先日、新宿のエルフラメンコで催された、川崎さとみ芸歴30周年記念リサイタルにて演奏してきました。


エルフラメンコは日本におけるフラメンコの中心基地。スペインの一流のダンサーが来日して公演をする唯一の本格的なフラメンコのお店です。ジャズで言えばブルーノート東京みたいな所。ここで樂琵琶を弾いたのは私が初めてかもしれませんね。
いや~~楽しかったですよ。リハーサル時から、メンバーの皆さんとは話もはずみ、且つ色々と勉強になりました。
今回は現代日本のフラメンコ界を代表するトップレベルのメンバーが揃いました。男性のバイラオール(踊り手)が伊集院史朗、カンテ(歌)が川島桂子と石塚隆充、ギターは柴田亮太郎と内藤信、パーカッションに海沼正利、それに私と笛の大浦典子という布陣!私の作曲したSiroccoもダイナミックな展開にアレンジされ、新たな命が宿りました。
これは楽屋の風景。何しろ皆さん居るだけで楽しい。この自由さは邦楽には無いですね。左からPerの海沼さん、ギターの内藤さん、カンテ(歌)の石塚さん、ギターの柴田さん。私は海沼さん、柴田さんと一緒に演奏しましたが、とにかくご機嫌でした。
プログラムより
そしてこちらが今回の主役、川崎さとみさん。エネルギッシュで頑張り屋の彼女らしい、気持ちの良い舞台でした。
しばらく私自身がフラメンコと離れていたので、川崎さんとはあまり連絡を取っていなかったのですが、今年に入って、バレエの雑賀淑子先生の夏の公演の事で連絡を取り合ったのがきっかけでまたやり取りを始め、今回のリサ
イタルに至りました。縁というものは面白いですね。何かに手繰り寄せられるかのように繋がって行きます。これを「はからい」というのでしょうか。
川崎さんと最初に知り合った頃、私はパコデルシアに憧れフラメンコギターをちょっとかじっていたのですが、それがもうかれこれ25年程前。月日の経つのは早いものですね。
それにしてもフラメンコの自由な雰囲気は楽しいのです。やっている人も聴いている人も、魂が高鳴ります。全体の雰囲気はいい感じでゆるいのですが、こと演奏、そして舞台にはとても厳しい。特にリズムに関しては、大変なこだわりと意識を皆さん持っていますね。
邦楽は全く逆。しきたりや序列にはやたらと厳しいけれど、音楽にはゆるい。実力よりも流派や団体内での力関係優先の人が多いのも邦楽の特徴です。
プロとアマがはっきりとしていて、タブラオと呼ばれる小さなスペースでも真剣勝負で命のほとばしりを舞台で聞かせるフラメンコと、大そうなホールを借りておさらい会と同じ事をやっている邦楽では、聴衆はどちらに魅力を感じでしょうか・・・・。
実はフラメンコギターと薩摩琵琶は共通点がとても多いのです。
薩摩琵琶を弾きだした頃すぐにそれを感じましたが、特に演奏技術の面で、右手首の使い方などが大変似ています。また音階も似ているし、崩れの部分の感情の出し方などにも、一つの通奏低音を思わずにはいられません。哀調を帯びた音楽という所でも、繋がりを感じます。それゆえ私には両方を行き来しても
ほとんど違和感が無いのです。今回は樂琵琶でしたので、薩摩琵琶よりも更に音階やリズムに全くストレスが無く、ギタリストの一人のような気持ちで演奏してきました。
フラメンコと邦楽それぞれに深い文化があることは、皆さんよくお判かりだと思います。音楽という具体的な形も勿論ですが、その根底に流れる文化こそ、大事にしていくべきだと思います。フラメンコの演奏家と一緒に居て思うのは、想いの情景がはっきりと見えて来る事です。
目の前で売れる売れない、という価値観だけでは文化は失われてしまいます。残念なことに、最近の邦楽の演奏を聴いていると、売れるかどうかが最優先で、「秘める」というような日本独自の崇高な表現や文化をほとんど感じません。世の中を見渡しても、同じように想いを秘めて行くような感性がどんどんと無くなってきていると感じます。日本のジプシーよろしく、放浪の琵琶法師を気取って演奏しても、思い入れだけでは伝わりません。外見のはったりや単なるスキルの部分で演奏されるようになったら、もう音楽としてお終いなのです。
