先日、パリオペラ座Live viewing「ジョコンダ」を観てきました。
なかなか上演されない演目ですので、一度は観ておきたいと思っていましたが、パリオペラ座で観ることが出来て満足!。ビクトル・ユーゴー原作のこの「ジョコンダ」はいわゆる愛憎劇なのですが、ソプラノ、メゾソプラノ、アルト、テノール、バリトンと、主要な出演者それぞれに高い歌唱力と演技力を必要とする演目。誰か一人二人スター歌手が居れば何とかなるようなものではないのです。それに合唱も必要だし、セットもそれなりに必要となるとなかなか上演されないのも判ります。
マリア・カラスがこの作品でデビューを飾ったとの事ですが、主人公ジョコンダのダイナミック歌唱は、カラスにはぴったりだったのではないでしょうか。今回の舞台は個人的には、ちょっと描き方に物足りなさを感じる所もありましたが(あくまで素人の勝手な意見です)、レベルは勿論世界のトップにありました。また今回も魅力的な歌手に出逢いました。
先ずは、バルナバ役のバリトン セルゲイ・ムルザエフは深い声と、そのワルっぷりが板についていて格好良かった!なかなかの役者ですね。そしてジョコンダの盲目の母を演じたマリア・ホセ・モンティエルが大変イイ感じ。アルトという事もあるけれど、その声は伸びやかでしっとりと落ち着いて、細かな部分まで明確に表現してゆく。演技も光っていました。カーテンコールでも熱狂的なファンが居るのか、一番大きな拍手と声援をもらっていました(この美貌ですしね・・)。
この作品を作ったポンキエッリという作曲家は全く知らないのですが、曲は弦の使い方がなかなかセンス良く、オケの方も魅力的な作品だと思います。それに途中のバレエの場面が大変美しかった。有名な場面ではありますが、さすがパリオペラ座。素晴らしいエトワールが沢山居るのですね。最近バレエが何だかぐっと来るんです!!Metが演出したらどうなるんでしょう??初演は1876年ミラノスカラ座だそうですが、他のオペラ座のものも観てみたいですね。
オペラを観れば観るほど、舞台として表現するには、最高レベルの技術と経験、そして大きな器を持った監督、プロデューサーのセンスが必須だと思えてきます。
私はもう15年前から言っているのですが、邦楽界にはとにかくプロデューサーという人が少ない。まだまだ演奏家が自主企画で頑張っているという状況。これでは規模も舞台もそんなに大きく出来ないし、細部まで手が回らない。中には志を持ってやっているプロデューサーも居るのですが、ほとんどが皆、エンタテイメントのものばかりやっている。盛り上げて高揚感だけ演出して終わり、みたいなものがあまりにも多すぎる。収益優先に考えているのか、それとも芸術性が無いのか・・・?。加えて経済観念の無さにも呆れかえってしまいます。芸術舞台を推進する邦楽プロデューサーがぜひ出てきて欲しい。切実な願いです。
私自身もこれまで、色々と自主企画の舞台をやってきましたが、今後はより自分らしい形にしてゆくつもりです。これは毎年書いていることですが、どんどんとこういう所は充実させてゆくべきだと思いますので、企画の形も自分に特化して変わって行くと思います。
先日の良寛さんの足跡をたどる旅をしてみて、いかに自分の歩むべき道を歩むことが大切か、そして難しいか実感しました。難しいけれど、自分の行くべきところを行かなければ、何時までも地に足は着いてゆかない。人気が出ようが、色々な所に呼ばれようが、賞をもらおうが・・・、そんなところで満足するわけにはいかないのです。人生賭けてやっているんだから、自分の音楽を響かせなくちゃ!!
