新たなページが開かれる

今週は宮地楽器ホールでの「9.11メモリアル」と、琵琶樂人倶楽部~薩摩筑前聴き比べをやって来ました。

t6以前人形町楽琵会で「二つの月」を共演した時のも
9,11の方は前回お知らせした通り、拙作「二つの月」をヴァイオリンの田澤先生と私のデュオに、津村禮次郎先生の舞が入って再演したのですが、以前やった人形町楽琵会の時とは違い、会場が広く響きも抜群でしたので、津村先生も自由に動くことが出来、実にドラマチックな舞台となりました。やはり自分が思い描いているものが実現するというのは嬉しいですね。

当日の動画「二つの月」

この夏はヨーロッパへのツアーが無くなって半月ほど空いてしまい、強烈に暑い日が続いていた事もあって、ずっと家の中に居ました。幸い創りかけの曲を完成させたり、レパートリーを見直したりと、わりに有意義に過ごすことが出来、嬉しい夏でした。
また最近はコロナ自粛が一段落着いてから、何か潮目が変わったのか、音楽活動も次の段階に入ったように感じています。私は10年位(早い時は5年程)の周期で活動内容が変化して行くのですが、今は新たなページが開かれる分岐点なのでしょう。これまでの活動の在り方はこれから一変すると思います。
今一番感じている事はやはり演奏会のやり方ですね。集客が以前のように行かなくなってきている感じがあり、自主企画公演を開くのがちょっと厳しいですね。お陰様で琵琶樂人倶楽部は細々と毎月楽しくやらせてもらっていますが、もうCDがほぼ無くなり配信でのリリースが一般的になってくると、演奏会も変化して行くのは必至であり、宿命ですね。従来の演奏会の形は無くならないと思うのですが、やはり集客+同時配信のような形が一般的になって行くのだと思います。つまりPCと音楽がより密接になって行くという事です。
音楽を創って行くという事は、日々刻々と留まる事無く変化して行く日常や社会と対峙する事でもあるので、音楽家として生きて行く以上は、活動スタイルに関してはどんどんと変化せざるを得ませんね。明治にSPレコードが登場した時もそうだったでしょう。永田錦心は正にSPレコードという当時の最先端メディアに乗って時代の音楽界に登場したのです。そんな時代の変化を拒否していたら音楽活動はやって行けません。音楽はやればやる程に生きもののように感じます。

4photo 新藤義久
私の場合ショウビジネスの世界にいる訳ではないので、売る為に音楽性が変わるという事はないです。琵琶を手にした最初から、弾き語りではなく現代日本の音楽をやるという想いで一貫していますので、その音楽的な内容は全く変わりようがないですね。しかし以前作った曲も時が経つと自分の中での意味合いも変わって行きます。先日演奏した「二つの月」は、9.11のテロの後、思う所あって作曲したのですが、1stアルバム「Orientaleyes」をリリースした時でもあるので、あの時も私の新たなページが開いた時だったのでしょう。最初はチェロと琵琶のデュオでした。それが15年以上経って、あのテロの意味にも様々な展開があって、私の中でも事件当時とは考え方が変わったことで、2017年にヴァイオリンと琵琶に編曲し、曲の持つ重みもより一層大きくなりました。今では私の最重要のレパートリーとなっています。ヴァイオリニストの田澤明子さんという、他にはあり得ない才能に出逢ったのは、正に新たなページが開かれた瞬間だったと思います。
その他の曲も作った当時とは私の感性も深まって来ているし、世の中の変化もあって、懐メロをやる様には演奏出来ないのです。デュオなどでパートナーと共にやる曲は尚更、自分だけでなくパートナーも変化して行くし、表現方法も想いもそれぞれに変わって行くので、そんなこともあって曲は生き物のように進化して行くのです。

