音色の秘密Ⅱ

江の島の日の入り
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音色はすべての音楽の原初。私は、音楽の美は全て音色に集約されるとも思っています。リズムよりも和音よりも、何よりも音色。私は音楽を始めた最初から、これだけは一貫しています。その音色を求めて自分専用のモデルを作り、曲も自分で作りやってきました。音色の追及は死ぬまで続くと思いますが、最近、周りから音色に関しての話題が盛り上がってきた事もあって、少し私の想いを書いてみようと思います。

バンヘイレン誰でも楽器を演奏する人は格好良く、流暢に弾きたいものです。私もいつかはヴァン・へイレンのように弾いてみたいし、ジャズだったらウエスモンゴメリーがビックバンドをバックに従えて出した「Movin’ Wes』みたいに・・・・・等と密かに思っています。しかしどんなに凄いリズム感やテクニック、音楽理論があっても音色が悪かったらすべてが台無しなのです。まあ当たり前の事ですが、音色に命かけられないような演奏家はプロでもないし、3流4流の域でしかない。一流はその人だけのオリジナルの音色を持っているから一流なのです。そしてその音色がリスナーを魅了するから一流なのです。
琵琶に関して言えば、皆さん声についてはかなり気になるようですが、琵琶の音色について語る人は少ないですね。私は正直な所、良い音を出している琵琶奏者はほんのわずかだと思っています。ナンバー1やら第一人者等と冠付けて宣伝している人も結構いますが、その音色に感心した事は一度もありません。自分のオリジナルな音色を持っている琵琶奏者はどれだけ居るのでしょう?????

デビッドラッセル
世界最高の音色を持つギタリスト デヴィッド・ラッセル

私自身もっともっと音色の追及をして行きたいのですが、若い方に指導する機会がある時には、先ず左手の使い方を言います。よく書いている右手のタッチはもう、弦楽器奏者が死ぬまで追求すべき、終わりなき仕事だと思います。しかし実はその前に左手がものを言うのです。ギターでも琵琶でも、リズムやフレーズを追いかけて上手に弾こうとするあまり、フレット(柱)の際にちゃんと指が行っていない事が多いですね。左指がフレットから離れていては音がビビりますし、フレットに乗ってしまっていたらこれまた音が響きません。多分楽器を習った人なら一番最初に言われた事だと思うのですが、こういう楽器を鳴らす基本を、少し弾けるようになると、リズムに乗る事や恰好良いフレーズを弾く事に終始して、音色の事を忘れてしまいます。
ただそんな人もひとたび「音色こそ命なのだ」と本人が自覚すると、とたんに凄い勢いで演奏がレベルがアップします。これに気づくかどうかが一つの関門ですね。
何故しかるべき位置に左指が来ないのか、先ず一番は意識の問題ですが、身体的には左指のストレッチが出来てない例がギターでも琵琶でも多いように見受けます。

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錦琵琶のような昭和に出来た新しい琵琶は、左手自体を盛んに動かしてフレーズを弾きますが、動かして弾く事に慣れると、左指のストレッチをしなくなります。確かに流派でお稽古した曲ならそれで良いでしょう。しかし創作こそがその命とも言える新琵琶楽錦琵琶に於いて、ストレッチが効かない指使いでしか弾けないようでは、可能性を著しく狭めているとも言えます。従来の発想や枠を飛び越えて行く事こそ水藤錦穣、鶴田錦史の志。私は新しい時代の新しい琵琶楽を創造する事こそ錦琵琶の使命であり、受け継ぐべき志だと思っていますので、これからの琵琶奏者には是非左手の使い方をもっと工夫して頂きたいと思います。それにしても二人の流祖は今の現状をどう思っているでしょうか???

私は複数のポジションを抑えて弾く和音(重音)を多用していますが、こうした響きもストレッチが出来ていないと思いつきませんし、実践できません。良い音を確実に出す為の基礎段階として、左手のストレッチは最適ポジションに左指を持って行く、とても大切な訓練だと思います。
また左の運指に関しても考察が足りてないと思う事も多いです。長くなるので、こちらについてはまた機会を別に持ちたいと思いますが、優等生宜しくお稽古を真面目にやっているだけで、楽器を弾くという事を甘く見ていたら、魅力的な音色も音楽も響いて来ません。底の浅い、上っ面の根性や思い入れだけでは音楽は生まれないのです。弦楽器は歴史的にもその奏法が色々と研究されてきました。そういう所を見ずに「琵琶はこれでいい」と思うのであれば、もうそれまで。世界を視野に琵琶を響かせたいと思うのであれば、ありとあらゆる研究考察をしなくては、その魅力は世界に伝わりません。世界を目指した永田錦心・鶴田錦史の視野の大きさと志の深さを、あらためて感じずにはいられませんね。

