ワクワクしようぜ

先日のSupper Dommuneの配信ライブは、久々にワクワクする時間でした。

残念ながら一般には公開していないのですが、それでも配信時には約480ビュー程観て頂きまして、茂手木潔子先生とも久しぶりにお逢いして、トークコーナーでも色々と話をする事が出来ました。ああいう空間に居られるというのが嬉しいですね。尺八の藤田晄聖君も楽しんでくれたようです。
来月5月10日に本番のライブがあるのですが、是非お越しくださいませ。深草アキさんや高田みどりさんも出演されます。

MIMINOIMI  Anbient  Week

5月10日 中目黒Just Another Space  私と晄聖君のコンビは16時スタートです。
チケットはこちらから 
MIMINOIMI – Ambient / Week – 2025 “Sense of Gradation” DAY6「Sound & Performance #1」 | Peatix

そして27日の日曜日には滋賀の常慶寺で久しぶりに演奏して来ました。ここはもう10年以上前からの御縁で笛の大浦典子さんと何度かやって来ました。今回は今年出した10thアルバム「AYU NO KAZE」の中からの新作を盛り込んでのプログラムでしたが、とても良い雰囲気の中演奏出来ました。こちらの報告はまた後日。

2012年の常慶寺演奏会の時のもの 笛の大浦典子さんと

琵琶というと和服を着て、弾き語りで平家物語なんてイメージしか沸いてこない人も多いと思いますが、これだけの表現力のある楽器をそこだけに閉じ込めるのは実にもったいないです。私はこの音色に魅せられ琵琶を手にしたのであって、けっして語りや歌に魅せられたのではありません。だから今でもこの琵琶独自の音色を追求して、器楽曲を中心に作曲演奏を活動を続けているのです。ただ琵琶樂は弾き語りのスタイルが平家琵琶以来の伝統ですし、そこも琵琶樂にとって大切な歴史だと思いますので、琵琶と歌の組み合わせにも、少しばかりですが独自のアプローチをしているのです。
私自身も弾き語りは年に何度かやるのですが、歌でも演奏でも、プロレベルでやるには生半可な精進では出来ません。他のジャンルとも引けを足らない、個性と実力が在って初めて、聴いてもらえるのです。邦楽は今その部分に対する意識が欠けているように思えてなりません。

先ずは、現代そして次世代が共感するような内容の曲を創る事が先決です。歌詞も大正昭和の軍国的な忠義の心や戦争の歌を未だにやっているようでは聴いてもらえないのは当たり前。薩摩琵琶はまだ流派が誕生して100年程。平家琵琶のような古典であれば歴史的な価値もありますが、何十年か前の時代の歌を、それも多分に軍国的、男尊女卑的で父権的パワー主義全開の歌を誰が今共感してくれるでしょうか。どんな分野でも変わろうとしなければ滅びるのを待つだけです。これからの世代の琵琶人で弾き語りをやる方には、是非大いにリスナーに共感される歌を創って頂きたいですね。

photo 新藤義久


我々の仕事は「その先の世界」を描いて魅せる事です。かつて宮城道雄や永田錦心、鶴田錦史など邦楽をリードしてきた方々は、常にリスナーが期待している以上の、その先の大きな魅力ある世界を創り出し、聴かせ、魅せて来ました。だからリスナーもいつもワクワクして付いてきたし、邦楽全体が創造力に溢れ、勢いがあったのです。かつてのジャズも同じでしたね。しかし邦楽もジャズもいつしか創造の志は薄れ、上手を目指すようになって、既存の出来上がったレールの上を走り、優等生になってしまった。世界の常識を破り、皆が思いもよらない世界を創り出してゆくエネルギーと魅力を、次代のリスナーは求めているのではないでしょうか。

私のやっている事は、ごまめの歯ぎしりかもしれません。それでも優等生面をして先生と呼ばれるより、私は自分の想う所をやって行きたいですね。琵琶樂のもっと先の世界を創りたい。どんな曲が生まれ、どんな世界が待っているのか楽しみでしょうがないのです。予定調和な所で遊んでいるのは、私には退屈でしかありません。いつもワクワクしているからこそこれ迄琵琶を弾いてきたのです。
一緒にワクワクしませんか。

