黄泉の国から~戯曲公演「良寛」終了

座高円寺にて行われた戯曲公演「良寛」無事終わりました。黄泉の国での出来事の芝居でしたので、やっと現世に戻ってきた気分です。

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今回は、津村禮次郎先生、伊藤哲哉さんという二人のベテランの味わい深い実力を痛感した舞台でもありました。その道のベテランと呼ばれる方の舞台はやっぱり素晴らしいですね。
今年はスタッフ、キャストががらりと変わり、脚本も大分洗練されたこともあって、昨年の公演とは全くの別物になりました。私自身も作品に対する理解が深まりましたし、津村禮次郎先生も更に磨きがかかって、正に良寛さんそのもの!。また今回は役者3人が随所にアドリブをかますなど、余裕のある舞台となりました。若手の木原丹君もいい芝居をしていました。

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音楽でも演劇でもどんなジャンルでも言える事ですが、ベテランとして評価されている方々には「けれん」が無いのです。私は邦楽の分野に関わってから、この「けれん」という事が常に気にかかっていました。私に「けれん」という言葉を教えてくれたのは、さ一番最初に琵琶を習った錦心流琵琶の高田栄水先生ですが、先生も若い頃はコブシ回しで有名な演奏家の後にくっついて廻っていたとの事です。しかし年を重ねるにしたがって魅力を感じなくなってしまった、と言っていました。やはりけれん味というものは飽きが来る。必要無いのです。

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尺八も似た所が有りますが、琵琶は個人芸であるせいか、はったりやこけおどしの類に走る人が実に多い。youtubeなどを色々観ていると、琵琶って大道芸なの?と思うようなスタイルの人が目立ちます。人それぞれで良いと思いますし、様々なスタイルがある事は好ましい事ですが、パフォーマンス系ばかりになってしまうのは悲しいですね。しっかりと音楽を聞かせられる人ももっと出て良いと思います。

等身大そのものになって舞台に挑んで行ける人は、そのままで存在感もあるし、何も足す必要が無いのです。中身がまともなら、売れっ子になるかどうかは別としても、まともな評価は付いてゆくものです。「けれん」が目につくというのは、色々と飾り立てて自分を誇示しようとしている事。言い換えれば、技術も器もまだまだという事です。まあ肩書き並べ、看板ぶら下げているような姿勢からは「けれん」しか生まないだろうと思いますし、そんなものを掲げている事自体が正に「けれん」そのものといえますね。

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私がいつも書いている永田錦心の演奏にはそういうものがありませんでした。私はそこに共感するのです。何事も技や「けれん」など小細工が見えるようでは、まだ表現に至らないという事です。そういったものの先にある世界を現してこそ、音楽であり、舞台です。舞台にも音楽にも小賢しい細工は必要無いのです。

ryokan2一昨年、和久内明先生と出逢い、縁に導かれ、昨年より良寛を追いかけることになり、舞台を務めましたが、昨年はまだまだ自分の中の思い入れだけが空回りして、舞台に結晶していませんでした。今年も細かな反省は多々有るものの、更に一歩進んで務めることが出来たのは良かったと思います。

今年も、エンディングの津村先生と私の樂琵琶独奏のデュエットは、しっかりと記憶に刻まれました。津村先生は今年も良寛という個人を超えた、存在としての良寛となり舞われていました。その時私が弾いた「春陽」という曲は、やる度に新たな命を頂くようで、私の中で、どんどんと育ってゆくようです。

関わった皆様に感謝。御縁に感謝。

What are you doing the rest of your life

この所、戯曲公演「良寛」の稽古が連日入っているので、何かと連絡等滞り気味で、ご迷惑をかけております。

水の女そんな最中ではありますが、先週はドイツ文化会館で行われた、桜井真樹子さん企画の「水の女」を観に行きました。折口信夫の原作をドイツ語の朗読に乗せて舞台構成して行くもので、地唄舞の花崎杜季女さんも加わって、独自の世界を現していました。観ていて、民族性と洗練されたグローバルな感性のバランスというものを感じました。

