この所演奏会続きで、先日の北鎌倉建長寺に続き、お江戸日本橋亭の「半月の会」、琵琶樂人倶楽部「文人の愛した絃楽器」と続けてやってきました。
「さざなみの別れ」演奏中
今年の「半月の会」は、一の谷をテーマとした古澤錦城さんによる企画構成で、私は古澤さんの作った、平知盛・知章親子の事を描いた新作「さざなみの別れ」の伴奏をやってきました。
こちらは平曲を語っている古澤さん。益々良い姿になってきましたね。古典をやりながらも常に色々な人と交流して創造性を失わない古澤さんの姿勢は素晴らしいと思います。
そして次の日は桜井真樹子さんを迎えて、琵琶樂人倶楽部第77回「文人の愛した絃楽器」というお題でレクチャーと演奏をやってきました。
毎年桜井さんには面白いテーマを投げかけて、彼女の幅広い見識を総動員してレクチャーをやってもらってます。また桜井さんとは毎年やる度に何度も打ち合わせをし、練習をしてやっているので、毎回かなり充実した内容になるのですが、そろそろここ何年かでやってきた事をライブなり、講座なりの形にして行こうという事で、画策しています。乞うご期待!
またお客様には、以前よく一緒にやっていたマルチフルーティストの吉田一夫君も来てくれて、打ち上げでは古澤・塩高・桜井・吉田のチームに、ブルースマンのホセ有海さんも参戦して、邦楽・雅楽・ジャズ・デスメタル・パンク・ブルース・プログレ・フォークと、ジャンルを超えて話が盛り上がり、激しい化学反応を起こしていました。新しい音楽が生まれそうな予感??!
私は琵琶奏者ではありますが、アンテナは常に
ノンジャンルなので、私の周りには同じように広くアンテナを張り巡らせた方々がどんどん集まってきます。音楽家は勿論の事、舞踊家、美術系の作家、語り部、物書き、役者、学者…もうキリが無いのですが、皆さん実に話が面白い。桜井さんも音大出の作曲家として出発し、今ではユダヤ~アラブ~雅楽・声明・白拍子などその知識は百科事典並だし、フルートの吉田君もクラシックやジャズだけでなく、フリー系からアイリッシュ、ボッサなど私とはまた違う分野に豊富な経験と知識をいっぱい持っている。皆自分の確かなホームグランドは持っていながらも、どんどん越境して行くので色々な方向に話が飛んで、いくら話しても尽きることがありません。皆さん実に感度が高いのです。
どんなジャンルでも何かを作り出そうという人は、先ず自分の立つべき位置がぶれない。それでいながらあらゆる分野に渡って、有り余るほどの引き出し、知識、経験を皆一様に持っていますね。これは年を追うごとにそう思う事が多くなりました。永田錦心や鶴田錦史も正にそうです。天才は、たとえ閉鎖的な世界にあっても、そこに流されることなく、自由自在にcross-border~越境して行くのです。


さて、今年も「良寛」の舞台がやってきます。今回再演にあたり和久内明先生が脚本を改訂されて、キャストも変わりました。主演の津村禮次郎先生はそのまま。黄泉の国の風は、蜷川幸雄の舞台や黒澤組の一員としても知れる伊藤哲哉さんにお願いする事になりました。伊藤さんは琵琶を弾きながらの一人芝居なども積極的にやっている事もあって、もうずいぶん長いお付き合いをさせてもらってます。これまでも琵琶樂人倶楽部にも出ていただいたし、何かとアドヴァイスを頂いている良き先輩なのです。そしてもう一人、前回の国語教師に変わって、不運なダンサーという役で木原丹さんが入ります。皆さん確固たる自分のスタイルを持ち、且つcross-borderな方々。ここに私の琵琶と大浦典子さんの笛が加わります。勿論作曲は今回も私が担当します。是非是非お越しくださいませ。5月23日座高円寺2でお待ち申し上げております。
こうして色々とお仕事させてもらうのは大変ありがたい事です。いつまでもcrosss-border~越境する音楽家でありたいものですね。
先日、建長寺の応真閣にて催された、版画家の井上員男先生の平家物語展にて演奏してきました。
井上先生の作品は六曲屏風に飾られた12作品で、緻密で且つ壮大なその世界は観る者を虜にするような魅力があります。以前、練馬の光が丘美術館で展示された時も演奏しているのですが、鎌倉という場の持つ力なのでしょうか、大広間いっぱいに展示された姿は、以前とはまた違った迫力に満ちていました。
