょうね。残念。

現地音楽家このとき共演のお二人。演奏は上手でしたが、空港でのおじさんたちと同じで、かなり性格的にきつく、自己主張を繰り返す。アラブ系の特徴なのでしょうか??
武満徹さんが以前「音楽には国境があるんですね」と言っていたのを思い出しました。

古川・ペリ・ハティラ
こちらは田窪さんとともに今回お世話になった方々。ギュネル
左が大使館の古川さん。そして真ん中が、笑顔の可愛い通訳 ぺリさん、右はサポートのハティラさん。もう一枚の方は、演奏会当日通訳のサポートに来てくれたギュネルさん。
ぺりさんは他のアゼルバイジャン人と違い、ゆったりのんびりとして優しくて、癒し系の感じなので助かりました。セミナーはペリさんが通訳をしてくれて、琵琶の歴史などレクチャーして来ました。ありがとう!!

アゼルバイジャンはここ2,3年のオイルマネーの高騰で潤ったせいか、街は六本木のような雰囲気でものが溢れ、道路は無法地帯のように車が行きかっていました。クラクションは途切れることなく「けたたましく」鳴り響き、あのしゃべり口そのままのようで、外に出ると皆いらいらとしていました。

アゼルバイジャン人はやさしくて面倒見が良いということでしたが、それは地方の話のようです。都会は欲望と身勝手と自己主張の嵐。まあ東京もそうですが、更に激しい感じで、もうへとへとでした。

さて公演ですが、同行メンバーが一人ダウンしていたので、各人のソロで補うように演奏しました。お客様は相変わらず各国大使など色々来ていて、「素晴らしい」の連発でしたが、あまり言われるのもちょっと恐縮してしまいます。本番1

余談ですが、会場の隣がイラク大使館だったので、警備もそれなりでした。ウズベキスタンが盛り上がり過ぎたせいか、こちらではちょっと全体におとなしい演奏になってしまったのが悔やまれます。

そして今回のおまけはやはり大使公邸での晩餐会。
しかしあまりの美味しさともてなしの見事さに酔って、写真を撮り忘れてしまいました。
アゼルバイジャンで極上の中トロの刺身が食べられるなんて驚きです。ホテルに帰ってからも「あの中トロは旨かったね」なんて思わず口に出てしまうくらい、メンバー皆さん大満足!また大使の奥様がタイの方とうことで、椀物はタイ風味になっていたのですが、これがまあなんとも上品で美味。ウズベキの晩餐会を超えましたね。

大使は若い頃バックパッカーをして中東やインドを回っていたとのころで、お話も楽しく、大きな器で我々を迎えてくれました。こういう大使がいるというのはいいですね。こういう方こそ、日本の代表としてふさわしい。日本人として嬉しくなります。お世話になりました。

さて出国となりましたが、この時も散々にもめてもめて、もう最後までこの街には振り回されっぱなし。ガイドの田窪さんがいなかったら出国できなかったかも・・・、と思うくらいでした。

こちらはバクーからトビリシへ向う機内からの風景
IMGP0391右手にはコーカサスの山々が見えていましたが、あまりの雄大さに唖然としてしまいました。なんだか「地球」という言葉が出てきました。凄かった。

ストレスも一気に吹き飛びました。

というわけで、次は最後の公演地グルジアのトビリシです。美しい町並み、美味しい料理、コーカサスの京都のような素敵な街!!

乞う御期待。

シルクロードコンサートツアーⅢ~タシュケント後編

地下の劇場に向う壁には歴代出演者のサインがひしめいて、ちょっとアングラな雰囲気も漂う所ですが、タシュケントの人でこのイルホムを知らない人はいない、というほどの有名な劇場でもあります。
もちろん琵琶法師もしっかり名前を書いてきました。

この日は打ち合わせが午後からでしたので、午前中ちょっとだけ市内を回ってきました。さすがにサマルカンドまでは行けませんでしたが、旧市外にあるモスクとバザールで少しばかりの観光気分を味わいました。エレーナ

ガイドしてくれたのはエレーナさん。日本語もばっちりで、ジョークも飛ばすなかなかの方。途中、通訳のローザさんもバザールで合流し皆でウズベキ料理の昼ごはんを食べてきました。

