春陽

この所寒暖の差が激しいですね。私はちょっと体調が今一つでしたが、やっと元に戻りました。

           北海道4photo MORI Osamu

春の陽差しは待ちどうしいのですが、同時に花粉も運んでくるのでなかなか厳しいものがあります。という訳で、春はお仕事をほとんど入れていないのです。毎日家の中で毎月の講座のレジュメ書きと曲作りにいそしんでいます。書くにあたっては調べものも結構ありますし、これでもなかなか忙しいのです!!

それでも、この間はばっちりとマスクをしてお散歩に行ってきました。外には、まだ梅が結構咲いていて、他にまんさくやろうばいなどもいい感じでした。

椿1椿はまだちょっと早いですが、蕾を見るのは気持ち良いですね。まさにこれから陽に向かって咲き出す時というのは、自分自身の心を見ているようで、いとおしくなります。

photo Mori Osamu

そしてこの時期は、春を想い、柔らかな心で花を愛でる自分と、時代を切り裂いて前進しようとする二つの自分を良く感じます。
先日、私を良く知る知り合いの方から、1stCD「Orientaleyes」は「とても厳しい音楽だね」と感想を頂きました。もう10年も前のCDですが、確かにあの頃は前進する事しか考えていませんでした。
当時、私は鶴田流のT先生の所に初めてお稽古に行ったその日に「ノヴェンバーステップスが霞むような曲を私が書きます。少し待っていてください」と最初から高慢にも言い放ち、数年後に出したのが「orientaleyes」だったのです。だから第一曲目は武満さんの「Eclipse」に対抗して、尺八と琵琶のための「まろばし」という曲をもって来ました。私の精一杯の意思表示だったのです。若いですね。まあ微笑ましいですが・・・。


イルホムまろばし4

ウズベキスタンの首都タシュケントにあるイルホム劇場にて
アルチョム・キム率いるオムニバスアンサンブルと「まろばし」演奏中。
上:本番、下左:本番、下右:リハーサル


以後、この曲は私の代表作となり、一昨年シルクロードツアーでも演奏しました。今はヨーロッパで活躍している作曲家アルチョム・キムさんにアレンジをしてもらって、彼の率いる「オムニバスアンサンブル」と共演させてもらいました。尺八パートは「ネイ」という楽器に差し替えてもらって、現地のトッププロが演奏しています。この曲は今でも必ず毎回演奏しています。

                   北海道1                      photo Mori Osamamu
あの頃の写真を見ると厳しい顔してます。ちょうどこんな感じ。

邦楽雑誌の編集長にも「あの頃のお前の目は異常に鋭かった」と言われました。私は琵琶奏者としては初めてジャズのレーベルからリリースした事もあって、当時掲載されたジャズ雑誌を見せてまわって「どんなもんだい」と言わんばかりの小僧ぶりでした。

この頃からすでに私のCDは全曲私の作曲作品なんですが、今聞いてみると未熟さも懐かしさも含めてなんとも言えず微笑ましいです。青春時代というには遅すぎですが、私の中の最後の青春時代だったのかもしれません。

年を経て、花を愛でる余裕も少し出てきましたが、まだまだ私にはやりたいことがいっぱいあります。これからも春の陽差しが我が身に降り注ぐ事を願って、今日もまた譜面に向かいます。

受け継ぐということⅡ

日々思っていることではあるのですが、「受け継ぐ」とは何かについて、先日琵琶史に詳しいK先生と話しをする機会がありました。

鶴田錦史2

こちらご存知、鶴田錦史先生。正に現代琵琶界のカリスマ。亡くなってもう10年以上経ちますが、今でもその影響力は衰える事を知らないですね。
私は会った事はないですが、常に色々な人から話を聞かされます。聞いているだけでもその強烈な人生が浮かび上がって来ます。

水藤錦穣4鶴田先生は、こちらの水藤錦穣先生の弟子。鶴田先生がカリスマなら、水藤先生はパイオニアというところでしょうか。
水藤先生は五弦五柱の錦琵琶を開発し、新しい琵琶楽を作り上げました。琵琶楽の可能性を大きく広げただけでなく、驚異的な演奏技術を世に示し、演奏技術の底上げをしたのです。今の私の演奏スタイルも水藤先生がいたお陰。ギターでいえばヴァンへイレンのような人。私は水藤先生が出てから、あの技術が一つの基準になったと思っています。