会場は200人を超えるお客様で超満杯。やっぱりこういう所で聴きたいという人が多いのでしょうね。ホールのように響く訳ではありませんでしたが、気持ち良く演奏出来ました。後方からの写真で小さいですが、こんな感じでした。
鎌倉は私にとって何かと縁のある所で、毎年恒例の古民家ミュージアムでのReflectionsの演奏会をはじめ、昨年も魯山人の築いた窯で作陶している河村喜史さんのサロンで演奏したりして、これまで色々な場所で演奏をしてきました。私の弾き語り作品の作詞をしてくれている森田亨先生も鎌倉在住ですので、鎌倉では何かと飲み歩いたり、打ち合わせをしたり、身近な場所でもあります。緑も多く、歴史も深いこういう所はいつ行っても良いですね。ここ数年更に縁が深くなって来ている感じがしています。
琵琶のような古くからある楽器は、おのずと歴史というものを背負っています。薩摩琵琶自体は近現代のものですので、古典という訳ではありませんが、歴史ものを題材としていることもあって、琵琶楽全体という大きなくくりで考えると、ロマンの部分だけは時代を遡って行きます。樂琵琶や平家琵琶は正に平安・鎌倉そのものなので、日本の歴史がそのまま楽器に宿っていると言っても良いかと思います。
そういった歴史を背負う琵琶という楽器に携わっている者として、この平成の時代まで続く歴史を、次代へとつなげて行く事は、おこがましくも何処か使命のようなものを感じます。どうやってやって行くべきか、大いに悩むところでもありますが、少なくとも形をや歴史をなぞるだけでは何か片手落ちのような気がしています。
例えば、古代の遺物は何の目的で使われていたのかも判りません。銅鐸や埴輪が良い例です。神社などでも何の神様を祭ってあるのかも判らなくなって、まるで別物になっている例もあります。つまり過去を過去の形のまま伝えた所で、その意味を伝えなければ、時代によって考え方も価値観も変わってしまうので、物体としての形しか残らないのです。
蓮如上人坐像
親鸞聖人の教えも数百年の後には衰退していましたが、蓮如上人が室町時代に、当時の人々に、当時の感性と言葉で、真宗の教えを生き生きと輝くものとして説いたからこそ今があるのです。私達は、過去のものを命あるものとして現代の感性に訴え、伝える事こそがその役割であり、仕事ではないでしょうか。
先ずは歴史をしっかりと正視して、創造性の光を当てなければ、現代にそして次代にも響きません。伝えるべきものに創造性を持って接し、今自分は古典の何を伝えたいのか、その為には現代に於いてどういう表現をすべきなのか、何を変えて行ったらよいのか等々、多くの事を勉強し、考えなくてはなりません。古典をやるという事は、そのものだけを見ていても何も見えてきません。当時の社会、歴史の変遷、宗教いろいろなことが関わっていますので、そういう事もしっかり勉強しなければいけません。また、現代という社会・時代についても明晰な視座を持って見つめていなければ、何も表現できません。かなりの知識と知性、幅広い感性が要求されるのです。
新しいものをどんどんと作り、時代を突き進んで行くのは良いと思いますが、中には何十年しか経っていないものを古典と称して何のはばかりも無く宣伝しているもの等を目にしる事も多々あります。本当に情けなく思います。私にはそうしたものは自己顕示欲の塊のように見えるのです。上っ面の和風文化が今後も残ると思う人は少ないのではないでしょうか。「伝統」というものに少しでも携わる人は深く考えて欲しいものです。
私はいつでも自分で作った作品を演奏します。樂琵琶では古典をそのままやる曲もありますが、それを今、現代に於いて演奏する意味を充分に考え、自分で納得いかなければ、とても舞台にはかえられません。今回演奏した「平敦盛~月下の笛」も現代に於ける敦盛の物語を語るべく、新しく作った作品であると紹介させて頂きましたが、何よりも古典から続くこの日本文化の道程の最先端として、自分の新作を発表出来るという事が私にとっての喜びなのです。私の作品の前には永田錦心が居て、宮城道雄が居て、世阿弥が居て、源博雅も秦河勝も居るのです。先人の残したものが何かしら脈々と伝えられているから、今私が琵琶で新作を発表するという活動をしていられるのです。私自身は、この道程に於いてたとえ取るに足らない末端の存在であっても、このような歴史の大きな流れの中に私の音楽が響いていることは、嬉しいし、ありがたいし、誇りでもあります。