桜井さんは以前にもブログで紹介しましたが、クラシックから始まって、日本の古典に戻り、雅楽や声明、白拍子などを研鑽研究し、更にそのルーツであるユダヤ、アラブにまで至る活動を展開しています。一方花崎さんも地唄舞を土台にして、海外に積極的に飛び出して行っています。私も洋楽から始まり、邦楽・雅楽に至り、また邦楽を離れシルクロードを辿り、外側に目を向けている。こうして見ていると、何かしら共通する仲間というものは自然と集まってくるのだな、とつくづく思いました。

日の出2

今年の新年のテーマは「洗練」と書きましたが、民族性と洗練は時に相対するものでもありますね。単にどちらかに舵を切るという単純なものではないとも思います。世界が繋がって来ている現代で、この風土と歴史がもたらした類まれなる日本人の美の感性を、世界の人に感じてもらえるような表現をする事こそ、日本の芸術家の仕事だと私は思ってます。これからは微力ながらも、こうした事に残りの人生を費やして行きたいですね。

世界の中の日本という意識は、現代に於いて大変重要なキーワードになると思いますが、世界中に物事が発信され、また世界の情報が一瞬にして入ってくる、この現代に生きる人々の感性を考えれば、表現者側も当然意識は変わってくると思います。以前と同じ感覚ややり方をやっていたのでは、日本国内でも相手にされなくなるのは当たり前です。既にマーケットは国内に留まらないのだし、私ですら世界の人がネットで観て聴いて感想を送ってくる時代です。そんな時代だからこそ、私は自分の音楽を単なる珍しい民族音楽ではなく、世界に数ある素晴らしい音楽の一つとして届けたい。桜井さんや花崎さんも同じ想いだと思います。

高橋竹山1かつて高橋竹山はアメリカの聴衆を魅了しました。それは彼が即興演奏に秀でた能力があった事と、海外のオーディエンスを対象にしてプロデューサーが売り込んだから成功したのです。
結局は「眼差し」がどこを向いているか、そこに行きつきます。竹山の三味線も民謡の名人と言うだけで売り込んでいたら、アメリカ人は感応しなかったでしょう。ジミヘンやコルトレーンにも勝るエモーショナルな音楽として紹介したからこそ、彼の音楽は、まるで霊魂探知機でもあるかのように、我々の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」

と評されたのです。そのように評されるには、そのように魅せる事が必要なのです。竹山の音楽に、海外の人を魅了する魅力と可能性を、プロデューサーが見抜いていたのでしょう。

では今、どうやったら日本から世界へと音楽を届ける事が出来るのでしょうか?様々なアプローチがあるでしょう。様々なアプローチをする人が居るべきです。

中でも、言葉や語りが命とも言える邦楽では、言葉の問題は、今後世界に向けた音楽をやって行く時に、大きな問題になると思います。竹山の三味線も尺八古典本曲も歌や言葉の無い器楽だったからこそ、ダイレクトにその音楽が浸透して行ったのは間違いない事実でしょう。勿論日本人とは違った感じ方とは思いますが、何かを感じ取ってくれたのは間違いないと思います。
これからは従来のやり方ではない、新たな声の表現、言葉の在り方というものを突き詰め、言葉の根底にある日本独自の感性を表現するような人が、邦楽の分野に是非現れて欲しいと思います。

huji2

私は常に自分に「問いかける」という事をしています。「自分の音楽は何なのか」「何故それをやるのか」etc. 様々な「問いかけ」があるからこそ、色々なものに触れようとし、吸収も出来る。「問いかけ」が無くなった時には形骸化が起こり、輝きを失い、アーティストとしては存在できなくなるでしょう。「琵琶はこういうものだ」「こうでなくてはいけない」というような硬直した感性では、その輝きは、とてもじゃないけど保つことは出来ません。何物にも囚われない無垢な精神があってこそ、音楽や芸術はその命を育んで行く事が出来るのです。邦楽が今、どんどん衰退しているのは、その原因が演者側の意識に問題があるのではないでしょうか。

