私の中の色々な私Ⅱ

先日、三宅榛名さんのソロピアノライブ「夏を待つ夜」に行ってきました。

三宅榛名

三宅榛名さんといえば、数々の作品を発表して高い評価を得ている現代音楽分野の作曲家ですが、私は三宅さんの現代雅楽の作品しか生で聞いたことがなかったので、今回は大変期待していました。

作品は皆新作のピアノソロで、まだ譜面にも書いてないとの事でしたが、その演奏はいわゆる演奏家の演奏ではなく、「作曲家自身が弾いている」と思わせるところが興味を惹きました。こういうニュアンスは音楽に携わっている方でないとなかなか判りにくいかと思いますが、作曲者自身の演奏と、別の演奏家が演奏するのでは随分と表現が変わるものです。この辺はまたじっくりと考察してみたいと思います。ライブは大変面白く聞かせて頂きました。

バルトーク
バルトーク
現代では、作曲と演奏は随分と分離してしまって、両方をやる人は本当に少なくなってしまいました。かつてバルトークやリスト、ラフマニノフ等のような名ピアニストであり、且つ素晴らしい作品を書く作曲家でもあるというような人は居ないですね。
もっと昔、バッハやモーツァルトの頃、日本でも江戸時代の八橋検校等の頃は、演奏と作曲の両方をやるのが音楽家でした。時代と共に移り変わって行くのは良い事だと思いますが、作曲家自らが語りかける事も、もっとどんどんとやって行くべきだと、私は常々思っています。これからはまたそんな時代が来るんじゃないかな???

三宅さんはジュリアードのご出身という事ですが、アメリカで勉強していた頃に、きっとジャズの影響をかなり受けたのではないかと思いました。和声には多分にジャズを感じましたし、部分的にはリッチーバイラークのような雰囲気も感じました。バイラークはクラシックもジャズも高いレベルで演奏する超一流
のピアニストですので、聞いていない訳はないだろうと思います。
今回演奏した曲には、先鋭的なものはあまり無く、無調の部分も抒情性を失わない感じで、無理なく聞けました。きっ
とこのスタイルが、今の三宅さんの人生のスタイルでもあるのでしょうね。

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三宅さんの作品はさまざまなスタイルのものがありますが、私の作る作品も色々なスタイルがあります。ただ三宅さんと私とはちょっとは違っていて、私の場合は自分の中のバリエーションという事ではなく、もう一人の自分が作品を作っているような感じでしょうか。三宅さんの演奏を聴いていたら、かえって自分の事が見えて来ました。

誰しも自分の中に色々な面を持っていると思います。時にジャズっぽいものが出来たり、現代音楽風なものが出来上がったりするのは一人の人間の中の色々な側面からして当然ですが、私の場合はちょっと感じが違って、二つの自分がそれぞれに曲を作り演奏していると言えると思います。これらがいつかは統一されてゆくのかな、とも思う反面、この自分の中の色々な自分が共存してこそ、私という存在が成り立っているとも思います。

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二つの自分とは、違う感性を持った片割れのようなもの。けっして片方だけでは成り立たないので、どうしてももう片方を求めてしまう。二つ共にないと自分が完成しないような感じです。薩摩琵琶を弾かない私は私じゃないし、樂琵琶を弾かない私も私ではない。だからどうしても二つのものが必要なのです。
邦楽も雅楽も日本の音楽とはいえ、今では一般の方々の生活からはかけ離れ、その違いも判りずらいと思いますが、樂琵琶と薩摩琵琶では、感性も構造も理論も、背景の文化も全く違うものなのです。考えてみればよくこんなに違うものが、長い間共存し得たのか不思議です。