古典は何よりも大事にしなければなりません。同時に古典に寄りかかってもいけません。古典に携わる事で偉くなったように思い込む態度は、奢り以外の何物でもないし、単にそれは勉強が足りないからそうなるのです。やればやるほどに謙虚な姿勢になって行くものではないでしょうか。常に心新たに取り組みたいものですね。
鎌倉の地で、大いに想いを馳せた一日でした。
都内の桜はもう満開を過ぎて散り始めていますね。先日も近くに花見に出かけましたが、花びらが風に舞って、桜吹雪のような場面に何度も出逢いました。
善福寺緑地
私は元々植物好きなので、狭苦しいベランダですが、ずっと前から花やハーブや野菜など色々と育てています。樹木や花があると何しろ落ち着くのですよ。山の中にすぐ行きたがるのもそういう所から来るのでしょうね。
桜の開花の少し前に、かねてから行ってみたかった牧野富太郎記念庭園に行ってきました。
牧野先生は文久2年(1862)土佐の生まれ。植物学の先生として御存じの方が多いかと思います。没後には勲章を贈られているような方ですが、大学には行っておらず、何と小学校中退だそうです。
自分で研究を重ね、日本人として最初の本格的な植物図鑑を出すなど、その功績は飛び抜けていて、命名した植物は何と2500種類以上に上るそうです。更に先生の書いた植物画が素晴らしく、私は絵の方から先生の存在を知りました。退色するのが嫌だったそうで、モノク
ロでしか書いていませんが、それが却って本物を感じさせる要因にもなっているみたいです。
右の絵は1900年発行の大日本植物誌のものですが、先生の丁寧で几帳面な性格が見えて来るようです。
大学で長い間講師として務めたそうですが、一方で自らが平凡になったと残念に思う気持ちもあったそうで、最後は自ら大学に辞表を提出し、それまで以上に植物へ情熱を注ぎ、日本全国を飛び回り、誰かが止めないと、何時間でも地面に身をかがめて観察してたという位、その情熱は亡くなる前年の93歳まで、衰えが無かったそうです。肩書きを求め追いかけ、その小さな幻想の中で右往左往してしまう人が多い中、これぞ正に真の探究者の姿ですね。
このあくなき探究心、衰えという事を知らないその姿には、肉体を超えた精神のみずみずしさが常にあったのでしょう。誰しも経験を重ねていくと、間違いのない安定した事をやろうとします。皆ギリギリの崖っぷちを歩くことをしなくなる。それはけっして悪い事ではないですが、その姿勢では新たなものは生まれない。そしてそれは洗練というものからも程遠い所にある姿勢であります。
善福寺緑地
研究でも音楽でも新しいものは、不完全さというものが付きまといます。未熟な部分もあるでしょう。しかしだからこそ次の時代へとつながる新たな技術が生まれたり、今までとは違う時代を予感させる感性が育まれたりするのです。その未熟さをあげつらったり、確証が無いものを排斥したりする風潮は、創造性に対する一番の敵というべきものです。にもかかわらず、未だにそんな硬直したアカデミズムが日本には蔓延している。昨今の事件を見聞きしていても、情けなくて仕方がないと思うのは、私だけではないと思います。日本が低迷するこの時代に於いて、まだそんなところで権威を振りかざしたり、硬直した頭で若者を押さえつけ、もの事を捉えていたら、日本は有能な人材をどんどん失い、ほどなく国力というものを失ってしまうでしょう。
新しいものは何があるか判らないからこそエネルギーが溢れて来るのです。偶然から生まれるものもあるだろうし、そもそも推論や挑戦という事が許されないのだったら、新しいしいものは生まれ出て来ない。
皆多様な感性が自由に羽ばたける、無限に広がる土壌があってこそ、音楽も学問も生まれてきたのです。本気で若者を育てたいのなら、その未熟さも危うさも丸抱えで、サポートすべきだと思います。大学や流派などの組織は年配者が肩書き頂いて安住できる場であってはならないのです。常に創造の場でなければ!!
