憧憬Ⅱ

私に永田錦心という人の凄さを教えてくれたのは、最初に就いた琵琶の先生 高田栄水先生でした。

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若い頃の体験は、年を重ねれば重ねるほどに大きく感じられ、時々知人に琵琶について熱く語っていると、「それは永田錦心のことだよね」なんて指摘される事も多いです。

まだ若かりし私が高田先生宅に習いに行くと、先生は先ず美味しいお茶を丁寧に入れてくれて、それから稽古をつけてくれました。曲中の言葉や内容で質問をすると、本を出してきて、その歴史とか背景などをじっくりと話し、謡曲や新内などの節で歌って、琵琶との違いを聞かせてくれました。今、私が琵琶を文化としてとらえるのは、明らかに高田先生の影響だと思います。私が合戦ものなどをほとんどやらないのも先生の影響。琵琶は人間の感性の奥深くを歌うもの、盛り上げるだけで、哀れだの悲しいだのという表面的な喜怒哀楽の部分で語るものではない、とそんな事を知らず知らずの内に教え込まれたのです。崩れなどは「感情で弾くんじゃない、もっと力を抜いて弾け」とよく言われたもんです。

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それまで私は音楽をそういう風にとらえていませんでした。表層意識で、格好良いとか、嬉しいとかそんな部分でとらえていた。かなり若い頃、作曲の石井紘美先生に「あなたのはエンタテイメントなのよね。アートじゃないわ」としょっちゅう言われていたのですが、高田先生に出逢って、石井先生の言わんとする所が少しづつ判ってきました。そして高田先生は「薩摩琵琶を芸術音楽にしたのは永田錦心だ」と常に話していたのを今でもよく思い出すのです。

永田錦心は画家でもあったので、人間の世の中全般に興味があったのでしょう。喜怒哀楽の出来事をただ表現するのではなく、どこまでも昇華して、時にドラマ仕立てにして、時に自然の風景になぞらえたりしながら、人間の作り出す光と影を普遍的な形にして表現しようとした。そして表現は常に端正で、目の前の感情に流されたりしないクールなスタイルだった。私はそこに永田錦心の視野の広い、新しい時代の感性を感じるのです。国が外に開かれ、民衆が初めて国外に目を向けた時代、坂本竜馬の例を出すまでもなく、そんな新時代の大きな視野と感性を永田錦心は持っていたのだと思います。

高田先生はもう御高齢という事もあり、技が追いつかない状態でしたから、音楽としてはもう表現できなかったかもしれませんが、きっと永田錦心の感性は受け継いでいたのではないか、と私は思っています。

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邦楽の演奏を聴いていて、「この曲は私がやるべき曲だ」というようなパッションを感じる人が最近あまり居ないですね。かつての尺八の横山勝也先生の本曲のように、「俺しかない!」みたいな、ぐいぐい迫るものを感じる人が少なくなったように思います。
色々なジャンルの方々と話していて思うのは、どんなものであろうが「この曲の先にどんな世界があり、どんなものを表現したいのか、なぜそれを君がやるのか、その意味・意義は何なのか」・・・それらの事なのです。永田錦心の新琵琶楽にはそのところがしっかりと彼の中にあったのではないでしょうか。だから身の危険を感じるほどに反発されても、ゆるぎなく貫けたのではないでしょうか。そこが彼の芸術音楽としての魅力なのではないかと思うのです。
           
           永田錦心

永田錦心は時代の息吹と共に新しいものをどんどんと吸収していきました。宮城道雄も沢井忠雄もそうでした。英語でも洋楽でも、それを勉強したからといって、外国かぶれになって、その人のアイデンティティーが失われてしまうのだったら、結局それまでのものしかないということです。明治~大正には鈴木大拙のような方が、世界中で、英語による仏教の講演をして、そこからヨーロッパには禅ブームともいうべきものが始まりました。彼の書いた「禅と日本文化」は今でもその魅力を失いません。この本は彼の英語による講演を、日本人が後から日本語に翻訳したものです。こんな志の高い人達がかつては沢山いたのです!!