高野山常喜院にて
高野山が世界遺産になったのも、神道と仏教という異なる宗教が共存している点が世界的に例が無いという理由だったそうですが、日本人はそれを何の違和感もなく受け入れている事を考えれば、全く違う音楽がずっと長い間日本の中に共存していてもおかしくは無いのかもしれません。そう思えば私のような人間が居ても不思議はないですね。二つながらが存在する事が私の中では常なのです。
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ただあえて薩摩琵琶と樂琵琶という全く違った音楽に共通点を見い出すとすれば、両方共に歌ではなく器楽という部分でしょうか。そしてショウビジネスへの志向が無いという所が一致しています。普通は薩摩琵琶奏者は弾くことよりも語る事が主となりますが、私は薩摩琵琶の音色が好きで、いわゆる薩摩の琵琶唄は自分にとって色々ある表現形態の一つでしかないので、琵琶唄には余り興味はないのです。声はとても重要な表現手段だと思うので、今後も使って行きたいのですが、一般的な琵琶唄とは違う形を作って行きたいですね。琵琶でデビッド・シルビアンみたいな歌い方が出来たらいいな~~、なんて思ったりもしますが、それもまあ私には似合わないですね・・・・。

二つの感性があり、二つの思考があり、二つの音楽がある。己というものはかくも複雑なものだ、と思った事もありましたが、最近は年を重ねたせいか、それが人間であるのだと、開き直って思えるようになりました。

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まあ私のような人間は、色々と欠けているからこそ謙虚にもなれるし、何でも自由には出来ないからこそ、こつこつとやるしかない。結果つまらない事をせずに今まで生きて来れたのかもしれません。勿論失敗も何も数えきれない程あるのですが、もし自分に自信が漲っていて、経済的な心配もなく、何でも出来て自由に振る舞えるような人生だったら、私は今よりもっともっと業火の燃え盛る中を、未だにうごめいていたように思います。コンプレックスや、欠けたピースを心に思っていたからこそ、やっと今こうして生かされていると思えて仕方がないのです。片割れを常に求めているのが、ちょうど良いのかもしれませんね。

それにSideⅡが常にあるからこそ、行き詰まったり、スランプに落ちいったりしないで今までやって来れたのかもしれません。何とかこうとか色々な琵琶を弾いて生きて行けるのだから、これからも色々な自分を私という器の中でそれぞれ生かして、人生を送りたいと思います。

よみがえる音色 Ⅲ

7月は香川一朝さんが亡くなった月です。3年前の7月4日、突然のようにその知らせはやってきました。

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6年前の7月3日、以前共同通信社で発行していたオーディオベーシックという雑誌の付録企画を私が担当したのですが、その付録CDのレコーディングに一朝さん、筝の小笠原沙慧さん、笛の福原百七さんに声をかけて、古典雅楽から現代邦楽まで日本音楽の変遷を辿る曲目を選びレコーディングをしました。その仕事の後、このまま終わらせるのはもったいない、という一朝さんの一声で始まったのが、邦楽アンサンブル「まろばし」でした。
翌年2009年の1月には川崎能楽堂で、ファーストコンサートをやったので、レコーディングを終えてから私はせっせと譜面を書いて、メンバーで何度も練習を繰り返したのが、昨日の事のようです。
「まろばし」では新作を上演するのが会の趣旨で、私が全ての曲の作編曲を担当していたので、あの頃は毎日譜面に向き合って、暇さえあればスコアを書いていました。

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「新作をどんどん作れ」。一朝さんは常にそういって私の仕事の後押しをしてくれました。それまでも私なりにやっていましたが、今の私のスタイルを確立するには一朝さんとの出逢いが無ければ無理だったでしょう
そして一朝さんと言えばお寿司。練習でも本番でも、終わったらとにかくお寿司屋さんに直行でした。お酒も沢山頂きましたが、そんな日々を想い出すのも、時には良いものです。

仏壇を前にしていると、数々の想い出と共にあの満ちるような音色がじわりと甦ってきました。けっしてパワーでは吹かず、装飾も無い、まっすぐなけれんの無い音でした。現在尺八というと、皆判で押したように大きな音で、ムラ息をバリバリと聞かせ、何処までもダイナミックに演奏する人ばかりですが、一朝さんはそんな流行とは全く違う所に居ました。一朝さんの最大の魅力は何と言ってもPPなのです。それもウルトラPPと言ってよいほどの小さな音を安定して持続し、場に満ちるように響かせる事こそ、一朝さんのスタイルでした。「聴かせる」のではなく、「感じさせる」のが一朝さんの尺八でした。PPを安定して出せるというのは、演奏家にとっては究極の技術なのは、皆さんもお判りかと思いますが、それが出来る人はなかなか居ないのです。皆「鳴る、鳴らす」という事を誤解している人が実に多いのです。考えてみれば、私は贅沢な勉強をさせてもらっていたのですね。