デュオ1m

琵琶樂人倶楽部にて、パフォーマーの中村明日香さんと photo 新藤義久


琵琶樂人倶楽部も11月で16周年、開催も190回となります。最初に始めた時の事はよく覚えています。琵琶樂の様々な姿を世に紹介したいと琵琶製作者の石田克佳さんに相談し、先輩の古澤月心さんに声をかけ、会場の名曲喫茶ヴィオロンのマスターにも話を持って行って、毎月第二水曜日を一年丸々押さえてもらって、私としては結構な勢いでスタートしました。新たなページがめくられた瞬間だと思っています。
先日は筑前琵琶の鶴山旭祥さんをゲストに迎え、筑前と薩摩の聴き比べをやったのですが、楽しい時間を過ごさせてもらいました。鶴山さんとはもう20年程お付き合いをさせてもらっていて、今でも年に数回は御一緒させてもらってますが、私に無いものを沢山持っている鶴山さんの演奏はいつも興味深く、先日も色んな気づきを頂きました。昔からずっとお付き合いのある方とこの琵琶樂人倶楽部で今でも御一緒出来るというのは本当に幸せな事。それにお互いの音楽もそれぞれに深まり、終演後の琵琶談義も実に面白いのです。こんな具合で琵琶樂人倶楽部もやって行くうちにゲストに来てくれる人も自分も、開催内容も、ゆっくりと変化してきました。ここ数年は毎月ゲストを迎えてやるようにしているのですが、毎年新しいゲストが一人二人増えますね。毎年9月に来年一年間のスケジュールを組んでいるのですが、来年も新たなゲストに声を掛けているところです。また一年楽しませてもらいますよ。

私は年を経るごとに、何だか本のページをめくって行くような感じに思えてきて仕方が無いのです。次を自らの力で切り開いて行くというよりも、行くべき所に導かれているという感じです。20年、30年前の過去も、単に過ぎ去ったものではなく、ページを前の方にめくり戻すと、さっとその頃が甦る。あまり昔の事とは思えなくなってきています。まあ鏡を見ると随分と顔は老けてしまいましたが、感覚だけは物理的時間を軽々と飛び越えてしまうのです。もしかするとこういうのが年を取るという事なかもしれませんね。

mix230年近く前。ターンテーブルやアナログシンセを入れてガシガシやっていた頃
そしてもう一つ。年齢を重ねて行くと、自分に嘘はつけなくなります。取って付けたように和風っぽい感じを出したり~例えば地方の民謡を取り入れたり~すると、とても違和を感じてしまいます。特に民族色の強い音に関しては、風土も歴史も自分の中に無いものは、所詮物真似以上にはならないのです。それはその音楽へのリスペクトもないという事ですし、自分の音楽にとっては余計なものになってしまう。そういうものはもうやりたくないですね。

私の友人に「YMOは当時の日本の民族音楽だ」とよく言っている面白い人が居るのですが、私は実に良くその言葉が判るのです。70年代から80年代に静岡と東京で暮らしてきた私にとって、縁もゆかりもない東北や沖縄の民謡は私の持っている風土の音楽ではありません。今は民謡歌手も各地の歌を歌うようになりましたが、もはやそれは今まで言われてきた民謡ではないですね。「民謡」というジャンルの音楽でしかない。自分が生まれ育った土地や風土そして歴史があってこその民謡であり、雪が降るのを見たことも無い私が、津軽民謡を真似して演奏しても、それは偽物で、且つ嘘でしかないのです。それよりも高度成長の好景気の中で物に溢れ、贅沢を満喫していた当時の日本全体の暮らしを考えたら、よっぽどYMOの音楽の方が当時の日本人の感性を代表していた「日本の民族音楽」であり、またあの頃には、その日本の民族音楽が世界に飛び出て行った、そんな時だったのでしょう。

1阿佐ヶ谷ジャズストリートにて Flの吉田一夫さんと
個人的な事で言えば、20代の頃(まだYMOが流行っていた頃)、私はジャズにどっぷり漬かっている状態でした。しかしどうも息詰まりを感じ、自分の音楽が見つからずもがいていたのです。そんな時に琵琶を勧めてくれた作曲家の石井紘美先生との出逢いは正に運命でした。あの時私が開くべきページが目前に示され、導かれるようにして今に至るのです。これからもまた新たなページをめくって行くのだと思いますが、身にまとわりついた知識やキャリア、技術は重たい鎧にしかなりません。ほとんどの方がそういう身に着けたものを捨てられず、活動をする程に重たい鎧を自分でも知らない内に背負ってしまうものです。そんなものはどんどん脱ぎ捨てて、身軽に自分のありのままの姿が出てくるような、リアルな音楽を創りたいですね。次のページをめくる時はもうすぐのような気がしています。