逆の例では、随分前にヨーヨーマやギドンクレーメルがアルゼンチンタンゴのピアソラの作品を演奏し、紹介しましたが、それで彼らの音楽がだめになったでしょうか、むしろ豊かになったのは世界が認めることだと思います。
現代はどうでしょうか。何流だ、上手いだ、格がどうだと、ちんまりと目の前の小さな事を日々追いかけているだけでいいのでしょうか!。最先端の技術とスキルを求め、次世代の音楽を創造して行った先輩たちの精神はどこに行ってしまったのだろう、と思うこともしばしばです。

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これだけ世界が交流している現代で、異文化に向き合わないというのは、自分の外側の世界に興味が無いという事と同じ。世の中は常に動いているのです。私たちは洞窟の中に住んでいる訳ではないのです。

単なる一地方の芸能から、芸術へと琵琶楽を高めた永田錦心の理念と感性を受け継ぐ人は、現代でもきっと居ると思います。
私がどこまで出来るかどうかは別として、永田錦心の目指した世界を継承したいのです。

舞台音楽

私は琵琶を始めた最初からどういう訳か踊り関係の人に縁があり、ここ10年は毎年踊りの舞台音楽を担当しています。日舞や地唄舞などの邦楽系はもちろんの事、モダンダンス、クラシックバレエ、舞踏、中国舞踊etc.とジャンルは多域に渡りますが、今回はシアターXで行われた国際舞台芸術祭IDTF2012の第一回公演「なめとこ山の熊」の舞台に楽曲を提供をさせていただきました。 

          

               
普段は音楽家を編成し、踊り手と一緒にリハーサルを重ね、その編成に合わせ作編曲をして、時に歌の指導なんかもして、舞台上での演奏まで務めますが、今回は演奏は無く、私のCDの作品を丸々4曲使って、あとは場面に応じエンジニアに少し加工をしてもらうという形でしたので、ずいぶんと気が楽でした。
内容は、宮沢賢治作の「なめとこ山の熊」と震災・原発事故のその後の実情を絡めたもので、重く充実した作品となりました。
     
出演は、日舞の花柳面、モダンダンスの折田克子、同じくケイタケイ、ラズブレザーという面々、プロデュースはTV関係で御活躍の谷口秀一さん。
なにせ、皆さん一派を成す大先生方ですので、上手くまとまって行くか心配だったのですが、谷口さんが手腕を発揮して上手くまとめ上げ、重厚な作品に仕上りました。また今回は被災地の写真を撮り続けているカメラマン溝江俊介さんの写真が随所に使われていて、更に身に迫る作品となりました。

今回の作品は震災から1年経って、今東京にいる私が何を想い、何が出来るか。ほとんど報道されていない現実にどう向き合うか、それら多くのものを問うものでした。
実は被災地一帯は日本の民俗芸能の宝庫といわれる場所なのです。そういう所にインフラが整い、雇用が生まれ、経済的に豊かになる、それだけが復興なのでしょうか。その地域独特の芸能によってコミュニティー全体がまとまって生きてきたのですから、その芸能を中心にコミュニティーがもう一度集ってこそ復興だと思うのです。
三島由紀夫は、「このまま行ったら日本は、無機質な、からっぽな、ニュートラルな・・・・ある経済的大国が極東の一角に残るであろう」と言い残しましたが、今、復興に際し、文化というものを地元に生きる人々の目線で考えないと、三島の言うような無機質で綺麗な街だけが残ってしまう。

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文化とはただ楽しい余興の事ではないのです。何でもいいから賑々しくお祭りをやるという事ではないのです。「この笛の節は隣の集落、あの節はもう一つ先の集落」という具合に、その地に住んでいる人は笛の音一つでも体に沁みこんでいて、すぐに聴き分けます。それ位、自分の住む土地にある芸能と日々の生活が一致しているのです。
有名人や売れてる歌手が来て盛り上げるのも、勿論楽しみとして良いと思いますが、それは一瞬の余興でしかない。そういうものと、その地の笛の音を取り戻す事とを混同してはいけないのです。

私は各地の芸能が出来るわけではありません。でも芸能や文化というものが人間の根底にあり、そこがあってこそアイデンティティーというものが生まれる、そういう事を喚起する事は出来るのではないか、そんな風に思いました。
東京の人間が色々な地の芸能を再現した所で意味はないと思います。もう一度コミュニティーが復活する事、そしてそのコミュニティーの人々の手で芸能が復活する事が復興ではないでしょうか。今回の舞台は音楽家としてこんな事を私に考えさせてくれました。

          

舞台という場で何かを喚起させる事は芸術の役割の一つだと思います。それだけが役割ではないですが、こういう舞台の製作に関わる事は、きっと私の役割であるのでしょう。
震災後、多くの事を想い、ここでも書いてきましたが、今回の舞台で、この一年そして今後の私の物事への関わり方の方向が見えてきました。

