力を抜く

何だか急に寒くなりましたね。今週は松本に行くのでコートを着るべきかどうか迷ってます。
近頃はそんなに演奏会は多くはないので、大分時間が取れるようになってきたのですが、さすがに秋は何かと演奏の機会が多く、あちこち飛び回っています。まあその分、色んな芸術家たちと語りあう機会も多くなって楽しい時期でもあるのです。

昨年の高円寺


周りの仲間たちもそれなりの年齢になってきたせいか、最近はよく「力を抜く」という事が話題になります。先日も陶芸家の方と話をしていてそんな話になりました。これは手を抜くわけではなく、余計な力を抜く事であり、また目の前に囚われない事であり、そして作品のレベルを上げる事というです。
これまでの自分の経験や技術などに寄りかかっている人は硬い体をしています。色んなものを守ろうとしているのか、心も体も力で満たし、いわゆる「お見事」をやろうとしている。これではせっかくの技術も経験も生きてきません。ジャズでも邦楽でも80代90代でも驚くような舞台を実現する人が居る一方、ベテランになる程に柔軟性が失われて残念な舞台になっている人をよく見かけます。先日もそんな演奏を聴いて本当に悲しくなりました。

私は元から気合や難行苦行というものとは縁遠い性質で、のんびりとやるのがスタイルなのですが、年を重ねるごとに更に苦行から遠ざかって来ています。先日琵琶樂人倶楽部も16周年を迎えた事もあり、知人達からから「長く続いていますね。色々御苦労もあったでしょう」と会う度に言われるのですが、実はほとんど「御苦労」は無いのです。いつも書いているように集客に関する事はこのブログに書く以外はしていませんし、内容はやりたい事しかやらないので、ストレスも無ければ、嫌な思いをすることも無いし、私としてはただ楽しいので続けているというだけなんです。

孔子様も「これを知るものは、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」
なんて言ってますが、とにかく頑張っているなどと自分で思っている内は大したことは出来ません。楽しんでいる奴にはかなわないのです。

日本人はこの道一筋で、きつい修行を重ねて耐えて耐え抜いて、辛抱してこそ一人前になると思い込んでいる人があまりに多いですね。未だにスポ根の感覚から抜けれられません。この発想では一つの枠の中に身体も心も閉じ込められ、その小さい閉ざされた枠の中で己の欲望願望も否定して、只管耐えて闘っている状態ですので、ある程度技が出来上がった頃には、視野も感性も体も洗脳されるが如く凝り固まってしまいます。
世界がクリック一つで繋がる時代に、ただ一つの価値観の下で難行苦行をして何かを会得しても、そこに多様な物事や感性を受け入れる事が出来るでしょうか。自分を取り巻く現実がものすごいスピードで変化している現代、その中で大切なのは技術でも小さな業界の評価でもありません。それらは旧来の価値観の中で成立しているもので、世界を相手にする時代には、そこを引きずっていては足かせにしかなりません。自分のヴィジョンを見据え、何が必要で何が足りないかが解る人だけが次の時代を生きて行けるのです。
稽古も修行も、知識や技術を植え付けるのではなく、むしろ自分の中に在るものを見出して行くような方向でやらないと、いつまで経っても自分の歩むべき道は見えません。

努力とは難行苦行ではありません。面白くてしょうがないからやっているだけで、そこに否定は無いのです。根性入れて耐えて辛抱している訳でもないのです。だから一つの事をやっていても、自分を取り巻く面白そうな物事も巻き込むようにどんどん吸収できるし、自分と違う価値観とも触れ合える。そうやって視野も器も育つのです。
難行苦行の果てに「自分はこれだけがんばったんだ」という思いに寄りかかる様になってってしまったら、もうそこから先へは歩みを進める事は出来ないでしょう。それは何故なのか?。それはそこに創る喜びが無く、自分の見えている所だけに居るからです。未来へ視野を向け、新たな世界、次世代へと想いを馳せ、創り出して行く喜びと心が育たないからです。どんなものでもずっと続けている人は最初から何でも嬉々としてやっているんじゃないでしょうか。
面白そうな事は自分の周りに溢れています。そこには可能性も沢山あります。そういうものに視線を向けるには、余裕や余白というものが必要なのです。その余裕を生み出すには、余計な力を抜いて適切な力で動いて行く事が大切。体にこびりついた洗脳されたような価値観や無駄な筋肉、他から与えられたお墨付き、そういうものは過去のものに過ぎません。それらを脱ぎ捨てて、しなやかな心と身体になってのんびり歩いていないと、世の中の動きは勿論の事、樹木や花の溢れる生命感も、風に乗って来た薫りも気が付かず、詩情も沸いて来ません。
何故お見事な自分で居たいのか。そういう自分の内面の闇を素直に見つめ、本当はどうしたいのかじっくり思いを巡らせるのも修行の内です。もっとしなやかになれば色んなものが見え聴こえ、入って来ます。がちがちに凝り固まった心や体で居たら、武道家だったら一瞬でやられてしまいますね。

