夜明け前

世の中は激動とも言える程に安定しませんね。私のような浮世離れしている人間にも、その波騒が伝わってくるという事は、いよいよ何かが始まるのかと思えて仕方がありません。

最近は演奏会が少ない分レッスンをよくやっています。私は教室の看板は今でも掲げていないし、教える事は積極的にやっていなかったのですが、コロナ自粛の3年間で、どういう訳か琵琶を習ってみたいという人が次々に集まって来ました。とはいえ私は流派の曲を演奏している訳ではないので、私のスタイルが良いという人にしか対応できません。また手取り足取り教える訳ではなく、自分でやるべきものを見つけて勉強して来いという方なので、一般の邦楽教室とは随分と感じが違うと思います。生徒は20代30代の若者が多く、正に今活動を開始しようとしている人もいますので、時々自分の若い頃の経験など話をするのですが、説教おやじにならないように気を付けてます。

y30-3s30代後半の頃
私が東京に出てきたのは80年代で、まだネットもスマホも何も無い時代ですので、世の中に何が起こっているのか全く分からず、また他の事に目を向ける余裕もなく、自分の事でいっぱいいっぱいでした。故に情報も今のように入ってこなかったので、振り回される事もなかったです。あれから紆余曲折を経て、よくぞまあこれ迄琵琶を生業にして生きて来たな、としみじみ思います。今更ながら縁というものの深さや、導かれるが如き運命というものを感じずにはいられません。

私と同世代には天才が沢山居て、ピアニストの小曽根真さんやギタリストの山下和仁さんなどもう世界の頂点に行くような人が80年代から活躍していました。私とは大違いです。比べてもしょうがないのですが、その頃は「やはり音楽は天才がやるべきなんだな」なんてへこんでました。当時就いていたギターの師匠 潮先郁男先生は、そんな私を見て「自分が好きなものより、自分らしい、自分に合ったものをやりなさい」とよくアドヴァイスをしてくれましたが、その後作曲家の石井紘美先生が私に琵琶を勧めてくれて、やっと憧れではなく自分が本来持っているものが何であるかに気付くことが出来、自分の方向を見つけられたのは本当に良かったと思います。潮先先生や石井先生には感謝と共に、深い縁を感じずにはいられません。
何をするにも人より何倍も時間がかかり、何か発想が浮んでもそれを具体化するのに更にまた延々と時間がかかる。その上何度も失敗をしないと出来上がらないという天才達の真逆を行く性質ですが、これが私に与えられた人生であり、これで良かったのだと、今では思っています。

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左:パフォーマー中村明日香さんと 

右:メゾソプラノの保多由子さんと photo 新藤義久


現在は次のアルバムの曲創りとレコーディングが大きな目標で、只今新曲の作曲を進めているのですが、大分形が見えて来ました。今回は声を使った作品「Voices」、琵琶独奏曲「東風(あゆのかぜ)」他の収録を予定していますが、その他にも声を伴った曲が出来ないか模索中です。
弾き語りに関しては、作詞を森田亨先生にお願いして色々とやって来ましたが、まだまだスタイルとしてはモダンな琵琶歌という所に留まっていて、まだ新たな琵琶語りのスタイルは創れていません。私は器楽がまず先ですので、この部分は次の世代に託しても良いかとも思っています。今生徒で独自の弾き語り曲を創ってライブを重ねている若者もいます。まだまだこれからという感じではありますが、琵琶と声の新たな世界を築いてい行って欲しいですね。

上の写真は左がパフォーマーの中村明日香さんと宮沢賢治の「龍と詩人」をやった時のもの。右は「Voices」を歌ってくれているメゾソプラノの保多由子さんとの共演時のもの。まだまだ声と琵琶においては実験段階ではあるのですが、今後は声の専門家と組んで行く事は多くなると思います。作品もこうした専門家とのデュオやトリオのものを創って行きたいと思っています。
とにかく父権的パワー主義みたいな大声でコブシを回すスタイルを乗り越えて、軍国時代の歌詞や多分に男尊女卑的な内容も刷新して、これからを生きる人達に共感を持って受け継がれて行くものを創りたいですね。