憧憬

最近、私の中で永田錦心に対する憧れがとても強くなって、惹きつけられています。明治という新しい時代に、最先端のセンスと技術で新しい琵琶楽を作り上げた事が、いかに凄かったか、今になって身に沁みているのです。明治の終わりから大正、昭和の初期までは、時代が彼を追いかけるがごとく支持され、40代で亡くなるまで20年ほどでしたが、琵琶と社会が深くつながっていました。

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永田錦心が独自のスタイルを作り上げ、流派を立てたのはまだ20代の事。身の危険も感じるほどに非難を浴びたようですが、それでも彼は怯まなかった。

新しいものを作るには、センスはもちろんの事、技術や知識など先端のスキルがなくては具現化しません。永田は画家でもあったし、色々なものを見て、多くの事を吸収していた事でしょう。宮城道夫もそうでしたが、新しいものを作り次世代を切り開く人は、今までにないスキルを貧欲なまでに求め、身につけています。

文学者でも画家でも科学者でも、一流と言われる人は、一見関係無いような事にも大変興味を持って見つめています。現代でしたら作家の村上春樹などは、音楽家がびっくりするくらい音楽に造詣が深い。今年出た小沢征爾さんとの対談本はお勧めですよ。
邦楽家でも、故 寶山左衛門先生などは、NHKがそのコレクションを借りに来るほどにクラシックに造詣が深かった。そうした専門以外のものにも深い眼差しを向ける事で、大きな幅が出来上がるのでしょう。そこには色々なものとの比較論も生まれるのでしょうし、自分がやっている事も客観視できるのだと思います。

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今の琵琶の現状は、これまでも書いてきた通りです。明治に劣らず、現代もめまぐるしく時代は動いているのですから、次世代に通じるような新しい琵琶楽を作る人がそろそろ出て来て良いと思っています。

古典の勉強が必要だと思ったら、平曲でも雅楽でもとにかく勉強する。作曲をしたいと思ったら、邦楽でも洋楽でもその技法を勉強し、英語が必要だと思ったら身につける。私は私なりに出来る努力を今までもやってきましたが、永田錦心の事を想うにつけ、これからもがんばろうと思うのです。

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現代は琵琶を生業にしてゆくのは大変な時代です。稼ぐ場所が無い。演歌尺八と言われた村岡実の活躍した30,40年前と違い、今はスタジオで稼ごうなんて思っても、仕事はろくにありません。私も年に多くて数本あればよい方です。ハローと言えても通訳には成れないように、洋楽が好きで多少五線譜が読めてたところで、収入にはつながりません。そんな程度で稼げるような甘っちょろいものは現代の世の中には無いのです。

しかし稼ぎの問題ではなく、常に新しいセンス、スキルは積極的に求め身につけていかなくてはならない。なぜなら古典世界と新しいセンス、最先端のスキルが出逢った時、時代は動くからです。だからこういう時代にこそ、永田錦心の志と大きな視野を再認識して、またその魅力を感じて是非がんばりたいものです。
文化は時代に即し、宮城、永田の例を出すまでもなく、新しい形が次々と生まれてこそ、豊かになって、魅力ある日本の文化を作って行きます。生まれなくなったら衰退と滅亡しかないのです。

自分には関係ないと思うのなら、誰にも聴かせることなく一人で籠って楽しんでいればよい。社会の中で演奏し、少しでも人に聞かせたいのであれば、社会としっかり関ればよい。何をしても自由ですが、先生と呼ばれるような人には、せめて古典で無いものを古典だと、若者に言わせてしまうような洗脳教育だけはしてほしくないです。

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永田錦心の姿からは、あらゆる示唆が感じられます。私は到底その足元にも及ばない。でも私はその精神になによりも憧れます。そして永田そのものを追いかけるのではなく、彼の目指した世界を私も自分なりに追いかけたいと思うのです。


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Jazzの魔力2012

昨日、私のジャズの先輩 ベーシストの熊谷博さん(クマさん)が参加するGientle Notesのライブが銀座Mugenであったので行ってきました。
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携帯で撮ったので、ちょっとぶれてますが、いつもながらクマさんいい顔してます。この日は若手のAs藤瀬友希さんとフリューゲルホルンの渡辺 慎祐さんも飛び入りで入り、ライブを盛り上げてくれました。

冴樹みずほライブは全編スタンダードジャズ。ジャズのライブは昨年、潮先郁男先生のライブに行って以来ですから、ずいぶん久しぶりでしたが、こなれたベテランの方々のアドリブは気がきいていて、Voもナンバーもあって実に楽しかったので、お酒の方も大分杯を重ねてしまいました。

こちらVoの冴樹みずほさん。さすが歌姫、絵になりますね。以前聞いたさがゆきさんとは全然タイプの違う歌い手で、ちょっとハスキーな大人の魅力たっぷりの歌を聞かせてくれました。