その先の世界へ2025

前回の記事で、今月の琵琶樂人倶楽部で演奏した後、「春陽」を聴いたお客様から「アンビエントミュージックみたいでもありますね」というご感想を頂きました。前にも同じようなご感想を頂いたことがあるのですが、私はプログレが好きだったので、そのつながりでブライアン・イーノなんかもよく聞いていて、アンビエント音楽にも結構興味があります。アルボ・ぺルトなんかも聞いていると瞑想に誘うようで、ある種同じ感覚で聴いてましたね。一口にアンビエントと言っても色々あって、シンセで作った安易なBGMのようなものも少なくないし、アンビエントの定義も定まっていないですが、音楽の先の世界へリスナーを導くという点では同じですし、私の作ろうとしている音楽と同じなのです。

実は来月10日には「MIMINOIMI – Ambient / Week – 2025」というイベントがあり、私は尺八の藤田晄聖君と出演します。秦琴の深草アキさんやPerの高田みどりさんなども出演するイベントで、何だか面白くなりそうなんです。詳細は改めてUPします。
そのプレイベントとして今月17(木)に以下のような配信イベントをやります。

開演は19時00分。当日は会場で聴く事も出来ます。(入場料:2000円)
場所は 渋谷パルコ9F 「SUPER DOMMUNE  」 

視聴リンク:https://www.dommune.com/
Youtubeでもご覧になれます。http://www.youtube.com/user/dommune

こちらでは音楽学の茂手木潔子先生のレクチャーと、私と晄聖君のミニライブ、更にDJが聞く現代音楽というテーマでDJのChee Shimizuさんと井上馨さんのトーク&ライブもあります。 茂手木先生とはもう15年程前に有明教育芸術短期大学で非常勤をやっていた頃からのお付き合いですが、今回は先生とのトークコーナーもありますので、こちらもとても楽しみなのです。

プログラムは

1)フェス自体の紹介 (MIMINOIMI代表 石松豊)
2)茂手木先生のレクチャー (テーマ:日本の響きとは(予定)〜 生活と音、日本の古典音楽、現代邦楽、実験音楽、アンビエント)
3)塩高・藤田ミニライブ
4)DJ Chee Shimizu&井上馨トーク及びDJ(テーマ:DJが聞く現代邦楽)

音楽は人の心を直接揺さぶるものとして古代から考えられていて、かの孔子も「国を変えるなら樂を変えよ」という位にパワーのあるものでした。現代ではショウビジネスで消費される商品のようになって来ていますが、現代人にも単に楽しむだけでなく、音楽本来の豊かな世界をもう一度感じて欲しいですね。
常に社会と共に在る音楽は、社会の成熟と共に音楽家という職業も誕生し、組織が作られ、そこに権威も纏って行きます。だからこそブルースやロックのような権威に対するものも出て来ます。音楽自体にも理論や形式などが出来上がり、自然発生的に出来上がった民族音楽とは離れ、アカデミックなものや大衆のエンタテイメントへと形作られて行きます。しかし音楽の本来持っていたものと離れすぎると、当然の如くエネルギーが削がれ、魅力を失い、人々からも離れて行くのは歴史が証明しています。
クラシックでもジャズでもある形式を持った音楽は安定感があるし、聴いている方としても楽しみ方や評価の基準が出来ている方が心地良いものです。しかしその創り出された形式や理論はどうしても形骸化してしまいます。権力者の保護する音楽であれば、その権力が続いている内は存続するでしょうが、そうでないものは、世の移り変わりと共にどんどんとその姿を変えて行きます。これは我々の生活が移り変わって行くのと同じ事です。

photo 新藤義久


人間の根源的な意識や感性にアプローチするのが芸術の本質だとすれば、形を変え、または壊して新たなものを創り出し、時代に合った形で、その根源へと向かう事は芸術の宿命であり使命ではないでしょうか。私はいつもそんな風に考えています。
また新たな展開をして行きたいですね。

珈琲タイム

先日の第206回琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達」は賑々しく終えることが出来ました。出演の皆さんも夫々オリジナル性に溢れ、とても勢いを感じました。これからもっと琵琶を自由に弾く方が出てくると良いですね。

善福寺2025

春の花を見ていると、頭の中に色んなイメージが浮かびます。先日の琵琶樂人倶楽部では「春陽」という樂琵琶独奏曲を演奏しましたが、これは2011年の秋にリリースした「風の軌跡」というアルバムの第一曲目に収録したものです。作曲は夏の終わり頃。震災の年でしたので3.11の記憶も重なり、穏やかな春の陽射しの中に、もう戻ることのない現状の姿も重なり、その暖かい陽射しの裏側の現実がメロディーとなって曲になりました。春は命の芽吹く季節ですが、生と死はまた表裏一体でもあります。そんなイメージと共に2011年の春の陽射しは特別なものがあります。

