変わりゆく時代(とき)

私が最も敬愛するジャズギタリストのジム・ホール氏が亡くなりました。83歳だったとの事です。言うまでもないですが、ジャズギターというだけでなく、音楽の世界に多大な功績を残した、正にワンアンドオンリーの方でした。

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ともすると、音楽の形式が通り一遍で、自由にアドリブをしているつもりでも、どれも似たようなものになってしまうビパップ以降のジャズに、アンサンブルという概念と形を定着させて、ジャズを芸術音楽へと発展させた一人と言えると思います。和声の面でも、それまでのギタリストが使っていたシンプルなものではなく、印象派が使うような響きへ、ジャズギターを理論面、技術面で発展させたことも大きな重要な彼の功績です。今第一線で活躍している面々が、こぞってジムホールを一番のフェイバリットギタリストに挙げているのも充分に頷けます。ジムホールが居なかったら、彼らも居なかったでしょう。

そんなジムホールですが、時代をリードする天才にしては珍しく、その人柄は大変穏やかで、知的な雰囲気を持った方で、音楽もとても繊細で、ジャズの定型を越え、耽美的ともいえるような表現も感じられるものでした。一般に天才というと、大概は「=濃い」みたいなタイプの人が多いですが、ジムホールは全く違う。常に穏やかで、にこやかで、静かな音楽を演奏し、それでいて多くの人を新たなる世界へと導いてくれました。

jim hall左の画像は「LIve!」というカナダトロントでのライブ盤レコードですが、この演奏を聴いて私はジャズに於けるアンサンブルの素晴らしさというものを知りました。振り返ってみると、人生の節目には必ずこのレコードを聴いていました。不思議なものです。現在の私がこうして音楽家としてやっている、その重要な要素にジムホールという人の音楽があったという事を今深く感じています。ジムホールの音楽に出逢っていなかったら、今の私は何をしていただろう??
もう10年以上前に「男の隠れ家」という雑誌が私の事を紹介してくれたのですが、その時も、若き日に一番影響を与えたレコードという事で、この「Live!」のジャケットを一緒に載せてもらいました。

日の出4

すでに出来上がった枠やレールの上で、そのカテゴリーの中で名人と言われるのでなく、自らレールを引いて行くのは、並の人間の出来る事ではありません。世阿弥、永田錦心、宮城道雄しかりです。
ジムホールの音楽は派手なものではないし、目立たないかもしれませんが、ジャズギターというものの内面的、質的変革を促し、後進に与えた影響は著しいものがあります。正に次世代の扉を開いたと言えると思います。また形もそうですが、質的変化をもたらした点に於いて、ジムホールには永田錦心と同じような質を私は感じます。
ジャズだろうが邦楽だろうが、出来上がった枠の中の優等生で終わる人がほとんどという中、自分の思い描く芸術世界を形に表し、且つ多くの人に感動を持って迎えられたという事は、素晴らしいとしか言いようがありませんね。
高い技術や音楽性は勿論の事、幅広い視野と深い思考、そして世の中とどう関わって行くか、そんな現実社会を捉える感性が無ければ、とても実現出来るものではありません。

これは1962年録音にピアニストのビルエバンスとデュエットで発表したレコード「Under current」(意表を突くジャケット画でもありますね)ですが、under current彼の音楽はこのエバンスに触発された面も大きかったことと思います。この演奏は、それまでのアドリブを主張し合うジャズではなく、「対話」によって音楽が出来上がっています。こういう方向性は、ジャズに於いては当時大変斬新なものでした。そしてギターの驚くような技法が垣間見られます。けっして派手ではないですが、これを初めて聞いた当時、いったいどうやって弾いているのか判りませんでした。