とにかく二人とも、前代未聞の全く違うスタイルを作り上げたのです。

この二人にはもちろんお弟子さん達がいた訳ですが、その弟子達は、誰も先生とタイプの同じ人がいないのです。K先生曰く、カリスマやパイオニアは自分と同じような人を近づけないし、周りにいたら排除する。飛びぬけた存在は一人でいい、と言っていました。確かに水藤先生と鶴田先生は袂を分かっています。鶴田先生の直弟子の方々も皆、穏やかで優しい人が多い。だから演奏スタイルも、強烈なまでの豪快さが特徴の鶴田先生に対し、弟子達は皆さんそろって端正な、品の良いスタイルの方々が多いのです。

そして水藤・鶴田の前にはもちろん永田錦心という巨星がいました。

             永田錦心

前のブログでも少し書きましたが、この方ほど明治という新しい時代の最先端を走り抜けた人はいません。
薩摩琵琶は何よりその「薩摩ぶり」こそが命でした。同じ楽器を使いながら、永田先生にはその「薩摩ぶり」が無い。薩摩人からすれば、よそ者に魂を横取りされたという事でしょう。これは許しがたいものだったようで、かなりの批判を浴びたらしいです。永田先生は命の危険も感じた、というのですら穏やかじゃないですね。
私は永田先生を高く評価しているけれど、その音楽は従来の薩摩琵琶とは全く質が違う、独自の感性とスタイルだと思うので、「薩摩琵琶」ではなく「錦心流琵琶」と呼んでいます。永田錦心先生についてはいくら語ってもキリが無いですが、とにかくこの人が居なかったら鶴田・水藤両先生は居なかったでしょうし、薩摩琵琶楽自体が今受け継がれていなかったでしょうね。
まあとにかく明治に錦心流琵琶が出来て以降100年程の間に、琵琶の世界を強烈に牽引した巨星が3人もいたという事は驚異的です。

こうして琵琶も時代もどんどん変わって行ったのですが、ある時から停滞してしまいました。以前知人に、「琵琶の演奏会に行ってみたら、延々と意味不明の言葉でうなり声を聞かされて、ろくに琵琶を弾かず、頭にきた」といわれましたが、やっぱり現代人は琵琶がどういうものか判らないのだから、琵琶演奏会の看板出すのなら、琵琶を弾かなくちゃいけません。歌の会じゃないんだから・・。琵琶唄だって時代によって聞かせ方というものがあるでしょ。「ギター演奏会」と銘打ったら、ギターの演奏を聴かせるわけで、弾き語りという事は有りえないのと同じように、弾き語りの形でやるのだったら、「琵琶語りの会」とすべきだと思います。現代の人は琵琶の音色を聞きたいのだから!やる方の常識で考えてはいつまで経ってもリスナーとの溝は埋まりません!!。

今我々が受け継ぐべきは何か。琵琶の世界は一つの大きな分岐点に来ていると思います。
私は、先人の遺したものをしっかり勉強も参考もさせていただきますが、永田・水藤・鶴田の各先生と同じように、曲も楽器も技も自分で作る。それが私のやり方。受け継ぐのは技でも型でもない。3つの大きな星の精神=志こそ受け継ぐべきものだと思っています。

             演奏会9
   

   

無心ということ

最近、無心の人を見ました。ただ作品に向かう純粋な気持ちだけで、それ以上を望んでいない。周りの人が色々な所へ作品を紹介してくれているだけ。野心というものが全くない。そんな美術系の作家がいたのです。その作品は内包された力強さを持っていて、何処までも純粋で、本当に素晴らしいものでした。もちろん経済的な心配が無い事もあるでしょうが、純粋に生きるその姿を見て、とても羨ましく思い、そして自らの姿をあらためて省みてしまいました。
       
            ryouanji-2
音楽でも美術でも、自分以外の人に向けて作品を発表する我々は、完全な「無心」という境地にはなかなかなれないものです。どこかに自己顕示欲があり、それを持たない限り発表は出来ないし、ましてそれで収入を得て生活してゆく事は不可能です。
私は何時しか自己顕示欲に駆られている自分を強く感じます。上手にやろう、ハイレベルでやろう・・・等々切がない。それは舞台に対しての一生懸命さではありますが、同時におごりと自己顕示欲の表れでもあります。

