The Next Door

昨日は第86回琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達Ⅱ」をやってきました。

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このシリーズはまだ始まったばかりで、前回はこれから活躍を期待される若手の方々に演奏してもらいましたが、今回はすでに様々な所で活動を展開している個性溢れるお二人にお願いしました。勿論期待通りの演奏をして頂きました。

10安藤けい一さんはお坊さんでもあり、また人形遣いとしても有名な方で、既に全国のお寺を中心に、精力的に活動しています。最近は琵琶を取り入れた語りで、更に世界を広げて活躍中です。昨日は親鸞聖人の一代記をお話を交え語って頂きました。さすが!!
安藤さんHP  http://bennen.web.fc2.com/

もう一方、尼理愛子さんはもうこのブログでもおなじみ、あ1我らが愛子姐さん。10年以上弾き語りのライブで鍛え上げられた独自の世界観は、他の誰にも無い魅力があります。最近は薩摩琵琶に持ち替えて更に充実してきました。今回は新作も含め、個性的な作品を披露してくれました。愛子さんブログ  http://ameblo.jp/angels7/

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とにかくこのお二人は、流派やら何会やらというしがらみが全く無い所が良いですね。つまりお稽古事の香りがしないのです。邦楽器をやる人は真面目な人が多いのか、流派の曲やスタイルに縛られて、皆さん一様に、お上手な優等生タイプに仕上がってしまう。私自身が一時は流派に居ましたので、そうなって行く気持ちはよく判るのですが、それではいつまで経ってもプロには成れないし、お客様はお稽古事にはお金を払って聞いてくれません。
今、自らのスタイルを持って、自分の世界を舞台で聴かせて活動しているな、と思う人はどれだけ居るでしょう・・?。永田錦心、水藤錦穣、鶴田錦史は、皆誰とも違う独自のスタイルを高らかに掲げて世の中で活躍したのに、残念な限りですね・・・・・。

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タシュケントのイルホム劇場にて

この二人や、私のような人、古典派・・・・多様なスタイルがあってこそ、琵琶が魅力を持って聴衆に迎えられて行くのではないでしょうか。誰を聴いても皆同じような大同小異のスタイルと曲ばかりでは、すぐに飽きられてしまいます。
昨日の二人の曲は全て自作でした。一人30分という限られた時間でしたが、その中でバラードあり、ノリの良い曲あり、語りものあり、歌あり…とヴァリエーションがとにかく豊富。これはどんなジャンルでも当たり前なのですが、この当たり前が無いのが薩摩琵琶なんです。琵琶人はよくよく考えて頂きたい。琵琶樂人倶楽部では、こういう独自の活動を展開している人を、これからもどんどん応援して行きたいと思っています。素敵な一夜でした。

2015CD発売記念

さて、明日はいよいよReflections NewCD「The Ancient Road」発売記念演奏会が、近江楽堂であります。ぜひともぜひともお越しいただきたく存じます。夜7時開演です。特に予約も必要無いので、直接会場にお越しください。

多くの個性、様々な楽曲、感動の世界…。これからも琵琶を通して、魅力あふれる舞台を創って行きたいですね。志のある方、ぜひ次代の扉(The Next Door)を一緒に開けましょう!!

過ぎゆく日々2015年冬

この所演奏会が続き、ちょっとへたり気味。今日はゆっくりとお休みさせて頂きました。
先日の戯曲公演「良寛」が終わってからは、八王子法人会のイベントでの演奏、近江楽堂での日本書紀歌謡、そして昨日のみなとみらいAUDIショウルームでのICJCイベントとやってきました。

八王子の方は、大変豪華な料亭 鶯啼庵での演奏だったのですが、普段話をする機会の無い、色々な業種の社長さん達と話が弾み、良い御縁を頂きました。琵琶と笛ではちょっと渋かったかな??会場はこんな感じでした。

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日本書紀歌謡の方は、和歌山、金沢に続くプロジェクトとして東京での初お目見えでした。まだまだ内容には至らぬ点が多く、このプロジェクトの趣旨や方向性などが、どうにも伝わらない所を感じましたので問題山積!。これからはかなりのテコ入れが必要と感じました。伝える所をもっともっと明確にして行く事が求められると思います。反省しきり。

