「サワリ」の話Ⅱ

昨年の秋にサワリについてちょっと書いたのですが、相変わらずサワリについて調整の仕方を教えて欲しいという声はかなりあります。文字ではなかなか伝わらないのですが、私に説明できるところを所をちょっとばかり・・・。

薩摩琵琶のサワリは三味線とは違い、開放弦でも柱の上でも、どの場所を弾いても、あの独特の音色が出せ、且つ、音が伸びて行くので、ベンドアップ・ダウン、ヴィブラートなど表情や陰影を自在に付けることが出来るのが何といっても魅力ですね。これはシタールや琵琶だけの特有のものです。エレキギターのディストーションなども構造は違えど内容としては同じところを目指しているといえます。ギター好きな方にはサンタナやヴァンへイレンの音がすぐ浮かぶことと思いますが、あのディストーションがあればこそ、音が伸び、倍音が響き、声のように自由にメロディーを歌い、多彩な表現をすることが出来るのです。あの音色の革命が無かったら、エレキギターはこれほどまでに世の中にも広まる事は無かったと思います。

urga1-2010そんな人を惹きつけるサワリの音ですが、倍音と言うだけではサワリは語れません。ピアノやハープの澄んだ音にも多くの豊かな倍音があります。サワリはあのビリついた音色を作り出す過程で、倍音が強調されますので、倍音も含め音色という点に気を付けてみると、自分独自のサウンドが作り出せると思います。

中にはサワリが多すぎると音程が不安定になるという事を言う人も居ますが、もしサワリのせいで音程が悪いというのなら、それはよっぽど調整の仕方が悪いか耳が悪いかのどちらかでしょう。ピアノの最低音などは確かに倍音が多すぎて原音が判らないという事はありますが、そこまでの倍音は琵琶の胴の構造からは出せません。物理的に不可能です。
そして構造を理解せず適当にサワリの調整をしたら、確かに音程は合わなくなります。まともにやれば音程はしっかりと出るのです。それにはまともな耳が必要です。アンサンブルなどで、音色的に他の楽器とブレンドしないという事はあるかもしれませんが、それはどんな楽器でもありうる事です。サワリの問題ではありません。前回にも書きましたが、思い入れだけで勘違いしている人が、断定するかのように、好き勝手に書き連ねている例があまりに多いように感じます。

よく琵琶では弾けることが限られる、という意見もあります。確かにそうですが、それなりの技があれば、かなり色々なものが弾けます。ネックの握り方一つ変えただけでも、色々な表現が出来るのです。これまでのやり方や常識から、意識を開放することが先ずは先決です。
其々の楽器に出来る事と出来ない事があるのです。ピアノでは音は伸ばすことは出来ないし、ベンドも出来ない・・・。琵琶で弾けない事があるのは当たり前なのです。琵琶の特徴をろくに判りもせず、ギターなどの他の楽器と比べて考えてしまうその姿勢そのものが問題なのです。琵琶は「こうでなければ」という「べき論」という演奏者の勝手な思い入れがあまりにも、あまりにも、あまりにも強過ぎますね。まあそういうことを口にする人は頭の中も演奏もその程度ということ。是非これから琵琶をやってみようという若者には、そういう意見に惑わされないようにして欲しいものです。音楽は何処までも自由でなくては!!

私はかなりきつめにサワリを付ける方ですが、何時もブログに書いているようにヴァイオリンやチェロを始め、洋・邦どちらの楽器とも存分にアンサンブルをやっています。s-live4左の写真は、山形でやった尺八・フルート・筝・コントラバス・パーカッションそして琵琶によるアンサンブルでしたが、大変素晴らしい作品となりました。曲が琵琶の特性をしっかり理解して作られているのであれば、サワリは大きな特徴となってアンサンブルでもその魅力を大いに発揮するのです!。ちょっとやっただけで上手く行かないからと、あきらめないでどんどんチャレンジしてください。琵琶は大変表現力が豊かであり、色々な事が出来る楽器なのです。ネガティブな意見に惑わされないでください。出来るのです!!

