少し御無沙汰です。
南相馬に行ってきました。今回はカメラマン 溝江俊介さんのコーディネートによる旅でした。「現地に行って肌で感じ、現地の方々と話をしてみて欲しい」とのことで、ボランティアに行った訳では無く、彼の地をこの目で見て、その土地の人々とたっぷり話をしてきました。特に相馬野馬追太鼓の方々には、練習も見せて頂き、じっくりと杯を交わしながら話をしてきました。
飯舘村
二本松インターを降り、全村避難の飯舘村を通って行きました。かつては理想郷として紹介されたこともあるこの村には、今や全く人の気配は無く、田んぼも荒れ放題でした。その後、海に近い小高町にも行きましたがこちらもゴーストタウンとなっており、震災の爪後は今もそのままになっていました。
色々な場所に連れて行ってもらい、津波の考えられないような現状も見てきましたが、そういう事を報告するのはまた次の機会にしようと思います。
野馬追太鼓の練習
野馬追太鼓のメンバー達
夜になって相馬野馬追太鼓の迫力ある演奏を聴かせて頂き、体にズンズンその鼓動を感じた後は、居酒屋に移動しメンバー達と飲みながら色々な話を聞きました。もう私などには想像もつかないような話が多かったですが、何よりも笑顔で太鼓を叩き、仕事をして、この地で生きて行こうとする彼らの姿からは、多くの示唆を頂きました。
私のように東京に居る人間は、ネットやメディアで飛び交う情報に操られがちで、勝手に見もしないで考えてしまいます。確かに相馬は今、安全とは言い難いかもしれません。他の多くの問題もあります。しかし相馬で生まれ育った彼らは、相馬で生きるのがごく当たり前で、自然な事なのです。震災後帰ってきた若い人も結構居て、原発を横に見ながらも、彼らは相馬の人として普通に暮らしています。

太鼓を叩き、生まれ育った土地に愛情を持ち、熱く地元の祭りの事を語る姿は、日本中の地元を愛する人達と同じだと思いました。私は今年の野馬追祭は行けませんが、是非近いうちに見に行きたいと思います。
震災・津波の爪後は確かに凄まじい。家族を亡くされた話も聞き、未だ放置されている現場も沢山見てきましたが、相馬に彼らが居る限り、相馬にはまた新たな轍が出来て、彼らの作ったその轍が次世代へと受け継がれ、育ってゆくことでしょう。
帰りには小高町から避難している、琵琶の先輩Tさんと会って、話をしてきました。淡々と穏やかに話す中に、しっかりとした視点を持っていて、ここで生きて行こうとする静かな決意を感じました。

私は相変わらず無力です。でも「これからの時代を一緒に生きて行こうぜ!」という方々に出逢えたことは本当に嬉しく思いました。私も彼らと共に、これからの時代を自分の生き方で全うして行こうと思います。
いつか必ず相馬で琵琶のコンサートやるぞ!!
最近親しい友人から良い言葉を教えてもらいました。

「ポジティブに生きるとは、ガツガツと成功や幸福を求めて突き進んでいくことではありません。喜びを持って生きることです。自分のしている仕事、生きている環境、周囲の人々に対して、喜びの心で接することなのです。ただ、自分が好きなことを、喜びを持ってやらせてもらった。だからつらくても頑張れた。そこにまた喜びが生まれた。それだけのこと。喜びがあるから、結果として成功がついてくるのです。成功を求めて、何かをしてきたわけではありません。この順番を間違えてしまうと、人は人生の迷子になってしまいます」
私はどうだろうか。ふと立ち止まって考えました。確かに自分としては、「らしく」生きているつもりでいます。しかし本当に喜びの心で人に接していただろうか。それはどちらかと言えば「我欲」ではなかったか・・・。
先日、石原都知事は「いま日本人が何に胸がときめくかと言えば、ちまちました『我欲』の充実。痩せた民族になってしまった」と発言しましたが、自らを振り返れば確かに言われる通りです。