私は色んな出来事をイメージの中で捉える事が多く、現実を超えた世界に想いを馳せる事が、そのまま音楽に繋がって行きます。いつも珈琲を飲みながらそんな想いの中に遊んでいます。

私は午後に時間があれば珈琲を飲むのですが、少しリラックスしながらある種の瞑想状態に近くなって自分の心の奥底へと静かにアクセスしています。今自分がやっている事が本当に自分のやりたい事なのか。純粋に自分の音楽を創り演奏しているのか。声を掛けてもらって只飛び回って喜んでいるだけで終わっていないか。そして自分には何が出来て、何が出来ないのか、何が足りなりないのか。そんな自分の心の奥底にアクセスして行くと、新たな作品の発想が浮んで来るのです。

近代までは東アジアやバリ、アマゾンなどのシャーマンが居た所では、薬草などを使って自分の意識の底へダイビングするような夢見を実践していたそうですが、オーストラリアのアボリジニやチベットにも、今でもまだ一部そんな夢見が残っているそうです。夢見の時間は先祖や大地の動物たちの霊と直接出逢う大事な時間だったそうですが、私には何だかその大事さが判る気がするのです。私のはそんなに大層なものではないのですが、私にとっては珈琲が薬草と同じような存在で、珈琲を飲んでいる時間が夢見の時間という訳です。

18歳で上京して来てから、すぐに喫茶店でバイトをやり出したこともあって、珈琲の淹れ方も教わり、以来珈琲を飲むようになりました。以前も喫茶逍遥という記事を書きましたが、とにかく色んな町に行って、良い感じの喫茶店に入るのがささやかな楽しみでもあるのです。珈琲は飲むだけでなく、豆を挽いて淹れてる、その行為自体が儀式的で好きなのです。それだけでも気分転換になりますし。ちょっと発想を変えたい時、煮詰まった時には、とにかく豆を挽いて珈琲を淹れます。珈琲が傍にあった事で音楽を生み出して行けたとも感じています。

マッチs

上記のマッチの写真は高円寺にあったジャズ喫茶 Nagjaのマッチです。私はここにしょっちゅう通って珈琲を飲んでいました。私は酒も好きなのですが、残念な事にあまり強くなく、また飲み歩くお金も持っていなかった私にとっては、ジャズ喫茶で珈琲を飲む事がささやかなる日々の潤いだったという訳です。今は地元でそんな行きつけのお店もなくなってしまいましたが、思い返すと、20代~40代にジャズ喫茶で過ごした時間は、私にとっては貴重な時間でしたね。近現代の絵画や写真に触れたのもジャズ喫茶に大量に置いてあった写真集からでしたし、文学や演劇等、私の知らない事を、ここで知り合ったお客さんからよく聴かせてもらいました。あの頃ジャズ喫茶で見聞きした事は、今の私の音楽活動の土台のようになっています。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久


現代人は、とにかく日常に溢れるビジュアルや文字情報に振り回されています。それはそのまま自分を見失っているという事でもあると私は考えています。文明が発達し、便利な世の中になればなるほど文化が衰退して行く。現代はそんな時代ではないでしょうか。不便なく過ごせる現代社会の中では、目の前の事は見たり感じたりするけれど、自分の意識の中は見ようとしない。そんな日常の中に埋没して自分が進むべき道も見えず、文明に誘導され人生が過ぎて行ってしまっているのではないでしょうか。
珈琲を飲みながらゆっくりと自分を見つめ、来し方行く末を考える時間が今こそ必要な気がします。

もう物質文明の時代も終わりでしょう。多くのものやお金を持ち、身分や肩書を自分を固めるように背負い込んで生きる時代はとうに終わっていると私は思っているのですが、如何でしょう。
以前はCDを創るだけでも大変でした。でも今はネット配信で世界に届けることが出来ます。文明に誘導されるのではなく、文明を支えに文化を発信して行くようになっていて欲しいものです。人々の価値観が物にある時代は音楽以外の所で大きな労力とお金が必要でした。CDというものを持ち歩き、相手に見せないと話が始まりませんでした。今やっと物の時代から解放されてきて、意識も変わり、軽やかに風に乗って、自分らしくしなやかに生きて行く時が来つつあるように思います。その為にもゆっくりと自分を見つめたり、考える時間が必要なのではないでしょうか。

毎月琵琶樂人倶楽部でお世話になっている名曲喫茶ヴィオロン

まだまだ都内には良い感じの喫茶店があるので、またもう少し暖かくなったら喫茶店巡りをしながらゆっくりお散歩したいですね。お暇な方が居ましたら是非声を掛けてやってください。