新しい世界を表現する人は技術もずば抜けています。宮城・永田の例を出すまでもなく、新たな世界は、感性だけでは成り立ちません。新たな技術が伴わないと姿を現さないのです。その技術は従来の感覚で言う所の、速く弾くとか大きな声が出るとか、皆が思うような上手さではないのです。
ジミヘンやヴァンへイレン、リストやパガニーニ・・、これら時代を創り上げ、天才と言われた人々は、何故天才と言われたか?。それは今までの発想・概念をはるかに超えていたからです。従来の価値観の中で良いか悪いかなんて発想をする人は、その延長上にしかいられない。天才達の音楽には、今までの価値観ではもう測ることが出来ない、そんな世界があったからこそ、伝統やしきたりに囚われたり毒されていない若い世代に、新たな時代の到来を示し、それが歴史となって行ったのです。

ジムホールの訃報を聞いて、改めて自分の原点となる音楽を見つめるきっかけになりました。永田錦心や宮城道雄と同じく、マイルスデイビスやジムホールが居なかったら、私というこのちっぽけな琵琶弾きも居なかったでしょう。それは私の中で武満、黛とどんどん繋がって行きます。皆レールの上に安住せず、独自のやり方で、独自の道を自ら切り開き、その音楽の姿を世にを現しました。そこには他に無い発想、視点、感性、そして技が溢れていました。私はこういう先人たちの音楽を聴いて育ったことが何よりも嬉しいです。残念ながら今の邦楽界にはそんな人は見当たりませんが、私は大したことは出来なくとも、先人達が求めた世界を進もうと思います。

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ジムホールはきっと自分の使命を全うして旅立ったことでしょう。そして、我々は次の世代に何を残し、導くことが出来るのか、そんなことを改めて問われているようにも感じました。

ご冥福を。


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天降る音

先日、毎年恒例となっている創心会を近江楽堂でやってきました。

この創心会は毎年一回だけですが、もう6年続き、ここ何年かは近江楽堂での開催となっています。来年もまた12月の頭にやることが決まりました。私は、だんだん唄わない方向に仕事全体がシフトしてきているので、こうしたしっかりと弾き語りをする会は貴重なものになって来ています。

この近江楽堂は、教会風の作りになっていて、薩摩琵琶特有の打撃音にはちょっと気を付けないとバランスが悪くなってしまうのですが、天井がとても高く、音が上から降ってくるような感じに聞こえるのです。音に包まれるような感じとでも言ったらよいでしょうか。普段は古楽の演奏会が多い所なのも納得です。

そのせいか琵琶の微妙なかすかな音も余韻も、全部お客様に届くので、長いサワリ音の最後まで途切れることなく、円運動のように漂う琵琶の音の中に声が乗ってくる。正に私が狙っていた通りのサウンドがしっかりと客席に届きます。
今回の演奏会は、「祈りの海へ」というサブタイトルを付けました。今の日本を考えてたら、この言葉が天から降ってきたのです。この想いは皆様にはちゃんと伝わったでしょうか??

ルーテル音楽を形にするには色々な要素が必要なのですが、こういう響くところでは「間」というものは大事ですね。琵琶の場合サワリの具合で「間」も変わってきますので、気を遣います。実際に音が鳴っていようが無かろうが、そこに何かが持続しているように感じさせるからこそ「間」は成り立ちます。あくまで聞き手がそれを感じることが出来ないと「間」は成立しません。演者が感じていても聴き手にそれが伝わっていなければ意味はありません。「間」でも声でも、それらを自由自在にコントロールして、その先の表現を実現させるのが音楽家というものです。

言うまでもなく音楽の一番の土台には感性というものがあり、そこがあってこそ音楽が成り立ちます。 黛さんの言うように「音楽は祈りと叫びである」と私も深く思っていますが、その感性を具現化するには「技術」・「知識」・「理論」というものが無くては形になりません。
日本人は音楽に関してとかくテクニックや理論に偏見があり、技術なんて無くても想いさえあれば必ず伝わると思っている。千人針では鉄砲玉は止めてはくれないのです!。下手でも何でも、のめり込んでいる姿を「渋い」とか「熱い」などと評価する向きが大変に強く、外観ばかりに目が囚われる傾向が相変わらず強い。揚句に格好や肩書きにすぐ騙される。もしかすると音楽を聴いているのではなく、パーフォーマンスの方しか見ていないのかもしれません。やはり日本には芸術というものは根付いていないのでしょうか・・・・?
目に見えない様々な技術、知恵、理論、経験を縦横無尽に使いこなし、且つそれらに囚われることなくやった先に「表現」というものが現れて来るのです。音楽は感性が全てで、感性さえ磨けば技術なんて大して要らない、なんて幻想を未だに抱いている音楽家を見ると残念でなりません。