人形町楽琵会にて 能楽師の津村禮次郎先生、バイオリニストの田澤明子先生と「二つの月」上演中


自分は何をやるのか、何故それをやるのか、その発想を生み出す根底の哲学は何なのか。それらを熟考し自分のヴィジョンを自分の内に見出すのが稽古ではないかと私は考えています。そしてそういう心を育てるのが教師なんだとも思っています。歴史上、ヴィジョン無き人間の行動やヴィジョン無き科学技術はそれだけ悲惨なものを生んだか、皆様も解っている事と思います。人間は先へと続く道を見出さないと本当に滅んでしまうのです。
力を抜くという事は、己しか見えない自分よがりの小さな世界から離れ、自分と違う多くのものと触れ合い、受け入れ、世の中全体を見渡し、未来を見つめる心や精神の在り方を養う事であり、最終的には他との調和から愛にまで辿り着く人間の営みそのものなのではないでしょうか。
私の周りにも素晴らしい音楽家芸術家が沢山居ますが、自分なりの活動をしている方は皆、いい具合に力が抜けて、自分のペースで生きていますね。

かく言う私も以前はシーズンになると、やたらと演奏会が続き、毎月ツアーに出て、それも全て演目が違うというなんて事ばかりで、毎年6月辺りと秋のシーズンは頭も体もパンクしそうな事が何年もずっと続いていて、パワーで押し切っていました。最初から肩書は無いので、つまらないプライドはありませんでしたが、それでもいつしか忙しく動き回っている中で、自分でも判らない内に結構力が入っていて、心も体も固まっていました。そして40代の頃は声に支障をきたすようになっていました。当時色々とお世話になっていたH氏から色々とアドバイスを頂き、肉体的な部分のみならず、いつしか固まっていた心もほぐす事が出来、やっと少しづつ少しづつ力を抜いて行くようになったのです。その辺りから力を抜く事で色んなものを得ることが出来、様々なものが見えるようになり、自分自身ももっと見つめるようになり、やればやる程自分自身になって行くという事を体感して行ったのです。そして自分の中に溢れるものを認識し、誰のものでもない自分の音色と音楽を自然と表すようになったのです。

力技で押し切っていた頃もそれなりのパワーで実現していたものもあったと思いますが、そんなものが通用するのはせいぜい20代迄、ぎりぎり30代迄でしょう。それでは何も深まりません。心が自己顕示欲や競争心に囚われていると、姿も目つきもそうなります。40代50代、更には60代になってもそういうものがむき出しになっている人は私にはちょっと醜く見えます。やはり使うべき所に力を使う事が出来て、抜く所はしっかり抜くことが出来、心も体もリラックスしている事は舞台の姿にも、作品にも直結します。
固いものは壊れやすいのです。もっと強いもの固いものに出会うとすぐに壊されてしまう。特に心が固くなると自分と違うものを受け入れられなくなって、視野も感性も失って、結果的に体も壊れてしまいます。自分がやっているものと違うやり方を認めず、未来を想像する事も難しくなってしまったら、良い結果が生まれるでしょうか。判りきっている事なのに、囚われている内は自分の姿が見えません。

今音楽だけでなく、総てのものが世界中との繋がりの中で成り立っています。私のような地味な音楽でさえ、マーケットは既に身内の業界でも日本でもなく「世界」なのです。全世界とつながり、自分の音楽が世界中に流れているという現実を今どれだけの人が認識しているでしょう。思考を止めて、今迄の実績に寄りかかり、ただ形を守っていれば良い、目の前をキチンとして入れば問題ない、気合を入れていれば良いのだ等という硬直し凝り固まった感性は、言い方を変えれば未来を否定して自ら逃避しているのと同じだと私は思います。

北鎌倉 其中窯サロンにて photo 川瀬美香

先ずは力を抜き、正中線と重心を意識し、本来この体を保つべき力のみで立ってみる。腕や足を筋肉で動かすのではなく骨格や重心を使って動いてみる。そんな風にしていると琵琶を弾く時に撥を握る手に力を入れなくてもしなやかに撥は舞います。逆に力を入れていると撥は舞わない。私は最初に習った高田栄水先生に「撥は蝶が舞うが如くに扱え」とよく言われました。これは単にばちを扱う技術という事だけでなく、その心の在り方をも意味していたんだと今でも感じています。

