風の島

先週は東芝国際交流財団の教育プログラムで与那国島の学校公演をやって来ました。

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昨年は同財団の仕事で那覇のインターナショナルスクールでやって来たのですが、今年は与那国島の公立の小学校で演奏してきました。与那国島は勿論初めてだったのですが、初日を除きずっと快晴で、島中にさわやかな風が吹き渡り、素晴らしい景色と島の風情を体験してきました。

八重山そば1まず驚いたのは人が居ない事。自衛隊関係者を除くと1500人にも満たない人口という事もあり、とにかく島の中は人の気配が無いのです。島内には3つの集落があり、それぞれ巡りましたが、それでもあまり人に逢う事はなく車もほとんど走っていませんでした。はじめはびっくりというか不思議な感じがしたのですが、集落にポツンとある食堂に入って八重山蕎麦を食べて、おばちゃんと話をしたり、教育委員会に挨拶に行ったりしながら島の人と少しづつ話をするようになり、だんだんと島の雰囲気を掴みました。車で走っていると人に遇うより猫や馬、やぎに遭遇することが多い位ですが、その静けさは山の中の暗い静けさとは違い、寂しい感じが全くしませんでした。そして海は驚く程に青く透き通っているのです。こんなに青い海は静岡生まれの私でも初めて見ました。

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今回は久部良小学校にて、午前中が子供達への演奏と楽器体験。午後は島の方々にも来てもらって演奏を聴いてもらいました。4日間いたのですが、島の人達は都会人と全く雰囲気が違い、影のようなものを感じなかったですね。皆さん良い顔してました。ストレスの中で生きている都会人と基本的に生き方が違うんだなと感じました。
私は音楽をやるのが人生であり、音楽家として生きている今が幸せだと感じています。しかし別の角度から言うと、何かを成し遂げようと日々もがき、音楽をするという事が生きる目的となっているとも言えます。そしてその何かを成し遂げるという事は言い換えると何かと戦うという事にもなりかねません。充実した人生と思っていたものは、実は闘いの連続であり、その中である程度の成果を上げていたからそう思うのです。島を巡って島の風に当たって、島の人と話をしていると、自分が生きていると感じていたことは、本来人間が生きるという事とは違うんじゃないか。何かを成し遂げる事よりも、もっと日々の日常を淡々と自然と共に過ごす事なのではないか。そんな風に思えて来ました。

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与那国島と言えばお約束のDr.コト―診療所


与那国島では伝統文化を子供たちに教える事を積極的にやっています。三線を弾きだす子もいましたね。島には高校が無いので、子供たちは大きくなると石垣や那覇へ行ってしまい、なかなか戻って来てくれないそうですが、中には島に戻って伝統文化を積極的に継承しようとしている若者もいました。以前奄美の唄者 前山慎吾君と中央アジアをコンサートツアーした時に、彼が「奄美の唄者は奄美の生活者であるという事。だから僕は奄美で働き奄美で生きる」と言っていましたが、その土地の唄はその土地に生きてこその唄であり、生活そのものであるという事なのでしょうね。私の創ろうとしている音楽は、もう少し範囲が大きいので、特定の地元というものが日本全体やアジアという事になるのですが、いずれにしろ、この時代の日本に生きるという事が前提であり、そこから沸き上がってくる音楽という点では、奄美の唄と変わりません。大地があってこその音楽ですね。

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アマトさんの筝レクチャー

小学校6ノイズ昨年はアメリカンスクールばかりでしたので、あまり自由に話も出来ませんでしたが、今回は地元の子供達とも交流出来ましたし、島の方々とも色々話が出来ました。島の伝統文化を紹介しているという図書館の方の話も興味深かったですし、サツマイモを作っている農家のおばあちゃんの話も面白かったです。生き物が好きで20年前に島に移り住んだという方や、北海道の出身ながら島の人と結婚して島に移住したという方、島の伝統を受け継ごうと頑張っている20代の若者もいました。もっと時間があればゆっくり話をしてみたかったですね。

