超えて行くものⅡ

先日の第194回琵琶樂人倶楽部は大変盛り上がって終える事が出来ました。
皆独自に演奏活動を始めている方ばかり4人に演奏してもらいましたが、それぞれに個性があり頼もしい限りでした。これからもじっくりと取り組んで琵琶樂をもっと広い世界に届けて行ってくれることを期待しています。

阿佐谷神明宮の能舞台と桜

コロナ禍を経て、本当に世の中が変わってきたことを常々実感していますが、コロナの間、どういう訳か琵琶を習いたいという人が若手を中心に集まって来ました。私は教室の看板を上げている訳ではないので生徒募集もしていなかったのですが、縁というものは不思議なものですね。

私は流派の曲を教える訳ではないし、生徒はオリジナルを作って持って来る人も居るので、他の教室とは随分稽古の中身が違うと思います。私が教えられるのは、撥さばきや左手の効果的な動き等の演奏技術、そのほか重心骨格などの体の使い方、呼吸、古典の知識位です。結局これらは生徒本人が自分で体得して行くのもですので、私は後押しする程度の事。あとはこれ迄経験してきた事ですね。現場でないと知り得ない対処の方法など色々ありますし、琵琶はギターのように安定した楽器ではないので、普段のメンテナンスをしっかりやってあげないと、本番で思わぬ事態になってしまう事が多々あります。特にサワリの調整や柱の位置や高さの調整、絃、糸巻の調整等は教わらないと判りませんし、自分でそれらの調整が出来ない限り、いつまで経っても自分の音色は出せません。だからメンテナンスの方法もレベルに合わせて教えます。音楽的な部分に於いては、色んな話をしながら、生徒が何を目指しているか、そんな部分を引き出すようにして、皆自分なりに色々と考え勉強してもらってます。私は少しだけ後押ししているだけです。

キッドアイラックアートホールにて、灰野啓二、田中黎山各氏と

旧い邦楽の稽古では、コブシ回し一つに至るまで先生と同じ色に染めるというやり方でしたが、私はそういう稽古の在り方には最初から大反対でしたし、村社会の中での優等生=ティーチャーズペットを作り出しても音楽家は育たないと確信しているので、旧来の稽古のやり方とは自ずと変わってきます。
習った通りにしか出来ず、別の表現を考えたこともないという様では既に音楽家・芸術家ではありません。それはただの技芸であり、もう音楽ではないと私は思っています。そういうお稽古事や旦那芸はいい加減に脱しないともう琵琶樂は消滅してしまうかもしれないと思うのは私だけではないでしょう。

わび茶の創始者である村田珠光は「和漢の境をまぎらかす」と言いましたが、大陸から伝わったそのままではなく、そこに工夫を加え、新たなものとして創造した所に大きな意味があり、それこそが日本独自の文化だと私は思っています。
太古の鉄器、漢字、仏教、儒教等の伝来もそうだったろうし、明治以降の西洋文化も皆大きな影響を日本に与えたと思いますが、それをそのままではなく、ひらがなや音読み訓読みを創り出し、自分たちで消化・昇華して独自のものにしていったからこそ、日本文化はどこにもない独自のスタイルとセンスを現在持っているのではないでしょうか。もっと言えば人類に文字が誕生した時も紙が発明された時も、皆シンギュラリティーです。そこをどう超えて行ったかで、その国の特有の文化が形成されて行ったのです。
習ったことをそのままでやっていたのでは、そこに文化はありません。かのゲーテは「ひとつの外国語を知らざる者は、母国語を知らず」と言いましたが、文化とは自分以外の者との出会いによって自分の中に在る文化を深く確認し、その影響があってこそ深まって行くのです。村の中に留まっていては文化は生まれない。
他のジャンルや現代のセンスも加えながら「創る」という事を出来る人を育て、その為の技を教え、導き、生徒の創造性を刺激し応援するのが、教える側の務めではないでしょうか。けっして技芸を仕込むのがその務めではない。生死のかかっている武道だったら、習った事しか出来ない武芸者は簡単にやられてしまうでしょう。

