私は18歳から20年間に渡り東京の高円寺に住んでいたので、夏の終わりには必ず、阿波踊りというのが刷り込まれていて、先週末も雑踏を避けた所からあのリズムを聴いて、夏の終わりを楽しんでいました。
それにしても私が初めて見た阿波踊りと、今のものでは感じが変わりましたね。規模も年々大きくなり、祭りというよりはフェスティバルという感じになりました。踊り自体もホールやTVなどで見せるようになったのでフォーメーションを作ったりして、かなり凝った振付の連が増えてきました。リズムの方も、特徴を出そうとして4拍子のような2拍子のような、ちょっとロックビートを感じさせる連も結構見受けられます。まあ阿波踊りにもモダンスタイルが出てきたという事でしょうね。
しかしやっぱりあのシャッフルのリズムが無いと、
どうも阿波踊りの風情が感じられません。また凝った
振付の連も、皆で踊り狂っているという阿波踊り特有の
雰囲気が無く、演技しているという感じがどうしても
してしまいますね。まあ勝手な感想ですが・・・・。
風情というのも人其々なのですが、物事何でも特有の風情というものがあまり感じられなくなると、違うものに進化したように見えてきます。それもまた時代の流れというものでしょうし、時間が経てばそれらも新たなものとして受け入れられていくのだと思います。私自身これまで聞いてきた音楽でも、当時は何だか違和感ばかりだったのが、10年もすると自然に感じられたりする事が良くありました。ただその変化が商業主義に乗せられ、振り回されて自らの姿を見失っているのだとしたら、残念ですね。
八橋検校
風情というものは、人間感情の中で大切な部分なのですが、多分に過去の想いでなり、ノスタルジー的なものと繋がっていますので、気持ち良いという反面、旧来の感覚や感性に囚われて、引かれたレールの上に座り込んでいる、という事にも繋がります。これまでの価値観の延長線上に居るだけでは、良きものも残って行きますが、古い因習や習慣などが足かせとなって時代を進み、切り開くことが出来なくなったり、また色々なものが滞る事で悪い方向に淀んでしまうこともしばしば。
人間は社会というものを形成し、常に先へ先へと時代を進めて行くのが宿命です。なかなか動物のようには生きられない。パンタレイとはヘラクレイトスの言葉ですが、古代ギリシャの時代から人間だけでなく、世の物事は万物流転するのが定めなのです。
時代に流されて行くか、それとも次の時代を切り開いて行くか・・・。少なくとも芸術は次の時代を切り開くという宿命を負っているようです。
八橋検校も、宮城道雄も、永田錦心も、当時はかなりの前衛だったのでしょう。しかしこうして時代を切り開いていった人が居たからこそ、今がある。世阿弥や八橋検校が居なかったら、日本文化はまた違うものになって行ったでしょう。どんな国でも文化の上に政治や経済が成り立っていることを考えれば、文化こそが国家そのものといえるでしょう。こうした芸術家達は正に日本という国家そのものを作って行ったとも言えますね。
世阿弥
ただし移り変わる世の中で、どこかに継承して行くという部分をしていかないと人々は付いてこれません。新しいものは結構ですが、今までのものがどこかに感じられるからこそ、新しさも感じられ、そして受け入れられ、次の時代を象徴するものとして輝いて行きます。今までのものを継承していないものは充実感も存在感もない。目新しいだけ。世阿弥も作品を作る時には、古典を典拠にせよと言っていますが、より次世代を感じさせるものは、しっかりと何かを受け継いでいるからこそ、その存在も強く大きく感じられるのだと思います。
その継承するものは単なる風情というものではなく、もっともっと根源的なものだと私は思います。どこを受け継いで行くべきなのか。何を新しくして行くべきなのか。そこにこそ感性というものが働きます。琵琶らしいとは?邦楽らしいとは?それらはいったいどの部分なのか。その見極めが出来なければ、万物流転の流れの中で消滅して行くしかないのです。
30代の頃出したCDのジャケット
今邦楽はその見極めが出来ているのでしょうか?形や表面の雰囲気ばかりに目が行って、本来受け継ぐべき根源となるものを見失ってはいないでしょうか?格式や肩書きに目を奪われて音楽を忘れていないですか?
