2023年 主な年間活動記録

2023年の活動記録をまとめておきます

1月15日「私の一冊」アトリエ第Q芸術
1月16日~20日 教育プログラム沖縄
1月29日 Peace by dance主催 「生命の樹」 シアターX
3月5日 チームNOSARU公演 「祝」 サローネフォンタナ
3月11日「第二回和の音 篠笛と琵琶の響き」相模原日庭寺
3月24日「能楽堂で聴く語りと笛の会」横浜能楽堂第二舞台
4月21日「残された者たち」原宿アコスタジオ
5月27日「櫛部妙有朗読会」けやきの森の季楽堂
6月2日~29日 ラジオ「金曜日のポエトリー」 池袋FM
6月13日 鶴見歴史の会主催「寺子屋あらかると」 曹洞宗総本山総持寺紫雲臺
7月5日「カトレアの会主催公演」横浜能楽堂第二舞台
7月8日「第三回和の音 篠笛と琵琶の響き」薫風工房
7月22日 二松学舎大学人文学会 二松学舎大学
9月11日「9.11メモリアル」武蔵小金井宮地楽器ホール
10月13日「琵琶と笛と朗読」平塚八幡山洋館
10月14日「東洋大学文学部特別講座 平家物語」 東洋大学白山キャンパス
11月8日「第190回琵琶樂人倶楽部16周年記念回 琵琶と洋楽器の新たな世界」 阿佐谷ヴィオロン
11月15日「カトレアの会主催公演」 横浜能楽堂第二舞台
11月23日「櫛部妙有朗読会」音降りそそぐ武蔵ホール
11月25日「能でよむ~漱石と八雲」まつもと市民芸術館
12月2日「第四回和の音~篠笛と琵琶の響き」薫風工房

今年もプライベートな演奏会からホールでの公演まで様々な舞台をやらせて頂きました。琵琶樂人倶楽部も開催190回を越え、16周年を迎える事が出来ました。2024年もよろしくお願い申し上げます。

今年もお世話になりました2023

今年ももうすぐ終わりますね。コロナ自粛が空け、世の中活性化するかと思いきや、世界は暴発し日本国内でも様々な問題が浮き彫りになり、激動というよりは混乱の最中という状況になってしまいました。これだけ文明が発展し様々な学びをしてきているのに、人間はなぜ争い続け有史以来同じ事を繰り返しているのでしょう。芸術や音楽は人間を豊かにするものと思って生きて来ましたが、これだけ世に素晴らしい音楽が溢れているにも拘らず、世の中は全く良い方向には向かわず、人の心は荒んで行くばかり。芸術は単なるその場限りの快楽でしかないのでしょうか。

そんな世の中ではありますが、私は今年も色々と舞台をやらせて頂きました。有難い事です。年明け直ぐには教育プログラムで沖縄のインターナショナルスクールをいくつか周り、貴重な体験をさせてもらいました。またシアターXではPeace by dance主催による舞踊公演「生命の樹」に於いて、日舞の花柳面先生、韓国舞踊のペ・ジヨン先生と共に拙作の「彷徨ふ月」をアレンジして新作を上演しました。3月には能楽師の津村禮次郎先生と共に公演をさせていただき、充実した滑り出しとなりました。

6月には鶴見の曹洞宗総本山 総持寺にて源氏物語講座を担当させて頂き、大変な盛況を頂きました。7月にはいつもお世話になっている文藝サークルカトレアの会主催の横浜能楽堂公演にて、Msの保多由子先生、Flの久保順さんと共に、震災詩人 小島力さんの詩による「Voices」の再演をしました。

9月は毎年の恒例、哲学者 和久内明先生主催の「9.11メモリアル」にてVnの田澤明子先生、能楽師の津村禮次郎先生と共に9.11テロを受けて作曲した「二つの月」を上演。他、津村先生とずっと公演を続けている戯曲「良寛」の抜粋版も上演しました。

10月には毎年担当している東洋大学文学部の特別講座を今年も担当。「平家物語」について講義しました。またカトレアの会主催による平塚の八幡山洋館では笛の大浦典子さんと共に拙作「まろばし」「西風(ならい)」など上演。11月は松本市民劇場にて、能楽師 安田登先生、浪曲師 玉川奈々福さん ナビゲーターとして木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんに司会進行をやって頂き「漱石と八雲」を上演。松本では今後ご縁が深まりそうです。

