習うという事

先日は、神奈川の貞昌院にて演奏してきました。今回はここ何年かお世話になっているカトレアの会のラストコンサートという事で、リクエストに応え、久しぶりに歌う曲を選曲しました。
演奏会で歌や語りをやるのはもう何年ぶりでしょうか。祇園精舎くらいでしたら時々やりますが、長い弾き語りはとんとやってないですね。ここ5,6年(10年位かな)は琵琶樂人倶楽部で企画ものの一環としてやることはあっても、他では年に一回やれば良い程度です。今回はお寺の雰囲気もあって気持ち良く演奏出来ましたが、久しぶりにやってみて思うのは、私は歌う身体をしていないという事。やはり琵琶の音を届けるのが私の仕事ですね。

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笛の大浦典子さん、筝の藤田祥子さんと 神奈川の貞昌院にて

最近よく思う事なのですが、古武術の甲野善紀先生がよくいう、「現代人は『見取る』力が失われつつある」という事が最近よく気になります。
昭和までは、職人でも武道でも音楽でも、弟子入りしてもろくに教えてもらえず、何年も横で見ながら盗んで技を身に着けて行った、という事を聞いている人も多いかと思います。私はそんな師匠に就いたこともないし、若い頃はそんな理不尽なと思っていたのですが、最近は自分が多少教える側になってみると、知識や技をすぐに教えてしまうという事に少し違和感を覚えるようになりました。甲野先生の話の中で、アボリジニは車の助手席に二日も乗せていたら、運転出来るようになってしまうと言っていましたが、見て会得して行くという「見取り」の力は確かに現代人はなくなっているように思えます。

見取りが出来る人は、ただ真似るという事でなく、どんどん工夫もするし、技の先も考える。この技でどんなことをやろう、どんな世界を創ろう、という発想が自然と湧いてくるのでしょう。武道でも音楽でも、その先に思考が行く人は技も冴えて、ヴァリエーションが増え、更に多くのものを見取り、あらゆる場面に応用が利くようになります。「その先」が見えて来ない人はいつまで経っても、見ただけの事しか出来ず、教えてもらった事以外何も出来ません。
伝統芸能の世界でも習った事をしっかりやるだけで自分への問いかけをあまりしない人が多いように感じますが、そんな人に目を開かせるのが本来師匠の役割ではないかとも思います。今日本全体が衰退に向かっているのも、物事の「見取り」が出来ずその先へと視線や思考を向ける事が出来なくなっているからかもしれません。

4福島県 安洞院にて 能楽師の津村禮次郎先生と
何故見取る力が無くなってしまったのか。本当に教える事の出来る先生が居なくなったと同時に、それは便利な世の中になって、直ぐ結果を求めるようになった事と、手取り足取り教えないとクレームが来るような社会が通常の状態になっているという事でしょう。
また日本は超忖度社会であり、集団やコミュニティーの中に居ると、なるべく異を唱えないように、問題を起こさないようにと考える民族です。それがコロナ禍でいっそう進んだように思います。そういう体質では目の前を繕う事ばかりで、表面的にしか関わろうとせず、優等生で居ようとする。だから自分がどう思っていても集団に対し異は唱えずディスカッションをしようとしない。挙句の果てにへつらうようになる。私はよくその性質をティーチャーズペットと言ってますが、もう少しきつく言う友人は、コロナ禍の頃から羊根性と言い放っていました。まあ思考停止状態で何でも言われた通りにする姿を見ればそう言いたくなるのも判ります。

先生と同じ方向を向いて、同じ思考をするのが良い生徒ではないのです。独自の視点や感性を掴んだ生徒こそが良い生徒なのです。何故か。それは表面の技ではなく「根理」を掴んだという事に他なりません。見取りが出来るとは、表面を真似する程度の事ではなく、その表面の奥にある「根理」を掴む事です。それが出来ないと上達もしません。先生も自由な方向に向かう生徒を認め、自由に活動させてあげれば良いのですが、伝統邦楽の場合は、そんな優れた生徒が自分とは違う形で活動をすると、脅かされるようで怖いのでしょう。私の就いたお師匠様たちは皆、私に対して「止めろ」とか「だめだ」という事を一切言わない人ばかりでしたので、自由にやらせてもらいましたのでありがたかったですね。武道の世界では「三年学ぶより、三年師匠を探せ」と言われますが、師匠はじっくりと選んだほうが良いです。どんな師匠に就くかでかなりその先が変わってしまいますし、どんな師匠を選ぶかというのも、結局その生徒の感性なのかもしれません。選ぶ時点から既に道は見えつつあると言っても過言ではないでしょうね。そして師匠の跡を求めず、師匠の求めた境地を求めるようでありたいものです。

