シェーンベルクの旅路 講演

先日、石田一志先生による講演「シェーンベルクの旅路」が、東京文化会館大会議室で行われました。主催は日本アルバンベルク協会。石田先生については同タイトルの著書の紹介と、つい先日も受賞記念パーティーの報告をしたばかりですが、今回は実に興味深い、面白い話が聴けました。

本も素晴らしいのですが、講演ではさらに色々な話が聴けました。特に当時は戦争の時代でもありましたので、戦争が芸術に与えた影響も改めて判りましたし、当時のユダヤ人という存在の状況など、本には色々書いてあるのですが、講演として直に話を聞くと、数々の要素が次々に目の前に提示され、シェーンベルクの音楽がまた別の魅力を持って響いています。途中、ウィーンに長く住んでいた作曲家・指揮者の森本恭正さんが、現地に住んでいたからこそ判る、ユダヤ人の現地での様子等の話もはさまれ、更に話は面白くなって行きました。森本先生とは有明教育芸術短期大学で御一緒していましたし、石田先生を通しても色々と会う機会があり、森本先生からも興味深い話を色々と聞かせて頂いてます。

当時はフランスなどでもそうですが、画家や文学者、哲学者などがかなり積極的に交流していたようです。ヨーロッパ自体がそういう雰囲気だったのでしょうね。Golden age、Belle Époque等色々な言葉が当時を表しています。シェーンベルクもカンディンスキーとのいきさつ等が知られていますが、そんな芸術家や哲学者とのつながりが様々な作品を生み、特に「ヤコブの梯子」というオラトリオの作品(結局最後は未完に終わりましたが)に関しては、興味深いものがありました。その他にもユダヤ人ゆえの差別なども受けたりしたようで、音楽が生まれてゆく背景には本当に多くの要素があることを実感しました。ただ音楽を聴いているだけでは判らないものが見えてきて、その生まれ出た音楽の深い響きに包まれて来るようでした。

シェーンベルク2シェーンベルクは人間的には高慢で猜疑心が強く、ちょっと付き合うには難しい人物だったようですが、第2次大戦後、彼のプライベートなものも含め、色々な資料が出てきたことでシェーンベルクに関する研究もかなり進んできたようです。私は以前作曲の師である石井紘美先生から聞いていた言葉を思い出すのですが、シェーンベルクは12音技法を世に出す直前に、弟子でもあったヨーゼフ・ルーファーに向け「私は12音技法で今後100年ドイツ音楽の優位が保証されると思う」と語ったそうです。この言葉はとても強い印象として、ずっと私の中に残っていました。今回もこの言葉についての質問がありましたが、講演を聴いていると、ただの高慢とかナショナリズムではなく、バッハ・ベートーベン・マーラーと続くドイツ音楽の継承者という自負をしっかりと持っていたと解説され、納得してしまいました。確かにそうだと思います。

石田一志1

シェーンベルクは以前よりその作品が面白いとは思っていたものの、なかなか奥に踏み込んで接してはいませんでした。バルトークなんかの方が良く聞いていました。でも石田先生と話していると、色々な視点があって、色々な面が見えて、そして作品の聴き方も変わって、今では興味が尽きないという感じでしょうか。
日本人はとにかく何でも直感でものを図ってしまい、論理を持って見つめ、議論を交わすという事が著しく出来ない。音楽学という分野が未だ発展しないのもそういう日本人の性質ゆえだと思います。
反対意見を言う事=批判誹謗という風にとり、議論でもしようもんなら、もう相手との関係は成り立たないという位に議論を避け、論理から逃げる。評論家さえもあたり障りのない感想文に逃げる。確かにそれは日本の美徳という部分もありますが、世界とつながっているグローバル社会では決して良い事ではありません。もう島国日本の常識は通用しない。音楽一つとっても直感で好き嫌い、というレベルでしか判断できないようでは、いつまで経っても水準の高いものは生まれません。

