先日、かねてから友人が一押しで勧めてくれていた尼崎愛子(現在は改名をして尼理愛子)さんのライブに行ってきました。場所は高円寺の稲生座。ここは私が若かりし頃に通っていたお店でしたので、本当に懐かしかった!。楽しい一日でした。
尼理さんは色々な経歴を持っている方で、元々ギターで弾き語りをやっていたのですが、3年ほど前に琵琶に出逢って、今ではライブの半分以上を琵琶語りでやっているというユニークなミュージシャンです。彼女の世界観は独特のものがあって、その一貫してぶれないスタイルは、感性のどこかにピンと来るような何とも言えない魅力がありますね。是非生演奏を聴いていただきたいです。しっかりご贔屓さんも付いていて、今回もライブを盛り上げていました。
この日は「祇園精舎」などオリジナルスタイルで聴かせてくれましたが、琵琶は全て独学だそうです。この辺に私と似た匂いを大いに感じますね~~。常日頃から、こういう人が出て来ないかな~と思っていましたので、ドンピシャ!という感じでツボにはまってしまいました!。
皆さん琵琶を弾いている人は、先ずはどこかの流派で勉強します。これは結構な事だと思いますが、オリジナルで活動している人が少ないのが大変残念に思っていました。流派の曲はイントロからエンディングまで曲の形が決まっていて、歌詞だけが変わっている。つまり曲のヴァリエーションがほとんど無いのです。琵琶を習いに行って、この点が一番残念でした。
だから表現者として独自の世界を持って音楽を聴かせるには、どうしても従来の形を脱して行かざるを得ません。皆それぞれのやり方があると思いますが、永田錦心も水藤錦穣も鶴田錦史も皆オリジナルでやっていました。他の分野、例えばポップスやロックでも皆そうしてしのぎを削っていることを思えば、琵琶でも、三大巨頭に習い是非旺盛にオリジナルで活躍して欲しいのです。先人の轍を超え、新たな道を作ってこそ、初めて継承と言えるのではないでしょうか。
確固たる独自の世界観を持って、オリジナルで勝負している尼理さんのような方にファンが居るのはとても頷けます。若手でもベテランでも「上手」や「肩書き」から逃れられず、それを自分で気づかない内に追いかけている人が多い中、彼女の存在は実に頼もしいです。以前は先輩で尼理さんのようにライブシーンで頑張っている方も居たのですが、なかなか続けていくのは難しい・・・・・。これから若手にも是非頑張って欲しいです。
私はエールを送る位しか出来ないのですが、私自身が自分の想う所を自分なりに歩いているので、尼理さんにもぜひ自分の行くべき道を想う存分進んで欲しいと思います。
私はジャズを通り越したせいもあるのですが、演奏に関しては全て自分の作曲したものを演奏しています。そうでないとどうも納得がいかないからです。色々な考え方があって良いと思うので、自分のやり方が最高だとは思いませんが、琵琶を始めた最初から、教室で習ったものをそのまま舞台で弾くという発想自体が私にはありませんでした。いつも書いているように、現在演奏されている薩摩・筑前の琵琶は明治から始まったといっても良い音楽です。曲に関しては大正~昭和初期にかけて出来上がったものがほとんどで、古典と呼べるような時代を経た曲も無いし、錦琵琶から出た鶴田流のように1970~80年代に流派として成立したものもあります。古典のようなふりをしているだけで、古典ではないのです。これらの近現代の薩摩琵琶は、弾く人によってキー、テンポからフレーズ、メロディーまで一人一人違う性質の音楽ですので、私には名曲が溢れる如く存在するクラシックより、「名演奏あって、名曲なし」と言われる、ジャズに近いものを感じます。ですから型ではなく、プレイヤーの個性を前面に聴いてもらう方が、合っているのではないかと思っています。