枯木鳴鵙図私はこのブログでよく宮本武蔵を取り上げますが、それは武蔵が、師匠に就くこともなくあれだけの境地を得る事が出来、人生を全うした所に感じ入るからです。剣が強いなんてのは、少しばかり体力に恵まれただけで在って、それは肉体の衰えと共にすぐに腕は落ちてしまいます。人生かけて武道に邁進するには、肉体を突き抜けた境地に感性が行っていないと、ただ衰えるばかり。音楽も同様で、習ったことを器用にやるような低レベルの境地ではなく、独自の世界を具現化することが出来る人間は、「根理」と「その先」が見えているのです。
それには世の権力に取り込まれない自由さと、強靭なメンタルが無くては実現しません。何かに寄りかかり、その名前や権威のそばにいる事で自分を飾り立て安心するような根性・精神では、「その先」の世界は想像すらつかないでしょう。時代がどうであれ、我が道を行く強靭なメンタルと身体が備わっている事は必要なのです。そしてそこに想像力・創造力が無くてはならない。

この武蔵が描いた古木鳴鵙図は御存じの方も多いかと思います。墨の濃淡のみで表現する没骨法、そして対象となるものを際立たせるために、筆数を少なくして本質を際立たせる、いわゆる減筆体で描かれており、構図も独自性に溢れて、鋭く且つ静寂な緊張感が感じられます。宋時代の水墨画を模写して絵を学んでいた武蔵なので、牧谿の一部の作品を参考にしたとも言われていますが、日本にも中国にもこういう構図はほとんどありません。大体そんな小手先のアイデアに乗っかるような武蔵ではないと私は思います。また迷いの無い一筆に見える枝の線も上下から書いている二筆です。二筆をこれだけ迷いなく描けることの方が一筆より凄いと思いませんか。一説には武蔵は左利きだったとも言われていますが、何にしろ迷いがあったら描けません。二刀を使う武蔵らしいとも言えるかもしれませんね。

宮本武蔵

宮本武蔵は身体だけでなく知性の人でもあって、物事をオタクのような目先の小さな点で捉えることなく、社会全体を捉える知性と能力そして体力があり、その上で我が道を歩んだのです。それが「見取り」の究極だと私は考えています。我々とは比べようもありませんが、我々もそれぞれが自分の出来る所で「見取り」をする習慣を普段から持っていないと、思考も身体もどんどん鈍くなってしまいます。目の前の事だけ、教えてもらった事だけ、自分が興味ある所だけしか見えないようなオタク体質では、音楽は生まれる事も響く事もないでしょう。

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photo 新藤義久


私はこれ迄、少しだけ師匠にも就いたこともありましたが、その師匠たちは皆、好きなように自分らしいことをやりなさいと言ってくれました。まあ私は普段から変なオーラが出ているようで、私に何か言った所でそれに従うような人間ではないと感じたのかもしれませんが・・。作曲の石井紘美はいつも考える事を教えてくれましたし、ギターの潮先郁男先生は

人と比較してはいけない。自分のグルーヴを大切に。それぞれの技法があるのだから。今の自分のスタイルを磨いて行くのが大切」

と、まだ20歳前後の迷いに迷っている私に言ってくれました。本当に良い師匠に恵まれました。

琵琶に関しては演奏曲も活動の最初から全て自分で作曲しているので、最初に少し習ってみましたが、ほぼ独学に近い形でやっています。子供の頃から古典やシルクロードが好きだったこともあって、何でも自分で考え、時に勉強もし、演奏もレクチャーも総ての活動を自分の裁量でやって来ました。大したことは出来ていないかもしれませんが、自分のやっている事に迷いはないし、これ迄の軌跡にも充実感を感じています。賞やお名前などは私には必要ないですね。そんなものをへたに持って看板にしていると、そこに寄りかかるようになって音楽が甘くなってしまいます。邦楽はそうやって衰退していたのです。どんなものでも評価するのは常にリスナーです。つまらない看板を掲げるより舞台に立った方がいいですね。
私は最初からずっと自分の思う所を、自分の歩みたい道をただ歩んでいるだけです。それが大したことないものであればリスナーから評価はされないだろうし、全ては自分に結果として帰ってきます。
年を経れば経るほどに、自分のこのスタイルが一番自分に合っていると実感しますね。その為にも「見取る」力は常に発揮していないと、世の激流に流されてしまいます。