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ファーストアルバムを出した時、私は意気揚々と音楽プロデューサー星川京児さんの所に、この「Oriental Eyes」を持って行きました。全編私のオリジナル作品であり、琵琶史上に無い、ジャズのエッセンスを持ったアルバムとして絶対の自信を持っていました。今でもこのアルバムは大好きで、次のCDはこんな感じにしようと思っている位ですが、そのプロデューサーの星川さんが、その場で聞いてくれた時の第一声「T師匠と同じ音がしてるね」と言いました。T師匠は勿論尊敬しておりましたが、こうして言われてみると、嬉しいやら悔しいやら、何とも言えない感情が込み上げたのを今でも覚えています。その後私は自分独自の境地を目指して行くのですが、星川さんの言葉を聞いたからこそ今の自分があると思いますし、聴いた直後は「まだまだだな」と思いました。
追及は果てしないのです。

プロの仕事

毎日じめじめとして、楽器にも人にもうっとうしい日々が続きますね。

私は時間があれば(ひまに任せて?)、演奏会やライブ、映画、舞台等々観劇三昧なのですが、ここ数日に行ったものはかなりの高レベルで充実していました。皆さん一流のプロの演奏を聴かせてくれました。満足!!

府中市美術館先ずはメゾソプラノの保多由子さんのギャラリーコンサート。
保多さんとは去年から御縁を頂いているのですが、演奏を聴くのは初めてでした。保多さんはギターの鈴木大輔さんと組んで武満作品のCD等、色々と発表しているので、声楽ファンにはおなじみかと思います。今回は府中に縁のある画家5人の企画展での催しで、しかも弾き語りによる珍しい形での演奏でした。この5人の画家の内のひとり、保多棟人は保多さんの御主人でもあります。
幅広い選曲で、ヘンデル、武満、日本歌曲、シャンソンなど豊かな感性を聴くことが出来ました。場所が場所なので電子ピアノしか使えずやりにくかったと思いますが、高い技量と歌に対する柔軟な姿勢が良く伝わってました。改めて声というものの奥深さを感じました。さすがの歌唱でした。

次は、ブルースマン ホセ有海さんの弾き語りライブ。
ホセさんブログ http://ameblo.jp/jose-ari/
いや~年季入ってます。とにかく歌がいい味を出しまくっていて、どこまでも自然に自由自在に歌う姿が素晴しかった。こういう演奏は流派でお勉強しているだけでは出来ませんね。何十年もライブで鍛えたホセさんならではの魅力です。邦楽人に、こういう演奏を是非聞いて欲しいですね。歌手としてもかなりの実力とお見受けしました。そしてギターも歌っているんですよ。アレンジがいかしていて、スタンダードがこんなに格好良くなるとは、驚きでした。脱帽です。

2015

日曜日にはいつもお世話になっているViの中島ゆみ子さんの演奏会を東京文化会館で聴きました。今回はカルテットの演奏に加え、弦楽8重奏という珍しい編成で、メンデルスゾーンの作品20番を聞かせてくれました。いつもながらケレンの無い、とても素直な演奏で、とにかく清潔感があって気持ち良い。中島さんの人柄そのものの演奏でした。アンコールではゲストの方を立てて、自分はセカンドに入り、チャイコフスキーの弦楽セレナーデを弾いてくれましたが、こういう配慮も中島さんならでは。全体が良く鳴っていましたね。素晴らしいハイレベルのアンサンブルでした。

月曜日はピアノの安藤紀子さんとViの田澤明子さんのデュオを名曲喫茶ヴィオロンで聴いて来ました。安藤さんとは何度も御一緒させてもらっていますが、田澤さんの演奏はしっかり聞いた事が無かったので、楽しみにしていました。田澤さんはサイトウキネンなどにも参加している第一級の演奏家ですので、クラシックファンなら知っている人も多いと思いますが、私が「独奏も聴きたい」とお願いした所、サービスで名曲メドレーなども弾いてくれまして、贅沢な時間を頂きました。さすがの演奏でした。安藤さんのピアノも一段と腕を上げたようで、気持ちの良いライブでした。

歌舞伎1

そして最後はシネマ歌舞伎「京鹿子娘二人道成寺」を観て来ました。連舞がピタッと合っていて、見事な舞台でした。やっぱり玉三郎凄い!。私は特に舞踊が好きなので、この演目は見ごたえがありました。歌舞伎舞踊を見る度に、いったいどれだけ稽古したらこんなに踊れるんだろうと思います。素晴らしい、いや恐るべきレベルです。お囃子連中にも知り合いの顔がちらほら。正に世界に誇るべき日本文化ですね。