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共演のお二人 久保順さん、田中黎山君

そしてICJCイベントの方は、先日私の家でリハーサルしたユウジ君と、三味線のボビー君と私での演奏でしたが、二人の若手の新鮮な魅力でお客様も結構集まってくれました。写真が無いのが残念。特にユウジ君はピアニストでもあるので、大変音感が鋭く、テーマと構成だけを決めて半即興をした「ファンタジア」はなかなかスリリングでいい感じでした。お天気にも恵まれ、海がすぐ傍という事もあって、さわやかな風に包まれ気持ち良かったです。

10郡司敦作品個展にて
今年は年明けに色々と声をかけて頂いて、ありがたい限りです。それに年々自分がやりたいと思える仕事が多くなってきた事も嬉しいですね。特に手妻の仕事にしてもそうなのですが、だんだん器楽としての琵琶を求められて来たのは、実に我が意を得たり!という感じです。これからは器楽としての琵琶楽をぜひとも確立して行きたい。その為には作曲です。もっともっと多くの曲を作らなければ聴いてもらえない。樂琵琶の方はかなりの数を作曲しましたので、今年は薩摩琵琶の器楽曲に力を入れます。

雅楽は器楽として残ってきましたが、邦楽では筝以外の弦楽器は皆歌の伴奏として続いて来ました。okumura photo6この歴史は確かに大事にしたいのですが、歌の伴奏だけでは琵琶の音色は現代に響かない。時代と共に変化して行く力が無いものは滅んで行くだけです。それでなくとも他の歌ものに比べ薩摩琵琶の「節」はヴァリエーションが少なく、どの曲も似たようにしか聞こえない。また薩摩琵琶の近代ものの歌詞は聞き取る以前に、その歌詞の感性がもう現代人には理解出来ないものも多い。昭和の演歌ですら、「昭和枯れすすき」や都はるみの「北の宿」の世界はもう若者には通用しないのです。平家等の古典文学はまた別の味わいがあると思いますが、軍記物戦記物はじめ、「忠義の心」等と歌われても反応しようが無いのは当たり前。日本の良き精神、文化を伝えるには、現代の形にして表現しない限り伝わらないのです。

とにもかくにも、現代という時代を見据え、旺盛なまでに創作をして行かないとリスナーはどんどん離れてしまうと思うのは私だけではないでしょう。どの分野でも同じことが言えるのではないでしょうか。ましてや音楽は時代を先取りするようでなくては!永田錦心のように!!!
歌ものでも器楽でも、もっともっと琵琶に徹して曲創りをして行かなければ、琵琶が主役の曲を作らなければ、琵琶の音色は世間に響かない。従来のものをなぞってお得意になっているのはお稽古事のレベル。ここに留まっていたら明日は無いのです。琵琶のこの妙なる音色をぜひとも多くの人に届けたいのです。

さて、今週は何と言ってもREFLECTIONSのCD発売記念演奏会。近江楽堂にて2月6日の7時からです。是非是非お越しくださいませ。

今年も良いペースに乗ってきました。

巡り来る想い

先日の戯曲公演「良寛」の写真が送られてきました。

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あらためて舞台を振り返ってみると、色々な想いが巡ってきます。あの舞台でしか感じることの出来ない異次元空間がありましたし、脚本の和久内先生はじめ、津村禮次郎、伊藤哲哉、木原丹、大浦典子という豪華メンバーでしか実現できないものが確かにありました。とにかく奇跡の瞬間がいくつも出て来たのです。勿論反省点も多々ありますが、少し落ちついて改めて回想してみるものも良いものですね。

ラストの津村先生の舞と私の樂琵琶独奏の場面はこんな感じでした。

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こうした舞台経験を通して、色々な舞台を創って行くアイデアも湧いてきています。私はこの舞台に限らず、どんな舞台でも常に私が作曲したものを演奏します。作曲家の新作初演以外は、全て私の作品で舞台を務め、またプログラムを考えながら作曲しています。曲のクオリティーを保つのは勿論の事ですが、舞台として成立したものを提供するよう心がけています。こういうやり方は普通の演奏家とはちょっと違うかもしれませんが、琵琶の活動の最初から、弾き語りでも器楽でもこのスタイルでやって来ましたので、私にとっては自分の作曲作品を聴いてもらうというのが、私の仕事なのです。そして舞台全体を魅せてこそ、自分の仕事が全う出来ると思う事が、やればやるほどに多くなりました。