宿が来る

中世以前の古典芸能に関心のある方なら「宿」(シュク・スク)の事は知っていると思います。能では翁の成立に深く関わっていたり(または宿そのものとされたり)、摩多羅神、猿=先住民=国津神などとも繋がっていて、古代芸能と「宿」や「宿神」というのは大きな関係があります。近世からの三味線中心の文化ではほとんど言われないという所も面白いですね。探してみると「宿」のことを書いた本や小説は結構あります。有名な所では、夢枕獏さんの書いた「宿神」という作品などもなかなか面白いですよ。

「宿」は優れた芸能を演じている時に現れる「何か」と言ったら解ってもらえるでしょうか。フラメンコでも「ドゥエンデ」という神懸ったような瞬間の時を言い表す言葉がありますが、確かに何かが宿っているような、「宿」を感じるような、現実を越えてしまった瞬間は長年舞台をやっているとあるものです。きっと舞台人それぞれにそんな体験を持っていると思います。

4.5本番7

戯曲公演「良寛」より

今迄やった中では戯曲公演「良寛」のラストシーンがそうですね。能楽師の津村禮次郎先生と私の弾く樂琵琶のみで約8分間やるのですが、津村先生は正に翁となってゆったりと舞います。私は拙作「春陽」を撥を使わず指で静かに弾くのですが、その8分間は会場全体が早朝の湖面のように清浄で、場は静寂に満たされ、且つ生命が静かに存在する、言葉ではとても言い表せないような精緻な世界が出現します。津村先生は毎回客席の方から舞出るのですが、舞が進むにつれ、静寂を越え「宿」が現れてくるような瞬間を迎えるのです。ここ10年に渡り「良寛」は幾度となく再演して来ましたが、これ迄「宿」を感じるようなラストシーンは2回ほどありました。

人形町楽琵会にて ヴァイオリニストの田澤明子先生生と

他にはヴァイオリニストの田澤明子先生との共演の時ですね。近々では4月の三浦半島で開催されたプライベート演奏会での田澤先生の演奏は正に神懸っていました。私は横で一緒に演奏していて「ついに越えてしまった」と感じたのを今でも覚えています。田澤先生・津村年生とは、人形町楽琵会にて拙作「二つの月」で共演させてもらったこともありましたが、実は今月、哲学者の和久内明先生主催の「9.11メモリアル」にて、またこの3人による「二つの月」が再演されます。

武蔵小金井駅前にある宮地楽器ホールにて、9月11日に開催されますので。是非お越しください。
08 | 8月 | 2023 | SHIOTAKA Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – (biwa-shiotaka.com)詳しくは私のHPのスケジュール欄を御覧になってみてください。当日ふらりとお越しになっても結構です。

また当日は戯曲「良寛」の第二幕の部分の再演もします。私と津村先生の他、ここ数回「良寛」で共演しているパフォーマーの中村明日香さんも加わっての上演です。

この私が体験した「宿」が現れる瞬間というのが、果たして「宿」なのかどうかは判りません。しかしその瞬間は、確かに現実・現世を越えた恍惚とも言える時だったのです。それは美を体感したとも言い換える事が出来るかもしれません。確かに現世ではない次元への飛翔の瞬間だったです。小説「宿神」では蹴鞠をしている時に立ち現れる情景が描かれていますが、私がこういう経験したのは、ここ10年です。リスナーとして舞台やレコードCDなどを聴いて、感動した体験は色々ありますが、自分が演奏して感じるあの瞬間は、どんな言葉を尽くしても表現できるものではありません。そして面白い事に津村先生と田澤先生とでは、それぞれ違う世界が現れるのです。津村先生は上記したように静寂精緻の世界。田澤先生は、ある種超えてはいけない狂気の領域へ踏み込んでしまったような世界観なのです。
ただどちらもこの世のものではありませんでした。

  4m
photo 新藤義久

人形町楽琵会にて 能楽師の津村禮次郎先生と


これからも「宿」に出逢いたいものです。

夜明け前

世の中は激動とも言える程に安定しませんね。私のような浮世離れしている人間にも、その波騒が伝わってくるという事は、いよいよ何かが始まるのかと思えて仕方がありません。

