師走回想

年末になりましたが、今年も何だか年の瀬という感じがしません。私は若い頃から世の中が同じ方向を向いて盛り上がっているのが好きになれず、あえて洛外に身を置く感じ~つまり天邪鬼~で来たので、年末年始は世の中から離れてでのんびりするのが常です。大体琵琶奏者というのは、普段から人が死ぬような話ばかりやっているせいか、世のおめでたい時期には声がかからないんですよ。私はそんな曲はやっていませんが、毎年12月も半ばを過ぎるとぶらぶらと世の中を徘徊してます。

194琵琶今年に入ってブログにも時々書いていますが、近頃は何か新たな段階に入ったなと感じています。明らかに仕事の質も変わってきましたし、私の中の発想も変化してきて活動全体が変化しているのです。ターニングポイントに来たという事でしょう。
私自身の事ではないのですが、今年の一つの変化として、私の曲を弾く若者が何人も出てきた事ですね。2010年に教則DVDをリリースした時、最後に模範演奏として独奏曲の「風の宴」を収録したのですが、「塩高の曲は難しすぎて模範にならない」と何人にも指摘されました。しかし時が経てば、どんな技術もすぐに真似され追い越されて行くものです。それは超絶の極みにあったパガニーニもヴァン・ヘイレンももう当たり前の技術になっている事を思えば、私の演奏なんぞあっという間に追い越されてしまうのは当然です。まあ私が「やってみろ」とハッパかけてやらせているからなのですが、それにしても凄い勢いで吸収して行くんですね。若さというものは素晴らしい。是非次世代を担ってほしいものです。私自身も先生・先輩方の演奏を真似、色んな作品の良いとこ取りして作品を書いてやってきたので、若者がこうしてぐいぐい領域に突っ込んでくるのは大歓迎です。

私は元々ジャズをやっていたので、琵琶で演奏活動を始めたのがちょっと遅く、30代に入ってからでした。ただジャズが根底にあったお陰で、外側から琵琶樂を見る事が出来たので、自分にとって良い形で活動を展開し、作品も発表してやって来れたと思っています。最初は作曲家の石井紘美先生に琵琶を勧められ、何とも見当がつかないままにスタートしたのですが、石井先生はまるで私の人生を見通していたかのようにアドバイスをくれました。今考えても本当にそうだったんだろうとしか思えません。石井先生に出逢わなけば琵琶弾きには成っていなかっただろうし、その後のロンドンシティー大学での公演をはじめ、様々な演奏活動は、先生が居たからこそ展開して行く事が出来たと思っています。石井先生は一番影響を受けた師匠ですね。こういう出逢いを運命というんでしょうね。

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左:笛の大浦さんと  右:右ヴァイオリンの田澤さんと琵琶樂人倶楽部にて  photo 新藤義久

その後、笛の大浦典子さんとコンビを組んで活動していた時が、今から思えば頭も体もフル回転の頃でした。何かに憑りつかれたように笛と琵琶の曲を書きまくり、演奏会も日本全国に導かれ、常に「動」の毎日でした。石井先生そして大浦さんというパートナーがあの時に居なければ今は無いと思います。最近ではヴァイオリニストの田澤明子さんと組んだ事で、私がやりたいと思っていながら今一つ実現できなかった分野が次々と実現して行きました。加えてメゾソプラノの保多由子さんとの出逢いも、更にそれを加速しましたね。つまり色々な方と出逢い、パートナーの存在に導かれ、生かされて来たという事です。

今外に向かって羽ばたこうとしている若者もきっと、それぞれのやり方を模索している事でしょう。大学内の演奏会で演奏したり、大きなイベントに出演したりと色々と報告を受けますが、皆さんそれぞれに活動の糸口を掴んできたようで、良い感じになって来ました。この夏私の代わりにヨーロッパツアーに行ってくれた原口君からも、スペインのサグラダファミリアでの公演の動画が最近送られてきました。本当に皆頼もしいです。是非私のやり方をなぞるのではなく、それぞれに自分で考えて旺盛な活動をしてもらいたいですね。

余談ですが、私は音楽のパートナーとはプライベートな付き合いをほとんどしないのです。たまに打ち上げで同席することはありますが、皆さん私のように管巻いて酒を飲むようなことはせず、演奏が終われば清くさっと帰る方ばかりなので、音楽以外の話をほとんどしません。きっとそんなさっぱりとした付き合い方が音楽を創って行くには良いんでしょうね。これも参考になるかもしれませんね。

