風は知っている

連日の猛暑ですが、皆様お変わりないでしょうか。沖縄は台風が続いて大変になっているとも聞きますが、この夏は日本人にとっては厳しい季節ですね。

毎年夏は家に籠って譜面を書いたりしている事が多いのですが、外で飛び回るだけでなく、じっくりと音楽に向き合う時間も必要だなと年を追うごとに思います。せかされる事なくゆったりと内面に向き合う事で、色んなものが見えてくるものです。

photo 新藤義久


禅の話の中に「非風非幡」という話があります。旗が風に揺れている様を見ての問答みたいなもので、最後に「見ている人の心が揺れ動いているのだ」と禅の六祖慧能というお坊さんが言った話なのですが、私はこの話を何かにつけ思い出すのです。
何ともない日常が続いている中で、ともすると目に見えている事象ばかりに気が行ってしまいますが、先ず初めに揺らめく旗を見て初めて目に見えない風の存在を知り、目では捉えきれない世界を感じ、そんな世界に包まれている自分を発見したりすることで頭の中が急にクリアになってくる事が何度もありました。そしてその後には、慧能大師の言ったように、風や旗ではなく、実は自分の心が、揺れている旗や風に囚われていて、自分の周りの事を素直に見ていないという事も感じるのです。
音楽も同じ曲なのに聴く時々で違って聴こえるものです。ある時は心地良く、またある時にはうるさいものに感じます。風もそよ風が気持ち良いと思う時もあれば、同じそよ風でも野外舞台の時に譜面がバタバタすると、うっとうしいものに感じる。すべては揺れ動く自分の心の問題なのです。人間は自分の心に自分自身が振り回されているとも言えるのかもしれません。

先日、中東では「音楽は若者を迷わせる」として楽器を燃やす事態が起きたようですが、音楽はそれだけ人の心を揺り動かす力があるという事です。私は音楽芸術を規制する事には断固反対で、軍国時代のイデオロギーに色付けされた琵琶曲を一切演奏しないのも、そういう想いからなのですが、歴史的に見ても日本の軍国時代は勿論、音楽や芸術を規制した例は近代ヨーロッパでもありました。それだけ音楽は直接人間に影響してくるのです。孔子も「詩に興り、礼に立ち、樂になる」「国を変えるには樂を変えよ」と言って、樂の重要性を説き、質の高い音楽をやることを奨励しています。

音楽は現代ではエンタテイメントに分類されます。それらは観客を楽しませる事が目的なので、見ていれば誰もが楽しい気分になります。これは音楽に元々内包されている部分であり、心を満たす重要な部分でもあります。またそんな楽しい時間の中に在ると、直感的な感性が開き、あらゆる面で精神を育んでくれます。しかし現代に溢れる一方的に与えられた快楽は、ある種麻薬と同じで、目の前の快楽を追求するあまり、ものを考える事もしなくなりますし、どんどんと誘導されかねません。戦後アメリカの取った3S政策は正にその具体例ですね。

今の日本を見ると、以前はTVから始まり、現代ではネットを通じ、享楽的快楽的なものを日々24時間浴びせられて、目の前の刺激に身も心も浸たされて、文化はおろか思考迄も停止しているような感じもします。現代社会には静寂なんかまったくないですね。私が中央アジアを回った時、どの国に行っても過去から続く、その国独自の文化が残っていると感じました。もちろん古い因習から抜け出すことが出来ず、良くない面もあるのでしょうが、自国の古い歌すら全く歌えない現代日本人からすると、何かしらのものが受け継がれている事の大切さを改めて感じたものです。

グルジア(現ジョージア)のトビリシにあるルスタベリ大劇場公演2009年


日本は世界一の歴史を持つ国です。そんな国に生を受けながら戦後生まれの日本人は、音楽といえば外国の音楽しか頭の中に無いのが現状です。終戦直後から只管アメリカに憧れるように誘導され、ロカビリーやベンチャーズを真似して、これが流行の最先端だと叫び、ダンスホールなんかで目の前の快楽を貪っていたのではないでしょうか。戦後すぐに自国に甚大な被害をもたらした国の音楽が流行るなんて、他の国ではありえない事です。

やっと今の若い世代で、そういう所から解放されてきている人が出てきているのを見て少し安堵していますが、戦後70年以上経ち、次世代へ日本文化を伝えるべき世代が、日本の音楽も文学も何一つ判らず、受け継がれて来た歌の一つも歌えず、未だ、したり顔でロックやブルース、クラシックやオペラの蘊蓄を声高に語り、マウント取って喜んでいる。英語が喋れて海外の文化を解る事が上流階級の素養のように思い込み、強制的に欧米に目を向けさせられながら青春時代を生きて来たという事です。何故子供や孫を育てる世代になっても、自国の文化を誇りに思い、それを伝えたいと思わないのでしょうか。自分の足元に滔々と流れる世界最古の豊饒なまでの歴史と文化を持つこの風土を見ようともしないのでしょうか。誇りも持てないような国を、次世代に放り投げて渡すつもりなのでしょうか。だとしたら3S政策は大成功したという事なんでしょう。