さて実践編です。
薩摩琵琶の柱は幅が約1㎝程あり、それがサワリを生み出す部分です。幅広の糸口では更にその部分が広がります。この幅の中でサワリが上方に付いているか下方に付いているかで、音程は変わってしまいます。左写真のような幅広の糸口は特に気を付けないとチューニングが合わなくなります。糸口や柱の幅の中の、どの辺りで「サワッて」いるのか、よく確かめてみて下さい。ちなみに私は糸口の所を太い「1・2の糸」「3の糸」  「4・5」の糸に3段階に区切って、長さを変えて音程が合うようにしています。

昔は皆さん師匠からこういうサワリ調整を教わったそうですが、最近は教えない傾向にあるようで、大変残念です。私はT師匠から、どうすればどのようなサワリ音になるか、しつこく教わりました。更にノミの研ぎ方、膠の溶き方、接着やはがし方、漆の塗り方、木目の見方等々本当にありがたいレッスンでした。これらの技術と知識が無かったら、今迄とてもやって来れなかったでしょう。全国を回って演奏している身としては、自分で調整が出来ないとまともな演奏会は開けません。T師匠には本当に感謝しています。
サワリの調整については、私が師匠から教わったように眼の前でやって見せないと、教える事はなかなか難しいので、是非演奏ばかりでなくこういう調整の仕方も、お師匠さんからじっくり教わると良いと思います。勿論そういうことをしっかり教えられる師匠につくことが前提ですが・・・。

そして昨年も書きましたが、サワリの調整の前に柱それぞれの高さや位置がしっかりしていなくては、音程もサワリも調整が出来ません。

biwa2左側がヘッド(転珍)、右側がテールピース(覆手)
まず高さのバランスを取るには、大体の音程を測って柱を並べ、絃を張って、腹板中央の横線の所(ヘッド側)で絃を腹板に着くまで押さえ(写真左)、その状態で柱の下部(テールピース側)と絃の間にどの位空間が空いているか、biwa3そこを見ます(写真右 左側がヘッド(転珍)、右側がテールピース(覆手))。柱がどこか1か所低かったり、高かったりすることがないように、各柱と絃との空間を均一にします。でないと場所によって絃振動が柱にぶつかって、音がつぶれてしまう所が出て来ます。

錦心流や正派などは、柱と絃の間が狭目。又はかすかに接触している位にすることが多いようです。五弦でも錦は狭目、鶴田は少し広目な印象があります。ちなみに私は思いっきり広く取っています。これは私がかなり太い弦を張って、低くチューニングしている事で、弦振動の幅が大変大きいのでそうしています。更に弦をはじくアタックがpp~sfzまでその差が大変大きいので、奏法的な面でも弦振動が普通の方より大きくなり、その振動が柱に当たらないようにする為です。弦振動が柱に当たってしまうと、いわゆる「ベコベコ」としたつぶれた音になり、音の伸び(サスティーン)が無くなります。サワリ音も響きません。

サワリの付け方は言葉では十分に説明することが出来ませんが、基本は絃と柱(糸口も)が平行に接触する事です。接触面を少し丸目にすると、サワリは鈍くなり、音もくすみ伸びも少なくなります。ピタリと着いていれば鋭いサワリが出ます。この加減で音色が決まります。また柱の下部(覆手ブリッジ)側をわずかに空けてあげる事で音伸びが良くなります。太い絃は逆に糸口側を少し削ってあげると絞め込んだ時にもサワリ音が持続します。これらの微妙な加減は実際にやってみながら自分で会得して行くしかないですね。
糸口は、先ずはぴたりと絃が接触するようにして伸びや音色を調整してから、更にほんの少しだけ接触面に一削り入れてあげると、音にうねりが出て来ます。これはエフェクターでいうフェイザーのような効果と思っていただければよいと思います。格好良い音がしますよ!