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どんな分野でも、予定調和な事しかやらず、型が決まった中で、お上手やお見事を目指すようになったら、聴衆は誰も魅力を感じないでしょう。次に何をやってくれるのか、いつもワクワクとして待つような気持ちを抱かせてこそ、舞台に足を運んでくれるのではないでしょうか。古典をやっても、新たな発見を感じさせてくれるような新鮮な視点、創造性が無ければ、お見事以上にはならない。いくら流派内で「先生」や「名取」であっても、新鮮味の無い舞台など聴衆にとっては、ただなぞっているだけのお稽古事に聞こえます。古典はなぞるものでなく、命あるものとして継承していってこその古典だとではないでしょうか。その為には常に現代という視点で古典を見つめ直し、古典の新たな魅力を引き出し現代の聴衆に聴かせ、魅せてこそ、古典は古典としてその存在を我々の前に表わし、深味を感じさせ、その世界を更に豊かにしてゆくのだと、私は思えてなりません。この部分こそが、お稽古事と芸術音楽の大きな意識の差だと思います。

33この公演を通し、私は良寛という存在に強く興味を持ちました。良寛は道元禅師の「正法眼蔵」をかなり勉強したようですが、道元禅師とはまた違い、現実の生々しい生活の中で最期迄生き抜いたその姿には、大きな魅力を感じます。
死の間際に「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」と言い残したそうです。中々人生裏も表も曝け出して自由無碍に生き抜くのは難しい。人間何も格好つける必要などないのに、誰もが自らを飾り、衣を纏い「己」という虚像を、自分でも気づかない内に自ら作り上げている。
肩書きやら受賞歴をぶら下げているのは誰の為?他人に対して「私は凄い人なんです」と自慢したい気持ちも、俗世間に生きる一人として重々判りますが、そんな鎧のようなものを着こんで生きなければならない人生など、私はごめんです。常に自由に淡々とこの世を闊歩したいですね。

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良寛の志が後の世代に受け継がれ、仏教という限定された枠ではなく、夏目漱石や鈴木文台、また長谷川泰、吉岡弥生、野口英世等、医療関係等にも繋がって行ったという事は当然であり、素晴らしい事だと思います。音楽もそうでありたいのです。小さな枠の中で受け継いだの何だのという事でなく、私自身が多くの音楽家から感じたように、どんなものであれ聴いてくれる人に伝わって行くような音楽でありたい。良寛の大きな志、そして視野には憧れ以上のものを感じますね。
私も志を持って音楽をやって行きたいものです。良寛は今後の私の指針となって行くと思います。良い経験をさせてもらいました。

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古代の夢、未来への夢

先日の「良寛」の舞台が終わりでホッとしていたら、もう1月の後半、。瞬く間に時は流れて行きますね。この所の暖かさもあって、そろそろ梅の花が気になるのは気が早いでしょうか・・・・・。

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昨日はICJCの学生さんが来て、月末にやるコンサートの練習を我が家でしていました。ICJCでは、日本文化を外国人に教えているのですが、特に10代の若者達が筝曲を熱心に勉強しています。昨年一緒にイベントで演奏した玲央君もそうですが、昨日来たU君もかなりの腕をしています。頼もしいですね。
U君はこの秋からアメリカの大学でパフォーマンスアーツを勉強するとの事で、既にNYには友人も居てバンドを組んでいるそうです。「世界に音楽を発信するには東京より、NYの方が適していると思うので、NYで活動をしていきたい」なんて会話が普通に出て来ます。我々とは環境が違うという事もありますが、既に10代にして東京とNYの両方に活動基盤があるというのは素晴らしい事ですね。勿論日本語英語両方が使えるという事も大きいと思いますが、この視野の広さ、感覚の大きさが今、邦楽人、いや日本人全体に一番欠けている所ではないでしょうか。これだけ世界が繋がっている時代に、偏狭な村意識しかもっていなかったら何も生み出せないと思うのは、私だけではないでしょう。

日の出2私も私なりに色々と考えを巡らせてはいるのですが、下手な考え何とやらで、気が付かない内に小さな世界に囚われていることが往々にしてあるものです。私は色々な人に会って話をすることで、あらためて自分自身が見えて来るし、視野も広がり、また大きなヴィジョンも定まってくる感じがします。どこに視線を向けて行くか。これが自分に大きな変化をもたらしますね。

日々出逢う人の中でも、生き生きと活動している人からは、若手ベテランの区別なく大いに刺激を受けるものです。フレッシュな感覚とでも言いましょうか・・。そんな人々は常にアンテナを色々な方向に向け、様々なものに興味を持っていますね。好奇心が湧き上がるように溢れて来るからこそ生き生きとして、幅広い感覚で生きていられるのでしょう。特にトップランクを張るベテランは、好奇心もさることながら専門分野以外の知識や造詣が皆さんはんぱではないです。だから酒を呑んでも仕事をしても話は尽きず、また会いたいといつも思わせる。素晴らしいパワーです。

