最近私の周りに、人生の転機が来ている人達が沢山居ます。結婚や出産、就職、中には第二の人生を始めようとするベテランも・・・。プロの音楽家を目指す人も何人も居ますが、是非自分らしい人生を歩んで欲しいものですね。自分の思う道で食べて行くのは、なかなかに至難の業なのは今も昔も変わらないのだから、どんどんとチャレンジしていって欲しいです。
音楽を生業として行くのは、本当に厳しい。まだ洋楽系は仕事自体が多いし、国内でも世界が認めるような超一流の方も居ますが、邦楽はそうはいきませんね。名取になったりお教室を開くのも、まあレッスンプロとは言えるでしょうが、残念ながら世間はそれをプロとは認めてはくれません。お師匠さんでしかない。大体ろくに収入にならない。
どんな分野でもプロとしてやって行くには、技術や知識は勿論なのですが、実はそれ以外の部分のスキルこそ大切なのです。活動に費やす時間も、此方の部分の方が大きいでしょう。これにうなずける人は、既ににプロとしてのスタートを切って頑張っている事と思います。これがどういう事か理解できない、判らないという人はプロには程遠いです。私はこれまで音楽を続けてきて、いくら上手でもプロとしてはやっていけない現実を目の当たりにしてきました。夢を諦め、故郷に帰って行った先輩や友人、不安定な収入や人間関係から精神的に追い詰められて止めて行く若者も沢山見てきました。私自身もそういう時期がかつてあり、今でもさして状況が変わっている訳ではありませんが、とにかく自分で乗り越えて行くしかないのです。この道で生きて行くには「以外の部分のスキル」を自分で理解し、会得するしかないのです。

プロは何と言っても経済的な部分を背負わなくてはなりません。邦楽人の中には経済的なバックボーンを持ち、お金と戦う事無く余裕でやっている人がかなり多いですが、これが正に邦楽衰退の原因です。お金の事を考えられない、考える必要が無い、お金の交渉が出来ない人はプロに成れないのは当たり前。お金を取るからこそ、レベルの高いコンテンツを作ることが出来、それ以上に、そのコンテンツをどのように出し、自分の音楽を聴かせ観せて行けばよいか、そういう具体的なノウハウも身に付いてきます。そうやってプロは総合的に舞台を創って行くから、ただ上手なだけではない、「実力」というものが身に付いていくのです。
私の知り合いには社会支援活動をしている人も居ますが、ビジネスとして関わっているからこそ持続が可能だ、という事をよく聞きます。アマチュアで楽しんでいるのも良い事ですが、オールアマチュア状態ではレベルはどんどん落ちて、衰退が更に加速するのではないでしょうか。琵琶の世界にも、ちょっとライブやったり、仕事貰って喜んでいるアマチュアはそれなりに居る事でしょう。そういう方々がお稽古事の世界を脱し、プロとして琵琶を生業として活動できる人がどんどん出て来ることを期待したいですね。
経済的な部分を背負うという事は、責任も大きいし精神的にも大変な事。また色々な分野の人達とも関わりながら活動をするので、そのストレスも大変なものだと思いますが、そういう切羽詰まった状況をクリアして、且つ安易な芸の切り売りをせず、創造性を発揮して行ける者だけがプロとして評価の対象になって行きます。厳しいけれどこれが現実です。喰って行くために目の前の芸を切り売りするようになったら、もうお終い。すぐに飽きられて、仕事にもお金にもならない。どんなに厳しくても苦しくても、創造性を失っったらお終いなのです!!
