昨日、静岡市役所ロビーにてHotひといきコンサートをやってきました。

琵琶だけだとちょっと渋いので、笛の大浦典子さんに助演を頼み、無事終了。
私は静岡で生まれ育ったのですが、昨日が静岡での初の演奏会だったのです。今までほとんど同級生などとも交流はなかったのですが、2年ほど前に中学の時の仲間から連絡があり、少しづつやり取りをはじめました。この日も同級生がいっぱい聞きに来てくれました。もちろん終わってからは大宴会です。

先ずは静岡に行ったら、何はともあれ「静岡おでん」です。静岡おでんは基本的に駄菓子屋さんにあるものなので、いつもはそんなお店に行くのですが、今回はいわゆる屋台村のような「青葉おでん街」に直行。実は同級生がここで店をやっているのです。


静岡に行った時にはぜひご贔屓に。
では、この日仕事をサボって集まってきてくれた仲間達をご紹介。

こちらはブラスバンド部で一緒にTpを吹いていたつるちゃん。南の島が好きな、同級生達の元締め。皆に声をかけてくれました。

昔と全然変わらず、今も笑顔が素敵なバスケ部のSさん。
手前のおやっさん(?)は同じブラバンのチューバ吹き元ちゃん。お互い年取ったね。後ろは電気屋さんのヒトシ君。
この他にも何人も気持ちのいい連中が集まっていました。写真がちゃんと撮れてなった・・残念。
たまにはこうした昔の仲間と会うのも楽しいものです。想い出に浸って生きるのは好きでは無いですが、想い出のない人生もまたつまらないですね。
人間は帰る港のような所が必要なのかもしれません。どんなに全国、全世界を飛び回るような人でも、自分の生まれ育った土地や食べ物、想い出は、その人の人間としての根底となって何時までも残っている事でしょう。
今考えると、私は高校を卒業する18歳までの自分と、それからの自分をどこか区別していたような気がしています。そしてほんのちょっと肩の力が入りすぎていたかも・・・。彼らと呑んでいたら、そんな風に思えてきました。
これからは、ゆったりと昔の仲間とも良いお付き合いをして行きたいな、と思った一日でした。
静岡万歳!
先日、台湾の琵琶奏者 劉 芛華さんが久しぶりに遊びに来てくれました。
劉さんはこのブログに時々登場する、二胡奏者 葉文宣さんの仲間で、以前二人して我が家に遊びに来てくれた事があります。以前会った時は二人とも化粧っ気もあまりなく、まあ明るい感じのお嬢さんという印象だったのですが、さすがお年頃なのか、葉さんも劉さんもすっかり綺麗なお姉さんに変身しなさって、まばゆいばかりでした。特に劉さんはファッションモデル並の背があるので、かなり格好いいんです。動画もあるようなので、youtubeを是非探してみてくださいな。
![601936_452703298075740_491475498_n[1]](https://biwa-shiotaka.com/wp-content/uploads/2011/01/675221c4-s.jpg)
劉さんは仏教に大変関心が高く、日本の伝統文化にもかなり深い造詣があります。今回も二人でやれ道元だ、空海だと仏教談義を延々としました。
台湾は中国と違って、昔のままの漢字を使っているので、筆談しながら充分に深く会話が出来るのがいいですね。彼女は日本語もそこそこできるし、日本酒も結構たしなむので、まあ話が止まらない。高野山の話や禅の話など、何処までもとどまる事を知らない感じで、結局最終電車の時間まで話し込みました。
台湾には大陸の文化が今でも色濃く残っています。中国がどんどん古いものを破壊して行くのに対し、台湾は精神性も物も文化も、貴重なものを沢山残しているようです。ただ、彼女曰く、仏教だけは日本が一番、ということでした。
こうして、海を越えて仲間が訪ねてくれるのは本当に嬉しいです。
そしてもう一つ。約10年ぶりくらいに、千葉の大網にあるstudio bというスペースで演奏してきました。山武杉の普及活動をしている、稗田忠弘さんという建築家の講演とカップリングで、以前もそこで演奏した「壇ノ浦」を演奏してきました。