新宿御苑
牧野先生のように自分の思う所をぶれずに突き進んで行くのはなかなか難しい。生きて行くためには稼がなくてはいけないし、崖っぷちを渡るような生活が長く続けば、安定したゆとりが恋しくなるのは当たり前です。
安定は確かに必要です。安定の中に創造性を絶やさず、溢れているという状態にするのは、大変難しいですが、そこまで行くときっと洗練というものが生まれて来ると思います。しかし残念ながら安定は人から往々にして創造性を奪ってしまう。安定と創造性を両立できた人間だけが、飛び抜けた仕事をしていくのでしょう。それを選ばれし人というのだと思います。
牧野記念館では植物への興味以上に、色々な想いが溢れてきて、人生の指針を頂いたような気分になりました。人間、本筋以外の所に欲を求めたら魂も薄らいでしまうものです。良き春の一日となりました。
都内はもう桜が八分咲きになりましたね。所によっては既に満開という所も出て来ました。我が家の近く、善福寺緑地には桜・桃・モクレン・ハナカイドウ・ハナズオウ・ユキヤナギetc.正に春の息吹が溢れかえり、花の饗宴状態です。春は就職や進学で人生が展開して行く人も多いせいか、世の中にエネルギーというものが満ちてくるような気がします。人の顔も華やいでいるように見えますね。
善福寺緑地
吉野梅郷
今年も吉野梅郷に行ってきました。毎年のように行くのですが、あの景観はいつ行っても素晴らしいです。吉野梅郷周辺は大変穏やかで品性の良い落ち着きのある所で、街全体に風情を感じます。こういう所はぜひとも大事にしたいですね。しかし残念ながら、吉野梅郷の梅はここ数年ウイルスに蝕まれてしまって、4月からすべての木が伐採されてしまうのです。つまり今年が見納め。3年後をめどに再生を図るそうですが、あれだけの景観はそう簡単には蘇らないでしょう。大変だと思いますが、また新しい時代が来ることを期待しています。
自然に溢れ、四季の花々に囲まれている日本の魅力はどんどんなくなって来ていると、毎年実感します。更に桜の花に想いを馳せ、歌にその美と儚さを詠い、詩に表わしてきた、誇るべき日本の感性というものも最近あまり感じませんね。日本の文化も音楽も、その豊かな自然からの授かりものだという事を、今の日本人は忘れているかのようです。梅や桜があったからこそ、日本独特の詩情というものが生まれ、感性が育まれ、それが深化して、わび・さびにも繋がり、他にはどこにも無い類まれなる文化が生まれたことは、まともな日本人なら誰もが判る事だと思うのですが・・・。
吉野梅郷
昨今の世の有様を見ていると、この現代日本が、花を愛でて、歌を詠み、詩を吟じ、音楽を奏でるような環境にあるとはとても思えません。邦楽が、今を生きる日本人になかなか受け入れられないのも判りますね。演じ手も売れる事ばかりを考え、見た目の派手さや目先の話題性に走り、梅や桜を見ても歌の一つも詠めないようになってしまった。残念です。これからの日本人に、この豊饒な自然と文化を再認識させることは出来ないのでしょうか。繊細な感性に裏打ちされた、この奥深い日本の感性はもう過去のものになってしまったのでしょうか・・・。

世の中の動きに合わない人間は淘汰されてゆくのが運命なのでしょう。私のように山の中でゆっり暮らしたい、などという人間はおよそ現代社会=都会には向かないのかもしれません。都会は確かに色々な出会いもあるし、旺盛な芸術家の活気に満ちた仕事に触れることも出来るし、音楽家としてのレベルも確かに上がりますが、刺激的ではあるものの、日常を流されるように生きていると思う事もしばしば。そこには自然の息吹というものが無く、詩情を育む場所もない。
そして皆が一方向に走って行く姿はやはりまともではないです。色々な考え方、様々な生き方、感じ方が共存し得ない社会はやはりどこかおかしい。
タレントやTV番組の事など知らなくても良いのです。スマホから目を離さず四六時中投稿している人が、どうして野に咲く花の美しさに目を向けることが出来るのでしょう?。それが普通で、今の当たり前ですか?そ
れで本当に良いのですか?。私は電車の中でも、食事をしていても、スマホやタブレットPCが気になってしょうがない人を見ると、精神的に異常な状態にあるとしか思えてなりません。
マスコミがちゃんと報道しないと言いながら、また他の情報をネットで探し、どんどん情報の罠にはまり、振り回されて行く様子は変だと思いませんか?。自分には知らないことが沢山ある、という事を自覚する事の方がまとものように思いますが、如何でしょう?。

吉野梅郷
梅や桜のように物言わずとも、自らに与えられた運命を真摯に、そして旺盛に生きているような現代人はどれだけいるのでしょう。