私が優れていると思う音楽家や舞台人、特に邦楽演奏家の方々は、自分の携わるもの以外の古典の事をよく話します。源氏物語・平家物語は勿論の事、和歌にも深い見識があり、能にも歌舞伎にも雅楽にも造詣が深い。日本が生み出し育んできた偉大な芸術芸能に対し大きな尊敬を持って、旺盛な興味を持って、日々勉強をしているのでしょう。伝統音楽に関しては、古典に接しているのが楽しくてしょうがない、という位の感覚でないととても深まって行かないと思います。また皆さん書く文章も素晴らしい。
日本の文化は所作に集約される、とよく言われますが、舞台では袖から出て来るその歩き方で大体その人のレベルが見当つきますね。優れた方々は素晴らしい古典に常に触れ、深い感動を持って体全体で接しているから、姿も良いし、自分のやっている事に対しても謙虚なのだと思えてなりません。極論すると、日本文化は所作に極まるといえるでしょう。所作の持つ意味を理解できない人や、所作に日本の文化の奥深さを感じられない人は、小手先の技術以上のものは得られません。
加えてそういう尊敬できる先輩方々は皆さん、日本の古典だけでなく、広く海外の芸術にも見識が広いです。オペラでもクラシックでもジャズでもロックでも、演劇・文学・美術等々あらゆるものに常に視線が向いている。いつもお付き合い頂いている先輩達は皆そうです。自分のやっていることを本気で突き詰めて行くと、おのずとジャンル問わず優れたものに目が行くのでしょう。ある程度のレベルがあれば、むしろ自分の外側にあるものこそ、得るものがあるように思います。それは永田錦心や鶴田錦史、宮城道雄をはじめ、これまでの芸術家達の動きを見ても明らかではないでしょうか。私はそういう姿が音楽をやる者として、芸術家として自然な形だと思います。
自分の好きな事だけ詳しく知っているというのはアマチュア。興味のある所以外には価値を見ようとせず、知っているつもりになっているマニアやオタクのレベルでしかない。私はそう思っています。
若者には是非日本のすぐれた古典に沢山接し、勉強もして、出来たら海外の素晴らしい芸術にも接していって欲しいと思っています。ただ間違えてはいけないのは、いくら
これらの見識や素養があった所で、プロとしてのスキルが無ければ、プロとしてやってはいけないのです。くどいようですが、技術・知識・素養があってもプロには成れないのです。プロとしてのスキルはそういうものの外側にあるのです。そこを自分でつかんで行って欲しいのです。
世の中には格好芸人が多いです。特にネット時代になってからはまことに多い。加えて琵琶は弾いているだけで珍しいので、すぐに「演奏家」やら「先生」などと呼ばれてしまう。とんでもないことです。あまりの知性の無さにあきれるような例が今邦楽界には溢れかえっています。こんな状況だからこそ、私は自分をしっかりと保ちたい。自分を見つめるこ事をして行きたい。志を持つ若者にも、音楽芸術に対し真摯な態度で取り組んでいただきたいと思います。
かのパットメセニーは「いつもバンドの中で一番下手なやつであれ。もしも君がその中で一番上手いなら、君のいるべき場所はそこではない」と言っています。世界の最高峰にしてこの言なのです。少しばかり弾ける、唄える程度の我々は、常に謙虚になって吾身を顧みるべきだと私は常に思っています。
夢があるのだったら、それを追いかければよい。追いかけ、実現する為には何をすべきか、自分でよく考え、実践すればよい。夢は自分から逃げては行かない。夢が遠のいて行くと思ったら、それは自分が夢から逃げているのです。
私自身も更なる精進をして行こうと思います。そして夢に向かって頑張っている人には、惜しみないエールを送りたいですね。それしか私に出来る事は無いのですから・・・・・。
先日、三宅榛名さんのソロピアノライブ「夏を待つ夜」に行ってきました。
三宅榛名さんといえば、数々の作品を発表して高い評価を得ている現代音楽分野の作曲家ですが、私は三宅さんの現代雅楽の作品しか生で聞いたことがなかったので、今回は大変期待していました。
作品は皆新作のピアノソロで、まだ譜面にも書いてないとの事でしたが、その演奏はいわゆる演奏家の演奏ではなく、「作曲家自身が弾いている」と思わせるところが興味を惹きました。こういうニュアンスは音楽に携わっている方でないとなかなか判りにくいかと思いますが、作曲者自身の演奏と、別の演奏家が演奏するのでは随分と表現が変わるものです。この辺はまたじっくりと考察してみたいと思います。ライブは大変面白く聞かせて頂きました。
バルトーク
現代では、作曲と演奏は随分と分離してしまって、両方をやる人は本当に少なくなってしまいました。かつてバルトークやリスト、ラフマニノフ等のような名ピアニストであり、且つ素晴らしい作品を書く作曲家でもあるというような人は居ないですね。
もっと昔、バッハやモーツァルトの頃、日本でも江戸時代の八橋検校等の頃は、演奏と作曲の両方をやるのが音楽家でした。時代と共に移り変わって行くのは良い事だと思いますが、作曲家自らが語りかける事も、もっとどんどんとやって行くべきだと、私は常々思っています。これからはまたそんな時代が来るんじゃないかな???