そんな想いでいる事もあって、ライブでも大きな演奏会でも、全てが私にとっては表現の場。随分前、琵琶で活動したての頃、某邦楽雑誌の編集長に、「琵琶でお呼びがかかる内はまだ駄目だ。それではお前じゃなくてもいいという事だ。塩高を指名されて呼んでもらえなくちゃ!」と言われた事を肝に銘じていますが、「壇ノ浦」や「敦盛」をやるとしても、私なりの解釈とスタイルで演奏する事が出来なければ、私は舞台には立ちません。それが私の仕事ですからね!!。
スタイルは違えど私も尼理さんと同じく、「息づく音楽」をやって行きたいのです
先日は大雪が大変でしたが、やっと春らしい日差しを感じるようになってきました。梅も結構咲いているので、お花見には良い時期になってきましたね。
私は相変わらず逍遥の日々で、ふらりふらりと出歩いていまして、ここ一週間は陶芸家のSさん、朗読家のKさん、人形作家のMさん、タロットのKさん、ジャズ仲間のKさん、Tさん、Oさん等々面白い方々とおしゃべり三昧。色々と面白い事が出来そうな予感がふつふつと湧いてきました。新たな展開成るか??その他いくつかライブにも出かけて、久しぶりにライブハウスの感触を色々と堪能しました。初めて会った方や、尺八のK君、フルートのOさん等久しぶりに会う仲間もいて話に花が咲き、アイデアも出て来ました。このわくわく感が良いですね。
そんな日々の中、今週は横浜高島屋で開催されていた陶芸家の河村喜史さんの個展に行ってきました。河村さんは北鎌倉の其中窯という所で作陶をしている方なのですが、ここはかの魯山人が築いた窯として知れた所。河村さんの祖父喜太郎さんががその窯を受け継ぎ、現在では喜史さんが受け継いでいます。
河村喜史さん
昨年の夏に、窯の横に併設されているアートサロンで私が演奏した折、初対面にも拘らず話が盛り上がってしまったのですが、そもそも河村さんは現代音楽に大変造詣が深く、色々な作曲家ともお付き合いがあるので、私とはばっちり話が合う訳です。今回も作曲家のN先生と呑みながら面白い話を聞いてきたといって、「音の重力」について話をしてくれました。音の出て来る位置、重力について、私はこれまであまり意識が無かったので、お話をしていて大変興味を持ちました。
N先生曰く、「音には重力がある」との事。低音は下から響くし、高音は上から響いてくる。当たり前といえば当たり前なのですが、音の響いてくる位置というものについて、私はこれまであまり考えていませんでした。
ただ一般に民俗音楽は低音域の少ないものが多いと私は常々感じております。日本の邦楽は特にそう思います。明治期に出来上がった薩摩・筑前琵琶などは、以前は皆さん高い調子で歌い、楽器の方も高くチューニングしたこともあって、かなり音域が高い方に集中しているし、また唄い手は高い声が出る事が上手い事とという意識も強かったようですので、総じて高音よりのサウンドでした。
私がどうも近代の邦楽に馴染めなかったのも、低域の少ないあのサウンドが、私に何か引っ掛かりを与えていたという事なのでしょう。それは洋楽を聴いても思う事で、ロックやフォークを聴いても、低域に欠けるものは好きではないです。
私が敬愛する音色の魔術師 ギタリスト デビッド・ラッセル
しかしギターやヴァイオリンなどの独奏曲などは、音域は限られているものの、あまり違和感を感じない。
それは低い音は下から響き、高い音は上から降ってくるという、このバランスが保たれているという事ではないでしょうか。パイプオルガンのように壮大でなくとも、楽器や声そのものが持っている音域を下から上までまんべんなく鳴らしているものには、自ずから高低のバランスが取れ、違和感を感じないのだろうと思います。例えば、叫ぶ声は確かに説得力はありますが、それだけではある音域だけが強調され過ぎて、長く聞いていられない。低くしっとりした語り口は、落ち着いていて癒されるけれども、いつもそうでは熱い想いは伝わらない。結局音域に関しても高低のバランスが取れる事で、音楽としての姿が成り立つのだと思います。