邦楽には今、音楽としての無垢な眼差しが一番必要なのかもしれません。
高円寺には私の人生の記憶がいっぱい詰
まっているし、色々な想い出に浸るのもまた良い時間ではありますが、私はそろそろ高円寺を卒業する時期に来ているのかもしれません。阿波踊りを見ながら、そんなことを思いました。
先日、映画「Paganini The Devil’s Violinist」を観てきました。
映画評は色々とあると思いますが、パガニーニという存在がしっかり描かれ、且つヴァイオリンへの愛と熱狂が伝わって来る良い映画だったと思います。主演は現代のトップヴァイオリニストでもあるデヴィッド・ギャレット。劇中の演奏は全て彼が弾いているとの事でしたが、その演奏たるや背筋がぞくぞくするような興奮と官能に溢れ、パガニーニ役は俺しか居ない!という自負に溢れた圧倒的な姿と音に陶酔してしまいました。
パガニーニという人は音楽史上初めてマネージャーと契約し、コンサートツアーというものも史上初めてやった人だそうです。イメージ戦略というものを音楽シーンに持ち込んだ人としても知られていて、「悪魔に魂を売って、その技術を手に入れた」等というキャッチコピーも良く知られていますね。

その生涯は、今の感覚で言うとロックスターのような感じでしょうか。麻薬(当時は合法だったようです)、酒、女と、まあおきまりの破天荒な生き様だったようですが、大いなる野心と、飛び抜けた音楽的な才能と技量が彼をヴァイオリンの神(悪魔?)に仕立てていました。
主演のデビッド・ギャレットはルックスもいい感じで、パガニーニはきっとこんな感じだったんだろうな、と思わせる雰囲気と色気を持っていました。有名なエピソードもしっかりと入っていて、クラシックファンにはたまらない映画ですね。デビッド・ギャレットは、正に当時「悪魔の仕業」と言われた、パガニーニの狂気とも言える雰囲気を確かに現していました。
パガニーニの超絶技巧の曲は今ではちょっとした演奏家は皆演奏しますし、先日のグレブ・ニキティンさんも見事でしたが、デビッド・ギャレットの演奏は一味も二味も違う。「パガニーニを超えるのは俺だ」という揺るがぬ自信と、圧倒的なプライドが彼の中に満ちて、その音には彼にしか表現し得ない圧倒的な官能がある。レベルが違うのです。
日本では音楽(特に邦楽)に於いてテクニカルなものを嫌う傾向が強く、心が無いとか、判っていない等、したり顔で宣いながら、流派や肩書きなどをひけらかす人が実に多いですが、やはり八橋検校、宮城道雄、沢井忠雄という流れを考えても、あの前人未到の技術があってこその革新だったと思えてなりません。勿論技術の前に感性がある訳ですが、飛び抜けた技術があるからこそ見える世界があったのではないでしょうか。高い技術が無ければ育まれ得ぬ感性もあった事でしょう。それは凡人には見ようと思っても見えない世界。天才の領域がきっとあるのだと思います。
ジミヘン、ヴァンへイレン、コルトレーン等のロックやジャズのミュージシャンも、宮城、沢井という邦楽人も、ただ早弾き云々という事ではなく、その技術によって新たな世界を創りだし、我々に見せてくれたことが凄いのです。1秒間に100個の音を弾けるとか、そう言う単純な大道芸みたいなレベルの話ではなく、演奏技術も感性も作曲能力も何も、全てが飛び抜けていたという事です。
我々は天才が創り出した世界を後から追いかけるのが精一杯。確かにパガニーニの曲は今や色々な演奏家が弾きますが、パガニーニのように時代を飛び越えて新たな音楽と時代を提示する事は簡単には出来ませんね。