戯曲公演「良寛」より 津村禮次郎先生、中村明日香さんと


音楽芸術には人を動かし導くパワーがあり、また諸刃の剣であるのです。目の前のエンタテイメントをただ快楽として楽しむだけでは、旗がひらめく所しか見る事が出来なくなってしまいまです。そこに風の存在すら感じられなくなって、自分の心が周りに煽られている事も全く気づかずこれからも生きて行く事が、幸せな事だとは私は思いません。自ら考え、感じ、創り出して、この風土と歴史文化と国に誇りを持って生きる事が一番自然であり、且つ全うだと思っています。これは何処の国に行っても同じだと思いますが如何でしょうか。それらを何も考えず、目の前の快楽を追いかけて生きて、風土も文化もないがしろにして来た現代日本人に、明日は訪れるのでしょうか。

風はこれからも同じように吹き渡るでしょう。しかしその風を感じ、人生を豊かにし、この風土を守るのは我々個人にしか出来ないのです。

自分時間 

毎年の事ですが、これだけ暑いと昼間は出かけられませんね。私が住んでいるマンションは一階にスーパーマーケットが入っている事もあり、ほとんどここを離れずに生活が出来るので、毎日家に籠って譜面を見直して、今取り掛かっている曲の譜面を書いたり消したりしながらのんびり過ごしています。

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5月の琵琶樂人倶楽部にて 笛の大浦典子さんと


以前もクロノス(物理的な時間)とカイロス(主観的な時間)について書いたことがあると思いますが、私は年齢を重ねるごとにカイロス時間に生活が移行しているようです。特にこの数年コロナ自粛をきっかけにその加速度が増しています。ある時期迄はいつまでに何をやって、来年にはこんなことをやって、という具合に未来ノートをいつも脇に置いて計画を立て、それもちょっと無理に追い込むような感じで一つ一つ実現するようなことをやっていました。だからこそ多くの曲を創り、毎月のようにツアーにも出て、アルバムも11枚まで発表出来たのだと思っています。しかし今は何日ぶらぶらと散歩していても焦りというものが無いのです。昔からこういう傾向はありましたが、発想が浮んで来る迄は、のんびりと構えて、湧き出る時に一気に具現化するというスタイルがこのところ顕著になって来ました。

昨年作曲したメゾソプラノと能管と琵琶による「Voices~小島力の詩による」等は、安田登先生と広島でレクチャー公演に行っている時、空き時間の間に書き上げました。頭の中にはずっと構想が巡っていたのですが、大きな商業施設の2階の広々した踊り場スペースでコーヒーを飲んでいる時に、そこのテーブルでほとんど書き上げました。発想が湧く時には突然怒涛の如く流れ出るのです。不思議なもんですね。新幹線の中で創った曲もあります。だから五線紙と琵琶用の四線紙の携帯は必須なのです。

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北鎌倉の其中窯にて photo 川瀬美香


元々私は毎日繰り返して練習するような事はしませんし、演奏の度に正確に弾くなんて事も全く頭にありません。その時々での変化こそ命というスタイルで、完ぺきを目指して緻密に物事に相対する性格ではありません。私はいつも「何とかなる」と言うのが口癖なようで、以前もよく後輩に「出た出た、塩高さんの『何とかなる』」なんて言われてました。大体に於いて物事に対し大雑把なんでしょうね。

しかし自分でも面白いと思うのは、こういう大雑把な人間が、自分の身の廻りや身に着けるものに対しては、嬉々としてまめに手入れをする一面もあるのです。琵琶は当たり前ではあるのですが、それでも私程、毎日毎日年がら年中いじっている琵琶奏者は他には居ないと思います。

日常の事で言うと、例えば洋服は特にこだわりが無く、近くの古着屋で毎度同じようなものを買っているだけなのですが、靴は行動に直接支障をきたすせいか、合うものを厳選して、手入れもよくしますし、総ての靴に靴型を入れて下駄箱にしまってます。靴修理のお店にもよく行きますね。
腕時計は現代では持っている人も少なくなっていますが、私のようなアナログ派にとっては、スマホなんか無くても、時計があれば日々の活動に充分ですので必ず身に付けています。クォーツは電池切れで突然止まるのが困るのと、そういう無機質な所が嫌なので使いません。一日数十秒狂っても機械式しか使いません。

oriennto WT1 (2)左の時計は、私が琵琶に転向した頃、つまり30年程前に、とある方から頂いたもの。オリエント社のワールドタイム時計ですが、今手に取ると「世界に飛び出て行くような琵琶奏者になるぞ」という若き日の熱い意気込みが甦りますね。青春(随分遅い)の想い出というやつです。何度か修理に出しながら、ベルトも金属ベルトから革ベルトに替えて今でもよく使っています。その他主に使うものに関しては何年かに一度分解掃除の為に時計屋さんに持って行って総合メンテをお願いしています。琵琶と同じです。