どんな演奏でも、その先に何を想い、何を語りたいのか・・。そこがが一番大切なのではないでしょうか。そこに日本の文化が無ければ、いくら琵琶を弾こうが、それは日本音楽ではないのです。逆に何を弾こうと、自分の中にしっかりとした想いと文化を持っていれば、おのずからその姿は新しい日本音楽となって行くでしょう。邦楽はよくよく考えなければいけない時期にあると思います。
「敦盛」や「那須与一」をやるのは何故なのか、その先に何を語り伝えようとして、それらの曲を演奏するのか。ただお稽古の成果を披露するのなら身内のおさらい会でやれば良い事。お金を取る演奏会でやるのだったら、その先に想いがあり、それが確実に表現されていなければ人は聴いてくれません。お上手を披露しても感心されるだけです。
もう10年以上前、とある著名な音楽家の方に「もう薩摩や筑前の琵琶は、このままいくと歴史資料のようになって消えて行くと思うよ」と言われましたが、今になってみると、私も同じ事を感じます。
うちあげにて
ほとばしるような想い、魂の煌めき、民族の心・・。今邦楽に一番求められていることをフラメンコから学びました。

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戯曲公演「越の良寛」をやってきました。
今回は書き下ろしの新作ですし、能シテ方の津村禮次郎先生との共演でもあったので、戯曲に対し、どう音楽を付けて演奏したらよいか迷うところもありましたが、とにもかくにも私にとってこの舞台は、良寛という人物に出逢えた貴重な体験となりました。良寛は今後私の中で、永田錦心とともにとても大きな存在となって行くと思っています。
舞台そのものは、個人的にも色々と反省点もあるし、舞台全体としても未消化な部分も多かったと思いますが、本番で印象的だったのは、樂琵琶独奏と舞だけのラストシーンでした。津村先生は僧籍を持っている方でもあるのですが、劇中、良寛を演じている時には、実際に自分が修業時代に来ていた墨染めの衣を着て演じていました。しかしラストシーンでは面を付けて、少しだけ華やかな衣装で舞われました。私はその時「春陽」という曲を弾いたのですが、そこにはすでに言葉は無く、春の景色が描かれた扇を持ち、春の陽光に包まれるが如く、時を愛おしむように舞う姿だけがありました。良寛や彼を取り巻く人々の、次代へのあたたかい想いが昇華して、その数々の想いが津村先生の舞姿となって、戯曲の最後を締めたのです。その姿は良寛でもあり、維馨尼でもあり、貞心尼でもあり、また文台でもあった事と思います。私はあの姿を見ながら、個々の人物を超えた、肉体を超えた、時間をも越えた存在になっていると感じました。
あの何とも言えない空気は忘れられないですね。会場が澄み切った湖面のような雰囲気になり、弾いていて、私自身が湖面に漂っているような気がしました。

良寛に関しては、これまで子供と毬をつく優しいお坊さんという位のイメージしかなかったのですが、それは今回良寛を追いかけてみて、全く変わりました。今では自分と共通する部分を多く感じますし、大変に魅力的な人物に思えてなりません。
良寛は自分の人生を生きてゆく中で、自分の無力さを痛烈に感じていたのだと思います。自らの無力を知ったからこそ、大きな「はからい」によって生かされている命を自らの中に感じたのではないでしょうか。そしてその上で世の中としっかりと関わりを持って生き抜いた。決して隠遁生活をしていたのではなく、堕落した宗門から離れ、何を言われても最後まで己のやり方で慈悲慈愛の志を貫き、己の姿をどこまでも見つめ、自分の行くべき道を歩んだその人生に魅力を感じます。
書や詩に関しても、良寛のそれは定型というものが無い。勿論流派も肩書きも何も無い。子供のころから良い教育を受けていたので、学問や教養の素養はかなり高いレベルで持っていたようですが、そういう身に付けた知識や常識、権威のようなものに全くおもねることなく、どこまでも自由に感性を開き独自の道を通した。こういう部分に私は激しく惹かれるのです。
出雲崎
私も流派や組織とは離れ、全て自分が作った音楽作品を聴いてもらっているので、そんな意味でも良寛の生き方には感じるものがあります。今回の舞台をきっかけに、良寛の姿が一つの目標のように思えてきました。