若き日
私が琵琶で活動を始めた頃、琵琶をフォークギターのようにリズムカッティングしながらオリジナルの歌を歌っている先輩が居ました。私が面白いと思って真似してみたのですが、どうも上手く行かない。それはセッティングの違いでした。その人の絃はかなり細く、サワリ音も少な目だったのです。ギターをやっている人は判ると思いますが、シングルコイルのソリッドギター(ストラトやテレキャス)は音が適度に軽く、薄く、音が高音寄りでシャキっとしているのでリズムカッティングには最適です。逆にフルアコのようなジャズギターは絃が太く、ボテボテとした重い音なので、一音一音は味わい深く心地よくても、リズムをシャキシャキと刻むには、音が重すぎて向かないのです。

okumura photo9塩高モデル

私の琵琶は太く重い音を目指してセッティングされていて、音伸びも長く、サワリの音もその先輩よりずっと多目長目なので、フォークギターのように全絃をじゃらじゃらと弾くには向いていないのです。どういう風にセッティングするかは、その人次第。自分が目指す音に最適な音色を考えて、必ず音楽的ヴィジョンを見据えて調整するようにすると良いですね。

筑前琵琶は柱の上部に竹を張っているので、毎日のように調整する必要はないと思いますが、薩摩琵琶は楓又はホウの木ですので、材が柔らかく、しょっちゅう気を遣っていないと良い音はキープ出来ません。私はほぼ毎日琵琶を手にするたびにやってます。まあそこまでしなくても公演の前には必ずサワリの調整、柱の調整等やるのは必須ですね。またツアーで一週間や半月程度出る事はプロなら当たり前ですので、自分で調整が出来ないと、クオリティーの高い演奏会は続ける事が出来ません。私はどんな時でも修理キットを一式必ず持ち歩いています。

様々な緑織りなす国上山

琵琶のライブも時々聴きに行っているのですが、いっちょまえの料金を取りながら、柱に糸筋が付いたままになっているような状態の琵琶を見ると、なんとも悲しくなります。柱が黒くなっているような、ほとんど手入れされていないままに弾いている人も少なくないですね。サワリは琵琶奏者にとって命です。薩摩筑前の琵琶の音域は、自分の声域に合わせチューニングし、自分の声域と同じ帯域が出せるようになっているのは皆さんご存知だと思いますが、サワリは自分の声と同じで、「サワリの調整が出来ていない、自分の声に合っていない、求めている音色になっていない」等という事は、まともに自分の声が出ていないというのと同じ事です。いくらライブ活動を頑張っていても、楽器の調整が出来ていなければ、良い音楽も出来ません。ライブをやったという自己満足だけで終わってしまう。それではあまりにもったいないですし、レベルが低いと言わざるを得ません。色々なスタイルの人が活躍し、且つクオリティー高い琵琶楽の世界が世の中に展開して行くためにも、先ずは基本中の基本、楽器の面倒を見てあげてください!手塩にかけて自分の楽器を育てるのも音楽家の仕事です!!

風に語りて~皐月

昨年に引き続き、良寛さんゆかりの地、新潟出雲崎へ行ってきました。戯曲公演「良寛」の取材旅行なのですが、昨年取材旅行に行った時には、ただただ良寛という人物を求めてその軌跡を辿ったのですが、今回の旅では良寛という存在は何だったのか、そんな所をじっくりと見てきました。

良寛堂2良寛堂

昨年の公演では、良寛という人物の魅力を追いかけていたと言って良いと思います。しかし今年の舞台に当たり、脚本やキャストが新しくなった事で、もう一度出雲崎に行って良寛を見つめ直してみようということで、主催・脚本の和久内明先生が企画して、出演者4人で行ってきました。

国上寺10前回は秋でしたが、今年は春でしたので景色が随分と違いました。国上寺2良寛の住んでいた五合庵のある国上寺周辺は、満開の八重桜(普賢象)がこれでもか!という位に咲き誇っていました。
天気にも恵まれ、さわやかで気持ちの良い風が吹き渡り、きっと良寛もこの風を感じて過ごしたことだろうと、感慨にふけってしまいました

今回は、昨年行けなかった長善館、信濃川大河津資料館、西照房など周ったのですが、そこから見えてきたのは、良寛を取り巻く人達の姿と共に、良寛が生きた時代、それも当時の出雲崎の姿でした。あの中で良寛という人が残したものは何だったのか、その部分を色々と感じました。結局追いかければ追いかける程、良寛を取り巻く人と状況を見て行かないと、良寛という
存在が見えてこないのです。