紅梅6s心を落ち着けて、欲を無くし音楽そのものになって創作・演奏する事と、音楽家として自分を売り込み、活動を展開してゆく事。この相反する二つが同居し、且つそのバランスを取れた人間だけが、音楽家となってゆくと思います。

photo MORI Osamu

私は音楽を始めた時から、特に琵琶を手にした時からずっと「無心」ということに強い憧れがあります。逆に作為的なものに対する嫌悪感もあります。そのせいか、練習という事は一切しません。ギタリスト時代からずっと楽器の練習というのをほとんどしたことがないのです。声だけは全く歌えなくなるので時々ウォーミングアップをするのですが、作編曲したり、本を読んだり、レジュメを書いたりして、いわゆる勉強はおこたらないようにしているだけ。ただ自分の考える理想の音を想いながら、楽器の調整だけ常にやっています。「どんな音楽をやるべきか、その理想の形はなにか、何故それをやるのか」、私にはそういう方が大事であって、その考えに基づいて作曲をし、活動方針を決めてゆくのみです。

だから練習の成果を披露するような演奏、その曲を演奏することで、自分の階級を示すような音楽に接するとあまり気持ちが良くないですね。
先日もNHKの邦楽番組で、とある大先生のとんでもない(ある意味さもありなん)演奏を聴きましたが、とても最後まで聞いていられませんでした。何を考えて演奏しているのか全く判らない。しかも酷い音痴でものすごく不快でした。
邦楽界には、いつまでたっても古典という権威がはびこり、それに寄りかかり、名前を欲し、大先生に摺りより、自分を「こんなに私は凄いんです」と誇示している輩があまりにも多い。異常ですらあると思います。それだけ音楽として勢いがなくなってしまっているという事でしょう。

私にもそういう部分が多分にあると思います。自分のそういう部分を刺激しないためにも、常にそんな世界から距離をおいているのです。
道元禅師は「学道の者すべからく貧なるべし」と言いました。自分の中のあらゆる欲を刺激しないためにも常に貧であれ。そして修行に励め、という事です。私はそこまでストイックにはなれませんが、常に道元の言葉はそばに置いて自らを戒めています。

            めじろと梅s

梅やめじろは心に一物も持っていない。ただ自己の存在を素直に謳歌しているだけ。
音楽に向かう純粋さと自己を売り出そうとする我欲。この二つを背負う事は、一つの運命、そして使命なのかもしれません。経正ではないですが、それらを受け入れてこその人生かもしれません。

ただ、嬉しいのは、年々気持ちが豊かになるように感じる事ですね。

仲間達

昨日は毎月定例の琵琶樂人倶楽部でした。もう38回目を迎え、すっかりライフワークとして、ゆるりとやってます。毎月色々な方が集ってきてくれるというのはほんと嬉しいです。

          2011-2-9-3
第一回目からずっと来てくれてい方も居れば、昨年辺りから常連さんになった方も居て、なかなか面白いです。

2011-2-9-5こちらは最近琵琶のお稽古を始めたHさんとお友達。二人とも楽琵琶がお気に入りのようです。

何故だか、薩摩琵琶にピンと来る人と、楽琵琶にやられてしまう人が分かれるんです。面白いですね。
私はどちらの世界も好きなのですが、聞いている人に言わせると、楽琵琶と弾く時と薩摩琵琶を弾く時では、「別人のよう」だそうです。確かに、琵琶人で両方弾く人はほとんど居ないし、その中でも両方の琵琶で創作活動する人は他には誰も居ないのですが、もしかして私は二重人格??

