新年快樂2013

あけましておめでとうございます。

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昨年も色々とお世話になりました。新玉の春を迎え、気持ちも新たに取り組んで行こうと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。

先ず新年初のお知らせは、塩高和之オフィシャルサイトの移転リニューアルです。http://biwa-shiotaka.com/ という判り易いアドレスになりました。今後のスケジュールは新HPでお知らせしますので、当ブログの兄弟ブログ(塩高和之スケジュール)は1月末をもって終了予定です。
どうぞ新しいHPをご覧になってみてください。

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毎年年初めに想う事は、更に自分らしく生きよう、という事です。昨年も琵琶人として沢山の仕事をさせて頂きましたが、今年はかねてから考えていた、弾き語りの「壇ノ浦」を完成させたいと思っています。大作になりそうです。これまでやってきた「壇ノ浦」は鶴田流のものを下敷きとしていましたが、歌詞や曲の作りの面で、どうにも私にはしっくりいかない所が多々ありましたので、「敦盛」や「経正」同様、森田亨先生に歌詞を書きおろして頂いて、完全な塩高作品として「壇ノ浦」を成立させたいと思っています。
器楽曲の方も、ソロ、デュオの作品で作りかけのままにしてあるものがいくつかありますので、それらを完成させて、演奏会でのヴァリエーションを豊かにして行こうと思います。

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私は一つのスタイルを頑なにやり続けるというタイプではありません。時代と共に形を変え、様々な表現方法で音楽を作る。それらの変遷から総合的に私という人間が見え、私の音楽が聞こえてくる、そういう形が一番理想です。これは一番に敬愛するマイルスデイビスの影響ですね。
いつも演奏会に来てくれる人は、楽琵琶の御贔屓さんもいれば、薩摩琵琶こそ、という方も居る。私の作曲した筝や尺八の作品が好きという方も居ます。マイルスが色々なスタイルに変遷しても、そのどこと切り取ってもマイルスだったように、それらの面は全て私の一部であり、また私そのものでもあります。だから薩摩も楽琵琶も、弾き語りも器楽も、作曲もプロデュースも企画も、レクチャーも、すべて私の音楽であり、私の音楽家としての活動なのです。それが私のやり方です。

よくブログにも書いているジャズやオペラ、現代音楽等は私の中の大事な部分。それらがあって初めて私の琵琶が、他の誰でもない私の音色で鳴ってくるというもの。琵琶楽からあらゆる所につながり、それらと関わることで私の世界は出来上がっています。そしてこの音色と音楽は自分だからこそ表現出来る、という自負も持っています。
だから様々な形で私を見て、聴いてくれる事が嬉しいのです。たとえそれが誤解であっても、「誤解の総体は理解である」というように、多くの眼や意見があってこそ、私の世界というものが形作られると思っています。

さて、今年は先ず、新春3日に旧岩崎邸での演奏会があります。そして新春琵琶樂人倶楽部恒例の「薩摩琵琶三流派対決」。今回は女性をテーマにした琵琶曲で聴き比べです。そして18日には、これも恒例のアンサンブルグループ「まろばし」の公演。今回は能楽堂から地元のサロン「かんげい館」に場所を変えて、気軽な形で聴いて頂きます。
是非新HPのスケジュール欄をご覧ください。

また琵琶樂人倶楽部の方も今年一年のスケジュールが決まっております。こちらも新HPの琵琶樂人倶楽部コーナーを是非ご覧になってみてください。

自分の想う所を想うように怯まずにやる。これが一番私にふさわしいといつも思います。流派の型や曲ではなく、どこまでも私の音楽をやる。それには正しい史観を持ち、個人の小さな思い入れや偏見を排し、広い視野で自分の背負っている文化を受け継ぐ事が大事だと思っています。そしてそれが私の道筋でもあります。

更にもう一つのキーワードは「楽しむ」。これが無いと良いものは作れない、と最近よく思うようになりました。エンタテイメントではなく、そこに喜びが満ちているかどうかという事。音楽だけでなく、その活動にも、人との関わりにも、人生にも!
今年は私の周りの起こる様々な事をたっぷりと楽しみたいと思っています。