とにかく今年も様々なご縁に導かれ、充実の演奏会を展開出来ました。私はすべての曲を自分で作曲するので、総ての演奏会は私の作品個展でもあります。本当に有難い事です。
上記の他、小さなサロンコンサートやプライベートなコンサート、語りや朗読の方とのコラボ公演等々沢山の機会に恵まれました。

琵琶樂人倶楽部にて Vnの田澤先生と

これ迄は自分がこの人生を突っ走り、駆け抜けて行く事に一番の充実を感じていて、それで満足という感じした。確かに自分軸ではあったけれども、常に自分という範囲でのみ動いていた気がしています。しかしここ5年位でそういう自分目線での、自分の充実という所からは少しづつ意識が変わって行きました。先日書いたように次世代の若者も出てきた事ですし、次世代に向けた内容の作品を是非とも作っていきたいですね。その為にも器楽曲をもっと充実させたいと思っています。器楽としての分野の充実が次世代を育て、そしてそれは古典への眼差しをも育んで行くと、年を経るごとに実感しています。いつまでも大正から昭和の軍国時代に作られた曲を弾き語りスタイルでしかやらないようでは、次世代の日本で琵琶の音は響きません。
今私が作って演奏している曲は、現代の琵琶奏者には理解出来ないかもしれませんが、5年後10年後に、注目してくる次世代が出てくると良いと思っています。20年ほど前に1stアルバム「Oriental eyes」をリリースした時、注目してくれたのは異ジャンルの芸術家達でした。特に八重山民謡の歌手 大工哲弘さんからのエールは有り難かったですね。今でもやり取りは続いています。このCDはジャズの専門誌のCD評でも次世代の和楽として紹介してもらいましたし、あの頃から私の周りには琵琶以外の芸術家が集まってきました。逆に琵琶人との付き合いは広がりませんでした。

ノヴェンバーステップス初演時ノヴェンバーステップス初演時 琵琶:鶴田錦史 尺八:横山勝也 指揮:小澤征爾
多分鶴田錦史がノヴェンバーステップスやエクリプスを演奏した当時も、琵琶人はあの器楽曲を全く理解していなかっただろうし(もしかすると鶴田自身も良く解っていなかったのかもしれません)、今ではどうという事ないですが、当時レズビアンをカミングアウトしていた鶴田を強烈に嫌う女性琵琶人達も結構居たそうです。何事も新しいセンスは旧価値観で凝り固まっている頭には理解されないものですが、今になってみれば、私が20年前に1stアルバムで示した世界が今、後輩たちを育て、海外の方も私の曲を演奏してくれるようになって、教則DVDで参考にならないと言われていた独奏曲も、今や若い世代が弾くようになり、配信によって海外の方が沢山聴いてくれています。そんな事を考えると、やはり最先端を切り開いていって良かったと思っています。伝統とは常に先端を生み出して行ったその軌跡の事を言うのであって、創り出すその行為こそが伝統であると私が考えています。伝統を守るとはその創造の精神を受け継ぐことです。創り出す精神を忘れた時に衰退がはじまり、過去に寄りかかりしがみつこうとする心が、音楽から生命を奪って行く。そして創れば作る程に古典の素晴らしさが浮かび上がり、古典に新たな光が当たって行く。私はそんな風に考えています。

時代と共に生きてこそ音楽であり、今の日本を生きる人の心が脈を打って流れてこそ邦楽。これはいつの世にも共通した事であり、今後琵琶樂が次世代に対して、時代の音を響かせることが出来なければ明清楽のように消え去って行くしかないのではないでしょうか。

photo 新藤義久


来年はとにかく次のアルバムのリリースが一番の目標です。私の音楽はごくごく地味なものですし、ショウビジネスとは相容れないものですが、これからも自分の思う所を生きて行きたいのです。

来年もよろしくお願い申し上げます。

師走回想

年末になりましたが、今年も何だか年の瀬という感じがしません。私は若い頃から世の中が同じ方向を向いて盛り上がっているのが好きになれず、あえて洛外に身を置く感じ~つまり天邪鬼~で来たので、年末年始は世の中から離れてでのんびりするのが常です。大体琵琶奏者というのは、普段から人が死ぬような話ばかりやっているせいか、世のおめでたい時期には声がかからないんですよ。私はそんな曲はやっていませんが、毎年12月も半ばを過ぎるとぶらぶらと世の中を徘徊してます。