特にその楽器が洗練され、完成されているものならば、持っている音域を充分に鳴らし切れば、魅力ある音や音楽として響いてくるのでしょう。ギターやヴァイオリンのような音域の大して広くない楽器でも、下から響く音、上から降ってくる音が良いバランスで成り立っていれば、そこには調和のとれた世界が現れ、豊かな音楽として魅力ある世界が響いてくるのだと思います。つまり数値的な事よりも、高低のバランスがつりあっている事で、はじめて音の重力というものが明確な違いとなって伝わって来るという事なのだと思います。そしてこれが洗練というものなんだと、話をしながら感じました。
こうした考え方は、多分に西洋的であるとも思います。物事を構造的、構築的に捉え、一つの完成された建築物のように作り上げて行く芸術的思考は、民族音楽の考え方とは大きく違います。しかし現代の我々はもう生まれた時から、自分でも気づかない内にこういった西洋的感性の中で生きている。そんな我々は民俗音楽に対しても近世・近代の日本人とは違う聴き方をしていると言えるでしょう。生活習慣と共に感性が変化するのは当然ですし、日本は150年前からそうした方向で国自体が進んでいるのですから・・・。
私は自分の生きてきた時代を否定するつもりはないので、今のこの感性で邦楽を捉える事の方が自分らしいと思っています。雅楽から平曲、中世の各邦楽など過去の歴史を学ぶのは琵琶奏者として勿論ですが、過去にとらわれることなく、あくまで現代から次代へという視点で邦楽を見つめて行きたい。
私は自分のスペシャルモデルを作り、調弦や弦の太さなどを工夫して使っていますが、それは単に天邪鬼だからというだけでなく、器楽の楽器としてのバランスを求めた結果だったのだと、河村さんと話をしてみて納得してしまいました。
芸術家とのおしゃべりは実に楽しく、且つ視野が広がり、私に新たな発想をもたらしてくれます。「重力」、私
に新たな視点が加わりました。
おしゃべり三昧は止まらないのです。
トルクメニスタンの首都アシュカバッドの日の出
スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」を久しぶりに読み返しました。ヘディンはスウェーデン人の地理学者。この本は新疆ウイグル自治区のロプ・ノール地域に、場所を変えて出現するという湖を目指し古代シルクロードを辿る有名な紀行文なのですが、研究者らしい視点で書かれているので、情景が手に取るように解り、まるで自分が旅をしているような気分になります。淡々と描かれているのですが、やっぱり実体験に基づく文章というのは、余計な脚色が無く、迫るものがありますね。
私は以前にもちょっとだけ書いたことがありましたが、とにかく子供のころからシルクロードと名の付くものは何でも好きで、本や音楽を常にあさっていました。思えば今、琵琶を生業とし、その中でも樂琵琶を弾いているというのは、私にとって至極当然の事なのです。
この本の舞台ロプノールは、現在中国の核の実験場として40回以上に渡り破壊され、ヘディンが辿った所ももう無いのかもしれません。残念ですがこれが現実です。かつてのオアシスも、戦乱で破壊されたり、水が無くなって廃棄されたり…歴史というものは無情なものです。中央アジアに限らず地続きの所では、太古の昔より、強いものが支配するという不文律がずっと続いています。これが世界のそして人間の姿なのです。(私は政治のことをここで論じるつもりが無いので、現代の事情に興味のある方は独自に調べていただきたい)チンギスハーンなども、その武力による制圧は壮絶を極め、やられた方からすると、悪魔のような存在に思えた事でしょう。またチンギスハーンの時代は結婚式の行列を襲って、花嫁を略奪してしまうなんていうことが日常のようにあったそうです(つい最近まであったという話もあります)。強いものだけが生きて行けるという概念は、「情」が常に先に来る安全な島国日本の我々には想像もつかないです。人間は力による支配という時代を乗り越えられないのだろうか・・・。それとも力による支配の方が理にかなっているのか??