川崎アートフェスにて ダンス:牧瀬茜 Asax:SOON・KIM 映像ヒグマ春夫

世の中は驚くべき速さで変化して行きます。新たなセンスと形を持った琵琶樂が出てきて当然だし、そうでなければ琵琶樂は過去の遺物、骨董品となって歴史を終えてしまいます。次世代が次世代の感性で、次世代の琵琶樂を創って行く。それを応援するのが旧世代の役割。我々が先生と呼んでいる永田錦心、、水藤錦穰、鶴田錦史など皆、最先端を創り、次世代にもそれを期待したのではないでしょうか。残念ながらその志を現在受け継いでいる人を私は知りません。
私も微力ながら常に最先端のものを創ってきました。それは大して評価もされないかもしれないかもしれませんが、それでもこれからもどんどん創ります。技も自分でどんどん開発して行く事が出来なければ音楽は創れません。それはクラシックでもジャズでも、その歴史は最先端を走る者による技術革新でもあるのです。カザルス、パガニーニは勿論の事、ピア
ソラ、パコ・デ・ルシア、ジミヘン、ヴァンヘイレンなど、音楽を創る人は技も同時に創り出してきました。当然その音楽は今迄にない独自の形を持って現れ、次の時代へと導いてくれたのです。

旧来と同じものを同じようにやるのが伝承だなどと刷り込み、それが出来る優等生だけを面倒見て賞や流派の名前を与えたりしておだてているようでは衰退するのは当たり前。そんなものを看板にしていること自体がもう創造の正反対に位置しているという事です。それは企業でも老舗のお店でも同じ事ではないでしょうか。忠君愛国の曲を上手にコブシ回して歌えるようにするのが稽古だと思っているようだとしたら、もう琵琶樂は終わったと言われてもしょうがないでしょう。先月御一緒させてもらった尾上墨雪先生は「創作と古典は伝統の両輪、創造の無い伝統はない」と言っていますが、琵琶樂はどうでしょうか。

私の教え方が良いかどうかは別として、皆自分で考えて、それぞれに頑張っています。旧来の基準ではない所で皆どんどん成長していますね。10年前にリリースした琵琶の教則DVDの最後に収録した独奏曲「風の宴」は当時「こんなに難しいものは参考にならない」と随分と言われましたが、今や若手がどんどん弾くようになりました。発表した当時も、ジャズから入った私には別段技術的にもセンスとしても難しいものではなかったのですが、確かに当時の琵琶人の持っていたセンスでは難しく聴こえたかもしれません。現代の若者のセンスからすれば、さして難しいものではないのです。次世代を担う若者のセンスは素晴らしいし、技術はこれからどんどんと上がって行くだろうと思っています。

村の中に閉じこもらず、世の中で個として自立して生きていたら、この激動の世の中の様子は日々感じる事でしょう。その日々の生活の中でセンスは目まぐるしい程に変化し、それに伴って技術も変化する。出て来る音楽も変化する。だからそこに生命が宿るのです。この風土に育てられたものを「根理」としてしっかり土台に持ち、そこからどんどん最先端の琵琶樂を創って世界に飛び出して行って欲しいですね。

超えて行く人がどんどん出て来る事を期待しています。

春の愁い

急に暖かくなって桜も咲き始めましたね。天気が今一つですが、今週末は一気に花開いて華やかな春を楽しませてくれることと思います。いつもの善福寺緑地の早咲の桜「陽光」も良い感じに咲いていました。
春は仕事でもプライベートでも変化の時を迎える方も多いのではないでしょうか。私も春の陽気に乗って10枚目となるアルバム制作に向けて準備を進めていきたいと思っています。

善福寺緑地の陽光

暖かい陽射しに包まれ生命溢れる春ではありますが、割と体調を崩す方もいるようで、私も以前はちょっとめまいがしたり、花粉症が酷かったりしていました。華やかな季節ながらその風情の裏側には、またちょっと違うものを感じている人も多いですね。