IMGP8279一朝さんの尺八は、Viで言ったらクーレンカンプさんみたいな感じでしょうか。どこまでも音色に拘り、細部に渡って神経が行き届く、そんな演奏でしたね。大きな音でノリノリで吹きまくるようなことは決してしませんでした。

私は一朝さんと一緒に、色々な所で演奏しましたが、日本の感性や日本の美の姿をずっと教わっていたと言っても過言ではありません。あの頃は私がまだ猪突猛進の状態でしたので、判りませんでしたが、今になってみると、その美意識というものが、あらためて私の体に満ちて来るのです。一朝さんとのご縁が無ければ、私は未だにバリバリ弾きまくり、声を張り上げ吠えまくり、悦に入って表面の小手先の技術を誇るような、日本の美の姿からは程遠い所に居たでしょう。今でもまだまだ道半ばではありますが、一朝さんが私をその道にちゃんと乗せてくれたのです。

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いつも書いていますが、音楽に技術が聞こえて来るようなものは、音楽ではないのです。それはあくまで技芸であり、お稽古事なのです。練れた声も正確な撥捌きも大切ですが、そんな所を誇ってご満悦なようでは、プロの舞台には立てません。声も楽器の音も技も超えた「世界」を表現できてこそ音楽と成り、初めて舞台は成り立つのです。これは音楽に限らず、江戸手妻だろうが、能だろうが同じです。
舞台は非日常の空間です。その非日常の「世界」が現れなければ、どんな舞台も舞台として成り立ちません。日常の延長線が見えて「頑張っているね」なんて言われたらプロとしてはお終いです。その先の世界を感じさせることが出来てはじめて、語り出すのです。そういう事を一朝さんは教えてくれました。

私は尺八は吹けませんし、具体的な技術は何も受け継げませんが、その美的な志や感性はしっかりと受け継ぎたい。それを音楽で表して行くのは、まだまだ私には力不足ではありますが、私なりのやり方で突き進んでいきたいのです。

来年は「まろばし」の開催が5月頃になりそうですが、もう7回目となる演奏会は、また原点に戻って一朝さんから受け継いだ美学を、私なりに舞台で表わして行きたいと思っています。
今夜は一朝さんの音に身を浸して静かなる夜を過ごしています。

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風に語りて~水無月

6月は毎年、とにかく忙しく飛び回っている事が多いのですが、今年も例年通り色々な所に出かけて演奏して行きました。
そして今月は、様々な場所で色々な「風」を感じた月でもありました。その土地ならではの風、その場でしか味わえない風はどれも心地よいものばかり。いい仕事させてもらってます。感謝!

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月の初めに箱根の「やまぼうし」というサロンで演奏しました。この所お世話になっているICJCの企画でしたので、お客様は半分が外国の方々。Drアマトさんに通訳(超訳??)をしてもらいながらの演奏でした。この「やまぼうし」は芦ノ湖のすぐ近くで、たっぷりの緑に囲まれたところにあるので、私のような一刻も早く都会を離れたい願望のある者にとってはオアシスのような場所なのです。加えて、この「やまぼうし」は古民家で使われた柱や梁12軒分の建材を使って建てられていて、過去の息吹が現代に蘇る、正に私が求めるものを兼ね備えた素晴らしい空間でした。モダンなセンスが随所に生きているのですが、歴史を経た木材の醸し出す空気なのでしょうか、中の空気は落ち着いていて、何ともほっこりしました。
写真はそのサロンでの演奏の様子です。いい感じでしょ?。こういう所でのんびりと食事やお酒を楽しんだり、芸術談議したりして、気の合う仲間達と過ごしたいですね。都会とは違う、新鮮で生命感を感じる風と、古の息吹に身をゆだね、良い時間を頂きました。ぜひまた伺いたい場所です。
やまぼうし:https://www.facebook.com/yamaboushi