ウイグル族の写真。ネットで拾ったものなので、注意があればすぐ削除します
ウイグル民族の暮す地域は東トルキスタンといって、全体にトルコ文化の影響が強く、地域によってはコーカソイド(白人)系の人も多く居ます。宗教はイスラム教。歌踊り等民俗芸能が盛んで、特に踊りはウスーリといって、色々なタイプのウスーリが今でも盛んなようです。以前シルクロードコンサートツアーの所でも書いたと思いますが、中央アジアでは歌と踊りと演奏は常にセットなのです。リズミックで本当に聞いていると踊り出したくなるような音楽で、メロディーは何とも懐かしい感じがします。2009年にウズベキスタンのタシュケントでやったコンサートでは、奄美島唄と現地の民謡歌手の共演をやりましたが、奄美の三線一艇で、歌の掛け合いが実にぴったりとはまりました。やはりどこか続いているものがあるのでしょうね。我々現代日本人はきっと何かを忘れているのです。
またシルクロードは色彩の宝庫でもあります。サマルカンドブルーは大変有名ですが、ウイグルの民族衣装も鮮やかで魅力的です。特に赤と青が印象的です。鉱物資源の豊富な地域ですので、鉱物などからあの顔料が取れるのかもしれないですね。ちなみにここにはタリム河があり、その水がさまよえる湖を作り出すのです。拙作「塔里土旋回舞曲」はこの辺りの雰囲気を自分なりにイメージして作りました。次のCDには収録する予定です。
色々な変遷の中で民族としての音楽がずっと伝えられているという事は、実にすばらしいと思います。日本に於いて民族音楽といえば邦楽ですが、日本は明治に一つの断絶があり、学校教育では邦楽を教えず洋楽一辺倒になってしまい、また第二次大戦後にも大きな断絶がありましたので、邦楽を民族音楽と捉えるにはちょっと違和感を感じます。どの国でも今では西洋化が進んでいますが、私の知る限り、学校教育に於いて100年以上に渡って洋楽のみを教え、自国の音楽を教えない国は日本だけです。音楽教育に関しては、はっきりと日本は間違っていたと思っています。今では学校でヒップホップダンスを教えているというのですから・・・?皆様はどう思いますか?。
歌謡曲や演歌は、外国人からするとかなり日本的に聞こえるようですが、そこにはもう邦楽器は無く、平家物語や源氏物語の古典文学も無く、民族としての記憶がそこにはほとんど無い。それは古から続く民族の音楽ではなく、現代日本の風俗としての音楽でしかないのです。また津軽三味線や太鼓等は確かに昔から日本にあった楽器ですが、その音楽は最近のものです。いずれも昭和、それも戦後以降の成立です。いつも書いている薩摩琵琶の変遷も含め、色々考えさせられますね。
アゼルバイジャンの首都バクーのバクー国立音楽院での日本音楽セミナーにて
シルクロードの国々では、民族の音楽は専門の音楽学校があるし、そこを出ればそれなりに食べていける位に国民から支持されている、という話を現地の音楽家から聞きました。日本のように社会と隔絶した特殊なものではなく、古くから続く民族の音楽や歌踊りは日常なのです。こういう所が日本とは全く違いますね。
私は民俗音楽という視点で琵琶を弾いている訳ではありません。民族音楽には人一倍関心がありますので、民俗音楽を土台としながらも、もっと洗練の方向を向いて、あくまで世界という舞台で聴いてもらえる音楽でありたいと思っています。ただシルクロードの国々での民俗音楽と、現在の邦楽では、全くその在り方が違うという事だけははっきりと感じます。
2009年のシルクロードコンサートツアーメンバーと。ウズベキスタンの首都タシュケント旧市街のモスク前にて
