高野紀行

今年も高野山演奏会が終わりました。今年は5年目という節目の年であり、区切りとして今回を一応の最後としていましたが、東京からも沢山の方が駆けつけてくれて、お陰様で盛況のうちに終える事が出来ました。御来場の皆様、そして陰ながらエールを送ってくれた皆様、本当にありがとうございました。

演奏会9演奏会2

この写真は何時も着物を提供してくれている、座工房の森修さんが撮ってくれました。

演奏会が終わって夜ゆっくりしていると、雨が降ってきました。静かな高野山が更に静かになり、宿坊で一人ゆっくりと演奏会のことを思い出しながら過ごし、この5年間を振り返りました。思い起こせば、最初は勢いで始めてしまった演奏会でしたが、あの遠い遠い高野山まで、皆さん毎年お越し頂き、私自身が多くの点で気がつき、変わって行った様に思います。五回欠かさずに駆けつけてくれた方もいて、毎年聞きに来てくれて、見てくれている方がいる幸せを感じます。

朝、勤行が6時から始まるのですが、まるで雲の中にいるような幻想的な風景に圧倒されました。

          高野山2

          高野山3

私のカメラでは到底その雰囲気はお伝えできないのですが、深い霧に包まれた高野山は見事でしたよ。今年は紅葉にはちょっと早い感じでしたが、高野山の魅力は十二分に味わう事が出来ました。

高野山演奏会の前日には、毎年恒例ですが麓の「子供の寺 童楽寺」にて尺八の田中黎山君と演奏してきました。

童楽寺1         童楽寺4

ここは、色々な事情で家族と一緒に暮らせない子供達を預かって育てているお寺で、志の高い御住職が八面六臂でがんばっているのです。もう顔なじみの子もいて、今年も和やかに演奏してきました。ここの子供達は毎朝お経をあげているので、私も最後には「開経偈」を弾き語りしてきました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~dougakuji/index4.html

童楽寺のHPです。是非皆さんも応援してあげてください。

高野山大学1そして、次はこれも恒例となっている高野山大学で演奏。その後、神戸の県立西宮高校音楽科にて、シタールの田中峰彦さんと演奏&レクチャーをしてきました。
毎年田中さんの曲を演奏するのですが、田中さんは技術といい人柄といい本当に深くて、直ぐに何の違和感もなくセッションが始まってしまいます。すぐれた音楽家は桁が違いますね~~。

色々な思いが詰まった高野山公演もこれで終わり、また新たな展開へと向かってゆく事になります。何年かすると高野山では1200年祭がありますので、その時にはまた何かやれるかもしれません。ぜひ皆さんと再会を果たしたいと思います。

さて、のんびりとしてはいられません。来週の月曜日には津田ホールにて、「牧神の午後への前奏曲」を尺八・ピアノとともに演奏します。その後直ぐに大分能楽堂、更に京都清流苑と続きます。

琵琶を弾いて生きてゆくこの喜びは何ものにも変えがたいですね。
新たな一日に向けて、今日も活動開始!!

常光院十三夜琵琶演奏会、そして高野山へ

昨夜、埼玉の熊谷にある常光院にて「十三夜観月法要琵琶演奏会」をやってきました。
 常光院2

そして、24日は5回目となる高野山演奏会です。

         2010年ちらし

実は、先日もちょっと書きましたが、担当マネージャーの具合が良くなく、その他色々な事情で、今後続けられそうにないこともあって、高野山では多分今回が最後の演奏会となります。充実した演奏をして終わりたいと思っています。ぜひ高野山で琵琶を聴いてみてください。

25日は高野山大学での授業で演奏とちょっとしたレクチャー、27日には西宮高校音楽科の授業で、シタールの田中峰彦さんと演奏してきます。

お寺づくしのツアーですが、これも琵琶法師にはちょうどいい感じです。
今回も多くの良縁に囲まれ、導かれるように日々が過ぎて行っています。壁もあり、障害もあり、良いこと悪い事色々な事がありますが、これら全てが縁というもの。その中で琵琶を弾くというのが、私の使命なんだ、と感じるこの頃です。

    

音の姿Ⅱ

以前紹介した、台湾の二胡奏者 葉文宣さんから最新のCDとDVDが届きました。活動は更に広がったようで、オーケストラをバックに協奏曲を弾きまくる彼女は、一段と自信に満ち溢れ素敵になっていました。
            葉文宣
彼女の所属する「台湾国家国楽団」のCDも相変わらずクオリティーが高く素晴らしいです。日本の邦楽合奏団とは比べ物にならない!