舞台に立つということは、それ自体が自己顕示欲です。自分の音楽を聴いてもらいたいという顕示する気持ちと、喜びを持って音楽を演奏する気持ち、喜びを持って聴いている人に接するという気持ち、それらが相まっていなければ・・・・。まだまだ私にはバランスが難しい。
どんな形であれ、聴いている人の心を歓喜させるもの、震わせる音楽は、そこに喜びがあるのではないでしょうか。戦記ものなどが古典として残っているという事は、そこに喜びが有ったという事です。人が殺しあう物語は、題材はどうであれ、その物語から湧き上がる人間の姿や根底に流れる哲学、想い等々、何かしら人を震わせ、共感を呼び起こし、歓喜させるものがあるのであって、殺し合いや心中はその舞台設定でしかない。だから表面だけでとらえては、そこに「喜び」は見えてこないと思うのです。奥底から湧き上がるものでなければ!

私はこの夏、北へ向かいます。私の音楽はそんな舞台設定を超えて、喜びを持って聴いて頂けるだろうか。
目の前の我欲に振り回されていたら、そこには喜びは満ちてこない。自分を取り巻く人にも喜びが満ちてくるには、自分が喜びに満ちていなくてはならない。大切な人に喜びを持って接し、喜びを共有する時に、人間は幸せを感じるものだと思います。そんな場所にこそ安らぎがあるのでしょう。私の音楽にはそんな幸せや安らぎがあるだろうか。表面的な薄っぺらい喜びで無く、奥深い所で人を震わせる喜びがあるだろうか。

上記の言葉には続きがあります。
「迷子になったら、もう一度、見守ってくれる父と母を探しましょう。それは甘えることではありません。「天にゆだねる」ということです。自分の力だけでここまで来たのではないのだから、「まあ、いいか」「なんとかなる」と思えるのです。無駄に苦しむことがありません。」
我欲を捨て、この身をゆだねることも時に必要ですね。
喜びにあふれていなければ音楽は響かないのです。
昨日は、琵琶樂人倶楽部第54回目の「語り物の系譜Ⅴ」をやってきました。今回は昨年に引き続き桜井真樹子さんをゲストに迎え、「三五要録」のお話から雅楽~声明そしてヘブライ語アラム語によるユダヤの歌まで、興味深い内容となりました。

桜井さんは音大の作曲科を出た後、雅楽や声明の勉強をして、ユダヤアラブの現地に赴き、ヘブライ語を勉強したり、現地の音楽を研究したりしてきた方です。TOYOと呼ばれるアラブから日本までの大きな文化圏の変遷を常に意識しながら活動している方なので、今回のようなテーマは正に彼女でしか出来ない内容だったと思います。
稽古している以外の音楽をほとんど知らない、という方が多い邦楽・琵琶の世界の中にあって、桜井さんは重衡と千手が五常楽を合奏しながら冗談を言い合うように、私が「嘉辰」を歌い出せば、その場ですぐ龍笛を付けてくる。専門職以外の方でこういう事がすんなりと出来る幅広い見識を持っている人は、いつもの相棒 大浦典子さん位でしょうか。他には知りません。

さて、昨日は嬉しいことに大盛況で客席も満杯でした。この写真で桜井さんと写っている女性は岡庭矢宵さんといって、今年ユダヤのセファルディーという歌のCDをリリースした歌手の方。今日は是非、岡庭さんに聴いてもらいたいと思ってお誘いしました。ユダヤをうたう歌姫達です。

音楽も社会も常に色々なものとの出逢い、接触して形作られてゆきます。TOYOが正にその現場でした。そこに発生するエネルギーは創造力を刺激し、新たなものを生み、育み、一つの形へと洗練を遂げて行きます。しかしその洗練され出来あがったものは、発生時のエネルギーと創造力を失えば、すぐに形骸化し中身の無いものになってしまう。今我々の前にあるものは、そのエネルギーがまだあるからこそ現存しているのです。
今自分のやっている音楽はどこから来たのか。そうしたルーツを知るという作業を、残念ながら近現代の琵琶楽はほとんどしてこなかった。だから薩摩琵琶は今、そのエネルギーを失いつつあるのです。
桜井さんや岡庭さんは自分の音楽のルーツへと向かい実際に勉強研究しながら、最先端の表現者として舞台を張っている。素晴らしい活動ぶりだと思います。