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2ndCD「MAROBASHI」ジャケット

自分で曲を作曲して演奏している人間は、常に自分の中に湧き上がる世界を求めるので、それは時代や年齢と共に少しづつ変化するし、作曲作品もそれと同時に変化して行きます。そんな変化の中で付き合いの続くパートナーは、単に合わせてくれるような方では長くパートナーシップは築けません。パートナー自身も常に音楽的な変化をしているからこそ、お互いの変化が化学反応を毎回起こし、常に演奏に緊張感が出てくるのだと思います。25年程前に大浦さんと一緒に初演した「まろばし」は今でも必ず演奏する私の代表曲ですが、この曲は剣の極意である「まろばし」をタイトルにしているだけあって、最初は闘うという姿勢で演奏していました。しかし今は刀鞘を抜かない闘い、というよりもある種の調和を求めて音で会話をするようになって来ました。今でも必ず演奏しますが、この変化は私だけのものでなく、大浦さんの変化でもあり、他に多くの方と演奏してきた軌跡の結果なのです。昨年大浦さんと静岡のお寺で演奏会をやってみて、20年以上に渡る時間の経過が実に素晴らしい充実をもたらしたなと実感しました。

この曲は初演以来、スウェーデンの尺八奏者グンナル・リンデルさんと1stCD「Oriental eyes」でレコーディング。その後、能の笛奏者の阿部慶子さんと2ndCD「MAROBASHI」でレコーディング。オーディオベーシック誌の企画CDでは、長唄の笛奏者の福原百七さんとレコーディング。 更に8thCD「沙羅双樹Ⅲ」では尺八の吉岡龍之介君とレコーディングしてきました。
イルホムまろばし10ウズベクスタン タシケントにあるイルホム劇場にて 指揮編曲:アルチョム・キム 演奏:オムニバスアンサンブルの面々と
ウズベキスタンではアルチョム・キムさん編曲によるヴァージョンで、現地のネイの奏者と組んで、バックにミニオケを付けて演奏したこともあります。また22年リリースの「Voices from the Ancient World」ではヴァイオリンの田澤明子さんともレコーディングしました。これ迄多くの尺八奏者や笛奏者、時にピアニストなんかとも演奏して来て、私の中で一番発酵熟成が進んでいる曲となっています。

その他にも定番となっているレパートリーはいくつもあるのですが、とにかく何度演奏しても面白い。毎回違うので飽きが来るという事がありませんし、また面白いと思えない人とは演奏はしません。私は譜面をあえて細かく書き込まないようにして、演者が自由に創造性を広げることが出来るように書いていますので、相手の表現が変わると曲も変化してくるのです。だから「まろばし」を演奏するのは、自分も相手もその時の状態が丸裸になってしまうので、今でも何度やってもスリリングです。皆さん私の発想を軽々と超えて大きな世界を描き出してくれる尊敬できる演奏家なので、私は作曲家と同時にプロデューサーのような感覚で演奏することが多いですね。とにかく同じ曲でも、演奏する度に常に生きもののように流動しているのです。

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photo  新藤義久

こんなように常に留まる事無く変化を繰り返し、緊張感のある演奏が出来ているというのは幸せな事です。曲がどんどんと熟成し成長して行くのは、本当に嬉しいし。同時に新作も創って良い感じに創造と熟成の両輪が回っています。
今新作で考えているのは能管と薩摩琵琶の作品。これが完成したら次のアルバムの制作に取り掛かります。次のアルバムで10枚目(オムニバスを入れると12枚目)。私の節目ともなるアルバムなので気合も入ります。
これから10年15年先に、私の曲を弾いてみたいという若者が出てくると良いですね。是非私以外の人が弾く「まろばし」や「二つの月」を聴いてみたいものです。

私はとにかく良い作品を創って行きたいです。来年も楽しみです。

古典のススメⅢ

ちょっと間が空いてしまいました。この年末はさほど演奏会は多くないのですが、その分、普段じっくり話をする時間の取れない人と会って話をしたり、リハーサルやレッスンを増やしたりして何だか忙しく動き回っています。普段から時間だけは人一倍沢山ある方なのですが、人とゆっくり逢っておしゃべりするのも何だか久しぶりという感じです。

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今年の高円寺の紅葉 なかなか見事でした

先日は鎌倉にて、作家の福田玲子さんとお会いして3時間ほど古典や歴史の話を縦横無尽にしてきました。福田さんは今年「新西行物語」という作品を上梓したので、そのお祝いも兼ねて一度ゆっくりお話を伺いたいと思っていまいました。福田さんはもう80代と思いますが、とにかく体も頭脳も元気で、話は奈良平安から現代、大陸の歴史にまで広がって、どんどんと奥深い所まで話が進んで行きます。既に次回作の構想も出来上がっていて、「新西行物語」の続編という形で、平安末期から鎌倉の平家物語誕生の事も含めて書きたいとの事。楽しみですね。
また20代の頃に第13回太宰治賞の最終選考に残った「冒頓単于」という作品も見せて頂きました。この「冒頓単于」というのは匈奴の王様の事なのですが、見せてもらった時に私が「『ぼくとうぜんう』じゃないですか」と言ったら、「これを見て、『ぼくとつぜんう』と読めた人は居ませんよ」と言ってくれました。私は大陸やモンゴルなどの歴史に若い頃から関心があって本を読んでいましたので、すぐ判ったのですが、そんな所からも話が弾んで、ノンストップでとどまる事無くあっという間に3時間半が経っていました。楽しい時間でしたね。