どんな演奏でも作品でも、そこに官能があってこそ人は惹きつけられます。永田錦心や鶴田錦史、高橋竹山の演奏には官能があったのです。だから日本中が、世界中が熱狂したのです。けっして声がいいとか、コブシが回るとか、弾法が上手とかそんなお稽古事の次元ではありません。琵琶の世界は今、この官能を全く忘れている。だから流派や受賞歴なんかで、必死になって脆くも儚い幻想の鎧を固めようとするのです。
新しい世界を創り出した彼らの音楽には、表現としての音楽がそこにはあったのです。「お上手、お見事」なんあていうものではない。永田錦心の「石童丸」、鶴田錦史の「壇ノ浦」、竹山の「岩木」、宮城道雄の「春の海」、八橋検校の「みだれ」・・・・。そこには彼らでなければ成立し得ない世界があったのです。圧倒的な技術、新しい感性、他にない唯一無二の存在感・・・・。その音楽は官能に溢れ、熱狂を生み出し、だからこそ陶酔する者が未だに出て来るのです。
琵琶楽にもう一度この官能と熱狂を取り戻したい。デビッド・ギャレットの弾くあの圧倒的な官能に満ちた最高音に匹敵するような音を琵琶で生み出したい。いや生み出さなくてはならないのです。
エレキギターはディストーションというものがあってこそ、あの官能を実現したと言えるでしょう。自由自在音をコントロールし歌うことは熱狂と感動を生み出しました。ジャズギターのクリーントーンのままでは、個性的な魅力あるプレイヤーは出ても、人々を熱狂させる楽器にはならなかったと思います。現在はディストーションというものが基本としてあるからこそ、逆にジャズのあのクリーントーンは新たな魅力を勝ち得ていると考えます。
琵琶では、鶴田錦史がピックアップの開発をしたりしましたが、私はエレキギターのように音量を上げたり、音を変化させる方向ではなく、パコ・デ・ルシアの演奏に一つの光を見出しています。
次の時代を創らなければ、もう琵琶楽は熱狂からも官能からも程遠い、ただの文化財としての骨董品で終わってしまう。
やらねば!!
お盆も過ぎ、夏から秋へと気分も少しシフトしてきました。
先日、琵琶樂人倶楽部を一緒にやっている古澤月心宅にてリハーサルをやった折、錦心流で以前発行していた会報誌「水声」を拝見させて頂きました。いや~~熱い!あの頃の琵琶人の志の高さは凄いものがあります。
永田錦心が眠る
琵琶を芸術音楽として完成させたいという永田錦心の志を受け継ぎ、闘志に燃えた若者達が熱い熱い議論を交わしています。琵琶に関わる人が多かったから人材も実に豊富だったろうし、永田錦心も当時30代で、歯に衣着せぬ勢いでガンガン言い放っている。今では物議を醸しだしそうな物言いも含めて、実に沢山の言葉を永田は残しているのですが、何処をとっても、いつも私が感じている事、言いたい事を全て永田錦心が言ってくれている。もう他人とは思えません。
とにかく永田は琵琶楽を芸術音楽にしたい、という一心がその生涯貫いていました。世界を見れば明治~大正という時代は、絵画では印象派が明治の初期から中期に勃興し、大正に入るとダダ、シュールの風が吹き荒れ、音楽ではドビュッシー、ラベルが活躍し、現代音楽の時代が始まるなど、正に世界の芸術界が沸騰していた頃。ゴールデンエイジシンドロームなんて言葉で言われている時代です。永田は画家でもあったし、血気盛んな青年が世界の最先端芸術を見聞きしない訳はない。貪欲なまでに求めた事でしょう。大衆芸能の流行音楽に甘んじることなど、新時代の芸術音楽を目指す事に燃えていた永田にはとても出来なかったのだろうと思います。しかし皮肉なことに永田の弟子たちはどんどん大衆芸能路線へと行ってしまいます。