三宅さんはジュリアードのご出身という事ですが、アメリカで勉強していた頃に、きっとジャズの影響をかなり受けたのではないかと思いました。和声には多分にジャズを感じましたし、部分的にはリッチーバイラークのような雰囲気も感じました。バイラークはクラシックもジャズも高いレベルで演奏する超一流
のピアニストですので、聞いていない訳はないだろうと思います。
今回演奏した曲には、先鋭的なものはあまり無く、無調の部分も抒情性を失わない感じで、無理なく聞けました。きっ
とこのスタイルが、今の三宅さんの人生のスタイルでもあるのでしょうね。


三宅さんの作品はさまざまなスタイルのものがありますが、私の作る作品も色々なスタイルがあります。ただ三宅さんと私とはちょっとは違っていて、私の場合は自分の中のバリエーションという事ではなく、もう一人の自分が作品を作っているような感じでしょうか。三宅さんの演奏を聴いていたら、かえって自分の事が見えて来ました。
誰しも自分の中に色々な面を持っていると思います。時にジャズっぽいものが出来たり、現代音楽風なものが出来上がったりするのは一人の人間の中の色々な側面からして当然ですが、私の場合はちょっと感じが違って、二つの自分がそれぞれに曲を作り演奏していると言えると思います。これらがいつかは統一されてゆくのかな、とも思う反面、この自分の中の色々な自分が共存してこそ、私という存在が成り立っているとも思います。
二つの自分とは、違う感性を持った片割れのようなもの。けっして片方だけでは成り立たないので、どうしてももう片方を求めてしまう。二つ共にないと自分が完成しないような感じです。薩摩琵琶を弾かない私は私じゃないし、樂琵琶を弾かない私も私ではない。だからどうしても二つのものが必要なのです。
邦楽も雅楽も日本の音楽とはいえ、今では一般の方々の生活からはかけ離れ、その違いも判りずらいと思いますが、樂琵琶と薩摩琵琶では、感性も構造も理論も、背景の文化も全く違うものなのです。考えてみればよくこんなに違うものが、長い間共存し得たのか不思議です。
高野山常喜院にて
高野山が世界遺産になったのも、神道と仏教という異なる宗教が共存している点が世界的に例が無いという理由だったそうですが、日本人はそれを何の違和感もなく受け入れている事を考えれば、全く違う音楽がずっと長い間日本の中に共存していてもおかしくは無いのかもしれません。そう思えば私のような人間が居ても不思議はないですね。二つながらが存在する事が私の中では常なのです。

ただあえて薩摩琵琶と樂琵琶という全く違った音楽に共通点を見い出すとすれば、両方共に歌ではなく器楽という部分でしょうか。そしてショウビジネスへの志向が無いという所が一致しています。普通は薩摩琵琶奏者は弾くことよりも語る事が主となりますが、私は薩摩琵琶の音色が好きで、いわゆる薩摩の琵琶唄は自分にとって色々ある表現形態の一つでしかないので、琵琶唄には余り興味はないのです。声はとても重要な表現手段だと思うので、今後も使って行きたいのですが、一般的な琵琶唄とは違う形を作って行きたいですね。琵琶でデビッド・シルビアンみたいな歌い方が出来たらいいな~~、なんて思ったりもしますが、それもまあ私には似合わないですね・・・・。
二つの感性があり、二つの思考があり、二つの音楽がある。己というものはかくも複雑なものだ、と思った事もありましたが、最近は年を重ねたせいか、それが人間であるのだと、開き直って思えるようになりました。