クロノス時間がどんどん無くなってきている私にはもはや時計も要らないのではないかと思うのですが、こういうアンティークな手巻や自動巻きの時計はいわば相棒なんでしょうね。腕に付けていないとどうにも落ち着きません。まあ世間に流れる時間ではなく、どんどんと自分だけの時間の中で生きるようになって来ているという事でしょうか。若い頃からそういう傾向が人より強い方ではありましたが、この所更に顕著になっています。

2020フルセット①

左から塩高モデル大型1号機・2号機中型2号機、中型分解式 全て象牙レス仕様


それに私は何事に於いてもアンチブランド派で、世の価値観には迎合しないのが子供の頃からの一貫した天邪鬼な私のスタイルですので、楽器でも何でもスタンダードなものは私の周りにはありません。ギブソンやフェンダーを欲しがる気持ちは私には判らないですね。一時手にした事もありますが、それを持っていると、それらに寄りかかっている自分の姿を感じて、何とも情けない想いがずっと付きまとい、嫌気がさしてしまいます。「媚びない、群れない、寄りかからない」の精神は昔から一貫していたようです。

琵琶も総桑が最高だと信じている人にとっては、私の琵琶など何の価値もないでしょうね。しかしこの塩高モデルでないとあの音は出せません。私が出している音は私の一番のお気に入りの音であり、これらの塩高モデルは世界最高峰の琵琶だと自負しています。だからメンテナンスも欠かさないのです。

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photo 新藤義久

私はほとんどの物事に於いて他の人の事は気にならないし、比較もしない。自分の時間を生き、自分の価値観を最優先して生きるスタイルを元々持っている上に、年齢と共にさらにそんな独自のスタイルが加速度を増しているという訳です。まあこれで何とかこれ迄生きて来れたのですから、いいじゃないかと思ってますが、もう世の中にはAiが蔓延り、監視社会が蔓延して、私のような者はそう遠くない将来、この社会の中で生きて行く事は出来なくなるかもしれませんね。
私はろくにエクセルも開いたことも無い程にPCもスマホも大して使えず、車の運転も出来ないという有様で、このAi時代においては社会的落伍者かもしれません。世の中からは結構浮いている事と思いますし、デジタルの刻むクロノス時間からどんどん離れて行く生き方では、もうこの社会の中ではいくらも持たないかもしれませんね。20代の頃から自給自足の暮らしに憧れているような人間でしたので、この辺でそろそろ山に入る準備もしておかないといけませんな。

まあその分、より私らしくなって本来の自分に近くなっているという事でしょうか。とにかくこれからも納得出来る作品を創り続け。演奏して行きますよ。今年はちょっと難しそうですが、来年には次のアルバムもリリース予定です。

今日も暑い。そしてビールが旨い。

Penguin Village

先週から物凄い熱さでしたので、ずっと家に籠っていたんですが、お陰で次の新曲の構想が具体化してきました。先日琵琶樂人倶楽部で演奏した「龍と詩人」はデュオの演奏は正直な所まだまだ実験という感じだったのですが、琵琶パートに関しては割といい雰囲気で出来たので、その後色々いじっていました。よく考えてみれば以前にも同じイメージで書いた曲がある事を思い出し、譜面を引っ張り出したところ、ピンと来るものがありずっともやもやとしていたイメージがはっきりとしてきたのです。樂琵琶とヴァイオリンのデュオを想定して只今作曲中です。ちょっと視点が変わっただけで、世界は広がるもんですね。乞うご期待

先日の琵琶樂人倶楽部 パフォーマー中村明日香さんと


私はもう30年以上TVを持っておらず、SNSもやっていません。以前はミクシーや最初期のFacebookを少しばかりやっていたのですが、 どうも色んな人の想念が見えてしまって見ていられません。たまにツィッターやFBの情報を送ってくれる友人が居て、少しばかりその情報も見るのですが、世に溢れる事件や国内外の情勢は勿論の事、個人的な記事でも、どうにもこちらの心が揺さぶられてしまって見ていられないのです。また音声をオンにした時に突然鳴るけたたましい音にも勘弁願いたい。

また私は子供の頃からオリンピックなどスポーツ全般、ほとんど見たことがありません。人と人が感情丸出しで争っているのは、私には戦争と同じに思えて仕方がないのです。まだアクション映画の方が、映画と割り切れるので見ていられます。
時々、スポーツや大河ドラマの話を当然知っているだろうという前提で話を振ってくる人が居るのですが、何故皆が同じものを見ていて、知っていて、興味があるとと思うのでしょう。そのメンタルが私には理解が出来ません。日本人は皆自分が「普通」で、皆同じ感性をしていると思い込んでいる人があまりに多い。