永田はこの状況を嘆きに嘆んで、「何よりも先ず第一に憂うべきは、演奏者そのものが音楽的教養に乏しく、思想が低級であって、しかも利害の打算、名利の争奪にのみ没頭しつつあるという事である。教師について琵琶というものが少し解りかけたかと思えば、直ちにそれによって物質的利益を得ようとする。少し世間から認められて生活が容易になれば、すぐに安逸に流れ、深い研究も新しい創設も忘れ果ててしまふ、これが琵琶を弾奏して生活する者に共通の現状である」
と言っています。常に芸術家であらんとする永田にとって、ちょっとばかり弾けるようになって、安易に受け狙いをする者、有名になる事ばかり考えている者、手慣れた技でやっつけ仕事をして研究探究をしない者は許せなかったのでしょう。そういうもの達へ強烈なパンチを放っているという訳です。永田の言葉からはここまで言っていいの?という位にその熱い気持ちが伝わって来るのです。私自身も常に永田錦心の残した言葉を想い出し、日々怠らないようにしていますが、現代では琵琶で生活しているプロすらほとんど居ないのが現状。そんなアマチュアレベルでさえ、上記のような琵琶人が闊歩しているのだから、永田錦心の憂いもなかなか晴れる事は無いですね。
プロとしてお金を稼ぐというのは大事な事です。責任も大きいし、何よりもここから逃げていてはいけないのです。中には薩摩琵琶は武士道の音楽だから、お金を取らないことが美徳で高潔だなんて事を言って、
聞くに堪えないような演奏を得意になってやる人もありますが、そんなものは素人の逃げ口上でしかないと私には思えます。世の中は厳しいのです。どんな仕事でも一生プロとしてやり続けてやっと一人前。それが途中で出来なくなった人は、やっぱりアマチュアでしかないのです。
先ずは聞いてもらって評価を頂いて、お金を稼いで生活して行けるレベルに達して初めてプロの音楽家としてのスタートです。そしてその演奏が「喰っていくための芸」に陥り、目の前の日銭を稼ごうとするような程度のものであればそれまでの事。その根性は永田の志とは一番遠い所にあると言わざるを得ないでしょう。
どんな音楽家が居ても良いし、その人の好きにやれば良い。すべて自由です。だからこそ私は志を持ってやりたいし、その指針となるものこそ永田錦心の姿勢なのです。「これが俺の人生なんだぜ」なんてうそぶいて何時まで経っても手慣れた所で同じような事を繰り返すようにはなりたくないですね。
琵琶楽全体が大衆芸能化して行くのは永田にとっては耐え難い事だったろうと思います。自分が時代の先端切って突き進んで、琵琶楽に新しいセンス提示し、組織も創り上げ広めて行った先が、自分の描いた世界とはまるで逆方向に行くとは・・・。自ら「錦心流解体」と叫んだその気持ちもよく判ります。
しかしその志は、少ないけれども確かに受け継がれていると私は思っています。幸い私がお付き合いしている方々は、皆常に新しい展開、新しい曲、次世代に向けた取り組みを怠らない。永田の言う低級な事に躓き、目の前の収入を求め芸の切り売りをするよう連中は居ません。いつもいつも次の舞台をどうしようかと考えている。形は違えど永田錦心の志は確かに現代でも受け継がれているのではないでしょうか。永田は「各自の個性によって独自の道を切り開き、自由なる芸術の発創をしてもらいたい」と言っているのですから、形など問題ではないでしょう。ようは音楽に関わる者としての心です。
私には歴史上の人物で憧れを持ってその残した著書を読んだり、その世界に遊んだり、また史跡を訪ねたりする人物が色々います。道元、空海、良寛・・・キリが無いのですが、自分と同じものを頭のてっぺんから足の先まで強く感じる人物は永田錦心ただ一人です。色々な人物の中に其々自分と似た所を感じるのですが、私は永田錦心の言葉に演奏に自分の行くべき先を見るようなのです。
もう一つ永田錦心の言葉を書いておきましょう