琵琶の現代邦楽作品は相変わらず極端に少なく、今よりかえって武満さんの時代の方が、邦楽器の特質を捉えていたように感じます。少なくとも現在、日本人の生活の中に邦楽自体がありませんし、邦楽を作曲できる作曲家もほとんど居ません。皆洋楽の勉強を最初からやっていて、洋楽しか勉強しておらず邦楽を全く知らない人が作曲家と言って活動しているので、洋楽を邦楽器でやるという所で止まっているように思います。邦楽は彼らにとってアイデアやバリエーションというのが正直な所ではないでしょうか。現在の日本の音大出の作曲家には「日本音楽」は創ろうと思っても創れないとも言っても過言ではないと思います。創るのは洋楽ではなくあくまで邦楽、最先端の日本音楽を創って欲しいですね。そこに洋楽器を入れて次世代の邦楽を創る、そんな人が出て来ないですかね。せめて私は微力ながらあくまで邦楽の土台をもって作品を書き、その上で洋楽器とも共演するという事をもっとやって行きたいです。日本音楽の最先端に居たいのです。
まだまだ日本音楽の夜明けは遠い気がしています。

私自身も色んな作品を創っていますが、新たな琵琶樂として宣言できる作品というと、初期作品では「まろばし~能管(尺八)と琵琶の為の」「風の宴~琵琶独奏の為の」の二曲がその代表です。上に張り付けたものは、「まろばし」をヴァイオリンでやったものです。リズム・メロディー・ハーモニーという洋楽の基本となる三要素が全く無く、あくまで邦楽のセンスで全体が創られた曲を、洋楽器でやってもらうのは、とても面白いのです。どんな楽器を持ってこようがどこまで行っても邦楽という訳です。ヴァイオリンは勿論いつもの田澤明子先生ですが、彼女はとにかく柔軟なセンスと技術を持っているので、洋楽ではない現代の邦楽にすんなりと入ってきてくれます。
最近の作品で代表作と言えるのは、上記の「Voices」、8thアルバムに収録した「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」、その別ヴァージョンである尺八二重奏による「二つの月」でしょうか。これらはネット配信でもとても人気が高いです(Voices」は未だ未配信)。

その他、デュオを中心に色んな作品を作曲しているので、琵琶の可能性は誰よりも広げていると自負していますが、琵琶樂の次の時代を提示するような作品は今後もっともっと創って発表して行きたいと思っています。洋楽ではなく、あくまで日本音楽の最先端でありたいのです。

水藤錦穣5私が弾いている錦琵琶を開発した水藤錦穰師
先日のSPレコードコンサートで聴いた先人たちの演奏は、皆驚く程レベルが高かったです。それは演奏する側も聴衆もその音楽を望んでいたし、それが時代の感性のど真ん中であったからです。これはかつてのジャズもロックも同じ事で、演奏者と聴衆がお互いに求めたからこそ次代の音楽になったので離、またその片方が求めなくなると衰退して行くのです。私はジャズを自分でやってみて、それが身に染みて良く解りました。もう私がやり始めた頃には、ジャズは一部のマニアのものになりはじめて行ったのです。琵琶は既にマニアさえも居なくなり、ただ珍しいものとして聴かれているのではないでしょうか。演奏する側は、高い志と日本音楽への深い考察・哲学を持っていないと、ただお稽古事の成果を聴かせているだけになってしまいます。

現代は色々なものが「自由」になってきました。良い面は多々ありますが、自由になればなる程そこに軸となるものがないと、人間は目の前の快楽と欲望にどんどん溺れて行きます。今はそれ故に邦楽に携わる人の姿が顕わになってきているとも言えます。つまりその人の志とレベルが問われているという事です。
音楽は創り出してこそ音楽たり得るのであって、過去をなぞったり、お上手を売り物にしたり、単なるアイデアを盛ったところで魅力ある音楽には成りません。

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photo 新藤義久


自国の文化に誇りを持ち、矜持を持って生きる事は何も右翼でも何でもなく、世界中どの国に行ってもまともな人間だったら、現状がどうあれ皆自国の文化に大いなる誇りを持っているでしょう。今の日本人はそこが完全に欠落している。自分達で次の時代の日本の音楽文化を創り出す。そして日本から世界に向けて日本音楽の最先端を発信して行く、そんなパワーが今、邦楽に日本人に求められている。上手さや受賞歴を自慢している場合ではないのです。私にはそう思えてなりません。私はただただ魅力ある琵琶の音色と、現在進行形の琵琶樂の最先端を聴いてもらいたいのです。
次代の日本音楽の夜明けをぜひ迎えたいですね。

