photo MORI Osam
今日はちょっと花冷えの一日でしたが、4月に入り、外にはぐっと春の匂いが満ちてきました。心情的にも、皆少し落ち着いて、心機一転というところではないでしょうか。
先週よりすでに、桃・杏・ハクモクレンなど春の花は元気いっぱいに咲いてきていて、我が家の程近く、善福寺緑地にはもう桜の花がかなり咲いていました。
桜は、季節からの問いかけに答えるように、季節と響き合いながら、その最も美しい姿をほんの少しだけ披露します。正に季節と共鳴するように・・・。
このピンクの花は「陽光」という品種の桜で、もう満開に咲いていました。
震災直後は、本当に色々な事を考えさせられました。皆さんもきっと同じだった事と思います。大切な人を想い、自分に出来る事、やるべき事をあらためて自覚して、色々なものをちゃんと見極める目の大切さを感じ・・・・。等など色々と考え巡らせましたが、どんな形でも深い繫がりを持って、共に生きている仲間達は何よりも変えがたいものだ、と思わずにはいられませんでした。
被災地はまだまだ大変な状況だと思います。復興には5年10年とかかるでしょう。本当の支援はこれから。物もお金ももちろんですが、何よりも心が豊かになることこそ一番の希望の源だと思います。私は確かに無力ですが、私の演奏に興味を持ってくれる仲間も東北にはいます。その為にも私自身が希望に溢れていなければいけません。そんな方々にこれから最高の琵琶の音を届けたいです。
花が季節と響きあうように、人と人も響き合い、豊かな時間が生まれていきます。人夫々が響きを発して、最高のパートナーを探し出しているのかも知れませんね。
弁財天は古の昔から、サラスバティーとして、琵琶・ビーナを奏で、人々と響き合い、多くの共鳴・信仰を集めてきました。日本に渡ってきてからも、未だ我々はその音色と響き合い、導かれているのかもしれません。
響きあう魂が、更なる響きを奏で、
多くの仲間を繋げ、妙なる響きとなってゆくように、私の琵琶の音も、聞いている人と響き合い、大きく深いつながりが出来ると嬉しいです。
希望に溢れた春を迎え、妙なる響きが世に満ちて、深く愛が育まれますように。
photo MORI Osamu
外はもうすっかり春の日差しになり、今週末には桜も大分咲くようです。
すでに、桃や杏、ハクモクレンなど春の花はその煌きを謳歌し始めています。
photo MORI Osamu
被災地は、まだまだ復興には程遠いのだと思いますが、この春の陽が希望の光となって注がれる事を願って止みません。
私はお陰様で心身ともに回復しました。まだ万全ではありませんが、もう普段どおりに戻りつつあります。
こういう時期には色々なことを考えざるを得ません。まして今回は体調の不良もあり、多くの事を思う時間となりました。
仲達がいかに大事な存在であるか、自分がどんな人間であるか、音楽の無力とそして大いなる魅力。自分の進むべき道と理由etc.数多くのことが頭に浮かんでくるのですが、一番思った事は、色々なものを受け入れる器の大きさということでした。
この国難ともいうべき時にあっては、有無を言わせないくらいの指導力が求められるでしょう。政治家には特に今、そうあって欲しいですね。
しかし、我々のような一個人が、いつも主義主張を振りかざしているだけでは何も成就しません。もっと強いもの、大きいものにあっさりとやられてしまう。どんな事態が起こっても、どんな意見・批判に晒されても、それらを受け入れ、常によき方向に、しなやかに変化して行ける心の柔軟さと強さがないと、事は前には進まないのだと思います。

人はほんの少し勉強したり経験を積んだりすると、そこから見えるものを自分の意見だと思ってしまう。目の前の情報に直ぐ踊らされるのもまたしかり。しかし人間一人が持ち合わせている情報や経験などたかが知れている。下手な知識や経験、もっと言えば立場や肩書きなどを持っているが為に、他の意見も聞こえず、見えるものも見えなくなってしまう。
しっかりとした意見を持って生きる事はとても大事なこと。そして色々な情報を、その時々で纏め上げてゆく知性もまた必要ですが、同時に常に心を純粋な状態にして、他を受け入れて、自らが変化してゆく事を恐れてはいけないと思います。いくら自分が努力して積み上げたものであっても、時代と共に変化してゆくのは当然なのです。自分を認めてくれる世界だけに住み、自分と同じ意見の者だけを相手にしていたら、いつしか孤立してしまう。

私は今回の震災を目の当りにして、この風土に生まれ育った日本人の「核」を感じました。海外からも日本人の質を賞賛する声が上がりましたが、その「核」は形を伴ったものでないし、むしろ形はなどなく、あったとしても常に変化して行くと思います。そして脈々と確実に受け継がれてゆくものだと思いました。
琵琶は古い形を伝える楽器です。確かに日本のある種のアイデンティティーを表現する音楽が、古い昔に出来上がりました。しかし形式や過去の作品に固執していたのでは、その「核」もぼやけてしまいます。伝えるべきはそんなものでは無い。私がやるべきものは、その「核」なのです。
古い形のものを背負っていても、中身は「核」を中心として、常に変化してゆくようでありたい。そしてそれが日本人全体で共有できるものでありたい。一過性の流行ではなく、長きに渡って共感を得てゆくものでありたい。
さ、これからまた琵琶を抱えて飛び出してゆきます。春はもう直ぐなのです。