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そしてもう一つ、自分をここに導いた「縁」。これを感じる事も、音楽を形成する上でとても大切だと思います。万葉集に「玉鉾の 道行かずあらば ねもころの かかる恋には 逢はざらましを」という歌があります。これは意訳すると「あの道(朱雀大路)さえ行かなかったならば、夢中になるほどのこんな恋には出逢わなかったのに」という内容です。私も琵琶に出逢ってしまったのです。「縁」と言っても良いし、「奇跡」と言っても良いでしょう。
音楽家本人だけでなく、聴き手の方も「この音楽と出逢ってしまった」という事がよくあるのではないでしょうか。それだけ音楽は人生を一変させるような力があり、そこには「縁」や「奇跡」が満ちていると思います。

想い・技術・縁そういったものが皆集結して、音楽という深遠な存在となって目の前に立ち現れます。私は音楽に奇跡も喜びも感謝も、ある種の使命感も感じずにはいられません。

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今年ももう終わり、こうして毎年多くの仕事を頂き、様々な場所での演奏の機会を与えられる事に感謝と喜びを感じずにはいられませんね。だから中途半端な事は出来ないのです。
年明けには「まろばし」の公演もあるし、のんびりとしてはいられません。どんどん道を進まねば!
天降る音に導かれ、これからも精進します。
これからもご贔屓に。


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音楽の喜びⅣ

先日、府中の森芸術劇場で開催された、どりーむコンサート オーケストラの扉Ⅱに行ってきました。この公演は桐朋学園オーケストラによるもので、指揮は沼尻竜典、ソリストに仲道郁代を迎えての公演でした。

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学生のオケという事で、実はさほど期待もしていなかったのですが、聴いてみたらなかなかのもの。さすが桐朋!レベルが高い。全体がよくまとまっていて十二分に聴きごたえがありました。若さというものはやっぱりいいですね。とにかくフレッシュな響きにとても好感が持てました。オケのメンバーが皆良い顔をしているし、彼らの姿に音楽をやっている喜びを感じました。今、彼らと同じ年代の邦楽人で、これだけの技術を有している人を見かけたことは無いです。底辺の広さが違うのでしょうね。

最初の曲はラベルのツィガーヌ。ソリストは学園内オーディションで選ばれた女性(Vi)で、堂々とした自信に満ちた演奏でした。音色もなかなか良かったです。あの技術と度胸は今後に大いに期待できます。
2曲目は仲道郁代氏を迎えて、グリークのピアノ協奏曲作品16。仲道さんの演奏は初めて聞いたのですが、正直びっくりしました。細部まで神経が行き渡り、且つダイナミック。ちんまりとおさまったような器の小さいものとは違い、芯がしっかりとしていて、おおらかさがあり、ppからffまでその豊かな音色に大いに魅了されてしまいました。特にppは美しかったですね。弾き姿も変に構え過ぎず素敵でした。日本人でこういう演奏家は久しぶりです。素晴らしかった。
3曲目はベートーベンの交響曲7番、「のだめ」でも有名になった曲ですが、とてもよくまとまっていたと思います。勢いを感じました。弦の音色もなかなか美しかったです。

クラシックの底辺の広さ、そして華やかさ、キャパの大きさ、どれを見てもその世界の豊かさは素晴らしい。演奏者もリスナーも、とにかくクラシックに関わっている数が多く、皆の視線が世界に向いていて、見ている世界が大きい。この大きな世界観が高いレベルと人材を生むのですね。私はまだまだ小さな邦楽・琵琶という世界に囚われている。もっとそういう部分から解放されて、自分の想う所、行くべき所を進むべきだ、と改めて思いました。