良寛堂5

良寛にはかなりの苦悩や煩悶があったのではないでしょうか。凄まじい水害に度々襲われ、作物はおろか家、田畑全てを失う事も度々あるような土地で生きるという事は、並大抵のことではありません。稲作も腰まで浸かって稲を育てなければならないような場所なので、ツツガムシ病なども多く、色々な面でかなり過酷な土地であったのは確かです。その出雲崎に一人、働くという行為をせずに暮らすというのは、良寛といえども自分の無力を嫌という程に味わい、自分の存在を深く考えざるを得なかったことだとうと思います。万葉集や古今集などの古典文学に親しみ、書を研鑽し、詩歌を書き、子供と毬をついて遊んで・・・・。こういう事ばかりに目が行き、憧れさえ持って良寛像に接するのは、あくまで現在の我々の視点であって、当時の出雲崎の状況を考えたら、ある意味とんでもない事です。いくら書が有名になろうが何だろうが、それでのんびり生きていられるような時代でも土地でもなかったと思います。

良寛堂4母の故郷である佐渡を望むように建てられた良寛像
色々調べてみると、良寛は結構アクティブに動いています。地元の人々とは随分と付き合いをしたようですし、分水路建設にも大きく関わりました。また儒学者鈴木文台と交流して、後の世を彼に託し、志を伝えて行きました。文台はその志を見事なまでに継承し、私塾長善館を作り、そこから長谷川泰をはじめとする、明治という新しい時代をリードする人材を次々に送り出しています。長谷川泰は自ら国会議員となって、医療の面で大きな改革を断行し、私立の医療専門学校である済生学舎を作って、吉岡弥生、野口英世、北里柴三郎などを育てました。こうして良寛の志はどんどんと広がり多くの人に受け継がれて行ったのです。済生学舎が女性にもその門戸を広げて行ったというのも、大きな功績でしたが、良寛の志を受け継いだからこその事と思います。

良寛は道元禅師を敬愛していました。しかし組織としての当時の曹洞宗に対し強い怒りと反発を持って、独自の道を歩みました。かなりの軋轢があったそうですが、そういう権威権力におもねることなく、信ずる道を貫く姿勢は長谷川泰にもしっかりと受け継がれ、長谷川もまた旧勢力を代表する山県有朋や当時のエリート達と渡り合いながら、後進に道を繋げていったのです。こういう気骨ある姿勢は現代に於いても常に胸に抱いておきたいものですね。逆にこの姿勢を忘れた時にはどんな分野でも衰退が始まるのだと思います。私はこういう良寛の生き方や矜持に、大変な共感と魅力を感じます。

昨年の舞台より

昨年の舞台のエンディング、ラスト8分間は、私の弾く樂琵琶独奏曲「春陽」で津村禮次郎先生が舞いました。その姿は良寛という個人の姿でなく、良寛であって且つ、維聲尼でもあり、貞心尼でもあり、文台でもありました。つまり良寛という個人ではなく、色々なものを取り巻く大きな存在としての良寛、そういう姿になって津村先生は舞いました。あの8分間の静寂は今でも忘れられません。あの姿こそ良寛が現代に立ち現れた姿だと思いました。
今回の旅では、良寛と共に生きた人々、出雲崎の人々、そして良寛の教えを受け継いで行った人々の存在を目の当たりにして、初めて良寛の存在が見え、良寛が起こし、吹き渡らせた大らかな風を感じることが出来たのです。

弥彦神社5今回も弥彦に泊まり、早朝、弥彦神社に参ってすがすがしい気分を味わってきました。また旅には必ず嬉しい出逢いがあるもので、今回も色々な場所で多くの出会いを頂きました。正に良寛に導かれた旅となりました。