私は一番自分らしい生き方をしたい。それにはただのオタクのように琵琶だけ弾いてりゃいいという単純なものではありません。音楽もその他の芸術も文学も歴史も、世界との比較文化論も活動を続けて行けば行く程に必要になってきます。しかし「お勉強」をしなくてはいけないという思考では、苦しみや辛抱の感覚から逃れられません。むしろ本を読んだり、新作を書いたり、そんな事をするのが楽しくてしょうがないという位でなくては!!。少なくとも「食うための芸」に陥ったような音楽家にだけは成りたくないし、そんな人生は求めていないのです。

やればやる程に見えてしまうのは技ではなく、その人の器です。力を抜いて、しなやかな心身となって、自分なりの人生を全うしたいですね。

幸せな時間

ちょっとご無沙汰しておりました。急に寒くなりましたね。秋らしくはなりましたが、もうすぐ年末と思うと何だか妙な気分です。

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photo 新藤義久


先日の第190回琵琶樂人倶楽部17年目突入回は、賑々しく終える事が出来ました。今回は私のメインにしている前衛的な器楽曲のみでやらせて頂きました。一般的な渋い琵琶の古風なイメージを持ってやって来たお客様には厳しい内容だったと思いますが、琵琶を手にした最初から「媚びない、群れない、寄りかからない」が私のモットーなので、今後もブレずに自分の思う所をやって行こうと思っています。
終演後は盛んに「これは実に塩高らしい音楽だ」「これはプログレだ、基本はクリムゾンだよね」「いやいやリズミックな展開がツェッペリンに通じるよ」「琵琶の音楽を越えたね」等々、色んなお客様から様々な有難い感想を頂きました。最初からお稽古事に対し距離を取って活動をしていた私としては、正にしてやったり!!。

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Msの保多由子先生 Vnの田澤明子先生   photo 新藤義久

今回はヴァイオリンの田澤明子先生、メゾソプラノの保多由子先生という、現在考えうる洋楽系最強の布陣でしたので、本当に素晴らしい演奏と楽曲を聴いて頂く事が出来ました。ヴァイオリンの田澤先生とは2018年リリースのアルバム「沙羅双樹Ⅲ」に収録された「二つの月」を弾いて頂いてから数々の舞台で共演させてもらってきて、コンビネーションもばっちりです。いまや笛の大浦典子さん同様、私の作品を演奏するにはかけがえのないパートナーとも言える演奏家です。私は共演者の演奏を頭に描きながら曲を書くので、相方の技術だけでなくアプローチの仕方や性格、姿、人間性全てが曲には必要なのです。だから代わりはありえない。曲がもう何度も再演され、新たな展開として別のプレイヤーによって演奏されるのは素晴らしい事ですが、曲が生み出される瞬間には、その人でないと成立しないのです。

今回は、今私が考えている音楽を表現するのにふさわしいトップクラスのお二人が演奏してくれたことが、何よりの幸せでした。「二つの月」は田澤先生でなければ成立しないし「Voices」は保多先生でなければ成立しない。トリオで演奏する「Voices」に今回新たに田澤先生が加わったことで、この曲は一つの頂点を迎えたと思っています。
今回は他にヴァイオリンと樂琵琶による小品「凍れる月~第二章」を初演しましたが、なかなかいい感じに出来ましたので、これをさらに仕上げたいと思っています。あとは能管と薩摩琵琶の緊張感ある静かな作品と、歌と薩摩琵琶のデュオで現代詩による重厚な作品も考えています。毎度同じことを書いていますが、もう一歩先に行きたいのです。表現の世界に完成はありえませんが、ここ5年程で自分の作品が充実して来て、自分の表現する世界が明確になって来ている実感があります。この世界をもっと明確な作品群として遺したい。今はそんな想いが湧き上がっています。
今回は16周年、190回目の開催にこんなメンバーで臨むことが出来、本当に幸せな時間を感じる事が出来ました。来年の200回記念の会にもこのメンバーで臨みます。

グンナルリンデル1大浦典子1s

左:(尺八)グンナル・リンデルさん  右:(笛)大浦典子さん


私はこれまで素晴らしい音楽家たちに恵まれました。最初期には笛の大浦さんとのコンビの他、尺八のグンナル・リンデルさんとも「パンタレイ」というコンビ名で盛んにライブをやっていました。本当に有難い事だと今は感じています。活動を始めた頃にグンナルさん、大浦さんというパートナーがいなければ曲は創れなかっただろうし、演奏活動もままならなかったと思います。

y30-2ライブ活動を始めた頃 邦楽ライブハウス和音にて
もう25年程琵琶で活動をしていますが、私は最初から流派の曲は一切やらずに、全て自分の作曲した作品を弾いて仕事をしてきました。国内は元より、海外公演にも声をかけて頂き、これまでアルバムも11枚リリース出来、ネット配信で海外にも届けられるようになって、何とかこうして琵琶を生業として生かさせてもらっている事は、実に幸せな時間を生きてきたという事だと思っています。人間生きていれば、生活の事や家族・友人・仕事関係等々心配事の種は尽きません。親の介護や自身の健康問題で音楽活動を断念した仲間も居ます。人生全てが順調などと言う人は誰もいないでしょう。そんな様々な事がありながらも、今もこうして琵琶奏者として生きていられる事に感謝しかないですね。年を追うごとに自分のスタイルにも充実を感じてきていますし、これからはもっともっと本来自分があるべき姿になって行って良い時期だと思っています。