そして、今私の所にイスラエルの若者が琵琶を習いに来ています。日本語も判らないし、邦楽も何も知らなかった彼ですが、ものの数ヶ月で驚くほど弾けるようになってきました。

IMGP8468彼がそのアクシャ君。ギタリストとして活動している彼ですが、最初のレッスンで「祇園精舎」をローマ字で書いて弾いてあげたら、次の週には歌詞も琵琶のフレーズも丸暗記して、譜面を見ずに通して演奏出来ていたのには驚きました。

彼が東北に旅行に行った時、森の中で琵琶を弾いていたら、風が琵琶の音に添うようになびいてきたと言っていました。こういう自然との共生の感性は外国人では少ないですね。
きっとイスラエルに帰って、次世代の音楽を作ってくれると思います。

葉さんといい、アクシャ君といい音楽に真摯に向き合う若者はすがすがしいですね。

こんな若者達に感心している中、大塚の音楽堂ano anoでピアノの安藤紀子さんとライブをやってきました。

anoano liveいつもながら元気いっぱいの安藤女史。今回も感性豊かな素敵な演奏でした。

今回はピアノ伴奏で「祇園精舎」「壇ノ浦」を歌うので音程に気をつけながらでしたが、なかなか良い感じで出来ました。特に祇園精舎」は結構インパクトありましたね。

何時も尺八とやっている「まろばし」も初めてピアノと琵琶のデュオでやったのですが、さすがに安藤さんは頭が柔軟で、色々な引き出しを持っているので、大変充実した演奏となりました。記念に残る素晴らしさでした。何時かこの組み合わせでレコーディングしてみたいですね。

「壇ノ浦」も良かったのですが、私がフラメンコのリズムに今一つ乗り切れませんでした。ひとえに私の練習不足です。申し訳ない・・・・。

  anoano2                     anoano1

こちらがano ano こじんまりとしたサロンですが、静で響きも程よく大変に唄いやすかったです。普段はクラシックの演奏会がほとんどだそうです。

音楽に向かい合うにはやはり静寂が必要ですね。空間に響き満ちてゆく音が身に染みてくるように聞こえないと、音楽に集中できません。このano anoはその点、自分をぐっと集中できる空間でした。
静寂の中に満ちてゆく音と声。正にこういう音楽を私はやりたいのです。志向としては日本音楽の最先端と言ったら判りやすいでしょうか。エンタテイメントではありません。ほど遠い所にいます。

葉さん、アクシャ君、安藤さん。皆、真摯な音の姿をしていました。私も私ながらの姿をした音楽を真摯な態度でやって行きたいですね。

 

             高山寺3
             高山寺から見える山中の赤松

 

瀬戸内旅情

先日、高野山大学で大変世話になった越智淳仁先生の晋山式があり、お披露目の祝賀会で演奏してきました。

  晋山式3

                       
                 瀬戸内海絶景4

瀬戸内海絶景2
私も色々な所に出かけますが、これほどの絶景はそうあるものではありません。ワイドレンズでは無いので、その魅力の10分の1も伝えられませんが、お天気にも恵まれて、それはもう素晴らしいの一言でした。

しかし今回は事件勃発。マネージャーのO氏が朝からちょっと調子がすぐれず、開演前は暫く横になっていたのですが、だんだん酷くなり、演奏中に結局救急車で運ばれてしまうという事態に。幸い、運良く弟さんが医師として勤務している病院がすぐ近くだったので、大事にも至らず一安心でした。いつも持病が出たということでした。

という訳で、マネージャー氏も大事ないということなので、帰りには私がまだ一度も訪れたことのない四国に渡り、あの那須与一で有名な、屋島へ知り合いのOさんとMさんと連れ立って行って参りました。

屋島~那須与一古戦場1
ここは那須与一の扇の的で有名な古戦場
琵琶法師としては何だか感慨深いですね。

屋島寺1こちらがMさん、御年90歳ですが、足腰はシャープな動きで、私と全く変わりません。加えて英語はぺらぺら。頭脳は私以上に明晰です。80代になって得度したという、正にスーパーおじいちゃんなのです。
東京の方なので、帰りの新幹線でも、お大師様の話で盛り上がってきました。帰ったら直ぐ次の日に「中国の古いお寺を旅するツアーに出かけるんだ」というなんともフットワークの良い傑物です。