194琵琶今年に入ってブログにも時々書いていますが、近頃は何か新たな段階に入ったなと感じています。明らかに仕事の質も変わってきましたし、私の中の発想も変化してきて活動全体が変化しているのです。ターニングポイントに来たという事でしょう。
私自身の事ではないのですが、今年の一つの変化として、私の曲を弾く若者が何人も出てきた事ですね。2010年に教則DVDをリリースした時、最後に模範演奏として独奏曲の「風の宴」を収録したのですが、「塩高の曲は難しすぎて模範にならない」と何人にも指摘されました。しかし時が経てば、どんな技術もすぐに真似され追い越されて行くものです。それは超絶の極みにあったパガニーニもヴァン・ヘイレンももう当たり前の技術になっている事を思えば、私の演奏なんぞあっという間に追い越されてしまうのは当然です。まあ私が「やってみろ」とハッパかけてやらせているからなのですが、それにしても凄い勢いで吸収して行くんですね。若さというものは素晴らしい。是非次世代を担ってほしいものです。私自身も先生・先輩方の演奏を真似、色んな作品の良いとこ取りして作品を書いてやってきたので、若者がこうしてぐいぐい領域に突っ込んでくるのは大歓迎です。

私は元々ジャズをやっていたので、琵琶で演奏活動を始めたのがちょっと遅く、30代に入ってからでした。ただジャズが根底にあったお陰で、外側から琵琶樂を見る事が出来たので、自分にとって良い形で活動を展開し、作品も発表してやって来れたと思っています。最初は作曲家の石井紘美先生に琵琶を勧められ、何とも見当がつかないままにスタートしたのですが、石井先生はまるで私の人生を見通していたかのようにアドバイスをくれました。今考えても本当にそうだったんだろうとしか思えません。石井先生に出逢わなけば琵琶弾きには成っていなかっただろうし、その後のロンドンシティー大学での公演をはじめ、様々な演奏活動は、先生が居たからこそ展開して行く事が出来たと思っています。石井先生は一番影響を受けた師匠ですね。こういう出逢いを運命というんでしょうね。

1R2A25327
左:笛の大浦さんと  右:右ヴァイオリンの田澤さんと琵琶樂人倶楽部にて  photo 新藤義久

その後、笛の大浦典子さんとコンビを組んで活動していた時が、今から思えば頭も体もフル回転の頃でした。何かに憑りつかれたように笛と琵琶の曲を書きまくり、演奏会も日本全国に導かれ、常に「動」の毎日でした。石井先生そして大浦さんというパートナーがあの時に居なければ今は無いと思います。最近ではヴァイオリニストの田澤明子さんと組んだ事で、私がやりたいと思っていながら今一つ実現できなかった分野が次々と実現して行きました。加えてメゾソプラノの保多由子さんとの出逢いも、更にそれを加速しましたね。つまり色々な方と出逢い、パートナーの存在に導かれ、生かされて来たという事です。

今外に向かって羽ばたこうとしている若者もきっと、それぞれのやり方を模索している事でしょう。大学内の演奏会で演奏したり、大きなイベントに出演したりと色々と報告を受けますが、皆さんそれぞれに活動の糸口を掴んできたようで、良い感じになって来ました。この夏私の代わりにヨーロッパツアーに行ってくれた原口君からも、スペインのサグラダファミリアでの公演の動画が最近送られてきました。本当に皆頼もしいです。是非私のやり方をなぞるのではなく、それぞれに自分で考えて旺盛な活動をしてもらいたいですね。

余談ですが、私は音楽のパートナーとはプライベートな付き合いをほとんどしないのです。たまに打ち上げで同席することはありますが、皆さん私のように管巻いて酒を飲むようなことはせず、演奏が終われば清くさっと帰る方ばかりなので、音楽以外の話をほとんどしません。きっとそんなさっぱりとした付き合い方が音楽を創って行くには良いんでしょうね。これも参考になるかもしれませんね。