シルクロードの本や音楽に触れていると、とにかく雄大な自然と、長く深く厳しい人間の歴史を感じます。様々な民族が共存し、時に戦い、変遷してきた中で人々が旺盛なエネルギーを発し、生き、文化を育んで行った姿こそシルクロードそのものであり、それは私に生きる活力を与えてくれます。日本に暮していると、ともすると小さな集団や村の中に思考や視野が限定され、狭まってしまいがちですが、シルクロードに触れる事で私は大きな視野と雄大なロマンを取り戻すことが出来ます。人が日々を生きるために本当に必要なものは何か、何が虚構で、何が真実なのか、シルクロード行き交った人間の轍を通して感じることが出来るのです。
2009年トルクメニスタンの首都アシュカバッドにあるマフトゥムクリ記念国立劇場演奏会
シルクロードへの興味は尽きませんね。
また凄い雪になりましたね。雪のお蔭でコンサートが中止になるような影響も色々とあったと思います。私が以前講師をやっていた有明教育芸術短期大学でも、卒業公演が延期になりました。生徒達は残念だったでしょうね。
こんな雪の日は家でCD三昧なのですが、私は時間さえあればコンサートを聞きに行っています。このブログにもその中のほんの少しだけ個人的な感想を書いていますが、アマチュアから世界のトップクラスまで、生音(PA無)でやっているものならジャンル関係なく、とにかく聴きに行きます。今年に入ってから、先日ブログに書いた芸劇での合唱付きオケのコンサートなどの他、舞踊(バレエ・日舞・モダンダンス)、クラシック、邦楽等のコンサートに行ってきました。今月もこれからちょと面白いライブに行く予定です。色々なものを聞くのはとにかく楽しいし、学ぶものも多いですね。一流と言われる方の舞台が何をもって一流と評されるのか、観る程に感じるものがあります。
私は何時も書いている通り、肩書きや受賞歴は全く気にしません。舞台が全てです。今年見た邦楽はいずれも大先生の演奏でしたが、正直歌も演奏の方も大変残念でした。サークルのおさらい会ならともかく、これが邦楽界一流の先生だと言われても・・・。これを最初に聞いた人は邦楽に対してどう思うでしょうね???
演奏は勿論ですが、その質とレベルはやっぱり舞台姿に出ます。やはり心の部分がそのまま姿に出るのだと思いますが、それ以上に一流といわれる人は、一流にしか持ちえない一種の魅力というか狂気(といったら言い過ぎか)みたいなものを皆何処かに持っているのかもしれません。邦楽が今衰退しているのは、その狂気を持っているプロが少なくなったからなのではないでしょうか。
良い曲を書く人が良い人間とは限らない。ベートーヴェンはかなりエキセントリックな性格だったようだし、シェーンベルクも石田一志先生曰く、猜疑心が強く、ちょっとお付き合いしにくいような人物だったようです。チャーリーパー
カーも強烈だったようで、色々な逸話が残っていますね。エリッククラプトンも一時はレイシスト発言をするなど、けっして日本のファンのイメージ通りの人物ではない面も持っているようです。
こういう例を挙げると、びっくりする方もいると思いますが、そういう人達が音楽シーンをリードして行ったことは間違いないのです。
素晴らしい音楽は世間でいう所の「良い人」が作り出す訳ではありません。「良い人」はその時代に於いての分別のある良識人かもしれませんが、発想が時代やその時々での常識を飛び越えられない。つまり「良い人」では時代を超えて支持されるようなものを創造する事は難しいのだと思います。肩書きなども結局そんなもので、小さな世界の評価でしかない。それをいつも看板にしているという事は、「私は小さい世界で生きてます」と宣言しているようなものですね。
音楽が時代を超えて支持される質を持っていれば、語り継がれ歴史にも残って行くのは当たり前の事。創った人が今の時代のセンスから見て良い人かどうかなんて問題ではない。時代を超えても尚輝きを失わない魅力、言い方を変えればある種の狂気があるかどうかではないでしょうか。そういうものを創り出せる人だけが、超一流といわれるのだと思います。