最近は演奏会が少ない分レッスンをよくやっています。私は教室の看板は今でも掲げていないし、教える事は積極的にやっていなかったのですが、コロナ自粛の3年間で、どういう訳か琵琶を習ってみたいという人が次々に集まって来ました。とはいえ私は流派の曲を演奏している訳ではないので、私のスタイルが良いという人にしか対応できません。また手取り足取り教える訳ではなく、自分でやるべきものを見つけて勉強して来いという方なので、一般の邦楽教室とは随分と感じが違うと思います。生徒は20代30代の若者が多く、正に今活動を開始しようとしている人もいますので、時々自分の若い頃の経験など話をするのですが、説教おやじにならないように気を付けてます。

y30-3s30代後半の頃
私が東京に出てきたのは80年代で、まだネットもスマホも何も無い時代ですので、世の中に何が起こっているのか全く分からず、また他の事に目を向ける余裕もなく、自分の事でいっぱいいっぱいでした。故に情報も今のように入ってこなかったので、振り回される事もなかったです。あれから紆余曲折を経て、よくぞまあこれ迄琵琶を生業にして生きて来たな、としみじみ思います。今更ながら縁というものの深さや、導かれるが如き運命というものを感じずにはいられません。

私と同世代には天才が沢山居て、ピアニストの小曽根真さんやギタリストの山下和仁さんなどもう世界の頂点に行くような人が80年代から活躍していました。私とは大違いです。比べてもしょうがないのですが、その頃は「やはり音楽は天才がやるべきなんだな」なんてへこんでました。当時就いていたギターの師匠 潮先郁男先生は、そんな私を見て「自分が好きなものより、自分らしい、自分に合ったものをやりなさい」とよくアドヴァイスをしてくれましたが、その後作曲家の石井紘美先生が私に琵琶を勧めてくれて、やっと憧れではなく自分が本来持っているものが何であるかに気付くことが出来、自分の方向を見つけられたのは本当に良かったと思います。潮先先生や石井先生には感謝と共に、深い縁を感じずにはいられません。
何をするにも人より何倍も時間がかかり、何か発想が浮んでもそれを具体化するのに更にまた延々と時間がかかる。その上何度も失敗をしないと出来上がらないという天才達の真逆を行く性質ですが、これが私に与えられた人生であり、これで良かったのだと、今では思っています。

デュオ1m1s

左:パフォーマー中村明日香さんと 

右:メゾソプラノの保多由子さんと photo 新藤義久


現在は次のアルバムの曲創りとレコーディングが大きな目標で、只今新曲の作曲を進めているのですが、大分形が見えて来ました。今回は声を使った作品「Voices」、琵琶独奏曲「東風(あゆのかぜ)」他の収録を予定していますが、その他にも声を伴った曲が出来ないか模索中です。
弾き語りに関しては、作詞を森田亨先生にお願いして色々とやって来ましたが、まだまだスタイルとしてはモダンな琵琶歌という所に留まっていて、まだ新たな琵琶語りのスタイルは創れていません。私は器楽がまず先ですので、この部分は次の世代に託しても良いかとも思っています。今生徒で独自の弾き語り曲を創ってライブを重ねている若者もいます。まだまだこれからという感じではありますが、琵琶と声の新たな世界を築いてい行って欲しいですね。

上の写真は左がパフォーマーの中村明日香さんと宮沢賢治の「龍と詩人」をやった時のもの。右は「Voices」を歌ってくれているメゾソプラノの保多由子さんとの共演時のもの。まだまだ声と琵琶においては実験段階ではあるのですが、今後は声の専門家と組んで行く事は多くなると思います。作品もこうした専門家とのデュオやトリオのものを創って行きたいと思っています。
とにかく父権的パワー主義みたいな大声でコブシを回すスタイルを乗り越えて、軍国時代の歌詞や多分に男尊女卑的な内容も刷新して、これからを生きる人達に共感を持って受け継がれて行くものを創りたいですね。

琵琶の現代邦楽作品は相変わらず極端に少なく、今よりかえって武満さんの時代の方が、邦楽器の特質を捉えていたように感じます。少なくとも現在、日本人の生活の中に邦楽自体がありませんし、邦楽を作曲できる作曲家もほとんど居ません。皆洋楽の勉強を最初からやっていて、洋楽しか勉強しておらず邦楽を全く知らない人が作曲家と言って活動しているので、洋楽を邦楽器でやるという所で止まっているように思います。邦楽は彼らにとってアイデアやバリエーションというのが正直な所ではないでしょうか。現在の日本の音大出の作曲家には「日本音楽」は創ろうと思っても創れないとも言っても過言ではないと思います。創るのは洋楽ではなくあくまで邦楽、最先端の日本音楽を創って欲しいですね。そこに洋楽器を入れて次世代の邦楽を創る、そんな人が出て来ないですかね。せめて私は微力ながらあくまで邦楽の土台をもって作品を書き、その上で洋楽器とも共演するという事をもっとやって行きたいです。日本音楽の最先端に居たいのです。
まだまだ日本音楽の夜明けは遠い気がしています。