成就する想い2025‐Ⅱ

寒暖の差が激しいですね。音楽家は身体が資本、しっかり管理したいと思います。

上野公園


今月はちょっと変わった配信ライブがあります。実は5月に面白いイベントがあるので、その宣伝も兼ねているんですが、出演者が実に良い感じなんですよ。5月の方は久しぶりに秦琴の深草アキさんにもお逢い出来そうですし、今から楽しみなんです。今月の配信はこんな感じの内容です。

全体テーマ:日本の響き
1)石松豊 フェス自体の紹介
2)茂手木潔子 レクチャー(生活と音、日本の古典音楽、現代邦楽、実験音楽、アンビエント)
3)塩高(琵琶)、藤田晄聖(尺八) ライブ
4) Chee Shimizu・井上馨 トーク&DJ(DJが聞く現代邦楽)

DOMMUNE https://www.dommune.com   ここで観て頂けます。4月17日19時配信

このイベントは、ato.archivesというレーベルを運営しながら「MIMINOIMI」というチームで色々とイベントを仕掛けている方からのお声係りでやる事になりました。今回レクチャーをやってくれる茂手木先生とはもう15年来のお付き合いで、私が某芸術系短大で非常勤をやっていた時の学部長先生でした。茂手木先生とはそれ以来何かとお付き合いさせていただいてます。私が平家琵琶を少しやり出したのも、茂手木先生から以下のような演奏会に声を掛けてもらったのがきっかっけです。

今回はDJが語る現代音楽等、中身が面白くなりそうです。このato.archiovesでは音響系、アンビエント、即興音楽等取り上げているんですが、5月の方のイベントにも嶺川貴子さんや川口貴大さんなど今活躍しているサウンドアーティストも出演されます。伝統邦楽にも視野を広げていて、主軸がはっきりとしているレーベルです。今回は4月17日の配信になる予定ですので是非観てやってください。


若き日 京都清流亭にて
私は色んな人に囲まれて生きています。最近特にそう思うようになりました。嬉しい事に皆生き生きと自分の想う道を歩んでいる方ばかり。音楽家として今羽ばたこうとしている若者もいれば、ベテランの音楽家芸術家も居ますが、皆自分のペースで次の作品・活動に向かって動いている人ばかり。こういう環境に居ると、自然と自分も手も足も頭も稼働しますね。
叶わぬことも多い世の中ですが、自分が想う道を生きている事は尊く、そして有難い事であり、この道を進むべく多くの縁に囲まれているからこそ、自分の想う道を生きて行けるのです。自分でただがむしゃらに生きているだけでは、なかなか思う道には進めません。仏教では仏縁などと言いますが、道元禅師も修行している姿こそが仏であると言っています。自分の想う道で修行させてもらっているというのは、縁に導かれているからではないでしょうか。音楽家を長い事やって来ましたが、やればやるほどにそう思いますね。

小さな目の前の願望は限りなく目の前に現れて来ます。食べたいもの、欲しいもの等々、そういった目の前の願望には到達点に至りますが、想いには到達点ではないのです。想いはその人の生き様であり、生活スタイルでもあり果てが無いのです。自分の命が尽きるまで続いて行きます。更には、その想いは何かしらの形で次世代へと受け継がれるようにも思います。

鶴田錦史ノヴェンバー・ステップス初演時の写真

私は永田錦心や鶴田錦史、水藤錦穰という琵琶のパイオニアの各氏には逢ったことはありませんが、私は彼らの想いのどこか一辺を私なりに受け取っているように感じています。自分の想い込みでしかありませんが、最先端の琵琶樂を創りたいという先人の想いを私は感じるのです。私のやろうとしている事は、先人のそれとは形もやり方も違いますが、その想いの核は同じです。それで良いと思っています。どんな時代でも社会は目まぐるしい程に変遷して行くものです。3人の先人達はその激動の世の中と共に在ったからこそ、それぞれの時代の最先端であるオリジナルなスタイルを創り上げたり上げたのではないでしょうか。過去のものを勉強しながらも、決してなぞったり真似たりしなかった。少し前のブログでパットメセニーのインタビューを乗せましたが、ジャンルは違えど、偉大な音楽家は皆それぞれのスタイルを創り上げたのです。