まあ超一流と言わずとも、プロの舞台人は舞台運びも上手いし姿も良いですね。様になるという言葉がありますが、やはり素晴らしい演奏をする人は、お作法という事でなく、それなりの様になります。作り出すものがあって、それが素晴らしいものであってはじめて、それに伴って姿も良くなって行くし、舞台も様になってくるものです。所作や姿は、あくまで身から湧き出るものだと思います。一流になればなるほどに・・・。
どの分野であれ、私は超一流の演奏には常に触れていたいし、私自身も出来るかどうかではなく、そこを目指して行きたい。余計なものに惑わされずにしっかり音楽を聴き、作り、演奏し行きたいのです。
今年も雪が降りましたね。私は東京に来て初めて雪を体験したので、雪を見ているとどうしてもわくわくしてしまいます。吹雪いている様が、ちょっと今の日本の状況を思い起こさせるようでした。
昨年もそうでしたが、今年もずっと部屋の中に居て、雪の降るさまを眺めながら色々と想いを巡らせていました。
つい先日はローザンヌ国際バレエコンクールで、日本の若者が1位2位を取ったなんて素敵なニュースで盛り上がっていましたが、すぐ後にはゴーストライターの事件などもあり、世の中は本当に留まることが無いパンタレイなのだな、と思いを巡らせていました。
今日本では音楽でも何でも、目先優先の低レベルのビジネスがまかり通っている、と感じる方も多いのではないでしょうか。ショウビジネスの世界はもう醜い所まで行ってしまったとしか思えないですね。先日のSTAP細胞の研究者の記事でも、研究の事そっちのけでゴシップ記事のようなものを書き連ねるマスコミは、もう醜いを通り越して危険だと思えて仕方がないのです。
私は音楽に限らず、マスコミで大宣伝して売っているものはどうにも違和感を感じてしまいます。物事の周りだけを取り上げ、勝手に雰囲気を作り上げ、消費者を乗せて、そのものの実態には触れさせず、それが世のスタンダードだとばかりに洗脳してゆくような手法は、まるでゲッベルスと同じではないかと思います。だから本体以外に色々と尾ひれがセットになって売っているものは、自然と避けてしまいます。肩書きや受賞歴ぶら下げている伝統邦楽の先生方も私にとっては同じ事。尾ひれや看板が先に来て、それを必ずくっつけていないと気が済まないような方々には大きな違和感を感じます。
音楽芸術に対しどんな聴き方、接し方をしても良いと思います。しかし音楽・芸術なんてものは所詮ただの添え物、賑やかし、お楽しみ、そんな程度のもんだ、という考えが、今でもこの国のスタンダードな考え方というのだったら、もうこの国は終わりなんじゃないかと思います。文化や知性にこそ誇りを持つべきであり、それこそが、国家というものではないでしょうか。音楽や芸術に感動し、論じ、その素晴らしさを伝え語って行く人がもっと増えて欲しいものです。
何でもかんでもエンタテイメントにして、売ることが全てに優先し、目の前の話題性、派手さ、楽しさを求め、演じ手側も受けを狙って奇抜な格好や、派手な演出でそれに媚びようとする。ビジネスなら何でもアリでは、今回のようなゴーストライター事件も起こって当然なのかもしれません。
ゴーストライター事件後に、実際に作曲をしたN氏一連の作品を初めて聞きました。彼は作曲家の中でも最先端の現代音楽を専門とする人だそうですが、現代音楽を勉強しそれを専門にしているという事は、何を差し置いても芸術に人生を捧げているという事です。でなければ現代音楽の作曲活動はとてもやっていけるものではありません。
現代音楽は全くお金にならないどころが、演奏してもらおうとしても、かなり高度な教育を受けた演奏家でないと演奏出来ないし、当然ギャラもかかる。クラシックファンからもあまり支持を得られないし、簡単に評価を頂ける訳でも売れる訳でもない。志だけが支えとも言っても過言ではない生き方をしているという事です。