以前は全国を飛び回っている事に満足していたような所もあったのですが、やはり一つづつ丁寧にやって行くのが良いと思うようになって来ました。「お仕事」ではなく納得できる活動をじっくりとやって、納得できる作品を遺して行く事が結局喜びにもつながります。確かにこれ迄の様々な仕事の経験は何物にも代えがたいものであり、総てが肥やしとなっていますが、もうそろそろ色んなものが整理され、身の回りの余計なものが剥がれ、すっきりして自分の本来あるべき所に立ち返ってくる時期だと思っています。

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六本木ストライプハウスにて photo 新藤義久


他の人と比べれば、私の活動など大したことはないかもしれませんが、自分の思う音楽をやれているという事は、幸せな時間を過ごしているという事です。まあ音楽家はエンタテイメントのスターでもない限り経済的には世間並みという訳にはなかなかいかないので、世にいうウェルビーイングというものには程遠いですが、ただ「食べるための芸」ではなく、自分の思う所を少しづつでも実現している実感が私の悦びであり、幸せな時間を感じさせてくれるのです。
ゆっくりと自分のペースで、自分の思う所を今後もやって行きます。

祝 琵琶樂人倶楽部17年目突入!!開催190回 

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この11月で、琵琶樂人倶楽部は16周年を迎えます。毎年11月は感慨深いものがありますが、今年は開催も190回目。そして来年はついに200回に達すると思うと、何だかそわそわしますね。
100回を節目として体制を変えて、毎月ゲストを迎え開催しているのですが、これまで色んな方が出てくれました。小さな会ですので充分なギャラも出せないのに本当に有難い事です。来年もほぼスケジュールが埋まりまして、内容も少しづつ変化してきています。同じ曲を演奏しても毎度同じ事をやるのではなく、常にその時々で変化して行くというのが私のスタイルであり、そのスタイルと精神は琵琶樂人倶楽部に於いても同様なのです。
先ず今年から古典講座の回をまたやり始めましたが、来年も平家物語、源氏物語について独自の考察を演奏と共に聴いて頂く回をやります。またずっと前に川崎能楽堂で毎年やっていた「アンサンブルまろばし」のレパートリーを、新たなメンバー(筝・尺八)で再現する回も予定していて、どんどん面白くなって来ています。毎回私がやりたい事だけをやりたいようにやっているのですが、ハイレベルなゲストの方々のお陰もあって、やる度に内容充実になって行きますね。また来年は新たなアルバムもリリースする予定で、オムニバスの二枚を入れると12枚目になりますので、これも一つの節目と考えて私の真骨頂である現代琵琶樂の新作の上演もどんどんやって行こうと思っています。

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現代作品には欠かせないお二人 Vnの田澤明子先生、Msの保多由子先生 photo 新藤義久

今月は私のメイン活動である現代作品の演奏です。もう最近では毎度の演奏会のパートナーと言ってもよい程に共演を重ねているVnの田澤明子先生、そしてMsの保多由子先生のお二人を迎えての演奏です。意外な事にこの3人の組み合わせでの演奏は、今回が初めてなんです。演目は昨年来再演を重ねている「Voices」この曲は震災詩人と呼ばれている故 小島力さんの詩に私が曲を付けたもので、昨年新横浜のスペースオルタで行われた震災関連の演奏会で初演しました。小島さんの素朴ながら生々しい言葉とどう対峙しようか随分考えて作曲したのですが、とても良い形になって嬉しい限りです。初演時には小島さんの娘さんも駆けつけてくれて、私にとっては一つの転機になるような作品となりました。初演は能管とMs&琵琶のトリオでの演奏でしたが、その後はフルートや尺八等とも演奏しまして、来年も3回程再演の予定が入っています。先日Vnとリハーサルもやりまして、なかなかの仕上がりになっていますので、ご期待ください。