今後とも御贔屓の程、よろしくお願い申し上げます。

塩高和之オフィシャルサイト
http://biwa-shiotaka.com/ 

2012年の主な活動記録

1月

すみだトリフォニー小ホール 「北斎の音楽を聴く」

山種美術館 家庭画報主催公演

川崎能楽堂 まろばしコンサート2012「かけはし」~香川一朝を偲んで~

2月

徳島県 東林院 「響宴~琵琶と笛の夕べ」

4月

お江戸日本橋亭 半月の会 「琵琶で綴る源平の風雲児」


6月

両国シアターχ ダンス公演「なめとこ山の熊」

滋賀県 常慶寺 親鸞聖人七百五十回御遠忌法要記念演奏会

都立忍ヶ丘高校 音楽鑑賞教室

7月

7月8日(日)
神奈川県 水眠亭 琵琶演奏会


9月


ティアラこうとう 舞踊作家協会「平家物語」

ビデオ収録 イスラエル・日本 国交樹立50周年記念ビデオ作品
荻窪かんげい館 監督:Kutiman 映像制作:GR BOX

東京 清澄庭園内 涼亭 「楽酒会」

10月

西荻窪 ギャラリー蒼 琵琶響宴
「第一夜 薩摩琵琶 古から続く音色」
「第二夜 楽琵琶 シルクロードの風」

北鎌倉 REFLECTIONS Live at 古民家ミュージアム

神田の家(千代田区指定有形文化財) 水芸・江戸手妻 藤山新太郎 公演


11月

奈良 念佛寺「琵琶尺八演奏会」

京都 遊狐草舎 第12回 粋人会議「日本の五感」

荻窪かんげい館 日月会(ひのつきのかい)2012

12月
新宿オペラシティ 近江楽堂 第5回創心会 琵琶演奏会


北とぴあ つつじホール 「和と洋の共演~郡愛子が歌う四季の彩り 郡司敦の世界」

港区青山小学校 「日本の楽器探検隊 発表会」
小学生から高校生(保護者含む)までを対象にしたワークショップと発表会
主催:音楽プロジェクト ここふた http://www.kokohuta.com/

「Bénédicité」~祝福あれ

この一年は、今までの人生の中でも、「あっという間」の一年でした。年を取ったという事でしょうか。昨年末の事を想うと、まるでつい先日の事のようです。そんな今年一年間ではありましたが、いつもの事ながら今年も多くの方にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

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人間たまには過去を振り返るということも大切です。「運命とは過去を振り返った時に初めて想うこと」と何かの本に書いてありましたが、人でも物でも最初の出逢いから現在まで、その出逢いをどんな形で自分の中で育んできたか、その過程があって初めて運命という実感が持てるのでしょう。

okumura photo6私は若き日に琵琶と出逢い、特にこの10数年本当にいい仕事をさせてもらったと思っています。そしてまたここ1,2年が一つの節目となり、来年は何か新たな時代が幕を開けるような予感もしています。言い方を変えると運命を感じているということです。

以前は、理解も受け入れも全然出来なかったものが、今はしっかりとその価値が判ることがあります。何故あの頃見えなかったのか残念なほどに、今になると判るのです。まあ私のような天の邪鬼は、理解には時間がかかるという事でしょうか。いずれにしろ私という人間も年を重ねるごとに変わってきた、という事でしょう。どんなものであれ、これからの自分の新たな時代が、柔軟で視野の広い、豊かな時代であると嬉しいです。

人間は自分の価値観をそうそう簡単には変えられません。一見柔軟なような姿勢を見せていても、自分の価値観以外のものを本当に受け入れることは、なかなか出来ません。私自身も、色々音楽と関わっていますが、やっぱり洗練された音楽が(音楽以外でも)好きです。ルーツ系にはそれなりに興味を持っても、自分の音楽としては向かわない。どうしても洗練の方向に向いてしまう。それが私という人間なのでしょう。