問題の作品はそれなりのレベルで出来ていると思いますが、あくまで「お仕事」として書いたものでしょう。現代音楽の専門家が自分の作品としてマーラー風、バッハ風のような過去をなぞった作品を書くという事はありえない。たとえ理解されないとしても最先端をえぐるような、自分の品を書くはずです。事情は解らないですが、私は彼が自分の持っている高度な技術・知識・才能をあのように切り売りしてしまった事が何より残念です。生活の為にお金を目的としてやった訳でもなさそうですし、18年間もああいう事を続けた意味が私にはどうしても理解出来ないのです。
彼の本来の作曲作品もYoutubeなどに出ているようなので、ぜひ聞いていただきたいものですが、「HIROSHIMA」に感動したと書き連ねている人達は、どれだけ彼の芸術家としての本来の作品に賛辞を贈るのでしょうか・・・・。上っ面だけ聴いて、適当な事を書いていただけではないのでしょうか。
最先端の技術や知識を持つ者は、志も高くなければならないのです。ビジョンや志無き技術・知識は人間の邪悪な部分を誘いだし、結果的には悲劇を生む。軍事技術始め、例を挙げるまでもなく歴史を見ればどんな分野に於いても明らかです。まことに残念ながら、彼の類まれなる技術が佐村河内という人間の欲望をどんどんと増長させ、ショウビジネスのお金に群がる人間達を呼び込んでしまった事を考えると、彼が18年間何を想い作曲に取り組んでいたのか私には解りません。
彼を擁護し、同情する意見をネット上で見かけます。知人や仲間達もこぞって彼を称えようとしています。「これを機に彼の才能がもっと評価されて欲しい」、「ぜひ音大に復帰させてあげたい」などという声も聞かれますが、それは本当に彼の為になるでしょうか。今ここで彼が仲間の好意に甘え、音大に復帰したとして、果たして彼はまた芸術音楽をもう一度生み出して行くことが出来るでしょうか。もし彼がそういう選択をし、事件の延長線上に居続けたらもう作曲は出来ないのではないかと私は思います。今こそすべてを捨てて、経済的なバックボーンすらも絶ち切って、パンの耳かじりながら孤独の淵に立ってでも、もう一度自分の求める芸術に真摯な態度で向き合う事が出来なかったら、彼はただのやさしい、評判の良い先生で終わってしまうような気がします。それは芸術家として死んだという事です。仲間や世間の人の応援は結構だけど、そういう甘く無責任で半端な同情が、彼を苦悩させ、一人の芸術家を潰してしまう。
音楽家は浮世離れして、自分の世界で生きている人がやたら多いですが、レベルが上がれば上がるほど、社会の中で音楽家として生きるという自覚が必要なのです。仙人みたいに籠って己の世界に留まっている人間は所詮二流。声聞縁覚の徒です。時間はかかりましたが、彼はやっとその自覚に至ったのではないかと思います。これまで自分が18年間やってきた事はどういう事だったのか、今彼は自分の中で反芻している事でしょう。
まだこれからが期待できる人だと思います。厳しいかもしれませんが、一切の甘えを絶って、是非今一度我が身の原点に立ち返り、真の芸術家になっていただきたい。これが名も無い琵琶奏者・作曲家の端くれである私からのエールです。期待を持って今後の彼の身の処し方を見守りたいと思っています。
毎度書いていますが、文化は国家の基盤。文化があってこその国家。その文化の上に政治も経済も成り立っているのです。これからこの国の人が音楽を愛し、美に溢れ、芸術を語るようであって欲しい。音楽がその場限りの賑やかしで、盛り上がるだけで満足するようなレベルであって欲しくない。雰囲気で良かった、楽しかったというのも結構ですが、もっと芸術にまともに相対する人が増えて欲しい。下らないものは下らないとしっかり言える大人が増えて欲しい。この国の行方は、音楽家・芸術家、そしてそれを享受する市民にかかっている。マスコミやショウビジネスではない。一人一人の目と耳にかかっていると思うのです。
雪の日の徒然に想いが募りました。