久しぶりに会う、studio bのオーナー石橋さんご夫妻や地元の方に囲まれて和やかな雰囲気で楽しかったです。

演奏後は稗田さんと二人並んでトークをしました。何だか音楽も家作りも、地域作りも共通していて、あらためてこの日の会の趣旨に納得。
色々な出会いも、再会を果たす事で、より絆も深まります。多くのご縁に囲まれている人生って、いい感じです。
さて明日は、生まれ故郷静岡での演奏です。久しぶりに同級生達と盛り上がりますか!!
昨日、川崎能楽堂にて「まろばし」の公演をやってきました。
今回は代表の香川一朝先生の復帰公演ということもあり、内容充実(ちょっとてんこ盛り)の舞台になりました。
タイトルの「邂逅」の通り、今回は日舞の花柳・五條、尺八の都山・琴古という夫々二つの流派が出会い、競い合うという舞台を演出したわけですが、客観的に見ていて、とても興味深く面白いものとなりました。その中でも今回の花形はやはり花柳面萌さんでしたね。とても凛として美しい静御前を踊ってくれました。媚を売らないきりりとした姿は煌いてました。
photo MIYAMORI Yosuke



この邦楽アンサンブル「まろばし」は、私が作編曲を全部担当しているので、琵琶の曲は1,2曲しかないのですが、尺八デュオの「二つの月」など結構自由に曲つくりをさせてもらっていて、作曲家として、琵琶では出来ないことも表現できる場となっています。

ちょっと私のお写真も・・・。
photo MIYAMORI Yosuke
そしてこういうコンサートには支えてくれるスタッフがいてこそ成り立つというもの。今回も本当に助けられました。
こちらは私が有明教育芸術短大で教えている生徒、有明ガールズのナツミ&ヒカリ。能楽堂の幕上げをずっとやってくれました。演者が出入りするタイミングを見計らっての幕上げは結構気を使うものですが、がんばりましたね!!
こちらは舞台で楽器のセッティングなどをしてくれた小笠原社中の面々。真ん中のH木さんは十七絃の演奏者としても助演くださいまして、大活躍してくれました。
演奏会が終わると色々と反省点など、いっぱい見えてくるのですが、それがまた次なるステップの糧と成って行きます。
私は普段は一人かデュオで演奏会をやることが多く、こうしてアンサンブルのグループでやるのは年に一度この「まろばし」だけです。ああだこうだ言いながら皆で作り上げてゆく作業は楽しいし、そこから学ぶものは沢山ありますね。
いい舞台をいっぱい作ってゆきたいです。それにはいい仲間が必要なのです。
もう梅の花があちこちで咲いていますね。
私は梅花が何といっても好きなので、この時期は寒い中、ぶらぶらと良く歩き回ります。
まだ春も遠い冬の時期にふっと見る人の心を和ませ、春の予感を抱かせてくれる梅花は、私の理想とする姿でもあり、そんな可憐でつつましい梅花のような音楽や人が大好きです。私自身は梅花の様にはとても成れないので、あこがれるんでしょうね。
fhoto MORI Osamu
1月は例年ですとあまり忙しくないので、ゆっくりと梅花を辿ってうろうろしているのですが、今年は私が作編曲をやっている「まろばし」というアンサンブルグループの公演が明後日に控えていますので、何かとバタバタしていて、例年のようなのんびり感がありません。

今回のテーマは「邂逅」。尺八の琴古流と都山流。日舞の花柳流と五条流という同じジャンルでありながら、スタイルの違うものを組み合わせてプログラムを作りました。
開演 13時00分
第一部 「祇園精舎」 編曲 塩高
十七絃・尺八(琴古)・尺八(都山)・唄
「六段」
筝・尺八(琴古)・日舞(五條)
「二つの月」 作曲 塩高
尺八(琴古)・尺八(都山)
「沙門」 作詞・曲 塩高
琵琶弾き語り
第二部 「静~緋色の舞」 作詞・曲 塩高
筝・十七絃・尺八(都山)・唄・日舞(花柳)
「まろばし」 作曲 塩高
琵琶・尺八(都山)
「春の宴」 作詞・曲 塩高
筝・尺八(琴古)・尺八(都山)・唄
こんなラインナップです。古典の「六段」を除き、全て私の作品です。ぜひぜひお越しくださいませ。ほんの数枚ですが、チケットがまだ残ってます。
そして今月は美術系の友人たちもこぞって展示会をやっているので、今日はまとめて回ってきました。
先ずは、私の謡曲の師でもある、能面作家の羽生光善先生と、堀本惠美子さんの親子二人展。新宿小田急のアートサロンでやっています。羽生先生は御年93歳。もちろん現役で作品を作っています。
琵琶の最初の師匠 故高田栄水先生も習いに行った時、90歳でした。もちろんお元気で舞台もずいぶんとこなしていて、地方公演等もやっていました。昨年亡くなった故寶山左衛門先生といい、私はこういう大先輩とどうも縁があるようです。
娘でもある堀本さんの作品も、深い精神性を湛えていて、深遠な世界に惹き込まれます。ぜひ見に行って下さい。
次は人形作家の牛窪奈央さん。今回は企画展の中での出品でしたので、人形が数点と絵画作品が数点だけでしたが、3年ぶり位で伺った彼女は、美術系の学校での数年間の勉強を経て、大変充実していました。今年は個展やグループ展などガンガンやるそうです。
牛窪奈央ブログ http://nao8.exblog.jp/
最後は朝比奈賢さん。門前仲町に新しく出来たギャラリー無有斎での開廊記念展での出品ですが、日々世界が広がっているようで、クオリティーの高い作品を出していました。
さて梅花に元気をもらって今年もがんばります。明日は千葉の大網で演奏会です。
fhoto MORI Osamu
今年も琵琶樂人倶楽部始まりました。
もうこの琵琶樂人倶楽部も毎月開催して、37回目を迎えました。4年目ともなると、正にライフワークという感じになってきました。
昨日は毎年年明け恒例、薩摩琵琶三流派による聞き比べです。昨年の「敦盛」対決に続き、今年は「城山」を三者三様で演奏してきました。