2016川瀬美香写真2s北鎌倉其中窯にて Photo 川瀬美香
琵琶を弾き語りでやっている方でも、平家物語や古典全般に関してについてはあまり興味はないという方も多いですが、私は古代から続く琵琶の音色と、絶えること無き日本の風土に吹き渡る風をいつも感じていたいですね。だからこういう方と歴史や古典の話をじっくり出来るのはとても嬉しいのです。先日の松本公演でも木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さんと色々話が弾みましたが、自国の歴史や文化に対する認識をしっかりと持つことは、次の時代を生きる為のヒントを得る事でもあると思っています。

日本の歴史学者は史実ばかり見て宗教という視点がないとよく言われますが、音楽もしかりで、音楽だけを見ていても聴こえて来ないものが多いのです。目の前の楽器や音だけに関心が行って、その楽器や音楽を成立させた壮大な歴史や社会、宗教などのか背景を見ようとしない人が多いですね。キリスト教文化を知らずにクラシックをやろうとしてもその深奥は見えないだろうし、ジャズもアメリカの社会を知らなければジャズの上辺の雰囲気しか聞こえては来ないでしょう。

今の世の中はそういう目の前の面白さだけを人々が求め、飽きたらすぐ別のものへと関心を移して行く時代になってしまっています。そんな時代だからこそ、奥深い長い人間の営みを内包し伝えている琵琶の音色を現代に響かせ次世代へとつなぐ事は、次の日本を創る事でもあると私は感じています。それも過去をなぞるのではなく、常に時代に向き合って、新たな音楽を創造する力を湛えていて、はじめて世の中に響き渡るのです。骨董品で形だけ残っていても資料的価値しかありません。音楽は常に息づいて、生命に溢れていて初めて人間の心に響くのではないでしょうか。

音楽だけでなく、世の中のすべてのものは繋がって響き合っているのです。今琵琶が私の手元にあるという事は、その響きが千数百年ずっと絶えることなく響いて来たという事です。新しい発想は意外な所から出てくるものですが、それを形にして新しいものを創れば創る程に琵琶という楽器の歴史を知りたくなります。またやればやるほど古典や歴史を知らないとどうにも先へ進めなくなるものです。次の時代にこの音色を響かせるヒントは、古典の中に在るのです。人間がこれまで生きて来た記憶の中にこそ在るのです。
ほんの数年前には2045年にシンギュラリティーが来るなんて言われていましたが、社会はもう気が付けば今がその只中かもしれないという状況にあります。人類はそんな時代の特異点を過去に何度も経験しています。文字の誕生も鉄器の発明も産業革命も、とんでもないシンギュラリティーだったことでしょう。古代中国に「心」という字が成立した頃、急激に過去や未来という概念が生まれてきたと言われています。過去を後悔したり反省したり、未来に不安を抱いたり、逆に希望を見出したりと、現在では当たり前の事が「心」という字の誕生により、人間の生きる上での概念や哲学など、基本となるものが変わって行ったのです。

そういう特異点を迎えた時に人間はどのようにそれを乗り越えて次の時代へと繋げて行ったのか。その記憶と記録こそ正に古典なのです。だから古典を読み解くという事は未来へと視線を向ける事であり、自分の生まれ育った風土を知り、その歴史を知り、そこから育まれた日本特有の感性を知り、自分とは何者かを追求する旅なのです。それは音楽家が音楽を通して追求する事と同じで、音楽を追求すればするほど、何故この音色なのか、その根底には何があるのか、そして自分は何者なのかを追求する営みと一致するのです。

こうした営みを続けている間は、次の段階へのあらゆる可能性が満ちて来ます。福田さんのような大ベテランでも、常に「次」が見えているという事です。今私の周りには若者からベテランまで「次」を見据えて活動している人が沢山居て、とても良い環境にあります。以前拙作の「塔里木旋回舞曲」を台湾で上演したPipa奏者 劉芛華さんも琴園國樂團での演奏や大学での研究と共に、最近新作を上演するグループを作って活躍しています。もうそのエネルギーは留まるところを知らないという感じです。

