今、一人芝居で精力的な活動を展開している根本雅也君のライブを見てきました。
彼とは知り合ったのはもう随分前です。作曲家でジャズシンガーでもある伊達佑介先生主催のMjamで一緒になったのが最初だから、もう5、6年・・いやもうちょっと経つかな??。
根本君は元々シンガーソングライター志望だったのですが、イッセー尾形の一人芝居を見て衝撃を受けて、歌と芝居をミックスさせた「Playsic」というスタイルを作り上げ、がんばっている期待の若手です。

年に何回か定期的に下北沢ロフトを3日間借り切って、自主公演を張っているのですが、だんだんとファンも増え、その充実度はかなり高くなってきています。毎回色々なキャラクターを演じてゆくその舞台は、ちょっと切ない人間模様をコミカルに描くていて、いつも思いっきり笑い、そしてほろりとさせられます。私が連れて行った人は皆、あの独特の魅力にやられて彼のファンになってゆきます。
もうその魅力は見てもらうしかないのですが、彼の一番の持ち味は現代社会をしっかりと見据えている所。音楽のセンスもなかなかのものがあって、彼が使う音楽はメジャーに売れているものではなく、今正にライブシーンで注目されている、本当に今の最先端で支持されているフレッシュなものばかりを何時も使っています。それはそのまま彼の姿にも重なり、そういう彼の視点は、現代社会の側面を鋭く描いてゆきます。
上手とか下手とかそういう事は全く関係無い。権威やアカデミックな型や垢が微塵も無いその舞台には、社会のなかで必死に生きて、表現活動をしていこうとする、まっすぐな姿勢が見えてきます。
我々はともすると、直ぐに上手下手という判りやすい序列の中に逃げたり、肩書きに惑わされ、やるべきことを見失ってしまう。でも彼にはそんな所が全く無い。何時もその真摯な態度に感心しています。
とにかく面白い、そしてぐっとくる根本雅也君に注目です!!
根本雅也HP http://playsic.blog91.fc2.com/
千代崎元昭さんのテノールリサイタルに行ってきました。バリバリのベルカント唱法で歌い上げる迫力ある、堂々とした演奏会でした。

私はけっこうな声楽オタクでして、色々と聞いてまわっているのですが、イタリアものはカンツォーネを良く聞く割にはちょっと縁遠く、何時もフランス・ドイツ又はイギリス古楽ばかりだったので、久しぶりにイタリアンの豪快な歌を堪能しました。
クラシックの声楽家にとって、宗教も風土も歴史も違う国の音楽を、自分の言葉でもない言語で歌うことの意味はかなり根深いものがあります。
古い声楽の人は「さくら」を平気で「さくぅら」と発音して声を張り上げて歌って御満悦でした(未だにやってます)。はっきり言って、私はそういう人の音楽家としての中身とレベルを今でも疑っています。でも最近やっとまともな日本語で歌う若手が出てきました。ぜひ次世代への答えを示していって欲しいものです
こんなこともあって、日本人の声楽家は本当に限られた人としかお付き合いが無かったので、今日は久しぶりに日本人のベテラン声楽家の歌を聞いた訳です。
さて、今日の千代崎さんには日本語の歌を歌うという発想自体がそもそも彼の音楽の中に全く無い様で、そういう点では歌に迷いを感じませんでした。問題提起が彼の中に無いのか、それとも乗り越えて行ったのか、私にはその辺は聞こえてきませんでした。多分前者の方だろうなと思いながら聞いていました。
歌はかなりレベルが高く、十二分に素晴らしかったのですが、彼の性格なのか、細やかな叙情性に欠け、丹念に、緻密に表現するという事が出来ていない。豪快さが常に先に来てしまう感じで、繊細な部分のメロディーの表現には稚拙さも感じました。
ちょっと辛口ではありますが、表現をしようとするとフォルテで張り上げてないと気がすまない、大きな声を出して満足しているという単純な盛り上がりには、ちょっと軽薄さも感じてしまいました。確かに凄く上手いし、日本人とは思えないような声量や表現力があったものの、PPからmP位までの表現はまだまだ全然なってない。FFにならないと実力が発揮出来ないというのは残念でした。
50代に入って、イタリアから日本に帰ってきて、色々なことを考えていると思いますが、先ずはこの日本の風土に生まれ育った日本人であるという根本認識をしっかりして欲しいですね。イタリアの物まねをして追っかけているのではなく、イタリアで勉強してきた、日本人千代崎でしか出来ない音楽を高らかに歌って欲しいものです。何も国粋的になる必要はありません。自分が嫌がおうにでも背負っている歴史と風土を認識すればよい事です。
どんなものでもレベルが上がれば上がるほど、問われるのは中身だと思います。その人の考え方や音楽性、哲学、そして人間としての器こそが問われます。その点、千代崎さんは西洋音楽の声楽家として、日本人とは思えないほどの技術があるだけに、もう一歩の精進が欲しいと思いました。飛びぬけた実力はしっかりと聞こえてきたけれど、音楽家としての意思表示や哲学は何も見えなかった。
今後の精進を望みたいと思います。
先日、野方区民ホールにて、劇団アドックの「壁」(脚本 神尾哲人 演出 伊藤豪 原作 三浦綾子「壁の声」)を見てきました。
ぐっと骨太の社会派の内容に大変満足!!音楽でも演劇でもこの満足感は久しぶりでした。一昨年辺りから演劇にも関わるようになったのですが、昨年、横浜赤レンガ倉庫で音楽を担当した「雛 (脚本 神尾哲人 演出 伊藤豪 原作 芥川龍之介)」を超える素晴らしい舞台でした。