都会人は皆、日々晒されるストレスに対し常に自分を守るという事を課され、会社でも身の回りでも常に人との競争させられ、その枠中に放り込まれて生きている。邦楽みたいな小さな枠でも、肩書や受賞歴の看板をいつも掲げて自己アピールしていないといられない人が多いですが、日々多大なストレスがかかって大変な事でしょうね。だから都会人は周りのストレスによる圧迫で、自分でも判らない内に呼吸が浅くなっている気がします。
与那国の風を感じながら島の色んな場所を巡っていると、気分もゆったりとして自分が普段感じていないけれど確実に身にまとわりついているであろうストレスというものから、何だかふんわりと解放されて身軽になったようゆったりと深いのでしょうね。
俗欲にまみれた我身も少しばかり浄化したかな。今東京に戻ってみて思い出すと色々感じますね。

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今迄も国内外色々と行かせてもらいましたが、まさか与那国島に導かれるとは思いもしませんでした。良い体験をさせていただきました。今年も豊かな一年でありたいものです。

新年のご挨拶

今年は年明け早々に大変な事態となり、おめでたい言葉もなかなか口から出て来ません。毎年使っている「新年快楽」も今年はとても使えそうにないです。

photo 新藤義久


大変な年明けではありますが、自分も日本社会も世界も、良き方向に向かって行く事を願ってやみません。私の今年の目標は10枚目(オムニバスを入れて12枚目)となるアルバムのリリースです。本当は昨年リリースしたいと思っていたのですが、作曲の方が間に合いませんでした。今年は何としても形にしたいと思っています。
琵琶樂人倶楽部も今年で開催200回を迎えます。その他の演奏会も有難い事に良い機会を色々と頂いていまして、作曲も演奏活動も更なる充実をしていきたいと思っています。

箱根「やまぼうし」にて アマトさんと
今月は10日から教育プログラムで与那国島に行くことになりました。7 arts cafe ,JCPMでお世話になっているジョセフ・アマトさんと学校公演を中心にやって来ます。これ迄学校公演はやって来なかったのですが、ここ数年、教育プログラムでの演奏も時々先輩方々からお声がかかるようになり、やるようになりました。琵琶を教えるという事も今後、重要な仕事になって行くようにも思っています。まあ私が教育者に向くかどうかは別として、今自分が持っているものを伝授するというのはしても良い頃かと思っています。作曲に関しては、ネット配信によって世界に届ける事が出来るようになって来たこともあって、琵琶の作品を遺すというのは、確かに私の仕事かなと思えて来ました。
曲は様々な演奏者によって演奏され、解釈され育って行く行くものです。社会が変われば聴く人々の感性も変わるので、そんな時代の感性の流れに耐えうるだけの魅力あるものだけが残って行きます。私の曲が残るかどうかは判りませんが、やっと少しづつ色んな方が演奏してくれるようになって来て、曲の持っている命が漲ってきたように思います。今後私の曲を演奏してもらえるかどうかは判りませんが、少なくとも私の仕事としては、もっと琵琶の楽曲を創って遺して、次世代へと渡したいですね。

音楽は自由な解釈やスタイルで、時にアレンジもして、その時代に合うように演奏すれば良いと思っています。形に拘っていたら演奏する人は減って行くばかりです。薩摩琵琶でも昔素晴らしいと言われた、やたらとコブシを回す歌い方等、今聴くと余計な装飾としか思えず、ただの声自慢としか聴こません。そこから何を表現したいのかまるで聴こえて来ない。我々の仕事は技術の先の世界を表現し聴かせるのが使命です。けっして技芸ではありません。表現する世界が明確に自分の中に無ければ、ただのお稽古事の披露に過ぎません。しきたりや形に固執する事を伝統だと思い込んでいるようでは次世代が続かないのは世の中を見ても明らかです。遺すべきは形ではなく精神や心。企業でも老舗のお店でも、どんどんと新たなものを創って行く創造の姿勢こそが、そのまま伝統を守る事になるのです。永田錦心、水藤錦穰、鶴田錦史。皆、常に最先端を走り、作品も演奏スタイルも創り続けたではないですか。創造の心を失った時、どんなものでも滅びて行くのは世の習いです。和服などももっと自由に着て楽しむ方が出てきて欲しいですね。