良寛から吹き渡る風を感じ、想い、その風に語り、その風を舞台で是非表現して行きたいと思います。

今月の23日、高円寺の座高円寺2にてお待ちしております。

響き合う季節2014-Ⅱ

昨日、地元のルーテルむさしの教会で行われた、イースターコンサートに行ってきました。

イースターコンサート2014

私は昨年から聴きに行っているのですが、このイースターコンサートはもう45回続いていて、第一回目から東京バッハアンサンブルがやっているそうです。バッハアンサンブルはもう50年以上の歴史があるので、メンバーも3世代に渡って世代交代が進んでいて、今回ソリストとしても演奏したヴィオラの方は子供の頃、この武蔵野教会の客席で演奏を聴いていたそうです。しっかりと受け継がれてゆく感じが微笑ましいですね。
今回はオーボエ、ソプラノをゲストに迎え、バッハを中心にヴィヴァルディやモーツァルト、ヘンデルなど後期バロックの音楽をたっぷり聞かせてもらいました。
演奏はどれもなかなかのものでしたが、声楽好きとしては歌の曲が何と言ってもぐっときました。バッハのクリスマスオラトリオやモーツァルトの「アレルヤ」
などは本当に素晴らしかった。何と言えばよいのか、とにかくケレンが無いのです。正に「愛を語り、届ける」という感じで、変な自己顕示欲が無くて、音楽が
素直に満ちて来る。宗教曲ですから当たり前といえば当たり前なのですが、邦楽にはあまり感じない雰囲気ですね。

11-s昨年の3,11追悼集会にて
この武蔵野教会は、キャパが100人ちょっと程ですので、音楽を聴くにはちょうど良い大きさです。声も楽器の音もそのままの音がしっかりと届くのです。特に響きが抜群という訳ではないのですが、とてもナチュラルな感じが気に入っています。昨年より、3,11のイベントやこのイースターコンサートなど、武蔵野教会には何かと縁が出来て、身近な場所になりました。お寺は私にとってどこか修行の場という感じが常にあるのですが、教会はいつでもどうぞ、という迎え入れる雰囲気があって何だかほっこりします。お寺もそんな所がもっと増えて行くといいですね。

ルーテル武蔵野教会

武蔵野教会

仏教が根底にある邦楽は多分に哲学的な要素が強く、愛より先に哲学が来る感じがします。だからどうしてもどこか威圧的な感も否めません。私はそういう凛とした感じの音楽は好きなのですが、美なるものに身を任せ、殉じて至福の時を迎えるような、そんな曲があっても良いと思います。仏教でも「慈愛」や「はからい」というものは重要な要素だと思うので、少なくとも「哀れ」や「悲しい」というような、喜怒哀楽という人間感情の部分で語るようなものだけでなく、もっと大きな概念や視野を根底とした新しい邦楽も積極的に作って行くべきだと思います。
芸術はその先に何を表現するか、そこを問われています。合戦ものや人情ものも結構ですが、目先の楽しさを提供するエンタテイメントで終わるのはあまりにもったいない。琵琶のあの深い音色をもってすれば、日常を超えたもっともっと深遠な世界を表現できると私は思っています。

大柴牧師大柴牧師 武蔵野教会HPより
そしてこの武蔵野教会で、いつも楽しみなのは大柴牧師のお話です。何故かこの方の話は私にす~と入ってくる。同郷という事もあるのですが、こういうのを波長が合うというのでしょうか・・・。聴くだけで浄化されます。今回はイースター(復活祭)ですから、それにちなんだお話として、「死は終わりではない」という事を話してくれました。沁みましたね~~。

現代人は、命と言うと有機的・生物的な命という事ばかりを考えてしまいますが、私は、よくここでも書いているように音楽も芸術も命だと思いますし、日本がこれまで辿ってきた歴史も命だと思うのです。だからこそ上っ面をお稽古しただけの邦楽には納得が出来ないのです。
また受け継ぐ過程に於いて、形を変えながら受け継ぐのは当たり前なのではないでしょうか。技を真似た所で、それは単なる保存。むしろ技は常に新しく作るべきなのだと思います。世間では何かというとDNAなどとよくいいます。確かに血筋も大事だと思うのですが、いくら血の繋がった親子でも志や想いを継がない限り、稼業でも家風でも継承はありえない。むしろ受け継ぐべきはその志や想いの方だと思います。形だけ真似ても意味は無い。