詩と音楽Ⅱ

先日FMで三善晃作曲の「レクイエム」を聴きました。

この動画は放送で聴いたものとは違う演奏なのですが、なかなか凄いですよ。是非聴いてみてください。
私が最初に三善作品を聴いたのはもうかなり前で、その時は現代音楽特有の強烈な印象しか覚えていないのですが、正直な所、当時の感想としては三善作品はやはり洋楽の範疇だなという印象だったのです。やはり武満徹や黛敏郎のような日本独自の音色や哲学が明確に聴いて取れるものの方がピンときました。三善作品は聴けるものはとりあえず色々と聴きましたが、勿論凄いレベルだと思ったものの、当時まだ突っ走っていた私には、三善作品の深遠は聴こえて来ませんでした。

それが今から10年ほど前に三善作品の歌曲の譜面を見たことで、ちょっとした発見がありました。正直ちょっとびっくりしました。それは日本語の扱い方についてなのです。三善晃は日本語を洋楽の中で扱う事に関して、随分と努力したじゃないかと思います。
この「レクイエム」は、聴いていてもほとんど歌詞は聴き取れません。上記動画を見て頂ければ良く解りますが、字幕が無ければ全く理解出来ないのです。以前はこういうものに対し懐疑的でしたが、同時にこういうのもありなんだ、とも思っていました。私が三善作品で聴いたポイントは、この日本語を扱う部分です。
多分パリに留学して自分の身を海外に置いて、日本的なるものへの想いや自分の中に在る「日本」を見出し、想いが湧きがっていたのでしょう。森有正もパリにいたからこそ、あれだけの言葉を紡ぎ出せたのだと私は思っています。是非三善晃には洋楽を越えて、日本音楽そのものにも取り組んで欲しかったですね。時代という事もあったと思いますが、そこがとても残念です。

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横浜能楽堂第二舞台「Voices」リハ中 保多由子(Ms)久保順(Fl)さんと


昨年作曲したメゾソプラノ・能管・琵琶による「Voices」は、この「レクイエム」や細川俊夫作曲の「恋歌」等の作品を若き日に聴いた記憶がベースにありました。言葉をメロディーに乗せて意味を表現するのではなく、言葉を音声にまで分解する事で、意味ではなくエネルギーを伝えたいと思ったのです。「Voices」ではラストに行くに連れ、言葉が言葉としてだんだん聴こえてくるようになっているので、この「レクイエム」のように字幕がないと何もわからないという事はないのですが、こういうスタイルで歌詞を扱うその発想の源はこの辺りにあるのです。

今Jポップなども、抒情ばかりを歌い上げる昔の歌謡曲と違って、リズムやメロディーに無理やりのように歌詞を乗せていて歌詞が聴き取れないようなものも結構ありますが、私はそれゆえに現代のサウンドや勢いが感じられると思っています。言葉に対する感性の変化なども含め、とても面白いです。歌謡曲では70年代後半辺りからそんな歌詞の扱いが始まったのではないかとも思いますが、現在ショウビジネスの音楽シーンでは歌詞が最初ではなく、曲の方が出来上がっていて、そこに歌詞を当てはめるという作業が一般的になっています。私の所にはその作詞の仕事をしている者、作曲の仕事をしている者の両方が来ていますが、話を聞いているだけでも現代のショウビジネス音楽の姿が見えて来て面白いです。
考えてみれば、70年代のロックやブルースは意味も解らなく、何だか格好良いというだけで聴いていた訳で、歌詞の内容よりも、そこにあるエネルギーを聴かせることの方が大事なんだと、改めて思いました。

歌詞の意味を伝えようとコブシを回したり大声張り上げても、なかなか伝わるものではありません。上手に歌っても、せいぜい関心はされても感動や共感は生まれないのです。先日のSPコンサートではビリー・ホリデイの「Don’t Explain」をで久しぶりに聴きましたが、上手いも下手も関係なく、彼女の歌そのものが聴こえて来ました。英語もろくに判らないのに、あの歌声が私を惹きつけてやまないのです。ちなみにこの曲はビリー自身が書いた詞だそうです。