作 山内若菜 新横浜スペースオルタでの演奏会にてスケッチして頂きました。

昨年末から、色んなものを整理しています。服や靴等身に着けるものは元より、PC関係や本等、余計なものを整理し、仕事面でも私生活面でも自分らしい形に近づくようにしています。以前からそうなのですが、余計なものは要らないというのが私の基本姿勢です。自分が自分で在る事を最優先して、人生を生きて行きたいですね。

今年もよろしくお願い申し上げます。

2023年 主な年間活動記録

2023年の活動記録をまとめておきます

1月15日「私の一冊」アトリエ第Q芸術
1月16日~20日 教育プログラム沖縄
1月29日 Peace by dance主催 「生命の樹」 シアターX
3月5日 チームNOSARU公演 「祝」 サローネフォンタナ
3月11日「第二回和の音 篠笛と琵琶の響き」相模原日庭寺
3月24日「能楽堂で聴く語りと笛の会」横浜能楽堂第二舞台
4月21日「残された者たち」原宿アコスタジオ
5月27日「櫛部妙有朗読会」けやきの森の季楽堂
6月2日~29日 ラジオ「金曜日のポエトリー」 池袋FM
6月13日 鶴見歴史の会主催「寺子屋あらかると」 曹洞宗総本山総持寺紫雲臺
7月5日「カトレアの会主催公演」横浜能楽堂第二舞台
7月8日「第三回和の音 篠笛と琵琶の響き」薫風工房
7月22日 二松学舎大学人文学会 二松学舎大学
9月11日「9.11メモリアル」武蔵小金井宮地楽器ホール
10月13日「琵琶と笛と朗読」平塚八幡山洋館
10月14日「東洋大学文学部特別講座 平家物語」 東洋大学白山キャンパス
11月8日「第190回琵琶樂人倶楽部16周年記念回 琵琶と洋楽器の新たな世界」 阿佐谷ヴィオロン
11月15日「カトレアの会主催公演」 横浜能楽堂第二舞台
11月23日「櫛部妙有朗読会」音降りそそぐ武蔵ホール
11月25日「能でよむ~漱石と八雲」まつもと市民芸術館
12月2日「第四回和の音~篠笛と琵琶の響き」薫風工房

今年もプライベートな演奏会からホールでの公演まで様々な舞台をやらせて頂きました。琵琶樂人倶楽部も開催190回を越え、16周年を迎える事が出来ました。2024年もよろしくお願い申し上げます。

今年もお世話になりました2023

今年ももうすぐ終わりますね。コロナ自粛が空け、世の中活性化するかと思いきや、世界は暴発し日本国内でも様々な問題が浮き彫りになり、激動というよりは混乱の最中という状況になってしまいました。これだけ文明が発展し様々な学びをしてきているのに、人間はなぜ争い続け有史以来同じ事を繰り返しているのでしょう。芸術や音楽は人間を豊かにするものと思って生きて来ましたが、これだけ世に素晴らしい音楽が溢れているにも拘らず、世の中は全く良い方向には向かわず、人の心は荒んで行くばかり。芸術は単なるその場限りの快楽でしかないのでしょうか。

そんな世の中ではありますが、私は今年も色々と舞台をやらせて頂きました。有難い事です。年明け直ぐには教育プログラムで沖縄のインターナショナルスクールをいくつか周り、貴重な体験をさせてもらいました。またシアターXではPeace by dance主催による舞踊公演「生命の樹」に於いて、日舞の花柳面先生、韓国舞踊のペ・ジヨン先生と共に拙作の「彷徨ふ月」をアレンジして新作を上演しました。3月には能楽師の津村禮次郎先生と共に公演をさせていただき、充実した滑り出しとなりました。

6月には鶴見の曹洞宗総本山 総持寺にて源氏物語講座を担当させて頂き、大変な盛況を頂きました。7月にはいつもお世話になっている文藝サークルカトレアの会主催の横浜能楽堂公演にて、Msの保多由子先生、Flの久保順さんと共に、震災詩人 小島力さんの詩による「Voices」の再演をしました。

9月は毎年の恒例、哲学者 和久内明先生主催の「9.11メモリアル」にてVnの田澤明子先生、能楽師の津村禮次郎先生と共に9.11テロを受けて作曲した「二つの月」を上演。他、津村先生とずっと公演を続けている戯曲「良寛」の抜粋版も上演しました。