大伴家持の歌に「春愁三首」というものがあります。

「春の野に 霞みたなびきうら悲し この夕かげにうぐひす鳴くも」

家持が生きていた当時、大伴氏や家持自身の置かれている状況は結構厳しく、地方に左遷されたり、死後も謀反への関与があったとされ、20年経ってやっと恩赦を受けて地位を回復するという人生でした。この歌を詠んだ時も、とても春を謳歌するような気分ではなかったのでしょう。しかしながら春をただ賛美し謳歌するだけでなく、そこに愁いを感じる感性を、この万葉の頃にこうして表現した事に私は惹かれるのです。
何事も全てに裏と表があるように、春もただ一つの姿のみでは捉える事は出来ません。大体絢爛豪華な桜の美しさも、瞬く間に散ってしまうという事実があるからこその美しさだと、感じる方も多いかと思います。そしてその散り行く姿に美学を感じる人も少なくなのではないでしょうか。梶井基次郎の「桜の木の下には」なんてものもありますし、あの淡い桜色は、根から血を吸い上げてあの色に染まるのだなんてことも言われます。春になるとこうした花々の姿には、旺盛なまでの生命の謳歌と共に、真逆とも言える別のイメージも潜んでいるのです。そう思うと豪華な桜の姿は、見た目の美しさだけでなく物事の真理も感じさせてくれますね。

神田川沿いの桜 昨年
まだ世界では戦争の真っ只中ですし、日本も表面上は平和でも、一歩中に踏み込めば問題はもう山のように出て来ます。知らない内に土地も水源も外資に買われ、豊かな自然はソーラーパネルで覆われ、政治も経済も低下するばかり。今日本はかなり危ない状況とも言えるかもしれません。言い換えれば、日本のこの春は正に愁いの春と言えるのではないでしょうか。

この春の美しい風景と平和を、これからどこまで保ち、次世代に繋げてゆける事が出来るでしょうか。今を生きる我々に突き付けられた課題はあまりにも大きいと思います。
現代人の今の思考で、この生活のスタイルをそのままで続けていたら、確実に明るい未来はやって来ないと誰しも思うのではないでしょうか。現代のテクノロジーは素晴らしいですが、あくまで自然との共生をした上でこそ成り立つものであって欲しいのです。自然と共に生きて来た人類の歴史を今一度思い起こし、豊かな感性を持って欲しいと切に思います。今こそ音楽・芸術が必要な時代ではないでしょうか。

私は風土の無い音楽をやりたくないのです。世界がつながっている時代だからこそ、この豊かな風土を忘れたくない。文化は様々な影響を受けて創り上げられて行くのもですから、色んな国の音楽の影響も時代の影響も受けながら、その上で、この日本の風土に於いて新たな音楽が生まれて行くのは素晴らしいと思います。時代と共に在ってこその音楽だと思っています。しかしだからこそ表面上の物真似はしたくないのです。日本のものであっても、ただ表面の格好良さだけをなぞるようなことはしたくありません。そこには音楽・文化に対するリスペクトは無いし、日本の風土が育み奏でた音色も無いと感じるのです。私はジャズもフラメンコもクラシックも大好きでよく聴きますが、様々に影響を受けながらも、この風土が常に土台となる音楽を創り演奏し、それを世界に響かせたい。日本音楽の最先端を創って行きたいのです。

さて今月の琵琶樂人倶楽部は毎年恒例の「次代を担う奏者達」です。今、琵琶に取り組んでいる方々を紹介します。今回は4人の方に出て頂くのですが、中には既に演奏活動を始めている人も居れば、オリジナルをがんがん作っている人も居ます。また将来をこの道で生きて行きたいと思っている若者もいます。それぞれに琵琶に取り組んでいる頼もしい方々です。

私が活動を始めた30年前とは随分世の中の状況も変わり、のんびりとは生きて行けない現代日本ですが、是非次代に琵琶の音を響かせていって欲しいですね。

4月10日(水)19時00分開演です。詳細は上記のリンクを御覧になってみてください。
ぜひ応援してあげてください。

まことの花

春の陽射しになりましたね。まだまだ風は冷たいですが、もうそろそろ桜が咲き出す頃ですので、気分も少しづつ上向きになって行くのを感じます。世の波騒は多々ありますが、四季の移り変わりに身をゆだねると、心身共にほぐれて行くな気がします。