一時期「共同幻想」などと言う言葉がはやりましたが、根本的な部分での日本人としての感性に共通するものは私も感じていますが、俗事に対すること迄、皆同じと思ってしまう浅はかな思考は現代ならではかもしれません。

スティーブ・カーンが来日した時に観た「Drスランプ」を見て作った曲 live at 六本木ピットイン

私からすると日本全体が「Dr.スランプ」に出てくるペンギン村の中で暮らしているように見えます。音楽家芸術家も、同じ思考を持った小さな村を作りたがる。「和して同ぜず」とは程遠く、皆が「同」になって、同じ思考を持ち、同じ方向を見ていない人とは関わろうとしない。私には、そうした村感覚が、どうにも理解が及びませし、今の日本の衰退を作った元凶だと思っています。
何故個として、自分の意見を持ち、自分で動いて行こうとしないのでしょうね。いつもSNSで連絡取りあって、その中で何かやろうとするメンタルでは、いつまで経っても世界が見えず、村から抜け出せません。私はとてもペンギン村の住人には成れそうにありませんな。ちなみに上記の曲は、スティーブ・カーンというギタリストが「Dr.スランプ」を見て気に入って創った曲です。同じアニメを見ても、ペンギン村でアラレちゃんと楽しく遊ぶ事しか考えつかない日本人には、こんな曲は創れないでしょうね。私は六本木ピットインでライブを聴きに行きました。

今日本を苦しめ、衰退させているのは、この「同」の感覚ではないでしょうか。「和」ではないですね。皆が一緒だと思い込み、「普通」というのがまるで宗教のように蔓延している。マスクやワクチンの問題もそうですが、世界とつながる時代になっても目の前の情報しか入れようとせず、挙句の果てには自分と同じでない人とは一緒には生きられないという強烈なまでの排他主義的村人感覚が、あらゆるもののバランスを壊しているように私は思います。邦楽はこの村感覚=同族意識で流派や協会が凝り固まって、自分たちとそれ以外などと分けている間に、社会と溝が出来てしまったのではないでしょうか。個として世の中に立ち向かう邦楽人が出てきて欲しいですね。

2010年高野山常喜院独演会にて

色んな事を日々考えますが、私は「媚びない・群れない・寄りかからない」人生を生きているので、そんな私が琵琶を選んだのは当然だと思っています。小学生の頃よりクラシックギターを習っていましたが、その時から一人で演奏していましたし、ジャズギターを弾いていた頃もソロギターに強い関心がりました。前回書いたラルフ・タウナーやパットマルティーノ、ジョー・パス等、独自の世界を持ちながら、それを一人で表現できるプレイヤーに強い憧れを持っています。先ず個として表現すべきものがあり、それを具現化する事が出来るのがアーティストだと私は思っています。そういう土台があって、はじめてアンサンブルが成り立つと思うのですが如何でしょうか。

私が選ぶ共演者の方々も皆、独自の音楽観を持ち、それを表現する技量と感性を持ち、独演会も開いて活動している。一人で出来ない人が集まっても寄り集まっているだけで、「数は力」とばかりに目先のパワーで押し切る事しか出来ない。そんな表面的な力を行使しても、直ぐに内部から崩壊してくるのは現代日本の現状を見ていれば明らかではないですか。エコノミックアニマルと言われた70年代から、バブルを経て、この2020年代の衰退迄、これだけの変化衰退を見てまだ、次
世代を見据え変わろうと思わないのでしょうか。良いところは継承し、変えるべきところは積極的に変える意思を持たない限り、物事は継続できません。それは古典の中に、ありとあらゆる事例として書いてあるではないですか。今の日本は末期の平家ようなものです。

森有正森有正は「孤独とは経験そのものであって、孤独であるという事が、つまり人間であるという事」「孤独は孤独であるが故に貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのだ。」と書いていますが、私はこれらの言葉に深く共感します。孤独をいつも恐れている現代日本人は、その孤独感を紛らわすために目の前を盛り上げてくれるエンタメに日々血道をあげて本質を考えようとしないでいる。上記の言葉の後には「自分の勝手で作りだした孤独程、無意味でみにくいものはすくない。本当の孤独は孤独からは生まれない」と続きます。

ペンギン村で遊んでいるのも、そろそろ終わりにしないと。

行きつ戻りつ

連日の猛暑ですね。体調を崩している方も多いのではないでしょうか。充分に気を付けてください。私はこの所は演奏も週に1度、多くても2回程度ですので、のんびり部屋の中に居る事が多いのですが、この暑さではとても琵琶を担いで飛び回るなんてことは出来ませんね。

