風の舞~今年もお世話になりました

今年も一年色々ありました。ありがたい事に毎年毎年良いお仕事を頂き、クオリティーも仕事量もどんどんと上がって来ている事に感謝以外の言葉が見つかりません。

1今年は年明けに、スウェーデン在住の盟友グンナル・リンデルさんと再会し、たっぷりと語り合いました。今はお互いそれぞれの道に進んでいますが、まだまだコンビネーションはばっちり。本当に楽しい時間でした。また同じ頃、哲学者の和久内明先生、能の津村禮次郎先生との出会いから、戯曲公演「越の良寛」に至り、良寛の足跡を辿る旅にも一緒に行かせてもらいました。来年はこの舞台の再演も決まり、気合も更に高まっています。

そして何より今年は江戸手妻の藤山新太郎先生とは本当に色々な所でお仕事をさせて頂きました。手妻に合わせての作曲に関しても、今までと違う分野でしたので良い経験になりましたし、料亭や見番、国立演芸場等々私の知らない世界で演奏出来たのは嬉しかったです。

お寺でも演奏を色々とやらせてもらいました。滋賀近江の常慶寺、大分臼杵の多福寺、新潟六日町の雲洞庵、和歌山かつらぎの童楽寺、玉津姫神社等、皆素晴らしいシチュエーションで演奏出来たことは嬉しい限りです。その他市ヶ谷ルーテル教会で日舞の花柳面先生と一緒に作った「久遠」も忘れ難い作品となりました。これから大きな作品へと成長するような気がしています。

和歌山では田中黎山君のリサイタル他、色々と演奏会をやりました。今後は和歌山コネクションが広がって行くと思っています。邦楽以外のジャンルでは、今年も郡司敦作品の初演をクラシックの音楽家と演奏し、他に、フラメンコダンサーの川崎さとみさんとの再会から、彼女のリサイタルで樂琵琶を弾いたのも刺激的な体験でした。

    soshinkai2013tanaka reizan20131104

琵琶樂人倶楽部もおかげさまで7年目に入いり開催も70回を超えました。これだけ続けられた事に充実感を感じています。来年もまた1年スケジュールが決まり、さらなる充実をしていきたいと思います。是非ご贔屓に。

そして今年は、Refrectinsの相方である、大浦典子さんと本当に沢山の仕事をしました。定例の北鎌倉古民家ミュージアムは勿論の事、「腰の良寛」の舞台、川崎さとみさんのリサイタル他、地方公演でも御一緒して、いずれも充実の演奏会をやる事が出来ました。
書き切れない程まだまだたくさんの演奏会に恵まれたことに感謝しかありません。24こうして一年を振り返り辿ってみますと、どう考えても、生かされているという実感が心の底から湧いてきます。私はどんな仕事でも全て私の作った曲を演奏しているので、いわゆる営業仕事は一切やっていません。そんな我儘なやり方をしている私が、こうして音楽家として生きて行く事が出来るのは、正に「はからい」以外の何物でもない、と思います。

音楽家というのは、常に綱渡りをしているような稼業なので、お教室のお師匠さんになって、こじんまり納まって行く方が多いです。若い頃は面白い事をやっていても、ある程度の年齢になると、何とか流師範みたいな看板を前に出し、流派名でリサイタルなんかやる人も居ますね。それも一つのやり方でしょう。そういうやり方を否定はしませんが、私は正直残念に思います。40代から50代60代は心身共に充実し、一番良い仕事が出来る時期。邦楽は年齢を重ねないと表現出来ないものも沢山ある音楽ですから、50代60代こそ、色々なものから解放されて、自由に独自の活動が広がって行くのが理想的な姿だと思います。是非多くの先輩達には素晴らしい音楽をもっともっと世の中に響かせて欲しいと思います。
私は私のやり方をこれからもやって行きます。邦楽の世界とは随分違うかもしれませんが、それが私の道なのだとつくづく思うようになりました。