まあ私のような人間は、色々と欠けているからこそ謙虚にもなれるし、何でも自由には出来ないからこそ、こつこつとやるしかない。結果つまらない事をせずに今まで生きて来れたのかもしれません。勿論失敗も何も数えきれない程あるのですが、もし自分に自信が漲っていて、経済的な心配もなく、何でも出来て自由に振る舞えるような人生だったら、私は今よりもっともっと業火の燃え盛る中を、未だにうごめいていたように思います。コンプレックスや、欠けたピースを心に思っていたからこそ、やっと今こうして生かされていると思えて仕方がないのです。片割れを常に求めているのが、ちょうど良いのかもしれませんね。
それにSideⅡが常にあるからこそ、行き詰まったり、スランプに落ちいったりしないで今までやって来れたのかもしれません。何とかこうとか色々な琵琶を弾いて生きて行けるのだから、これからも色々な自分を私という器の中でそれぞれ生かして、人生を送りたいと思います。
7月は香川一朝さんが亡くなった月です。3年前の7月4日、突然のようにその知らせはやってきました。
6年前の7月3日、以前共同通信社で発行していたオーディオベーシックという雑誌の付録企画を私が担当したのですが、その付録CDのレコーディングに一朝さん、筝の小笠原沙慧さん、笛の福原百七さんに声をかけて、古典雅楽から現代邦楽まで日本音楽の変遷を辿る曲目を選びレコーディングをしました。その仕事の後、このまま終わらせるのはもったいない、という一朝さんの一声で始まったのが、邦楽アンサンブル「まろばし」でした。
翌年2009年の1月には川崎能楽堂で、ファーストコンサートをやったので、レコーディングを終えてから私はせっせと譜面を書いて、メンバーで何度も練習を繰り返したのが、昨日の事のようです。
「まろばし」では新作を上演するのが会の趣旨で、私が全ての曲の作編曲を担当していたので、あの頃は毎日譜面に向き合って、暇さえあればスコアを書いていました。

「新作をどんどん作れ」。一朝さんは常にそういって私の仕事の後押しをしてくれました。それまでも私なりにやっていましたが、今の私のスタイルを確立するには一朝さんとの出逢いが無ければ無理だったでしょう
そして一朝さんと言えばお寿司。練習でも本番でも、終わったらとにかくお寿司屋さんに直行でした。お酒も沢山頂きましたが、そんな日々を想い出すのも、時には良いものです。
仏壇を前にしていると、数々の想い出と共にあの満ちるような音色がじわりと甦ってきました。けっしてパワーでは吹かず、装飾も無い、まっすぐなけれんの無い音でした。現在尺八というと、皆判で押したように大きな音で、ムラ息をバリバリと聞かせ、何処までもダイナミックに演奏する人ばかりですが、一朝さんはそんな流行とは全く違う所に居ました。一朝さんの最大の魅力は何と言ってもPPなのです。それもウルトラPPと言ってよいほどの小さな音を安定して持続し、場に満ちるように響かせる事こそ、一朝さんのスタイルでした。「聴かせる」のではなく、「感じさせる」のが一朝さんの尺八でした。PPを安定して出せるというのは、演奏家にとっては究極の技術なのは、皆さんもお判りかと思いますが、それが出来る人はなかなか居ないのです。皆「鳴る、鳴らす」という事を誤解している人が実に多いのです。考えてみれば、私は贅沢な勉強をさせてもらっていたのですね。
一朝さんの尺八は、Viで言ったらクーレンカンプさんみたいな感じでしょうか。どこまでも音色に拘り、細部に渡って神経が行き届く、そんな演奏でしたね。大きな音でノリノリで吹きまくるようなことは決してしませんでした。