今年の3月 サローネ・フォンタナ 能楽師:津村禮次郎先生、尺八:藤田晄聖君と


今年に入ってから舞台では、ちょっと今迄苦手と思っていた曲や新作などをあえてやっているのですが、曲を見直したり、推敲する機会にもなって良い刺激をもらってます。
曲は家の中で練習している内は判らないのですが、一度舞台にかけてみると、作品の質や持っているエネルギーがダイレクトに判り、その曲を演奏する自分の立ち位置みたいなものも強く感じさせてくれます。不思議なもんです。リスナーと対峙しないと曲の命というものは輝かないのでしょうね。そしてその曲の持っているエネルギーを引き出すためには、その曲に合った技術が必要という事を初演の時などはいつも感じます。だから新作を作ったらそれに合う技術をどんどんプラスして行かないといけないのです。ここ最近は、あまり演奏しない曲を演奏しているせいか、そんなことを改めて感じるようになってきました。いわゆる身体に覚えさせる的な練習を積むことは確かに大事なのですが、ある程度技が出来るようになった時が一番危険です。

それは自分の得て来た肉体的な反応と、覚えて来た知識の奴隷になるからです。新たな作品を舞台にかけるには、今迄の延長線上には無い発想の柔軟さがないと、これまで引いたレールの上から抜け出せません。「初心」とはよく言われることですが、これまでの自分を断ち切って、いつでも新たな自分に成る覚悟を忘れるなという事です。「初」の左側の偏は衣の意味。右側は刀。衣服を作る時には、先ずどんなに美しい反物でもそこに刃を入れ、反物を切らないと衣服になりません。つまり何かを創り出す時に、刃を入れる覚悟を持てという事です。
今迄得て来たものの範疇からでしか発想出来ないと、知らない内に時代も社会もリスナーも関係無いただのオタク状態となり、結局「お見事」な芸にしかなりません。芸術は常に予定調和の真逆に存在してこそ芸術です。

ちょっと視点を変えてみると、いわゆる「練習」には大きな危険が宿っているのです。「一生懸命やりました。課題はすべてこなしました」という方は単なる技芸者であって芸術家ではありません。優れた指導者は生徒のそんな部分を見抜いて、良い方向に導いて行く事でしょう。だからどんな師に就くかが大切なのです。また生徒もそういう感性と器を持った人なら、先生の言っている意味は充分に理解できるでしょう。練習はその質を問われるし、練習の段階でその人の芸術家としての器が試されるのです。琵琶の世界にもそんな良き道を示してくれるお師匠様がいるといいですね。
音楽活動も飛び回っている事に満足してしまう人が多いですが、練習でも何も考えずにただやったという事に満足して、多少の技術が出来るようになった事で満足してしまう事が多いのです。そしてそういうものを「お稽古事」というのです。

昨年11月の琵琶樂人倶楽部 Vnの田澤明子先生、ASaxのSOON・Kimさんと


そんな事を日々考えながら色々と試すことが出来るのも、それを実践し試すことが出来る現場があるからと言っても過言ではないと思います。毎月の琵琶樂人倶楽部では毎回やりたい事を何でもやっているんですが、演奏・選曲だけでなく、どんなゲストを招くのかという事も含めて会の運営全体で、毎月毎回がある意味実験なのです。上手く行った時もあれば失敗したなと思う事も多々あります。言い換えると、失敗した姿もリスナーに見てもらえるという事です。これはとても大事なところで、何かを成し遂げる事は、どれだけ失敗をしたか、その数が多ければ多い程、成功に近づくのです。皆失敗したくないし、失敗した姿見せたくないですね。しかしそういう部分を曝け出す覚悟の無い人は、いつまで経っても失敗を恐れ、また失敗を隠すようになって、どんどんと委縮してしまいます。

かのスティーブン・ジョブズはあれだけの素晴らしいものを創り出す迄に、とんでもない失敗を繰り返しているのです。今から見るとよくまあこんなものを製品として売り出したなと、思えるようなものを出して、会社も大損害を被っています。現在の日本の会社はどうでしょうか。イノベーションなどと言いながら、形だけセミナーなど開いても、結局大きな失敗はなるべくしないようにしながら、イノベーションしている姿勢は見せておこうとして、体裁だけの部門を作り、いつまで経っても浅い経験しか積まず、目の前をやり過ごしているのではないでしょうか。
私にとって琵琶樂人倶楽部は、その経験が全てが糧となり、舞台へと繋がって行く土台のような場所なのです。もう16年近くそんな事をさせてもらっている事に感謝しかないですね。

