2010年もラストウィークになりました。世間では忘年会だ年賀状だとせわしないのですが、12月は芸術公演が目白押しの月でもあります。
琵琶の公演はこの時期ほとんど無いので、その分色々な公演を見に行けます。昨日はケイタケイさんのソロダンス「走る女」を見てきました。

とにかくエネルギッシュな舞台。そのエネルギーは最後まで尽きる事無くほとばしっていました。私にケイさんの表現の全てが見えたとは思いませんが、舞台から発する生命感のようなものが最後まで身に迫ってきました。
それと純粋に芸術活動として取り組んでいる姿にも、感じるところがありました。音楽家はどうしてもどこかにお客さんを楽しませなくては、というエンタテイメントの要素を自然と持ち合わせているもので、周りからも要求されれる事が多いのですが、ケイさんの舞台にはそれが無い。芸術とは何か、という話はまた別の機会に回したいと思いますが、少なくともの昨夜の舞台には自分の表現しようとする世界に、何処までも純粋に突き進む姿だけがありました。
photo MORI Osamu
今年は数多くの仕事に恵まれ、とても充実した年でしたが、多くの機会を頂けば頂くほどに「価値観の違い」「感覚の違い」「視点の違い」そうした事を多く感じる年でもありました。
今、巷に溢れている音楽の中に共感はあるのだろうか。結局は共感した、という人だけが聞いているのであって、そうでない人は聞いていないのだとすると、あまりに狭い世界に向けて発せられたものでしかありません。
何時も私が言っている「一音成仏」の哲学の元となった教えに、「一滴の雫の中に全宇宙が含まれ、一瞬の中に永遠が含まれる」というもの(華厳経)がありますが、その一滴の雫の中は果たして一つなのだろうか。
多すぎる情報、溢れる物、あり余リ捨てられてゆく食料・・・。行過ぎた経済優先の世界に生きる我々は、一つの雫という共通した感性を持ち合わせているのだろうか。果たして共感というものを分かち合えるのだろうか。
次世代に古典は受け継がれてゆく事も無く、旧来の日本の感性は崩壊し、歴史の無い、全く新たな世界が始まろうとしているのだろうか・・・・。
「共感」「受け継がれてゆくもの」
来年はこれが私のテーマになってゆくと思います。
photo MORI Osamu
今夜は結構な雨が降っていますが、昨夜は気持ちが良い程に、月が冴え、まさに煌々と夜の街を照らしていましたね。これだけの月はやはり冬でないと拝めません。
演奏会があらかた片付いたので、やっと月を愛でながら心をめぐらす余裕が出てきました。私は若かりし頃、プラネタリュウムでバイトしていたことがありまして、月や星は結構今でも好きなんです。
月を見ていると色々な想いが沸き起こり、ロマンが膨らんできます(ロマンスではないですよ)私自身は割りと理屈っぽい所もあるのかなとも思いますが、他方では理屈を超えた叙情の世界が大好きです。あまり考え込むより、音を出してしまえ!という訳です。語り物に関しては色々と勉強したり、分析するのですが、インストものになるとその曲の根本的な哲学さえ見えれば、後は音に身をゆだねるようにして演奏することが多いです。
弁財天は私の中で、月下におわすイメージです。月下の琵琶といったら、弁才天を思い出します。弁才天さんはきっと、何か理屈を琵琶で表しているのではなく、音そのものがそのまま弁才天だったんでしょうね。
その音に身をゆだねていると、自然と弁財天の世界に誘われ、仏のはからいが身に沁みて来る。私もそんな演奏がしてみたいです。
人をタイプで分ける事は出来ませんが、明らかに燦燦と輝く太陽を感じさせる人と、静やかに夜の庭を照らす月を感じさせる人がいます。私は自分を月の住人といつも思っていますが、まわりの人から見た印象はどうなんでしょう??。
舞台では圧倒的な魅力で燦然と輝いていたい、と思う反面、静かに佇んで、包み込むような光を届ける音楽にとてもあこがれます。それは結して力が弱いわけではなくて、じわじわと聞く人の心に沁みて来る。例えば、武満さんの作品「弦楽のためのレクイエム」がちょうどそんな感じでしょうか。年を重ねるごとに、そんな月の世界に行きたくなる事が多くなりました。クールというより、静やかで、淡々と光を放つ存在でありたい。そんな感じが性に合って来ました。