次は静岡。先日ブログにも書きましたが、やはり故郷の風は自然となじみます。静岡駅に降り立つだけで、何かが違う。富士山和歌山なんかもそうですが、静岡は海も山もあり、そこからの多くの恵みにも溢れた土地なので、風もおおらかで穏やかで、人ものんびりとしいているのです。駿河湾の凪いだ海から吹き来る風には色々な想い出が甦りますね。
静岡に行く時には時間さえあれば、各駅停車でのんびりと行く事にしていますが、旧車両の向かい合わせの座席に座って、車窓からただただ海や富士山を眺めているのが、私にとって何よりの贅沢なのです。本も何も要りませんね。いつかこの陽光と風の中に帰って行きたい。近頃はそんな想いが強くなりました。

続いて、21日にはJICA横浜で演奏したのですが、此方の風はまた一味違う。場所は赤レンガ倉庫のすぐ隣だったのですが、あの辺はちょっと異国情緒もあり、お客様も様々な国の方々でしたので、いつもの演奏会とは全然雰囲気が違いました。お客様からも「琵琶は日本の音楽というより、どこかエキゾチックですね」という感想を頂きましたが、きっとそんな感じで皆さんに聞こえたのではないでしょうか。何とも開放感があって違う国に居るみたいな感じもしました。

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またここでは今年の筝曲全国コンクールで優勝した、若干16歳の今野玲央君と共に演奏したのですが、彼は人柄といい音色といい、実にさわやかで、演奏もなかなかのものでした。フレッシュな感覚というのは聞いていて気持ち良いものですね。昨年和歌山で共演した筝の中島裕康君も、昨年全国コンクールを制覇して、まだ20代の半ば。最近は若手の男性筝奏者が活躍していて頼もしい限りです。エキゾチックな風を楽しみました。

江の島9

そして今月は江の島にも行きました。1年ぶり程でしたが、湿気もあまり無くて、心を浄化してくれるような海の風をたっぷりと身に受けてきました。心を深化させてくれるような山の風も素晴らしいですが、海の風もまた、私を包み、広大な太平洋を前にして体が空に舞いあがるような、そんな気持ちにしてくれました。静岡に育ったせいか、私には海と山の両方が必要なようで、何とも贅沢な体質なようです。
江の島は三大弁財天の一つであり、山田検校等の碑もある、音楽に縁の深い場所。いつかここで演奏する機会も持てたら嬉しいですね。海の幸をたっぷりと頂いて、沈みゆく夕日を見ながら、広大で、凪いだ海の上を渡る風を満喫してきました。

おまけは先週の、嵐のような豪雨の直前に吹きすさぶ風。印象的でしたね。嵐の前のイントロのような風は自分の感覚のどこかを刺激するようで、ゾクゾクとして来ました。

         

今月はこれらの他に、先日ブログにも書いたインターナショナルスクールでの子供たちの授業や、光が丘美術館の演奏会。琵琶樂人倶楽部の「次代を担う若者達」、そして社会人向けの「えびす大学」という講座など、色々と仕事をさせて頂きました。そしてほとんどの会で私の作曲した「風の宴」を演奏しました。この曲は先人からの息吹を「風」と捉え、その風を我が身に受けて、更にその風を次世代へと吹き渡らせて行こう、という私の想いを曲にしたものです。
私が演奏した「風の宴」は、私の想いを音楽に乗せ、「愛を語り、届ける」風となって吹き渡っただろうか??。まあそんな風に思うのも、ただの我欲かも知れません。

水無月の風は、どれも、こんな小さき者を優しく包み、行くべき所、あるべき姿へと誘ってくれました。
生かされて、今ここにある我が身を感じますね。

さて、今日は一年の折り返し地点。またこれからどんな風に出逢うのやら・・。

Think of nothing things, think of wind トルーマン カポーティ

舞台こそ人生 2014

先日、シアターXにて「踊る妖精」という舞台を観てきました。この舞台は4年前、同じタイトルでチェーホフの「かもめ」を題材とし、アキコカンダ、花柳面、ケイタケイ、折田克子、倉知外子らが其々ソロの作品を作り上演したもので、このブログにも感想など書きましたが、アキコカンダさんが亡くなった事もあり、今回は追悼公演という事で再演する事になったそうです。