左端が劉さん。この曲は劉さんの作曲で、このグループのリーダーでもあります。

物事はすべてそうですが、知れば知る程にその奥深さを感じ、探求欲は湧き上がってくるものです。物知りの方に多いですが、自分の知らない分野に話が進むと黙り込み、自分の知っている分野に話をすぐ戻そうとする。こんなメンタルでは自分という枠を超えられません。福田玲子さんのように知らない事に対し目を輝かせて「面白い、聴かせてほしい」と問いかけて来る姿勢をいつまでも持っていたいですね。過去に培ったものを土台として行くのは良い事ですが、過去に寄りかかって生きようとする姿勢は衰退を生みます。それは何故か。人間の作りだした地位や権力などは所詮目の前の幻想でしかなく、それは時が経てば何の意味もない事が多いからです。音楽家も今一度音楽そのものに立ち返る時だと思います。余計な鎧は必要無いのです。

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琵琶樂人俱楽部にて  photo 新藤義久


さて明日は第191回琵琶樂人倶楽部。毎年年末はお楽しみ企画です。今回はフルートと尺八がゲストです。何が飛びだすやら。

12月13日(水)
時間:19時00分開演
場所:名曲喫茶ビオロン
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(薩摩琵琶・樂琵琶) ゲスト:吉田一夫(フルート)藤田晄聖(尺八)

是非お越しくださいませ。

古典に接していると、描かれているその風景に想いを馳せ、吹き渡る風を感じ、登場人物の心情が我が身に迫ってきます。面白いですよ。

古都の月に再会を語る

先週は信州松本にて「能でよむ」シリーズの演奏会をやって来ました。今シリーズは東京池袋のあうるすぽっとで始まり、熊本・新潟と続き今回は松本市民芸術館での上演でした。夏目漱石と小泉八雲の作品を毎回取り上げているのですが、この公演の特徴的なのは、いつも手話を使って上演をする事です。最後のフィナーレでは手話通訳の方も舞台に上がってもらって、出演者と一緒に最後の挨拶をします。演目によっては安田登先生が手話をしながらの演技をして、コミカルな動きも手話をしながらやっていて大変好評です。ナビゲーターの木ノ下裕一さんも聴覚障碍者、視覚障害者に向けてしっかりとアナウンスをするのが定番で、今回もとても丁寧に説明していました。良い企画だと思っています。

内容はとても解り易いもので、初めて邦楽器に触れる方から古典に親しんでいる方まで、毎回沢山のお客様が集ってくれます。今回も300人程度の小ホールでしたが満席のお客様に御来場頂きました。私はエンターティナーではないので、終始黙って弾いているだけなんですが、安田先生と浪曲師の玉川奈々福さんが持ち前のサービス精神で最高に盛り上げてくれるので、私みたいなしかめっ面でもなんとか務まっているという訳です。この松本市民芸術館では、木ノ下さんが来年から芸術監督になるそうですので、これから松本と御縁が深まりそうです。また是非松本で公演をしたいですね。

松本城(数年前に行った時に撮ったもの)
それにしても松本は良い街ですね。以前も何度か来た事があるのですが、歴史があって、新しいものと古いものが良いバランスで共存しているところが本当に素晴らしい。自然も豊かだし、空間がたっぷりあって、街全体に文化的な風情も感じられる。落ち着いた中にも新しい息吹が感じられて私の好みにぴったりなんです。
また信州はギター製作のメッカでもあり、色んなギター工房が集まっています。そして時計の産業に於いては昔から「東洋のスイス」と呼ばれるくらいの場所なので、当然時計好きとしては、この松本にも行ってみたい時計屋さんがいくつもあるのです。世界に誇るグランドセイコーも諏訪精工舎から始まったそうです。つまり松本には、私の興味のあるポイントがばっちりと詰まっているという訳です。
松江や金沢など城下町と言われている所には、私の感性に引っかかるものが沢山あって、行く度に私の感性に響いて来るものがあって、どうにも惹かれてしまいます。数年前に松江に行った時も夜中まで散々歩き回りました。

こうして全国色んな所を旅をしながら舞台で公演するのは幸せな事です。各地に公演で行く度に、琵琶奏者になって本当に良かったなといつも感じます。全国で演奏会をじっくりやりたいですね。私は全て自分の作曲したものを演奏しているので、派手で大きなエンタテイメントの演奏会はまず無いのですが、その分、お寺の本堂や小ホール等のこじんまりした会場でしっかりと独自の世界観を聴いてもらえます。
日本では芸人的発想の人が多く、メディアを賑わせ、色んな仕事を沢山やって派手に動き回るタレントさんみたいな仕事や活動を目指している人も多く、周りもそんな動きをしている方を売れている、凄い人みたいに言う人が多いですが、タレント活動とアーティストの活動は別物です。営業仕事で忙しくしていても作品を創り上げる事が出来ないようでは、アーティストとは呼べません。私は若い頃から感激して聴いていたアーティスト達と同じように、及ばずながらもじっくりと良い音楽を創って演奏したいですね。私は「売れてる」人には成れそうにないですな。