暖かくなって色んな舞台公演も色々と始まってます。先日はベテラン~中堅が頑張っているいくつかの舞台を観に行きました。エネルギーを感じる舞台は、どんなジャンルでもやっぱりいいですね。

昨年の善福寺緑地

世阿弥は年代ごとの花、つまり時分の花はまことの花ではないといいます。若さゆえの花で目立ったり褒められたりする事で勘違いしないように、かなり諫めています。私のように若き日に花があった訳でもない者は関係ないですが、とにかく調子に乗って滑らないように、常に地に足を付けてやる事を心がけてます。

世阿弥世阿弥は父観阿弥の最後の駿河浅間神社(よく子供の頃行ってました)での演能の姿を「まことに得たりし花」としています。芸の物数を尽くすという方面は若手にゆずり、「安きところを少々(すくなすくな)と色へてせしかども、花は弥増しに見えにしなり、これ、誠に得たりし花なるが故に、能は枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」と書いていますね。また脇の為手に花を持たせて」とも書いていて、自分の演技を少々(すくなすくな)と抑制し、助演者の芸の花を持たせることが、場を華やかに彩どるとも言っています。そうしながら、一身に場をまとめ上げてしまう。老木でありながら技巧も狙わず、物数を見せる芸(よそ目の花)が無くなった後にこそ、「まことの花」を持っているかどうかが見えてくる。そんな父観阿弥の姿を理想としたのだと思います。

「良寛」の舞台にて 能楽師の津村禮次郎先生と

私も自分がそれなりの年齢になったこともあって常々感じているのですが、年を重ねた時点での芸は、残酷なまでにその人の器をそのまま映し出してしまいます。年を重ねれば重ねる程、器が問われるとは若手の頃よく先輩に言われていましたが、この年になると本当にそうだなと思えて来ます。
人が人生かけてやってきたことは、皆それなりのものがあると思いますが、ベテランと言われる方が、己個人の芸にいつまでも執着し、得意になって大声出したり、お見事な技を披露する事しか頭にないような舞台はさすがに見ていて厳しいものがありますね。世阿弥の言う所の「花」には程遠いです。音楽も演劇も美術も人間の営みや社会、時代と共に存在しているという事を考えれば、己の芸にしか目が行かず、自分が若い頃に見聞きしたものから離れる事も出来ないようでは、いくら上手でもただの旦那芸でしかないのです。

若い頃は色々とチャレンジするのは良い事だと思います。そこから何かを創り出す迄どんどんやる事を勧めたいですね。いつの時代でもどんなジャンルでも、アバンギャルドのような人の方が結局本物の伝承者になる例はいくらでもあります。パコ・デ・ルシア、アストル・ピアソラ、ドビュッシー、ラベル、永田錦心、鶴田錦史、ジミヘン、マイルスetc.もう切りがありません。創造の為に破壊することを厭わない、その時点での反逆者こそが、次の時代を創り導いて行ったのです。既存のレールの上に立ち、優等生をやっているような人は次の時代を切り開けません。だから何でもどんどんやれば良いと思います。

30代 フルートの吉田君とDJ2人でバンド組んでいた頃


ただ残念な事に、若い時期に少しばかり暴れても、年齢が行くと、しだいに優等生に成りたがる人が多いのも事実ですね。私の周りにも若い頃は派手な格好でライブやっていた人が、そこそこの年になると肩書を並べ連ね。○○大学やら流派の名前や賞などをぶら下げ出して、権威の鎧を纏うようになる人が結構多いです。そういう例を見ると本当に残念に思いますが、それがその人の器という事です。習った技をきちんとやっていればいいのだ、と優等生的惰性の中で肩書を追いかける人は、音楽よりも先ずは自分を取り巻く社会に目を向けてしまって、幻想でしかない現世の成功を正統や真実だと思ってしまうのでしょう。幻想の鎧で自分をがっちり硬め、小さな村のお仲間になるより、心身共に軽やかな姿で舞台に立って、等身大の自分の音楽を多くの人に聴いてもらう方が私は好きですね。