オペラは素晴らしい。そして邦楽もまた同等に素晴らしいのです。能や歌舞伎だけでなく、琵琶だって世界で通用して当たり前なのです。世界の舞台が見えていないから、想像も発想も出来ないのです。
永田錦心は新たな世界を築き、鶴田錦史は世界に飛び出して行った。その後に続く我々が創造的な音楽、そして舞台を作り上げて行かなければ、琵琶はこのままみるみる間に衰退してゆくでしょう。私たちが、何をしてゆくのかが問われている。私は技や流派という形ではなく、先人の志こそ受け継ぐべきだと思っています。世界の人が感動して、色々な国の人がこうしてブログに書いてくれるような舞台を創りたい。
ジョコンダの舞台から想いが広がりました。
ちょっとご無沙汰しました。しばらく新潟に行っていました。
実は10月の31日になりますが、杉並公会堂小ホールにて「越の良寛」という舞台をやりますので、今回はその取材と稽古を兼ねまして、出雲崎~十日町辺りをゆっくりと回ってきました。
この公演は、脚本を哲学者でもある和久内明先生が書き下ろし主催する公演で、今までにも色々な人物を取り上げて公演をしているそうです。今回は新潟に少なからず縁のある私にお声を掛けてくれて、とてもありがたいのです。
良寛さんといえば、子供と手毬をついて遊ぶ、とても優しく穏やかな人物として知られますが、今回はそんな良寛さんの様々な内面にスポットを当てた舞台となります。主演は観世流シテ方の大ベテラン 津村禮次郎先生、脇を固めるのは役者の秋元史人さん、同じく荒井和真さん、そして私と、笛の大浦典子さんです。
毎回の事ですが、私の場合は演奏だけという仕事はなく、作曲込での依頼がほとんどで、今回も曲作りに勤しんでいます。先日の花柳面先生との「久遠」の舞台もそうでしたが、舞台に合わせて作曲する事が私の仕事ですね。弾き語りや笛との合奏等々気合を入れて頑張ってますよ!乞うご期待!!
隆泉寺良寛像
さて、今回の旅は色々な発見がありました。何かに導かれて行ったような気さえします。出演メンバーがほぼそろっての道中でしたので、夜を徹してゆっくりと語り合う事が出来、大変充実した旅となった事が先ずは嬉しかったし、現地の方々との対話にも、大きな収穫がありました。
私を含め現代の人は、良寛さんに対しある一定のイメージを刷り込まれているといえるかもしれません。それはあくまで現代の都会人の勝手な思い入れでしかなく、今回の旅で、いかに我々がそのイメージだけで追いかけているのかよく判りました。
メンバーは新潟の燕三条駅に集結。そこから旅は始まりました。まず最初に訪れたのは獄門跡。
ここは北国街道に面した江戸時代の処刑場。良寛の父はこの地の名主であり、良寛は父の仕事について行き、16歳の時にここで処刑の光景を見て、それに衝撃を受けたといわれています。
私達が行った日は偶然にも供養祭の日でした。地元の方々が集まり、お坊さんが経を唱えていましたが、良寛という面しか見ていない私達と、地元の人達の気持ちの差がよく判りました。とにかく行ってみるものですね。
国上寺では、良寛が長く住んでいた五合庵(写真)にも行きましたが、妙に綺麗になっていてちょっと残念。しかし国上寺は良寛にとって縁が深いだけでなく、能の「禅師曽我」の舞台でもあるので、津村先生はかなり灌漑深い想いで語られていました。越後には長く深い歴史があります。興味は尽きないですね。
その他、やはり良寛の住んでいた乙子神社の草庵、資料館、晩年を過ごした木村家、お墓のある隆泉寺などまわりましたが、中でも22歳の時、良寛が岡山へ旅立つ際に、母がずっと見送ったという虎岸の丘では、たそがれの出雲崎を前にして、何かこみ上げるものを感じずにはいられませんでした。権威を振りかざし、権力志向が強い父、その父の元で、住民同士の争い、世の不平等さ等々、色々な想いを抱き、目の当たりにして18歳で出家し、そして見知らぬ地へと旅立とうとする良寛、それを見送る母。なんだか18歳で「音楽をやる」と言い放ち静岡を飛び出してきた身としては感じるものがあります。
虎岸の丘から見た出雲崎
良寛という人は、決して西行や鴨長明のような世捨て人ではなかったと思います。色々な場面で地元の人々と関わり、人との関わりの中で生きていた。巷では「清貧」等と言われ、ある種の憧れを抱いている都会人も多いかと思いますが、当時は皆がそんな暮らしが当たり前だった時代。清貧なんていう言葉ではとても良寛という人を捉えきれないと思います。良寛は何といっても書家として有名であり、かつ人々に慕われていたのが事実です。晩年は貞心尼との交流もありました。それも俗な目で見ていては何も見えてきません。雪深い越後に暮す地元の人達も、特に「清貧」という目で良寛さんを見てはいませんでした。あくまで現代人が勝手に作り出した視座に過ぎないという事も実感しました。
良寛さんを追いかけて過ごした数日間でしたが、良寛という人物の魅力は増すばかり。そして一人の人間をある一定のイメージで見ていたことが恥ずかしくなりました。やはり人間は清濁併せ持つものだし、硬直化した色眼鏡のような狭い感性では、何も見えない。そして、あらゆる情報が氾濫している故なのでしょうが、何か一つの価値観でものを簡単に判断してしまう事の危うさが、現代の生活に溢れているようにも思いました。
良寛記念館正面にある良寛像
いつも書いていますが、肩書きで物や人を判断したり、肩書きを持っていないと自信が持てなかったり、肩書きを得ることで満足している、そんな精神の貧しさは、人を惹きつけるものを生み出す事は出来ません。肩書きなどは一定の組織が創り出した幻想でしかないのです。良寛は父のそんな権威・権力志向の姿を見たからこそ、自分の生きるべき道を見出し、宗門の堕落した姿に接したからこそ、組織を離れ自分らしい生き方を選択したのでしょう。
肩書を待った人は、「何をやるか」が問われ、責任を負っているのです。邦楽界ではその責任を果たしている人がどれだけ居るのだろうか?