アドックとのお付き合いは昨年から本格的に始まったのですが、昨年の公演では地味で目立たなかった、若手の関根秀直君が大大大成長していて、びっくりしました。
今回は彼が主役。表情といい、台詞といい、動きといい、あの関根君が!!!と驚くほどの成長ぶりで、以前の彼を知る仲間も驚いていました。
関根君は今年の新年会で、「この道でやっていきたい」とはっきりと宣言していましたが、きっと精神的に大きな決断と変化があったことだろうと思います。今回は本当に素晴らしかった。今やアドックの若手看板俳優です。見ていて本当に嬉しくなってしまいました。今後もぜひとも精進を重ねていただきたいと思います。
こういう若手に私がしてあげる事など実際はほとんどありませんが、何か機会があったらどんどん応援してあげたいと思います。そして次世代に向けた逸材として、ぜひまわりの先輩達も暖かく見守ってあげて欲しいと願うばかりです。
さて、内容は三浦綾子原作の「壁の声」。相変わらず伊藤豪さんの演出も冴えていて、内容がグイグイとこちらに迫ってきました。無実の吃音症の青年が死刑となって行く話しなのですが、「人を裁くとは何なのか」「裁かれるとは・・」「生とは、死とは・・」深く深く問いかける充実した内容の作品でした。
今は、何処を見てもエンタテイメント。何でもかんでもエンタテイメント。ほとほと嫌になる事がたまにあるのですが、そういう時代に流されずに、且つ仲間内だけで盛り上がる観念的な前衛に逃げることなく、ブレない信念を持って、この世の中に腰をすえて演劇活動しているアドックに賞賛を送りたいと思います。
今後のアドックの活動に注目です!!
アドックHP http://gekidan.ad-hoc.jp/adhoc_is.html
この所度を越したような暑さが続いていますが、皆様は如何お過ごしでしょうか。東京では毎日光化学スモッグ注意報が発令されているんですよ・・。
お陰様で腰の痛みはほとんど取れたのですが、右足太ももに若干痛みとしびれが残り相変わらず難儀しています。この腰痛の最中色々演奏会もありましたので、先ずは御報告。
先ず、コルセットを巻いて出かけたのが、前回のブログにもちょっと書いた行田市の未来ホール。こちらは混声合唱団「ともしび」のゲストで出演しました。残念ながらぎっくり腰真っ最中で写真を撮る余裕は全く無く、ちらししかないのですが、行田周辺の方はケーブルTVで流すようですのでご覧になって下さいませ。
「ともしび」は指揮の新井康之先生、ピアノの宮本廣子先生が指導するアマチュア合唱団なんですが、すでに定期演奏会は38回開催しているという伝統ある合唱団です。
私は何にも知らずにゲストでノコノコ行ったのですが、すでに私のCDも渡っていて、新井先生とは共通の知り合いもいたりして、和やかに務めさせていただきました。行田は熊谷の隣ということで、もちろん御当地ソングの「敦盛」をやってきました。
合唱団の皆様は皆素敵な笑顔でしたね。
次は定例の琵琶樂人倶楽部

今回は「語り物の系譜Ⅲ」というテーマで、語りの寿佐美まゆみさんをゲストに迎えて、寿佐美さん作の「知盛」を私の伴奏で語っていただきました。写真は寿佐美さんと琵琶樂人倶楽部代表の古澤錦城
壇ノ浦での「見るべきほどの事は見つ」の名台詞の部分をクライマックスに語っていただきましたが、現代の言葉で語ると内容も良く判り、お客様には大変好評でした。もう少し琵琶の部分を練り上げて再演したいと思っています。
そしてつい先日の21世紀トリオ

相変わらず中村、菊池の二人は若さ爆発してます。私は大分腰の痛みは取れていたのですが、今一つ本領発揮とは行きませんでした。まだまだ修行が足りません。
今回は西荻窪にある音楽サロン「ベルカント」というこじんまりした所だったのですが、何だか落ち着いていて良い所でした。名古屋から音楽仲間のH氏も来てくれて、久々の再会をしました。こういうな仲間がいるというのは嬉しいですね。サロンコンサートはお客様とのコミュニケーションも充分に取れて、とっても好きです。
ここでは来週8月2日にまたライブをやりますので、ぜひぜひお越し下さい。昼・夜の2公演です。詳しくは私のHPのスケジュール欄に出ていますのでご覧になってみてください。特に予約を頂かなくても、当日突然気が向いたという方大歓迎です。よろしくお願いします。