marobashi
2ndCD「MAROBASHI」ジャケット

自分で曲を作曲して演奏している人間は、常に自分の中に湧き上がる世界を求めるので、それは時代や年齢と共に少しづつ変化するし、作曲作品もそれと同時に変化して行きます。そんな変化の中で付き合いの続くパートナーは、単に合わせてくれるような方では長くパートナーシップは築けません。パートナー自身も常に音楽的な変化をしているからこそ、お互いの変化が化学反応を毎回起こし、常に演奏に緊張感が出てくるのだと思います。25年程前に大浦さんと一緒に初演した「まろばし」は今でも必ず演奏する私の代表曲ですが、この曲は剣の極意である「まろばし」をタイトルにしているだけあって、最初は闘うという姿勢で演奏していました。しかし今は刀鞘を抜かない闘い、というよりもある種の調和を求めて音で会話をするようになって来ました。今でも必ず演奏しますが、この変化は私だけのものでなく、大浦さんの変化でもあり、他に多くの方と演奏してきた軌跡の結果なのです。昨年大浦さんと静岡のお寺で演奏会をやってみて、20年以上に渡る時間の経過が実に素晴らしい充実をもたらしたなと実感しました。

この曲は初演以来、スウェーデンの尺八奏者グンナル・リンデルさんと1stCD「Oriental eyes」でレコーディング。その後、能の笛奏者の阿部慶子さんと2ndCD「MAROBASHI」でレコーディング。オーディオベーシック誌の企画CDでは、長唄の笛奏者の福原百七さんとレコーディング。 更に8thCD「沙羅双樹Ⅲ」では尺八の吉岡龍之介君とレコーディングしてきました。
イルホムまろばし10ウズベクスタン タシケントにあるイルホム劇場にて 指揮編曲:アルチョム・キム 演奏:オムニバスアンサンブルの面々と
ウズベキスタンではアルチョム・キムさん編曲によるヴァージョンで、現地のネイの奏者と組んで、バックにミニオケを付けて演奏したこともあります。また22年リリースの「Voices from the Ancient World」ではヴァイオリンの田澤明子さんともレコーディングしました。これ迄多くの尺八奏者や笛奏者、時にピアニストなんかとも演奏して来て、私の中で一番発酵熟成が進んでいる曲となっています。

その他にも定番となっているレパートリーはいくつもあるのですが、とにかく何度演奏しても面白い。毎回違うので飽きが来るという事がありませんし、また面白いと思えない人とは演奏はしません。私は譜面をあえて細かく書き込まないようにして、演者が自由に創造性を広げることが出来るように書いていますので、相手の表現が変わると曲も変化してくるのです。だから「まろばし」を演奏するのは、自分も相手もその時の状態が丸裸になってしまうので、今でも何度やってもスリリングです。皆さん私の発想を軽々と超えて大きな世界を描き出してくれる尊敬できる演奏家なので、私は作曲家と同時にプロデューサーのような感覚で演奏することが多いですね。とにかく同じ曲でも、演奏する度に常に生きもののように流動しているのです。

s1

photo  新藤義久

こんなように常に留まる事無く変化を繰り返し、緊張感のある演奏が出来ているというのは幸せな事です。曲がどんどんと熟成し成長して行くのは、本当に嬉しいし。同時に新作も創って良い感じに創造と熟成の両輪が回っています。
今新作で考えているのは能管と薩摩琵琶の作品。これが完成したら次のアルバムの制作に取り掛かります。次のアルバムで10枚目(オムニバスを入れると12枚目)。私の節目ともなるアルバムなので気合も入ります。
これから10年15年先に、私の曲を弾いてみたいという若者が出てくると良いですね。是非私以外の人が弾く「まろばし」や「二つの月」を聴いてみたいものです。

私はとにかく良い作品を創って行きたいです。来年も楽しみです。

古典のススメⅢ

ちょっと間が空いてしまいました。この年末はさほど演奏会は多くないのですが、その分、普段じっくり話をする時間の取れない人と会って話をしたり、リハーサルやレッスンを増やしたりして何だか忙しく動き回っています。普段から時間だけは人一倍沢山ある方なのですが、人とゆっくり逢っておしゃべりするのも何だか久しぶりという感じです。