IMG_3405[1]私自身、クラシック作品を作る訳ではないのですが、だからといってただ邦楽の延長線上にいればよい、という事では作品は作れません。邦楽以外の多くのものを見聞きし参考にするとともに、そこから現代という社会を見ているのです。一つの視点では見えなかったものが浮かび上がり、「現代」に対する認識が深まって行きます。琵琶でも外側から見る「離見の見」が必要なのです。
その「現代」の中で琵琶の音楽を発信してゆくのが私の仕事。私の仕事が魅力あるものなら、次世代へとそれはつながって行くでしょう。小さな好事家の世界ではなく、広い分野に渡って琵琶の音楽が少しでも多く鳴り響くようにしたいですね。音楽は楽器をやっている人が聴くものではない。マニアのための音楽ではいけないのです。これからの時代をGolden ageの頃のような、多ジャンルに渡る良き仲間達ともっと交流を重ね、芸術論を戦わせ、切磋琢磨してゆくような時代にしたいですね。

シェーンベルクを通して、琵琶楽が見えてきました。

撥の話Ⅱ

随分前に「撥の話」という記事を書いたのですが、これが周りで未だによく話題に出てきます。薩摩琵琶は撥が何しろ大きく、見た目で弾きにくそう、と思っている方が多いのですが、あの大きな撥がいかに演奏に於いて合理的で有効なものか、判ってくれた方が沢山居たのは嬉しい限りです。今回は音質という所に焦点を当ててみたいと思います。演奏家が求める音楽にとって、撥の材質と厚みの選択はとても大きな要素なのです。

音質を決めるのは、やはりなんといっても撥の材質なのですが、それと共にもう一つの大きな要素は厚みなのです。ギターをやっている方ならお分かりかも知れませんが、とても薄いThinというピックと、ぶ厚いHardといわれる2mmほどあるジャズなどで使うピックでは、天と地ほど音が違います。たった数センチの小さなものですが、「楽器を変えたの?」という位全くキャラクターの違う別物になります。フォークギターなどで試してみるとよく判りますよ。
勿論材質でもかなりの差があります。同じ厚みのものでも、材質が違うだけで全く音が違う。本当に何故?という位違うのです。また材質だけでなく、表面の加工が荒いと弦に当たる音がざらざらという雑音がします。これがいいという方もいますので何とも言えませんが、厚みや材質、加工一つで、かなり音質に影響することは確かです。

さて本題の琵琶の撥ですが、材質はやはりなんといっても柘植が一番のようです。私自身、椿・柊・黒柿他、よく判らない木材やプラスティックなどかなりの数の材質を試しましたが、最後には柘植に行きつきました。先ず弦に当たった時に雑音がしない事、腹板に当たった時の音質が良い事、そして何よりも弦をヒットした時の音質が良い事、あと適度な「しなり」等々すべてに柘植はちょうど良いです。
薩摩琵琶の場合、弦をこすったり、腹板をたたくという打楽器的な奏法も重要な点ですので、単に弦をヒットした音だけでなく、奏法全部を踏まえ、自分のやろうとする音楽に一番ふさわしいものを考える必要があります。そんな風に考えると、材質は勿論ですが、厚みも色々な選択があるのです。

厚みに関して単純に言ってしまえば、厚い撥だと音も大きいし、締りのある充実した音色が出ますが、腹板をたたく音も大きくなり、全体に音圧が強くなり、時に歌を凌駕してしまう事もあります。薄い撥だと、弾いた音量は小さく、輪郭も薄めで迫力もないですが、たたく音はさして大きくならず、歌の邪魔にならず扱いやすい。前者は正派がその代表ですね。先日も正派の方の撥を触らせていただきましたが、ぶ厚く大ぶりな撥で、充実した素晴らしい音でした。適度な重さもあって、使いやすかったです。しかし腹板に当たる音は確かに大きい。