私は一朝さんと一緒に、色々な所で演奏しましたが、日本の感性や日本の美の姿をずっと教わっていたと言っても過言ではありません。あの頃は私がまだ猪突猛進の状態でしたので、判りませんでしたが、今になってみると、その美意識というものが、あらためて私の体に満ちて来るのです。一朝さんとのご縁が無ければ、私は未だにバリバリ弾きまくり、声を張り上げ吠えまくり、悦に入って表面の小手先の技術を誇るような、日本の美の姿からは程遠い所に居たでしょう。今でもまだまだ道半ばではありますが、一朝さんが私をその道にちゃんと乗せてくれたのです。
いつも書いていますが、音楽に技術が聞こえて来るようなものは、音楽ではないのです。それはあくまで技芸であり、お稽古事なのです。練れた声も正確な撥捌きも大切ですが、そんな所を誇ってご満悦なようでは、プロの舞台には立てません。声も楽器の音も技も超えた「世界」を表現できてこそ音楽と成り、初めて舞台は成り立つのです。これは音楽に限らず、江戸手妻だろうが、能だろうが同じです。
舞台は非日常の空間です。その非日常の「世界」が現れなければ、どんな舞台も舞台として成り立ちません。日常の延長線が見えて「頑張っているね」なんて言われたらプロとしてはお終いです。その先の世界を感じさせることが出来てはじめて、語り出すのです。そういう事を一朝さんは教えてくれました。
私は尺八は吹けませんし、具体的な技術は何も受け継げませんが、その美的な志や感性はしっかりと受け継ぎたい。それを音楽で表して行くのは、まだまだ私には力不足ではありますが、私なりのやり方で突き進んでいきたいのです。
来年は「まろばし」の開催が5月頃になりそうですが、もう7回目となる演奏会は、また原点に戻って一朝さんから受け継いだ美学を、私なりに舞台で表わして行きたいと思っています。
今夜は一朝さんの音に身を浸して静かなる夜を過ごしています。
6月は毎年、とにかく忙しく飛び回っている事が多いのですが、今年も例年通り色々な所に出かけて演奏して行きました。
そして今月は、様々な場所で色々な「風」を感じた月でもありました。その土地ならではの風、その場でしか味わえない風はどれも心地よいものばかり。いい仕事させてもらってます。感謝!
月の初めに箱根の「やまぼうし」というサロンで演奏しました。この所お世話になっているICJCの企画でしたので、お客様は半分が外国の方々。Drアマトさんに通訳(超訳??)をしてもらいながらの演奏でした。この「やまぼうし」は芦ノ湖のすぐ近くで、たっぷりの緑に囲まれたところにあるので、私のような一刻も早く都会を離れたい願望のある者にとってはオアシスのような場所なのです。加えて、この「やまぼうし」は古民家で使われた柱や梁12軒分の建材を使って建てられていて、過去の息吹が現代に蘇る、正に私が求めるものを兼ね備えた素晴らしい空間でした。モダンなセンスが随所に生きているのですが、歴史を経た木材の醸し出す空気なのでしょうか、中の空気は落ち着いていて、何ともほっこりしました。
写真はそのサロンでの演奏の様子です。いい感じでしょ?。こういう所でのんびりと食事やお酒を楽しんだり、芸術談議したりして、気の合う仲間達と過ごしたいですね。都会とは違う、新鮮で生命感を感じる風と、古の息吹に身をゆだね、良い時間を頂きました。ぜひまた伺いたい場所です。
やまぼうし:https://www.facebook.com/yamaboushi
次は静岡。先日ブログにも書きましたが、やはり故郷の風は自然となじみます。静岡駅に降り立つだけで、何かが違う。
和歌山なんかもそうですが、静岡は海も山もあり、そこからの多くの恵みにも溢れた土地なので、風もおおらかで穏やかで、人ものんびりとしいているのです。駿河湾の凪いだ海から吹き来る風には色々な想い出が甦りますね。