大体歌詞の内容の上っ面が判ったところでその奥底にあるものはそう簡単には聴こえて来ません。言葉に意味があると思っている時点で、もう大きな勘違い。言葉の裏側にある「想い」をやり取りするから会話が成り立つのです。偉大な歌手とはその想いを伝えられる人の事を言うのです。
「愛してる」という言葉がどういうものか表現できますか。その言葉の裏には殺意があるかもしれないし、目の前の気分に酔っているだけかもしれない。言葉に囚われると、かえって奥底のものは聴こえて来ないものです。伝えるという事はいくら目先の技術を駆使しても伝わらない。エネルギーのやり取りをして、且つそのやり取りがお互いに出来なくては、伝える事は出来ないのです。日常生活でもそうではないでしょうか。私がお稽古事に関して、手厳しく書くのは、エネルギーのやり取りをしようとせず、少しばかり得意な事を披露しているだけで、やっている自分が気持ち良くなっているだけだからです。一方通行を走っているだけでどこを切り取ってもインタラクティブな関係が無いのです。私はこんなに上手に出来ているという、自分目線の意識しか持っていないという事は、音楽として成立していないという事でもあるのです。今の邦楽のいちばんの問題点はそこではないでしょうか。

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photo 新藤義久


エネルギーこそ優先すべきであって、歌詞が聴きとれるかどうかなんて関係ない。私は三善作品や細川作品からはそういうヒントを頂きました。お上手に歌っても何も伝わらない。これは私が今迄音楽をやって来て感じた大きな事です。しかし歌う人は皆上手に歌おうとして、そこに囚われて、どこまでも囚われて音楽を創れないままに終わってしまう。鶴田錦史も言葉が聞き取れない所は多々ありますが、あの強烈なエネルギーはビシビシと伝わってくるではないですか。自分独自の世界を作ってこそアーティストではないでしょうか。
日本人は日本語の意味が解ってしまうからこそ、そこに囚われてしまいがちですが、上手に歌っても奥底にある想いが伝えられなければ、コブシも大声も余計な技術でしかないのです。以前から歌に関しては色々思いがありましたが、琵琶に転向してから、その点をあまりにはっきりと認識したので、私は器楽に向かったのです。とにかく琵琶の音色が好きだったので、最初から琵琶歌を自分の音楽に入れたいとは思はなかったですね。今はデビューCD「Orientaleyes」以来琵琶の器楽曲を沢山創って、11枚のアルバムにその成果を発表することが出来、本当に嬉しい限りです。
とにかく歌と琵琶を切り離して、従来の決まりきった節回しから解放してあげないと、琵琶のあの魅力的な音色も歌詞も響いてこない。私がやりたいと思った事は何も表現できないと思ったのです。せっかく他にはありえない魅力ある音色の楽器が目の前にあるのに、薩摩琵琶=弾き語りという観念に凝り固まって、歌の伴奏だけにしか使おうとしないのが私にはどうにも理解出来ませんでした。自分の本能に随って進んで来て本当に良かったと思っています。

お上手なもの、お見事なものは受け手がその世界に入って行く隙間が無い。ただ見せつけられているだけです。さらに言えば表現は具体ではなく抽象性があるからこそ、そこに聴衆の感性が入り込み、様々な想いや感情を羽ばたかせてくれるのです。表現も歌い手の個人の想いを吐き出しているだけではあくまでその人の中で完結している。リスナーとの共感が発生して初めて伝わるという所まで行くのです。
具体的にすればするほど、演者の個人性が強くなり、理解はしてくれるけれど共感や感動という所からはどんどん遠ざかってしまうものです。いくら言葉を尽くしても、受け手がエネルギーを受け取らない限り伝わらないのです。日常でもそんなことはいくらでもあるのに、こと音楽になると演者は上手にやろうという邪念が湧き上がって、そこに囚われて、本来持っているだろう自分の内に漲るエネルギーを見失ってしまうのです。

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福島 安洞院にて「3.11祈りの日」にて 詩人 和合亮一氏と

魅力的な音色、歌声こそがエネルギーであり、技巧を凝らすことはエネルギーではないのです。どんなテクニックも、それが表現する為にあるという事を忘れてテクニックに囚われ、更には言葉に囚われていては(特に意味の分かる日本語だと)、音楽の姿は立ち現れません。

声を出して歌うと確かに気持ち良い。しかし表現者としては、そこに酔ってはいけないのです。「レクイエム」を聴いて、改めて歌うという事、そして詩と音楽について想いが広がりました。

夏恒例 SPレコードコンサート2023

20日日曜日は、毎年夏の恒例SPレコードコンサートをやります。琵琶樂人倶楽部も今回で187回目。よくまあこんなに長く続いてますね。まあ儲けるつもりが無いのと、孔子様の言うように、努力して苦しんで頑張ってやるよりも、毎回楽しんでやっているから続くんでしょうね。来年のスケジュールも既に今組んでいまして、9月には決まると思いますが、来年も楽しませて頂きます。

