今年は世の中混乱状態のせいか、演奏会事情も例年とはずいぶん違います。毎年6月は仕事が集中し、ヒーヒー言っているのですが、今年はいつものように週1,2回しか演奏がありません。という訳で、周りからは相も変わらず、「お前は普段何をやっているのか?」と問い詰められていますが、私もこれで何かと忙しくしているのですよ。
この間散歩した、川辺で撮った鷺
私が全く練習をしない事は、友人知人皆が知っている通りなのですが、ただぼーっとしている訳ではありませんよ!!譜面書きをしたり、色々と音楽について考えているのです。これでも・・・。後はレジュメ書き、事務雑用等呑って(?)いる訳ですが、中々信用してもらえない。
という訳で、ここ数日の行動を記しますと、2日はチラシデザインの打ち合わせの後、日本橋ろくでなしブラザースの不定期例会 in しろくまや。久しぶりに呑み過ぎました。
岡団長を中心にClayさん、池田さん等いつもの仲間が、異常にはじけてました。さすが「ろくでなし」の冠を頂く皆様。
3日は蕎麦道心で腹ごしらえの後、高久圭二郎さんのライブ、ハンガリーの音楽ライブを見に行き、テケルとウトゥーガルドンの音を堪能。見聞を広げてまいりました。写真はテケルを持ってポーズを取る高久さん。


4日は朝日カルチャーセンター湘南の特別講座をやった後、
劇団トリガーラインの公演を見て、舞台人の心得を勉強してくる、という忙しい日々を過ごしている訳です。
音楽活動は一人じゃ出来ない。いろんな人との繫がりの中で音楽や演奏会が成り立つので、とにかく多くの人に出会い、関わってゆく事が大事なのです。だからオタクのように自分の世界に入り込んでいては、やっていけない。自分と違う考え方、感じ方をする人たちとどんどん接してこそ、磨かれるというものです。
今、邦楽人を見ていると、同好の士とばかりと付き合っている人が多い。これは趣味のサークル活動です。音楽を世に向け発信して行くのであれば、異ジャンルの人達と積極的に交流することです。マニアの為に発信していても始まらないし、自分の価値観を押し通しても仲間しか振り向いてくれない。
自分の活動にブレがあってはいけないけれど、常に自分と違うものを受け入れてゆく、柔軟性と器の大きさが、芸術家にとって一つの鍵になると思います。上手になることも必要ですが、それ以上に、こうした人間の器こそが実は問われるのです。
と言いながら、今日も交流(?)してきました。弁天様もお見通しの事でしょう。


音楽の世界はかくも豊かなのか。本当に魅力溢れる世界です。
先週の日曜日は久しぶりに大阪で演奏してきました。

もう10年程前、大阪ではずいぶんと色々なコンサートをやりました。もちろん琵琶の会ですので、サロンコンサートやお寺での演奏会等が中心だったのですが、静岡と東京しか知らなかった私には、何処へ行っても、何を食べても関西の文化は面白く、多くの友人知人がそれ以来出来ました。
今回は、これまで何度もサロンコンサートを企画して開いてくれた、AGEという創作ブティックが25周年を迎え、その記念に演奏したのですが、「10年前のコンサートの時も聞いてたよ」という方が何人もいて、嬉しいひと時でした。
私の一人置いて右隣の方がAGEの代表 浅葉さん。昨年は高野山演奏会にも来て頂いて、もうずっとお世話になりっぱなしです。AGEのお仲間の方々と一緒に。
今回は残念ながらあまり写真が取れなかったのですが、10年前のAGEのコンサートでは笛の阿部慶子さんとこんな感じでやってましたね。

二人とも若い!(拡大厳禁)
私にとって、大阪は何だか相性が良いのです。知り合う人は皆親切で人懐っこいし、街で大荷物を抱えていれば、知らないおっちゃんが、「ちょっとまっててや、今扉開けてやるで」なんて声かけてくれて、すっと手を差し伸べてくれる。東京ではありえません。それに芸事に関心の高い方がとても多い。さすが日本文化の発祥の地域だけあります。興味の無いことに対し、あまり価値を見出そうとはしないクールな東京人とはずいぶんと違うのです。そして皆さん縁を大事にしているのか、一度知り合うと、何やかんやとお付き合いが続く方がいっぱい。正に「情の街」ですね。
今回ももちろん粉もんをばっちりと食べ、個性豊かな友人と飲み歩いてきました。堂山という、東京人にはかなり「大阪!!!っぽい感じ」ばりばりの街では、ジャズの流れる焼酎バーで盛り上がってきました。4月にオープンしたばかりの「焼酎バー 純」というちょっと個性的??なお店です(行って見れば判ります)。ジャズギターの好きな方はマスターと話が合うと思いますよ。また行きたいな~。
焼酎Bar純HP http://www5.hp-ez.com/hp/shochu-bar-jun/page1
琵琶は結してハッピーな音楽ではないのですが、こうして10年経っても私の演奏を楽しみにして集ってくれる、そういう人達に囲まれているというのは、やっぱり幸せですね。