静岡に行く時には時間さえあれば、各駅停車でのんびりと行く事にしていますが、旧車両の向かい合わせの座席に座って、車窓からただただ海や富士山を眺めているのが、私にとって何よりの贅沢なのです。本も何も要りませんね。いつかこの陽光と風の中に帰って行きたい。近頃はそんな想いが強くなりました。
続いて、21日にはJICA横浜で演奏したのですが、此方の風はまた一味違う。場所は赤レンガ倉庫のすぐ隣だったのですが、あの辺はちょっと異国情緒もあり、お客様も様々な国の方々でしたので、いつもの演奏会とは全然雰囲気が違いました。お客様からも「琵琶は日本の音楽というより、どこかエキゾチックですね」という感想を頂きましたが、きっとそんな感じで皆さんに聞こえたのではないでしょうか。何とも開放感があって違う国に居るみたいな感じもしました。
レオ君
またここでは今年の筝曲全国コンクールで優勝した、若干16歳の今野玲央君と共に演奏したのですが、彼は人柄といい音色といい、実にさわやかで、演奏もなかなかのものでした。フレッシュな感覚というのは聞いていて気持ち良いものですね。昨年和歌山で共演した筝の中島裕康君も、昨年全国コンクールを制覇して、まだ20代の半ば。最近は若手の男性筝奏者が活躍していて頼もしい限りです。エキゾチックな風を楽しみました。
そして今月は江の島にも行きました。1年ぶり程でしたが、湿気もあまり無くて、心を浄化してくれるような海の風をたっぷりと身に受けてきました。心を深化させてくれるような山の風も素晴らしいですが、海の風もまた、私を包み、広大な太平洋を前にして体が空に舞いあがるような、そんな気持ちにしてくれました。静岡に育ったせいか、私には海と山の両方が必要なようで、何とも贅沢な体質なようです。
江の島は三大弁財天の一つであり、山田検校等の碑もある、音楽に縁の深い場所。いつかここで演奏する機会も持てたら嬉しいですね。海の幸をたっぷりと頂いて、沈みゆく夕日を見ながら、広大で、凪いだ海の上を渡る風を満喫してきました。
おまけは先週の、嵐のような豪雨の直前に吹きすさぶ風。印象的でしたね。嵐の前のイントロのような風は自分の感覚のどこかを刺激するようで、ゾクゾクとして来ました。
今月はこれらの他に、先日ブログにも書いたインターナショナルスクールでの子供たちの授業や、光が丘美術館の演奏会。琵琶樂人倶楽部の「次代を担う若者達」、そして社会人向けの「えびす大学」という講座など、色々と仕事をさせて頂きました。そしてほとんどの会で私の作曲した「風の宴」を演奏しました。この曲は先人からの息吹を「風」と捉え、その風を我が身に受けて、更にその風を次世代へと吹き渡らせて行こう、という私の想いを曲にしたものです。
私が演奏した「風の宴」は、私の想いを音楽に乗せ、「愛を語り、届ける」風となって吹き渡っただろうか??。まあそんな風に思うのも、ただの我欲かも知れません。
水無月の風は、どれも、こんな小さき者を優しく包み、行くべき所、あるべき姿へと誘ってくれました。
生かされて、今ここにある我が身を感じますね。
さて、今日は一年の折り返し地点。またこれからどんな風に出逢うのやら・・。
「Think of nothing things, think of wind」 トルーマン カポーティ
先日、シアターXにて「踊る妖精」という舞台を観てきました。この舞台は4年前、同じタイトルでチェーホフの「かもめ」を題材とし、アキコカンダ、花柳面、ケイタケイ、折田克子、倉知外子らが其々ソロの作品を作り上演したもので、このブログにも感想など書きましたが、アキコカンダさんが亡くなった事もあり、今回は追悼公演という事で再演する事になったそうです。
