先日、今年最後の琵琶樂人倶楽部が終わりました。この日の曲は正直ちょっと苦手な曲だったのですが、とりあえず何とか・・・。でもこの琵琶樂人倶楽部ももう何と36回目。凄い事です。来年も一年間しっかり毎月スケジュールを組んでありますので、ぜひお越しくださいませ。あらためてまたお知らせします。
この日御来場のお客様。
ハクジュホールが終わって、私の中で何か一区切り付いた感があり、ちょっとこの2,3日はぼやっとしてました。今年一年、多くの仕事をさせていただいて、調子も上々でしたが、本当の仕事は来年から、という気持ちが今は強いです。来年は色々なものを形にしたいと思っています。
そんなわけで、今週は毎日のように仲間と忘年会三昧でした。
火曜日はご機嫌な仲間達と。左から筑前琵琶の大久保さん、絵描きの千代乃、べリーダンサーの森さん、詩吟の詠龍さん。
昨日も津軽三味線の宍戸君そしてDVDの制作会社の方とずいぶん呑みました。
そんな中、今日は唯一お付き合いのある劇団、アドックの年末スペシャルに行ってきました。昨年の赤レンガ倉庫での公演以来ですが、あのときの芥川作「雛」も良かったし、この夏の三浦綾子作の「壁」も素晴らしかった。そして今日の三浦綾子作、脚本 神尾哲人、演出 伊藤豪の「この重きバトンを」もぐぐぐっと来ました。
私は演劇の事はあまり知らないし、レベルがどうかということも判らないですが、アドックの作品は、何時も心に残るんです。きっと文章で読むだけでは見えないものが、アドックの舞台からは見えてきて、それが私の中の何かを刺激してくるのでしょう。今日の作品も見ていてすーっと涙が流れました。自分と重なる部分も感じられ、「重きバトン」の感触が伝わりました。
作品の中に出てくる「バトン」という言葉はとても重く響きました。私も何かしらのバトンを親から、先輩達から渡されているのでしょう。琵琶に導かれたのもその為かもしれません。作中の色々な言葉が今、私の頭を駆け巡っています。
この時期にこの作品を見てよかった。人は意識やヴィジョン一つで、全く違う道を行くものです。来年からの私の活動もじっくり考えて取り組んでゆきたいと思いました。
先程、ハクジュホールにて「中村仁樹プレゼンツ新世代の邦楽演奏家」をやってきました。

私以外は皆20代か30代はじめの若き演奏家達。皆次世代への煌きに満ちた素晴らしい若者達でした。



左の写真は、今日の主役 中村仁樹君。そしてめがねのイケメンボーイがViの白須今君。右がナイスキャラの太鼓奏者 壱太郎君。右の写真の一番左がPiの滝本成吾君
残念ながらステージでの写真が無く、女性陣の写真も撮れなかったのですが、可能性に満ち溢れた若いエネルギーは素晴らし!の一言でした。
何時もは演奏後の打ち上げになだれ込むのが常なのですが、私はレジュメ書きやら、何やら雑用が山のように残っているので、今夜は静かに家に帰ることにしました。今年はまだ演奏がいくつか残っていますが、大きな演奏会はこれで最後です。
ここ何年かいい感じの流れが来ていますが、特に昨年辺りから色々なお仕事を頂くようになり、念願のシルクロードツアーも実現し、今年も今までになく本当に充実した多くの仕事をさせて頂きました。昨年の日本橋劇場での「和の煌き」のお話があった頃から急に展開してきたような気がしています。
本当に多くの出会いや縁に恵まれていると感じますが、どのような縁でもあっても、それら全てがあってこそ、今私がある。そんな風に思えてなりません。
現実社会は色々な事があり、そうそう簡単にはいきませんが、何もクリスマスや正月でなくとも日々は平等に皆の上に輝いています。聖なる夜を過ごし、輝く朝を迎え、幸せを感じる日常を生きる、そんな人生を送りたいものです。そして私が出会った人にも、喜びに満ちた日々をぜひ過ごしてもらいたい。そう心から願わずにはいられない。音楽の喜びが、今私をそんな気分にさせてくれています。
多くの縁と想い出を振り返り、今後の私の方向性を練り上げるのも時には良いかもしれません。年末を迎え、今夜はそんな気分になりました。
photo Mori osamu