演奏会1

人間生きていれば色々な事があります。嬉しい事楽しい事の陰には、辛い事も多々あるのが世の常。上手く行かない事もあるし、誤解されることもあります。疎遠になる方もいます。特に今年は親しい人の突然の訃報もあり、大変な衝撃を受けました。人生に目標を持って、努力を重ね生きて行くことは出来ますが、自分の力で生きているなんて思うのは、大きな誤解であり、奢りであるという事を、多くの事から改めて学んだ一年でもありました。

そんなこと、あんなこと、色々とありながらも、また「はからい」という悠々たる風の中を舞うが如く、来年を生きて行きたいと思います。

今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願い申し上げます。


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師走に響く

クリスマスは毎年世の中が華やいで、何となく気分も高揚してきますね。先日、東京フィルの第9演奏会に行ってきました。尾高忠明指揮、オペラシティーコンサートホールでの演奏でしたが、大ホールに満杯のお客様で、賑々しく、大変華やかな演奏会でした。

オペラシティー

演奏はなかなか充実したもので、細かな表現もしっかりと弾き切っていて、表情豊かで、さすがの演奏でした。お客様の表情も明るく、年末らしい盛り上がりで、気持ちの良い時間を頂きました。

その後、私の方も年末恒例となっている蕎麦道心での年忘れ琵琶会をやってきました。だいぶ規模は違いますが、これも私の年末行事。今回は「勧進帳」をメインに演奏したのですが、こういうものを第9の代わりに、恒例にしてやって行ったらいいんじゃないかな?なんて思っています。考えてみれば、年末はクラシックと言うのも何だか勧進帳変な話。年末位自分たちの音楽で盛り上がりましょうよ!歌舞伎なんかエンタテイメントとしては大変上質で、面白いと思うんですがね~~。「歌舞伎を観なくちゃ年が越せねえ!!」なんて声が聞こえた方が、日本は元気になって行くと思うのですが、如何でしょ?。

実は、年末は是非邦楽で年越し気分を味わいたい、と言うのが前々からの想いなんです。薩摩琵琶だったら「勧進帳」を3人の掛け合いでやるようなものが、丁々発止で実に面白いと思いますし、樂琵琶だったら、いつもの笛の相方に加え、歌や他の楽器もゲストに加えて、華やかな音楽を作っても良いかと思っています。勿論安易にクリスマスソングをやるなんてことは私にはあり得ません。あくまで新しい音楽をしっとりとやりますよ。

         童楽寺9子供の寺童楽寺にて

音楽には何よりも、演奏する側も、聴いている方にも、喜びが溢れている事が大事だと思います。その喜びは、目の前が楽しい、踊って笑って盛り上げて・・、という事ではありません。レベルの低い安易な賑やかし程空しいものはありません。個人的には賑々しいものより、静かに深く響いてくる音楽にこそ喜びを感じます。音楽の喜びを分かち合い、共感し、場に居る者皆の心が豊かになる・・・。音楽はそうであってほしいのです。邦楽にも、もっと柔らかな心で語りかける音楽が沢山あって良いと思います。父権的なパワー主義で「どうだ!」と威圧的に、権威的に押しつけようとするから、皆寄りつかなくなってしまうのです。先ずは相手を受け入れて、包み込まなくては。

波多野睦美2

それにしても、母性的な柔らかな感性で聴く者を愛情で包むような音楽が、何故邦楽には少ないのでしょう?日本人には宗教心や信心というものが薄いからなのでしょうか・・?私は若い頃からダウランドなどの歌が好きで、波多野睦美さんのCDなどは何千回聞いたか判らない位、今でも聞き惚れていますが、ダウランドはじめバッハ、現代ではメシアン、ミロシュ・ボクのような深遠な宗教音楽や芸術音楽が、日本にももっとあって良いと思います。新春を寿ぐ曲、年末に一年の感謝を分かち合う曲等々色々あって良いですよね。
これから邦楽も新しい価値観を持って、永田錦心のように新しい時代の音楽をどんどん作って行くべきだと思います。それが古典曲を活性化させるきっかけにもなる事でしょう。喜びに満ちて音楽をやっていたら、余計な重苦しい衣は必要無いのです。肩書きなんかさっさと下ろして、どんどん世の中に魅力ある音楽を響かせませんか。