photo 新藤義久

私は何も持っていないからこそ、何でも自由にやって来れたし、若い頃は実力も評価もお金も何にも無かったのが本当に良かったと思っています。何もないから一から何でも自分で創って行くという事を自然とやって来ました。それは修行だとか苦労という事でなく、ただやりたいからやって来れたのです。何か一つでも手に入れていたら、私のように弱い人間は、つまらん欲に駆られ寄りかかり、がんじがらめになってもがいていたことと思います。いつも書いている「媚びない、群れない、寄りかからない」は自由で居られるための必須条件なのです。魯山人の言う通り「芸術家は位階勲等から遠ざかっているべきだ」というのは本当だと思いますね。
長くやっていると色ん
なものが身に蓄積してきますが、キャリアを積めば積むほどに、身軽になって行く位でちょうど良い。音楽をやるのに余計なものはどんどん手放して、いつまでも自由に琵琶を弾いていたいですね。重たい鎧をまとっていたら、そこに花はおろか、蕾も付きません。

まことの花を持っている舞台人は本当に少ないですが、幸いな事に私の身近には、そう思える大先輩たちが何人も居ます。及ばずながらも、そういった先輩たちの姿を目指したいですね。

力を抜くⅡ

先日の第193回琵琶樂人倶楽部は伊藤哲哉さんをゲストに迎え、大変賑々しく終えることが出来ました。伊藤さんと組むのは久しぶりでしたが、その語りは益々円熟していて本当に映画を見ているように目の前に映像が見えて来ました。勿論お客様も大満足。素晴らしい夜となりました。伊藤さんは70代に入り、技と身体と意識が良いバランスになって来ているのでしょうね。演目は宮沢賢治の「二十六夜」でしたので、正に今、語るべき内容の作品であり、また伊藤さんの数多くの舞台や映画の経験に養われた深い年輪を感じさせる充実の会となりました。是非再演をしたいと思っています。

昨年秋に「力を抜く」というタイトルで記事を書いたのですが、年齢を重ねる程に「力を抜く」という事がいかに重要か、よく感じます。いつも琵琶を教えている生徒には、先ず呼吸の話と共に、最初に手と指、そして身体全体の力を抜いて、正中線を意識して座るように言っています。そしてある程度弾けるようになった時点でもう一度力を抜く事をアドバイスするのですが、自分の正中線でなく、今度は琵琶を持っている状態での自分の軸と重心の位置を意識させ、両手を放しても琵琶が安定して動かないように指導します。その上でもう一度体全体の力を抜いて、特に手首や指の力をぶらぶらになるほどに抜く事をアドバイスします。皆さんそこに気づくとぐっと上手くなりますね。今まで何度練習しても弾けなかったものが、左手の親指のこわばりを開放して、無意識に持ってしまっている「これをしてはいけない」みたいな固執を取ってあげると、一気にスムースに弾けるようになります。

きちんとするのが好きな日本人は、どうしても根性や気合で弾くこと=善であり正解みたいな人が多く、特に琵琶人は力技で抑え込むように身体を固くしている人が多いですね。力ずくで叩きつけるように弾き、大声を出して満足してしまう猪突猛進的な単純な意識しか持てないと、当然良い音は出ません。声一つとっても固い体からはろくな声は出ない事は皆さんもお解りかと思います。何か技を使おうとするときに、余計な力が入っていると技も体も充分に使えません。お刺身を切る時、包丁を握る手ががちがちに固まっていたらせっかくのお刺身も台無しになってしまいます。
そして人間、力を入れているつもりはなくても、結構あちこちに力が入っているものです。それは身体だけでなく意識もそうで、根拠もなく何かに拘っていたり、常識だと思い込んで視野思考が固く狭くなっていたりします。心身共に脱力できるかどうかという事は何をするにも一番基本になるものだと私は思っています。

固いものはちょっと角度を変えてウィークポイントに当てられただけでひびが入り、もっと固いものに出会うとあっけなく壊れてしまいます。しかし心も体も柳に風という位しなやかに、柔軟な状態を保っていると、どんなものが来ても受け流し、またそれを受け入れ取り入れながら倒れる事がありません。強いメンタルとは打たれてもへこたれない硬い意思ではなく、柔らかな心を持つ事です。そこを履違えている方が多いように思いますね。