いつの世も有象無象渦巻くものですが、詩情に溢れ、美を語り、芸術に身を挺する人がもっといて欲しいですね。文化そして国家が衰退して行くとはこういう事なのでしょうか・・・。
野に咲く花に日本の姿を感じました。
「テート美術館の至宝 ラファエル前派展」に行ってきました。一昨年観たエドワード・バーンジョーンズもこの一派に当たりますがバーンジョーンズは第二世代。今回は一派を立ち上げたミレイ、ハント、ロセッティを中心とした魅力いっぱいの展示でした。
キャッチコピーがそそりますね。「それは懐古か反逆か?」私には正にぴったりです。何と言ってもこのオフィーリア(下画像)が有名ですが、今回もこの絵を目指して行ってきました。
ラファエル前派は1848年、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントを中心として結成された芸術結社。彼らは盛期ルネサンスの巨匠ラファエロの形式だけを踏襲する当時のアカデミズムに反発し、ラファエロ以前の素直で誠実な初期ルネサンス絵画を理想として、この名前になったそうです。自然をありのままに見つめその姿を写しだすべく、明るい色彩でリアリズムに徹したのが特徴です。こうしたラファエル前派の運動は周りの作家たちも巻き込み、広い影響を与えたのは想像に難くないですね。芸術が形骸化したアカデミズムに陥った時、芸術はその魂を失い、芸術で無くなります。ラファエル前派の作品にも賛同と批判が渦巻いたそうですが、彼らの純粋な感性が結局受け入れられて行ったのです。それは芸術の真実だったからではないでしょうか。
この志と魂が後の世に繋がり、その後も芸術の世界は止まること無き発展をしてゆくのは皆さんご存じの通り。私は印象派の後のフォービズムやキュビズム、ダダ、シュール辺りから美術の世界に興味を持ち、だんだん時代をさかのぼって観るようになって行きましたが、単なる作品というだけでなく、それらを生み出してきた息吹というものにとても興味があります。
人間にはあらゆる可能性が満ちています。あらゆる感性が飛翔し、様々な種が溢れているのが世の中というもの。何か一つのカテゴリーやイデオロギーで限定されればされる程、そこからの解放に向かって行く力も強くなって行くのは歴史が証明しています。彼らの活動は短い間ではありましたが、彼らの活動が芸術の世界に残したものは大変に大きかった。其々の作品も勿論レベルが高く素晴らしいですが、その志や視野を次世代の新たな感性が受け継いで行った事が素晴らしいですね。
私はアカデミズムを否定している訳ではありません。大学も流派も基本は知の宝庫だと思います。素晴らしい研究機関であるはずです。しかしそこに閉塞感があり、形骸化がはびこり権威に凝り固まると始末に負えない。本来自由な発想を育み、幅広い見識と知性が集まる場であるはずなのに、「こうでなくてはならない」「○○はこういうものだ」等と情けない事を言いだし、そこに中身やレベル関係なく所属していることがステイタスとなってしまう。結果、○○大卒だの、○○流師範だのと、そのステイタスに寄りかかろうとする輩が跋扈し、芸術の魂を見失い、形骸化と閉塞感を煽る姿は見ていられません。
残念ながら人間はすぐ権威や名誉という「形」を求めたがり、本質を見失うものです。ずっとアウトサイドで頑張ってきた人が、ある時急に○○流なんて看板を出して、リサイタルなんか開く例も時折見かけます。しかしこうしたものに対し、公然と反旗を翻すラファエル前派の若者達のような、熱き血潮は止む事無くいつの時代にも溢れ出るのです。純粋に芸術を求める心を阻止する事はどんな人にも出来ません。レジスタンスの闘士はどこの国でもいつの時代でも必ず現れ、それによって時代というものが前に進んで行きます。人間は自らの作りだしたものに執着し、自らの得たちっぽけな知識や経験に囚われ、今度はそこからものを観ようとする。価値観の固定化は正に芸術家にとって精神の貧困!。琵琶楽に於いて、改めて永田錦心の偉大さが身に沁みて来ます。
枠にはまった感性は芸術の対極にあるものです。優等生ほど時代に翻弄され、真実から遠ざかるものは無いのです。時代が変われば、「良い」という感性も変わってしまうのですから・・・。
永田錦心の創り出した琵琶楽は素晴らしい。しかし演奏や作品ばかり見ていては、その中身は見えてこない。彼らの残した作品がどこから生まれ、何処を目指していたのか、その志の部分を見つめ継がない限り、形を追いかけるだけでは何も受け継ぐことは出来ないのではないでしょうか。技ではなく、永田錦心の志を次世代へと受け継ぐ人材が今必要なのです。そして新た時代が訪れた時に、改めて永田錦心はもっと大きく評価されるでしょう。
作品も勿論素晴らしかったのですが、彼らの純粋なる芸術の魂に触れ、大いに感じるものを得たひと時でした。