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文化が熟成して行くには、色々なものを受け入れて行く柔軟性、多様性が必要だという事は何度も言われています。国単位、民族単位ではなく、あらゆるものとの共存の中で、自らのアイデンティティーを確立して行かなくてはならないのが現代に生きる我々の定めとも言えます。多様性というものを大切にし、大きな繋がりの中で自分をどう捉えて行くか、現代人には問われているような気がします。今こそ新たな哲学が必要だと私は思っています。

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世界が繋がり、私のCDですら世界中の人がネットでクリックひとつで購入出来るのが、現代という時代です。全世界が今までとは違うステージに足を踏み入れているのです。邦楽も、それに関わる人達が「どこを見ているか」、未来はその一点にかかっているように思います。もう小さな枠や日本という括りで生きて行けるような時代ではないのです。

今こそ語り合いたいですね。あなたはどんな夢を持っていますか。

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戯曲公演「良寛」の再々演をやってきました。場所は前回と同じく、座・高円寺Ⅱ。今回も素晴らしい舞台となりました。まだ写真が送られ来てないので、私の安デジカメの画像しかありませんが、先ずはご報告。

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公演前日の通し稽古の後に皆で、私が若かりし頃からずっと通っている地元のジャズ喫茶Nadjaで決起集会?をしてきましたが、皆さん昨年よりもコミュニケーションがいい感じでこなれて、チームとしての実感が湧いてきました。こんな所が、今回の充実した舞台へと繋がったと思います。IMGP0150また今回は出演者が余裕を持って舞台を務める事が出来たという事に加え、再々演という事で、照明の坂本義美さんがかなり練り込んだ良い仕事をしてくれたお蔭で、舞台が正に異次元と化していました。お客様の中には「これは現代の能だね」という人もあり、充実の内容となったと思っています。

勿論私の弾く樂琵琶独奏「春陽」と津村先生の舞によるラストシーンは、深化した照明の効果も相まって更に更に劇的なものになりました。あの津村先生の舞姿は、良寛という個人をはるかに超えて存在していました。それは維馨尼であり、貞心尼であり、また良寛の志を受け継いで行った、鈴木文台や長谷川泰、吉岡弥生、野口英世・・・・・・等、良寛を軸にその心で繋がって行った人々全ての総体となって昇華されて舞台に現れていました。

IMGP0140舞台をやるというのは、様々な要素があり、単純に与えられたものを頑張ればよいというだけではありません。集客やお金の事は勿論ですが、稽古のスケジュール、衣装、音響、照明、台本の解釈、テンポ、キャラの設定、体調管理…もうキリが無いほどに、一つの舞台を作るには様々な仕事があります。出演者、スタッフ全員に舞台全体を創る気持ちが無いと、質の良い舞台は実現しないのです。そういう意味で今回は本当に良いチームだったと思います。ベテランの津村禮次郎先生、伊藤哲哉先輩が実に良いムードを作ってくれました。若手の木原丹君、そしていつもの相棒大浦典子さん、照明の坂本さんも素晴らしいアンサンブルをしてくれて、舞台を創って行く事が出来ました。舞台上には大庭英治先生の作品が掲げられ、この作品のもたらす効果も実に大きかったと思います。
舞台とは、練習の成果を発表する場ではないのです。そんなものはただのお稽古事。やはり非日常を創り出して行く場でなくてはならないのです。

11-1こういう経験が出来るのも、何より脚本・主催の和久内先生のお蔭なのですが、私はこの「良寛」の舞台を通して、良寛という人そのものに触れ、大きなものを得ました。それは道元禅師にも通じ、また生きて行く指針のようなものを再確認するきっかけともなったのです。

色々なものが存在するのが世の中というものでしょう。しかしお手軽でレベルの低いものばかりがもてはやされる世の中が、良い状態にあるとは思えません。感性はどんどん変化するので、上手い下手という事を言っても意味は無いですが、いくら時代が変わったとはいえ、物事の本質は変わりません。質を顧みない刹那的な賑やかしや、名前や権威に胡坐をかいている様な輩が跋扈する世の中にあっても、ブレずに自分の行くべき所を行きたいものです。それは良寛も、道元禅師も、私が敬愛する方々は皆そうでした。私自身は偉人のように大それたことは出来なくとも、その志だけは忘れないでいたいものです。

舞台こそ私が生きる場所。舞台こそ人生。良い一日でした。

出雲崎

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