シアターX

ryokan19先日、同じくシアターXにて行われた「イェイツと能」のレクチャーの時に、花柳面先生から、私の「良寛」の舞台の感想を伺っていて、「歌ってはいけない」、「歌っているけど、歌っていない」というアドバイス頂いたのですが、何とも抽象的な言葉で、何か大事なものがありそうだと、もやもやしながらずっと思いながら、その時点ではよく判らなかったのです。それが今回、それぞれの作品を観ていて、おぼろげながら気付かされました。

私は何時も、「その先の世界を表現する」という事をここに書いています。「上手を目指してはいけない」という事も書いています。それは「歌っているけど歌ってない」という状態に通じるのではないかと思えてきました。動き一つ、音一つでも表現の為にあるのであって、歌でも踊でも、踊りが踊りのまま見えるという事は、その先の世界に至っていないという事。言い方を変えると、その部分は日常を超えていないとも言えます。歌を超え、踊りを超えた所が表現できていなければ、まだ出来上がっていないという事です。上手が見えてしまうなんてのは単なるアマチュアレベルですが、舞台上の全てが表現となって初めて作品となるのです。つまり「歌っている」「踊っている」という風に観えてしまうという事は、プロの舞台人にとって大変残念な事なのです。

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音楽でも何でもそうですが、上手かどうか等と思うのは、その業界人だけでしょう。観客にとっては上手なんて事は当たり前なのです。いくら部分的に上手でも、舞台全体がが良くなければ、かえって舞台として未完成であることを露呈しているようなものです。
舞台というものは日常を離れ、観客を異次元へ駆り立てるような場になっていなくては、人は作品に対しお金は払ってくれません。お稽古事の無料の会だったら、頑張っているというだけで、拍手もしてくれるし、褒めてくれるかもしれませんが、プロはそうはいきません。そこに非日常の空間を作りだし、観客に表現が伝わってナンボです。先ずそういう舞台が出来ていなければ、良いも悪いも評価しようが無いのです。この前も書きましたが、技芸ではないので、いくら早く体を動かしても、瞬時に沢山の音を弾いたとしても、そういう表面の技術では作品にはならないのです。あくまでも作品を見ていただくのが我々の仕事なのです。

北鎌倉其中窯3私の事を振り返ってみますと、面先生が指摘したように「うたっている」というのが見える所がまだまだあるように思います。器楽の部分に於いては、自分自身の想いなり、表現なりを演奏に託し投影する事が自分の中で、極々自然な行為として成り立っています。特に樂琵琶では、自分の思うように弾けているという感じもあります。しかし歌はまだそうはいかない。「薩摩琵琶は弾き語りをやらなくてはいけない」という呪縛がまだ自分の中にはあるのでしょう。先日の観世銕之丞さんの謡を聞いても思いましたが、私は、歌ではなく、声を使った「表現」という形にしてゆくのが私らしいのではないかと思っています。私にとってメインは器楽。あくまで琵琶の音です。これからは弾き語りはどんどん減り、器楽に特化して行く方向に向いていますが、声に対しての考察もまだまだだ必要なようです

その為には、そういう作品をどんどんと作る事ですね。1stアルバムを出した頃は、そんな歌ではない、声を使った作品もいくつか書きましたので、今後はその辺りをあらためて加速させていきたいと思います。

私がこれまで聞いて感激してきた音楽は、皆世界最高峰のものですが、技が凄いなんて事は二の次三の次でした。そんな事よりとにかく作品自体に圧倒的なものがあって、その作品に魅了されたのです。もうキリが無いほどに夢の世界を味あわせてくれるアーティストを聴いて来ました。私は及ばずながらも、こういう側に居たい。舞台を観ていて、あらためて想いが湧き上がりました。