              今回同行したメンバーと

素晴らしい装飾のモスク

                   モスクでご奉仕していた女性達。

さてイルホム劇場では、このツアーのレパートリーとは違って、私の代表作「まろばし」を演奏してきました。日本では琵琶と尺八(又は能管)のデュオでいつもやっているのですが、イルホムでは芸術監督であり、作曲家のアルチョムキムさんがアレンジしてくれました。

まず相方はネイと呼ばれる横笛。他の国でもネイという、斜めに吹く尺八のような楽器もありますが、ウズベキのネイはちょうど日本の篠笛と同じように横に構える笛です。Batirさんというネイの名手の方が吹いてくれました。彼はとっても気さくでフレンドリー。画像が悪いですが、こんな感じです。

こちらはリハーサル


                                             これが本番の時の写真               

このデュオのバックに弦楽四重奏と管楽器が付き、ノヴェンバーステップスの小さいヴァージョンのような形で演奏しました。
とにかくむちゃくちゃ格好良かったです。いつかレコーディングしてCDで出したいと、本気で思いました。
何だか怖そうな顔をしていますが、私の隣の方が作曲家で芸術監督のアルチョム・キムさん。The Omnibus Ensembleという現代音楽のグループを率いていて、作曲家としてもヨーロッパで高い評価を得ている方です。

イルホムではお客さんとの距離が近いせいか、演奏も他のホールでの演奏と違い、気合がそのまま伝わるようで実に気持ちよかったです。

やはり自分の音楽がシルクロードの地で高らかと鳴り響くというのは気持ち良いものです。それもウズベキの音楽家達との共同作業で作り上げ、演奏するというのは、何にも変えがたい素晴らしい体験でした。ぜひぜひまたもう一度やってみたいです。

帰りにはこんな美しい女性にサインを求められ、一緒にパチリ!

この日のおまけは大使館の栗原さんお勧めのウズベキ料理店「ジョセフィーヌ」演奏後の打ち上げで行きました。

ここは本当に美味しくて、普段滅多にパンを食べない私が、どうにも手が止まらない位、このパンは美味しかったです。


そしてこのラグマンという麺料理。これが極めつけに旨かった!麺は手打ちなので、もちもちとして上質のうどんのよう。汁はトマトベースなのですが、とっても品良く、箸が止まらないほどにどんどん腹に収まってゆく感じで、久しぶりの麺に舌鼓。
ここはラム肉もとっても柔らかく、何を食べても美味しく、メンバー皆大満足でした。

大興奮のウズベキスタンでした。さてお次はアゼルバイジャンのバクーへと飛びます。

シルクロードコンサートツアーⅡ~タシュケント前編

我々のレパートリーの他、彼女の伴奏をしたり、島唄の前山君とユルドゥスさんのデュオで盛り上がりました。さすが島唄は生活の中から生まれた民謡だけあって、ウズベキの民衆の唄とも何の違和感もなくすんなりと合うんです。皆びっくりしてしまいました。
伝統的な島唄の三線伴奏に乗って唄われるウズベキの唄には会場を埋め尽くした500人の観客もやんやの喝采でした。写真が手元にないのが残念。

こういう時に琵琶は楽器としても、歌の面でもなんとも融通が利かない。あまりに日本的に洗練され過ぎているためでしょうか。せめて楽器の面だけでも三味線のように色々と対応できたら良いのですが、スケールにも転調にも対応しない構造が憎らしかったです。
この日も琵琶楽というものの本質が更に見えた様な気がしました。結局、私はユルドゥスさんのバックでちょっとだけ弾いて終わってしまいました。

しかしこの日は、本番もさることながら、とんでもないアクシデントが発生。リハーサル中に前山君の三線の糸巻きが折れてしまったのです。すぐさまドラムの撥を削って糸巻きを作ろうと皆で話していると、照明の通訳をしている若者が、地下に楽器修理の職人さんが常駐している、というのです。

さすがは国立音楽院!さっそく地下にすっ飛んでいって頼んだ所、3時間で直せるというので、すぐにやってもらいました。なんという縁なのか、神様のお導きなのか、スタッフ全員、まるで何かに守られてでもいるような気がしてなりませんでした。
このおじさんがその修理屋さん。実に格好良い職人さんでした。見栄えも良い見事な修理で前山君もヴォルテージが最高潮になって、上記の大盛り上がりのデュオに繋がったという訳です。

もちろんその夜のヒーローは前山君。地元TV局が何局も押しかけ、6台のTVカメラに囲まれる中、ラストはここでも観客全員のスタンディングオベーションで大成功の内に終えることが出来ました。演奏時の写真が今手元にないので残念なのですが、本当に良いステージでした。

そして今日のおまけはこちら。

ちょっとわかりずらいですが、国立音楽院の演奏会の前の日に大使公邸の晩餐会におよばれして、和食のコース料理を頂いてきました。いや~~旨い!!!まだほんの何日しか日本を離れていないのに、なぜこんなに鰹だしに郷愁を感じるのだろう??