   11-s地元の武蔵野教会神田教会

私はお寺で演奏する事が多いのですが、時々教会に行くこともあります。先日も神田教会に行った時、パイプオルガンの伴奏で歌う讃美歌を聞いていたら、敬虔な気分になってきました。テノールの声が素晴らしかったこともありますが、それだけ音楽に力があるという事です。加えてキリスト教の牧師さん、神父さんはどんな人にも優しく、愛で包むように接する方が大変多い。愛に溢れているという事は、今の時代とても貴重であり、大切であり、見習いたい姿勢だと思います。自分と同調しない相手に対し、汚い言葉をすぐに吐こうとする人が溢れている現代にこそ、こういう姿勢が必要ではないでしょうか。

毎度書きますが、愛を語れない音楽に魅力は無い。流派や階級などが先に来るような音楽では、誰もそこに魅力を感じないのは当たり前の事。私は日本音楽の魅力を発信したい。正統派でも、偉いでもない、喜びに溢れる音楽をやりたい。その為にもクオリティーの高いものでなくては!

史水回2012-5勧進帳熱演中

師走の風に吹かれて、想いが満ちてきました。


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夢の中へ

先日、ロイヤルバレエによるクリスマスの定番「くるみ割り人形」の公演が29か国に配信され、新宿の映画館にて観てきました。劇場からの衛星中継というのが何とも臨場感があって良かったです。(時差があるので生中継ではないようです)

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いや~~夢のような美しさでしたね。舞台も演出もなかなか凝っていて充実の内容でした。さすがはロイヤルバレエ!!私みたいなのが言うのも変ですが、西洋の美というものをしっかり見せてもらった、という感じでした。先日のパリオペラ座といい、ロイヤルバレエといい、世界の一流というのは凄いものですね。
クリスマスイブのパーティーの夜が舞台ですので時期もぴったり!。チャイコフスキーの名曲の数々と共にクリスマス気分を味わってきました。

3中でも主役のクララを演じたフランチェスカ・ヘイワードがとっても良い表情で、少女から大人の女性へと変わる微妙な時期の雰囲気をよく出していました。ヘイワードはロイヤルバレエスクールから入団した若手で、まだランクは下のようですが、これからが楽しみですね。写真が無いのが残念。プリンシパルのラウラ・モレーラ、フェデリコ・ボネッリ(写真左)も勿論この通り。日本人も崔由姫、平野亮一の二人がファーストソリストとして出演していて、特に崔は見事なダンスを披露していました。

美しいものを見ていると、心が柔らかくなります。殺伐としたものばかりに触れていれば、心もそうなって行くものです。常に視野を広げ、色々なものに接していることは芸術家には必須ですね。「こうでなければ」「こうであるべき」という思考は自らの感性を狭めてしまいます。私自身、陥りやすい所でなので、常に気を付けていますが、素晴らしい舞台、音楽、美術、文学等々あらゆる芸術と常に接して、視野と感性を広げる事は、同時に喜びであり、楽しみであり、人生の栄養です。