「己こそ己の寄るべ 己をおきて 誰に寄るべぞ よく整えし己こそ まこと得がたき 寄るべなり」 

「根理」を掴み琵琶の深い音色を音楽にして、次世代の琵琶樂を表現する人が出てきて欲しいですね。

歩む道は一つなれど果て無し

暫く間が空いてしまいました。作曲をしているとどうも頭の中が常に曲の事ばかりになってしまって、他の事が手につきませんね。
先日の保多由子先生のリサイタルは無事終わりました。今期は拙作「経正」と「Voices」の二曲を取り上げて頂き、この二曲を王子ホールで演奏出来たことが本当に嬉しかったですね。琵琶唄は歌と絃を分けて行くべきという事をずっと言って来ましたが、それが最高のシチュエーションで実現したのですから、今回は記念すべき演奏会になったと思っています。
「Voices」、「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」「東風(あゆのかぜ)」「君の瞳」は近年の私の代表作だと思っています。その中でも特に一押しの「Voices」が最高の場所と最高のメンバーとで上演できたことが本当に嬉しかったです。メジャーなものからは程遠いですが、自分のやりたい事をずっと続けてきて良かったと実感できる一日となりました。

Msの保多由子先生 photo 新藤義久

話は前後しますが、GWには日比谷野外音楽堂にて、かねてから一度ライブを聞いてみたいと思っていた「八十八か所巡礼」のライブに行ってきました。久しぶりに生きた音楽を身体の隅々まで堪能出来た最高のライブでした。スカッとしたね。

プログレッシブロックの系譜を受け継いでいるその音楽は、変拍子の多い複雑なリズムや凝ったアレンジメントが特徴で、歌中心のいわゆる売れ線のポップスとは全く違います。それゆえメジャーに乗る事はないですが、それでも日比谷野音がソールドアウトですから、しっかりファンを獲得して世に浸透しているという事です。会場には10代の若者から、私みたいな年代迄幅広い層が集う熱狂の夜でした。
彼らは自分達が気持ち良いと思う事、やりたいと思う事を只管20年やって、ここ迄来たと言っていましたが、とても共感しますね。もう世の中はメジャーレーベルからデビューしたとかヒットチャート1位になったとか、そんな所で活動する時代ではないのです。リスナーは全世界ですし、TVに出た、新聞に載ったなんて事しか頭にないようでは次の時代は生きられません。TVや新聞はもう報道の主流メディアという時代はとっくに終わっていると思っている人は私だけじゃないでしょう。

若者には、先ず自分がやりたい事をどんどん突き進んで欲しいものです。高円寺辺りのライブハウスには熱い想いをただ吐き出しているだけな人も多いですが、最初はそこからでもやってみなくては始まりません。次はそれを音楽にして創って行く努力をする。これが出来るかどうかが音楽家に成れるかどうかの分かれ目ですね。パフォーマーではなく音楽家なのですから、音楽としてレベルが高いかどうかは大事な事。派手なパフォーマンスで目の前の観客をびっくりさせても、音楽に魅力がなくては地元のライブハウスからは抜け出せません。八十八か所巡礼は、とにかくそのレベルがメチャクチャ高い。びっくりする位のアンサンブル能力で、各人のそれぞれレベルも超絶でした。そういう所も妥協せずやっているのが良いですね。正にプログレの魂を受け継いでいるなと思いました。それに右左という事でなく、結構愛国心があるのも好感が持てました。

私もやりたい事をずっとやって来ました。琵琶を手にした時から、ずっと自分のやりたい事をやって来ました。今年の暮れには10枚目となるアルバムの録音とリリースを予定していますが、自分の中から沸き上がるものを音楽で表現してこそ音楽家だと、年を重ねるごとに実感しています。その想いが湧き上がって来なければ、音楽を生業として生きる意味もないです。自分の演奏する曲には絶対の自信をもって舞台に立ちたいし、いつでもどんな所でも自分のやりたい音楽をやりたいですね。