2s

今年の高円寺の紅葉 なかなか見事でした

先日は鎌倉にて、作家の福田玲子さんとお会いして3時間ほど古典や歴史の話を縦横無尽にしてきました。福田さんは今年「新西行物語」という作品を上梓したので、そのお祝いも兼ねて一度ゆっくりお話を伺いたいと思っていまいました。福田さんはもう80代と思いますが、とにかく体も頭脳も元気で、話は奈良平安から現代、大陸の歴史にまで広がって、どんどんと奥深い所まで話が進んで行きます。既に次回作の構想も出来上がっていて、「新西行物語」の続編という形で、平安末期から鎌倉の平家物語誕生の事も含めて書きたいとの事。楽しみですね。
また20代の頃に第13回太宰治賞の最終選考に残った「冒頓単于」という作品も見せて頂きました。この「冒頓単于」というのは匈奴の王様の事なのですが、見せてもらった時に私が「『ぼくとうぜんう』じゃないですか」と言ったら、「これを見て、『ぼくとつぜんう』と読めた人は居ませんよ」と言ってくれました。私は大陸やモンゴルなどの歴史に若い頃から関心があって本を読んでいましたので、すぐ判ったのですが、そんな所からも話が弾んで、ノンストップでとどまる事無くあっという間に3時間半が経っていました。楽しい時間でしたね。

2016川瀬美香写真2s北鎌倉其中窯にて Photo 川瀬美香
琵琶を弾き語りでやっている方でも、平家物語や古典全般に関してについてはあまり興味はないという方も多いですが、私は古代から続く琵琶の音色と、絶えること無き日本の風土に吹き渡る風をいつも感じていたいですね。だからこういう方と歴史や古典の話をじっくり出来るのはとても嬉しいのです。先日の松本公演でも木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さんと色々話が弾みましたが、自国の歴史や文化に対する認識をしっかりと持つことは、次の時代を生きる為のヒントを得る事でもあると思っています。

日本の歴史学者は史実ばかり見て宗教という視点がないとよく言われますが、音楽もしかりで、音楽だけを見ていても聴こえて来ないものが多いのです。目の前の楽器や音だけに関心が行って、その楽器や音楽を成立させた壮大な歴史や社会、宗教などのか背景を見ようとしない人が多いですね。キリスト教文化を知らずにクラシックをやろうとしてもその深奥は見えないだろうし、ジャズもアメリカの社会を知らなければジャズの上辺の雰囲気しか聞こえては来ないでしょう。

今の世の中はそういう目の前の面白さだけを人々が求め、飽きたらすぐ別のものへと関心を移して行く時代になってしまっています。そんな時代だからこそ、奥深い長い人間の営みを内包し伝えている琵琶の音色を現代に響かせ次世代へとつなぐ事は、次の日本を創る事でもあると私は感じています。それも過去をなぞるのではなく、常に時代に向き合って、新たな音楽を創造する力を湛えていて、はじめて世の中に響き渡るのです。骨董品で形だけ残っていても資料的価値しかありません。音楽は常に息づいて、生命に溢れていて初めて人間の心に響くのではないでしょうか。

音楽だけでなく、世の中のすべてのものは繋がって響き合っているのです。今琵琶が私の手元にあるという事は、その響きが千数百年ずっと絶えることなく響いて来たという事です。新しい発想は意外な所から出てくるものですが、それを形にして新しいものを創れば創る程に琵琶という楽器の歴史を知りたくなります。またやればやるほど古典や歴史を知らないとどうにも先へ進めなくなるものです。次の時代にこの音色を響かせるヒントは、古典の中に在るのです。人間がこれまで生きて来た記憶の中にこそ在るのです。
ほんの数年前には2045年にシンギュラリティーが来るなんて言われていましたが、社会はもう気が付けば今がその只中かもしれないという状況にあります。人類はそんな時代の特異点を過去に何度も経験しています。文字の誕生も鉄器の発明も産業革命も、とんでもないシンギュラリティーだったことでしょう。古代中国に「心」という字が成立した頃、急激に過去や未来という概念が生まれてきたと言われています。過去を後悔したり反省したり、未来に不安を抱いたり、逆に希望を見出したりと、現在では当たり前の事が「心」という字の誕生により、人間の生きる上での概念や哲学など、基本となるものが変わって行ったのです。

そういう特異点を迎えた時に人間はどのようにそれを乗り越えて次の時代へと繋げて行ったのか。その記憶と記録こそ正に古典なのです。だから古典を読み解くという事は未来へと視線を向ける事であり、自分の生まれ育った風土を知り、その歴史を知り、そこから育まれた日本特有の感性を知り、自分とは何者かを追求する旅なのです。それは音楽家が音楽を通して追求する事と同じで、音楽を追求すればするほど、何故この音色なのか、その根底には何があるのか、そして自分は何者なのかを追求する営みと一致するのです。