後者の代表は鶴田錦史のあの音です。私は正直なところを言うと、鶴田のあの鶴田錦史2前に出てこない軽めの琵琶の音と、崩れの三味線ライクなフレージングがどうしても好きになれなかった。鶴田ファンの方すいません。私なりに分析すると、鶴田の激しい奏法では、厚い撥を使ってしまうと、弦の音より打撃音の方が大きくなり過ぎる。鶴田が好んだ塗琵琶は倍音や音量を適度に抑制された音が特徴ですが、あの塗琵琶と薄撥の組み合わせは、音に程よい軽さがあり、声を邪魔することなく、激しい奏法と相まって、鶴田の音楽にはぴったりだったのでしょう。
鶴田錦史は現代曲をやっても弾き語りがその根幹にあったので、他の選択というのはありえなかったでしょうね。でも先進性が人並み外れ異常に強かった方ですから、もしかしたらきっと人の発想を飛び越えて、違う道を託す弟子も育成していたのではないか、とも思います。

kotonoha-1私はちょうど中間の厚みのものを使っています。伴奏楽器ではなく、あくまで独奏楽器として、なるべく倍音が豊かで音量もあり、響きが広がる音が好きなので、塗琵琶と薄撥は絶対に使いません。しかし奏法自体は鶴田流以上に激しい部分もありますので、あまり厚い撥だと、打楽器的な部分が強調され過ぎてしまいます。数々の琵琶本体の改良は今まで色々と書いて来た通りですが、私のスタイルが音楽的に実現できるように、撥に関しては正派ほど厚くなく、鶴田ほど薄くない、ちょうど中間、大体5mmの厚さの撥を使っています。(その後もう少し厚目のものに変えました。撥の話Ⅲ

どんな音を出したいか、という問いかけは、どんな音楽をやりたいか、という問いかけでもあります。それは単なる好みではなく、演奏家の音楽そのものと言ってよいでしょう。そこはまた別の機会に書きたいと思いますが、楽器、弦、撥の選択は演奏家の生命線です。ただ先生に言われて与えられたものを使っているだけでは、なかなか自分の音は出てこない。慣れほど怖いものは無く、ただの慣れで使っていると、得意なものをただやって喜んでいるだけで、自分の音の姿が何だか判らなくなってきたりします。

良い音は何よりですが、その前にどんな音楽をやりたいかが先。良い音に導かれ出来た曲は確かにありますが、1曲2曲の問題でなく、どんな音楽を人生賭けてやりたいか、それが見えない限り、いつまでたってもその人の音は響きません。良い撥も、良い楽器も良い音も、人それぞれなのです。

私は私の音を出してゆきたい。

歩まざるもの

先日、医療関係の友人と話していて、興味深い話を聞いて来ました。
現代は性差医療というものが進んできているようなのですが、我々人間の性別に関しても、今までは男・女という二つの性でくくっていたものが、現代では染色体などの関係から、5つに分ける考え方が出てきたとのことです。勿論私は全くの門外漢なので、詳しいことは判らないのですが、その友人の言によれば、こういう考え方が世間に浸透する時代もいつか来るだろうと言っていました。私は話を聞いていて、この概念や考え方が、今後の世の中を大きく変えてゆくような気がしました。

空想病院展

そして、今月初めには早稲田にあるドラードギャラリーで「空想病院展」という企画展示を観てきました。テーマとして「性」が強く出ている展示でしたが、作品がまだ男・女という区別の中から抜け出せない感じがしました。作品はそれぞれ力作だったのですが、それぞれ「性」を独自に捉えている作家さんの意識が、まだ旧来の概念の枠の中から抜け出していないようで、澁澤龍彦(写真)あたりが描いていた世界の焼き直しのように思えました。肉体的な性別が二つでなくなって、GID(性同一性障害)などに対する認識も広まり、精神面でも複雑な在り方が確認され、其々が共生している現代社会に、作家の概念や視点の方が現実に追いついていないという感じでしょうか。澁澤