その他は新作の「凍れる月~第二章」、「二つの月~Vnと琵琶の為の」、トリオによる「花の行方」など予定しています。是非お越しくださいませ。お待ちしています。

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photo 新藤義久


「長く続いていますね」としょっちゅう言われるのですが、琵琶樂人倶楽部は会場が25人も入れば満席という小さな名曲喫茶ヴィオロンを借りて毎回開催していることもあって、特に集客活動をしなくてもまあ何とか毎回それなりにお客様が来てくれるので、毎月の運営がストレスになるようなことは全く無いのです。もう丸16年もやっていると私のライフワークですね。お稽古した曲を演奏する場ではないので、いつも自由に琵琶に興味を持つ方々や、様々なジャンルの芸術家が集ってきてくれるアートサロンのような感じになっています。だから毎回楽しいのです。私自身も毎月新鮮な気持ちで取り組んでいられますし、様々なゲストと演奏するので結構色んなチャレンジがあって、リハーサルもしょっちゅうしています。経済面に関しては収入にはならないのですが、この場から多くの繋がりが出来上がり、仕事にも繋がり、大きな視野で見ると琵琶樂人倶楽部は結果として私の活動を支えるベースになっているのです。2019年放送のeテレ「100分de名著」も琵琶樂人倶楽部に番組ディレクターが直接来て、出演の依頼をしてくれました。毎回終わってからゲストやお客様と軽く打ち上げに行くのですが、そこで色んな話が聴けるのも楽しいですね。

IMGP01092009年の11月。2周年の時の出演の方々。和服の方が都先生
左の写真は2009年の11月。2周年の時の写真です。私が弾いている琵琶は五絃の錦琵琶の改良型なのですが、その錦琵琶の伝統を継承している都派の代表 都錦鳳先生にも出て頂きました。有難いですね。本当に色んな方が出てくれてかなり活発な交流をしてこれたことに感謝しかないです。この御時世で琵琶奏者としてこれ迄生きて来させてもらっているというのは、奇跡みたいなものだと常々思っていますが、約25年程琵琶で活動させてもらって、やはり次世代を育てなければいけないなという事です。幸い私の所には20代30代40代50代60代の方が集まってきているので、彼らに是非次世代を託したいですね。とにかくこれ迄、作曲と演奏の両面でやって来て良かったなと思っています。流派の曲がどれも私にはピンとこなかった事もありますが、琵琶をという自分にぴったりの相棒を得て以来、湧き出るように曲を創り、9枚(+オムニバス2枚)のオリジナルアルバムとなってリリースして来れたのは、本当に嬉しい事です。最初の頃は演奏も歌もへたくそだったことと思いますが、そんな私に声を掛けてくれた方々には頭が上がりません。ただ私は上手さを聴かせるのではなく、常に自分の作品を聴いていただく事をやって来ました。それが今でもずっと続いているのです。来年10th(オムニバスを入れると12th)アルバムもぜひとも完成させてリリースしたいです。
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琵琶樂人倶楽部発足当時の私(若い!)厳島神社演奏会にて

琵琶樂人倶楽部はそんな私のやり方を実演する場であり、支える場であり、「媚びない、群れない、寄りかからない」のモットーを主張する場でもあります。また近代~現代に成立した薩摩・筑前の琵琶樂と、樂琵琶や平家琵琶の古典の琵琶樂の違いもしっかりと伝えたいので、流派の曲=古典という安易な宣伝にもはっきりと意見をして、レクチャーにもどんどん力を入れていきたいと思っています。こうした姿勢は、勿論これからも変わりません。今後も琵琶樂人倶楽部をベースとして、自分の考えに乗っ取った活動を展開して行こうと思っています。

11月8日(水) 第190回琵琶樂人倶楽部「琵琶と洋楽器の新たな世界」
場所:名曲喫茶ヴィオロン
時間:19時00分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(薩摩琵琶・樂琵琶)ゲスト 田澤明子(Vn)保多由子(Ms)
演目:二つの月~Vnと琵琶の為の 
   Voices~Ms、Vn,琵琶の為の 小島力の詩による
   花の行方
   君の瞳 他

是非お越しくださいませ。お待ちしています。

祭の効用

私の住む杉並区では、この時期毎週のようにイベントをやってます。阿佐ヶ谷ジャズストリート(ジャズ)、高円寺フェス(ロックポップス)、荻窪音楽祭(クラシック)など、それぞれ特色のあるフェスが目白押しなのです。今年も阿佐ヶ谷ジャズストリートにちょっとだけ参加してきたのですが、楽しい時間でした。

阿佐谷は普段から人通りが多く、商店街はいつもにぎわっているのですが、この二日間はいつになく華やいで、ただ歩いているだけで自然と元気が出ますね。ジャズは邦楽と同じく、演奏する人も聴く人もどんどん減って行っているのですが、阿佐谷ジャズストリートは地元縁のピアニストの山下洋輔さんや海外で活躍されたベテランギタリストの増尾好秋さんなど、大御所級の方々も出演してなかなかのハイレベルの演奏が繰り広げられています。ストリートの方はポップス系の方たちが主で、あまりジャズはやっていないのですが、楽しいバンドが多く、色々と見て聴いて回っているのは結構楽しいのです。この二日間は浮世の憂さも忘れて気分は上々でした。こうした祭りで皆が楽しくなったり癒されたりして幸せになるのは良い事ですね。やはり人間にはエンタテイメントが必要なんだなと思います。