良寛は自由闊達な書体で詩を書き、自分の生き方を貫いた。そこには肩書きも何もない。流派も免状も無い。あくまで自分が生きる道を自分らしく生きたのです。本当に見習うべきところが多いですね。この公演をきっかけに、ちょっと良寛さんを追いかけてみようと思っています。
先日、サイガバレエ団主催による「絃楽器の歴史」と銘打った公演をやってきました。
色々な経緯で開催となった公演でしたが、サイガバレエを率いる雑賀淑子先生はバレエ界の大御所であるだけでなく、琵琶を弾くことでも知られていて、今回も雑賀先生自ら琵琶を弾いて創作作品を上演していました。他に三味線やギター、ヴァイオリン等弦楽器が色々と出演するバラエティー豊かな、アットホームな舞台でした。
私は絃楽器の歴史のレクチャーと共に、日舞のベテラン 花柳面先生と「久遠」という新作を上演してきました。シルクロードをテーマとした10分程度の作品なのですが、伴奏は樂琵琶のみ。今回も完全に一から作曲し、踊りと共に創り上げました。今までにも日舞とは色々な作品を作ってきましたが、ここにきてようやく納得のいくものが出来た感じがします。
私は自分も興味があるせいか、踊り・ダンスにはとにかく縁があって、毎年踊りの舞台の音楽を担当しています。面先生とも今までに何度も御一緒させていただいていたのですが、大体他のジャンルの踊り手も一緒の事が多く、今回のような1対1でのものは初めてでした。面先生は古典でも大ベテランの踊り手であり、創作ものの作り手としても大変評価されている方なので、御存じの方も多いかと思いますが、70年代から現代音楽の作曲家の作品などを積極的に日舞の世界で取り上げてきた方ですので、「創造とは何か、古典とは何か」等々、いつも良い勉強をさせてもらってます。
古典があってこそ、前衛が生まれるのは当然ですが、古典に胡坐をかいているようなものには命が宿りません。やはり旺盛な創作意欲が無ければ、音楽や舞台は途端に色褪せてしまいます。今衰退している分野は創造性が失せて、創作という事がなされていないからだと思います。また古典に対しても、現代におけるその意味を充分に考え、研究を重ね、明確な意思を持ってやらなければ、「こういうものなんです」と主張しても、もうそれは過去で止まった骨董品や資料としてしか受け取ってもらえません。
どんな形であれ聴衆に魅力を与えられないものは、滅び去るのみです。あふれ出る創造性と古典への眼差し。この二つが高いレベルで存在してこそ、舞台は成り立ってゆくのではないでしょうか。
古典を権威のように宣伝し、肩書きを振りかざすものは論外でしかないのは世間の人は皆判っている。邦楽村の住人だけが幻想に囚われて、周りが見えていないという事に、早く気が付かないといけません。
よくブログで取り上げる手妻の藤山新太郎先生のように、古典に新しい視点を加え、古典を現代に蘇らせ、それによって手妻という素晴らしい古典芸能を現代に改めて紹介し、ファンを獲得してゆく。これだけの偉業をやってのけるからこそ、藤山先生は第一線のトップを張れるのです。古典を受け継ぐという事は何も形を守ることではなく、その素晴らしさを次世代に伝える事です。そのためにあえて形を変えることも辞さない覚悟が必要なのです。古典だろうが前衛だろうが、旺盛な生命力に満ちた現在進行形のものであることが一番大切なのです!!。
私は今回のような舞台を、これからもどんどんとやって行きたいし、その為にも日本音楽の古典である能、歌舞伎、雅楽や平曲、そして更に遡ってシルクロードの音楽をどんどんと聴いて、我が身の内に取り入れてゆきたいと思っています。肩書きやお免状掲げて舞台に立つようなことは間違ってもしたくない。
これからも踊りにはどんどん関わって行くだろうと思いますが、器楽としての琵琶楽も更に発展させて、琵琶楽の新時代を作って行きたいですね。
最後にサイガバレエの方々とパチリ。お疲れ様でした。
先日、パリオペラ座バレエ「ラ・シルフィード」のLive viewingを観てきました。