10月には毎年担当している東洋大学文学部の特別講座を今年も担当。「平家物語」について講義しました。またカトレアの会主催による平塚の八幡山洋館では笛の大浦典子さんと共に拙作「まろばし」「西風(ならい)」など上演。11月は松本市民劇場にて、能楽師 安田登先生、浪曲師 玉川奈々福さん ナビゲーターとして木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんに司会進行をやって頂き「漱石と八雲」を上演。松本では今後ご縁が深まりそうです。

とにかく今年も様々なご縁に導かれ、充実の演奏会を展開出来ました。私はすべての曲を自分で作曲するので、総ての演奏会は私の作品個展でもあります。本当に有難い事です。
上記の他、小さなサロンコンサートやプライベートなコンサート、語りや朗読の方とのコラボ公演等々沢山の機会に恵まれました。

琵琶樂人倶楽部にて Vnの田澤先生と

これ迄は自分がこの人生を突っ走り、駆け抜けて行く事に一番の充実を感じていて、それで満足という感じした。確かに自分軸ではあったけれども、常に自分という範囲でのみ動いていた気がしています。しかしここ5年位でそういう自分目線での、自分の充実という所からは少しづつ意識が変わって行きました。先日書いたように次世代の若者も出てきた事ですし、次世代に向けた内容の作品を是非とも作っていきたいですね。その為にも器楽曲をもっと充実させたいと思っています。器楽としての分野の充実が次世代を育て、そしてそれは古典への眼差しをも育んで行くと、年を経るごとに実感しています。いつまでも大正から昭和の軍国時代に作られた曲を弾き語りスタイルでしかやらないようでは、次世代の日本で琵琶の音は響きません。
今私が作って演奏している曲は、現代の琵琶奏者には理解出来ないかもしれませんが、5年後10年後に、注目してくる次世代が出てくると良いと思っています。20年ほど前に1stアルバム「Oriental eyes」をリリースした時、注目してくれたのは異ジャンルの芸術家達でした。特に八重山民謡の歌手 大工哲弘さんからのエールは有り難かったですね。今でもやり取りは続いています。このCDはジャズの専門誌のCD評でも次世代の和楽として紹介してもらいましたし、あの頃から私の周りには琵琶以外の芸術家が集まってきました。逆に琵琶人との付き合いは広がりませんでした。

ノヴェンバーステップス初演時ノヴェンバーステップス初演時 琵琶:鶴田錦史 尺八:横山勝也 指揮:小澤征爾
多分鶴田錦史がノヴェンバーステップスやエクリプスを演奏した当時も、琵琶人はあの器楽曲を全く理解していなかっただろうし(もしかすると鶴田自身も良く解っていなかったのかもしれません)、今ではどうという事ないですが、当時レズビアンをカミングアウトしていた鶴田を強烈に嫌う女性琵琶人達も結構居たそうです。何事も新しいセンスは旧価値観で凝り固まっている頭には理解されないものですが、今になってみれば、私が20年前に1stアルバムで示した世界が今、後輩たちを育て、海外の方も私の曲を演奏してくれるようになって、教則DVDで参考にならないと言われていた独奏曲も、今や若い世代が弾くようになり、配信によって海外の方が沢山聴いてくれています。そんな事を考えると、やはり最先端を切り開いていって良かったと思っています。伝統とは常に先端を生み出して行ったその軌跡の事を言うのであって、創り出すその行為こそが伝統であると私が考えています。伝統を守るとはその創造の精神を受け継ぐことです。創り出す精神を忘れた時に衰退がはじまり、過去に寄りかかりしがみつこうとする心が、音楽から生命を奪って行く。そして創れば作る程に古典の素晴らしさが浮かび上がり、古典に新たな光が当たって行く。私はそんな風に考えています。

時代と共に生きてこそ音楽であり、今の日本を生きる人の心が脈を打って流れてこそ邦楽。これはいつの世にも共通した事であり、今後琵琶樂が次世代に対して、時代の音を響かせることが出来なければ明清楽のように消え去って行くしかないのではないでしょうか。

photo 新藤義久


来年はとにかく次のアルバムのリリースが一番の目標です。私の音楽はごくごく地味なものですし、ショウビジネスとは相容れないものですが、これからも自分の思う所を生きて行きたいのです。