2014年琵琶樂人倶楽部にて かつて一緒に運営をしていた古澤月心さん、ゲストの琵琶製作者の石田克佳さんと


琵琶人を見ていると、キチンとしなくてはいけないと強く思い込んでいる人が多過ぎるように思います。立派で良い所だけを見せようとするメンタルでは何も創り出せないし、いつまで経ってもお稽古事から抜け出せません。
もう引退してしまった先輩に、師匠とそっくり瓜二つに演奏する方がいました。部分を聴くと見分けがつかない程の演奏でしたが、とてもまじめて几帳面な性格の方でしたので、表面の形が似てい
るだけに、かえって鶴田遷都は真逆の、神経質な迄に線の細い姿が見えて来るようでした。それがその人の音楽という事なのでしょうが、ベテランという年になっても何とも囚われている風にしか私には見えませんでした。

先日、津村禮次郎先生から、毎回を真剣勝負と思って舞台に臨むという、大変貴重なお話を聞かせてもらいました。しかし真剣=完璧としてしまうと、形ばかりが整って、中身の無いものになってしまいます。形を整える事に終始するのはアマチュアです。間違えないようにきちんとする事は真剣に取り組む事ではありません。そこが判らない人が多いのではないでしょうか。
それに真剣勝負をする舞台が週に何度もあったら、さすがにこの身も心ももちません。真剣勝負を挑むところを見極めてスケジュールも組んで、自分のペースを作って行けるセルフマネージメント能力がないと結局続けて行く事は出来ません。これが広く自分の周りを見渡すことが出来る器というものかもしれません。続けられないという事は、時間をかけて深めて行く事も出来ないという事でもあります。全てに100%というのはただの素人の浅はかな考えでしかありません。それが判らない人は生業として行く事は出来ないのです。何事にも弾力がなのです。

ノヴェンバーステップス初演時の鶴田錦史
若き頃に少しばかり就いた先生は「〇〇流は絶対に間違えてはいけないのだ」と言っていましたが、間違えないように完璧に演奏しようとするあまり、技芸だけが聞こえるだけになってしまったら、それはもう音楽ではありません。お稽古事です。
鶴田錦史は、その時々で節を変えて語っていたと聞いていますし、「エクリプス」では尺八の横山勝也との丁々発止のアドリブが過ぎて、作曲者の武満徹から「もうちょっと譜面通りにやってください」と注意されたそうですが、私はその位の幅があって良いと思っています。いい加減にやるという事ではなく、その時その時の自分の姿を曝け出すという覚悟で舞台に立てば良い。完璧に間違えずに、なんて心根では音楽は舞台で演奏できないと私は思っています。
琵琶弾き人生をやっていれば色々な事がありますが、自分に合うちょうど良い弾力を持ち続ける事が出来たからこそ、今までやって来れれたのかなと思っています。

Ralphタウナー「Solo Comcert」アルバムジャケットより

先日の琵琶樂人倶楽部では宮沢賢治の「龍と詩人」をパフォーマーの中村明日香さんとやりました。まだ実験段階ではありましたが、多くの経験を得る事が出来ました。私が琵琶パートの参考にしたのはラルフ・タウナーの「SOLO CONCERT」というライブアルバムです。1979年にECMからリリースされたこのライブアルバムは、既成のジャズやクラシックに寄りかからずに、自分の音楽を追求した若きラルフ・タウナーの感性とエネルギーが迸っているギターミュージックの傑作です。私はこのアルバムを20歳の頃聴いて本当に感激し、この作品が自分の作曲の根底にあると思っています。今でも何度も聞き返しているのですが、今回また聴いてみたら「龍と詩人」の作品に通じるアイデアを感じる事が出来たのです。是非ともこんな作品を遺して行きたいですね。

若き日 広島の厳島神社社殿独演会にて

そんな事を思いながら、もう琵琶を生業として30年近い年月を過ごすことが出来ているというのは本当に幸せな事です。これからも同じように「もう少しで俺の世界が出来上がる」なんて喚きながらやり続けている事でしょう。そしてこうして続けられた方こそ、色々考え、様々な失敗も経験し、深まって行くのです。止めてしまったらそこで終わってしまいます。こんな時間を通して、私は自分のスタイルを作ってきたのであり、今、作品も色々と出来上がって、世に遺すことが出来つつあり嬉しく思っています。「壇ノ浦」を如何に上手に演奏しても、私には空しいだけですからね。

私は失敗をしたり、勘違いをしたりしながら行きつ戻りつしながら続けて来ました。そんな行ったり来たりする事を舞台でさせてもらえて来たからこそ、今迄こうしてやって来れたのだと思います。琵琶樂人倶楽部はそういう意味では、私の土台となってきた場なのです。
年齢や時代と共に活動の在り方は変わって行きます。しかしだからといって目標は変わらない。年齢を重ねる程に納得の行く音楽を創り、演奏し、遺して行きたいですね。