創作もののバレエの舞台は随分観ているのに、実は本格的なクラシックをちゃんと観たことが無かったのです。ようやく本場のクラシックバレエを堪能することが出来ました。とにかく美しい。動きも姿もとにかくこの上なく美しい。フランスの美的感覚の原点を見たような想いです。
この方が主役のマチュー・ガニオさん。少女漫画からそのまま飛び出してきたかのようなマスク。手足は私の倍はあるのでないか、と思うような度を超えたパーフェクトな姿でした。妖精役の方はオーレリ・デュポンさん。言う事ないですね。これだけ美男美女が揃うと、もう夢の中の話のようです。
この「ラ・シルフィード」はストーリーも判りやすく、各エトワールの見せ場もたっぷりあって、私のような初心者でもしっかり楽しめる作品でした。これはロマンティックバレエの代表作で、パリオペラ座からこのスタイルが始まったそうです。大変充実した内容で、たっぷりと楽しんで来ました。
私はフランスの芸術作品が若い頃からとても好きでした。これまでこのブログでも色々書いてきましたが、10代の終わりにダダやシュールに興味を持ったことがきっかけで、近代フランスを中心にヨーロッパの芸術を、美術でも音楽でも文学でも、とにかくむさぼるように観て聴いて読んで、浸ってきました。
「ラ・シルフィード」を観て、ヨーロッパ人が思う美しさというものを大いに感じましたが、同時に現代の日本社会についても改めて想いが行き渡りました。ヨーロッパの人もジャポニズムの時代を経て、最近では日本の「美」に興味を持って好んでいる人も増えてきたようですが、それでもやはり日本人の感覚という事でなく、自分たちの感覚で捉えている事と思います。それで当たり前です。しかし私達現代の日本人は少し事情が違います。食事でも文化でも欧米のものを、普通に何の違和感もなく受け入れています。その知識と素養が普段の暮らしの中にすでに在る。それは国民性というよりも、明治以降、日本政府のこれまでの舵取りの為せる技ともいえますね。
古来日本は外のものに憧れ、積極的に取り入れてきました。舶来主義は、奈良平安の時代から
沁み込んでいるともいえます。それは別段悪い事ではないものの、自国の音楽もろくに知らない日本人が多く居るという現在の状態は決して良い事ではありません。異文化の美しさに魅せられ、自分たちの「美」を忘れつつある。これは一つの罠それとも洗脳?
一度ヨーロッパの「美」に触れてしまった以上、それを忘れるわけにはいきません。それだけ素晴らしいものがありますし、私の中にもその欧米の「美」の感性は溢れています。しかしこのまま西洋の「美」の中で生きてゆくことが、日本にとって良い事なのでしょうか?。私はそうは思えません。グローバルな社会になったからこそ、日本の「美」が大切だと思うのです。そこを失ったら、アイデンティティーは崩壊し、日本の社会も崩壊して行くでしょう。
明治以降、特に第二次大戦後、我々は派手で楽しい欧米文化(その中でもアメリカ文化)の中で育てられました。最近ではレディー・ガガの曲を邦楽器でやって話題の人もいるし、琵琶でポップな曲をやる人も居る。それも良いけれど・・・・。私はパリオペラ座のダンサー達のように、誇りを持って世界に向けて、自分たちの文化を発信しようとする意識と志を持ちたい。
今回のクラシックバレエから、前回書いたマーラーの音楽を使った新作のような最先端の創造的舞台まで、古典から前衛に至る現在進行形の文化の姿は本当に素晴らしいと思います。そしてその現在進行形の文化を我々も持っているはずです。私がパリオペラ座を観て感激したように、世界の人が魅力を感じる現在の日本の「美」を今、日本から発信したい。そう思いませんか?
そしてまた、それぞれの国や地域という枠ではない、もっとその奥に通奏低音として流れる人間や地球全体に於ける「美」の存在が必ず在る筈だとも思えてならないのです。日本の「美」と共に、そうした人類の通奏低音としての「美」を私はどれだけ音楽に託してゆけるか判りません。しかしやらずにはいられないでしょう。これだけ素晴らしいものを観て、囲まれていたら・・・。
さあ、舞台を創ろう!!