メニューは
前菜 盛り合わせ 〆鯖と青大根のなます
    厚焼き玉子 えびのてんぷら

椀物 帆立真丈清汁仕立
 
造里 鯖 サーモン

焼物 茄子田楽

煮物 平目 白菜 信田巻き豆腐ロール

食事 御飯 味噌汁 香の物

甘味 季節のフルーツ

どうだ!ウズベキスタンでこれですよ。まいった。

さて次はいよいよ最高ヴォルテージアップのイルホム劇場です。乞う御期待!!

シルクロードコンサートツアーⅠ~アシュカバット

11月15日より30日まで半月に渡るシルクロードコンサートツアーから帰ってきました。
憧れのシルクロードでの演奏会ということで期待はあがりっぱなしだったのですが、先ずは最初に訪れたトルクメニスタンの首都アシュカバットの報告です。

最初から私も含めメンバーがお腹の調子が悪く、ちょっとした旅の洗礼を受けました。なにしろ未知の土地での演奏会とあって、皆緊張もあったと思います。
泊まらせて頂いたのはちょっと古めでしたが5スターの豪華なホテルでしたので、ゆっくりお風呂につかって一休みできました。

トルクメニスタンはいわゆる専制政治の国で、中央アジアの北朝鮮とも言われている国なので、無事に入国できるか正直心配でした。中央アジアの国々はどこでも空港は軍の管轄らしく、軍服にピストル姿の人が必ずいて、話しかけられたりするとちょっと怖かったです。案の定、アシュカバットの空港ではずいぶんと待たされ、入国に時間はかかりましたが、大使館の方とガイド&通訳の方々がゲートの向こうで待っていてくれてゲートを抜けた時にはほっとしました。

右は大使館の小寺さん。中央は黒髪が美しいガイド&通訳のジェネットさん。そして左がトルクメニスタンの将来を熱く語るコブラン君。入国から出国までお世話になりっぱなしでした。
コブラン君はウクライナの大学で学び、その後群馬大学に留学、来年は一橋大学に更に留学して、クリーンエネルギーの研究に情熱を傾ける秀才。将来のトルクメを想い自ら行動してゆく、トルクメの坂本竜馬のような有望な逸材。ジェネットさんも来年は日本に来て、日本語をもっと完璧にしてトルクメと日本を繋ぐガイドになりたいそうで、日本の感性を勉強したい、と言っていました。お二人と再会できることを願って止みません。

トルクメニスタンでは電気と水道がただ!!そのせいか夜になってもビルは色々な色で煌々とライトアップされ、街の中はさながらディズニーランドのよう。首都ということもありますが、その後行った国の中でも一番道が整備され街は綺麗でした。もちろん旧ソ連時代の寂しい感じの古い建物もありましたが、思っていた以上の都会でびっくり。インターネットなどはまだ制限があるそうですが、お酒も普通に買えるし、思っていたよりは自由な感じがしました。ただ娯楽施設のようなものは全く無かったですね。

アシュカバットは50年前に大きな地震があり、街は全て新しかったので、日本人が思うようなシルクロードの雰囲気はなかったですが、シルクロードの地で琵琶を弾くという事は、大きな刺激でした。


初日ということもありメンバーも私も細かなミスが少しばかりありましたが、最後はスタンディングで迎えられまずまず成功でした。

今回は奄美島唄の前山真吾君と一緒だったのですが、薩摩藩の支配と搾取の苦しい生活の中で生まれた奄美民衆の唄が身にしみました。また琵琶の音楽が生活の中で生まれた民謡とは大きく違う性質のものだということもしみじみと感じました。この認識は今後の私の活動の中で大きなファクターになって行くと思います。
そして薩摩と奄美が400年の時を経て、お互いの音楽の源流であるシルクロードで同じステージに立つという事に深い感慨を覚えました。

次はサマルカンドで有名なウズベキスタンに向います。

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