若き日
最近はなくなりましたが若い頃は、よく演奏会で「古典を聴かせてくれ」だの「〇〇流の曲をやってくれ」と言ってくる人が居ました。当時は琵琶奏者としては勿論の事、私の音楽も全く認知もされていなかったし、ただ琵琶を弾くちょっと若手の演奏家としか見られていなかったでしょうから致し方ないですが、私は最初から一貫して自分の音楽を創り演奏してきたので、流派の曲も弾かないし、そういう声に媚びて仕事をもらうような事は、その頃からしませんでした。「媚びない・群れない・寄りかからない」の精神は最初から変わりません。以前にも書きましたが、若き日、某邦楽雑誌の編集長に「琵琶で呼ばれるのではなく、塩高で呼ばれるようになれ」と言われたことが今でもずっと頭の中に在りますね。
琵琶は持っているだけ一つのキャラになるので、そういう珍しさを売り物にして無常だの鎮魂だのと言って平家物語や方丈記に乗っかって古典の風味を纏って活動している人もいますが、本当に古典を勉強し、自分の音楽であり表現だと思っているのでなければ、恰好だけの中身の無いものしか出来ません。平家物語を薩摩琵琶でやり出したのはせいぜい大正時代。ほとんどは昭和に入ってからです。薩摩琵琶を抱えて古典のフリをするのは、田中優子先生がよく言う「伝統ビジネス」でしかないと私は思っています。

世の中と共に在ってこそ音楽というもの、民族音楽もこのグローバルな時代にあっては変化して行くのが当たり前です。形に拘り、中身を失ってしまっては意味がありません。中身を伝える為にも形を変える勇気が無ければどんなものでも廃れてしまいます。この松本も古いものが今に受け継がれて街があり、その街を愛する人に溢れている。それは時代と共に変わる事の出来る懐の深さがあるからでしょう。琵琶も現代に生きる人に聴いて頂きたいし、更に世界の人に響かせてこそ、次世代に受け継がれて行くのではないでしょうか。珍しいもの、古風なものという雰囲気を売りにしているようでは、琵琶のあの妙なる音色も聴いてもらえません。

以前の公演の様子 池袋あうるすぽっとにて photo 山本未沙子

今回の公演でも勿論琵琶パートは自分で創り、アドリブを交えて演奏したのですが、古典を題材としても現代に生きる人として、独自のセンスを持って新たな視点を当て、古典とじっくりと対峙して表現してこそ音楽家ではないでしょうか。私の琵琶の音色を聴いて、魅力を感じてくれる人が居たら嬉しいですね。

帰りに松本駅で振り返ったら、見事な月が出ていました。まるで私たちを見送るような月を見ながら、「また来るからね」と思はず語りかけてしまいました。今度行く時にはゆっくり時間を取って城下町松本の風情を楽しみたいですね。

力を抜く

何だか急に寒くなりましたね。今週は松本に行くのでコートを着るべきかどうか迷ってます。
近頃はそんなに演奏会は多くはないので、大分時間が取れるようになってきたのですが、さすがに秋は何かと演奏の機会が多く、あちこち飛び回っています。まあその分、色んな芸術家たちと語りあう機会も多くなって楽しい時期でもあるのです。

昨年の高円寺


周りの仲間たちもそれなりの年齢になってきたせいか、最近はよく「力を抜く」という事が話題になります。先日も陶芸家の方と話をしていてそんな話になりました。これは手を抜くわけではなく、余計な力を抜く事であり、また目の前に囚われない事であり、そして作品のレベルを上げる事というです。
これまでの自分の経験や技術などに寄りかかっている人は硬い体をしています。色んなものを守ろうとしているのか、心も体も力で満たし、いわゆる「お見事」をやろうとしている。これではせっかくの技術も経験も生きてきません。ジャズでも邦楽でも80代90代でも驚くような舞台を実現する人が居る一方、ベテランになる程に柔軟性が失われて残念な舞台になっている人をよく見かけます。先日もそんな演奏を聴いて本当に悲しくなりました。

私は元から気合や難行苦行というものとは縁遠い性質で、のんびりとやるのがスタイルなのですが、年を重ねるごとに更に苦行から遠ざかって来ています。先日琵琶樂人倶楽部も16周年を迎えた事もあり、知人達からから「長く続いていますね。色々御苦労もあったでしょう」と会う度に言われるのですが、実はほとんど「御苦労」は無いのです。いつも書いているように集客に関する事はこのブログに書く以外はしていませんし、内容はやりたい事しかやらないので、ストレスも無ければ、嫌な思いをすることも無いし、私としてはただ楽しいので続けているというだけなんです。