世の中見渡せば、伝統邦楽の世界でも音楽より「売れたい」「有名になりたい」という自己顕示欲に囚われ、音楽が二の次になっているような人が溢れている有様。自分のやりたい事よりも先に自分を取り巻く社会と繋がりたいと思ってしまうと、人は自分を保証してくれる名前や権威におもね、へつらうようになってしまいます。
これからを生きる若者には、そんな小さな視野ではなく、本当に自分のやりたい事を突き進み、それを成就させるスキルを身に着けて欲しい。邦楽では先生と言われながら実は生業に出来ていない人がほとんどです。自分のやりたい事を成し遂げるには、それなりのスキルがどうしても必要なのです。そこから逃げてはいけないし、またやりたい事を捻じ曲げて稼ぎに走ったり、食って行く為の芸に陥ったらもう音楽家としては失格。自分の歩む道をしっかりと踏みしめて進んで行って欲しいですね。

Asax:Soon・Kim   Vn:田澤明子 両氏と 琵琶樂人倶楽部にて


自分のやりたい事をやりたいのです。八十八か所巡礼のように多くのファンは獲得できないかもしれませんが、それでも自信をもって自分のやりたい事をやりたいのです。最後迄。

演奏会日和

先日の琵琶樂人倶楽部では久しぶりに弾き語りをやってみました。石田克佳さんとの琵琶トークも面白かったです。しかし私は歌う人ではないですね。素晴らしい歌を聴くのは大好きですが、歌う度にどうしても違和感があるのです。多少上手になったとしても、歌は歌い手にお任せする方が良いようです。私は琵琶の演奏家として、これからも器楽曲をどんどんと創って演奏して行きます。それが私の道です。

今月は大きな演奏会が二つ、来月も二つ入っています。先ずは何と言ってもこちら

メゾソプラノの保多由子先生のリサイタルが、12日銀座の王子ホールであります。今回は演目の中に私の作品が2曲も入っているのです。一つは森田亨先生が作詞して私が作曲した「平経正」。これを私の伴奏で保多先生が歌います。メゾソプラノのリサイタルで琵琶語りを取り上げるというのもかなりの挑戦ですね。保多先生は歌詞の中の「戦なき世に生まれなば」という部分にとても共感されて、今こそ歌うべき曲だと言って取り上げてくれました。そしてもう一曲は一昨年の初演より何度となく再演をしている「Voices~小島力の詩 草茫々による」です。今回はメゾソプラノと私の琵琶、そしてヴァイオリンの田澤明子先生に入ってもらっての演奏です。私の曲はかなり自由度が高く、演奏者がその時々で自由にアンサンブル出来るように書いていますので、優れた演奏家がやると、私の発想以上のものが現れるのです。保多・田澤・私のアンサンブルは、それがすこぶる良好な方向に向いていて、再演時もとても良い感じでした。リハーサルを重ねて行くとどんどんとアンサンブルが深まって行くようでとても刺激的なんです。

Msの保多先生、Vnの田澤先生と共に photo 新藤義久

ほぼ満席とのことですが、まだ若干残っているかもしれませんので、是非興味のある方はお問い合わせてみてください。問い合わせ ネイチャー&カルチャ―   kiyo-sun@nifty.com

そしてもう一つは、ここ6,7年お世話になっている文藝サークルカトレアの会のさよなら公演が横浜のお寺であります。カトレアの会は今回が主催公演の最後という事で、源氏物語をテーマに演奏して欲しいという依頼でしたので、平安時代にちなんだ曲をいくつかと、源氏物語の「胡蝶」「蛍」を基に私が書いた「春の宴」という作品を笛・筝・琵琶唄で演奏します。

5月26日(日)
場所:貞昌院(横浜ブルーライン上永谷駅徒歩10分)
時間:13時30分開演 午前中はカトレアの会の会員の朗読会をやってます)
出演:塩高和之(樂琵琶) 大浦紀子(篠笛・龍笛) 藤田祥子(筝)
問い合わせ:カトレアの会 hiroyukji@gmail.com