私達の生活が変わって行くように、音楽も形は変わる方が自然です。それは歴史が証明している。それを無理に過去の形にしようとすれば、本質や核を見失い、歪みが出てしまいます。先人が他の誰とも違うスタイルを創り上げたように、私も私だけのオリジナルなスタイルを創り上げる事が、先人へのリスペクトだと思っています。
そして出来ればそれを次の世代に、何かしらを遺せたら嬉しいですね。

今また新たな作曲に取り組んでいまが、いつでも今の先に在る想いの成就に向って行きたいですね。まあのんびりとやってますが。

梅花の季節2025

何だか急に気温が上がって、梅の花も一気に咲いていますね。
今年はアルバムのリリースも一段落して、また次の作品に取り組んでいるところなので、梅花を観て回るのは良い気分転換になり、新たな発想も浮かんで来ます。

春の兆しが見えて来る時期というのは、勿論様々な想い出も出て来ます。そしてその陽射しの中に居ると、抱かれるような何とも言えない幸福感を感じられますね。

この「春陽」という作品は、そんな春の陽差しを感じた時に降りて来たメロディーを曲にしました。そして不思議な事に、春の日差しを想う時には、私は桜よりも梅の花が目に浮かびます。まだ寒い時期に派手な主張もせずに密やかに咲く姿には、色んなものが静かに浄化されて行くような風情を感じるのです。そんな古より日本の風土に育まれた感性を梅花は見せてくれているような気がしてならないのです。
現代は何でも主張して自分を意見を通そうとします。声高に攻撃するかの如く、相手を屈服させるまで主張を繰りかえします。世の中には戦うべき時期もありますが、常に周りと戦っているような状態が日常になっている姿は、自然と調和して生きて来た日本の感性とは思えません。

大体私は人が争っているのを見たくないので、スポーツも一切見ません。私からするとオリンピックもサッカーも戦争をしているようにしか見えません。世の中には何かと戦う事でエネルギーをチャージしているような人が多いですが、常に自分を追い込んである種の飢餓状態にして対決姿勢でいるような人も見ていられないし、人より優位に立とうとし人を出し抜いて勝ち負けで生きているような、常に戦う気質の方とはお付き合いできませんね。

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かつての吉野梅郷

そんな雰囲気の世の中にあって、梅花こそは唯一残された楽園なのかもしれません。
音楽にも密やかさはどんどん無くなって行ってますね。音の洪水みたいで、こちらの感性が入り込む余地が感じられる音楽はショウビジネスの中には少ないですね。エネルギーも感じるし、言いたい事も判るけれども、受け手の心の中で広がって行く時間や空間が、あまりにも少ないと感じるのは私だけでしょうか。ポップスでこんな風に歌詞が沁み込むように感じられる歌は最近聞かないですね。
中村 中 / 友達の詩

そんな春の風情を感じる中、先日は韓国舞踊のペ・ジヨン先生主催の会に行ってきました。元々2020年に練馬文化センターで行われた「輪五の舞」という各国の民族舞踊の方々が集う舞踊会において、拙作の「Sirocco」で作品を創ってもらったのが最初のきっかけで、その後シアターXでの「生命の樹」という舞踊の会では花柳面先生、ジヨン先生、そしてフルートの久保順さんと私とで「鐘」という作品を創り、それ以来、お付き合いを頂いています。

今回は韓国の古典舞踊「サルプリ・チェム」が本当に圧巻でした。淡々とした踊りなのですが、静寂感の中に何か様々な事を乗り越えてきたような芯の強さも感じられ、色んなものが想起されるよな、魅入ってしまう美しさがありました。その姿は体幹の軸が通って動きに一切の無駄がなく、正に一流の踊り手の凄味を感じました。
ジヨン先生は古典だけでなく創作にも力を入れていまして、その姿勢は正に私が標榜する「創造と継承」そのもの。普段はとても気さくなお人柄ですが、舞台では、筋の通った揺るぎない凛とした風情を感じながらも、決して派手派手しいものではなく、密やかでしなやかで、正に梅花のような舞姿なのです。

こんな風情を持ったアーティストがもっと活躍できるようになると良いですね。派手な賑やかしのパフォ-マンスばかりでなく、じっくりと鑑賞出来る作品を創り出すアーティストは国内外問わず沢山居るのですが、なかなか活躍の場が少ないのが現状です。直ぐお金になるような「売れる」ものばかりが蔓延って、若いアーティストも「売れる、有名」という目の前の事に流されて、そういうものにすり寄って行ってしまうのは残念でなりません。

深大寺植物園

今このような時代だからこそ、梅花のようなアーティストを応援したいですね。

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