先日、毎年恒例の琵琶樂人倶楽部SPレコードコンサートでした。琵琶樂人倶楽部もすでに68回目。いい感じです。今回のお題は「女流の時代」。琵琶だけでなく、同時代に活躍した色々なジャンルの女流名人も聞いていただきました。
第一部は水藤錦穣、豊田旭穣、田中旭嶺。実はこの3人、つながりがあるんです。大正時代、筑前琵琶のトップを張っていた豊田旭穣に憧れて、穣の字を自分の芸名に付けたのが水藤錦穣。そして豊田の弟子の田中旭嶺は、当時、足立区に住んでいた水藤錦穣宅に泊まり込んでお互いの技を教え合った間柄とのことです。第一部は縁の深いこの3人の演奏を堪能しました。
第二部は、娘義太夫の豊竹呂昇、小唄の市丸、オペラの喜波貞子、歌謡曲第一号の佐藤千夜子等をかけました。市丸さんの歌はいつ聞いてもいいですね~~。ふと一杯呑りたくなります。オペラの喜波貞子もさすがヨーロッパで活躍しただけあって、現代の一流が霞むような見事な歌唱でした。生の声を聴いてみたかったですね。今回は全て歌の曲でしたが、それはまた「艶」の競演でもありました。
それにしてもクレデンザから聞こえるSPレコードの音は身に迫ります。我々が普段追い求めている「良い音」とは何か?問いかけられます。SPからLPに変わったことで「何かを失い」、更にCDになったことでまた「何か」を失っている。確かに物理的な、数値的な面に於いてノイズは消え、綺麗なリヴァーブがかかり、一聴すると生音に近いような音になりましたが、そこには音楽の大事なものが失なわれているように思えてなりません。
やり直しの効かない一発取りのSPの時代と、やり直しも修正も、何度でもOKなデジタルの時代。カーネギーホールの10列目のエコーが欲しいと思えば、クリック一つでそんな音になってしまう現代は、やはり大事なものを失っていると言わざるを得ないです。如何でしょう?
音楽が時代と共に変化するのは良い事です。人間の暮らしが変化している以上、音楽が変化しないというのはおかしいです。もし雅楽のように変化をしないというのであれば、それは人の営みに沿っていない音楽だと言わざるを得ません。そういう音楽に人々は惹きつけられ魅力を感じてくれるでしょうか。現代の音楽家はもっと真摯に音楽に、そして時代に向き合うべきだと思います。私は100年経っても人を惹きつける、血沸き肉躍る音楽を演奏し、そして聴きたいのです。
SPレコードは昭和37年まで生産されていたそうですが、やり直しの効かないこの時代の演奏は、音楽そのものに立ち向かい、技術を磨き、研究し、自分の明確なスタイルを持って演奏しなければ、到底舞台にかけられるものには
ならなかっただろうし、「お上手」のレベルでは通用しなかったと思います。今のようにライブハウスも無いし、簡単に舞台に立てるなんてことはなかったことでしょう。ましてやレコードを出すなんてことは、ほんの一握りの許された人だけに与えられた機会だったと思います。だから生半可ではとても務まらなかったし、選ばれし者だけがSPレコードの音源として、今残っているのだと思います。今回聞いた面々の演奏はぜひ現代の琵琶人にも聞かせたいですね。水藤、田中の弾法の技術は驚くべきものがあります。現代ではあれだけのレベルの演奏を聴いたことがありません。びっくりしますよ。右上写真 水藤錦穣
市丸
私がSPレコードに惹かれるのは、その「艶」と言ってもいいでしょう。LPもCDも良いのですが、SPが一番「艶」を表現しているように思えます。
歌でも楽器でも「艶」の無い音には魅力を感じません。今回久しぶりに聞いた市丸さんの声はしっとりとした情感でこちらを包むように響いて来ました。
こうした「艶」は師匠に習っただけでは出てこないですね。強弱のつけ方や、弾き方をいくら習ったところで、先生と自分は違う人間。感性も肉体も、生きた時代も違うのですから、そっくりな音を出しているという事は、まだ自分の音楽をやれていないという事です。一人一人声が違うように。楽器の音色も違う事が自然であり、師匠と同じ音色を出しているようなものは、ただの「お上手「お稽古事」。まだ音楽として成立していないとも言えます。
SPレコードには選ばれし者の艶が溢れているのです。
自分の琵琶は、常に最高の状態であるように調整を怠りませんが、これは単に仕事の道具だからというよりも、毎日毎日自分を惹きつける「艶」を湛えた相棒でいて欲しいからです。良い音からは、素晴らしい音楽が流れ出て、曲が生まれて来ます。私のこれまでのCDは其々違う楽器で録音してきました。其々の楽器の持つ「艶」が、私にインスピレーションを与えて、そこから生まれた音楽をCDという形にしていったのです。どれも大切な「艶」っぽい相棒達。手入れも楽しい訳です。
「艶」のある音、魅力ある音楽がもっともっと世の中に溢れてゆくといいですね。