ソウルフード

先日久しぶりに静岡で演奏をしてきました。落語会などを定期的に主催している八千代寿し鐡さんが企画した演奏会で、いつもの古澤ブラザースと一緒に勧進帳をやってきました。

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演奏場所がなかなか落ち着いていて、琵琶を聴くにはちょうどいい所だったのが嬉しかったですね。良い時間を頂きました。また今回は、何時も静岡行くと世話になっている中学の時のブラバン仲間ツルちゃんが、当時のブラスバンド部の仲間達に声をかけてくれて、懐かしい再会で盛り上がりました。

もう静岡には実家も無いのですが、それでも静岡に行くと自然と「帰って来たぞ!」という想いが湧き上がります。先ずは何と言っても静岡おでん、黒はんぺんフライ、サクラエビという具合にソウルフードから入って楽しむのが俺流です。今回はお寿司屋さんでの演奏でしたので、お茶が美味しい!。久しぶりに旨いお茶を飲みました。香りといい、色といい、それは正に懐かしい「静岡のお茶」でした。

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柿田川から富士を望む

人間には帰るべき港のような場所が必要ではないでしょうか。日常ではそれが家庭であり、また故郷や国家というものだと思いますが、そこには固有の音楽や文化が溢れているべきです。それらが一人一人のアイデンティティーを作り上げ、静岡なり、日本なり、一人の人間の土台となって行くのだと思います。

昭和、特に戦後以降、日本人は皆故郷の民謡もほとんど唄わなくなり、日本の文化に背を向け、欧米こそ豊かな先進国で、且つ目指すべきものとして日夜追いかけて来ました。バブルの頃などは特に欧米の文化をラグジュアリーな最上ランクのものとして、皆が憧れるようにマスコミに誘導され、ヨーロッパブランドを買い漁る事が幸せな事だとばかりに振り回わされ、湯水のようにお金を使った、狂気の沙汰とも言えるような時代でした。
そこにはもう故郷の歌も無く、日本の品性も感性も美徳も無く、まるで先人から受け継いできた文化を自ら放棄したかのような有様でした。今音楽によって、自分の故郷を感じる事が出来る人がどれだけ居るでしょうか?。生まれ育った土地の音楽・文化等には興味もなく、若い頃聞いていたブルーズやジャズ、ロックの方がよっぽど郷愁を感じるなんていう人は、私より年配の方でも数多く居ます。むしろ年配者の方が多いかもしれません。

rock[1]これで日本の精神、文化、又は社会が今後良い状態に向かって行くでしょうか?私はそうは思えません。三島由紀夫がかつて言ったように「無機質な経済大国」に成り果て、揚句にはその経済すら落ちて行き、故郷の歌も知らず歌えず、文化すら無く、国とも言えないような土地だけが残ってしまう。今そんな未来が見え隠れしていませんか?。蜈・判蜒・0048同じ想いの方も多いのではないでしょうか。
かく云う私も、高校生までは静岡の民謡などほとんど聞いたことがありませんでした。日本の伝統音楽も身近に全く無かった。琵琶は勿論、三味線もお筝も何もありませんでした。そんな環境でしたが、高校時代の古文の先生との相性が良かったせいか、古文や和歌が私の日常にはありました。父も短歌が好きで、自分で歌集を作ったり、朝日歌壇なんかに投稿していましたので、多分に影響されていたのでしょう。だから日本の感性や芸術は、古文や和歌を通してごく普通に私の中に入って来ていました。そんな下地があったからでしょうか、朝から晩までジャズに浸っていたギター少年も、すんなりと違和感なく、琵琶弾きに成って行ったのです。

人間が生きて行く上で社会というものは、人間が単なる動物ではなく人間として生きる上で必要欠くべからざるものです。そこには文化があり、その文化は風土や歴史に育まれています。日本の文化は、類い稀な程に奥深く、ヴァリエーションも豊富。これを無くして日本という国はありえません。音楽でなくとも、落語でもいいし、染織や陶芸、書、絵画など美術の分野にも素晴らしいものが沢山あります。
子供達には日本という風土が育んだ様々な文化に接する機会を沢山与えてあげたいですね。色々なものを通して日本の奥深い文化を身近に感じさせてあげたいと思います。でなければ、学校でヒップホップを躍らされているような今の子供は、遠い祖先から脈々とつながる自分という存在を感じることが出来ず、自分が日本人であるという事すら実感できなくなってしまうのではないか、そんな風に思えてならないのです。