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聴きながら、琵琶について、邦楽について多くの事を感じました。自戒の意味も含めて普段から思っていることを少し書いてみようと思います。
琵琶関係の色々なサイトを見ても、弦や撥、声についてごくごく個人的なこだわりを書いてあるものは少し見かけますが、ついぞタッチについて書いてあるものは見たことが無いです。これは現在の琵琶の現状をよく表していると思います。アンドレスセゴビアは自分の求める一音を得るために、何日も何日もかけてタッチを研究したそうですが、実際に今まで琵琶の音で聴衆を納得させるような演奏にはお目にかかった事が無いのです。三味線のように早い段階から弾きと唄が別れたものは、両方について様々な研究がなされているのに、薩摩琵琶はそのどちらも研究が深まっていないのが現状です。

琵琶は語りだ、とよく言われます。雅楽の後、中世からは確かに語り物の伴奏として琵琶楽が出来上がってきました。しかし語りの方がどれだけ成熟したのでしょうか。平曲には色々と語り節のバリエーションがあり、声に様々な表現方法がありますが、残念ながらそれが継承されず、近代からの薩摩琵琶には節のバリエーションが少なく、終始フォルテ気味で、ダイナミックレンジが狭い。ppによる声の表現等全くありません。先日、童謡歌手の方と御一緒させていただきましたが、一つの音に何回ヴィブラートを入れるか、それによってどんな表現が出来るか、日本語を伝えるということを徹底して考え歌っていると言っていました。こういう所から見ると、現在の薩摩琵琶の唄は、あまりにも大雑把と思えます。

楽器の方もこんなに魅力的な音色を持っているのに、演奏の表現はまだまだ幅が狭いと感じます。歌詞はドラマチックなものも多いだけに残念です。言葉には出来ないような心情や事象、神秘性等々、人間と人間を取り巻く社会にはとても奥深いものが在る筈。言葉を超えたその先の世界、そこを表現するのが、この妙なる琵琶の音ではないですか。嬉しい悲しいだけの喜怒哀楽だけでは人生は語れないし、言葉だけではとても表現できないと、皆さんが思っているはずです。だから音楽にするのではないでしょうか。言葉ではなく、音だからこそ伝わるものがあるのは誰もが感じている事と思います。もっと琵琶の妙なる音で語り、表現したいですね。

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手妻の藤山新太郎先生の代表的な演目「蝶のたはむれ」は、こよりで作った蝶で表現するから深い感動を生むのです。こよりの蝶という抽象性があってこそ、その移りゆく姿が観衆の創造性・想像性を刺激して、様々な想いを歓喜させ、豊かなものが満ち伝わるのです。能の翁とおなじです。抽象性こそは中世日本が完成した精神文化だと思っています。「わび」から「さび」へと移りゆく劇的ともいえる感性の変化と熟成は、日本の誇るべき精神文化であり、日本人の感性の根幹です。

能役者が悲しさを表現する時は、言葉を発せず、動きさえも止める事が多いです。ここで悲しいと言ってしまったら、そこにはもう普遍性は消え失せ、ごく個人的な感情しか出て来ない。言葉にしないからこそ、動かないからこそ、観衆は自分の中の秘めたる想いを感じ、舞台と感応し、満ち、表現は伝わって行くのです。想いを秘めるという文化は日本独自のものです。そこを忘れて、吐き出すようなものでは表面的で浅いものにしかならない。

語り物をやる以上、言葉は必要でしょう。でも言葉に寄りかかってはいけない。言葉を超えた世界、言葉に出来ない想いを、声と琵琶の音で表してこそ、曲の持っている世界がより膨らみ、人々の心に届くのではないでしょうか。
音楽の持つ深遠な世界を忘れてはいけない。ベンベンやるだけだったら、別に琵琶を弾かなくてもいいのですから・・・。琵琶の音でなくては、どうしても表現来ない「もの」が在る筈です。その一音の為に、その一音を求めて我々は精進しなくては!私は何時もそんな想いで弾くことにしています。