さて今回のSPコンサートは、永田錦心、田中旭嶺、豊田旭穰の演奏を聴いて頂きます。それにしても大正から昭和にかけての演奏家は、皆さんレベルが高いですね。現状が本当に寂しい限りです。音楽性は別として、少なくとも技術に関してはどのジャンルでも、時が経てば経つ程に上がる事はあっても落ちるという事はないのですが、薩摩・筑前の琵琶樂に関しては、その技術の落ち込みが著しいですね。薩摩では水藤錦穰さんほどの技術の方は未だ出て来ませんし、筑前でも一部の方を除いて、当時の演奏家の正確なまでの技術は聴いたことがありません。特にSP時代にはピアノとデュオでやっている録音が結構あるのですが、西洋音楽と対峙しても引けを取らないその技術は大したものです。今回かける田中旭嶺さんもピアノとの録音がありますが、洋楽的な音程やリズムに関しては見事なものです。
SPレコードはやり直しの効かない一発録音だという事を考えると、その技術は現代では考えられないようなハイレベルだったのだと思います。また演奏の気迫も、今の何でも加工できる時代の演奏とは全く違いますね。

photo 新藤義久


毎年こうしてSPレコードを聴いていて、本当に色々と思う所、考える所があります。音楽は時代が変われば社会の中で、その在り方も変わるし、生きる人々の感性も変わるので、それに伴って音楽も変わって行くものです。歌詞だけを見ても大正や昭和の初期に出来上がった歌詞は現代に生きる人とは全く違う感性だというのは当然の事ですし、それを変えようとしないのは、ろくに歌詞の事を考えていない、つまり単なるお稽古事としか思っていないという事でしょう。本気になって音楽を創ろうとしないのであればリスナーと乖離してしまっても仕方ありません。逆に言えば、SP 次代の琵琶樂はその時代に生きた人々と共に在ったからこそあれだけのハイレベルが実現したのだと思います。

永田錦心


私は若き日に流派で少しばかり勉強しましたが、常に不思議の連続でした。音楽は、素晴らしい曲があり、弾き手が居て、そしてそれを聴くリスナーが居て初めて成り立ちます。これは楽器マニアにも言える事なのですが、自分が演奏する事にしか関心がない人が多いのです。楽器でもいくら高級な材料で見事な細工を施した楽器でも、それから美しい音を紡ぎ出す弾き手も、素晴らしい曲を創る作曲家も、受け入れるリスナーも居なければただのものでしかありません。楽器として命が無いのです。
琵琶人も今に生きる人の感性や心に沿って創ろうとしない限り、その音楽に命は宿りませんし、誰も受け入れてくれません。私には当時の(今でも)閉じこもってサークル活動している琵琶人達がどうにも不思議でなりませんでした。ロックでもジャズでも、クラシックでも、常に時代と共に新しいものが創られ、創りたいという人が溢れているのにね。これでは現状の琵琶樂に明日があるとは思えませんね。少なくともSP時代は一般大衆が琵琶樂に熱狂していたのです。今琵琶人達はそれを完全に忘れている。残念ですね。
私はこれからもどんどん新たな琵琶の作品を作曲して、演奏して、自分の思う琵琶樂の世界をやって行きますよ。小学生の時に初めてギターを手にしてから好きなように曲を弾いて演奏してきました。もちろん習いにも行きましたが、やりたい事をやるには創るしかないですからね。誰かのコピーや焼き直しをやって喜んでいる人の気が知れません。永田錦心が新しい琵琶樂を創ったように、私も自分のやりたい琵琶樂を創って行きます。

マイルス1

後半は今年も昨年に続きジャズの特集をします。ジャズは薩摩筑前の琵琶樂とほぼ同時期に興った音楽。やはり大衆に熱狂的な指示を受け発展し、現在は既に琵琶樂と同じようにその形は形骸化してしまいました。しかし琵琶樂と違う所は、その音楽は色々な形に変化して、様々なジャンルの中に今生きている事です。
私自身もジャズをやっていたからこそ、今琵琶で好きなように曲が創れるのであって、その素養無くしては今の私はありえません。単なる技術や知識というだけでなく、次代を切り開いて行く精神や、行動力は、マイルスやコルトレーンから学んできたのです。そういう所は現在生徒の中にも同じ質を持った人が出て来ているので、きっと何かしらの形で受け継がれて行く事と思います。