2012-5色々なものが存在し、広く間口があるのは良い事だと思います。しかし私は邦楽器でポップスをやったからといって、洗練されたとも思いませんし、世界に出て行けるとも思っていません。多少話題になって、演奏する機会も多少は増えるでしょう。また従来の邦楽関係者からすると、ポップスやアニメソングをやるのは画期的かもしれません。しかし外側から見ると別に何の楽器でやってもポップスはポップス。同じ事なのです。しかも音楽ではなくパフォーマンスとしてしか映らない。
リスナーが求めているのは「楽器」「技」ではないのです。皆、日本の魅力ある「音楽」を聴きたいのではないでしょうか。琵琶でも三味線でもサックスでもピアノでも、楽器を見せる聞かせるのではなく、むしろ楽器は洋楽器でも、そこに日本独自の感性があるかどうか。どんな魅力的な音楽をやってくれるのか、それを期待しているのではないでしょうか。

話題性も必要だし、過程の一つとしてそういうものも大事かもしれません。しかしそれらも明確なヴィジョンありきで動いて行かないと、ただの賑やかしで終わってしまいます。少なくともこれからの私の人生で、そういう一過性のエンタテイメントをやってる時間は無いのです。
私は日本の音楽、それも形骸化したものではない現在進行形の日本音楽。リアルな日本の音楽、そして私独自の音楽を届けたいのです。

What are you doing the rest of your life

What are you doing the rest of your life

この所、戯曲公演「良寛」の稽古が連日入っているので、何かと連絡等滞り気味で、ご迷惑をかけております。

水の女そんな最中ではありますが、先週はドイツ文化会館で行われた、桜井真樹子さん企画の「水の女」を観に行きました。折口信夫の原作をドイツ語の朗読に乗せて舞台構成して行くもので、地唄舞の花崎杜季女さんも加わって、独自の世界を現していました。観ていて、民族性と洗練されたグローバルな感性のバランスというものを感じました。

桜井さんは以前にもブログで紹介しましたが、クラシックから始まって、日本の古典に戻り、雅楽や声明、白拍子などを研鑽研究し、更にそのルーツであるユダヤ、アラブにまで至る活動を展開しています。一方花崎さんも地唄舞を土台にして、海外に積極的に飛び出して行っています。私も洋楽から始まり、邦楽・雅楽に至り、また邦楽を離れシルクロードを辿り、外側に目を向けている。こうして見ていると、何かしら共通する仲間というものは自然と集まってくるのだな、とつくづく思いました。

日の出2

今年の新年のテーマは「洗練」と書きましたが、民族性と洗練は時に相対するものでもありますね。単にどちらかに舵を切るという単純なものではないとも思います。世界が繋がって来ている現代で、この風土と歴史がもたらした類まれなる日本人の美の感性を、世界の人に感じてもらえるような表現をする事こそ、日本の芸術家の仕事だと私は思ってます。これからは微力ながらも、こうした事に残りの人生を費やして行きたいですね。

世界の中の日本という意識は、現代に於いて大変重要なキーワードになると思いますが、世界中に物事が発信され、また世界の情報が一瞬にして入ってくる、この現代に生きる人々の感性を考えれば、表現者側も当然意識は変わってくると思います。以前と同じ感覚ややり方をやっていたのでは、日本国内でも相手にされなくなるのは当たり前です。既にマーケットは国内に留まらないのだし、私ですら世界の人がネットで観て聴いて感想を送ってくる時代です。そんな時代だからこそ、私は自分の音楽を単なる珍しい民族音楽ではなく、世界に数ある素晴らしい音楽の一つとして届けたい。桜井さんや花崎さんも同じ想いだと思います。