また悟りの窓のまえでゆっくりしてこよう。
少し休息を頂きますが、これからもガンガンやって行きます。そして次世代をどんどん切り開いて行きたいと思います。立ち止まる事はあっても、私にバックギアは必要ないのです。
演奏会も一段落なんてことを書きましたが、明日は近江楽堂の「創心会」が控えていて、そうそうのんびりもしていられないのです。しかしそんな中、打ち合わせも兼ねて京都奈良にちょっとばかり遊んできました。紅葉もまだまだたっぷりと残っていて、心休まる時間を頂きました。

こちらは勝林寺
臨済宗のお寺です
色々なお寺に行ったのですが、私はやはり大きな所より、こういうこじんまりとした静かなお寺の方が好きです。門から見えるこの真っ赤な紅葉に惹き寄せられてのんびりしました。普段は公開していないそうです。


こちらは尺八の聖地として有名な明暗寺。
「吹禅」とは座禅のかわりにひたすら尺八を吹くことで修行とすることです。
日本の音楽史上、音楽を修行・教育の為に用いるのは、尺八と薩摩琵琶のみと言ってよいでしょう。
あと建礼門院ゆかりの長楽寺、遣唐使ゆかりの海龍王寺などにも行きましたが、残念ながらいい写真が撮れませんでした。
もう紅葉シーズンは終わりなのですが、まだまだたっぷりと楽しめます。ちょっと気分転換に行くにはちょうど良い時期かもしれません。
という訳で残りの写真を

唐招提寺
左が戒壇、右が鑑真和上御廟への参道
定番の興福寺の五重塔も
歴史に触れていると何故もこう気持ちが安らぐのでしょうか。私が古典世界に惹かれて行くのは、必然なのかもしれません。
最先端を望む心も又人間の必然だと思いますが、そこに古典というものがないとどうも落ち着きません。世阿弥は「古典を典拠にせよ」と言っていますが、古典あってこその最先端、前衛というものです。そしてその古典の何処を受け継いで行くか、という所も大きな課題なのです。
ちょっと話は変わりますが、京都のホテルのTVでバレエダンサーの熊川哲也さんの番組を見ました。30代にしてあの器、あの行動力、そして実力、あまりに素晴らしく心底感心しました。こういう人が現代にいるというのは日本の財産だと思います。
琵琶人にあれだけの器の方がいたら、今どんなに状況が変わっていたでしょうか・・。私は熊川さんのようにはとても成れませんが、少なくとも小さな世界の住人にはなりたくないです。番組を見ながらひしひしと思いました。
そして今回も京都でのお食事は最近はまっている「The House of HATA」何度食べても美味しいね~~。とにかく塩味が控えめなので、オリーブオイルの風味が効いている。だから料理の素材がしっかり味わえる。という訳です。お店のスタッフはシェフ以下皆さん気さくだし、ゆっくりと味わえます。今回は自家製ソーセージのグリルと帆立のお料理が気に入りました。
旅は心の栄養ですね!!
秋の演奏会は一応一段落着いたものの、12月も1月も演奏会は続いています。今日は毎年5月と12月に定例にしている、グリーンテイルでの11回目のライブをやってきました。

第一回目に呼んだゲストの大浦典子さんを今回又呼んで「Reflections」コンビで演奏してきました。マスターもママさんも本当に暖かく、ここはもう私のホームグランドになっています。