私自身も色んな作品を創っていますが、新たな琵琶樂として宣言できる作品というと、初期作品では「まろばし~能管(尺八)と琵琶の為の」「風の宴~琵琶独奏の為の」の二曲がその代表です。上に張り付けたものは、「まろばし」をヴァイオリンでやったものです。リズム・メロディー・ハーモニーという洋楽の基本となる三要素が全く無く、あくまで邦楽のセンスで全体が創られた曲を、洋楽器でやってもらうのは、とても面白いのです。どんな楽器を持ってこようがどこまで行っても邦楽という訳です。ヴァイオリンは勿論いつもの田澤明子先生ですが、彼女はとにかく柔軟なセンスと技術を持っているので、洋楽ではない現代の邦楽にすんなりと入ってきてくれます。
最近の作品で代表作と言えるのは、上記の「Voices」、8thアルバムに収録した「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」、その別ヴァージョンである尺八二重奏による「二つの月」でしょうか。これらはネット配信でもとても人気が高いです(Voices」は未だ未配信)。

その他、デュオを中心に色んな作品を作曲しているので、琵琶の可能性は誰よりも広げていると自負していますが、琵琶樂の次の時代を提示するような作品は今後もっともっと創って発表して行きたいと思っています。洋楽ではなく、あくまで日本音楽の最先端でありたいのです。

水藤錦穣5私が弾いている錦琵琶を開発した水藤錦穰師
先日のSPレコードコンサートで聴いた先人たちの演奏は、皆驚く程レベルが高かったです。それは演奏する側も聴衆もその音楽を望んでいたし、それが時代の感性のど真ん中であったからです。これはかつてのジャズもロックも同じ事で、演奏者と聴衆がお互いに求めたからこそ次代の音楽になったので離、またその片方が求めなくなると衰退して行くのです。私はジャズを自分でやってみて、それが身に染みて良く解りました。もう私がやり始めた頃には、ジャズは一部のマニアのものになりはじめて行ったのです。琵琶は既にマニアさえも居なくなり、ただ珍しいものとして聴かれているのではないでしょうか。演奏する側は、高い志と日本音楽への深い考察・哲学を持っていないと、ただお稽古事の成果を聴かせているだけになってしまいます。

現代は色々なものが「自由」になってきました。良い面は多々ありますが、自由になればなる程そこに軸となるものがないと、人間は目の前の快楽と欲望にどんどん溺れて行きます。今はそれ故に邦楽に携わる人の姿が顕わになってきているとも言えます。つまりその人の志とレベルが問われているという事です。
音楽は創り出してこそ音楽たり得るのであって、過去をなぞったり、お上手を売り物にしたり、単なるアイデアを盛ったところで魅力ある音楽には成りません。

3s

photo 新藤義久


自国の文化に誇りを持ち、矜持を持って生きる事は何も右翼でも何でもなく、世界中どの国に行ってもまともな人間だったら、現状がどうあれ皆自国の文化に大いなる誇りを持っているでしょう。今の日本人はそこが完全に欠落している。自分達で次の時代の日本の音楽文化を創り出す。そして日本から世界に向けて日本音楽の最先端を発信して行く、そんなパワーが今、邦楽に日本人に求められている。上手さや受賞歴を自慢している場合ではないのです。私にはそう思えてなりません。私はただただ魅力ある琵琶の音色と、現在進行形の琵琶樂の最先端を聴いてもらいたいのです。
次代の日本音楽の夜明けをぜひ迎えたいですね。

詩と音楽Ⅱ

先日FMで三善晃作曲の「レクイエム」を聴きました。

この動画は放送で聴いたものとは違う演奏なのですが、なかなか凄いですよ。是非聴いてみてください。
私が最初に三善作品を聴いたのはもうかなり前で、その時は現代音楽特有の強烈な印象しか覚えていないのですが、正直な所、当時の感想としては三善作品はやはり洋楽の範疇だなという印象だったのです。やはり武満徹や黛敏郎のような日本独自の音色や哲学が明確に聴いて取れるものの方がピンときました。三善作品は聴けるものはとりあえず色々と聴きましたが、勿論凄いレベルだと思ったものの、当時まだ突っ走っていた私には、三善作品の深遠は聴こえて来ませんでした。