先日の伊藤さんも全く硬さを感じませんでした。私は朗読や語りをする人とは随分仕事をしてきましたが、まだまだ力を入れる事で表現している、頑張っているという意識になる人が多いですね。力を入れて身体を硬くさせると、出てくるものはかえって単純で薄っぺらいものになってしまいます。大声出して何かやっている気分になるというのは、あまりに素人っぽいという事に気づいていないという事です。特に少し経験や技術がある人、またはあると思い込んでいる人は、その硬さがなかなか取れないように思います。初心の人はこだわりもプライドも無いので、アドバイスをするとすぐ取れるのですが、妙に自信があり、私はプロだなどとプライドを持っている人はなかなか取れませんね。

私の最初の先生は高田栄水先生という方で、当時すでに90歳の方でした。いつもひょうひょうとして軽やかな感じだったのをよく覚えています。最初にああいう師匠に就いたのが良かったと今でも思いますが、とにかく毎度の稽古で色んな事を教わりました。高田先生も若い頃はコブシ回して歌うのが格好いいと思って、コブシ回しで有名な方にくっついて回っていたそうですが、ある時からそれが「けれん」に聴こえて来たと言っていました。何か脱力したのでしょうね。私の今の感性は高田先生や作曲の石井紘美先生から受け継いだものが多いような気がしています。

若い頃は力で押し切って豪快に歌って弾いていた人が、ある年齢に達すると途端に演奏できなくなる例をよく見て来ました。40代50代60代と年齢を重ねて行くと、いくら本人が「何も変わっていない」「まだまだいける」と思っていても、肉体は正直なもので、そんな力技は通用しなくなるのは当たり前です。私も40代の時に急に声が出ずらくなったり、ぎっくり腰をやったりして、なかなか自分の肉体の衰えを自分で受け入れられなくてもがいていました。そんな時に古武術の稽古に通い、その稽古を通して脱力する事の大切さを知り、同時に自分には何が似合っているか、何が出来、何が出来ないのか、自分で自分を見つめ直し、自分の心と体の性質が良く解りました。自分に現在備わっている肉体は人と比べられませんし、根性を入れたからといって何とか出来るものではありません。逆に痛めるだけです。特に声帯は粘膜・筋肉ですから、多少鍛える事は出来ても、そもそも持っている以上のものは出来ないのです。

体と心の硬さを取る事は、年齢と共に、時代と共に、しなやかに変わって行く事
であり、その変化が出来ない人は苦しくなるばかりです。実はそんな先輩が何人も周りに居るのですが、そんな姿を見るのはつらいですね。先ずは体をほぐして脱力して、そこから得る事を実感すると、心の中の何がストッパーになっているか気が付くものです。肉体と精神の両輪で脱力をして、しなやかに変化して行く事の大切さを私は琵琶を通して実感してきました。

先日の舞踊作家協会の舞台でも、花柳面先生や尾上墨雪先生は全然力みが無く、その動きは淀みなく流れるようでした。観ていて実に自然な感じがしました。やはり一流は力みが無いのです。私もそうありたいものです。

二十六夜

今月の琵琶樂人倶楽部は俳優の伊藤哲哉さんを迎えて、宮沢賢治の「二十六夜」を私の琵琶と共に語って頂きます。3.11の会もあるのですが、その報告はまた後日に。

伊藤さんは黒澤映画や伊丹十三監督の作品などに出演し、舞台では蜷川幸雄、井上ひさしのこまつ座、前進座、他TVドラマなどで活躍してきたベテラン俳優で、自身も琵琶を弾き、一人語りで「耳なし芳一」を随分とやっていますので、ご存じの方も多いかと思います。私は伊藤さんとはもう長いお付き合いで、本当に色々と勉強させてもらいました。「この部分は誰が喋っている?。主人公を知っている人か、それとも後世の主人公を慕う人か」「カメラの位置はどこにある」「ここは近くからのアップなのか、引いて撮っているのか」、「人物のキャラ設定は」等々場面を映像的に捉える手法をしっかりと教えてもらいました。私はあまり弾き語りはやりませんが、私の弾き語りスタイルは完全に伊藤メソッドです。「敦盛~月下の笛」なんかは、伊藤さんのアドバイスがあってこそオリジナル作品として成立したと思っています。