「極言すれば琵琶は今、世間と全く没交渉であって、ただ琵琶村は琵琶村だけで処理して行っているように私は思われてならない」この現状に対し「学ぶべきは西洋音楽であって、それを巧みに取り入れ、琵琶の特質と調和させたならば、一つには琵琶を音楽として世界化せしめ、且つ滅びんとする琵琶に新生命を興へ得るだろうと思う」
と言っています。当時と今は状況が違うので、西洋音楽云々というのは今では当たらないかもしれませんが、かつてジャズマンがモードやインドの思想に新たなものを見出し、新しいジャズを創造して行ったように、また従来の感性に破壊的創造、創造的破壊を持って立ち向かったツァラ、ブルトンらのダダ・シュール、新時代の音楽理論を打ち立てようとしたシェーンベルクらと同じだと思います。
宮城道雄もそうですが、世界中でこの同時期にあちこちで天才が現れて来るというのが面白いですね。琵琶人はもっともっと永田錦心を誇るべきです!!
最後にもう二つ永田の言葉を
「この際に於て、作歌にも演奏にも独自の手腕を備えた大天才が、奇跡的に表れるような事でもあって欲しいものである。それを期待せずにはいられない程、現在の琵琶界が行き詰まっている事を私は痛感するのである」
「多くの水号者がその地位にあぐらを掻いて、自分をその教祖に祭り上げている。自分はその肥大した組織の様を見て後悔していると共 に、それをいずれ破壊するつもりだ。そして西洋音楽を取り入れた新しい琵琶楽を創造する天才が現れるのを熱望する」
私にもう少し才能と頭脳と技術と人間力があれば、この言葉の端っこにでも引っかかったかもしれませんが、残念ながら力及ばず・・。しかし及ばずといってもそこを目指さない訳にはいかない。目指さないような者は、永田錦心の志からも、芸術からももっとも遠く離れた者でしかないのですから・・・・。私は私のやり方でやるのみです。
邦楽をやっていると、長い歴史に育まれた優れた日本の文化や、それに取り組んでいる人に出会う事がとにかく嬉しいですね。ご存じのように能は室町時代に、各座独自の美学と様式を築き、洗練と深化を500年以上に渡って繰り返してきました。近世の長唄も同様です。そういうものは個人一人がちょっとやっただけではどうにもならない、知と経験の蓄積があります。私は常々こうしたものに触れ、また真摯に取り組んでいる人に会うと、本当に頭が下がります。心から素晴らしいと感じずにはいられません。
ただ能や長唄のその豊富な知の蓄積はそれはそれは凄いのですが、音楽や演劇というものは常に時代と共に在り続けないと、芸術だろうが流行ものの芸能だろうが、衰退して行きます。雅楽のように国で権威として保護しているものは別として、能は武家の保護が無くなった明治からは実に凄まじい創作活動をしてきました。先日書いたイェイツの作品を能にしたり、新作能を次々と作ったりすることで、古典もまたその魅力を輝かせていったのです。長唄も同様にどんどん新作を作り、今でも創邦21や五韻会等色々な団体が、旺盛な創作活動をしています。こういう旺盛な創作力があるからこそ、創造と継承の両輪が回り、古典も次代へとつなげていくのです。
しかし中にはその伝統の中に埋没し、胡坐をかき、自分を飾り、自己顕示しているような人も残念ながら見かけます。我々は舞台が全て。エンタテイメントでもアートでも、観客に支持され、共感を持って受け入れられ、評価されてなんぼです。そこをすっかり忘れては誰も相手にしてくれません。琵琶の世界はどうでしょうか・・・・・・?。
薩摩琵琶のようなまだ出来上がって間もないジャンルでは、プロでやっていけてる人が数人しか居ないのですから、我流や正統という程の歴史はありません。オールアマチュアだからこそ、「これは正当」「あれは我流」などという区別をしたがって、そうやって肩書きという鎧で自分を守ろうとするのです。それは一番芸術からかけ離れた心であり姿勢であり、そこには謙虚や真摯という言葉は感じられませんね。