それが今から10年ほど前に三善作品の歌曲の譜面を見たことで、ちょっとした発見がありました。正直ちょっとびっくりしました。それは日本語の扱い方についてなのです。三善晃は日本語を洋楽の中で扱う事に関して、随分と努力したじゃないかと思います。
この「レクイエム」は、聴いていてもほとんど歌詞は聴き取れません。上記動画を見て頂ければ良く解りますが、字幕が無ければ全く理解出来ないのです。以前はこういうものに対し懐疑的でしたが、同時にこういうのもありなんだ、とも思っていました。私が三善作品で聴いたポイントは、この日本語を扱う部分です。
多分パリに留学して自分の身を海外に置いて、日本的なるものへの想いや自分の中に在る「日本」を見出し、想いが湧きがっていたのでしょう。森有正もパリにいたからこそ、あれだけの言葉を紡ぎ出せたのだと私は思っています。是非三善晃には洋楽を越えて、日本音楽そのものにも取り組んで欲しかったですね。時代という事もあったと思いますが、そこがとても残念です。

リハ3s

横浜能楽堂第二舞台「Voices」リハ中 保多由子(Ms)久保順(Fl)さんと


昨年作曲したメゾソプラノ・能管・琵琶による「Voices」は、この「レクイエム」や細川俊夫作曲の「恋歌」等の作品を若き日に聴いた記憶がベースにありました。言葉をメロディーに乗せて意味を表現するのではなく、言葉を音声にまで分解する事で、意味ではなくエネルギーを伝えたいと思ったのです。「Voices」ではラストに行くに連れ、言葉が言葉としてだんだん聴こえてくるようになっているので、この「レクイエム」のように字幕がないと何もわからないという事はないのですが、こういうスタイルで歌詞を扱うその発想の源はこの辺りにあるのです。

今Jポップなども、抒情ばかりを歌い上げる昔の歌謡曲と違って、リズムやメロディーに無理やりのように歌詞を乗せていて歌詞が聴き取れないようなものも結構ありますが、私はそれゆえに現代のサウンドや勢いが感じられると思っています。言葉に対する感性の変化なども含め、とても面白いです。歌謡曲では70年代後半辺りからそんな歌詞の扱いが始まったのではないかとも思いますが、現在ショウビジネスの音楽シーンでは歌詞が最初ではなく、曲の方が出来上がっていて、そこに歌詞を当てはめるという作業が一般的になっています。私の所にはその作詞の仕事をしている者、作曲の仕事をしている者の両方が来ていますが、話を聞いているだけでも現代のショウビジネス音楽の姿が見えて来て面白いです。
考えてみれば、70年代のロックやブルースは意味も解らなく、何だか格好良いというだけで聴いていた訳で、歌詞の内容よりも、そこにあるエネルギーを聴かせることの方が大事なんだと、改めて思いました。

歌詞の意味を伝えようとコブシを回したり大声張り上げても、なかなか伝わるものではありません。上手に歌っても、せいぜい関心はされても感動や共感は生まれないのです。先日のSPコンサートではビリー・ホリデイの「Don’t Explain」をで久しぶりに聴きましたが、上手いも下手も関係なく、彼女の歌そのものが聴こえて来ました。英語もろくに判らないのに、あの歌声が私を惹きつけてやまないのです。ちなみにこの曲はビリー自身が書いた詞だそうです。

大体歌詞の内容の上っ面が判ったところでその奥底にあるものはそう簡単には聴こえて来ません。言葉に意味があると思っている時点で、もう大きな勘違い。言葉の裏側にある「想い」をやり取りするから会話が成り立つのです。偉大な歌手とはその想いを伝えられる人の事を言うのです。
「愛してる」という言葉がどういうものか表現できますか。その言葉の裏には殺意があるかもしれないし、目の前の気分に酔っているだけかもしれない。言葉に囚われると、かえって奥底のものは聴こえて来ないものです。伝えるという事はいくら目先の技術を駆使しても伝わらない。エネルギーのやり取りをして、且つそのやり取りがお互いに出来なくては、伝える事は出来ないのです。日常生活でもそうではないでしょうか。私がお稽古事に関して、手厳しく書くのは、エネルギーのやり取りをしようとせず、少しばかり得意な事を披露しているだけで、やっている自分が気持ち良くなっているだけだからです。一方通行を走っているだけでどこを切り取ってもインタラクティブな関係が無いのです。私はこんなに上手に出来ているという、自分目線の意識しか持っていないという事は、音楽として成立していないという事でもあるのです。今の邦楽のいちばんの問題点はそこではないでしょうか。