私は残念ながら凡そエンタテイメントを提供する側には向かない人なので、琵琶の演奏ではなかなかこういうイベントでの演奏はないですね。今回もちょっと隅っこの方でお手伝いをさせてもらった程度なのですが、まあ私の曲では笑ったり踊ったりは出来ないし、この仏頂面ではどうにもエンターティナーには成れませんな。

しかしこういう非日常を過ごす事は、日々のストレスを晴らしてくれるし、精神も肉体も整える事が出来るのだと思います。私ものんびり生きているようですが、知らない内にストレスは溜まりますし、時々こんな時間があるとリフレッシュできます。音楽家としても良い刺激を受けて、色々と気づく事も多いです。日本人はあまり普段はものを言わずに自分の内に溜め込んでしまうので、それで時々発散させるために各地に色んなお祭りがあるんでしょうね。

30代の頃やっていたグループ「Orientaleyes」
ターンテーブル、アナログシンセ、フルート&琵琶

この二日間の祭りで、私は色んな事を感じ考えました。古い友人も阿佐ヶ谷に駆けつけてくれましたし、ランチの時間には、蕎麦道心にて久しぶりに逢う音楽家達とゆっくり話をする時間もあって、良い時間を頂きました。ちょうど今月は月中で演奏会やらレクチャーなどの仕事が一段落着いていたので、追われている仕事も無く、しっかりリフレッシュ出来ました。
私はロックも好きなんですが、中学高校の時からずっとジャズを聴いているので、やはりジャズが一番しっくり来ます。古典文学や和歌には勉強するでもなく身近に親しんでいたので、ルーツは確かに日本文化だと思うものの、青春の思い出と言えばやはりジャズなんです。ジャズの大御所は故郷の静岡に結構公演に来てくれまして、数えきれないほど聴きに行きました。カウント・ベイシーやフレディー・グリーン、エルビンジョーンズなんかと握手したのを今でも思い出します。その他ソニーロリンズ、ミルト・ジャクソン、ジムホール、エド・ビッカート、バーニー・ケッセル、ハーブ・エリス、ジェームズブラッド・ウルマー、カルビン・ウエストン等々、そして東京に出て来てからはマイルス・デイビス、ジム・ホール、パット・メセニー、スティーブ・カーン、ケニー・バレル、ジョー・パス、オスカー・ピーターソン、リチャード・デイビス、ジョン・マクラフリン・・・。もう怒られそうなので止めておきます。皆20代の頃に強烈な印象と共に目の前でかじりつくように観て聴いてきました。

今、私が日本の音楽に対し冷静に自分なりの視点で接することが出来るのは、このジャズの体験があるからだと思っています。かのゲーテは「ひとつの外国語を知らざる者は、母国語を知らず」と言っています。つまり今邦楽衰退の一番の問題は他を知らないという点にあると思っています。他との比較が常に出来ていないと、結局自分の知っている事が正解だと思い込み、音楽全体の姿が見えて来ない。今はクリック一つで世界とつながる時代です。日本だけを見ていては邦楽も成り立ちません。世界の中の日本、琵琶、私という感性が持てないとオタク状態から抜け出せません。私の曲も配信で買ってくれるのは海外の方が圧倒的に多いです。こういう展開をしてこれたのも、演奏するすべての曲を自分で作曲していたからだと思いますし、またこれ迄25年程に渡って活動してこれたのも、日本人としての感性とジャズの知識や経験があるからだと確信しています。

この二日間ジャズフェスを聴いていて思ったのは、改めて私はエンターティナーではないという事と、そういう音楽活動を自らに求めているのではないという事。もう少し言うと、私はジャズでも邦楽でもかなり室内楽的な静かな空間で聴く音楽を創っているのです。決してリスナーをエンターティンする音楽を創っている訳ではないのです。どんな音楽にもエンタテイメント性はあるし、リスナーを乗せて楽しくなるのはとても気持ち良いですが、私のしたい事はそこではないのです。こういうジャズフェスで皆で盛り上がるのも音楽の大きな楽しみの一つだと思いますが、それは私の仕事ではないですね。私は若き日にジャズギターに夢中になってやっていましたが、ジャズギター自体がジャズの中では大変地味な存在で、サックスのように豪快にダイナミックスを表現できる楽器ではありません。そういうものに若い頃から親しんでいたせいなのか、琵琶でも大声張り上げて喜怒哀楽の感情や主義主張をまくしたてるように歌うスタイルには今でも馴染めません。じっくり琵琶の音を聴いてもらえるような音楽を創って行くのが私の仕事だと実感しています。