ちょっとご無沙汰してしまいました。

photo MORI Osamu
世の中騒然としていますが、無力なる私は、情けない事にここ4,5日ずっと臥せっておりまして、未だほとんど布団の中におります。
今年の春は体全体の調子が今一つで、酷い花粉症位に思っていたのですが、日を追うごとに鼻水はもちろん、咳は出るわ、頭痛はするわ、体温調節が効かず、熱くなったり寒くなったりするわ、口内炎は出来るわ、挙句の果ては、寝たきりになっていたせいか、腰まで軽いぎっくり腰じょうたいになり、血痰を吐くにいたって・・・・。
もう体のあらゆる部分が悲鳴を上げていて、寝返りをうつ事もままならないという状態でした。それでも昨日は数時間は布団を出て動いてみたのですが、まだまだ良くなりそうにありません。
琵琶を生業として生活しだして、十数年、多少の体調の変化はありましたが、寝込むような事は一度も無かったので、今回は参りました。
TVを見ると震災の悲惨なニュースが続き、何も出来ない無力な自分を思い、私もちょっとしたPTSDになっていたのかもしれません。
地震関連のニュースを見ては涙が止まらず、ミクシイなどを覗いても、早々に関西に帰った知人が、毎日のように「あれ食べた」「こんな人と会った」とハッピーな事を書いているのを見ると、正直いい気はしません。まあ、こういう時こそ明るい話題を提供しようとしているのは判るのですが・・・。
こういう自分が弱った状態というのを、あまり経験していないので、ちょっとまごついているのかもしれません。朝起きても、ろくに食べるものも無いような行き当たりばったりの生活をしていたツケが、こんな国難と言われる非常時に回ってきたのでしょう。
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という訳で、暫く更新が滞ると思いますが、今月中には心身ともに復活します。やるべき事はいっぱいあるのです。
暫しお待ちを。
震災から6日が経ちました。やはり自分が何をすべきか、何が出来るのか、まだまだ落ち着くという所までには至っていませんが、先日紹介した友人の日記等に元気付けられて、昨日は定例の琵琶樂人倶楽部をやってきました。昨日はその友人や音楽仲間も来てくれて、皆の顔を見て、大いに気持ちが晴れました。

最初、琵琶の演奏に何の力があるのだろうか、と思いました。そしてこの事態に音楽の演奏会はどうかとも思いましたが、関西の知人から西宮市議の今村さんという方のブログを紹介されまして、それを読んで、やはり私は私の仕事をしよう、とあらためて思いました。
先の関西の震災の時に、浅はかな思いや、中途半端な行動がどれだけ復興の妨げになり、混乱をきたしたか・・・。今、この事態に際し、自分の想いがただ自分の中だけで考えていた事、本当に復興に向けてすべき事を判っていないという事を思い知りました。
私はこれからも今まで通り音楽を演奏して行きます。それが私の仕事だと良く判りました。エンタテイメントの音楽では無いので、応援ソングなど被災者の方を勇気つけるような音楽ではありません。そういう意味では琵琶など全くの無力です。しかし祈りを持って演奏する事は出来ます。それをやるのが私の仕事なのです。

昨日の琵琶樂人倶楽部は楽琵琶の特集でした。「春陽」「揚真操」「越天楽」「啄木」を演奏し、最後は相方の古澤さんが平家琵琶で「竹生嶋」を弾き語りました。
平家物語は、室町時代には祈りを持って弾き語ったと言われていますし、今こそ、祈りをこめて琵琶を弾く事は自分に与えられた使命のように感じます。
今月はもう演奏の機会はないのですが、これからもずっと琵琶を弾いていこうと思います。
![benzaiten21[1]](https://biwa-shiotaka.com/wp-content/uploads/2011/03/3be73ac6-s.jpg)
祈りを込めて
地震の衝撃はじわじわと湧いてくる。今正にそんな気分です。やっと我に帰り、現実が見えてきたということでしょうか。
東京でも地震の影響は色々な所に出ていますが、一番はやはり「人心」でしょうか。ネット上の流言蜚語に惑わされて、自分がパニックになっているということが判断できないで、自分は冷静にしていると思い込んでいる、そんな状態の人が溢れています。
私自身も心が落ち着かないで居たのですが、大切な友人が良い日記を書いてくれて、少し楽になりました。
「人間は楽しくていいのです。大変な時だからこそ、大切なものをそばに置くといいです。暖かくして、普段より明るい色柄のものを着ましょう。自分だけでなく、周りの人も気分良くなったら、いいなと思います。
出かけるときは充分な食べ物と水を用意して行きましょう。先ずは自分を維持できることが大切。節約生活でも栄養と清潔の充実を心がける。病気になるわけにはいかん。気持ちも大切に。普段と違う感覚がしたら、知り合いと話しをすること」
自分の無力を思い知るばかりですが、目の前の事、緊急にやるべき事はいっぱいあります。必要な事はどんどんやるべきです。しかし先ずは自分達が冷静であらねばいけない。一つの方向、一つの価値観しか見えなくなっては、パニックを増長するようなものです。
photo MORI Osamu
何が大切か、何を大事にし、何をなすすべきか。正に問われている。今、確かに問われている。
そんな状況の中で私がやるべき事は、やはり良い音楽を絶やさない事。それしかない。目の前を癒す音楽も必要。でもそれだけでは本当に良くはならない。私達が私達である、その根幹を分かち合うような音楽が、今こそ必要だと思います。