ここ何年かはよく一緒に方丈記をよくやりました。六本木のストライプハウスや、阿佐ヶ谷のルーテルむさしの教会、相模原南市民ホール、兵庫の芸術文化センターなど旅もしましたし、行く先々で飽きもせずよく呑みましたね。

こちらは左が神戸芸術文化センターホール、右がルーテルむさしの教会で方丈記の公演をやった時のものです。コントラバスは故 水野俊介さん、映像はヒグマ春夫さん。

伊藤さんとはこんな感じで長い事色々やってきたのですが、昨年、毎度のようにガブガブと麦酒を飲みながらあれこれ話をしている中で、この「二十六夜」の話題になって、今こそやるべきなんじゃないかという事で意気投合しまして稽古をしてきました。伊藤さんは宮沢賢治の作品はもう何度となく独演会などで上演していて、作品だけでなく、賢治の人物像に関してもかなり研究されているので、稽古をするたびに深まって行くのを感じています。
この作品はとても長く、休憩を入れると2時間以上かかるのですが、何か手ごたえのようなものを感じているので、方丈記の時のように再演が続くような気がしています。

六本木ストライプハウスにて photo 新藤義久


私は以前から声と琵琶を切り離して行く事を推奨してきました。弾き語りも琵琶樂の形として魅力がありますが、あのままの歌い方と弾き方しかしない事は、琵琶の魅力のほんの一部しか聞いて頂けず、本当に残念だと思っています。どの国の音楽でもラブソングの無いジャンルはありません。そのラブソングが琵琶樂にはほとんど無いのです。バラードもアップテンポも無く、楽曲の構造も一つしかなく、歌詞の内容が変わるだけ。しかも歌詞の内容は戦争や人の死を扱うものがやたらと多く、「あわれ」「悲しい」やら「忠君」というものに終始しているのは残念でなりません。これでは広くリスナーの心をつかむことが出来ないのは誰の目から見ても明らか。マニアの為の音楽に成ってしまっています。
音楽として、そして舞台として魅力的な世界を創って行くには、やはり専門性が必要です。三味線音楽も歌・絃共に専門になり、三味線だけで様々な音楽演劇ジャンルを創り出しました。世界の音楽を見てもしかりです。弾き語りも一つのスタイルですが、それだけでは歌はいつまで経っても専門の歌い手のようには深まらず、あれだけ他にはあり得ない魅力あふれる絃の音色も声の合いの手にしかならず、あの唯一無二の音色も響かせる事が出来ません。音楽全体を更に豊かにして行くには、それぞれに専門に取り組むことが必須であり、世界の音楽を見ても、他の日本の音楽を見ても明らかだと私は考えています。そしてそういう変化をして行く中で音楽は世に添って行くのだとも思っています。

人間は自分が取得したものはなかなか手放さないし、それ以外を認めようとはしません。自分が勉強して培ってきたもの以外を認めたくないという、無意識の心の防御壁を作ってしまいます。個人の心の中でも同じでしょう。無意識に自分以外のものに対する恐れがあるので、何かに寄りかかって、同じ意見を持つ者といつも一緒につるんで、他のものに晒されることも少なく、常に楽な方を選んでしまう。それはいつ迄も小さな自分という牢獄の中に住んでいるという事です。
私は若き日に、ジャズミュージシャンに憧れて上京しました。そのジャズの世界は20代後半で離れましたが、だからこそ今琵琶に転向した時にもかぶれることなく、自分の視点を持って取り組み、ジャズの知識や経験が大いに役に立って沢山の作品を創って活動して来れたと思っています。ジャズをやっていた頃は若かったこともあって、雰囲気にかぶれているばかりで、自分自身の事も音楽もまるで解ってなかったのです。憧れやこだわり等、何かに固執した心を手放してあげる事で、はじめて自由になり、本来の自分を取り戻せることがいくらでもあると思います。琵琶樂がただのオタク趣味になってしまうのはあまりにも悲しい。こんなに魅力的な音色を持ち、表現力を持った楽器が千年以上の歴史を持ってこの風土に伝えられてきたのだから、それをマニアの手なぐさみにしたくはないのです。