高橋竹山1かつて高橋竹山はアメリカの聴衆を魅了しました。それは彼が即興演奏に秀でた能力があった事と、海外のオーディエンスを対象にしてプロデューサーが売り込んだから成功したのです。
結局は「眼差し」がどこを向いているか、そこに行きつきます。竹山の三味線も民謡の名人と言うだけで売り込んでいたら、アメリカ人は感応しなかったでしょう。ジミヘンやコルトレーンにも勝るエモーショナルな音楽として紹介したからこそ、彼の音楽は、まるで霊魂探知機でもあるかのように、我々の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」

と評されたのです。そのように評されるには、そのように魅せる事が必要なのです。竹山の音楽に、海外の人を魅了する魅力と可能性を、プロデューサーが見抜いていたのでしょう。

では今、どうやったら日本から世界へと音楽を届ける事が出来るのでしょうか?様々なアプローチがあるでしょう。様々なアプローチをする人が居るべきです。

中でも、言葉や語りが命とも言える邦楽では、言葉の問題は、今後世界に向けた音楽をやって行く時に、大きな問題になると思います。竹山の三味線も尺八古典本曲も歌や言葉の無い器楽だったからこそ、ダイレクトにその音楽が浸透して行ったのは間違いない事実でしょう。勿論日本人とは違った感じ方とは思いますが、何かを感じ取ってくれたのは間違いないと思います。
これからは従来のやり方ではない、新たな声の表現、言葉の在り方というものを突き詰め、言葉の根底にある日本独自の感性を表現するような人が、邦楽の分野に是非現れて欲しいと思います。

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私は常に自分に「問いかける」という事をしています。「自分の音楽は何なのか」「何故それをやるのか」etc. 様々な「問いかけ」があるからこそ、色々なものに触れようとし、吸収も出来る。「問いかけ」が無くなった時には形骸化が起こり、輝きを失い、アーティストとしては存在できなくなるでしょう。「琵琶はこういうものだ」「こうでなくてはいけない」というような硬直した感性では、その輝きは、とてもじゃないけど保つことは出来ません。何物にも囚われない無垢な精神があってこそ、音楽や芸術はその命を育んで行く事が出来るのです。邦楽が今、どんどん衰退しているのは、その原因が演者側の意識に問題があるのではないでしょうか。

2012-5色々なものが存在し、広く間口があるのは良い事だと思います。しかし私は邦楽器でポップスをやったからといって、洗練されたとも思いませんし、世界に出て行けるとも思っていません。多少話題になって、演奏する機会も多少は増えるでしょう。また従来の邦楽関係者からすると、ポップスやアニメソングをやるのは画期的かもしれません。しかし外側から見ると別に何の楽器でやってもポップスはポップス。同じ事なのです。しかも音楽ではなくパフォーマンスとしてしか映らない。
リスナーが求めているのは「楽器」「技」ではないのです。皆、日本の魅力ある「音楽」を聴きたいのではないでしょうか。琵琶でも三味線でもサックスでもピアノでも、楽器を見せる聞かせるのではなく、むしろ楽器は洋楽器でも、そこに日本独自の感性があるかどうか。どんな魅力的な音楽をやってくれるのか、それを期待しているのではないでしょうか。

話題性も必要だし、過程の一つとしてそういうものも大事かもしれません。しかしそれらも明確なヴィジョンありきで動いて行かないと、ただの賑やかしで終わってしまいます。少なくともこれからの私の人生で、そういう一過性のエンタテイメントをやってる時間は無いのです。
私は日本の音楽、それも形骸化したものではない現在進行形の日本音楽。リアルな日本の音楽、そして私独自の音楽を届けたいのです。

What are you doing the rest of your life

「サワリ」の話Ⅱ

昨年の秋にサワリについてちょっと書いたのですが、相変わらずサワリについて調整の仕方を教えて欲しいという声はかなりあります。文字ではなかなか伝わらないのですが、私に説明できるところを所をちょっとばかり・・・。