私が良く弾く「啄木」は日本にもたらされてからもう1200年経ちます。1作曲されたのはいったい何時なんだろう??と弾く度に思いますが、最初に日本で弾いた藤原貞敏の演奏もどんな風だったかは今となっては解りません。しかしそれは変遷を経ながらも、受け継ぎたいという想いを持った人がどの時代にも居たからこそ、ここまで来たのです。権威あるものとして形だけの継承だったら、とうに消えていたでしょう。伝承者はきっとこの曲に何かしらのロマンを持って伝えたのだと思います。私もこの曲には一つのロマンというか、風景のようなものを感じています。この風景がとても素晴らしい。他には無い魅力に溢れています。これこそが、私が「啄木」をやりたいと思う理由なのです。
1200年という時間を考えると、今に至るまで演奏スタイルや形は相応の変化もしてきていると思いますが、それで良いのです。私は再現をしている訳ではなく、受け継いでいるのですから・・。一度でもその命の連鎖が途絶えてしまったら、今は存在しない。その長きに渡る命を思うと、頭が下がりますね。

ルーテルルーテル市ヶ谷教会

藤原貞敏も永田錦心も、まさかこんな奴がこの平成の世に琵琶を弾いて、世間を周っているとは思わなかったでしょう。縁は異なもの。私には残念ながら神や仏の事は解りませんが、そのはからいの中に生かされているような気がしてならないのです。

手を差し伸べて

オペラシティー内の近江楽堂で「Light of the Ancient 」と題された演奏会に行ってきました。

kei live

Perのクリストファー・ハーディー、アイリッシュハープの彩愛玲のコンビに、いつもの笛の相方 大浦典子(松尾慧)さんが加わったアンサンブルでした。国籍も様々なら、その音楽も無国籍。キャッチコピーが「いつかどこかと、今ここを繋ぐ音世界」という、正にその通りの演奏会でした。
メンバー皆さん大変高い技術を持っていることもあって、即興的なスタイルを多分に交えながら、音楽が自由に流れだし、会場に柔らかく満ちていました。中でも「Cantigas de Santa Maria」という古いスペインの曲をオリジナルのアレンジで演奏した曲が素敵でした。
現代ではこうした多国籍なアンサンブルも全く違和感が無いですね。音楽も国や民族を軽々超えて演奏出来るのが現代ならでは。そこにはかつてのよう
な欧米への憧れで、ろくに言葉も判らず物まねを繰り返していた陳腐さもなければ、偏狭とも感じられるような民族的こだわりも無い。どこまでも自然に世界中の音楽と会話しているさわやかな風が吹いていました。

326 (3)音楽には確かに民族性というものが背景にあります。それゆえ一時の薩摩琵琶のような軍国主義に走ってしまうような素地も、それぞれが持っているでしょう。しかし現代の生活を見ても判るように、人間はかなり柔軟に、自分たちに無かったもの、無かった感覚を取り入れて昇華することが出来ます。雅楽もそうなのですが、ゆっくりと時間をかけて自分たちに無かったものを取り入れて、新たに自分たちのものとして創り上げて行くその行為こそ、文化というのではないでしょうか。こうした事は、衣食住すべてに渡り、人間にとって日常的なごく自然な行為なのだと思います。

huji

グローバリズムで何でも薄まってしまうのは、私も歓迎しませんが、文化とは常に他と接触する事で、生み出されて来るものです。その生み出されたものを、国でも地域でも、そこに居る人々が「美」と感じる事によって、その地域に感性というものが生まれ、そこから色々なコンテンツが生まれて、固有の文化と成って行きます。そしてそれは日々どんどんと生まれ、また消え、取捨選択されて常に続く営みとして続いているのです。その営みが続く中で、独自の感性が磨かれ、洗練された美意識へと更に昇華して行くのです。その営みが止まってしまったら、感性もくすんで行きます。この感性を共同体の皆が共有・共感するという事がそのまま文化に繋がって行きます。分かち合うと言った方がより判り易いでしょうか。有名な本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」というような歌も、心を分かち合い、日本の感性となっていったからこそ、詠まれたのです。

「嬉しい」でも「悲しい」でも自分だけの感情になってしまって、個人的な所で完結していては文化は育ちません。是非舞台で多くの人と「楽しさ」も「嬉しさ」も「悲しさ」も分かち合いたいものです。音楽でも何でも皆と分かち合ってこそ、ではないでしょうか。