こちらはまだお席が少しあるようですので、是非問い合わせてみてください。

ジョージア(当時はまだグルジア)ルスタベリ大劇場公演にて


舞台に立つというのは本当に嬉しい事です。そしてそのいずれの舞台でも私が作曲した作品でこれ迄やって来れたという事に感謝しかありません。ジャンルは違いますが、先日、同じように自分たちのやりたい音楽を信じて20年程頑張って来たグループのライブを観て来ました。本当に素晴らしいライブで、久しぶりに血沸き肉踊りました。そこにはしっかりと音楽が在りました。
これまで1stアルバムからずっと自分で曲を創り演奏するという、私が考える音楽家本来の形をやって来れた事に感謝と共に、ちょっと誇らしいものも感じています。自分がやりたい事を、やりたいようにやってきて本当に良かった。勿論一流アーティストには到底及ばないだろう事は重々解っていますが、私が聞いて来たマイルスやコルトレーン、パット・マルティーノ、ラルフタウナー、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾンetc.と同じように、自分の信じるものをこうしてやって来れたのが嬉しいのです。

これからもやりたいようにやりますよ。乞うご期待!。

変わりゆく時2024

急に汗ばむような陽気になりました。何だか体が追いつかないですね。今月来月は気の抜けない演奏会も立て続いているので、気持ちを引き締めて行かないと。

23年前のCD 皆本当に若い!!! 尺八:グンナル・リンデル、十七絃:カーティス・パターソン、鼓:藤舎花帆、筝・三味線:佐藤紀久子

先日、ストックホルム大学で教鞭をとっているグンナルリンデルさんの日本音楽史講座で、少しばかり特別講義をしました。スマホ一つでストックホルム大のキャンパスと繋がるんですから凄い時代になったものです。21年前にスウェーデンに行った時には、塩高スペシャルの大型琵琶を抱えてコペンハーゲンから電車に乗って、途中マルメに寄って何日かホームステイして小さなライブなんかもやって、何日もかけてのんびりストックホルム迄行って、大きな講堂で特別講演をやったことを思うと、時代の流れを感じますね。私はのんびり電車の旅の方が好きですが、とにかく自分を取り巻く社会環境の変化は、生き方そのものが一変しますね。ただどんなに世の中が変化しても、変わらない大事な部分を忘れないようにしたいといつも思っています。

どんなジャンルでも、今はまるでAiが演奏しているんじゃないかと思えるような技術を披露する人が溢れています。ロックギターを学校で勉強する時代ですから、何でもかんでも分析して弾けるようになってしまうのでしょうね。しかしながら創り出すという人間の営みを忘れて、びっくり大会のパフォーマンスになって行くのはいただけないですね。
これは邦楽でも同じで、民謡ではプロ歌手がどんどんと登場して、皆さんとても上手なんですが、労働歌としての民謡を歌える人はもう表に出て来ないですね。プロとして「民謡」というジャンルの音楽を歌っている人は居ますが、民謡本来の土地の歌としての魅力を感じる人は本当に少なくなりました。大体民謡に家元制度が出来上がっているというのだから、あきれてものが言えません。八重山や奄美の民謡は、まだ大工哲弘さんや前山慎吾君が島の人間として生活し、且つ幅広い活動を展開していますので大丈夫だと思いますが、本土の民謡はどうなるのでしょうね。今やジャズも、和音やスケールをお勉強して指がシステマチックによく動く上手な方は山のようにいますが、かつてジャズが持っていた色や匂いはものの見事に、綺麗さっぱり無くなってしまいました。現代は何でも表面上高性能なものが溢れていますが、実は大事なものを忘れているのではないかと感じているのは私だけではないと思います。

30代半ば 静岡の実家にて


私が最初に習った高田栄水先生などの明治生まれの演奏家は皆「節」で歌っていました。メロディでもなくドレミでもない邦楽の節です。邦楽は節の組み合わせで曲が出来上がっていて、その節を持って一派を立てるという事をしてきたので、曲によってメロディーが変わる西洋の音楽とは根本からして構造も感性も違うのです。鶴田錦史の演奏を聞いてもしっかり日本の節ですね。ああいう歌い方は洋楽の頭では真似出来ません。しかしそれ以降の世代になると、もう節が消えて、正確な音程と綺麗な声でメロディーを歌う、新たな琵琶唄になって行きました。特にT流はそれが顕著ですね。完全に以前の琵琶唄からは決別したのでしょう。それが琵琶の新時代とみるかどうかはリスナー次第。