永田錦心の創り上げた錦心流は勿論、他の芸能も最初は一人の頭脳から始まりました。その時点では、旧価値観からすれば我流でしょう。永田錦心は旧琵琶人から強烈な攻撃を受け、血判状まで送りつけられて「琵琶界から去れ」と脅されたり、命の危険すら感じたという事ですが、永田錦心以前の薩摩琵琶には、明確な様式や美学というものが確立しておらず、薩摩という仲間意識があるだけで、全くの個人芸=俺流状態でした。そこに新しい感性を持ち込んで、独自の美学を確立し、明確な形を確立したのが永田錦心です。ずば抜けて優れたものや時代を先取りしたものはいつの時代も標的にされるのでしょうが、世の中の聴衆は正直でした。永田錦心を圧倒的に支持したのです。創流からわずか10年も経たない間に全国に広まり薩摩琵琶=錦心流という程になり、更に次の時代を創って行った水藤錦穣や鶴田錦史も永田錦心の元から出たのです。
随分前に私がお付き合いさせて頂いていたとある先輩は、正に我流の見本のような人で、体をよじりながらフォークギターのようにリズムを刻み、歌謡曲なんかをよく琵琶弾きながらライブハウスで歌っていました。確かに我流ではあったと思いますが、活動は地道にしっかりやっていました。現在協会や流派の先生で、旺盛に演奏活動している方は見たことがありません。流派のお浚い会以上の活動をどうしてしないのか・・・肩書きだけはいつも立派なのですがね・・・?。
どんなものでも評価をするのは観客であって、流派や協会の人ではないのです。錦心流も世の中に支持されたからこそ、今に続いているのです。何十年お稽古に通っていても、一人で音楽をやっていても、そういう事に関係なく、舞台に於いて素晴らしい演奏をし、作品を残す人だけが評価されるのです。でなかったら20代で錦心流を打ち立てた永田錦心はありえない。
稽古とは習う事ではなく、自分で考え、自分で学んで行く事です。ただお稽古事に通っているというだけではどうにもならない。これが判らないようでは、どんなに有名な先生や流派に就いても、何時まで経っても音楽は響いてきません。お金を吸い取られ、余計な肩書きが増えてゆくだけです。結局はその人の姿勢や意識のレベル+知能、能力の問題です。知性を磨こうとしない人、自分は知性に溢れていると思い込んでいる人は、いつまでも小さな村意識の中に留まり、そこまでの事しか見えないし、出来ないのです。音楽を聞けば、その人のレベルは自ずから見えてしまうものです。
永田錦心は、都会的な洗練を琵琶楽にもたらした功績を考えると、きっとドビュッシーなどを聞いていたのではないかと思います。「牧神の午後への前奏曲」は明治27年に発表されているので、当時の日本にも入って来ていた事でしょう。東京に居て、画家でもあった永田錦心だったら、当然のように世界の音楽・芸術の最先端を観聴き、その感性を吸収していた事と思います。「洋楽を取り入れた新しい琵琶楽を創りたい」と言った彼の発言を見ても、彼の視野は既に世界に向いていたの事は間違いないと思います。そこには我流も何もないのです。純粋なる芸術的精神に溢れていたのだと思います。
我々は音楽を聴いてもらい、それに評価を頂くのが仕事。ごたごたと並べたてる前に、音楽をやろうではないですか。舞台に立って観客に評価してもらおうじゃないですか。どんな口上をノタマッテも出て来る音楽に魅力が無ければ始まらない。
「長口上は芸の妨げ」。舞台が全てなのです。
自己の思い込み、思い上がりではなく、聴衆にとって魅力ある琵琶楽をどんどんと創って行きたいのです。志のある方、是非是非一緒に頑張りましょう!!