薩摩琵琶のサワリは三味線とは違い、開放弦でも柱の上でも、どの場所を弾いても、あの独特の音色が出せ、且つ、音が伸びて行くので、ベンドアップ・ダウン、ヴィブラートなど表情や陰影を自在に付けることが出来るのが何といっても魅力ですね。これはシタールや琵琶だけの特有のものです。エレキギターのディストーションなども構造は違えど内容としては同じところを目指しているといえます。ギター好きな方にはサンタナやヴァンへイレンの音がすぐ浮かぶことと思いますが、あのディストーションがあればこそ、音が伸び、倍音が響き、声のように自由にメロディーを歌い、多彩な表現をすることが出来るのです。あの音色の革命が無かったら、エレキギターはこれほどまでに世の中にも広まる事は無かったと思います。

urga1-2010そんな人を惹きつけるサワリの音ですが、倍音と言うだけではサワリは語れません。ピアノやハープの澄んだ音にも多くの豊かな倍音があります。サワリはあのビリついた音色を作り出す過程で、倍音が強調されますので、倍音も含め音色という点に気を付けてみると、自分独自のサウンドが作り出せると思います。

中にはサワリが多すぎると音程が不安定になるという事を言う人も居ますが、もしサワリのせいで音程が悪いというのなら、それはよっぽど調整の仕方が悪いか耳が悪いかのどちらかでしょう。ピアノの最低音などは確かに倍音が多すぎて原音が判らないという事はありますが、そこまでの倍音は琵琶の胴の構造からは出せません。物理的に不可能です。
そして構造を理解せず適当にサワリの調整をしたら、確かに音程は合わなくなります。まともにやれば音程はしっかりと出るのです。それにはまともな耳が必要です。アンサンブルなどで、音色的に他の楽器とブレンドしないという事はあるかもしれませんが、それはどんな楽器でもありうる事です。サワリの問題ではありません。前回にも書きましたが、思い入れだけで勘違いしている人が、断定するかのように、好き勝手に書き連ねている例があまりに多いように感じます。

よく琵琶では弾けることが限られる、という意見もあります。確かにそうですが、それなりの技があれば、かなり色々なものが弾けます。ネックの握り方一つ変えただけでも、色々な表現が出来るのです。これまでのやり方や常識から、意識を開放することが先ずは先決です。
其々の楽器に出来る事と出来ない事があるのです。ピアノでは音は伸ばすことは出来ないし、ベンドも出来ない・・・。琵琶で弾けない事があるのは当たり前なのです。琵琶の特徴をろくに判りもせず、ギターなどの他の楽器と比べて考えてしまうその姿勢そのものが問題なのです。琵琶は「こうでなければ」という「べき論」という演奏者の勝手な思い入れがあまりにも、あまりにも、あまりにも強過ぎますね。まあそういうことを口にする人は頭の中も演奏もその程度ということ。是非これから琵琶をやってみようという若者には、そういう意見に惑わされないようにして欲しいものです。音楽は何処までも自由でなくては!!

私はかなりきつめにサワリを付ける方ですが、何時もブログに書いているようにヴァイオリンやチェロを始め、洋・邦どちらの楽器とも存分にアンサンブルをやっています。s-live4左の写真は、山形でやった尺八・フルート・筝・コントラバス・パーカッションそして琵琶によるアンサンブルでしたが、大変素晴らしい作品となりました。曲が琵琶の特性をしっかり理解して作られているのであれば、サワリは大きな特徴となってアンサンブルでもその魅力を大いに発揮するのです!。ちょっとやっただけで上手く行かないからと、あきらめないでどんどんチャレンジしてください。琵琶は大変表現力が豊かであり、色々な事が出来る楽器なのです。ネガティブな意見に惑わされないでください。出来るのです!!