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以前知人に琵琶を聞いてもらって、色々と話をしていたら「民族音楽なんてそんなものだよ」と言われたことがありますが、正直私はその時悔しかった。しかし実際琵琶の現状を見ると確かに言われる通りだと思いました。今の琵琶楽は大変残念ですが、唄でも弾法でも他のジャンルと対等に渡り合えるような技術レベルが無い。平家でも何でも、それをやって現代の人を惹きつけるような魅力がどれだけあるだろうか。結局珍しいものの域を超えていないようにも思えます。民族音楽というレベルにすら至ってない。

しかしここで止まる訳にはいかないのです。日本の感性を土台に、能のように世界に受け入れられてゆくレベルのものにしてゆきたい。琵琶楽を個人的な好みの世界や、お稽古事の世界で止めたくない。クラシックやジャズと同じ土俵で考える訳にはいかないですが、今回のグリークやベートーヴェンのプログラムと並んでも充分に観衆に受け入れられる内容とレベルのあるものを作り、自信を持って演奏したい。
以前オーケストラがバッハの作品を演奏し、そのすぐ後、オケを舞台に残したままで、オケの前で私の琵琶と尺八による「まろばし」を演奏したことがありましたが、ああいう場に於いても、日本の音楽としてバッハと対等に聴いてもらえるようでありたい。媚もへつらいも無く、自信を持って我々の音楽の素晴らしさを聴衆に届けたいのです。グリークがあの協奏曲を作曲したのは25歳の時ですよ。琵琶人も頑張らねば!!

先ずはもう一度日本の誇るべき精神・感性を見直して、その上で徹底した技術レベルの向上が必須です。熱い気持ちや想いがあれば伝わるなんて事は単なる思い上がり。アマチュアの発想。唄も楽器も両方やりたいのなら、歌手やギタリストの倍の練習が必要なのです。琵琶の「珍しい楽器」という部分に胡坐をかいてはいけないのです。

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若者たちの質の高い演奏。それを暖かく見守る、世界で活躍する先輩達。本当に素晴らしかった。良い舞台を観て、大いに想いを新たにしました。


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尊きもの

先日、杉並公会堂大ホールにて、郡司博プロデュースによる公演で演奏してきました。

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こちらは今回共演の作曲家 郡司敦、尺八の田中黎山、筝の中島裕康の各氏。この他にもクラシックの演奏家達と一緒に演奏したのですが、皆さん本当に次世代を担ってゆく逸材だと思います。良い仕事ぶりでした。

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演目は、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」、郡司敦の「火の光」、カールジェンキンスの「平和への道程」それぞれに重い大作が3曲並びました。
1曲目の「月に憑かれたピエロ」は、押しも押されぬ現代音楽の名曲。現代音楽はここから始まったと言ってもよい音楽史上最重要な作品です。日本ではほとんど上演されませんが、ヨーロッパではなかなかの人気曲で、毎年何度も上演されるようです。今回は歌詞を日本語に翻訳して挑んだ挑戦的な演奏でした。ちょうど作曲されてから100年。薩摩琵琶と正に同じ時代を生きた曲であり、私も大変影響された曲ですが、生演奏で聞くのは初めてでした。
私が演奏したのは2曲目の郡司敦君の作品。これまで毎年必ず彼の作品の初演に立ち会っているのですが、どんどんクオリティーが上がって来ています。邦楽器の扱いについてはまだまだ考察の余地がある、とは思いますが、この曲はきっと彼の代表作になって行くでしょう。今後に期待が持てますね。
3曲目のカールジェンキンス作曲の「平和への道程」これが凄かった。コソボ紛争を題材とした曲ですが、あの悲惨な戦争をぞっとするほどリアルに描きながら、平和への讃歌を高らかに歌い上げていく作品でした。途中にイスラム教で歌われるアザーンの歌唱も入り、大合唱によるシンプルなメロディーの反復と相まって、平和への希求とその尊さを聴き手にしっかりと届けました。いや~~聴いていて涙が出て来ましたね。

「平和への道程」は皆さんかなり感激された方が多く、多くの意見が寄せられたようです。
宗教や民族、国家等様々なカテゴリーを作り対立してしまう人間。その人間の創り出した社会は、善も悪も立場によって逆転し、もはや人間には判断がつかない。終わる事のない対立、繰り返される戦争がいかに悲惨で、人間にとって無益なのか・・・。26 杉公1色々な事を考えさせられました。