芸術は元来、因習や権威、宗教をも乗り越えて、人間存在の根本を描き、暴き、人間本来の姿を取り戻そうとする行為でもあると思います。それゆえ芸術家は「性」に対して独自のアプローチを持ち、こういう変化にかなり敏感な方が多いのです。今回は「性」が一つのテーマとなる展示で、作家さん自体もテーマとしている風に見える方々でしたので、ちょっと意外な感じがしました。
ダダやシュールなどは勿論、印象派でもキュビズムでも、芸術家は常に時代を先取りし、人々を社会や常識の呪縛から解放し、次世代の感性を示し、育ててくれるものでした。しかし現代では、どんな状況なのでしょうか??。全体的にあまり社会とコミットせず、作家の個人的な領域に内向しているのでしょうか?色々と思う所がある展示でした。

ヘルマフロディトス男・女の役割は勿論、性に対する概念や哲学すら変わって行く時代に、人間本来の姿を描こうとする芸術家が性の問題を取り上げ、新しい視点で創作活動してゆくのは、当然だと思います。性別が二つに限定される旧概念の枠内で個人的な幻想世界を描いても、それはもはや懐メロの域を出ない。
常識や習慣に囚われて生きている我々にとって、男女の他に性別があるという事は、なかなかすぐには受け入れがたいと思います。しかしもう現実は受け入れざるを得ない所まで来ています。そんな時代には新たな概念や感性が出て来るのは当たり前であり、どんな軋轢があろうとも、時代は受け入れる方向にどんどんと向いて行きます。何故ならば、多様な性があるという事は古より歴然とした事実であり、今まではそれを「男女という二つのものにすべて区分し、男はこうであるべき、女はこうであるべき」という因習の中に押し込め、封印して、知らされなかっただけなのですから・・・。決して新しく作り出したものではないのです。むしろ本来の姿がやっと表に出てきたというべきでしょう。

政治の分野では世田谷区議の上川あやさんのように、ジェンダー問題に積極的に取り組んでいる方も出てきましたが、今、セクシャルマイノリティーと言われている人々が、特別な存在として認知されるのではなく、肌の色が白でも黒でも黄色でも、普通に平等に暮らし生きているように、マイノリティーが違和感なく認知されてゆく時代がもうすぐそこに来ているような気がします。

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さて、こんな時代に琵琶楽はどこを向いているのでしょうか。残念ながら琵琶楽はそんな芸術とは無縁の所にあります。お稽古事の世界に留まるのならば、今までと同じでも別に問題は無いでしょう。しかし音楽として世の中に発信してゆくのであれば、世の中と共に変わって行かないと後がありません。自分の姿が自分で見えないというのであればもう終わりが見えたともいえるかもしれません・・・。新時代の音楽、新時代の感性・・永田錦心の志は誰が継いでゆくのでしょうか?

古典でも、そこに今までとは違う、時代に即した感性・視点を当てて最構成し、okumura pfoto8次世代に向けて発信してゆく、そんな創造性を琵琶は獲得できるだろうか。バッハでも、時代によって色々な解釈がなされ、楽器も進化し現代のピアノで演奏され、それでまた新たな魅力を見いだされ、時代時代で人々を魅了してゆくのです。そうして時代の感性に晒され、汲めども尽きぬ魅力を放つものが「古典」となって行き、その新しい感性と創造性がバッハを次の時代へと繋げてゆくのです。狭い小さなヒエラルキーの中で、ありがたがって保存し崇めているだけでは、ただ朽ちてゆくだけなのです。

美術とはまた違う側面があるので、同じ土俵で語る訳にはいきませんが、何も新しいものをやらなくても、時代も性別も何も超えて響く、人間の通奏低音のようなものがあるはず。せめてそういう精神で接して欲しい、と私は思います。そして新しい時代の感性による新作も、永田錦心がやったように、今後も積極的に作られるべきだと思います。

日の出2

時代は刻々と変化してゆきます。今まで常識だと思っていたことが、ただ目隠しをされていた、という事実もどんどん暴かれてゆくでしょう。これからどんな哲学と感性が生まれてゆくのだろう。どんな社会になって行くのだろう。私のような凡夫には、想像も及びませんが、芸術家はこの現実と共に歩み、次の時代の感性を育て創ってゆく役割があると私は思います。次世代に向かって、今何を表現すべきなのでしょうか。大きな問いかけが、目の前に横たわっているのだと思います。

歩まざる芸術家は、どこに向かっているのだろう?