私は、豊かな知性があってはじめて、想いも行動も実を結ぶと思っています。いくら独創的であっても、その土台となるものが無くては、独創性もただのアイデアで止まってしまいます。良寛の姿はそれを正に証明してくれたように思っています。その土台とは単なる知識とかではなく、物事をしっかりと見抜く本物の知性、そこを持っているかどうかです。良寛は一見自由に、気ままに生きていたように見えますが、そこに土台となる豊かな知性があったという事が、何よりも素晴らしいのです。
そういう本当の知性を持つことはなかなか大変です。人間は小賢しい知識など持っていると、かえってものが見えなくなるものです。自分の小さな頭だけで考え、頑張っている事に満足し、我流でただ気合入れてやっているだけに終わってしまう事が多い。それは自己満足の世界でしかない。積極的に学び、自分の無力さを感じ、「はからい」によって導かれている自分を感じてはじめて、自分の道を見出す。これが知性というものではないでしょうか。
良寛は、知識や技術、常識、権威・・そういうものに寄りかからず、そこを乗り越えて自ら歩むべき道を歩んでいきました。そして後世の我々に多くのものを残してくれました。そういう良寛に、私は共感と感謝を感じずにはいられません。
邦楽も今、自らの姿を見つめ直すことをすべき時期だと思います。都合よく流派や肩書きをひけらかしているようでは・・・・。まともな知性を持つべきだとだと思います。
良寛の無一物で生きた姿は我々に大きな示唆を与えてくれます。そしてその姿は実にすがすがしく思えるのです。
五合庵
良寛は生き方に関して矛盾が無いのだと思います。常に淡々と自分の行くべき道を歩む。批判されようが、何されようが自分自身に対し矛盾を許さない。徹頭徹尾純粋だったのではないでしょうか。そこには深い慈悲や慈愛の想いがあったればこそ、何者にも囚われない大きな世界を得、それが書や詩などのかたちで残ったのでしょう。我々はそれを見て、我が身を振り返り、良寛の大きな世界を前にして、ただ頭を垂れるばかり・・・。
現代人は「私」というものが良くも悪くも強い。強すぎる。だからどうしても物事に対し、自分が見えている所だけを見て、小さな自分の頭で判断を下してしまう。全てにおいて自分の感情が最優先で、己の世界が全てになっているのが現代人です。自分が見ている以外の所、自分の興味ないものに価値を見出さない。別の角度から物事を見て判断し、自らを振り返るという能力が著しく欠けている。自分自身もそういう所を自らの中に感じているので、良寛の常識や知識や権威等の一切のものに囚われない純粋さ、自分の無力を徹底的に感じている姿は、私に多くの事をもたらし、私の目を開いてくれるのです。
良寛の志は後に、鈴木文台、長谷川泰、吉岡弥生、野口英世ら多くの人々に受け継がれて行った事を初めて知ったのですが、やはり高い志、精神はどこかで必ず受け継がれてゆくのだな、と思いました。隠遁した坊さんなんて思っていた自分が恥ずかしくなりました。
良寛役の津村先生と
良寛自身も「はからい」によって導かれ、後にまた多くの人が良寛を通じて導かれた。今回私もまた導かれたように思います。
来年は良寛の事を琵琶唄にしてみようと思っています。どういう形になるか判りませんが、取り組むべき題材だと感じています。
今回の舞台は、音楽をやっていく上で良い機会となりました。
先日、新潟六日町のお寺 雲洞庵にて演奏してきました。
雨にもかかわらず大勢の方にお越しいただき、とてもいい雰囲気で演奏出来ました。このお寺はもう5、年ほど前に、六日町のイベントで演奏した帰りに連れてきてもらったところで、「いつかここで演奏会をやれたらいいですね」と言っていたのが、ここにきて実現したのです。ちょうどこの雲洞庵が大河ドラマ「天地人」の舞台となった頃に、主人公の直江兼続の曲を作って欲しいと六日町の方からいわれ、作詞作曲した曲があったのですが、今回もその曲「寒月の教へ」をメインに演奏してきました。
photo 酒井建