19

photo 新藤義久


エネルギーこそ優先すべきであって、歌詞が聴きとれるかどうかなんて関係ない。私は三善作品や細川作品からはそういうヒントを頂きました。お上手に歌っても何も伝わらない。これは私が今迄音楽をやって来て感じた大きな事です。しかし歌う人は皆上手に歌おうとして、そこに囚われて、どこまでも囚われて音楽を創れないままに終わってしまう。鶴田錦史も言葉が聞き取れない所は多々ありますが、あの強烈なエネルギーはビシビシと伝わってくるではないですか。自分独自の世界を作ってこそアーティストではないでしょうか。
日本人は日本語の意味が解ってしまうからこそ、そこに囚われてしまいがちですが、上手に歌っても奥底にある想いが伝えられなければ、コブシも大声も余計な技術でしかないのです。以前から歌に関しては色々思いがありましたが、琵琶に転向してから、その点をあまりにはっきりと認識したので、私は器楽に向かったのです。とにかく琵琶の音色が好きだったので、最初から琵琶歌を自分の音楽に入れたいとは思はなかったですね。今はデビューCD「Orientaleyes」以来琵琶の器楽曲を沢山創って、11枚のアルバムにその成果を発表することが出来、本当に嬉しい限りです。
とにかく歌と琵琶を切り離して、従来の決まりきった節回しから解放してあげないと、琵琶のあの魅力的な音色も歌詞も響いてこない。私がやりたいと思った事は何も表現できないと思ったのです。せっかく他にはありえない魅力ある音色の楽器が目の前にあるのに、薩摩琵琶=弾き語りという観念に凝り固まって、歌の伴奏だけにしか使おうとしないのが私にはどうにも理解出来ませんでした。自分の本能に随って進んで来て本当に良かったと思っています。

お上手なもの、お見事なものは受け手がその世界に入って行く隙間が無い。ただ見せつけられているだけです。さらに言えば表現は具体ではなく抽象性があるからこそ、そこに聴衆の感性が入り込み、様々な想いや感情を羽ばたかせてくれるのです。表現も歌い手の個人の想いを吐き出しているだけではあくまでその人の中で完結している。リスナーとの共感が発生して初めて伝わるという所まで行くのです。
具体的にすればするほど、演者の個人性が強くなり、理解はしてくれるけれど共感や感動という所からはどんどん遠ざかってしまうものです。いくら言葉を尽くしても、受け手がエネルギーを受け取らない限り伝わらないのです。日常でもそんなことはいくらでもあるのに、こと音楽になると演者は上手にやろうという邪念が湧き上がって、そこに囚われて、本来持っているだろう自分の内に漲るエネルギーを見失ってしまうのです。

DSC_8461

福島 安洞院にて「3.11祈りの日」にて 詩人 和合亮一氏と

魅力的な音色、歌声こそがエネルギーであり、技巧を凝らすことはエネルギーではないのです。どんなテクニックも、それが表現する為にあるという事を忘れてテクニックに囚われ、更には言葉に囚われていては(特に意味の分かる日本語だと)、音楽の姿は立ち現れません。

声を出して歌うと確かに気持ち良い。しかし表現者としては、そこに酔ってはいけないのです。「レクイエム」を聴いて、改めて歌うという事、そして詩と音楽について想いが広がりました。

夏恒例 SPレコードコンサート2023

20日日曜日は、毎年夏の恒例SPレコードコンサートをやります。琵琶樂人倶楽部も今回で187回目。よくまあこんなに長く続いてますね。まあ儲けるつもりが無いのと、孔子様の言うように、努力して苦しんで頑張ってやるよりも、毎回楽しんでやっているから続くんでしょうね。来年のスケジュールも既に今組んでいまして、9月には決まると思いますが、来年も楽しませて頂きます。