これは最近手に入れた平家琵琶。来年からは平曲も勉強しようと思っています。サワリの調整がまだ出来ていませんが、サイズも塩高モデルの半分くらいの大きさで、なかなか可愛いやつです。
私のイメージでしかないのですが、平曲も月のイメージがするのです。もうやらない訳にはいきませんね。そのうちに平曲でもデビューします!乞うご期待!!
そして来年は今年果たせなかった、楽琵琶のCDを作りたいと思います。楽琵琶では1枚目が月にまつわる曲を集め、「月に捧げる新世代の雅音」というキャッチコピーでしたが、2枚目となるCDも、月を思わせる作品が多くなりそうです。やはり私の中の琵琶楽は月のイメージと重なってゆくようです。
人類がこの地球に現れて以来、月の存在はいったいどれだけの芸術家を生んだ事でしょうか。月こそミューズが、弁天様がおわす世界に思えてならないのです。
昨夜の月の光はどんな音楽と詩を生んだのでしょうか・・・・。
師走のつれづれに。
先日、今年最後の琵琶樂人倶楽部が終わりました。この日の曲は正直ちょっと苦手な曲だったのですが、とりあえず何とか・・・。でもこの琵琶樂人倶楽部ももう何と36回目。凄い事です。来年も一年間しっかり毎月スケジュールを組んでありますので、ぜひお越しくださいませ。あらためてまたお知らせします。
この日御来場のお客様。
ハクジュホールが終わって、私の中で何か一区切り付いた感があり、ちょっとこの2,3日はぼやっとしてました。今年一年、多くの仕事をさせていただいて、調子も上々でしたが、本当の仕事は来年から、という気持ちが今は強いです。来年は色々なものを形にしたいと思っています。
そんなわけで、今週は毎日のように仲間と忘年会三昧でした。
火曜日はご機嫌な仲間達と。左から筑前琵琶の大久保さん、絵描きの千代乃、べリーダンサーの森さん、詩吟の詠龍さん。
昨日も津軽三味線の宍戸君そしてDVDの制作会社の方とずいぶん呑みました。
そんな中、今日は唯一お付き合いのある劇団、アドックの年末スペシャルに行ってきました。昨年の赤レンガ倉庫での公演以来ですが、あのときの芥川作「雛」も良かったし、この夏の三浦綾子作の「壁」も素晴らしかった。そして今日の三浦綾子作、脚本 神尾哲人、演出 伊藤豪の「この重きバトンを」もぐぐぐっと来ました。
私は演劇の事はあまり知らないし、レベルがどうかということも判らないですが、アドックの作品は、何時も心に残るんです。きっと文章で読むだけでは見えないものが、アドックの舞台からは見えてきて、それが私の中の何かを刺激してくるのでしょう。今日の作品も見ていてすーっと涙が流れました。自分と重なる部分も感じられ、「重きバトン」の感触が伝わりました。
作品の中に出てくる「バトン」という言葉はとても重く響きました。私も何かしらのバトンを親から、先輩達から渡されているのでしょう。琵琶に導かれたのもその為かもしれません。作中の色々な言葉が今、私の頭を駆け巡っています。
この時期にこの作品を見てよかった。人は意識やヴィジョン一つで、全く違う道を行くものです。来年からの私の活動もじっくり考えて取り組んでゆきたいと思いました。
先程、ハクジュホールにて「中村仁樹プレゼンツ新世代の邦楽演奏家」をやってきました。