先日、同じくシアターXにて行われた「イェイツと能」のレクチャーの時に、花柳面先生から、私の「良寛」の舞台の感想を伺っていて、「歌ってはいけない」、「歌っているけど、歌っていない」というアドバイス頂いたのですが、何とも抽象的な言葉で、何か大事なものがありそうだと、もやもやしながらずっと思いながら、その時点ではよく判らなかったのです。それが今回、それぞれの作品を観ていて、おぼろげながら気付かされました。
私は何時も、「その先の世界を表現する」という事をここに書いています。「上手を目指してはいけない」という事も書いています。それは「歌っているけど歌ってない」という状態に通じるのではないかと思えてきました。動き一つ、音一つでも表現の為にあるのであって、歌でも踊でも、踊りが踊りのまま見えるという事は、その先の世界に至っていないという事。言い方を変えると、その部分は日常を超えていないとも言えます。歌を超え、踊りを超えた所が表現できていなければ、まだ出来上がっていないという事です。上手が見えてしまうなんてのは単なるアマチュアレベルですが、舞台上の全てが表現となって初めて作品となるのです。つまり「歌っている」「踊っている」という風に観えてしまうという事は、プロの舞台人にとって大変残念な事なのです。
音楽でも何でもそうですが、上手かどうか等と思うのは、その業界人だけでしょう。観客にとっては上手なんて事は当たり前なのです。いくら部分的に上手でも、舞台全体がが良くなければ、かえって舞台として未完成であることを露呈しているようなものです。
舞台というものは日常を離れ、観客を異次元へ駆り立てるような場になっていなくては、人は作品に対しお金は払ってくれません。お稽古事の無料の会だったら、頑張っているというだけで、拍手もしてくれるし、褒めてくれるかもしれませんが、プロはそうはいきません。そこに非日常の空間を作りだし、観客に表現が伝わってナンボです。先ずそういう舞台が出来ていなければ、良いも悪いも評価しようが無いのです。この前も書きましたが、技芸ではないので、いくら早く体を動かしても、瞬時に沢山の音を弾いたとしても、そういう表面の技術では作品にはならないのです。あくまでも作品を見ていただくのが我々の仕事なのです。
私の事を振り返ってみますと、面先生が指摘したように「うたっている」というのが見える所がまだまだあるように思います。器楽の部分に於いては、自分自身の想いなり、表現なりを演奏に託し投影する事が自分の中で、極々自然な行為として成り立っています。特に樂琵琶では、自分の思うように弾けているという感じもあります。しかし歌はまだそうはいかない。「薩摩琵琶は弾き語りをやらなくてはいけない」という呪縛がまだ自分の中にはあるのでしょう。先日の観世銕之丞さんの謡を聞いても思いましたが、私は、歌ではなく、声を使った「表現」という形にしてゆくのが私らしいのではないかと思っています。私にとってメインは器楽。あくまで琵琶の音です。これからは弾き語りはどんどん減り、器楽に特化して行く方向に向いていますが、声に対しての考察もまだまだだ必要なようです
その為には、そういう作品をどんどんと作る事ですね。1stアルバムを出した頃は、そんな歌ではない、声を使った作品もいくつか書きましたので、今後はその辺りをあらためて加速させていきたいと思います。
私がこれまで聞いて感激してきた音楽は、皆世界最高峰のものですが、技が凄いなんて事は二の次三の次でした。そんな事よりとにかく作品自体に圧倒的なものがあって、その作品に魅了されたのです。もうキリが無いほどに夢の世界を味あわせてくれるアーティストを聴いて来ました。私は及ばずながらも、こういう側に居たい。舞台を観ていて、あらためて想いが湧き上がりました。