今までにも尺八の香川さん、中村君、田中君、筝の小笠原さん、笛の百七さんなどなど様々な方をゲストに迎えやってきましたが、さすがに10数年コンビを汲んでいる大浦さんとは息もぴったり。「Reflections」では来年第二段のCDも計画中ですので、ご期待下さい。
最近、舞台に立っている事の幸せをよく感じます。自分の選んだ道を生業として生きてゆけるこの幸せ。とてもいい感じです。
経正のように、いくら恵まれていても、なかなか自分の思うようには生きられないのが世の中というもの。それを思うと、私は今、とても幸せな状態にいるのだとつくづく思います。
お陰様で、シーズンを過ぎても週に1,2度は舞台で演奏させてもらってますが、もっともっと演奏したい、というのが本音。来年はもっともっともっと良い方向に持って行きたいと思っています。
いままで色々なことをやってきましたが、来年は整理すべき所は整理し、突き進む所は突き進み、更に更に充実した活動を展開してゆきたいと思っております。
今後ともせひとも御贔屓に。
先日メゾソプラノ歌手の郡愛子さんのリサイタルに行ってきました。

郡さんはTVでも御馴染みですし、藤原歌劇団の看板歌手ですので、ご存知の方も多いと思います。以前ブログに書いた笛田博昭君も確か藤原歌劇団の所属だったと思います。
高いレベルで訓練された声と、練られた歌唱力、色々な所に余裕というものが感じられました。加えて程よいエンタテイメント性があり、これが長年に渡り愛される秘訣なんだな、と感じました。
クラシックの曲ももちろん素晴らしかったのですが、日本語の歌がとっても良かったです。「北の宿から」は都はるみのヒット曲ですが、郡さんの情感あふれる歌唱力には参りました。また最後に歌った「ながれ」(作詞 清水かつら 作曲 和田薫)が詩の内容、曲、歌と全てが揃い素晴らしかったです。
クラシック系歌手にありがちなドイツ語やイタリア語なまりの変な発音の部分が無く、日本語の美しさを十二分に堪能できる魅力溢れる歌でした。
そして伴奏でギターを弾いてたのは、何と私の先輩 並木健司さん
先日の潮先先生の芸暦60周年ライブでもお見かけしましたが、こんな所でお会いするとは!
私はとうに琵琶の道に進んでしまいましたが、こうしてギターでがんばっている先輩や仲間に合えるのは本当に嬉しい限りです。
音楽を生業としてゆくのは本当に難しい。コンクールで1番になっても、上手であってもなかなか音楽家人生をまっとうできる人は少ないのです。
郡さんも並木先輩も皆に愛されてこそ、この道で生きている。そこを判っているからこそ、生業としてゆけるのです。
現在の琵琶の世界を見ると、生業として生きている人はほとんどいない。
ほぼ100%に近くアマチュア。これでは人を魅了するような琵琶楽が生まれてこないのは当然です。魅力溢れる琵琶人、生業として琵琶を弾いている人が沢山いて、夫々に魅力をもって世の中の人に愛されなければ、そのうち博物館に飾られるのがオチです。
2時間の舞台を務めるためには、お稽古した曲をいくら並べてもどうにもならないのです。舞台を作り上げるには人並みはずれた創造性、演奏能力、作曲能力、人望、器、華・・・。ありとあらゆるものが必要なのです。受賞暦など何の役にも立たないのです。上手なんていうのは当たり前、聴衆を魅了できない人は音楽家にはなれないのです。
一般の会社でも、音楽の流派でも創造性の無い団体は必ず滅びます。新製品を作れない会社、新作を上演できない音楽家がどうしてその道で生きていけるのでしょうか。常に時代と共にあってこそ、常にその時代の人々に愛されてこそ存在価値があるのです。
平家物語などの古典というものは、何時の時代でも人々の心を捉え、愛され、汲めども尽きぬ魅力をたたえていたから古典となったのです。能、歌舞伎をはじめ色んな芸能に脚色され、琵琶でも平家琵琶だけでなく、薩摩や筑前でもスタイルを変え演奏されてきたからこそ、未だ愛されているのです。愛されたのは外側の形ではなく、その中身、世界観こそが愛されたのです。
我々は舞台に立ってナンボのもの。御託並べる前に年間50本でも100本でも舞台で演奏して欲しい。それもゲストや客演ではなく、自分の公演を張って生きるような琵琶人がどんどん出てきて欲しい。
郡さんの歌を聞きながら、かつての永田錦心のような魅力ある琵琶人がもっともっといたらな~~と深く深く思いました。