さて実践編です。
薩摩琵琶の柱は幅が約1㎝程あり、それがサワリを生み出す部分です。幅広の糸口では更にその部分が広がります。この幅の中でサワリが上方に付いているか下方に付いているかで、音程は変わってしまいます。左写真のような幅広の糸口は特に気を付けないとチューニングが合わなくなります。糸口や柱の幅の中の、どの辺りで「サワッて」いるのか、よく確かめてみて下さい。ちなみに私は糸口の所を太い「1・2の糸」「3の糸」  「4・5」の糸に3段階に区切って、長さを変えて音程が合うようにしています。

昔は皆さん師匠からこういうサワリ調整を教わったそうですが、最近は教えない傾向にあるようで、大変残念です。私はT師匠から、どうすればどのようなサワリ音になるか、しつこく教わりました。更にノミの研ぎ方、膠の溶き方、接着やはがし方、漆の塗り方、木目の見方等々本当にありがたいレッスンでした。これらの技術と知識が無かったら、今迄とてもやって来れなかったでしょう。全国を回って演奏している身としては、自分で調整が出来ないとまともな演奏会は開けません。T師匠には本当に感謝しています。
サワリの調整については、私が師匠から教わったように眼の前でやって見せないと、教える事はなかなか難しいので、是非演奏ばかりでなくこういう調整の仕方も、お師匠さんからじっくり教わると良いと思います。勿論そういうことをしっかり教えられる師匠につくことが前提ですが・・・。

そして昨年も書きましたが、サワリの調整の前に柱それぞれの高さや位置がしっかりしていなくては、音程もサワリも調整が出来ません。

biwa2左側がヘッド(転珍)、右側がテールピース(覆手)
まず高さのバランスを取るには、大体の音程を測って柱を並べ、絃を張って、腹板中央の横線の所(ヘッド側)で絃を腹板に着くまで押さえ(写真左)、その状態で柱の下部(テールピース側)と絃の間にどの位空間が空いているか、biwa3そこを見ます(写真右 左側がヘッド(転珍)、右側がテールピース(覆手))。柱がどこか1か所低かったり、高かったりすることがないように、各柱と絃との空間を均一にします。でないと場所によって絃振動が柱にぶつかって、音がつぶれてしまう所が出て来ます。

錦心流や正派などは、柱と絃の間が狭目。又はかすかに接触している位にすることが多いようです。五弦でも錦は狭目、鶴田は少し広目な印象があります。ちなみに私は思いっきり広く取っています。これは私がかなり太い弦を張って、低くチューニングしている事で、弦振動の幅が大変大きいのでそうしています。更に弦をはじくアタックがpp~sfzまでその差が大変大きいので、奏法的な面でも弦振動が普通の方より大きくなり、その振動が柱に当たらないようにする為です。弦振動が柱に当たってしまうと、いわゆる「ベコベコ」としたつぶれた音になり、音の伸び(サスティーン)が無くなります。サワリ音も響きません。

サワリの付け方は言葉では十分に説明することが出来ませんが、基本は絃と柱(糸口も)が平行に接触する事です。接触面を少し丸目にすると、サワリは鈍くなり、音もくすみ伸びも少なくなります。ピタリと着いていれば鋭いサワリが出ます。この加減で音色が決まります。また柱の下部(覆手ブリッジ)側をわずかに空けてあげる事で音伸びが良くなります。太い絃は逆に糸口側を少し削ってあげると絞め込んだ時にもサワリ音が持続します。これらの微妙な加減は実際にやってみながら自分で会得して行くしかないですね。
糸口は、先ずはぴたりと絃が接触するようにして伸びや音色を調整してから、更にほんの少しだけ接触面に一削り入れてあげると、音にうねりが出て来ます。これはエフェクターでいうフェイザーのような効果と思っていただければよいと思います。格好良い音がしますよ!