余談ですが、上に張り付けた画像のカウント・ベイシーと
は握手したことがあるんです。可愛いおじいちゃんという感じでした。マイルス・デイビスは目の前まで行きましたが、怖くて手が出ませんでした。若き日の想い出です。

8月20日(日)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:17時30分開場 18時00分開演
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(司会・レクチャー) 
演目:上記フライヤー参照ください

お待ちしています。

風は知っている

連日の猛暑ですが、皆様お変わりないでしょうか。沖縄は台風が続いて大変になっているとも聞きますが、この夏は日本人にとっては厳しい季節ですね。

毎年夏は家に籠って譜面を書いたりしている事が多いのですが、外で飛び回るだけでなく、じっくりと音楽に向き合う時間も必要だなと年を追うごとに思います。せかされる事なくゆったりと内面に向き合う事で、色んなものが見えてくるものです。

photo 新藤義久


禅の話の中に「非風非幡」という話があります。旗が風に揺れている様を見ての問答みたいなもので、最後に「見ている人の心が揺れ動いているのだ」と禅の六祖慧能というお坊さんが言った話なのですが、私はこの話を何かにつけ思い出すのです。
何ともない日常が続いている中で、ともすると目に見えている事象ばかりに気が行ってしまいますが、先ず初めに揺らめく旗を見て初めて目に見えない風の存在を知り、目では捉えきれない世界を感じ、そんな世界に包まれている自分を発見したりすることで頭の中が急にクリアになってくる事が何度もありました。そしてその後には、慧能大師の言ったように、風や旗ではなく、実は自分の心が、揺れている旗や風に囚われていて、自分の周りの事を素直に見ていないという事も感じるのです。
音楽も同じ曲なのに聴く時々で違って聴こえるものです。ある時は心地良く、またある時にはうるさいものに感じます。風もそよ風が気持ち良いと思う時もあれば、同じそよ風でも野外舞台の時に譜面がバタバタすると、うっとうしいものに感じる。すべては揺れ動く自分の心の問題なのです。人間は自分の心に自分自身が振り回されているとも言えるのかもしれません。

先日、中東では「音楽は若者を迷わせる」として楽器を燃やす事態が起きたようですが、音楽はそれだけ人の心を揺り動かす力があるという事です。私は音楽芸術を規制する事には断固反対で、軍国時代のイデオロギーに色付けされた琵琶曲を一切演奏しないのも、そういう想いからなのですが、歴史的に見ても日本の軍国時代は勿論、音楽や芸術を規制した例は近代ヨーロッパでもありました。それだけ音楽は直接人間に影響してくるのです。孔子も「詩に興り、礼に立ち、樂になる」「国を変えるには樂を変えよ」と言って、樂の重要性を説き、質の高い音楽をやることを奨励しています。

音楽は現代ではエンタテイメントに分類されます。それらは観客を楽しませる事が目的なので、見ていれば誰もが楽しい気分になります。これは音楽に元々内包されている部分であり、心を満たす重要な部分でもあります。またそんな楽しい時間の中に在ると、直感的な感性が開き、あらゆる面で精神を育んでくれます。しかし現代に溢れる一方的に与えられた快楽は、ある種麻薬と同じで、目の前の快楽を追求するあまり、ものを考える事もしなくなりますし、どんどんと誘導されかねません。戦後アメリカの取った3S政策は正にその具体例ですね。

今の日本を見ると、以前はTVから始まり、現代ではネットを通じ、享楽的快楽的なものを日々24時間浴びせられて、目の前の刺激に身も心も浸たされて、文化はおろか思考迄も停止しているような感じもします。現代社会には静寂なんかまったくないですね。私が中央アジアを回った時、どの国に行っても過去から続く、その国独自の文化が残っていると感じました。もちろん古い因習から抜け出すことが出来ず、良くない面もあるのでしょうが、自国の古い歌すら全く歌えない現代日本人からすると、何かしらのものが受け継がれている事の大切さを改めて感じたものです。

グルジア(現ジョージア)のトビリシにあるルスタベリ大劇場公演2009年


日本は世界一の歴史を持つ国です。そんな国に生を受けながら戦後生まれの日本人は、音楽といえば外国の音楽しか頭の中に無いのが現状です。終戦直後から只管アメリカに憧れるように誘導され、ロカビリーやベンチャーズを真似して、これが流行の最先端だと叫び、ダンスホールなんかで目の前の快楽を貪っていたのではないでしょうか。戦後すぐに自国に甚大な被害をもたらした国の音楽が流行るなんて、他の国ではありえない事です。