携帯のカメラですので画像は悪いですが、今年も正派の石田克佳さんにきていただきました(中央)。石田さんは数少ない貴重な琵琶制作者であり、私の琵琶もほとんど彼の手による作品です。
こんな同じ曲で聞き比べをやるようなマニアックな企画は、琵琶樂人倶楽部だけだと思いますが、今回は本当にタイプの違う演奏で、私自身大変興味深く聞くことが出来ました。曲解釈や唄だけでなく、琵琶をどういう方向で鳴らしたいのか、という部分も夫々違い、歌詞だけが同じで、別の曲のように聞こえてきました。
琵琶といっても、色々なアプローチがあり、色々な解釈、弾き方もある。その多様性が文化を生んで行くのだと思います。一つの方向に全てが向かっていったら、社会でも政治でも、文化でもどんなものでも滅んでしまいます。
色々なものが集い、共生して様々な形や個性が存在する為には、そこに魅力が溢れるようになければ、その世界そのものが形成されません。価値観は一つじゃない。世界に色んな民族があり、宗教があり、歴史があるように、そこに携わる人に、自分とは違う、多様なものを受け入れる大きな器、そういうものが無ければ、どんどんとしぼんで行くだけでしょう。
今回は新春第一回目にふさわしく、嬉しい事もありました。

左は先日手に入れた平家琵琶の内袋です。
前から頼んでおいたのですが、昨日持ってきていただきました。
感謝!
こいつもずいぶんと喜んでいるように見えます。
人は皆、自分が見える所、自分が感じるところを頼りに生きているのだと思いますが、見えるだけに、見えていない部分を忘れがちです。「我見」などという言葉もありますが、何か一つの価値観に凝り固まり、その周りにある多様な魅力に目を閉ざしてしまったら、本体の姿も、溢れる魅力も、見ることも感じることも出来ません。自分の好みはそれぞれだと思いますが、あらゆる種が集ってこそ、豊饒といえるのです。ロックだろうが、琵琶樂だろうが、ひとつの価値観だけで演奏したり、聴いていては、その魅力の1割も輝かないでしょう。大きな魅力に溢れた音楽と出会う事は、人間の幸福です。それには一度、がんじがらめに凝り固まって洗脳された自分というものを捨てる事も大事なのだと思います。
現在、残念ながら琵琶楽や邦楽にはそういった大きな視野と器がどんどん失われてきているのではないでしょうか。「琵琶はこういうものだ、尺八はこうでなくてはいけない、判る奴だけが聞けばいい」などという姿勢では、新しい感覚を持った次世代を担う若者はどんどん離れてゆきます。もし次世代に邦楽が届かないのであれば、もうそれは邦楽の限界であり、そこまでのものでしかなかったという事です。
今、教える人、演奏する人が、次世代を向いているか?。ただ旧来の価値観の中で上手かどうかに執心しているだけではないのか・・・?。
ぜひ琵琶に携わる方々には、大きな器をもって接して、次世代の琵琶楽を創造して行くような人材を育てていただきたいものです。