この絵はCDジャケットや琵琶樂人倶楽部のトップページに使わせていただいているのですが、10年前のAGEでのコンサートを見ていたおばあちゃまが、パステル画で書いて送ってくれたものです。嬉しいですね。
琵琶背負って、色々な所で演奏して廻る廻る人生は、実に楽しいのです。
さて、これからも色々と入ってます。また6月末には楽琵琶のニューアルバムのレコーディングも控えて、忙しくなりそうです。こうして忙しくさせてもらっている事に感謝!乾杯!!
昨日は、阿佐ヶ谷のギャラリー田村にて、「塩高和之琵琶独演会」をやってきました。

私が琵琶の活動を始めた時は~もうずいぶんと前ですが~東京ではなく大阪を中心に始めました。最初のCDを作った会社が大阪だった事もあり、とにかく小さなサロンコンサートを毎月5,6本やっていたものです。
当時色々とアドヴァイスをくれていた(もちろん今も)邦楽のプロデューサーさんが、「20人、30人位のお客さんの前で、ゲストを入れず一人で演奏しなさい。それも毎月のように」と、会う度に言ってくれまして、その方の助言を信じ(?)、せっせとやっていた訳です。
それはもちろん場数を踏むという意味もあったのですが、その恩師曰く、「小さいスペースでは上手い下手よりも、表情、所作、ちょっとした会話、それら全てがお前の音楽として受け取られる、だから演奏技術だけでなく、人を魅了する人間力をつけて来い!」と、いつもいつも説教されてました。今思えばありがたいことです。
今でもこういうサロンコンサートは大阪・東京でやっていますが、最近では一人ではなく、誰かゲストを入れたりしてやることが多くなりました。それも良いのですが、やはり自分で全ての責任を負い、且つ内容的にも充実したものをやる、そんな初心の頃にもう一度立ち返ろうと思いこの独演会を企画したのです。
こちらは私の活動をお手伝いしてくれている、オフィス遠の音の喜多村さん。今回も事務的な事は彼女に任せたので、演奏に集中できました。
大阪でも、毎年の高野山でもマネージャーさんが夫々いましたが、やっぱりこういうプロデュース側の方と、しっかり連携をしてゆく事は大事だな、とあらためて思いました。
今回は、初めての場所での演奏ということもあり、オリジナル色はちょっと押さえて、琵琶の紹介という事も兼ねて、スタンダードナンバー的なラインナップにしました。
薩摩琵琶弾き語りで「祇園精舎」「城山」「壇ノ浦」、
独奏(唄なし)で「風の宴」、
楽琵琶で「啄木」
平家琵琶で「祇園精舎」
ラストはリクエストに答えてアンコールとして、楽琵琶で「春陽」
祇園精舎は薩摩の語りと平家の語りではずいぶん違うので、その辺のところも聞いていただきました。ラストに弾いた楽琵琶の「春陽」も、今までで一番気持ちよく弾けました。薩摩琵琶の方は絃が安定しなくて、ちょっと厳しかったですが、まあそういう時にこそ、私の実力が出るというもの。
お客様も、いつも聞きに来てくれている常連の方から、久しぶりの方まで沢山聞きに来てくれてありがたかったです。
こちら錫の作家の
秦世和さん YABURE-SUZU – Hada Seiwa’s original tin works (yaburesuzu.main.jp)
「破錫」といって、独特の作風でがんばっている、これからの日本文化をになうアーティストです。伝統的であり、且つモダンセンスな作品を発表しています。