この雲洞寺は中越では一番大きなお寺で、タイトルの「雲洞庵の土踏んだか」という言葉は、修行者がこの雲洞庵の道場で学ばなければ、一人前の禅僧とは言えぬ、という所から出て来た言葉だそうです。それくらい大きなお寺だったという事ですね。
禅宗のお寺らしく、派手さは無く、しっとりと落ち着いた感じのするお寺さんでした。
ご住職も地味で、且つにこやかで気持ち良く迎えてくれたのが嬉しかったです。今回は通常の演目の他、雲洞庵の縁起を琵琶唄と朗読に仕立てて、地元のFM局 FM雪国の岡村アナウンサーと共にやってきました。
新潟にはもう10年以上前からご縁を頂いていて、特に湯沢、六日町ではどんどんと縁が繋がって行きます。今回も地元の方の集まりである「にいがた山賊の会」に急遽おじゃまして熊汁を食べてきました。またこの辺りは何と言ってもコシヒカリの産地ですから、皆さん米に対するこだわりと誇りが半端なかった。素晴らしい!。旅はなんといってもこういう出会いが楽しいのです。ただ演奏してくるだけではなくて、その土地の食べ物、酒、そして人々と関わって行く事が私の仕事なのです。


龍言の庭
そして今回泊まらせてもらったお宿はこちら。「温泉御宿 龍言」という古民家を移築して作った素敵なお宿でした。周りが木々に囲まれ、大きな池があり、滝もある素敵な場所で、心も体も癒されました。お世話になりました。
土地に触れ、人々と交わり、琵琶を聴いてもらって…、私は本当に面白い仕事をしているな、と実感した演奏会でした。
さて、のんびりとはしていられません。今週は31日の木曜日に戯曲公演「越の良寛」が控えています。脚本は和久内明先生、そして能シテ方の津村禮次郎先生との共演です。只今朝から晩まで稽古の真っ最中です。
杉並公会堂小ホールで18時30分開演です。ぜひぜひお越しくださいませ。
秋は毎年、良いお仕事をたくさん頂いて、本当に充実しています。年末からはまた創作の時期に入りますが、年明けにも一つ大きな舞台が決まりまして、なかなかゆっくりしてはいられません。まだまだ私の旅は続きそうです。
是非是非ご贔屓に。
この所雨が続き、急に寒くなりましたね。
秋の雨は詩情もたっぷりありますが、なんとなく寂しい気分にもなります。鬱々とした雨は心のどこかの部分にうったえるようで、静かであってもなかなか心
が落ち着かない事も多いものです。様々な事が沸き起こる日々の営みの中にあって、自分の行くべき道を迷わず淡々と進む事はなかなか難しいですね。
そんな日々ですが、先週は毎年恒例の北鎌倉古民家ミュージアムで、樂琵琶と笛の演奏会をやってきました。こういう時期はつくづく絹糸というものの繊細さに気が滅入りますが、倍音もテトロンと絹ではその豊かさがまるで違うので、やっぱりいくら大変でも絹糸を選んでしまいます。
湿気は天敵とはいえ、こういう時にこそ私の腕の見せ所。それに色々なヴァリエーションの曲を聞かせるのが、このチームREFLECTIONSの持ち味ですので、これからもめげずにどんどん演奏していきますよ。多分今後は薩摩琵琶より樂琵琶の演奏の方が増えてゆくと思います。ぜひご贔屓に願います。
そして次の日曜日には屋形船での演奏でした。残念ながら十六夜の月は見えませんでしたが、
三遊亭鳳楽師匠が司会をしてくれたおかげで、いい感じで盛り上がりました。この会はもう30年も続く「日本の酒と食の文化を守る会」が主催するものでして、老舗の蔵元の方々がご自慢のお酒を持ってきてくれましたので、私もあまり固い事を考えずに楽しむつもりで演奏してきました。勿論旨い日本酒をたっぷり頂いてきましたよ。たまにはこういうのも良いものですね。



今秋は詩情を感じる間もなく飛び回っています。今週末は新潟のお寺 雲洞庵で演奏会。上杉景勝 直江兼続にゆかりの古刹でたっぷりと語ってきます。更に月末は、和久内明先生脚本による戯曲公演「越の良寛」。能シテ方の津村禮次郎先生との共演です。そして月空けすぐには、フラメンコの川崎さとみさんの芸歴30周年のリサイタルがあり、新宿のエルフラメンコで「Sirocco」を弾いてきます。その間にも定例の両国の楽琵会、地元での琵琶樂人倶楽部、そして江戸手妻と相変わらずめまぐるしく仕事をして参ります。