私以外は皆20代か30代はじめの若き演奏家達。皆次世代への煌きに満ちた素晴らしい若者達でした。



左の写真は、今日の主役 中村仁樹君。そしてめがねのイケメンボーイがViの白須今君。右がナイスキャラの太鼓奏者 壱太郎君。右の写真の一番左がPiの滝本成吾君
残念ながらステージでの写真が無く、女性陣の写真も撮れなかったのですが、可能性に満ち溢れた若いエネルギーは素晴らし!の一言でした。
何時もは演奏後の打ち上げになだれ込むのが常なのですが、私はレジュメ書きやら、何やら雑用が山のように残っているので、今夜は静かに家に帰ることにしました。今年はまだ演奏がいくつか残っていますが、大きな演奏会はこれで最後です。
ここ何年かいい感じの流れが来ていますが、特に昨年辺りから色々なお仕事を頂くようになり、念願のシルクロードツアーも実現し、今年も今までになく本当に充実した多くの仕事をさせて頂きました。昨年の日本橋劇場での「和の煌き」のお話があった頃から急に展開してきたような気がしています。
本当に多くの出会いや縁に恵まれていると感じますが、どのような縁でもあっても、それら全てがあってこそ、今私がある。そんな風に思えてなりません。
現実社会は色々な事があり、そうそう簡単にはいきませんが、何もクリスマスや正月でなくとも日々は平等に皆の上に輝いています。聖なる夜を過ごし、輝く朝を迎え、幸せを感じる日常を生きる、そんな人生を送りたいものです。そして私が出会った人にも、喜びに満ちた日々をぜひ過ごしてもらいたい。そう心から願わずにはいられない。音楽の喜びが、今私をそんな気分にさせてくれています。
多くの縁と想い出を振り返り、今後の私の方向性を練り上げるのも時には良いかもしれません。年末を迎え、今夜はそんな気分になりました。
photo Mori osamu

また悟りの窓のまえでゆっくりしてこよう。
少し休息を頂きますが、これからもガンガンやって行きます。そして次世代をどんどん切り開いて行きたいと思います。立ち止まる事はあっても、私にバックギアは必要ないのです。
演奏会も一段落なんてことを書きましたが、明日は近江楽堂の「創心会」が控えていて、そうそうのんびりもしていられないのです。しかしそんな中、打ち合わせも兼ねて京都奈良にちょっとばかり遊んできました。紅葉もまだまだたっぷりと残っていて、心休まる時間を頂きました。

こちらは勝林寺
臨済宗のお寺です
色々なお寺に行ったのですが、私はやはり大きな所より、こういうこじんまりとした静かなお寺の方が好きです。門から見えるこの真っ赤な紅葉に惹き寄せられてのんびりしました。普段は公開していないそうです。


こちらは尺八の聖地として有名な明暗寺。
「吹禅」とは座禅のかわりにひたすら尺八を吹くことで修行とすることです。
日本の音楽史上、音楽を修行・教育の為に用いるのは、尺八と薩摩琵琶のみと言ってよいでしょう。
あと建礼門院ゆかりの長楽寺、遣唐使ゆかりの海龍王寺などにも行きましたが、残念ながらいい写真が撮れませんでした。
もう紅葉シーズンは終わりなのですが、まだまだたっぷりと楽しめます。ちょっと気分転換に行くにはちょうど良い時期かもしれません。
という訳で残りの写真を

唐招提寺
左が戒壇、右が鑑真和上御廟への参道
定番の興福寺の五重塔も
歴史に触れていると何故もこう気持ちが安らぐのでしょうか。私が古典世界に惹かれて行くのは、必然なのかもしれません。
最先端を望む心も又人間の必然だと思いますが、そこに古典というものがないとどうも落ち着きません。世阿弥は「古典を典拠にせよ」と言っていますが、古典あってこその最先端、前衛というものです。そしてその古典の何処を受け継いで行くか、という所も大きな課題なのです。
ちょっと話は変わりますが、京都のホテルのTVでバレエダンサーの熊川哲也さんの番組を見ました。30代にしてあの器、あの行動力、そして実力、あまりに素晴らしく心底感心しました。こういう人が現代にいるというのは日本の財産だと思います。
琵琶人にあれだけの器の方がいたら、今どんなに状況が変わっていたでしょうか・・。私は熊川さんのようにはとても成れませんが、少なくとも小さな世界の住人にはなりたくないです。番組を見ながらひしひしと思いました。
そして今回も京都でのお食事は最近はまっている「The House of HATA」何度食べても美味しいね~~。とにかく塩味が控えめなので、オリーブオイルの風味が効いている。だから料理の素材がしっかり味わえる。という訳です。お店のスタッフはシェフ以下皆さん気さくだし、ゆっくりと味わえます。今回は自家製ソーセージのグリルと帆立のお料理が気に入りました。
旅は心の栄養ですね!!