北鎌倉へ

先日、北鎌倉の其中窯サロンにて演奏してきました。

北鎌倉其中窯3

ここは元々 北大路魯山人の邸宅と工房があった所。魯山人が使っていた窯を、陶芸家 河村喜太郎氏が受け継ぎ、現在は孫の喜史氏が継いで作陶しています。サロンスペースには、喜史氏の父である又次郎氏の頃より日夜芸術家が出入りして、茶会や芸談を交わした芸術サロンとしてにぎわっていた場所です。
今回は、新日屋さんという和のイベントをプロデュースする事務所が主催した会だったのですが、大変素晴らしい雰囲気で、気持ちよく演奏が出来ました。新日屋さんブログ http://www.shinnichiya.com/s_blog/

こちらが河村さん。音楽、特に現代音楽にとても造詣が深く、話が弾みました。
河村さんは、表現という事にとても深い思考を持っていらっしゃるようでした。「自分が何か土を通して表現するというより、土の持っているものを自分の力で形にしてゆく」、という事を盛んに言っておられました。これは単に素材の持つ力、という事だけではない、もっと深いものを感じました。

我々はものを作り出す側にいます。そういう我々が「私」という個人的な想いを外に吐き出しただけでは、それを受け取る人々に対し説得力はほとんどありません。同好の士がはやし立てるのが関の山。下手をすると陳腐なものになりかねない。表現者の大変陥りやすい所です。大体「私」という小さな器で考えたものは、何でも「私」に都合の良いものになってしまって、あらぬ方向に行ってしまいがちです。其中窯6
先日の著作権の事件もそのいい例ですが、ちょっとライブをやっただけで「プロです」なんて言いだしたり、お稽古している曲は何でもいつのまにか「古典」になってしまったり、お免状なんぞ貰えば「偉い先生」だと勘違いする。外側から見ている人間にとっては?なものにどんどんとなって行くものです。まあこうして邦楽界は世間と大きな距離を築いてしまったのですが・・・。

「私」を超えて、「はからい」というものを何かしら感じている人なら、人間の創り出した権威など、いかに幻想であるかが判るはずです。叡智も経験も素晴らしいことですが、自然の前には叡智も経験も無力であるという事も・・・。だからこそ自分の力ではどうにもならない大きな「はからい」を想い、またそこに身をゆだねる事が出来る。しかし「はからい」を感じることの出来ない人は、自分の力でやっている、やり遂げているという意識しか持たない。そして自らが作り出した幻想に閉じ込められ、小さな世界で空回りしている。そういう状態だという事も気が付かない。悲しいですね・・・・。

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河村さんの祖父 喜太郎氏は、陶工という存在しかない時代に「赤土」という芸術結社を作り、「陶芸」という芸術の分野を世間に認知させた大変な人物でもありますが、河村さんの「土の持つ力を形にしたい」という言葉は、三代に渡って陶芸に携わり「表現とは何か」について受け継がれ、考え、感じてきた末の言葉のように思いました。
ともすると陥りがちな「私」という小さな牢獄。私も片足を突っ込んでいるのかもしれません。しかしこういう柔軟且つ大きな視野と感性を持った人と接すると、自分の姿を振り返り、良い気付きを得ることが出来ます。作曲・演奏・活動、音楽に関するあらゆる場面で、また一枚ベールが剥がれたような気がします。