来年もよろしくお願い申し上げます。

師走回想

年末になりましたが、今年も何だか年の瀬という感じがしません。私は若い頃から世の中が同じ方向を向いて盛り上がっているのが好きになれず、あえて洛外に身を置く感じ~つまり天邪鬼~で来たので、年末年始は世の中から離れてでのんびりするのが常です。大体琵琶奏者というのは、普段から人が死ぬような話ばかりやっているせいか、世のおめでたい時期には声がかからないんですよ。私はそんな曲はやっていませんが、毎年12月も半ばを過ぎるとぶらぶらと世の中を徘徊してます。

194琵琶今年に入ってブログにも時々書いていますが、近頃は何か新たな段階に入ったなと感じています。明らかに仕事の質も変わってきましたし、私の中の発想も変化してきて活動全体が変化しているのです。ターニングポイントに来たという事でしょう。
私自身の事ではないのですが、今年の一つの変化として、私の曲を弾く若者が何人も出てきた事ですね。2010年に教則DVDをリリースした時、最後に模範演奏として独奏曲の「風の宴」を収録したのですが、「塩高の曲は難しすぎて模範にならない」と何人にも指摘されました。しかし時が経てば、どんな技術もすぐに真似され追い越されて行くものです。それは超絶の極みにあったパガニーニもヴァン・ヘイレンももう当たり前の技術になっている事を思えば、私の演奏なんぞあっという間に追い越されてしまうのは当然です。まあ私が「やってみろ」とハッパかけてやらせているからなのですが、それにしても凄い勢いで吸収して行くんですね。若さというものは素晴らしい。是非次世代を担ってほしいものです。私自身も先生・先輩方の演奏を真似、色んな作品の良いとこ取りして作品を書いてやってきたので、若者がこうしてぐいぐい領域に突っ込んでくるのは大歓迎です。

私は元々ジャズをやっていたので、琵琶で演奏活動を始めたのがちょっと遅く、30代に入ってからでした。ただジャズが根底にあったお陰で、外側から琵琶樂を見る事が出来たので、自分にとって良い形で活動を展開し、作品も発表してやって来れたと思っています。最初は作曲家の石井紘美先生に琵琶を勧められ、何とも見当がつかないままにスタートしたのですが、石井先生はまるで私の人生を見通していたかのようにアドバイスをくれました。今考えても本当にそうだったんだろうとしか思えません。石井先生に出逢わなけば琵琶弾きには成っていなかっただろうし、その後のロンドンシティー大学での公演をはじめ、様々な演奏活動は、先生が居たからこそ展開して行く事が出来たと思っています。石井先生は一番影響を受けた師匠ですね。こういう出逢いを運命というんでしょうね。

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左:笛の大浦さんと  右:右ヴァイオリンの田澤さんと琵琶樂人倶楽部にて  photo 新藤義久

その後、笛の大浦典子さんとコンビを組んで活動していた時が、今から思えば頭も体もフル回転の頃でした。何かに憑りつかれたように笛と琵琶の曲を書きまくり、演奏会も日本全国に導かれ、常に「動」の毎日でした。石井先生そして大浦さんというパートナーがあの時に居なければ今は無いと思います。最近ではヴァイオリニストの田澤明子さんと組んだ事で、私がやりたいと思っていながら今一つ実現できなかった分野が次々と実現して行きました。加えてメゾソプラノの保多由子さんとの出逢いも、更にそれを加速しましたね。つまり色々な方と出逢い、パートナーの存在に導かれ、生かされて来たという事です。

今外に向かって羽ばたこうとしている若者もきっと、それぞれのやり方を模索している事でしょう。大学内の演奏会で演奏したり、大きなイベントに出演したりと色々と報告を受けますが、皆さんそれぞれに活動の糸口を掴んできたようで、良い感じになって来ました。この夏私の代わりにヨーロッパツアーに行ってくれた原口君からも、スペインのサグラダファミリアでの公演の動画が最近送られてきました。本当に皆頼もしいです。是非私のやり方をなぞるのではなく、それぞれに自分で考えて旺盛な活動をしてもらいたいですね。