人間にとって尊きものが何なのか、社会の中で生きる我々は忘れがちです。一つの枠の中に入ると、どうしてもその枠の中での常識や哲学、イデオロギー等々に自分でも意識しない内に縛られて、見えるものも見えなくなってしまう。そしていつしか溢れる情報や物の中で、身を守るために、興味の無いものに価値を見ようとせず、他を卑下し、やがて自らの中に正義という幻想を生み出し、それを正当化するために排他的な民族主義・選民思想という偏狭な眼差しを作り出しているのではないでしょうか。

私は常々キャリアや肩書きを振りかざす音楽人の姿に対し色々と書いていますが、奥伝だの、名取だのを盾に自分は正当であると宣言し、他をこき下に見るような言葉を聞くと心底悲しくなります。精神や文化を担う者が、そんな偏狭な幻想に囚われているようでは、世の中に平和なんてありえない。我々こそがボーダーラインを超え、手を差し伸べて行かなくては!そう思いませんか。

3私は琵琶唄でも、斬った張ったという内容のものは唄いません。音楽の先の伝えるものが明確に表現できるのなら、戦いの場面も一つの表現として時には必要でしょう。しかし合戦物をエンタテイメントとして、冒険活劇のように名調子でやっていた結果がこの現状です。私は琵琶楽がそんな浅いものではないと思うし、もっと深い所を語る事が出来るはずだと思っています。いつも書いているように愛を語れない音楽を誰が聴くのでしょう?。リスナーは、声が出ているとか練れているとかそんな技を聴いている訳ではないのです。
何を語り、唄い、何処に向かって、何故唄うのか。想いを持って、その先の世界も見据えてはじめて伝わって行くと思っています。お得意技を披露している、お稽古事では何も伝わらないのです。

拳よりは抱擁を、武器よりは楽器を誰もが望んでいるはずです。殺し合うよりは愛し合う方が美しいでしょう。他に汚い言葉を浴びせかけるよりは、笑顔で握手する方が素晴らしいでしょう。誰もが判っていながらそれが出来ない。自分を優位に立たせたい、自分や仲間は選ばれし特別な存在だと思いたい。人間はいつの時代も弱い存在です。
共生という言葉はもう使い古されたような感がありますが、異質なもの同士がお互いを認め、共に生きて行く事をしなければ、また同じ歴史を繰り返すしかない。
「平和への道程」を聴きながら、何故皆が平和を願い、平和に喜びを感じているのに、争いは終わらないのか。今この時代だからこそ考えるべきであり、次の時代を生き抜く感性や哲学が今こそ必要だと思いました。そしてこの曲は今こそ演奏されるべき曲ではないかと思いました。

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終演後に、共演の仲間たちと打ち上げをしていて、こうして音楽を創り演奏して人生を全う出来ていることが、本当に喜びなんだと、じみじみと感じられました。皆本当に良い顔をしている、ジャンルも年齢も関係なく、喜びが溢れている。本当に尊き仲間達です。色々な音楽に接し、文化に接し、多くの人と出逢う事はとにかく素晴らしいのです。
私に出来る事は、つまらない冠の付いた音楽ではなく、H氏が残した言葉のように、愛や喜びのある音楽を創り演奏する事だと改めて思いました。

五線譜の風景Ⅱ

少し前になりますが、オペラシティーアートギャラリーで開催されていた「五線譜に書いた夢~日本近代音楽の150年」展に行ってきました。

明治時代が始まって150年。この150年は日本史の中でも日本音楽がこれほど変化激動した時代は、日本の歴史史上なかっただろうと思います。それが洋楽の導入によって始まったのはご存じの通り。その軌跡を観て辿りながら、大変感慨深いものを感じました。そしてまた今の私達の姿が良く見えてくるような想いがしました。