左は演奏風景、右はスタッフの方々。この日はプロデューサーの久保木氏も腰を痛めていて、二人してずいぶんまわりに気を使わせてしまいました。
音楽は音を出したとたんに虚空に消えてしまうものですが、その音は記憶の中に残り、真夏の夜の夢となってふとまた甦る、そんな心に残る音楽をやりたいものです。私個人としてはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は正にそんな曲の代表です。
まだまだやらねばならない事はいっぱいありますが、色々な機会を通して、私が作り奏でた音楽が、聞いてくれた方々の心と記憶の中に生命を宿すようなものであったら嬉しいです。
さて今週中に完全復活をしないと、体が持ちません。来週は8月2日に上記の21世紀トリオ、4日に地元でのライブ、5日に長野での演奏会、6日にかっぱ橋 なってるハウスで、フリージャズのSOSトリオと過密スケジュールが続いてます。
休息はなかなかやってこないですね。
カンツォーネ歌手の佐藤重雄さんのライブを聴きに、四谷のウナカンツォーネに行って来ました。先のブログにも書いたように雑用に追われる日々ですが、少しリフレッシュするつもりで出かけてみました。


私は佐藤さんの3枚のCDすべてで琵琶を弾いていて、今回は何と吉幾蔵さんの「酒よ」をイタリア語に訳したカンツォーネヴァージョンでベンベンやってます。CDは全曲イタリア語でこの日も全ての曲をイタリア語で歌っていました。ちなみにCDタイトルは「SAKE」です。
今回のCDは私の先輩でいつも「熊さん」と慕っているベースの熊谷博さんが全アレンジを担当しています。もちろん昨日も熊さんがバックを務めました。

こちらが佐藤さんと熊さん
熊さんのアレンジはどこまでも歌を生かすように出来ていて、実に気が効いています。佐藤さんの歌も以前よりすっきりとして、本来の声の魅力が今までになく発揮されていました。サウンドやアレンジに懲りすぎて、歌が添え物になっている音楽も多く見かけますが、この日のライブ(とCD)には、どこまでも高らかに歌い上げる「歌」が満ちていました。惚れ惚れするというのはこういうことでしょうか。
昨日はゲストに歌手の加藤順子さんも駆けつけて、佐藤さんと「アモーレ」をデュエットしてくれました。

ピアノは上田正樹ライブでも弾いていた堺あつおさん(ごめんなさい写真が撮れませんでした)いつもいい所でいい音を鳴らしてくれるピアニストです。こういう人の伴奏だと歌手は気持ちよく歌えるんでしょうね。
そして熊さんバンドでもおなじみ久保田容子さんと池野弘美さんがコーラスで加わりました。このお二人は以前、熊さんバンドのライブを青山マンダラでやった時も、激!格好良かったんですが、何時見ても何処で見ても絵になりますね。お二人が加わるとぐんとゴージャスになるんです。
琵琶法師も一度はこういう美しいお姉さんをバックに平家物語をやりたいです?????
右が久保田さん、左が池野さん
お二人はソロではもちろんのこと、「THE BELLS」というコーラスグループでも活躍しています。
THE BELLS HP http://web.me.com/yoko_jk/thebells/toppage.html
私は昔からアンチポップスで通してきたし、大体現代音楽志向なんですが、こうした先輩に音楽の持つ楽しさと、聞いている人をハッピーにさせる力を何時も学ばせてもらってます。佐藤さんや熊さんの音楽に接してから、ポップスの魅力が本当に体に染み渡ってきました。
昔はポップスやジャズボーカルは全く聞かず、ひたすらハードなものばかり聞いていました。以前私の部屋に来た友人がラジオでJポップをかけて「俺の部屋でこんなものをかけるな」と喧嘩した事もある位、ポップスを忌み嫌っていました。
ジャズはマイルスやコルトレーンの60年代もの、ロックはジミヘン、ジェフベック、ツェッペリンやクリムゾン、後は声楽、現代音楽、武満etc.こんなものばかりで、もうポップスの影を感じるものはひたすら避けてきたんですが、お二人に出会い、私の音楽は大きく広くなってゆきました。
ただポップスの魅力を紹介してくれたのではなく、その楽しさを体感させてくれた事は、本当にありがたかったです。もちろん私の音楽にも大きく影響しています。
こういう極上のポップスをぜひ皆さんに聞いていただきたい。人生を歌にかけて生きてきた、この生き様をぜひ見て欲しい。上手いとか下手とかそういうものではなく、歌の持つ魅力をぜひ感じて欲しいのです。
佐藤重雄HP http://www.geocities.jp/tomo_santana/
命が煌き、たからかに歌声が響く素敵な人生が満ちてます。