こちらは日舞花川流の若き家元後嗣 花川梅朝さん。花川流は、長唄の初代寶山左衛門のご子息が始めた流派で、大きな流派ではありませんが、しっかり確実にがんばっています。私は四世寶山左衛門先生に随分お世話になり、先生が率いていた福原流とはお付き合いが深いので、何かと共通点が多く、話が盛り上がりました。
お客様の中には女子高生から80代のおばあちゃままで、色々な年代の人が来てくれました。男性も結構多かったですね。
いつも思っているのですが、普通の方にどんどん聞いていただきたいのです。もちろんマニアの方も大歓迎ですが、現代社会の中で普通に生きている方に、現代の感覚で聞いてもらってこそ、生きた音楽だと思うので、Jポップを聞いている若者にも「いいね!」と言われるような現代感覚を持っていたいと思います。今回はちょっとスタンダードな感じでしたので、次回はぜひ、いつものように私のオリジナルで、塩高和之の世界をたっぷりと聴いていただきたいと思っています。やはり「琵琶」を聴きに行くのではなくて、「塩高の演奏」を聴きに行きたい、と言わしめなくてはいけません。でもまあ先ずは、若者に琵琶の魅力を感じてもらえると嬉しいですね。
聞きにきてくれた方とコミュニケーションを取りながら演奏するというのは、私の演奏家としての原点。これからはこういう独演会をどんどんやって行きますよ。乞うご期待!!

18歳までですが、静岡に居た頃は毎日富士山を見ていました。静岡以外の事を知らず、その頃はあまりに当たり前過ぎて富士山を見ても特に何も感激しませんでしたが、今、東京暮らしの方が長くなると、富士山も違って見えてきます。これが私の人間としての原点
初心忘るべからず。
一昨日は毎月定例で主催している、琵琶樂人倶楽部で平家琵琶特集をやってきました。

この間の岩田君と一緒のライブの時にもちょっと弾きましたが、これから平家琵琶もどんどん弾いていこうと思ってます。上の写真は琵琶樂人倶楽部の古澤さん。左の白っぽい琵琶が古澤さん愛用の石田不識作、茶色の方は私が最近手に入れたもので、名古屋の熊澤滋夫作です。この二つの琵琶は、制作者の琵琶に対する考え方が全然違うようで、音色というのか、音の出方というのか、全く違うのです。
また古澤さんは平家琵琶でも「仙台系」という一派のスタイル、私が参考にしたのは「名古屋系」と呼ばれる今井検校さんのCD。もちろん平曲では私は古澤さんのレベルには程遠いですが、音色の違いと共に、こういう語りのスタイルの違いも聞いていただきました。
平家琵琶は琵琶といってもほとんど9.5割以上が語りで、琵琶はほとんど弾きません。したがって、○○系といっても語りの節が違う、と思っていただいて結構です。琵琶の奏法の方は残念ながらほとんど発展していなくて、聞いていると、いわゆる合いの手にベンベンという程度です。
しかし平家琵琶は日本の邦楽の基礎となった「原初の芸能」です。元は声明や講式というお経を読む時の節回しから来ているらしいですが、平家琵琶の節回しが出来て以降は、平曲が元となって、謡曲やその後の邦楽へと繋がったといわれています。私自身は平曲を演奏したいというよりは、そういう邦楽のルーツに興味があるといった方が近いでしょうか。
今回も色々と若い世代のお客様が来てくれました。最近では琵琶樂人倶楽部も若い常連さんが来るようになってきていて、地味な琵琶楽も少しづつ輪が広がっているような感じがあります。
琵琶に対して、色々な人が色々な想いを持って集ってきてくれる、そんな状況をもっともっと増やしたいですね。
古澤さん熊澤作の琵琶を弾く
これからは「琵琶はこうでなくてはいけない」なんていう考え方を押し付けても、次世代の若者はついて来ません。新しい世代は新しい感性で聞けば良いのです。
武士道の音楽などと言い張ってふんぞり返っている時代はとっくに終わりました。色々な時代の、色々な感性に晒され、捉えられてこそ、何事も豊かに熟成し、深まって行くのです。平家物語自体が、時代により色々な解釈をされてきて、愛され、日本人の感性と源となっていったのですから・・・。
これからの時代は若者が作る。だから彼らが思うように琵琶を聴き、弾き、新しい音楽が生まれてゆくのが一番です。クラシックでもジャズでも、常に時代と共に、時代を代表する音楽がどんどん作られてこそ、文化となって花開くのです。デキシーランドジャズしか認めない、ありえないなどと言っていたら、もうジャズなどとっくに無いのです。バッハ以外は全てだめだといっていたら、クラシックはおろかヨーロッパの文化も歴史も存在しない。新たなものを創るには過去を知らないと創れない。古典こそが新たな世界を開き、導く道しるべなのです。
マイルスが、コルトレーンが、ドビュッシーがメシアンがケージが武満が、夫々時代をリードして行ったからこそ、今があるのです。そして夫々の音楽は共に素晴らしいのです。

新しい時代が明けてゆく。今がその時なのです。