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バレエやオペラの華やかさ・・本当に素晴らしいレベルと芸術性があると思います。邦楽は、この華やかさをそのまま追いかけようとしたところに大きな問題があったと私は思っています。明治以降、洋楽を取り入れたことはけっして悪い事ではないと思っていますが、日本には日本の形とやり方がある。奈良平安の時代から、外の文化を受け入れ、熟成し独自の形にしてゆくのは、日本の素晴らしいやり方だったと思うのですが、明治以降は音楽に於いて、そうはならなかったですね。まだ時間が足りないのか??
振り返ると、薩摩琵琶では明治から大正時代にかけて、どんどんと新作を作り、時代が求めた音楽を作り演奏していた事が、何よりもその隆盛をもたらした要因だと思います。しかし現在は新作がほとんど出てきていない。私も少しは作曲していますが、こんなものではどうにもなりません。もっともっと流派に囚われない、旺盛な創作意欲を持った、芸術的感性に溢れる琵琶人が出てきて欲しいものです。
世代は変わって行きますし、時代も人々のセンスもどんどん変わります。常に時代に即した音楽が生まれるのは、クラシックだろうがジャズだろうが、歌謡曲だろうが同じことです。大正時代の薩摩琵琶は、明治大正という時代に於いて、その命が煌めいていた音楽だったからこそ、聴衆が求めたのでしょう。

バレエもオペラも、100年200年前の作品であっても、常に新しい感性を持って取り組み、演出をし、現代の芸術作品として創造しているからこそ、ヘンデルも、モーツァルトも絶賛されるのです。楽器の方も、演奏場所がサロンからホールへと変わって行った事に伴って、ホールでの演奏に合うように改良され、新しい音楽が次々と生まれて行きました。仏教でも、教祖の教えを後の世に、その時代に合うように翻訳する人が居たから、現在まで伝えられてきたのです。邦楽はどうでしょうか・・・?

今日本は、夢を持って生きるという事が難しくなってきている時代にあります。それは経済だけの問題ではないと思います。この今だからこそ音楽家が大きな視野と夢を持って、旺盛な創作意欲を発揮して、本来の日本を取り戻したいです。取り戻すのはけっして経済ではないですよ。文化と誇り、そして志です。

クラシックもバレエもオペラも素晴らしいですが、日本にも魅力ある文化がまだまだいっぱいあります。それをロイヤルバレエやMetのように世界へ、日本の舞台芸術として発信して行けるような時代になったらいいな、と思います。

世界一流のバレエを観ながら、日本の姿も見えてきました

変わりゆく時代(とき)

私が最も敬愛するジャズギタリストのジム・ホール氏が亡くなりました。83歳だったとの事です。言うまでもないですが、ジャズギターというだけでなく、音楽の世界に多大な功績を残した、正にワンアンドオンリーの方でした。

jim hall 2

ともすると、音楽の形式が通り一遍で、自由にアドリブをしているつもりでも、どれも似たようなものになってしまうビパップ以降のジャズに、アンサンブルという概念と形を定着させて、ジャズを芸術音楽へと発展させた一人と言えると思います。和声の面でも、それまでのギタリストが使っていたシンプルなものではなく、印象派が使うような響きへ、ジャズギターを理論面、技術面で発展させたことも大きな重要な彼の功績です。今第一線で活躍している面々が、こぞってジムホールを一番のフェイバリットギタリストに挙げているのも充分に頷けます。ジムホールが居なかったら、彼らも居なかったでしょう。

そんなジムホールですが、時代をリードする天才にしては珍しく、その人柄は大変穏やかで、知的な雰囲気を持った方で、音楽もとても繊細で、ジャズの定型を越え、耽美的ともいえるような表現も感じられるものでした。一般に天才というと、大概は「=濃い」みたいなタイプの人が多いですが、ジムホールは全く違う。常に穏やかで、にこやかで、静かな音楽を演奏し、それでいて多くの人を新たなる世界へと導いてくれました。

jim hall左の画像は「LIve!」というカナダトロントでのライブ盤レコードですが、この演奏を聴いて私はジャズに於けるアンサンブルの素晴らしさというものを知りました。振り返ってみると、人生の節目には必ずこのレコードを聴いていました。不思議なものです。現在の私がこうして音楽家としてやっている、その重要な要素にジムホールという人の音楽があったという事を今深く感じています。ジムホールの音楽に出逢っていなかったら、今の私は何をしていただろう??
もう10年以上前に「男の隠れ家」という雑誌が私の事を紹介してくれたのですが、その時も、若き日に一番影響を与えたレコードという事で、この「Live!」のジャケットを一緒に載せてもらいました。