とにもかくにも琵琶には深いご縁を感じております。

okasannさて、こちらは私と同世代の、音響関係の仲間達。皆さんとにかく気さくで、音楽に造詣が深い。時々集まってはわいわいやってます。

こういう仲間と居る時は自然とおしゃべりになります。

okasann2
今日集まったお店は日本橋の「しろくまや」。立ち飲みなんですが、出てくる料理はちょっとした小料理屋より上を行ってます。
そして値段が驚く程安い。何故この値段で、このクオリティーでやっていけるのか理解が出来ません。上の写真の左手前に鎮座している「岡ちゃん」が色々と開拓して、我々を誘ってくれるのです。

色々な仲間が居て自分が居る。そんな状態がとっても嬉しいです。先生、先輩、後輩、友達・・色々と居ますが、そんな仲間達に囲まれているのが幸せですね。
私はもしかするとどこか孤独感を持っているのかもしれません。だから仲間達を求め、仲間に囲まれている時が楽しいのかもしれません。でもどんな状態であれ仲間達はありがたいのです。近頃はソウルメイトのように感じる人もちらほらと・・・・。

人は財産というけれど、仲間こそは財産ですね!!

    

受け継ぐということ

今日は、私が講師をやっている某短大の期末試験でした。この学校は一昨年出来たばかりの若い学校で、この2月に初めての卒業生を出すのです。私は1年生の担当なので、今のクラスはまだ卒業では無いですが、昨年教えた人はもうまもなく卒業を迎えます。
私にとって、学校や教室で教えるという事はここ数年で始めたばかりなのですが、教える事は学ぶということでもあると感じることが多くなりました。
この学校はとにかく和気あいあいで、生徒達も毎年いい感じの子達が集まります。

先月の「まろばし」公演で大活躍した有明ガールズのお二人も今日が期末テスト。無事高得点で終了しました。

            有明ガールズ3

この学校は日本文化にかなり力を入れていて、講師陣も芸大に負けないくらいの豪華さです。教授に花柳寿南海先生、杵屋勝国先生。講師には善養寺惠介先生、福原徹先生など、古典曲から創作舞台までバリバリにやっているそうそうたるメンバーが揃っていて、生徒達も、三味線や尺八笛、筝など和楽器をどれかちゃんと習得するのが義務付けられているという素晴らしい学校です。
こういう学校に私が呼ばれるというのも、ありがたいこと。また学部長の茂手木潔子先生には色々な音楽の資料も見せていただいたり、アドバイスを頂いたり、本当に多方面でお世話になりっぱなしなのです。若い世代と接していると、この子達に何を伝えられたのかな?といつも思います。

私は琵琶という古典楽器を弾いているけれど、特定の流派や組織に属することなく、流派の曲ややり方は受け継いでいません。でも多くの先生、先輩から頂いた教えや、琵琶の持つその精神性はしっかりと受け止めて、今私の中に大きく大きく息づいています。

            永田錦心
上の写真は錦心流を作った永田錦心先生です。永田先生も錦琵琶の水藤・鶴田両先生も皆、土台となる古典スタイルはしっかり勉強したけれど、自分の形を作り上げ、オリジナルで勝負していった。永田先生は20代でスタイルを打ち出し、錦心流を作り、43才で亡くなっている。つまり若い内から勝負に出て、それを以後の琵琶樂のスタンダードにしてしまったのです。

宮城道雄、沢井忠夫などなど世に語り継がれている音楽家は皆、独自のスタイルを作り上げて、トップを切って最先端の邦楽をやり、それを認めさせてきた。
邦楽界では何流、何派ということがやたらと門題になって、音楽よりもそちらの方が大事とばかりに、むきになって、権威や有名な先生の名前に寄りかかって生きている人があまりに多いように思います。邦楽の歴史を作った先人達の志をもう一度想い出して欲しい、と思うのは私だけでしょうか。

先生を目標にしてはいけない。自分は自分なのです。目指すのは先生ではなく、先生が目指した世界であり、そこを自分のやり方で目指すのが精進でしょ!!

私の生徒達にはせめて自由な精神をぜひ受け継いで欲しいものです。

若者の未来に乾杯!!

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