歴史は繋がっている。声明とユダヤの歌は驚くほど近い。TOYOという大きな流れの中には、仏教もキリスト教もイスラム教もある。音楽も文化も人も大いに交流を重ねてきたに違いないと私は思っています。
古から綿々と続く人間の営み。そのTOYOの営みの中から生まれた琵琶を、現代という舞台で演奏したい。桜井さんの声を聞きながらそんな風に想いました。


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話は前後しますが、滋賀に行く前に大阪のコモンカフェでライブをやってきました。
私はいわゆるライブという感じのものは、もうほとんどやっていなくて、ライブハウスでの演奏は大阪のこのコモンカフェでやる位でしょうか。今回は笛の大浦さんとのライブでした。
この日大阪は梅雨入り。もう絹糸の弦は思いっきり湿気を吸って、チューニングがぐにゃぐにゃの状態でした。演奏中もお構いなしに音程が崩れ、これほどに悩まされた演奏会は初めてでした。
ライブをいつもブッキングしてくれる中沢さん
楽琵琶をこの時期に持って出るツアーも初めてでしたが、いつもの大雑把な調子でタカをくくっていたら、ばっちりと琵琶からしっぺ返しをされてしまいました。「もっと楽器に、演奏に、音楽に謙虚になりなさい!」と叱られているようで、大いに反省。
この反省があったればこそ、次の滋賀の公演は天気にも恵まればっちりだったのですが、何かを教えられているという感じがしてなりませんでした。
大阪ではもはや定番となった、焼酎バー純でふた晩続けて、語り部の竹崎利信さんと飲み明かし、お清めして来ました。
ここのマスターはジャズギターをやっている方なので、話が面白い。私とマスター以外はきっと訳判らないと思いますが、そんなオタク話にも付き合っていただいて、嬉しい限りです。
大阪は私にとって、いつ行っても暖かく迎え入れてくれる街です。毎回行く度にカメラマンの赤坂友昭さんと会って話をして、海月文庫でおしゃべりして、麓鳴館でコーヒー飲んで・・・大阪の多くの友人たちは皆優しく、面倒見の良い人ばかり。ついつい甘えてしまうそうな位皆情が厚い。東京のように殺伐として、笑顔の裏でべろ出しているような街とは違う。
実は次の日に心斎端で通り魔事件があったのですが、あの情に溢れた街での惨劇にがっくりと来てしまいました。私は前の日ちょうどあの辺りに居たのです。
私が琵琶奏者として活動を始めたのが大阪でした。小さいギャラリーやアートサロンを片っ端から周り、演奏し、自分の活動基盤を作りました。ソロの演奏はもちろんですが、笛の阿部慶子さんとも、かなりの演奏会をやりました。しかしどこでやっても皆温かく迎え入れてくれて、今でもお付き合いのある方が沢山居るのです。

もう10年以上大阪に通い、ちょっと慣れてきた時に、しっかりと琵琶からおしかりを受け、あの惨劇で街の怖さも知り、「初心に戻れ」と言われているようにも感じました。
この所、いつも私の身に起こる全ての物事が、何かを私に語りかけているような気がしてならないのです。音楽はもちろん、日々の出来事も、出会いも、全ての事が私に何かしらのメッセージを与えているように思うのです。
今、正に変わり目に立つ私に、大阪の街はまた多くの事を教えてくれました。

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先日、滋賀の湖東(琵琶湖の東側)にある常慶寺にて、親鸞聖人七百五十回御遠忌の法要に雅楽の楽人として直垂姿で演奏してきました。