日の出4

すでに出来上がった枠やレールの上で、そのカテゴリーの中で名人と言われるのでなく、自らレールを引いて行くのは、並の人間の出来る事ではありません。世阿弥、永田錦心、宮城道雄しかりです。
ジムホールの音楽は派手なものではないし、目立たないかもしれませんが、ジャズギターというものの内面的、質的変革を促し、後進に与えた影響は著しいものがあります。正に次世代の扉を開いたと言えると思います。また形もそうですが、質的変化をもたらした点に於いて、ジムホールには永田錦心と同じような質を私は感じます。
ジャズだろうが邦楽だろうが、出来上がった枠の中の優等生で終わる人がほとんどという中、自分の思い描く芸術世界を形に表し、且つ多くの人に感動を持って迎えられたという事は、素晴らしいとしか言いようがありませんね。
高い技術や音楽性は勿論の事、幅広い視野と深い思考、そして世の中とどう関わって行くか、そんな現実社会を捉える感性が無ければ、とても実現出来るものではありません。

これは1962年録音にピアニストのビルエバンスとデュエットで発表したレコード「Under current」(意表を突くジャケット画でもありますね)ですが、under current彼の音楽はこのエバンスに触発された面も大きかったことと思います。この演奏は、それまでのアドリブを主張し合うジャズではなく、「対話」によって音楽が出来上がっています。こういう方向性は、ジャズに於いては当時大変斬新なものでした。そしてギターの驚くような技法が垣間見られます。けっして派手ではないですが、これを初めて聞いた当時、いったいどうやって弾いているのか判りませんでした。

新しい世界を表現する人は技術もずば抜けています。宮城・永田の例を出すまでもなく、新たな世界は、感性だけでは成り立ちません。新たな技術が伴わないと姿を現さないのです。その技術は従来の感覚で言う所の、速く弾くとか大きな声が出るとか、皆が思うような上手さではないのです。
ジミヘンやヴァンへイレン、リストやパガニーニ・・、これら時代を創り上げ、天才と言われた人々は、何故天才と言われたか?。それは今までの発想・概念をはるかに超えていたからです。従来の価値観の中で良いか悪いかなんて発想をする人は、その延長上にしかいられない。天才達の音楽には、今までの価値観ではもう測ることが出来ない、そんな世界があったからこそ、伝統やしきたりに囚われたり毒されていない若い世代に、新たな時代の到来を示し、それが歴史となって行ったのです。

ジムホールの訃報を聞いて、改めて自分の原点となる音楽を見つめるきっかけになりました。永田錦心や宮城道雄と同じく、マイルスデイビスやジムホールが居なかったら、私というこのちっぽけな琵琶弾きも居なかったでしょう。それは私の中で武満、黛とどんどん繋がって行きます。皆レールの上に安住せず、独自のやり方で、独自の道を自ら切り開き、その音楽の姿を世にを現しました。そこには他に無い発想、視点、感性、そして技が溢れていました。私はこういう先人たちの音楽を聴いて育ったことが何よりも嬉しいです。残念ながら今の邦楽界にはそんな人は見当たりませんが、私は大したことは出来なくとも、先人達が求めた世界を進もうと思います。

蜈・判蜒・0048

ジムホールはきっと自分の使命を全うして旅立ったことでしょう。そして、我々は次の世代に何を残し、導くことが出来るのか、そんなことを改めて問われているようにも感じました。

ご冥福を。


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天降る音

先日、毎年恒例となっている創心会を近江楽堂でやってきました。

この創心会は毎年一回だけですが、もう6年続き、ここ何年かは近江楽堂での開催となっています。来年もまた12月の頭にやることが決まりました。私は、だんだん唄わない方向に仕事全体がシフトしてきているので、こうしたしっかりと弾き語りをする会は貴重なものになって来ています。