私は弾き語りという形式自体がジャンル関係なく好みではなく、一応琵琶語りも少しばかりやってみたものの、やっぱり全然好きになれず、私がやるべきものではないと思ったので、レクチャーなどで必要な時以外はほとんど弾き語りはやりません。だからこそ冷静な目で琵琶唄に関して外側から視線を向けているのです。正直な意見としては、今琵琶唄の節は消えつつあると感じています。もう少し言い方を変えるともうそこに、かつて琵琶唄を創り上げた身体が無くなりつつあるという事です。もう声の出し方も違えば、良いとする基準も感性もかつての邦楽のそれではない。結局演奏者がそれぞれ持っている背景や身体が、明治に生まれた高田先生や鶴田錦史とは変わってしまったという事だと認識しています。

明治生まれの琵琶の先輩方々は、昭和戦後生まれの若い世代が出てきた時、その正確な音程と一定に安定して狂わないリズム感にびっくりされたことでしょう。まあ草履や下駄で歩いていたところに、さっそうと革靴を履いてぱっりっとしたスーツを着て登場したようなもので、表面の化粧が全く変わっていたという事です。ただ表面だけなら良かったのですが、歩き方から思考、感性まで変わって、その身体そのものが変わっていました。

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音楽、特に歌は、理解するものでなく共感するもの。時代と共にリスナーの感性も変わって行きます。言葉をいくらコブシ回して技で表現しようとしたところで、その歌詞の持っている世界や想いが伝わらなければただの技芸。リスナーは上手い下手では聴いていないのです。だから昔のままの「節」が残されていれば伝わるなんてことも無いし、逆に綺麗な声と正確な音程で歌えば伝わるという事もありません。いくら形式や技が昔と同じでも、現代の人が何も感じないのであれば、それはただの骨董品でしかない。時代と共に音楽が在るには、新しい感性に訴える新たな技も必要なのです。どんなものでも時代と共にあるという基本姿勢を忘れると、見向きもされません。「節」一つとっても、その形ややり方ではなく、もっと奥にある「根理」をどう見て、次の世代に何をどう伝えるのか、問われていますね。

現代の日本人は、普段から和服は一切着ることなく、
洋服を着て過ごし、欧米の流行の服を着る事に満足感を得るという感性になりました。そして同時に日本人としての身体も変わってしまいました。今は筋肉中心で動く西洋人の動きが学校の体育やスポーツで取り入れられ、その方向でトレーニングして成績を競っていて、それが普通だと思われています。早く走る事や、瞬発的なパワーが求められ、重心や骨格を使って動いていた本来の日本人の持続力のある身体の動きはすっかり忘れられてしまいました。今や能や古武術でも学ばない限り取り戻すことが出来ません。よくネットで、左の米俵をいくつも担いでいる女性の写真が出ていますが、筋肉で持ち上げようとしたら、とてもじゃないけど出来ません。骨格や重心を使えたから、ああいう動作が自然に出来るのです。邦楽も同じ事。洋楽的な音程と発声でメロディーとして歌を捉えると、以前の琵琶唄は歌えなくなります。
大事な事は、モダンスタイルの表面の形ではなく、大切なものをしっかりと持って、次のステップを踏むことが出来るのかという事。現代の琵琶唄は発展なのか、それともただの洋楽かぶれなのか。皆さんはどう思いますか。

私は永田錦心がかつて言ったように、洋楽を取り入れ、新たな次世代の琵琶樂を作ろうと思っています。しかしそれには、その根幹にあった「間」や音色、そして節で出来上がっていた構造等、琵琶樂を創っていたそんな部分に目を向けるようにしています。その為には身体がとても大事ではないかと思っています。土台は常に邦楽であり、日本人の身体であり、その土台の上に色んなものを取り入れるのは賛成ですが、和楽器でポップスを弾いているだけでは、楽器が変わっただけでただお化粧を変えた洋楽に過ぎない。