さて今回のSPコンサートは、永田錦心、田中旭嶺、豊田旭穰の演奏を聴いて頂きます。それにしても大正から昭和にかけての演奏家は、皆さんレベルが高いですね。現状が本当に寂しい限りです。音楽性は別として、少なくとも技術に関してはどのジャンルでも、時が経てば経つ程に上がる事はあっても落ちるという事はないのですが、薩摩・筑前の琵琶樂に関しては、その技術の落ち込みが著しいですね。薩摩では水藤錦穰さんほどの技術の方は未だ出て来ませんし、筑前でも一部の方を除いて、当時の演奏家の正確なまでの技術は聴いたことがありません。特にSP時代にはピアノとデュオでやっている録音が結構あるのですが、西洋音楽と対峙しても引けを取らないその技術は大したものです。今回かける田中旭嶺さんもピアノとの録音がありますが、洋楽的な音程やリズムに関しては見事なものです。
SPレコードはやり直しの効かない一発録音だという事を考えると、その技術は現代では考えられないようなハイレベルだったのだと思います。また演奏の気迫も、今の何でも加工できる時代の演奏とは全く違いますね。

photo 新藤義久


毎年こうしてSPレコードを聴いていて、本当に色々と思う所、考える所があります。音楽は時代が変われば社会の中で、その在り方も変わるし、生きる人々の感性も変わるので、それに伴って音楽も変わって行くものです。歌詞だけを見ても大正や昭和の初期に出来上がった歌詞は現代に生きる人とは全く違う感性だというのは当然の事ですし、それを変えようとしないのは、ろくに歌詞の事を考えていない、つまり単なるお稽古事としか思っていないという事でしょう。本気になって音楽を創ろうとしないのであればリスナーと乖離してしまっても仕方ありません。逆に言えば、SP 次代の琵琶樂はその時代に生きた人々と共に在ったからこそあれだけのハイレベルが実現したのだと思います。

永田錦心


私は若き日に流派で少しばかり勉強しましたが、常に不思議の連続でした。音楽は、素晴らしい曲があり、弾き手が居て、そしてそれを聴くリスナーが居て初めて成り立ちます。これは楽器マニアにも言える事なのですが、自分が演奏する事にしか関心がない人が多いのです。楽器でもいくら高級な材料で見事な細工を施した楽器でも、それから美しい音を紡ぎ出す弾き手も、素晴らしい曲を創る作曲家も、受け入れるリスナーも居なければただのものでしかありません。楽器として命が無いのです。
琵琶人も今に生きる人の感性や心に沿って創ろうとしない限り、その音楽に命は宿りませんし、誰も受け入れてくれません。私には当時の(今でも)閉じこもってサークル活動している琵琶人達がどうにも不思議でなりませんでした。ロックでもジャズでも、クラシックでも、常に時代と共に新しいものが創られ、創りたいという人が溢れているのにね。これでは現状の琵琶樂に明日があるとは思えませんね。少なくともSP時代は一般大衆が琵琶樂に熱狂していたのです。今琵琶人達はそれを完全に忘れている。残念ですね。
私はこれからもどんどん新たな琵琶の作品を作曲して、演奏して、自分の思う琵琶樂の世界をやって行きますよ。小学生の時に初めてギターを手にしてから好きなように曲を弾いて演奏してきました。もちろん習いにも行きましたが、やりたい事をやるには創るしかないですからね。誰かのコピーや焼き直しをやって喜んでいる人の気が知れません。永田錦心が新しい琵琶樂を創ったように、私も自分のやりたい琵琶樂を創って行きます。

マイルス1

後半は今年も昨年に続きジャズの特集をします。ジャズは薩摩筑前の琵琶樂とほぼ同時期に興った音楽。やはり大衆に熱狂的な指示を受け発展し、現在は既に琵琶樂と同じようにその形は形骸化してしまいました。しかし琵琶樂と違う所は、その音楽は色々な形に変化して、様々なジャンルの中に今生きている事です。
私自身もジャズをやっていたからこそ、今琵琶で好きなように曲が創れるのであって、その素養無くしては今の私はありえません。単なる技術や知識というだけでなく、次代を切り開いて行く精神や、行動力は、マイルスやコルトレーンから学んできたのです。そういう所は現在生徒の中にも同じ質を持った人が出て来ているので、きっと何かしらの形で受け継がれて行く事と思います。

余談ですが、上に張り付けた画像のカウント・ベイシーと
は握手したことがあるんです。可愛いおじいちゃんという感じでした。マイルス・デイビスは目の前まで行きましたが、怖くて手が出ませんでした。若き日の想い出です。

8月20日(日)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:17時30分開場 18時00分開演
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(司会・レクチャー) 
演目:上記フライヤー参照ください

お待ちしています。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.