孔子様も「これを知るものは、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」
なんて言ってますが、とにかく頑張っているなどと自分で思っている内は大したことは出来ません。楽しんでいる奴にはかなわないのです。

日本人はこの道一筋で、きつい修行を重ねて耐えて耐え抜いて、辛抱してこそ一人前になると思い込んでいる人があまりに多いですね。未だにスポ根の感覚から抜けれられません。この発想では一つの枠の中に身体も心も閉じ込められ、その小さい閉ざされた枠の中で己の欲望願望も否定して、只管耐えて闘っている状態ですので、ある程度技が出来上がった頃には、視野も感性も体も洗脳されるが如く凝り固まってしまいます。
世界がクリック一つで繋がる時代に、ただ一つの価値観の下で難行苦行をして何かを会得しても、そこに多様な物事や感性を受け入れる事が出来るでしょうか。自分を取り巻く現実がものすごいスピードで変化している現代、その中で大切なのは技術でも小さな業界の評価でもありません。それらは旧来の価値観の中で成立しているもので、世界を相手にする時代には、そこを引きずっていては足かせにしかなりません。自分のヴィジョンを見据え、何が必要で何が足りないかが解る人だけが次の時代を生きて行けるのです。
稽古も修行も、知識や技術を植え付けるのではなく、むしろ自分の中に在るものを見出して行くような方向でやらないと、いつまで経っても自分の歩むべき道は見えません。

努力とは難行苦行ではありません。面白くてしょうがないからやっているだけで、そこに否定は無いのです。根性入れて耐えて辛抱している訳でもないのです。だから一つの事をやっていても、自分を取り巻く面白そうな物事も巻き込むようにどんどん吸収できるし、自分と違う価値観とも触れ合える。そうやって視野も器も育つのです。
難行苦行の果てに「自分はこれだけがんばったんだ」という思いに寄りかかる様になってってしまったら、もうそこから先へは歩みを進める事は出来ないでしょう。それは何故なのか?。それはそこに創る喜びが無く、自分の見えている所だけに居るからです。未来へ視野を向け、新たな世界、次世代へと想いを馳せ、創り出して行く喜びと心が育たないからです。どんなものでもずっと続けている人は最初から何でも嬉々としてやっているんじゃないでしょうか。
面白そうな事は自分の周りに溢れています。そこには可能性も沢山あります。そういうものに視線を向けるには、余裕や余白というものが必要なのです。その余裕を生み出すには、余計な力を抜いて適切な力で動いて行く事が大切。体にこびりついた洗脳されたような価値観や無駄な筋肉、他から与えられたお墨付き、そういうものは過去のものに過ぎません。それらを脱ぎ捨てて、しなやかな心と身体になってのんびり歩いていないと、世の中の動きは勿論の事、樹木や花の溢れる生命感も、風に乗って来た薫りも気が付かず、詩情も沸いて来ません。
何故お見事な自分で居たいのか。そういう自分の内面の闇を素直に見つめ、本当はどうしたいのかじっくり思いを巡らせるのも修行の内です。もっとしなやかになれば色んなものが見え聴こえ、入って来ます。がちがちに凝り固まった心や体で居たら、武道家だったら一瞬でやられてしまいますね。

人形町楽琵会にて 能楽師の津村禮次郎先生、バイオリニストの田澤明子先生と「二つの月」上演中


自分は何をやるのか、何故それをやるのか、その発想を生み出す根底の哲学は何なのか。それらを熟考し自分のヴィジョンを自分の内に見出すのが稽古ではないかと私は考えています。そしてそういう心を育てるのが教師なんだとも思っています。歴史上、ヴィジョン無き人間の行動やヴィジョン無き科学技術はそれだけ悲惨なものを生んだか、皆様も解っている事と思います。人間は先へと続く道を見出さないと本当に滅んでしまうのです。
力を抜くという事は、己しか見えない自分よがりの小さな世界から離れ、自分と違う多くのものと触れ合い、受け入れ、世の中全体を見渡し、未来を見つめる心や精神の在り方を養う事であり、最終的には他との調和から愛にまで辿り着く人間の営みそのものなのではないでしょうか。
私の周りにも素晴らしい音楽家芸術家が沢山居ますが、自分なりの活動をしている方は皆、いい具合に力が抜けて、自分のペースで生きていますね。