やっと今の若い世代で、そういう所から解放されてきている人が出てきているのを見て少し安堵していますが、戦後70年以上経ち、次世代へ日本文化を伝えるべき世代が、日本の音楽も文学も何一つ判らず、受け継がれて来た歌の一つも歌えず、未だ、したり顔でロックやブルース、クラシックやオペラの蘊蓄を声高に語り、マウント取って喜んでいる。英語が喋れて海外の文化を解る事が上流階級の素養のように思い込み、強制的に欧米に目を向けさせられながら青春時代を生きて来たという事です。何故子供や孫を育てる世代になっても、自国の文化を誇りに思い、それを伝えたいと思わないのでしょうか。自分の足元に滔々と流れる世界最古の豊饒なまでの歴史と文化を持つこの風土を見ようともしないのでしょうか。誇りも持てないような国を、次世代に放り投げて渡すつもりなのでしょうか。だとしたら3S政策は大成功したという事なんでしょう。

戯曲公演「良寛」より 津村禮次郎先生、中村明日香さんと


音楽芸術には人を動かし導くパワーがあり、また諸刃の剣であるのです。目の前のエンタテイメントをただ快楽として楽しむだけでは、旗がひらめく所しか見る事が出来なくなってしまいまです。そこに風の存在すら感じられなくなって、自分の心が周りに煽られている事も全く気づかずこれからも生きて行く事が、幸せな事だとは私は思いません。自ら考え、感じ、創り出して、この風土と歴史文化と国に誇りを持って生きる事が一番自然であり、且つ全うだと思っています。これは何処の国に行っても同じだと思いますが如何でしょうか。それらを何も考えず、目の前の快楽を追いかけて生きて、風土も文化もないがしろにして来た現代日本人に、明日は訪れるのでしょうか。

風はこれからも同じように吹き渡るでしょう。しかしその風を感じ、人生を豊かにし、この風土を守るのは我々個人にしか出来ないのです。

自分時間 

毎年の事ですが、これだけ暑いと昼間は出かけられませんね。私が住んでいるマンションは一階にスーパーマーケットが入っている事もあり、ほとんどここを離れずに生活が出来るので、毎日家に籠って譜面を見直して、今取り掛かっている曲の譜面を書いたり消したりしながらのんびり過ごしています。

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5月の琵琶樂人倶楽部にて 笛の大浦典子さんと


以前もクロノス(物理的な時間)とカイロス(主観的な時間)について書いたことがあると思いますが、私は年齢を重ねるごとにカイロス時間に生活が移行しているようです。特にこの数年コロナ自粛をきっかけにその加速度が増しています。ある時期迄はいつまでに何をやって、来年にはこんなことをやって、という具合に未来ノートをいつも脇に置いて計画を立て、それもちょっと無理に追い込むような感じで一つ一つ実現するようなことをやっていました。だからこそ多くの曲を創り、毎月のようにツアーにも出て、アルバムも11枚まで発表出来たのだと思っています。しかし今は何日ぶらぶらと散歩していても焦りというものが無いのです。昔からこういう傾向はありましたが、発想が浮んで来る迄は、のんびりと構えて、湧き出る時に一気に具現化するというスタイルがこのところ顕著になって来ました。

昨年作曲したメゾソプラノと能管と琵琶による「Voices~小島力の詩による」等は、安田登先生と広島でレクチャー公演に行っている時、空き時間の間に書き上げました。頭の中にはずっと構想が巡っていたのですが、大きな商業施設の2階の広々した踊り場スペースでコーヒーを飲んでいる時に、そこのテーブルでほとんど書き上げました。発想が湧く時には突然怒涛の如く流れ出るのです。不思議なもんですね。新幹線の中で創った曲もあります。だから五線紙と琵琶用の四線紙の携帯は必須なのです。

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北鎌倉の其中窯にて photo 川瀬美香


元々私は毎日繰り返して練習するような事はしませんし、演奏の度に正確に弾くなんて事も全く頭にありません。その時々での変化こそ命というスタイルで、完ぺきを目指して緻密に物事に相対する性格ではありません。私はいつも「何とかなる」と言うのが口癖なようで、以前もよく後輩に「出た出た、塩高さんの『何とかなる』」なんて言われてました。大体に於いて物事に対し大雑把なんでしょうね。