友遠方より来る2023

連日の暑さに参りますね。夏はどうものんびりする癖がついているのか、演奏会が少ないですね。

グンナル 2023先日、かつてコンビを組んでいた相棒、尺八奏者 グンナル・リンデルさんがスウェーデンから久しぶりに来日したので、地元の居酒屋で呑ってきました。5年に一度くらいの間隔でグンナルさんが来日するので、その度に会うのですが、毎回話が尽きず、いつも超絶飲み会に突入します。まあ190mを超えるような大柄のグンナルさんですから、私とはアルコール消費量が違います。今回も6時間に渡り、呑んで食べ、語りあいました。その話の内容はもはや日本人相手では出来ないくらいに濃いもので、尺八の事はもとより、万葉集、古今和歌集、風姿花伝、申楽談義、難波土産(虚実皮膜論)、西山松之助ともう縦横無尽に日本文化を語り尽くしました。

私がグンナルさんと一緒にスウェーデンやイギリスに公演に行ったのが、もう20年前。あの頃からグンナルさんの知識は頭抜けてもの凄いものがありましたが、現在ストックホルム大学で教職に就いている事もあり、更に研究が進んでいるようで、私でも知らない日本文化の奥底にある話がポンポン出てくるのです。今迄これだけ古典の話が出来た人は、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さん位ですね。いやいやあまりに話が広大で深くて、そして楽しくて時間を忘れました。話は当然伝承や型についての問題点や今後の展望に迄及び、それはそれは有意義な時間を過ごすことが出来ました。

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グンナルさんとの飲み会の2,3日前には、能を観に行きました。観ながら色々考えていたんですが、幽玄の世界を現代人に魅せ、伝えるのは難しいなというのが正直な感想です。もう少し何かその世界に入って行くきっかけが欲しいと思ってしまいます。いつもお世話になっている能楽師ワキ方の安田登先生は「眠くなっても良いのだ」と言ってくれるのですが、能の形式美を継承するのはとて大事な事ながら、表現しているその世界観を現代の人に伝える為には、何かを変えて行く事も必要な事ではないかとも思います。これは能に限った事ではなく、常に伝統というものを伝えて行く時の葛藤です。次世代に何を伝えるのかという事は、とても難しい問題ですが、あえて型を破り、新たなものを創り上げる事も辞さないという姿勢と覚悟が必要かもしれません。今伝統には、そこが問われていますね。

グンナルさんとも「芸」とは何か、という事を中心に話していたのですが、技や型のその奥にある根理を見失っては意味がありません。世阿弥は「初心」という言葉を使って、それまでの自分を切って捨てる覚悟を常に忘れてはいけないと説いているそうですが、守・破・離と言われる邦楽は今、守に囚われているのかもしれません。何を伝承して行くのか、型とは何を意味し、その型の何を伝えて行くのか。伝統芸能に携わる人はどこまでも思考を広げて深めて行かなくては、表面をなぞっているだけで終わってしまいます。それでは結果的ににも伝えられません。大胆な「破」が必要なのかもしれません。

リハ3s
横浜能楽堂第二舞台にて FL:久保順 Ms:保多由子各氏とリハーサル中

つい先日も横浜能楽堂の第二舞台で、第一部を古屋和子さんの一人語り、第二部を私とメゾソプラノの保多由子さん、フルートの久保順さんのトリオでの演奏という珍しいカップリングで私の作曲作品を上演しましたが、絶好調の古屋節を聞きながら、熟練した話芸が聴こえ来る程に、私のやり方は真逆を行っているなと感じました。私は、むしろ芸が聴こえないように、見えないようにしたいのです。世界観を感じてもらいたいので、目に見える技や芸はその妨げになってしまう。聴き終わった後には、個人の芸などは忘れてしまうような世界を感じてもらいたいのです。お見事な芸を見せ、それを追求するのが邦楽だとしたら、私のは邦楽ではないと思います。「お見事」という声がかかるようでは、リスナーの感性や意識がその技の所に留まっているという事であり、私の想う所に迄達していないという事です。技だの芸だの、そんな所をどんどんと超えて、創造力を羽ばたかせて異次元迄飛んで行って欲しいのです。だからこそなるべく言葉という具体性のあるものを普段から使わないようにしているのです。今回演奏した「Voices」は歌詞がありますが、リスナーが言葉の表面的な意味に引きずられることがないように、あえて言葉を解体し再構築して行くように創りました。現時点での私の日本語の扱い方を具現化した作品です。

私なりに考えるに「お見事」的な芸を披露するようになったのは近世邦楽からではないかと思っています。技や芸を見せる事で、より高い木戸銭(ギャラ)を得る為にエンタテイメント色がどんどん強くなり、大衆化が進み、芸の部分が肥大化していったのではないでしょうか。感じさせるよりも楽しませる要素を大事にしたのでしょうね。それはそれで結構だと思いますが、私の考える音楽や舞台とは決定的に真逆です。そしてそうした変化は、中世迄の邦楽の概念や構造そのものを大きく変えたのだと思います。