ただ変えられない価値観であっても、小さな所で満足し、そこに留まってしまうか、それとも先に進むか、それはその人次第。突っ走らなくてもいい、自分のペースで進んで行けば良いのです。どんな状況でも怯まず、留まることなく想う所を淡々と進む。それが私のやり方。今までもそうしてきましたが、これからもそうして行きたいと思っています。
「波騒は世の常」と言いますが、これから私は今以上に、波騒とは遠く離れて行く事と思います。これもまた私に与えられた運命なのかもしれません。

先日シャルダン展を観てきました。静物画や風俗画は特に興味は無かったのですが、あらためて観てみると、色々なものが見えてきました。以前はほとんど受け入れることも無かったこういうジャンルのものも、今はすんなりと自分の中に入ってくるのです。これが年を経るということでしょうか。周りの影響もあいまって、私の感性も少しづつ広がって来ているのかもしれません。

     シャルダン~祝福あれ

この絵は「Bénédicité」というもので、食事の前に祈りをささげる子供の姿を描いたものです。訳すと「祝福あれ」という意味です。
現代の社会にも、私の周りの人々にも、そして私自身にも「祝福あれ」という言葉を捧げられるようでありたいものです。年を重ねるほどに、そうありたいですね。

今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。

灯は消えず

年内の仕事は、先日のグリーンテイルライブと青山小学校での「子供邦楽体験隊」で終りました。

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この小学校での催しは、時々御一緒する筝の高市雅風さんが主宰している団体「ここふた」がやっているのですが、子供は素直に反応するのが良いですね。下手に知識を持ってしまった大人より、よっぽど音に敏感です。琵琶のような特殊な楽器は、ちょっとばかし弾けたりすると、周りから専門家のように扱われ、本人もその気になりがちですが、こうして無垢な子供たちに触れると、我が身がよく見えて、引き締まります。

華厳経では、一滴の中に世界があり、世界はまた一滴であるといいます。後の禅につながる思想だそうですが、この一滴にも命の灯を感じるようでありたいですね。私の周りでも、パワフルに動き回る人もいれば、ゆっくりとかすかな灯を静かに保っている人もいます。小さなものでも、地味なものでも、命の灯がある限り、その中ではその人なりに燃え、輝いていると思います。
以前は派手に燃やす事が生きる証とばかりに走り続けていましたが、静かに穏やかに命の灯を保ち、生きる人々も沢山居るという事をこの年になって知りました。私などは、もう死に向かって生きているとも言える年齢になってきましたが、自らの灯を静かに保ち、はかなくなりつつある命を感じながら、残された時間をよりよく生きようとする事も、一つの生き方なのかもしれません。

親鸞
以前このブログで書いた田端明先生は親鸞の歎異抄を読んで、
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熱狂的声楽愛好のススメⅧ~「テンペスト」

先日met live viewingの「テンペスト」を観てきました。私が見てきたオペラの中でNo.1ともいえるほどの充実した作品でした。大満足!

       

シェークスピア原作の「テンペスト」は色々な人間の側面を内包しています。親と子、兄弟、自尊心 虚栄心 愛憎、宗教観 etc.「古典」と言われ語り継がれているものは源氏物語や平家物語でもそうですが、人間の様々な姿が描かれています。だからこそ汲めども尽きぬ魅力に溢れ、語り継がれるのでしょう。今回の舞台にも様々な人間の姿、そしてドラマが描かれていました。