しかし自分でも面白いと思うのは、こういう大雑把な人間が、自分の身の廻りや身に着けるものに対しては、嬉々としてまめに手入れをする一面もあるのです。琵琶は当たり前ではあるのですが、それでも私程、毎日毎日年がら年中いじっている琵琶奏者は他には居ないと思います。

日常の事で言うと、例えば洋服は特にこだわりが無く、近くの古着屋で毎度同じようなものを買っているだけなのですが、靴は行動に直接支障をきたすせいか、合うものを厳選して、手入れもよくしますし、総ての靴に靴型を入れて下駄箱にしまってます。靴修理のお店にもよく行きますね。
腕時計は現代では持っている人も少なくなっていますが、私のようなアナログ派にとっては、スマホなんか無くても、時計があれば日々の活動に充分ですので必ず身に付けています。クォーツは電池切れで突然止まるのが困るのと、そういう無機質な所が嫌なので使いません。一日数十秒狂っても機械式しか使いません。

oriennto WT1 (2)左の時計は、私が琵琶に転向した頃、つまり30年程前に、とある方から頂いたもの。オリエント社のワールドタイム時計ですが、今手に取ると「世界に飛び出て行くような琵琶奏者になるぞ」という若き日の熱い意気込みが甦りますね。青春(随分遅い)の想い出というやつです。何度か修理に出しながら、ベルトも金属ベルトから革ベルトに替えて今でもよく使っています。その他主に使うものに関しては何年かに一度分解掃除の為に時計屋さんに持って行って総合メンテをお願いしています。琵琶と同じです。

クロノス時間がどんどん無くなってきている私にはもはや時計も要らないのではないかと思うのですが、こういうアンティークな手巻や自動巻きの時計はいわば相棒なんでしょうね。腕に付けていないとどうにも落ち着きません。まあ世間に流れる時間ではなく、どんどんと自分だけの時間の中で生きるようになって来ているという事でしょうか。若い頃からそういう傾向が人より強い方ではありましたが、この所更に顕著になっています。

2020フルセット①

左から塩高モデル大型1号機・2号機中型2号機、中型分解式 全て象牙レス仕様


それに私は何事に於いてもアンチブランド派で、世の価値観には迎合しないのが子供の頃からの一貫した天邪鬼な私のスタイルですので、楽器でも何でもスタンダードなものは私の周りにはありません。ギブソンやフェンダーを欲しがる気持ちは私には判らないですね。一時手にした事もありますが、それを持っていると、それらに寄りかかっている自分の姿を感じて、何とも情けない想いがずっと付きまとい、嫌気がさしてしまいます。「媚びない、群れない、寄りかからない」の精神は昔から一貫していたようです。

琵琶も総桑が最高だと信じている人にとっては、私の琵琶など何の価値もないでしょうね。しかしこの塩高モデルでないとあの音は出せません。私が出している音は私の一番のお気に入りの音であり、これらの塩高モデルは世界最高峰の琵琶だと自負しています。だからメンテナンスも欠かさないのです。

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photo 新藤義久

私はほとんどの物事に於いて他の人の事は気にならないし、比較もしない。自分の時間を生き、自分の価値観を最優先して生きるスタイルを元々持っている上に、年齢と共にさらにそんな独自のスタイルが加速度を増しているという訳です。まあこれで何とかこれ迄生きて来れたのですから、いいじゃないかと思ってますが、もう世の中にはAiが蔓延り、監視社会が蔓延して、私のような者はそう遠くない将来、この社会の中で生きて行く事は出来なくなるかもしれませんね。
私はろくにエクセルも開いたことも無い程にPCもスマホも大して使えず、車の運転も出来ないという有様で、このAi時代においては社会的落伍者かもしれません。世の中からは結構浮いている事と思いますし、デジタルの刻むクロノス時間からどんどん離れて行く生き方では、もうこの社会の中ではいくらも持たないかもしれませんね。20代の頃から自給自足の暮らしに憧れているような人間でしたので、この辺でそろそろ山に入る準備もしておかないといけませんな。

まあその分、より私らしくなって本来の自分に近くなっているという事でしょうか。とにかくこれからも納得出来る作品を創り続け。演奏して行きますよ。今年はちょっと難しそうですが、来年には次のアルバムもリリース予定です。

今日も暑い。そしてビールが旨い。

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