高野山関連では、とにかく何時も色々な縁が様々に繋がってゆきます。
思えば私が琵琶を始めるに至った経緯も、何かに手繰り寄せられるように導かれましたが、それから縁が次々につながり、高野山と関わるようになって、更に多くの出会いと気付きがありました。それは今でもどんどんと進行中で留まる事を知りません。

私は道元さんと空海さんが大好きなんです。道元禅師には深い哲理と清い人間としての生き方を感じ、私には一つの理想ともいえる存在ですが、お大師様には、道元さんとはまた違う宇宙的な広がりを感じます。常識や固定観念を軽々飛び越えて行くその思想の柔軟さと大きさは、常に私を大いに刺激して止みません。

日本はにはやっぱり凄い魅力があるな~と今更ながらに思う旅でした。

さて、今月来月はどんどん旅が続きます。

音の姿

昨日は北鎌倉の古陶美術館でライブをやってきました。
ここでは毎年9月になるとやっているのですが、今年はすこしずれたお陰で、虫の音を聞きながら、楽琵琶と笛でゆったりと演ってきました。

このコンビの音楽は、主張する音楽ではなく、穏やかに音に身を任せて楽しむような音楽と言えばよいでしょうか。いつもの薩摩琵琶弾き語りのように情念を凝縮させたような宗教的なものではなく、琵琶と笛そしてちょっとだけ古代の歌を入れた演目は、自分が演奏しているのだけれど、自分の体を通して音楽が流れ出ているといった感じで、やっていてもなかなか面白いものです。シンプルで、スカスカで、ゆっくりなのですが、自然と空間になじんでゆく。それがこのコンビReflectionsの音楽です。
世の中には色々な音楽がありますが、私はやはり生の声や楽器が響いて、そこに集う人がいるそんな「場」と共にある音楽が好きです。

先日、植田伸子さんというピアニストのコンサートに行ってきました。
植田伸子植田さんはベートーヴェンの4大ソナタ(悲愴・月光・テンペスト・熱情)を全てを暗譜で弾き、非の打ち所のない技術と迷いのない態度で取り組んでいて、人一倍の努力を重ねてきたその姿勢には本当に感心しました。大いに敬意を払いたいと思います。先日聞いたテノールの方のように、「この部分はちょっとね」というウィークポイントが全然ない。何処までも完璧を思わせる自信に満ち溢れた高い技術でした。
しかし「強く、重く、大きい」圧倒的なパワーで押しまくり、場を支配してゆく音楽に、私のようなのんびり屋には正直余りなじめませんでした。ピアノを隅々まで鳴らしきり、主張し、押し付けてくる音の姿は、自然と共に共生してゆく日本の感性にはちょっと遠い感じでしたね。

それと、やはり先日のテノールの方と同じく「何故、あなたが今ベートーヴェンを弾くのか?」という所があまり見えて来ませんでした。ピアノからは技術と理論が巨大な塊のように迫って来て、自信に満ち溢れた姿が時に「凄いだろ、どうだ」という自己顕示欲にも感じられてしまい、こちらの感性が履いてちゅく余裕が無かったですね。ヴェートーベンの音楽がそういう音楽なのでしょう。ちょっと前時代的なパワー主義が見えました。

科学技術だろうが、音楽だろうが技術はヴィジョンを実現する為にこそあるというもの。技術が見えてしまうのはまだヴィジョンを達成していないように私は感じてしまいます。ヴィジョンなき技術は時に核兵器のような悲劇も生みますからね。

コルトレーンもマイルスもパーカーも皆凄い技術を持っていたと思いますが、音楽を聴いていて「上手い」だとか「超絶技巧」だとか思った事はありません。ドビュッシーを聞いていても作曲技法が優れているなんて言うのは、お勉強している専門家だけ。
本当に優れたものはそのものがすでに一つの姿となって出来上がっているので、技術だの、技法だのという部分はかえって見えてこないものというのが私の意見です。

私は音楽をやりたい、それも祖先の人々が歴史を刻み、自分が育ったこの日本の音楽をやりたい。右寄りでもなんでもなく、それが一番自分の姿に近いからであり、自分の姿と違う音楽をやってもただの物真似にしかならない、と思うからです。
何処までも自分自身になりきってゆかなければならない、そんな姿を追求せざるを得ないという有り方は、音楽の、芸術の背負った宿命のようにも思えてなりません。

古陶美術館で琵琶のソロを弾いている時に、琵琶の音に呼応するように虫の音が外から聞こえてきて、まるで共演しているようでした。

やっぱりこれだな!

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