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Photo 新藤義久


私はいつも頭の中で色んなタイプの曲の構想を練っています。しかし最後にはどうしても静寂感があって漂うようなもの、もっと言うと柔らかさと精緻なものが共存しているような世界観がその根底に出てきてしまいます。人間の作り出したルールによる秩序ではなく、自然が生命の誕生と共に宿していただろう人知を超えた調和が感じられないと、途端に窮屈に感じてしまいますので、ジャズもこねくり回した複雑な理論を追いかけている自分にふと疑問を感じ、もっとルーツに行きたいと思った結果琵琶に辿り着いたのです。
自分自身や自分を取り巻く環境を整える事は、私にとって音楽を生み出して行く事と同じなので、売る事や有名になる事を優先するショウビジネスのエンタテイメント音楽とはどうしても距離を置いてしまいます。つまり私の中でそれはいびつな形であって、それでは「整はない」のです。

楽器のメンテナンスの話もよく書きますが、それも整える事です。私が普段使っている琵琶は100年物から20年物まで色々ありますが、どれも素晴らしい音で鳴ってます。常にメンテナンスをしてゆっくりと付き合って行くと楽器と自分が調和してくるのです。5年もろくにもたないPCやスマホでネット配信して、こうしたブログなども使いながら活動をしている訳ですが、そんな先端の技術や物が無いと成り立たない現代の生活に今一つなじめないのも、私の性格なのでしょう。

SKY Trio+1 ASax:SOON・KIM  FL:吉田一夫 B:うのしょうじ 

この阿佐谷ジャズストリートは、改めて自分の音楽を見つめ直す良いきっかけて与えてくれました。年に一度位こういう時間があるのは嬉しいですね。

グローバリズムと著作権Ⅲ

この所本当にさわやかな天気が続いていますね。

先週はそんな気持ちの良い中、第189回琵琶樂人倶楽部、東洋大学伝統文化講座、そして平塚にある八幡山洋館にて「秋風楽~琵琶と笛、朗読の会」をやって来ました。八幡山洋館は窓から見える庭も素敵な場所で、以前よく演奏した横浜のイギリス館をこじんまりとした雰囲気があり、会場の響きも抜群。勿論大浦さんとのコンビネーションもいつものようにばっちりで、充実した内容で演奏出来ました。

今回は毎度お世話になっている文藝サークル「カトレアの会」の主催で、第一部に児童文学作家のあまんきみこさん原作の「青葉の笛」を平塚のサークルの方お二人が朗読をして、第二部は笛と琵琶の演奏会という内容でした。あまんさんの作品を声で聴くのは初めてでしたので、お二人の朗読は私も楽しみにしていました。
ところが当日朗読する二人の指導をしている方が稽古をしている中で、あまんさんの原作に手を入れ始め、数十ヵ所にカットを入れ、しまいには義太夫節を付け加えたりと、もうやりたい放題に改作してしまっているという事が判り、さすがにこれは良くないという事で、僭越ながら意見をさせていただきました。しかも今回は原作者であるあまんさんに何の断りもなく勝手にやり出したというのですから、言葉が出ませんでした。最終的には舞台で朗読する二人に話をして、本番では原文のまま朗読して頂きました。本番での朗読はなかなか堂に入った朗読で、随所にお二人の工夫も感じられて良い朗読でした。

確かに読むための作品を声に出して朗読しようとすれば、カットしたくなる部分も出てくるでしょう。特に笛の大浦典子さんが音を添えてくれたので、言葉をカットして笛の音だけにしたくなるのも判ります。しかしながら、まるで作品をただの素材やネタのように扱い、自分がやりたいように蹂躙するが如く切り刻んでしてしまうという事は、当然の如くあってはなりません。それは作品に対する冒涜です。そこには作品や原作者に対する敬意も尊敬も感じられません。

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笛の相方 大浦典子さんと(昨年の琵琶樂人倶楽部の時のもの) photo 新藤義久

今回は本番で朗読をする方が、指導者のあまりの勝手なやり方に、さすがに心配になってこちらに連絡して来て判った次第なのですが、あのままやっていたら著作権法違反にもなっただろうし、会場にはあまんさんのファンの方も来ていたそうですので、大問題になっていた事でしょう。現役で活動している作者に対し、作品を朗読させてもらうだけでも原作者に相談するのが筋というものでしょうし、ましてや手を入れるとしたら、台本を診てもらって、了解の上やるのが当たり前。芸術に携わる人間のやる事とは考えられませんね