かく言う私も以前はシーズンになると、やたらと演奏会が続き、毎月ツアーに出て、それも全て演目が違うというなんて事ばかりで、毎年6月辺りと秋のシーズンは頭も体もパンクしそうな事が何年もずっと続いていて、パワーで押し切っていました。最初から肩書は無いので、つまらないプライドはありませんでしたが、それでもいつしか忙しく動き回っている中で、自分でも判らない内に結構力が入っていて、心も体も固まっていました。そして40代の頃は声に支障をきたすようになっていました。当時色々とお世話になっていたH氏から色々とアドバイスを頂き、肉体的な部分のみならず、いつしか固まっていた心もほぐす事が出来、やっと少しづつ少しづつ力を抜いて行くようになったのです。その辺りから力を抜く事で色んなものを得ることが出来、様々なものが見えるようになり、自分自身ももっと見つめるようになり、やればやる程自分自身になって行くという事を体感して行ったのです。そして自分の中に溢れるものを認識し、誰のものでもない自分の音色と音楽を自然と表すようになったのです。

力技で押し切っていた頃もそれなりのパワーで実現していたものもあったと思いますが、そんなものが通用するのはせいぜい20代迄、ぎりぎり30代迄でしょう。それでは何も深まりません。心が自己顕示欲や競争心に囚われていると、姿も目つきもそうなります。40代50代、更には60代になってもそういうものがむき出しになっている人は私にはちょっと醜く見えます。やはり使うべき所に力を使う事が出来て、抜く所はしっかり抜くことが出来、心も体もリラックスしている事は舞台の姿にも、作品にも直結します。
固いものは壊れやすいのです。もっと強いもの固いものに出会うとすぐに壊されてしまう。特に心が固くなると自分と違うものを受け入れられなくなって、視野も感性も失って、結果的に体も壊れてしまいます。自分がやっているものと違うやり方を認めず、未来を想像する事も難しくなってしまったら、良い結果が生まれるでしょうか。判りきっている事なのに、囚われている内は自分の姿が見えません。

今音楽だけでなく、総てのものが世界中との繋がりの中で成り立っています。私のような地味な音楽でさえ、マーケットは既に身内の業界でも日本でもなく「世界」なのです。全世界とつながり、自分の音楽が世界中に流れているという現実を今どれだけの人が認識しているでしょう。思考を止めて、今迄の実績に寄りかかり、ただ形を守っていれば良い、目の前をキチンとして入れば問題ない、気合を入れていれば良いのだ等という硬直し凝り固まった感性は、言い方を変えれば未来を否定して自ら逃避しているのと同じだと私は思います。

北鎌倉 其中窯サロンにて photo 川瀬美香

先ずは力を抜き、正中線と重心を意識し、本来この体を保つべき力のみで立ってみる。腕や足を筋肉で動かすのではなく骨格や重心を使って動いてみる。そんな風にしていると琵琶を弾く時に撥を握る手に力を入れなくてもしなやかに撥は舞います。逆に力を入れていると撥は舞わない。私は最初に習った高田栄水先生に「撥は蝶が舞うが如くに扱え」とよく言われました。これは単にばちを扱う技術という事だけでなく、その心の在り方をも意味していたんだと今でも感じています。

私は一番自分らしい生き方をしたい。それにはただのオタクのように琵琶だけ弾いてりゃいいという単純なものではありません。音楽もその他の芸術も文学も歴史も、世界との比較文化論も活動を続けて行けば行く程に必要になってきます。しかし「お勉強」をしなくてはいけないという思考では、苦しみや辛抱の感覚から逃れられません。むしろ本を読んだり、新作を書いたり、そんな事をするのが楽しくてしょうがないという位でなくては!!。少なくとも「食うための芸」に陥ったような音楽家にだけは成りたくないし、そんな人生は求めていないのです。

やればやる程に見えてしまうのは技ではなく、その人の器です。力を抜いて、しなやかな心身となって、自分なりの人生を全うしたいですね。

幸せな時間

ちょっとご無沙汰しておりました。急に寒くなりましたね。秋らしくはなりましたが、もうすぐ年末と思うと何だか妙な気分です。

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photo 新藤義久


先日の第190回琵琶樂人倶楽部17年目突入回は、賑々しく終える事が出来ました。今回は私のメインにしている前衛的な器楽曲のみでやらせて頂きました。一般的な渋い琵琶の古風なイメージを持ってやって来たお客様には厳しい内容だったと思いますが、琵琶を手にした最初から「媚びない、群れない、寄りかからない」が私のモットーなので、今後もブレずに自分の思う所をやって行こうと思っています。
終演後は盛んに「これは実に塩高らしい音楽だ」「これはプログレだ、基本はクリムゾンだよね」「いやいやリズミックな展開がツェッペリンに通じるよ」「琵琶の音楽を越えたね」等々、色んなお客様から様々な有難い感想を頂きました。最初からお稽古事に対し距離を取って活動をしていた私としては、正にしてやったり!!。

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Msの保多由子先生 Vnの田澤明子先生   photo 新藤義久