中学の終わり頃から20代半ば位までは、私の生活の中にJazzの無い日はありませんでした。その後、現代音楽やクラシックに志向が移ってゆき、琵琶に至る訳ですが、最近になってやっとJazzをまた聞けるようになりました。
今でもJazzのある空間が何ともたまらなく好きです。でも私にはJazzを演奏するのは難しかった。特にリズム感は一流の演奏家、特に本場のプレイヤーを聞くにつけ、自分のリズム感との違いを感じるようになりました。そしてその後作曲に重点を置くようになったことで、コード進行やビートからどんどん遠ざかって行ったのです。更にエンタテイメントからも(最初からエンタメ派ではないですが)去って行ってしまった。

自分の音楽的変遷をたどると、自分にとって難しい部分、合わない部分をある意味諦めたことで、そこから新しいものが見えてきた、と言えると思います。ジャズ的なリズム感は私には無かったけれど、自分の足元には一定のビートでは無い「間」の音楽があった。エンタテイメントに向かない性格だったからこそ、精神性を唄う薩摩琵琶を選択した。という事です。

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コンプレックスを逆にポジティブに考えることで、自分の音楽を作り上げていったと言えば良いでしょうか。今はJazzに対して何もコンプレックスはなく、それよりJazzを通り越してきて本当に良かったと思っています。今の私の音楽はJazzがあったからこそ出来あがったと思いますし、Jazzに対しコンプレックスや妙なあこがれが無くなったから、今また楽しんで聴けるようになったのかもしれません。

昨夜はたっぷりとスタンダードを楽しめました。Jazzに、良き先輩に乾杯!!

過ぎゆく日々2012春過ぎ

この所ようやく動きが活発になってきました。世に琵琶奏者なんてものはそう居ないので、昔から「三歩歩くと人と知り合う」という感じだったのですが、今年も長い春休みを経て、やっと調子が出てきました。老若男女関係なく、お酒がなくてもコーヒー一杯で盛り上がれるのが私の特徴なので、とにかく人にいっぱい出会うのです。

演奏の面でも、これから色々なジャンルの方と御一緒出来そうです。ロック・ジャズ・クラシックなど心の広~い方々と演奏出来るのは嬉しいです。琵琶で良かった!!
先週はグリンテイルでのサロンコンサート、谷中下町風俗資料館での演奏などがありました。共に写真を撮る暇がなかったので、お見せできず残念ですが、こちらではギタリストのIさん、マドレーヌパテシエを自任するAさんと話がはずみ、気持ちの良い時間を頂きました。

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今週は、尺八のクリストファー遥盟さんと久しぶりの再会。クリス宅では、プラハから来たマラック君という青年にインタビューを受け、少し演奏も録音しました。チェコのラジオ番組で流すようです。しかしとっさに英語は出てこなかった。精進足りず・・・。

また昨日は、久しぶりに地元の杉並の芸術サロン かんげい館にも伺いました。かんげい館HP http://kangeikan.jp/

オーナーのKさんとは3年ぶりでしたが以前と変わらずノンストップで話が弾み、なかなか止まらない。時間があったらあのまま飲み会に突入しそうな勢いでした。そこではピアニストのNさん、朗読家のKさんと知り合い、突発的に演奏を聞かせることになり、「開経偈」をやってきました。そしてかんげい館では、秋に演奏会が決まってしまいました。
            
と、まあこれが私の日常。芸術関係の方が多いですが、とにかく出逢う人皆さんどういう訳か楽しい人達。初対面でもいろんな話が出来るし、面白い事が次々に起こります。

人間は文化があってこそ。文化こそ人間の人間たる基本。ピアニストのNさんとはそんな話をしてきたのですが、音楽を通し人が出逢ってゆくのは、音楽の役割であり、人を惹き付ける音楽の本質なのだと思っています。武満徹さんは「音楽に国境はある」と言っていましたが、人間同士の付き合いに国境はありません。文化は違えど、お互いの音楽を聴いて、ひと時を過ごし、気持ちを分かち合ってゆく事は充分に出来ます。(チェコの方々は私の演奏を聴いてどう思うかな??)
色々な音楽、様々な魅力が集うというのは、何かが生まれる原動力でもあるので、この日常をもっともっと続け、広げて行きたいです。

葵祭2011葵祭

来月は私の第二のホームグランド大阪・京都に行くので、またまた盛り上がりそうです。
それにしても名刺が増えすぎ。稼ぎがあったら真っ先に几帳面なマネージャーを雇いたい!!


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