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良いお仕事をさせて頂きました。

よみがえる音色Ⅱ

先日は、故香川一朝さんの命日でした。一朝さんと共に立ち上げたアンサンブルグループ「まろばし」の応援団長 井尻先生と一緒に、一朝さんの地元小田原に行ってきました。

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もう早いもので、一朝さんが旅立ってからすでに丸2年。2年前はどうにも事実を受け入れがたく、心がもやもやとしたまま落ち着かなかったのですが、ようやく気を落ち着かせて日記を書くことが出来るようになりました。

現在、尺八界は若手で上手い奴が沢山居ます。皆それぞれに活躍し活況を呈しているのですが、音が鳴る=パワフルというタイプが多いですね。なかなか静かに満ちてゆく一朝さんのようなスタイルの人は居ません。しかしこれも時代の変化だし、きっとこの方向でまた、心にしみるような演奏をする人も出て来ることでしょう。勿論私はそういう有能な若手を応援していきたいのですが、ごくごく個人的な想いとしては、一朝さんのあの音色はやはり捨てがたいものがあります。一朝さんの音色はいつも場に満ちるように、静かに静かに漂って広がって行きました。あの本曲の演奏は忘れられないですね。パワー主義の対極にあるような、でもゆるぎない、しっかりとした存在感を持って響き渡っていました。

kotou4今、世の中のもの大半が、強く、早く、軽く、と便利で刹那的な方向にどんどんと向い、そのために知識や理論が費やされ、社会全体が生き急いでいるかのように私には思えます。音楽も、どんどんこの調子でスピードやパワー重視の表面的なものになってきているような気がしてなりません。
演奏でピアニシモほど難しいのは皆様ご存じの通り。それはしっかりとした支えがなければ出すことが出来ないからです。その支えのためにこそ、表に出ないこういう所にこそ、知識と理論を惜しまないでもらいたいものですね。
そして真に力強いものの裏側には、必ず静寂があるものです。それが無い、ただ勢いに任せただけの強さは、どうしてもそこに落ち着かないものを感じてしまいますね。音楽でも政治でも・・・。

一朝さんと「まろばし」をやっている時には、何よりも音色やアンサンブルが最優先でした。一朝さんの持っている世界が私をそういう方向に導いていたのでしょう。若手の田中黎山君と一朝さんがデュエットした「二つの月~二管の尺八のために」を練習している時は、先輩後輩関係なく、尺八奏者として対等にアンサンブルを作り上げ、音色や息の使い方など、とことんやっていたのを思い出します。
やっぱり音楽に身をゆだねている時、聴いている人も、演奏している人も、其々が本来自分のあるべき所に帰ってゆくような時間であってほしいですものね。一朝さんの周りは皆、そんな音楽を作り上げるのに夢中でした。欲望によって経済が回り、世の中が成り立っているともいえる現代に於いて、一朝さんと一緒に演奏した時間は、充実した貴重なひと時でした。

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時代と共にに音楽はあるべきとは、いつも私が書いていることですが、この時代に生きる人々が聴いて、感じることが何よりも第一です。この時代にあるべき音楽の姿は、人それぞれに違う想いがあるでしょう。違う事が大事なのです。色々なものが共存するからこそ、豊饒な世界が生まれてゆくのです。「こういうものだ」「これでなくては」という一つの方向に流れてしまった時、その音楽は力を失うのだと思います。琵琶楽は今、そんな時期に来ているように思えてなりません。まあこういう事も今思うと、一朝さんから仕込まれたものかもしれませんね。

一朝さんは、私の視野が届かない所に光を当てて、いつも私を無言で導いてくれました。そして「時代の音を創れ」と常に背中を押して、新作を書くことを応援してくれました。私はそんな一朝さんの心意気に支えられて、今があるのです。私にはまだ余裕がありませんが、今度は私が若い世代に対し、そんな応援をする役なのでしょうね。

さて、また新曲作りますか!!

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