この近江楽堂は、教会風の作りになっていて、薩摩琵琶特有の打撃音にはちょっと気を付けないとバランスが悪くなってしまうのですが、天井がとても高く、音が上から降ってくるような感じに聞こえるのです。音に包まれるような感じとでも言ったらよいでしょうか。普段は古楽の演奏会が多い所なのも納得です。

そのせいか琵琶の微妙なかすかな音も余韻も、全部お客様に届くので、長いサワリ音の最後まで途切れることなく、円運動のように漂う琵琶の音の中に声が乗ってくる。正に私が狙っていた通りのサウンドがしっかりと客席に届きます。
今回の演奏会は、「祈りの海へ」というサブタイトルを付けました。今の日本を考えてたら、この言葉が天から降ってきたのです。この想いは皆様にはちゃんと伝わったでしょうか??

ルーテル音楽を形にするには色々な要素が必要なのですが、こういう響くところでは「間」というものは大事ですね。琵琶の場合サワリの具合で「間」も変わってきますので、気を遣います。実際に音が鳴っていようが無かろうが、そこに何かが持続しているように感じさせるからこそ「間」は成り立ちます。あくまで聞き手がそれを感じることが出来ないと「間」は成立しません。演者が感じていても聴き手にそれが伝わっていなければ意味はありません。「間」でも声でも、それらを自由自在にコントロールして、その先の表現を実現させるのが音楽家というものです。

言うまでもなく音楽の一番の土台には感性というものがあり、そこがあってこそ音楽が成り立ちます。 黛さんの言うように「音楽は祈りと叫びである」と私も深く思っていますが、その感性を具現化するには「技術」・「知識」・「理論」というものが無くては形になりません。
日本人は音楽に関してとかくテクニックや理論に偏見があり、技術なんて無くても想いさえあれば必ず伝わると思っている。千人針では鉄砲玉は止めてはくれないのです!。下手でも何でも、のめり込んでいる姿を「渋い」とか「熱い」などと評価する向きが大変に強く、外観ばかりに目が囚われる傾向が相変わらず強い。揚句に格好や肩書きにすぐ騙される。もしかすると音楽を聴いているのではなく、パーフォーマンスの方しか見ていないのかもしれません。やはり日本には芸術というものは根付いていないのでしょうか・・・・?
目に見えない様々な技術、知恵、理論、経験を縦横無尽に使いこなし、且つそれらに囚われることなくやった先に「表現」というものが現れて来るのです。音楽は感性が全てで、感性さえ磨けば技術なんて大して要らない、なんて幻想を未だに抱いている音楽家を見ると残念でなりません。

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そしてもう一つ、自分をここに導いた「縁」。これを感じる事も、音楽を形成する上でとても大切だと思います。万葉集に「玉鉾の 道行かずあらば ねもころの かかる恋には 逢はざらましを」という歌があります。これは意訳すると「あの道(朱雀大路)さえ行かなかったならば、夢中になるほどのこんな恋には出逢わなかったのに」という内容です。私も琵琶に出逢ってしまったのです。「縁」と言っても良いし、「奇跡」と言っても良いでしょう。
音楽家本人だけでなく、聴き手の方も「この音楽と出逢ってしまった」という事がよくあるのではないでしょうか。それだけ音楽は人生を一変させるような力があり、そこには「縁」や「奇跡」が満ちていると思います。

想い・技術・縁そういったものが皆集結して、音楽という深遠な存在となって目の前に立ち現れます。私は音楽に奇跡も喜びも感謝も、ある種の使命感も感じずにはいられません。

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今年ももう終わり、こうして毎年多くの仕事を頂き、様々な場所での演奏の機会を与えられる事に感謝と喜びを感じずにはいられませんね。だから中途半端な事は出来ないのです。
年明けには「まろばし」の公演もあるし、のんびりとしてはいられません。どんどん道を進まねば!
天降る音に導かれ、これからも精進します。
これからもご贔屓に。


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