本番1
グルジアのルスタベリ劇場演奏会

音楽・芸術は本来、人と人の心を繋ぐもの。愛を語り、届ける事無く、自分がやっている事で満足するようなお稽古事に陥り、イデオロギーや偏狭なプライドが優先するようでは、その素晴らしさも魅力も分かち合えません。分かち合うことが出来ないという事は、相手に音楽が響かないという事です。先ずは素敵な音楽を聴衆に届け、手を差し伸べる姿勢が大事だと思います。美的感性を皆が持ってこそ文化となるのです。マニアの為のものではありません。文化に誇りを持ち、守り受け継いで行く事と、組織を維持する事は全く違うのです。伝統芸能に携わる私達は今、そのやり方についてよくよく考える必要があるのではないでしょうか。

色々なものと接触し、新たなものを生み出し、育んで行く人間の「営み」は正に命の源泉だと思います。今回の演奏会のように、今まで出会う事のなかった色々な楽器が共に奏し、気負いなく様々な音楽を奏でる事は大いに結構な事だと思います。売らんが為に聴衆に媚びている訳ではないのです。純粋に創造性の営みとして、高いレベルで音楽をアンサンブルするのだったら、どんどんやるべきです。逆に七五調の都節による弾き語りしかやらないというのでは、世界の人と手を繋ぐ事は難しいですね。

10全体写真大
郡司敦作品個展演奏会

色んな歌を歌い、この素敵な琵琶の音色で様々な音楽を奏で、色々な形のアンサンブルを聞かせることが出来たら、琵琶の音色を世界中に届けることが出来る。「Light of the Ancient 」のように、多くの音楽とつながり、多くの人とつながることが出来る。素晴らしいと思いませんか。
私は毎年オーケストラとやったり、舞踊とやったり、筝や尺八、笛等々色々なものと一緒に演奏しています。琵琶はその気になれば結構幅広く色々なものに対応が効いて、色々なジャンルの中で曲が弾けるのですよ。出来ないと思い込んでいるだけです。ようはどれだけ頭が柔らかくするか、そこです!

劉リサイタル葉書劉リサイタルパンフ1

このチラシは、台湾の琵琶奏者 劉さんと笛の方(字が難しい)のジョイントリサイタルのものです。この時、私の作品「SIROCCO」が二人によって台湾で演奏されました。ちょっと視点を変え、頭を柔らかくすれば、こうして音楽は海を、国境を超えて繋がって行くのです。

音楽に喜びが溢れ、その喜びを届け、愛を語り、人の手と心を繋いで、分かち合い、響き合う。音楽はそういうものであって欲しいですね。

ヴォツェック

先日、新国立劇場にてアルバンベルク作曲のオペラ「ヴォツェック」を観てきました。

ヴォツェック

この所オペラはLive Viewingばかりだったので、久しぶりにフルオケと生の声を堪能して、気持ち良かったです。しかしアルバンベルクの作品ですから、一筋縄ではいきません。シェーンベルクの愛弟子にして、現代音楽をウェーベルンと共に牽引した人物ですから、この作品もほぼ無調で書かれています。一部には12音技法で書かれているところもあるようですが、作曲されたのがもう90年前だそうです。

ベルクの音楽は無調と言えども、どこか調性感が感じられ、いわゆる現代音楽のように刺激的な不協和音が続いたりはしないのです。同じシェーンべルク門下のウェーベルンの作品がかなり前衛チックに聞こえるのに対し、ベルクの音楽はどこかに抒情があり、聴きやすい。解り易い無調と言ったらおかしいですが、今回も違和感なく入ってきました。

       

このオペラは何時もMetで観ているようなエンタテイメント満載のものとは随分違います。何しろキャッチーなメロディーが出て来る訳でなし、豪華な衣装で目を楽しませてくれる訳でもありません。衣装は皆簡素で、舞台も暗く陰鬱、アンダーグランドな感じすらあります。またヴェルディのような愛憎極まったドラマというものとも違う。アリアをたっぷり聞かせるような所も少ない。出演者は社会の下層の人達であり、主人公以外はゾンビのような恰好をして出て来ます。最後は主役の二人とも死んでしまい、何処にも救いや解決というものが無い。舞台の解説にも「社会に蔓延する貧しさと暴力が、世代から世代へと連鎖する様を鋭く描き出す」「破滅へと突き進むヴォツェックの狂気」という具合ですから、グランドオペラみたいな豪華なものが好きなオペラファンには、全くつまらない作品かも知れません。