若き日
私が琵琶で活動を始めた頃、琵琶をフォークギターのようにリズムカッティングしながらオリジナルの歌を歌っている先輩が居ました。私が面白いと思って真似してみたのですが、どうも上手く行かない。それはセッティングの違いでした。その人の絃はかなり細く、サワリ音も少な目だったのです。ギターをやっている人は判ると思いますが、シングルコイルのソリッドギター(ストラトやテレキャス)は音が適度に軽く、薄く、音が高音寄りでシャキっとしているのでリズムカッティングには最適です。逆にフルアコのようなジャズギターは絃が太く、ボテボテとした重い音なので、一音一音は味わい深く心地よくても、リズムをシャキシャキと刻むには、音が重すぎて向かないのです。

okumura photo9塩高モデル

私の琵琶は太く重い音を目指してセッティングされていて、音伸びも長く、サワリの音もその先輩よりずっと多目長目なので、フォークギターのように全絃をじゃらじゃらと弾くには向いていないのです。どういう風にセッティングするかは、その人次第。自分が目指す音に最適な音色を考えて、必ず音楽的ヴィジョンを見据えて調整するようにすると良いですね。

筑前琵琶は柱の上部に竹を張っているので、毎日のように調整する必要はないと思いますが、薩摩琵琶は楓又はホウの木ですので、材が柔らかく、しょっちゅう気を遣っていないと良い音はキープ出来ません。私はほぼ毎日琵琶を手にするたびにやってます。まあそこまでしなくても公演の前には必ずサワリの調整、柱の調整等やるのは必須ですね。またツアーで一週間や半月程度出る事はプロなら当たり前ですので、自分で調整が出来ないと、クオリティーの高い演奏会は続ける事が出来ません。私はどんな時でも修理キットを一式必ず持ち歩いています。

様々な緑織りなす国上山

琵琶のライブも時々聴きに行っているのですが、いっちょまえの料金を取りながら、柱に糸筋が付いたままになっているような状態の琵琶を見ると、なんとも悲しくなります。柱が黒くなっているような、ほとんど手入れされていないままに弾いている人も少なくないですね。サワリは琵琶奏者にとって命です。薩摩筑前の琵琶の音域は、自分の声域に合わせチューニングし、自分の声域と同じ帯域が出せるようになっているのは皆さんご存知だと思いますが、サワリは自分の声と同じで、「サワリの調整が出来ていない、自分の声に合っていない、求めている音色になっていない」等という事は、まともに自分の声が出ていないというのと同じ事です。いくらライブ活動を頑張っていても、楽器の調整が出来ていなければ、良い音楽も出来ません。ライブをやったという自己満足だけで終わってしまう。それではあまりにもったいないですし、レベルが低いと言わざるを得ません。色々なスタイルの人が活躍し、且つクオリティー高い琵琶楽の世界が世の中に展開して行くためにも、先ずは基本中の基本、楽器の面倒を見てあげてください!手塩にかけて自分の楽器を育てるのも音楽家の仕事です!!

風に語りて~皐月

昨年に引き続き、良寛さんゆかりの地、新潟出雲崎へ行ってきました。戯曲公演「良寛」の取材旅行なのですが、昨年取材旅行に行った時には、ただただ良寛という人物を求めてその軌跡を辿ったのですが、今回の旅では良寛という存在は何だったのか、そんな所をじっくりと見てきました。

良寛堂2良寛堂

昨年の公演では、良寛という人物の魅力を追いかけていたと言って良いと思います。しかし今年の舞台に当たり、脚本やキャストが新しくなった事で、もう一度出雲崎に行って良寛を見つめ直してみようということで、主催・脚本の和久内明先生が企画して、出演者4人で行ってきました。

国上寺10前回は秋でしたが、今年は春でしたので景色が随分と違いました。国上寺2良寛の住んでいた五合庵のある国上寺周辺は、満開の八重桜(普賢象)がこれでもか!という位に咲き誇っていました。
天気にも恵まれ、さわやかで気持ちの良い風が吹き渡り、きっと良寛もこの風を感じて過ごしたことだろうと、感慨にふけってしまいました

今回は、昨年行けなかった長善館、信濃川大河津資料館、西照房など周ったのですが、そこから見えてきたのは、良寛を取り巻く人達の姿と共に、良寛が生きた時代、それも当時の出雲崎の姿でした。あの中で良寛という人が残したものは何だったのか、その部分を色々と感じました。結局追いかければ追いかける程、良寛を取り巻く人と状況を見て行かないと、良寛という
存在が見えてこないのです。