余談ですが、私は音楽のパートナーとはプライベートな付き合いをほとんどしないのです。たまに打ち上げで同席することはありますが、皆さん私のように管巻いて酒を飲むようなことはせず、演奏が終われば清くさっと帰る方ばかりなので、音楽以外の話をほとんどしません。きっとそんなさっぱりとした付き合い方が音楽を創って行くには良いんでしょうね。これも参考になるかもしれませんね。

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2ndCD「MAROBASHI」ジャケット

自分で曲を作曲して演奏している人間は、常に自分の中に湧き上がる世界を求めるので、それは時代や年齢と共に少しづつ変化するし、作曲作品もそれと同時に変化して行きます。そんな変化の中で付き合いの続くパートナーは、単に合わせてくれるような方では長くパートナーシップは築けません。パートナー自身も常に音楽的な変化をしているからこそ、お互いの変化が化学反応を毎回起こし、常に演奏に緊張感が出てくるのだと思います。25年程前に大浦さんと一緒に初演した「まろばし」は今でも必ず演奏する私の代表曲ですが、この曲は剣の極意である「まろばし」をタイトルにしているだけあって、最初は闘うという姿勢で演奏していました。しかし今は刀鞘を抜かない闘い、というよりもある種の調和を求めて音で会話をするようになって来ました。今でも必ず演奏しますが、この変化は私だけのものでなく、大浦さんの変化でもあり、他に多くの方と演奏してきた軌跡の結果なのです。昨年大浦さんと静岡のお寺で演奏会をやってみて、20年以上に渡る時間の経過が実に素晴らしい充実をもたらしたなと実感しました。

この曲は初演以来、スウェーデンの尺八奏者グンナル・リンデルさんと1stCD「Oriental eyes」でレコーディング。その後、能の笛奏者の阿部慶子さんと2ndCD「MAROBASHI」でレコーディング。オーディオベーシック誌の企画CDでは、長唄の笛奏者の福原百七さんとレコーディング。 更に8thCD「沙羅双樹Ⅲ」では尺八の吉岡龍之介君とレコーディングしてきました。
イルホムまろばし10ウズベクスタン タシケントにあるイルホム劇場にて 指揮編曲:アルチョム・キム 演奏:オムニバスアンサンブルの面々と
ウズベキスタンではアルチョム・キムさん編曲によるヴァージョンで、現地のネイの奏者と組んで、バックにミニオケを付けて演奏したこともあります。また22年リリースの「Voices from the Ancient World」ではヴァイオリンの田澤明子さんともレコーディングしました。これ迄多くの尺八奏者や笛奏者、時にピアニストなんかとも演奏して来て、私の中で一番発酵熟成が進んでいる曲となっています。

その他にも定番となっているレパートリーはいくつもあるのですが、とにかく何度演奏しても面白い。毎回違うので飽きが来るという事がありませんし、また面白いと思えない人とは演奏はしません。私は譜面をあえて細かく書き込まないようにして、演者が自由に創造性を広げることが出来るように書いていますので、相手の表現が変わると曲も変化してくるのです。だから「まろばし」を演奏するのは、自分も相手もその時の状態が丸裸になってしまうので、今でも何度やってもスリリングです。皆さん私の発想を軽々と超えて大きな世界を描き出してくれる尊敬できる演奏家なので、私は作曲家と同時にプロデューサーのような感覚で演奏することが多いですね。とにかく同じ曲でも、演奏する度に常に生きもののように流動しているのです。

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photo  新藤義久

こんなように常に留まる事無く変化を繰り返し、緊張感のある演奏が出来ているというのは幸せな事です。曲がどんどんと熟成し成長して行くのは、本当に嬉しいし。同時に新作も創って良い感じに創造と熟成の両輪が回っています。
今新作で考えているのは能管と薩摩琵琶の作品。これが完成したら次のアルバムの制作に取り掛かります。次のアルバムで10枚目(オムニバスを入れると12枚目)。私の節目ともなるアルバムなので気合も入ります。
これから10年15年先に、私の曲を弾いてみたいという若者が出てくると良いですね。是非私以外の人が弾く「まろばし」や「二つの月」を聴いてみたいものです。

私はとにかく良い作品を創って行きたいです。来年も楽しみです。

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