ジャズに革命をもたらしたオーネットコールマンは「耳には聞こえても、目に見えない事を表現できる」と言っていましたが、これは私にはとても大事な言葉なのです。現代はビジュアルがあまりに強すぎ、歌の歌詞もすぐに理解出来、目の前に見えるような内容のものが多い。オーネットはまた「人間にとって音とは、太陽にとっての光のようなもの」とも言っています。人間が生きてゆく事と別に考えることが出来ない程に、音楽が生きる事と直結しているのです。
そして太陽の光は直接降りそそぎ、すぐこの身を暖かくしてくれますが、その恩恵はそこに留まらない。あまねく物事に降りそそぎ、人間が生きてゆく上で、身体にも心にも必要不可欠のものとして、根幹として人間に不可欠のものです。そして光そのものは何も変わらない。現代の音楽は、そんな太陽の光のような人間の根幹になっているとは私は思えないのです。人生のある部分で目の前をエンターティンする事には長けていますが、あまりに一時的限定的な所で終わっているように私には思えるのです。伝統邦楽も生の営みの中から湧き出でていただろう、かつての邦楽を今もう一度見直しても良いのではないでしょうか。演者それぞれが持っている背景をもう一度確認して、且つ今生きている時代から逃げることなく、しっかりと見据え、その上で自身の根幹に流れているものを見つめ直す時期なのかもしれません。

今週の琵琶樂人倶楽部は、私の使っている琵琶を作ってくれた石田琵琶店の石田克佳さんがゲストです。正派の演奏家でもある石田さんには「迷悟もどき」を演奏してもらいますが、この所恒例になっている琵琶トークを全開に展開してみようと思います。今の琵琶の現状と、かつての琵琶界の事など色々と話してもらおうと思っています。その上でこれからの展望を語りあえたらと思っています。

6月8日(水)第195回琵琶樂人倶楽部「琵琶トーク」
場所:名曲喫茶ビオロン(JR 阿佐ヶ谷駅北口駅徒歩5分)
時間:19時開演

料金:1000円(コーヒー付き)

日本人の日々の営みの中に邦楽・琵琶樂が密接に関わるようになって欲しいですね。

空へ

この所取り組んでいる曲が、なかなかまとまらず、書いては直し、また書いてと延々と繰り返しています。これだけ長引く曲も珍しいのですが、ちょっと発想を広げて、リセットしようと思い、私にとっての秘密基地 三鷹の国立天文台に行ってきました。

mitaka

ここはいつ行っても人がほとんど居なくて、且つ明治神宮並に緑が多い。それに見学できる施設は皆大正時代に建てられたレトロなもので、そういうものが好きな人にはぴったりの癒し空間なのです。もう随分久しぶりでしたが、一人でゆっくりした時間を過ごしました。
私は旧い機械が何とも好きで、機械式時計しか身に付けないという大の旧機械好きなんです。車も旧いものに惹かれますね。全然運転はしないのですが、カルマンギアなんか乗ってみたかったですね。おかしなもんで最新の機械には何故かあまり興味が無く、旧い機械にどうしても惹かれてしまうのです。ここには60年代に世界で初めて開発されたばかりの水晶発振(クォーツ)時計や原子時計、さらにはバセロンコンスタンチン(タンタン)のクロノメーター迄あります。勿論天文観測の機械も色々あって、かつてこれで宇宙を見ていたんだと思うとぐっと来てしまうのです。

IMAXIMAXの当時の巨大フィルム2コマ。通常の映画フィルムは音声もフィルムの一部に録音されていますが、IMAXでは音声は別になっていて、大きさも通常の4倍ほどの大きさ。今は記念にしおりとして使ってます。

私はギターから琵琶に転向した最初、まだライブも何も出来ない頃、プラネタリュウムで働いていました。この施設はプラネタリュウムであると同時に、当時初めて東京に出来たIMAXの常設シアターでもあったので、映画好きな私にはうってつけの職場でした。今はIMAXも大変な勢いで3Dドルビーシステムなんて劇場が色々ありますが、当時はまだフィルムの時代。私は日々IMAXの巨大なフィルムを巻き取り、怪物みたいな映写機にセットして、予告編を繋げたりしてニューシネマパラダイスのトトような仕事をしていました。当時はまだIMAXにはドキュメンタリー作品しかなかったですが、スペースシャトルに特殊カメラを乗せて撮った映像や、海の中の映像など、なかなか他では見る事が出来ないハイクオリティーの作品を上映していました。そんな所で働きながら、ドームの中で毎日琵琶の練習をしていたのです。