こうした営みを続けている間は、次の段階へのあらゆる可能性が満ちて来ます。福田さんのような大ベテランでも、常に「次」が見えているという事です。今私の周りには若者からベテランまで「次」を見据えて活動している人が沢山居て、とても良い環境にあります。以前拙作の「塔里木旋回舞曲」を台湾で上演したPipa奏者 劉芛華さんも琴園國樂團での演奏や大学での研究と共に、最近新作を上演するグループを作って活躍しています。もうそのエネルギーは留まるところを知らないという感じです。

左端が劉さん。この曲は劉さんの作曲で、このグループのリーダーでもあります。

物事はすべてそうですが、知れば知る程にその奥深さを感じ、探求欲は湧き上がってくるものです。物知りの方に多いですが、自分の知らない分野に話が進むと黙り込み、自分の知っている分野に話をすぐ戻そうとする。こんなメンタルでは自分という枠を超えられません。福田玲子さんのように知らない事に対し目を輝かせて「面白い、聴かせてほしい」と問いかけて来る姿勢をいつまでも持っていたいですね。過去に培ったものを土台として行くのは良い事ですが、過去に寄りかかって生きようとする姿勢は衰退を生みます。それは何故か。人間の作りだした地位や権力などは所詮目の前の幻想でしかなく、それは時が経てば何の意味もない事が多いからです。音楽家も今一度音楽そのものに立ち返る時だと思います。余計な鎧は必要無いのです。

16

琵琶樂人俱楽部にて  photo 新藤義久


さて明日は第191回琵琶樂人倶楽部。毎年年末はお楽しみ企画です。今回はフルートと尺八がゲストです。何が飛びだすやら。

12月13日(水)
時間:19時00分開演
場所:名曲喫茶ビオロン
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(薩摩琵琶・樂琵琶) ゲスト:吉田一夫(フルート)藤田晄聖(尺八)

是非お越しくださいませ。

古典に接していると、描かれているその風景に想いを馳せ、吹き渡る風を感じ、登場人物の心情が我が身に迫ってきます。面白いですよ。

古都の月に再会を語る

先週は信州松本にて「能でよむ」シリーズの演奏会をやって来ました。今シリーズは東京池袋のあうるすぽっとで始まり、熊本・新潟と続き今回は松本市民芸術館での上演でした。夏目漱石と小泉八雲の作品を毎回取り上げているのですが、この公演の特徴的なのは、いつも手話を使って上演をする事です。最後のフィナーレでは手話通訳の方も舞台に上がってもらって、出演者と一緒に最後の挨拶をします。演目によっては安田登先生が手話をしながらの演技をして、コミカルな動きも手話をしながらやっていて大変好評です。ナビゲーターの木ノ下裕一さんも聴覚障碍者、視覚障害者に向けてしっかりとアナウンスをするのが定番で、今回もとても丁寧に説明していました。良い企画だと思っています。

内容はとても解り易いもので、初めて邦楽器に触れる方から古典に親しんでいる方まで、毎回沢山のお客様が集ってくれます。今回も300人程度の小ホールでしたが満席のお客様に御来場頂きました。私はエンターティナーではないので、終始黙って弾いているだけなんですが、安田先生と浪曲師の玉川奈々福さんが持ち前のサービス精神で最高に盛り上げてくれるので、私みたいなしかめっ面でもなんとか務まっているという訳です。この松本市民芸術館では、木ノ下さんが来年から芸術監督になるそうですので、これから松本と御縁が深まりそうです。また是非松本で公演をしたいですね。

松本城(数年前に行った時に撮ったもの)
それにしても松本は良い街ですね。以前も何度か来た事があるのですが、歴史があって、新しいものと古いものが良いバランスで共存しているところが本当に素晴らしい。自然も豊かだし、空間がたっぷりあって、街全体に文化的な風情も感じられる。落ち着いた中にも新しい息吹が感じられて私の好みにぴったりなんです。
また信州はギター製作のメッカでもあり、色んなギター工房が集まっています。そして時計の産業に於いては昔から「東洋のスイス」と呼ばれるくらいの場所なので、当然時計好きとしては、この松本にも行ってみたい時計屋さんがいくつもあるのです。世界に誇るグランドセイコーも諏訪精工舎から始まったそうです。つまり松本には、私の興味のあるポイントがばっちりと詰まっているという訳です。
松江や金沢など城下町と言われている所には、私の感性に引っかかるものが沢山あって、行く度に私の感性に響いて来るものがあって、どうにも惹かれてしまいます。数年前に松江に行った時も夜中まで散々歩き回りました。