50年に一度の法要ということで、もう二度と出来ない貴重な体験でした。上の写真は京都の時のもの。まだ写真が来ていないので、届いたら随時UPします。
滋賀は集落ごとにお寺があって、集落の人々がお寺を皆で支え守っている環境が今でも色濃く残っています。高野山のような山の上に居るプロの僧侶という感じではなく、こちらのご住職は地域の人と一緒に暮らしている。集落はお寺を中心に寄り添って、集い、日々の出来事を語り合い暮らしている。そんな集落の人たちは皆素朴で淡々と、しかし着実に地に足をつけて生きている感じがしました。その姿に触れていると、都会に住む自分がとてもうわっついた風にも感じられました。
常慶寺
人間は大きな範囲では生きられない、と私は思っています。世界中飛び回って仕事しても、やはり自分の地元と言えるのは限られた範囲しかない。その地元で淡々と日々の暮らしを全うすることが当たり前な生き方なのですが、私のような都会に住んでいる者は、その所をいつしか忘れてしまう。世界中の食べ物が食べられ、世界中の情報を目にする事が凄い事、といつしか思わされて、自分でも判らない内に本当の暮らしというものを見失っている気がします。法要とその後の演奏会を通して、今回は色々な事を感じました。

時代は変わります。文化も常に創造されてゆくものだと、私は思っています。変遷して行く姿こそが文化だと思っています。だから邦楽が変化して行くのは大賛成です。「これでなくては邦楽ではない」などと言う人もいますが、ドレミが入ろうが、平均律が入ろうが、そうした外側のものを、有史以来どんどんと取り入れて今の日本があります。大陸から渡来人が来て、農業が始まり、国家システムが変わり、仏教が入ってきて、雅楽が入ってきて・・・・。どんどんと入ってきて、それらを昇華して日本の文化にしてしまったのです。それは現代でも刻々と変化しているのです。日本は外来のものを取りれて、自国のものと混ぜ合わせて、新しい文化にしてしまう天才かもしれません。
だからある一部分、一時代をとってこれが日本の音楽だなどという事は出来ません。日の丸をさして軍国主義だというのと同じです。「これが日本の文化であって、これは違う」という意見をよく耳にしますが、どの時代の事をさして日本のものと言っているか判りません。平安時代の国風化した雅楽?鎌倉仏教や平家琵琶?室町の能や茶道?江戸時代の歌舞伎?明治の薩摩琵琶や筑前琵琶?明清楽?美空ひばり?どれでしょう???私には全てが日本文化であり、その変遷の過程こそが日本の文化であると思えて仕方が無いのです。
そんな変遷し続ける文化と、変わらずに受け継がれる土地そして生活。どの時代の人々もその両面を抱えながら生きています。

時の流れの中にしか生きられない我々は、常に自分の生きるべき土地に根を張り、その時々に沸き起こるものを見極めながら時代と対峙して行かなければなりません。蘊蓄や理屈を口にする私のような都会人は、自分が着実に日々を生きていないから、常にそういうものに頼っているのかもしれません。生きるべき土地に着実に生きていれば、そんな理屈を口にしなくても時代を受け入れ、日々を受け入れ、喜びに満ちた毎日を過ごせるのでしょう。
琵琶湖と竹生島
このツアーでは、人間が人間らしく土地に生き、時の中で気負いなく日々を過ごしている集落の方々姿に触れ、とても心温まり自分を顧みました。時代の変遷の中で、自分に与えられた土地に暮らし、与えられたものを敬意を持って継承して行く。これがまともな生き方なのだと感じました。
人間だれしも日々の暮らしの中には迷いも間違いもある事でしょう。しかしそうした色々な事に囲まれた人間の営みの中で、長い時間継承されてきたものには何か意味がある。意味があるからこそ伝えられてきたのです。そして廃れてゆくものは、その役目を終えたものなのでしょう。「邦楽」はどうなのでしょうか・・・。
私の進むべき道がまた一つ見えてきました。

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