映写機の方が主な担当でしたので、宇宙に関して詳しい訳ではありませんが、大きな世界の事を考えていると、俗世のちまちました出来事は気にならなくなりますし、人間本来の営みの素晴らしさも感じるられますね。また旧い機械を見ていると、人間がそれを使って未知のものに挑もうとしていた姿が見えてくるようで、とても興味深いのです。

mitaka 2

こんな施設がいくつもあって、中に入ることが出来ます。


国立天文台三鷹キャンパスは、直ぐ近くを野川という川が流れていて、その川べりも自然が多く、お店なども一切ないので、今回はこちらまで足を延ばして散歩しながら良い気分転換になりました。野川の左側には調布飛行場やJAXAの施設などもあり、空に興味のある人にはちょっとたまらないスポットなんです。

現代社会に溢れる情報や物は、とにかく目の前をエンターティンするものばかり。すぐ踊れて楽しくなる曲や、着るだけで様になる服、酒を飲んで気軽に盛り上がれるお店、見ている・読んでいるだけで面白い本や映画、そんなものばかりが溢れています。それは楽しいですが、皆思考を停止させるものばかり。楽しさが先行し深く考えることなく時間が過ぎて行きます。レクチャー講師で有名な方の講演を以前何度か聞きに行きましたが、とにかく楽しませながらしゃべるので、こちらの思考を巡らす時間を与えてくれない。その時は面白いのですが、よく考えると結構突っ込みどころがいっぱいでしたね。それだけリスナーの思考を楽しい方に誘導して、その場での思考を停止させる。まあ見事な話術だなと感心してしまいました。
私はそんな思考停止に追い込まれるものがずっと前から嫌でした。音楽でも文学でも、接している間に、こちらの創造力がかきたてられ、映像を感じてみたり、行ったことも無い世界を感じてみたり出来るそんな特別な時間を感じられるものが好きなんです。一方的に与えられるだけで、こちらがインタラクティブに参加することが出来ないもの、どうにも好きになれませんね。

rock220代の頃、ライブハウスにて
20代のはじめ、ナイトクラブでジャズを弾いていた時も、ただスタンダードナンバーを当たり障りなく垂れ流す仕事が嫌でした。水商売のドロドロとした世界もなじめませんでした。でも当時の給料はかなり破格のもので、大卒の初任給よりもらえたので、それに負けて何年も毎晩演奏していた日々だったのです。そこを抜け出せたのは、作曲家の石井紘美先との出逢いがあったからです。先生から琵琶を勧められ、元々興味のあった古典の世界と琵琶がつながり、本来自分が行くべき道へと人生が大きく方向転換しました。今思えば、あの頃の体験があったからこそ、こちらに来られたと思っていますし、ジャズを離れたからこそ、その良さも改めて再認識出来たのは、音楽家として貴重な体験をさせてもらったと思っています。

一方的に与えられるだけの世界、こちらが発信しても何も帰って来ない世界。こういう所は私の居たい所ではないのです。芸術でも何でも、自分が向かう世界に大きな魅力を感じ、その行く先から沢山の情報も体験ももたらされ、更にこちらの想いも掻きたてられ、同時に命の根本にもつながって、その大きな世界の中に居る自分を感じられる。それが私の行きたい世界なのです。天文台に時々足を運ぶのも、そういう世界を別の所から感じたくなるからです。
インターネットは素晴らしい技術ですが、SNSなんかは、かつて体験した小さな閉ざされた中のドロドロとした人間関係に絡み取られ溺れている、あの水商売の世界のようで、私にはそこに集う人間の想念や情念、自己顕示欲や承認欲求、そんな人間の業が見えてしまって、とても見聞きしてはいられません。最初は面白がってやってみたのですが早々に撤退してしまいました。流派や協会なども私にとっては同じで、一つの価値観の中を出ることが出来ず、皆がどこかでけん制し合って居るような枠の中には到底居られません。

集合写真

ウズベキスタンの首都タシケントのモスク前にて、PerのAki-RaSunriseさん、奄美島唄の歌者 前山慎吾君と

無限に広がる創造性、未知なるものに対する魅力に溢れる世界。そんな大きな空を見上げていようじゃありませんか。「見上げる空は一つにして果てなし」

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