時代は変わります。感性も感覚もどんどん変わります。だから、ものの感じ方も哲学も、社会そのものも変わって行くでしょう。しかし私たちの住む日本は世界にも例の無い、長い歴史を今も脈々と紡いでいる唯一の国であり、私たち日本人は誰もが、その歴史の上に生を受けているのです。これを忘れてはいけないのです。

amato-ICJC授業を企画したDrジョセフアマトと
先日横浜のインターナショナルスクールICJCで、小学生を相手に「シルクロードの音楽」という授業をしてきました。日本語が判らない子がほとんどでしたので、スクリーンにローマ字で「祇園精舎」を映し出して歌わせたのですが、皆で大合唱して、最後には子供達が自主的に上手い子を選んで、選抜で私と一緒に祇園精舎を歌うという、とても楽しい授業になりました。「この歌には日本の文化が詰まっているんだ」なんて言いましたが、多分全然わかっていなかったでしょう。それでいいのです。とにかく面白がって歌えば良いのです。「和服を着た変なおじさんが面白い歌を歌っている」という位の印象でしょうが、こうして体験したことが、私が和歌や古文に興味を持ったように、彼らの中の感性を何かしら刺激して行く事でしょう。今の日本にはこういう体験をする所すら無くなって来ている。

私は人に教えるという事が下手で、それもあって教室の看板も出していないのですが、学校公演は時々手妻の藤山先生と一緒にやったりします。邦楽の方々も色々とやっている事でしょう。その時に邦楽器でポピュラーソングをやったりして、その場の受け狙いをするより、是非本物を聞かせてあげて欲しい。私は小学校でも平気で平家物語の弾き語りを20分もやったりしますが、何処へ行っても子供たちはじっくりと聞いています。先生方は皆びっくりしてますね。まともなものを真剣に聞かせれば、子供とはいえ何かを感じ取るものです。ディズニーやジブリの曲を邦楽器で演奏する事が必要でしょうか?私はそうは思えない。勿論興味を引くという点では良いかもしれませんが・・・・・・。
祇園精舎だって、子供達を導いてあげれば大合唱するのです。ようはどういう風に子供たちにプレゼンするかが問題なのです。是非子供たちが自分のルーツにあるものに直接触れる機会を作ってあげたいし、邦楽に関わる人もそんな努力して欲しいです。

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静岡は穏やかな気候で、海も山もあり、歴史も深く豊かな土地です。この静岡に生まれ育った事はとてもありがたい。もう東京暮らしの方がかなり長くなってしまいましたが、時を経ても昔の仲間と呑み、語り合う事が出来るというのは、私の大きな財産です。私には帰るべき土地があり、帰る度に静岡に生まれ育った人間としての誇りを感じます。私の演奏する音楽を聴いてくれる人が、同じように自分たちの原点を感じてくれたら嬉しいですね。

それには音楽も静岡おでんも常に今を生きているという事が大事だと思います。今も変わらず愛されてこそ、大人も子供も自分の原点だと感じることが出来るのです。個人的な想い出というだけでは、もう次の世代にはその味は伝わりません。音楽も食べ物も様々な世代と共にずっと生き続け、愛されている事が大切なのです。それがソウルフードとなり、また人間の土台を育て、共通の感性を育てて行きます。流派の形やしきたりに拘り、小さな村の中にしか目を向けず、聴衆を忘れ、時代と共に生きる事を失った音楽など誰も聞いてくれません。古の文化ではなく、現在進行形の文化として、邦楽が社会の中に息づいていて初めて響くのです。そう成るといいですね。

静岡おでんを食べ、香り豊かなお茶を頂きながら、想いが溢れてきてしまいました。

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