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photo 新藤義久


何故その曲を自分が演奏するのか、どんな世界を見据え、その曲を何故自分の舞台で、自分の表現として演奏するのか。そこから何を表現したいと思っているのか。ただのストーリーテラー芸なのか、それともストーリーを越えたもっと大きな世界を見据え持っているのか等々、そんな話をする琵琶人は居ませんね。残念です。自分のお稽古した技を目いっぱい披露できる曲を舞台でやっているのでは、お稽古事以上にはなりません。
私は琵琶を始めた最初から、流派の曲を自分のライブでやるなんてことは考えたこともありません。高円寺のあまたあるライブハウスで、教室で習った曲をやっている発表会みたいなライブは一つも無いですよ。皆どんなにへたくそでも自分の曲をやって舞台に立っている。それでなければライブをやる意味は無いでしょ!!。バッハをやるのでも、自分で解釈し研究して自分なりのバッハをやるからこそ舞台に立てるのではないですか。それをしないで習ったように上手にコブシ回して得意になってやっているようでは、とても音楽とは言えないと思うのは私だけでしょうか。

少なくとも私が感激してきたアーティストは皆創り出す方々でした。既成概念ややり方や形式等一瞬にしてにぶち壊す位のエネルギーがありました。ジミヘンやマイルス・デイビス、皆そうです。予定調和の型にはまったものはエネルギーが決定的に低いのです。

パコデルシア3パコ・デ・ルシア
何故自由に何でも表現できる場である音楽に於いて、教わった事をやろうとするのか。不思議ですね。型とはそんな程度のものでしかないのだとしたら、それを伝承する意味が見えて来ません。かつてプレスリーが出た時もパンクロックが出た時も、強烈な反発と共にそれを上回る熱狂的な支持がありました。これがエネルギーです。ピアソラもドビュッシーもラベルも、パコ・デ・ルシアもリスナーがショックを受ける位に既存の価値観や技をどんどん乗り越えたからこそ、今に続く音楽を創り出したのではないでしょうか。

邦楽にもかつては血沸き肉躍るような熱狂の時代がありました。創り出すというエネルギーを失ったものに、リスナーは魅力を感じてはくれないのです。技を披露して喜んでいるようなメンタルでは、次世代は誰も付いてこないと私は思っています。「お見事」なんて物を捨て、観衆を驚かせ、反発もさせ、ぐいぐい惹きつけて、異次元へと連れて行ってしまうようなエネルギーが、今邦楽には必要ではないですか。

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左:人形町楽琵会にて津村禮次郎先生と
右:戯曲公演「良寛」にて、津村先生、パフォーマーの中村明日香さんと

御一緒する機会が多い、能の津村禮次郎先生や日舞の花柳面先生は、作品を創るという意識がとても高く毎回がスリリングです。今年1月にシアターXでやった面先生、韓国舞踊のペ・ジヨン先生、Flの久保順と上演した作品はとてもスリリングで且つ素晴らしい作品でした。そうした先輩方々には、その土台には広大なまでの伝統が常にどっしりと漂っているのです。だから新しい作品でもその中に伝統を感じるのです。私がしっくりと腑に落ちる事はそういう事なのです。
もう何度となく再演している戯曲公演「良寛」のラストは、照明も固定して全く演出を入れず、津村先生と私の奏でる樂琵琶の音のみによる8分間もの長いシーンで終わるのですが、そこには良寛と良寛を取り巻く人々の姿が現れ、それらの存在を超え、正に翁のような大きな存在が目の前に現れました。そして会場にはとてもとても静かに人知を超えた「大いなるもの」が降りてきて、そして隅々に迄満ちて、会場は早朝の湖面のように澄み渡った、静寂に包まれまれた清浄な世界が出現します。そこには個人の小賢しい自己顕示欲も無いし、お見事な芸も技も無い。そんな場を経験すると、風土が育んで育ててくれた日本の感性と、その長い歴史の中に我が身が生かされているのだと感じられます。そしてそれこそが私の表現すべき世界だと思えて仕方がないのです。個人の頭で考えた小さな世界ではなく、千数百年に渡りこの風土に育まれ伝わって来たものを受け継ぎ、そしてそこから自分なりに作品を創り出して行きたい。津村先生や面先生の姿を追いかけたいのです。

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さて今週は第186回の琵琶樂人倶楽部があります。今回は戯曲公演「良寛」で御一緒している、パフォーマーの中村明日香さんがゲストです。宮沢賢治の「龍と詩人」を明日香さんなりにやってもらい、私は樂琵琶で対します。津村先生や和久内先生もお時間があれば来てくれるそうなので、久しぶりに「良寛」チームの勢ぞろいです。19時00分開演です。ご興味のある方は是非ご連絡ください。

グンナル 和CD

20年程前に創ったCD 筝:カーティス・パターソン、鼓:藤舎花帆。尺八:グンナルさんらと


グンナルさんと話しながら、今回も話は尽きませんでした。遠方にこうして志を同じくする友が居るというのは嬉しいですね。

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