先日、ヴァイオリニストのグレブ・ニキテンさんの演奏を聴いて来ました。二キティンさんは、現在東京交響楽団のコンサートマスターで、ソリストとしても色々な所で演奏し、指揮者としても活躍している方です。知人からの情報で馳せ参じたのですが、今回はアマチュアオケのゲストという事で、杉並公会堂の大ホールにもかかわらず何と入場料が1000円!アマオケだけの会は何度となくここで聴いていたのですが、一流のプロがソリストで来るというのはまずないので、当日券目当てで、絶対に行列はしない私が並んで入りました。
ニキティンさん
曲はチャイコフスキーのViコンチェルト。定番ものですが、力みのない余裕溢れる演奏でした。最近はかなり力んで迫力を出そうとする人が多いですが、ニキティンさんはどちらかというとソフト。大きな体から出て来る音色は実に滑らかで、聞いていて不安な部分など全く無く、スラリすらりと音楽が流れ出して行きます。音色も出来上がっていました。
ムター女史を聴きに行った時も思ったのですが、体全体がクラシックになっているとでも言いましょうか、姿に無理が無いのです。ヨーロッパに生まれ育った人間として当たり前といえば当たり前なのですが、これは邦楽でも同じ事で、名手の方々は舞台で実に自然な姿をしています。少しばかり上手に弾けても姿のしっくりこない人は、聞けば聞く程空回りするような演奏をするものです。
これだけ余裕を持って音楽を奏で、歌うヴィオリンはこの所久しぶりでしたので、大変に満足!!オケの方も弦はなかなかまとまっていてスピード感もありました。管はそれなりだったのですが、指揮の中田延亮さんの采配はメリハリがはっきりしていて、音楽が明確に聞こえて来ました。アマチュアにしてはレベルの高いオーケストラだったと思います。ニキティンさんはコンチェルト演奏後何度か拍手に迎えられ出て来て、アンコールで何と今話題のパガニーニの独奏曲を弾いてくれました。あの超絶技巧を難なくさらりと弾きこなす姿は格好良かったです。それも余裕で「こんなことやっているんですよ」とばかりに見せながらにこやかに弾き切る。大したものです。今ではパガニーニの曲もちょっとした演奏家なら誰でも弾きますが、あの余裕はなかなか他では聞けないですね。同じ舞台人として良い勉強になりました。
ああやって聞くとヴァイオリンは楽器として本当に完成していますね。実に魅力的です。だからテクニックも洗練され、素晴らしい曲も作られ、更に更に素晴らしい音楽が出来上がって行くのでしょう。技術はあそこまで行って初めて語り出す、そんな風に思いました。琵琶が上手いの下手だのと、そんなレベルとはまるで違います。やはり外に飛びだし、世界を見ることは音楽家として大切ですね。

幕末から明治にかけて世に出て来た薩摩琵琶は流派というものも無く、個人が勝手に、今で言う所の俺流でやっていました。明治末期に永田錦心が流派というものを打ち立て、薩摩琵琶に洗練をもたらし、美学と様式を明確にして芸術音楽へと導き、全国へと広めていきました。昭和の戦後には鶴田錦史が世界に飛びだし、今度は世界へと広めていきました。私も及ばずながらこの二人の轍を乗り越え、更にその先へと行きたいと思います。その為にももっともっと技術を完成させ、声楽ではなく器楽として広く聞いていただけるよう、更に作曲に演奏に気合を入れたいです。
常に大きな世界を見据え、外側へと視野を向けて行く姿勢こそ次の時代を生み出します。小さな村意識の中に居ては何も起こらない!。
ヴァイオリンはうたう。これからは琵琶も楽器が滔々と語り出す時代にしなくては!!
やるべき仕事は山のようにあるのです。