今回はヴァイオリンの田澤明子先生、メゾソプラノの保多由子先生という、現在考えうる洋楽系最強の布陣でしたので、本当に素晴らしい演奏と楽曲を聴いて頂く事が出来ました。ヴァイオリンの田澤先生とは2018年リリースのアルバム「沙羅双樹Ⅲ」に収録された「二つの月」を弾いて頂いてから数々の舞台で共演させてもらってきて、コンビネーションもばっちりです。いまや笛の大浦典子さん同様、私の作品を演奏するにはかけがえのないパートナーとも言える演奏家です。私は共演者の演奏を頭に描きながら曲を書くので、相方の技術だけでなくアプローチの仕方や性格、姿、人間性全てが曲には必要なのです。だから代わりはありえない。曲がもう何度も再演され、新たな展開として別のプレイヤーによって演奏されるのは素晴らしい事ですが、曲が生み出される瞬間には、その人でないと成立しないのです。

今回は、今私が考えている音楽を表現するのにふさわしいトップクラスのお二人が演奏してくれたことが、何よりの幸せでした。「二つの月」は田澤先生でなければ成立しないし「Voices」は保多先生でなければ成立しない。トリオで演奏する「Voices」に今回新たに田澤先生が加わったことで、この曲は一つの頂点を迎えたと思っています。
今回は他にヴァイオリンと樂琵琶による小品「凍れる月~第二章」を初演しましたが、なかなかいい感じに出来ましたので、これをさらに仕上げたいと思っています。あとは能管と薩摩琵琶の緊張感ある静かな作品と、歌と薩摩琵琶のデュオで現代詩による重厚な作品も考えています。毎度同じことを書いていますが、もう一歩先に行きたいのです。表現の世界に完成はありえませんが、ここ5年程で自分の作品が充実して来て、自分の表現する世界が明確になって来ている実感があります。この世界をもっと明確な作品群として遺したい。今はそんな想いが湧き上がっています。
今回は16周年、190回目の開催にこんなメンバーで臨むことが出来、本当に幸せな時間を感じる事が出来ました。来年の200回記念の会にもこのメンバーで臨みます。

グンナルリンデル1大浦典子1s

左:(尺八)グンナル・リンデルさん  右:(笛)大浦典子さん


私はこれまで素晴らしい音楽家たちに恵まれました。最初期には笛の大浦さんとのコンビの他、尺八のグンナル・リンデルさんとも「パンタレイ」というコンビ名で盛んにライブをやっていました。本当に有難い事だと今は感じています。活動を始めた頃にグンナルさん、大浦さんというパートナーがいなければ曲は創れなかっただろうし、演奏活動もままならなかったと思います。

y30-2ライブ活動を始めた頃 邦楽ライブハウス和音にて
もう25年程琵琶で活動をしていますが、私は最初から流派の曲は一切やらずに、全て自分の作曲した作品を弾いて仕事をしてきました。国内は元より、海外公演にも声をかけて頂き、これまでアルバムも11枚リリース出来、ネット配信で海外にも届けられるようになって、何とかこうして琵琶を生業として生かさせてもらっている事は、実に幸せな時間を生きてきたという事だと思っています。人間生きていれば、生活の事や家族・友人・仕事関係等々心配事の種は尽きません。親の介護や自身の健康問題で音楽活動を断念した仲間も居ます。人生全てが順調などと言う人は誰もいないでしょう。そんな様々な事がありながらも、今もこうして琵琶奏者として生きていられる事に感謝しかないですね。年を追うごとに自分のスタイルにも充実を感じてきていますし、これからはもっともっと本来自分があるべき姿になって行って良い時期だと思っています。

以前は全国を飛び回っている事に満足していたような所もあったのですが、やはり一つづつ丁寧にやって行くのが良いと思うようになって来ました。「お仕事」ではなく納得できる活動をじっくりとやって、納得できる作品を遺して行く事が結局喜びにもつながります。確かにこれ迄の様々な仕事の経験は何物にも代えがたいものであり、総てが肥やしとなっていますが、もうそろそろ色んなものが整理され、身の回りの余計なものが剥がれ、すっきりして自分の本来あるべき所に立ち返ってくる時期だと思っています。

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六本木ストライプハウスにて photo 新藤義久


他の人と比べれば、私の活動など大したことはないかもしれませんが、自分の思う音楽をやれているという事は、幸せな時間を過ごしているという事です。まあ音楽家はエンタテイメントのスターでもない限り経済的には世間並みという訳にはなかなかいかないので、世にいうウェルビーイングというものには程遠いですが、ただ「食べるための芸」ではなく、自分の思う所を少しづつでも実現している実感が私の悦びであり、幸せな時間を感じさせてくれるのです。
ゆっくりと自分のペースで、自分の思う所を今後もやって行きます。

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