日本の音楽は、明治という新しい時代に洋楽と出逢う事で「芸術」という概念が芽生え、「表現」という意識も発展してきました。これは明治以前には見られなかった大変に大きな変化です。文学の分野も同じですね。
今はどんな分野に於いても表現するという事が当たり前ですが、日本の音楽には自己表現という意識が元々希薄なのです。雅楽や平曲などを実際演奏してみると、人それぞれ個性はありますが、自己表現とは程遠いと感じてなりません。「私」というものを音楽の中に持ち込まない。むしろ自分を無くすような方向を向いていると思います。この辺が元々の日本文化なのでしょう。だとしたら、この日本文化の根底にある感性を、現代社会に生きる我々がどういう風に捉えるか、そこが今後の日本音楽の大きなポイントとなると思います。

海神道少し前には尺八でも、古典本曲を大胆な独自の解釈で演奏するというのが流行っていました。海神道、横山先生などはその先端を行っていましたね。私はその活動を現代に於ける古典の在り方として高く評価していますが、そういうやり方自体が、明治以前には無い、新しい日本音楽の接し方だとも思っています。

明治からの日本の音楽事情については多くの意見がありますが、洋楽をいち早く取り入れたことが、邦楽に携わる人々の意識を変え、邦楽を単なる民族音楽の枠から飛び出させ、同時に日本社会も世界舞台へと向かって行った事は確かだと思います。あの政治的変革が無ければ、今の日本はありえません。
表現や芸術という概念に関して私なりに想う事は多々あります。しかし今、邦楽全体にこの辺りの事がとても曖昧で、古典に対する姿勢もかなりあやふやになっていると感じるのは私だけではないと思います。
今回の展示を見て、明治以降の日本の音楽状況を辿りながら、色々な想いが私の中に沸き起こりました。そして何時もながらのセリフですが、今琵琶楽の器が問われているように思えてなりません。

etenrakuさて、譜面という部分に視線を向けてみましょう。先ず一番最初に判って欲しいのは、音楽はどんなジャンルの物でも紙の上には表せないという歴然たる事実です。譜面は伝えるための手段でしかない。
先ず、琵琶や尺八で今使われている譜面よりも五線譜の方が情報量が豊富なのは、一目瞭然です。だからといって五線譜でも琵琶の微妙なニュアンスは表せません。それでも琵琶譜のように、見た所でテンポも
リズムも音高も判らない単純なタブラチュア譜よりは、明確に音楽の姿を捉えることが出来ます。現行の琵琶譜は明治になって出来たもののようですが、稽古してない人には何が何だか判らないでは、譜面として機能していないという事です。演奏者のメモ書きのようなものでしかありませんね。私は琵琶譜を使う場合、リズム記号や音の強弱等を書き足したりして、五線譜の各記号をミックスして使う事が多いです。
五線譜や雅楽譜の優れているところは、調、リズム、メロディーの正確な音高等、演奏に必要な情報がちゃんと記されている点です。だから秘曲など1000年以上前の譜面でも音楽の姿が判る。これが凄い。勿論それをただ演奏しても音楽にはなりません。そこに命を吹き込むのはいつの時代も演奏家です。ここを忘れてはいけないのです。
薩摩琵琶に古典曲が残っていないのは、演奏するという事に重きを置いていて、「残す」という事に意識があまりなかったからでしょう。もし残したいのなら、筝曲のようにもう少し誰にでもわかるように譜面を工夫し、なるべく多くの情報を書き残そうとしたはずです。また筝曲などとは違い、作曲という概念自体も無かったのだと思います。

五線譜を嫌う邦楽人の一番の誤解は、五線譜に書かれていると  拙作siroccoの譜面
まるで無機質の打ち込みシロッコ五線譜4-s音楽のようになる、と思い込んでいるところでしょう。これは全くの誤解であり、勉強不足であり、大いなる勘違いです。クラシックでも五線譜に書かれていることを自分で読み取り、そこから自分の音楽を紡ぎ出して、初めて音楽となって鳴り響くのです。この「音楽を紡ぎだす」という大変重要で大切な行為を知らない演奏家には何を言っても判ってもらえません。特にちょっと五線譜が読めると思い込んでいる人に一番この誤解が多いですね。自分の感覚に頼り切って、自分の頭の中だけで完結している人と言っても良いかもしれません。まあ、世の中何事もちょっと知っているが為にものが見えないという事は往々にしてありますが・・・。