私は宮本武蔵に結構興味があって、このブログでも色々と書いていますが、ご存じのように武蔵は孤高
でしたので、勝手な思い込みや誤解も多く、ただの一匹狼のように思っている人も沢山居る事と思います。しかし実はその考え方や行動は、現代にこそ通じるものがあり、かなり革新的な感性の持ち主と言えます。「武士はこうでなくてはならない」という部分を軽々と超えて、ヴィジョンを見据えてやり方も技も変えて行くその姿勢は、気づかない内に溢れる情報で頭を固くしてしまっている現代人に大いなる示唆を与えてくれます。だから今でもその姿を追いかける人が絶えないのです。

現代は昭和時代のように終身雇用の会社組織に寄りかかって生きて行く時代ではないし、大声を出せば何とかなると思っているような昭和親父の考え方も行動も通用しません。ジェンダー問題も国際情勢も皆しかり。昔とは大きく変わっているのです。こういう時代に何が本質か見極め、それに向かうためにやり方も技も変えて行く事が出来ない人がどうなって行くか、皆様にもよくお解りの事だと思います。
やり方は人それぞれあると思います。柳生宗矩のように新たな武士の在り方を模索し、政治家として生きて行くタイプも居れば、武蔵の様な独自の道を行く人も居る。激動する時代の中で、要は自分の行く道が見えない人はただ流されて宗矩の父の石舟斎のように「兵法の勝ちを取りても 世の海を渡りかねたる石の舟かな」と時代の中に沈んで行くだけなのです。

2015年琵琶樂人倶楽部にて伊藤哲哉さんと方丈記上演中

私は琵琶での活動の最初から、様々な共演者と共に音楽を創り、特にここ10年程、色んな声の専門家と組んで舞台をやって来ました。今はそれが幸いして多種多様なジャンルの舞台で演奏することにつながり、それもその総ての舞台に於いて自分で作曲した曲を演奏しています。形は色々ながら全てに於いて自分の音楽を演奏できるのは嬉しいですね。大体私は演奏スタイルからして伴奏者には向きませんので、どんなジャンルの方とでも共演者として舞台に立ちます。だから結局私が曲を書くしかないのです。そのせいもあってどんな共演者、どんな舞台であっても自分の音楽を常に演奏しているという意識で舞台に立ちます。
語り手によっては自分の伴奏として楽器の音を入れたいという人も多いですし、歌い手踊り手などは、自分が主役、他は伴奏という意識でしか舞台を張れない人も多いです。そういう人とでは、やはり一緒に創るという作業が出来ません。つまりその歌い手踊り手の持っている世界をやるだけで、二人の頭脳と感性が一緒になって創り出す大きな世界は創りようがないのです。勿論これ迄結構なギャラをもらってそんな伴奏の仕事をしたこともありますが、そういう仕事は私には向きませんね。

伊藤哲哉さんとは、これ迄一緒に舞台を創るという形でやって来たのが良かったですね。とにかく語りのレベルがはんぱなく凄い。まるで映画を見ているように話しの内容が迫って目に見えるようです。伊藤さんは自分の演目として琵琶を抱えながら「耳なし芳一」をやっていますが、今回の「二十六夜」のようなものは。一緒に組んでこそ成立する世界です。お勧めですよ。

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2024年3月13日(水)第193回琵琶樂人倶楽部 「語る×琵琶」賢治を語る
場所:名曲喫茶ヴィオロン
時間:19時00分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(薩摩琵琶)ゲスト 伊藤哲哉(語り)
演目:二十六夜(宮沢賢治)

PS:実は琵琶樂人倶楽部では珍しく、席がもうかなり埋まってしまっていますので、ご興味ある方は是非ご一報ください。

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