こうして全国色んな所を旅をしながら舞台で公演するのは幸せな事です。各地に公演で行く度に、琵琶奏者になって本当に良かったなといつも感じます。全国で演奏会をじっくりやりたいですね。私は全て自分の作曲したものを演奏しているので、派手で大きなエンタテイメントの演奏会はまず無いのですが、その分、お寺の本堂や小ホール等のこじんまりした会場でしっかりと独自の世界観を聴いてもらえます。
日本では芸人的発想の人が多く、メディアを賑わせ、色んな仕事を沢山やって派手に動き回るタレントさんみたいな仕事や活動を目指している人も多く、周りもそんな動きをしている方を売れている、凄い人みたいに言う人が多いですが、タレント活動とアーティストの活動は別物です。営業仕事で忙しくしていても作品を創り上げる事が出来ないようでは、アーティストとは呼べません。私は若い頃から感激して聴いていたアーティスト達と同じように、及ばずながらもじっくりと良い音楽を創って演奏したいですね。私は「売れてる」人には成れそうにないですな。

若き日
最近はなくなりましたが若い頃は、よく演奏会で「古典を聴かせてくれ」だの「〇〇流の曲をやってくれ」と言ってくる人が居ました。当時は琵琶奏者としては勿論の事、私の音楽も全く認知もされていなかったし、ただ琵琶を弾くちょっと若手の演奏家としか見られていなかったでしょうから致し方ないですが、私は最初から一貫して自分の音楽を創り演奏してきたので、流派の曲も弾かないし、そういう声に媚びて仕事をもらうような事は、その頃からしませんでした。「媚びない・群れない・寄りかからない」の精神は最初から変わりません。以前にも書きましたが、若き日、某邦楽雑誌の編集長に「琵琶で呼ばれるのではなく、塩高で呼ばれるようになれ」と言われたことが今でもずっと頭の中に在りますね。
琵琶は持っているだけ一つのキャラになるので、そういう珍しさを売り物にして無常だの鎮魂だのと言って平家物語や方丈記に乗っかって古典の風味を纏って活動している人もいますが、本当に古典を勉強し、自分の音楽であり表現だと思っているのでなければ、恰好だけの中身の無いものしか出来ません。平家物語を薩摩琵琶でやり出したのはせいぜい大正時代。ほとんどは昭和に入ってからです。薩摩琵琶を抱えて古典のフリをするのは、田中優子先生がよく言う「伝統ビジネス」でしかないと私は思っています。

世の中と共に在ってこそ音楽というもの、民族音楽もこのグローバルな時代にあっては変化して行くのが当たり前です。形に拘り、中身を失ってしまっては意味がありません。中身を伝える為にも形を変える勇気が無ければどんなものでも廃れてしまいます。この松本も古いものが今に受け継がれて街があり、その街を愛する人に溢れている。それは時代と共に変わる事の出来る懐の深さがあるからでしょう。琵琶も現代に生きる人に聴いて頂きたいし、更に世界の人に響かせてこそ、次世代に受け継がれて行くのではないでしょうか。珍しいもの、古風なものという雰囲気を売りにしているようでは、琵琶のあの妙なる音色も聴いてもらえません。

以前の公演の様子 池袋あうるすぽっとにて photo 山本未沙子

今回の公演でも勿論琵琶パートは自分で創り、アドリブを交えて演奏したのですが、古典を題材としても現代に生きる人として、独自のセンスを持って新たな視点を当て、古典とじっくりと対峙して表現してこそ音楽家ではないでしょうか。私の琵琶の音色を聴いて、魅力を感じてくれる人が居たら嬉しいですね。

帰りに松本駅で振り返ったら、見事な月が出ていました。まるで私たちを見送るような月を見ながら、「また来るからね」と思はず語りかけてしまいました。今度行く時にはゆっくり時間を取って城下町松本の風情を楽しみたいですね。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.