良寛堂5

良寛にはかなりの苦悩や煩悶があったのではないでしょうか。凄まじい水害に度々襲われ、作物はおろか家、田畑全てを失う事も度々あるような土地で生きるという事は、並大抵のことではありません。稲作も腰まで浸かって稲を育てなければならないような場所なので、ツツガムシ病なども多く、色々な面でかなり過酷な土地であったのは確かです。その出雲崎に一人、働くという行為をせずに暮らすというのは、良寛といえども自分の無力を嫌という程に味わい、自分の存在を深く考えざるを得なかったことだとうと思います。万葉集や古今集などの古典文学に親しみ、書を研鑽し、詩歌を書き、子供と毬をついて遊んで・・・・。こういう事ばかりに目が行き、憧れさえ持って良寛像に接するのは、あくまで現在の我々の視点であって、当時の出雲崎の状況を考えたら、ある意味とんでもない事です。いくら書が有名になろうが何だろうが、それでのんびり生きていられるような時代でも土地でもなかったと思います。

良寛堂4母の故郷である佐渡を望むように建てられた良寛像
色々調べてみると、良寛は結構アクティブに動いています。地元の人々とは随分と付き合いをしたようですし、分水路建設にも大きく関わりました。また儒学者鈴木文台と交流して、後の世を彼に託し、志を伝えて行きました。文台はその志を見事なまでに継承し、私塾長善館を作り、そこから長谷川泰をはじめとする、明治という新しい時代をリードする人材を次々に送り出しています。長谷川泰は自ら国会議員となって、医療の面で大きな改革を断行し、私立の医療専門学校である済生学舎を作って、吉岡弥生、野口英世、北里柴三郎などを育てました。こうして良寛の志はどんどんと広がり多くの人に受け継がれて行ったのです。済生学舎が女性にもその門戸を広げて行ったというのも、大きな功績でしたが、良寛の志を受け継いだからこその事と思います。

良寛は道元禅師を敬愛していました。しかし組織としての当時の曹洞宗に対し強い怒りと反発を持って、独自の道を歩みました。かなりの軋轢があったそうですが、そういう権威権力におもねることなく、信ずる道を貫く姿勢は長谷川泰にもしっかりと受け継がれ、長谷川もまた旧勢力を代表する山県有朋や当時のエリート達と渡り合いながら、後進に道を繋げていったのです。こういう気骨ある姿勢は現代に於いても常に胸に抱いておきたいものですね。逆にこの姿勢を忘れた時にはどんな分野でも衰退が始まるのだと思います。私はこういう良寛の生き方や矜持に、大変な共感と魅力を感じます。

昨年の舞台より

昨年の舞台のエンディング、ラスト8分間は、私の弾く樂琵琶独奏曲「春陽」で津村禮次郎先生が舞いました。その姿は良寛という個人の姿でなく、良寛であって且つ、維聲尼でもあり、貞心尼でもあり、文台でもありました。つまり良寛という個人ではなく、色々なものを取り巻く大きな存在としての良寛、そういう姿になって津村先生は舞いました。あの8分間の静寂は今でも忘れられません。あの姿こそ良寛が現代に立ち現れた姿だと思いました。
今回の旅では、良寛と共に生きた人々、出雲崎の人々、そして良寛の教えを受け継いで行った人々の存在を目の当たりにして、初めて良寛の存在が見え、良寛が起こし、吹き渡らせた大らかな風を感じることが出来たのです。

弥彦神社5今回も弥彦に泊まり、早朝、弥彦神社に参ってすがすがしい気分を味わってきました。また旅には必ず嬉しい出逢いがあるもので、今回も色々な場所で多くの出会いを頂きました。正に良寛に導かれた旅となりました。

良寛から吹き渡る風を感じ、想い、その風に語り、その風を舞台で是非表現して行きたいと思います。

今月の23日、高円寺の座高円寺2にてお待ちしております。

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