トーマス・アデス原作は古典ですが、音楽・脚本・演出・舞台美術全てが現代の新作です。先ず音楽が素晴らしい。トーマス・アデスの音楽は確かに難しい現代音楽ですが、違和感がない。複雑な和音も神秘的に響かせ、印象的なメロディーが随所に溢れている。音楽家の目で見ると歌手は大変だったと思います。しかしそれでいて進行を止めてしまうような、歌手の為の見せ所的なアリアがあまり無いので、物語全体のまとまりがとても良い。特にアデス自身が指揮した事もあると思いますが、複雑な部分での演奏も良く整っている。さすがブリテンの再来と言われるだけの事はあります。32歳でこれを書いたとは、信じられないですね・・・。
また脚本の方もシェークスピアのエッセンスを詰め込むのではなく、原作にはない主人公プロスぺローの心情などを巧みに盛り込み、逆に切り捨てる所は思い切って切り捨てる。全ては舞台という空間で表現することを第一に、見事な仕上がりになっていたと思います。特に最後の舞台をスカラ座に仕立てたのは実に良かった。ミラノ大公だったプロスぺローにとって、スカラ座は正にその執念を表し、最後に硬く凍りついた心から解放される場としてふさわしい。見事な演出でした。

   サイモン・キーンリーサイド1

主人公プロスぺローには サイモン・キンリーサイド。アデスは彼に演じてもらう事を念頭に作品を書いたそうですが、さすがの存在感。その重厚さは他には考えられないほどの大きさがありました。

そして今回のもう一人のスターは、妖精アリエル役のオードリー・ルナでしょう。この役で彼女に注目した人も多いのではないでしょうか。コロラトゥーラだと思うのですが、いきなり超高音で登場するあの技術は驚くべきものがあります。グルベローヴァを最初に聴いた時位の衝撃がありました。
また演技も秀逸で、体を軟体動物のように動かしながら演じ歌う様はこの世のものではありませんでした。正に妖精。是非他の作品でも聴いてみたくなりました。

そしてプロスぺローの心を動かすのはこの二人、イザベル・レナード&アレック・シュレイダー1プロスぺローの娘ミランダ役のイザベル・レナードとフェルディナンド公のアレック・シュレイダー。キャラが合ってないなんて書いているブログも見受けられますが、どこが?!私にはぴったりのキャラだと思いましたよ。人の印象は様々ですね。この若き二人が歌い愛し合う姿が、プロスぺローの凍りついた心を溶かし、執念と魔力から解放します。そこにはまた子離れというテーマも描かれていました。
写真が無いのですが、ラストは怪物カリバン役のアラン・オークのアリアで終ります。全てが去り誰も居なくなった島に一人佇み、「誰かいたような・・全ては夢だったのか・・」と一人歌う場面は感動的でした。天上から妖精アリエルの声が響き、オケがその旋律を支え・・・・見事としか言えない。作曲・演出・脚本・美術そして歌手達。それぞれの一流が最高のレベルで集う舞台でした。

        イザベル・レナード&アレック・シュレイダー2

シェークスピア作品は名言の宝庫です。今回も色々な名言が沢山ありました。ラストシーンで「人は自尊心で死ぬのだ」とプロスぺローが弟に言い放つ場面等、実にぐさりと来ます。この物語は色々な人間模様を表していますが、この自尊心に固まり、凍りついた心からドラマは始まります。またその心が溶けて行く事で人間の在り方というものが表現されて行きます。自尊心も虚栄心も、愛という普遍の魂にはかなわない・・・・。ドラマをたっぷりと堪能しました。

        オードリー・ルナ5

Metの姿勢はいつも納得がいきます。アデスの音楽にしても、演出や脚本にしても、古典に寄りかからない。古典を充分に研究し、その上で現代という視点で取り組んで、創造という芸術の基本姿勢から一歩も引かない。その自らの足で歩む姿勢は、邦楽人が今一番見るべきものだと思うのです。
表現活動をしていれば、常に賛否両論に晒されます。このテンペストも称賛する人から酷評する人までいます。でも何を言われても絶対に怯まない。それが表現者です。いつの世にも物知り顔で知ったかぶりの似非評論家はいるものです。そんな声に惑わされていては表現活動は出来ません。

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私はMetの舞台も姿勢もとても好きです。そして自分でもそうありたいと思っています。琵琶はとても地味な音楽で
すが、コンプレックスに固まり、マイナーを気取っているような姿では居たくない。たとえお客様は少なくとも、Metには遠く及ばなくても、世界標準で、且つ同じ意気込みで作品を作り、舞台を務めたいのです。

益々Metから目が離せませんね!!


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