音楽でも何でもちょっとばかし技術を得た人は、音楽をやるよりも己の技量を見せつける事に凝り固まってしまって、作品に対する敬意も芸術に対する謙虚さも忘れて餓鬼のようになってしまうものです。自分の技量を披露しやすいネタを選び、更に披露しやすいように勝手に改作するような事は、もう芸でも何でもありません。「です」を「でした」に変えるだけでも全く文章のリズムも印象も変わってしまうのに、作者が心血注いで紡ぎ出した言葉を勝手に変えるなんてことは冒涜と言われても仕方がないですね。やりたいようにしたければ自分で創れば良いのです。創り出すことがどれだけ大変なものか。そして紡ぎ出された言葉や音がどれだけ尊いか実感するでしょう。
古典でも現代作品でも作品として存在している尊さが解っていないからこういうことを平気でやって、その上入場料まで取って稼ごうなんて発想をしてしまうのです。それはもう舞台人のセンスではないですね。

誰しも初心の頃、作品に魅力を感じて、舞台に感激して自分でもやってみたいという想いが湧き上がった事と思います。そんな頃、作品にも舞台にも謙虚な心で向かって行っただろうし、自分がやらせてもらうのがとても嬉しく思ったのではないでしょうか。そんな初心の頃の純粋な気持ちを忘れ、自分のわずかばかりの技術を見せつけよう、という偏狭な心に陥ってしまうというのは、本当に残念です。もう一度我が身を振り返って、芸術に携わり、舞台に立って生きて来れた事に感謝を持ち、芸術に対して謙虚な心を取り戻して欲しいものです。

少し前のブログ記事に「宿」(宿神ともいう)のことを書きましたが、初心を忘れ、自己顕示欲だけを満たしていたら宿神は到底現れないと思うのは私だけではないでしょう。古典に親しんでいる者なら、古典芸能に宿神というものがいかに深くかかわっているか判る事と思います。舞台で「自分が、己が・・」なんて思っている時点で既に古典に携われるレベルではありません。古典ものでも現代ものでも、作品に最大の敬意を払い、自己を超越した世界にこの身を捧げてこそ、そこに生命が宿り、宿神は現れるものです。これはきっと洋楽でも同じだと思います。祈りから始まった音楽や踊りは、その原点に「おおいなるもの」への畏敬の念があり、己の技云々などのちっぽけな心は微塵も無かったはずです。自己顕示欲に取り付かれている心は全て音楽に現れてしまいますし、目つきにも歩き方にも姿全般に渡って見えてしまうものです。曲に我が身を捧げる位の気持ちが無くては古典には立ち向かえません。

150918-s_塩高氏ソロ

箱根岡田美術館 尾形光琳作「菊花屏風図」前にて

私は著作権は人権と同じだと以前から主張しています。だから著作権が残っていようが残っていまいが、作品に対しリスペクトを持てないようでは舞台に立てないと思っています。アーティストが創り出し産み落とした作品を、勝手にもてあそび、感謝も何も無く商売の道具にして、商売のネタにするという事を、作品=人間に置き換えてみればどうでしょうか・・。芸術に携わる人はよくよく我が身を振り返り、考えて頂きたい。
何気なくやっている流派の曲でも、例えば薩摩琵琶の「敦盛」などは(大正~昭和時代辺りに作られたものだと思いますが)、最期に敦盛が名乗りを上げる部分が付け加えられ、原作の意図する所とは全くかけ離れてしまっている内容になっているようなものもあります。そういうものは仲間内では通用しても一歩外に出たら通用しません。そんな所をろくに考察もせずに、稽古したからといって安易にやってしまうのは音楽家として芸術家としてアウトだと私は思っています。孔子も「国を変えるなら樂を変えよ」と言っていますが、それだけ音楽・芸術は人間にとって大切な行為であり、人間の根幹にかかわる神聖な行為なのです。

現代では小さな演奏会でもそのまま世界に配信される時代です。いつまで経っても村意識から離れられず、世界の中の私という事が解らないままでは現代で舞台活動はやって行けません。特に邦楽は先生と言われている人のほとんどは、受賞歴や流派のお名前の看板を挙げていても生業として世の中で活動をしておらず、プロではありません。多少の技や知識はあるかもしれませんが、生業にも出来ず、著作権はおろか世界標準の感覚も判らない人が次世代を育てる事が出来るのでしょうか。私はいつも疑問に感じています。

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photo 新藤義久

芸術は常に「世の中」と共に在るのです。現代ではその「世の中」がネット技術で全世界対象となっているのです。頭の中が流派や協会、仲間内という所にしかないと、仲間内では当然のことも外に出たら犯罪になりかねません。何とか流の私ではなく、世界の中の私なのです。過去に寄りかかり、流派や協会に寄りかかり、そのくせ自己顕示欲だけは人一倍というのではお話になりません。今一度、初心に帰り、作品や舞台、そしてそれを創り出した人に対し敬意と尊敬を持って、独立した一芸術家として取り組んで頂きたいものです。

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