大雑把な言い方をすれば、邦楽で使われている五線譜という手法は、ブロークン英語のようなものです。クラシックとは捉え方が違います。ジャズでもそんな感じですが、私はそれでよいと思います。譜面はとにかく情報が伝わってなんぼです。五線譜を使ったからと言ってもクラシックをやる訳ではないのです。邦楽というジャンルに於いては共通言語としての役割があれば良い。より詳しく、判り易く記録し伝える為に、五線譜の方が情報が豊富で有効だという話です。音楽となって行く手助けになればよいのです。その為には豊富な情報をしっかり伝える方が良い。洋楽としての正確な音程を出す必要もないし、自由に間を感じて演奏すればよい。現代音楽に見られるように小節線の無い譜面などは今や普通にクラシックでも使っています。五線譜と言っても色々な記譜のやり方があるのです。譜面を元にして、音楽家各自がそれに命を与えて、音楽を作り上げてゆくのは、邦楽でも洋楽でも同じなのです。五線譜に書かれている情報を元に、邦楽は邦楽のやり方でそれを実現すればよい。五線譜を豊富な情報が詰まった共通言語としてどんどん活用すればよいと思います。

永田錦心永田錦心
第二次大戦後は新邦楽、現代邦楽と言われる運動が具体的になって来ましたが、元々明治に出来た錦心流琵琶や都山流尺八などは、最初からモダンスタイルをその大きなテーマとしてきました。以前にも書きましたが、永田錦心は琵琶新聞の中で、これからは洋楽を取り入れて新しい琵琶楽を創って行く、と宣言しています。その永田錦心から生まれた錦や鶴田流などは正に現代邦楽の申し子と言えるでしょう。私が錦心流や鶴田流に縁があったのも当然の成り行きだったことと思います。新しい形を作りだし、新たな琵琶楽を創造するのは、永田錦心以来の使命・宿命、そして伝統でもあると感じています。

邦楽が、単なる日本の民俗音楽という枠を出て、社会のグローバル化に伴って、色々な地域、色々な世代に広がっている状況では、琵琶も弾き語りだけというのはもはやあり得ない。色々な楽器との合奏もどんどん増えて行くだろうし、次世代の琵琶楽もどんどん作るべきだと思います。それに伴い共通言語としての五線譜はこれからどんどんと活用されるべきだと思います。明治以降、音楽を芸術や表現として捉える感性が日本人の中にも広がって行ったことにより、音楽を書き表し、録音し、より多くの人に伝えて行く手段として邦楽の中に於いても五線譜が発達していったのは当然の事であると思うのです。

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民族音楽は生活の中から出て来た音楽ですので、PCやスマホいじりながら音楽だけは昔の感じでやりたいというのでは、昔風のレトロ感を楽しんでいるに過ぎない。趣味でやっている分には結構なことだと思います。琵琶楽を民族音楽と捉えるならば、現代に生きる人々の生活の中から出て来る琵琶楽があって当然。明治大正の時代には確かにそうしたものがありました。だから現実生活を抜きにして過去のものを過去の形のまま楽しんでいるという事は、もはや民俗音楽としての資質を有していないとも言えるでしょう。

武満作品はじめ、エンタテイメントでない所で私のように自分で作曲し、演奏する人も居ますし、一方、グループでポップスをやるような方が活躍するのも結構なことだと思います。それは現代の姿なのですから・・・。色々なタイプの人がどんどん出て来るべきなのです。その時に色々な楽器やジャンルとをつなぐのには、五線譜が必要不可欠だと感じています。

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より良い音楽を創るために、受け継ぐべきものと、その必要のないものをしっかりと見極めなければなりません。明治に出来た記譜法を受け継ぐことが伝統を受け継ぐことではないのです。私は永田錦心
の志を受け継ぎたいし、何よりも琵琶楽を豊かに、高らかに現代社会の中に響かせたい。五線譜を使ってもっと多くの人、楽器、音楽とコミュニケーションを取って行きませんか。

全ては音楽の為に!!

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