こうして考えている暇なく、演奏して回っているのが私の人生。私は今自分がここに在るという事は色々な縁に囲まれているからこそでしょう。生かされているなどというと優等生的ですが、私も年を取ったのか、そんな言葉を想い、吐くようになりました。
生前H氏が言っていたような「愛を語り、届ける」程の人間には、私は到底成れそうにないですが、少なくとも私を取り巻いている縁に対し感謝を忘れないようにしたいものです。
さて、感傷に浸っている暇はありません。ヴォルテージ上げて行ってきます。
紀州ツアー第二弾。
今回は玉津島神社での演奏の前に、久しぶりに子供の寺 童楽寺にも伺いました。
以前より高野山での演奏会の前後にここに寄って、子供達や地域の人に琵琶を聴いてもらっていたのですが、高野山公演をお休みしてからはちょっとご無沙汰していました。
この童楽寺には大変志の高いご住職が居て、色々な事情で親元では暮らせない子供たちを預かっているお寺なのです。これまでにもここでは様々な子供たちに出逢いました。以前仏画の得意な子が私に書いてくれた弁財天の絵は、今でも我が家に飾ってあります。彼はどうしているかな~~。小さな、民家を改造して作ったようなお寺なんですが、笑顔の溢れるあったかいお寺なのです。
今回はこの童楽寺を卒業した若者も駆け付けてくれて3年ぶりの再会を祝いました。元気な姿でまた会えるというのは本当に嬉しいものです。今は職業訓練校に通って仕事を探しているようです。頑張れ!!
こういう場所があるというのはとても嬉しいです。またぜひ伺いたいと思っています。
玉津島神社奉納演奏の後には、先月に続き再びのアートキューブホール。玉津島でも演奏した日本書紀の衣通姫の歌と允恭天皇の歌の二曲をやってきました。途中は質問コーナーなどもあり、演奏会というよりはレクチャーコンサートという趣で、おしゃべりしながらのコンサートでした。ちょっと調子に乗り過ぎて雑学をしゃべりすぎたかな??
コンサートが全部終わってからは、海南市の山中にある蒲公英工房で一晩泊まってきました。まあ新潟の十日町の古民家も素晴らしかったですが、ここは上行きますね。山の中ではあります
が、玄関から前面がど~~んと開けていて、茅葺屋根の別棟もあるという素晴らしい環境。大変明るく、絶景なのです。夜は星々が無数に輝いて、空が近くに感じるほど。それに野生の熟し切った柿の甘い事!!



私の撮影ですので、この素晴らしさを表現するのは難しいのですが、将来はぜひこういう所に住みたいですね。
夜は動物の鳴き声や、虫の声、木々がざわつく音などに囲まれ、周りは街灯も何もないので、全くの闇に包まれます。この闇が何ともいいんですよ。都会には絶対無いのが、このまっさらな闇なのです。
昔の人はこの闇があったからこそ、星を、月を眺め、虫の声を聴き、木々のざわめきを肌で感じて、詩情を掻き立て、感性豊かに暮していたことでしょう。闇の中に居ると五感が鋭敏になって、動植物は勿論の事、山そのものが生きている事を実感できます。その中で我々人間は生かされている。そんなことを想わずにはいられませんん。
私がやっている音楽は、自然であることが大きなテーマです。だからマイクやアンプは極力使いません。場の響きと相まって音楽が鳴ると思っていますので、演奏する場にもこだわります。お寺や、雰囲気と響きの良いホール・サロンなどを狙って演奏会をやっているのも、琵琶の音がよりよく響き、聴いている人にしっかりと音楽が届くように考えているからです。場と音楽がおだやかに共鳴し合う事が、私の音楽の大前提なのです。それには音楽を演奏する場というものも大切な要素です。場に溶け合い、陽光にも闇にも溶け合い、聴きに来ている人皆に溶け合い、それでやっと音楽は音楽となります。どうだとばかりに肩書き並べて吐き出すような音楽では、何ものとも溶け合わないのです。
先月からの紀州ツアーでは、何処で弾いても琵琶の音が響き、届きました。音響的にはホールが一番でしたが、その他の所も、場に居る人々と共鳴し、琵琶の音はしっかりと鳴り響きました。
音楽を届けるというのは、いい仕事です。これからもいい仕事をしていきたいですね。