主役のヴォツェックにゲオルク・ニグル 妻マリーにエレナ・ツィトコーワ。二人ともかなりの実力派です。stage39030_1他、日本の方も出ていましたが、歌手というよりは皆が役者という感じで演出されていて、シュプレヒゲザングと呼ばれる語りのような部分も多いので、オペラというよりは現代演劇を見ているような感じがしました。
私は細部に渡って理解が出来た訳ではないし、後からやっと意味が判ったような所も多かったです。したがって作品に対する感想はとても書けませんので、この作品に接してみて湧き上がった想いを書いてみたいと思います。

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新しいものを作り、最先端を突き進むのは人間の運命です。芸術でも経済でも、世界の動きが現状維持で止まる事はありえない。人間は常に何かを求める宿命を負っている存在です。それゆえに芸術を創造し、文化・文明を作り上げ、社会を構築してきたのです。ですから発展しないという事は、現状維持ではなく、衰退して行く事を意味します。残念ながら、のんびりと休んでいる事は人間には出来ないようですね。少なくとも芸術は社会の中に有って初めて生まれ出るものですので、常に「生み出す」ことが宿命でしょう。だからこの間観たラファエル前派のような若者達がいつの時代にも出て来るのです。

140408-miura-002大体、古典作品というものは現代作品があってこそ古典となりえるし、文化となって行くものです。新しいものが出て来てこそ、過去の遺産への認識も深まり、研究も進み、そこにまた新たな創造性が向けられ、更なる魅力が輝きだすのです。
観る方もやる方も、さして考えることも必要とせず、目の前の楽しさが優先するエンタテイメントというものに溺れたら、新しい概念や哲学を生み出すことが出来ない。新しいものを生み出せない社会は、見事なまでに滅んで行きます。それは歴史を観れば明らかでしょう。エンタテイメントは人間にとって重要な要素ではありますが、楽しいだけでは芸術や音楽に命は宿らない。ヴェルディやプッチーニも勿論素晴らしく芸術的であるけれど、楽しさが優先して、新たなものを生み出さなくなったら、どれだけ素晴らしい作品も瞬く間に淀み、腐って行ってしまいます。
社会や生活はどんどんと変化し、個人もどんどんと年を取って、時代の感性も恐ろしい速さで変わって行くのに、芸術・音楽だけが変わらない訳にはいかないのです。確かに最先端の芸術に人々はついて行けないけれども、そんな最先端が時代を導いて、どんな時代にも、どうしても、新しい芸術・音楽を人は求めるのです。

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個人の枠内だったら、眼の前の充実感だけを求めて、のんびり楽しく生きていても何ら支障はないでしょう。しかし社会がそういう状態にあったら、残念ながら明日は無いのです。芸術でも社会でも生活でも、溢れんばかりの創造が無くては人間は生きては行けない。だから各国、どの時代にも新しい哲学を持って、新しい形を創る人が次々に現れます。日本では世阿弥、利休、八橋検校、宮城道雄、永田錦心・・。そういう人達は世の中から天才と呼ばれます。私達はその天才が創り出した道を更に先へと進めて行けるか?ただ乗せられて終点にも辿りつけず、うろうろするだけか?!

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この所、春の逍遥よろしく、楽しくて豪華で夢のような世界に遊んでばかり居た私に、このヴォツェックはかなり強い刺激を与えてくれました。作曲されてから90年という時間が経っても、私のような凡人の頭ではまだよくその魅力は判らないですが、次の世代にはきっとヴェルディやプッチーニのような古典となって行くでしょう。実際シェーンベルクやバルトークが「現代音楽の古典」という言われ方もそろそろされているのですから・・。
あらためて芸術の在り方に想いを馳せた舞台でした。

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