皆さん本当にプロとしての素晴らしい技量と、高い意識そして矜持、豊かな経験を持っている。それぞれの個性が煌めいていて、大変充実したハイレベルのプロの舞台を魅せてくれました。一流はとにかく凄い。観客を納得させるだけのものがある。一流の舞台に接する事は人生の幸せですね。
世の中には自称プロのような人も多く、演奏会に行って「本当にお金を取るつもりか?」と思えるようなものが実は少なくないのです。琵琶人ももっとプロとしての気概、矜持を持って欲しい。ちょっと上手だとか、賞や肩書きもらったとかいうレベルで喜んでいないで、世界に発信できるようなレベルの高い舞台を張れる人材が出て来て欲しいと切に思います。

Violin中島ゆみ子 Cello 木戸春子 さんと共に「塔里木旋回舞曲」リハ中

今、世界が不安な要素をそこらじゅうに抱えています。戦争状態にある国も沢山あります。こういう時だからこそ其々の国の素晴らしい文化に目を向けて欲しい。自分の国に誇れる文化があれば、相手にもある筈です。力をぶつけるよりも喜びを分かち合う事を誰もが願っているでしょう。豊かな文化での交流がぜひとも必要です。愛を語り届けるのが我々音楽家の務め。今こそ本来の仕事をすべき時なのではないでしょうか。


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浄化

先日、私が敬愛してやまないクリスタルデュオ・ブレイズのお二人から新作のCDが届きました。

クリスタル

HP:http://www.happy-blaze.com/profile.html
佐々木リエさん、山内メグさんの二人によるクリスタルボウルデュオは、和久内明先生主催のイベントで何度も御一緒させてもらっているのですが、いつ聞いてもその音色に包まれて身も心も浄化されます。クリスタルボウルそのものの音色もさることながら、演奏する二人の音に対する純粋な姿勢が、そのまま響いてくるように思えてなりません。

クリスタルデュオブレイズ

音楽活動をすれば、自分を売り込まなくてはいけないし、受けが良いかどうかも気になるものです。プロとして舞台に立つ以上、お金を頂かないと生活が成り立ちませんので、ただ楽しいだけではやっていけません。好むと好まざるにかかわらず色々なものと戦わざるを得なくなります。レベルが上がれば上がるほ
ど、他人とも自分とも熾烈に接する事も多くなり、又ならないようではまだまだとも言えます。
しかしながら、そんな戦いをするうちに、いつしか音楽以外のものに囚われ、偏狭で勘違いしたプライドに身を固め、純粋さを失って行くのです。

若い頃はライブハウスで頑張っていた人が、知らない内に「先生」と呼ばれ、どこかの大学辺りにこじんまりと収まっている例などもよくあるものです。邦楽家は特にそういう人が多いですね。私は「そうは成らんぞ!何処までも舞台に立って生きるのだ!」なんて毒を吐きながらやってきましたが、それがまた意地やこだわりを生み出します。なかなか音楽に純粋な姿勢で対峙し続ける事は難しいのです。

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40歳頃の私は、絶対に負けられないという強すぎる程の意識が、すでに自分でも感じなくなるほどに私の心身に絡みつき、いつしか私は声に変調をきたすようになっていました。自分の肉体と戦う事しか知らなかった私は、その原因が自分の心に在るという事が判らなかった。まだ若さや体力はあったし、ある種の鬼気迫るような迫力もあったかもしれませんが、高音が突然出なくなったり、思うように演奏出来なかったり…失敗ばかりが続き、「何故なんだ」といつも自分の演奏にフラストレーションを抱えていました。

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そんな頃、私の良きアドヴァイザーH氏と出会い、少しづつ私のがんじがらめの心は解きほぐされ、やっとこさ、音楽家としてなんとかこれまでやってくることが出来ました。そして人間はけっして肉体的な生き物ではなく、精神的な存在という事をやっと認識し始めたのです。

H氏の「愛を語り届ける」という言葉が私の思考を大きく変えました。最初は何だかピンと来るものも無く、ふーんなんて具合に聞き流していたのですが、H氏は「気負いを捨てて、もっと素直に音楽に接した方が良い」といつも一つ一つ繰り返しながら何度も何度もアドヴァイスをしてくれました。きっとその頃の私の姿は、気負いとケレンと上昇志向でがんじがらめに凝り固まっていたのでしょう。
そしてやっと私が何かを感じ始めた頃、H氏は突然虹の彼方へと旅立って行きました。まるで「愛を語り届ける」という一言を伝える、その為だけに私の前に現れたかのように・・・・・。

H氏の言葉を聞いた正に同じ頃、私はクリスタルデュオ・ブレイズの演奏に接したのです。「欲」等という言葉は、およそ彼女達には似合わない。そんな発想すら無いので
しょうね。何の気負いも無く、どこまでも素直な姿勢で音に関わっている。彼女たちがクリスタルボウルという楽器を選んだのも頷けます。楽器が彼女たちを選んだのかもしれません。多分私のような俗欲に侵された人間では、ああいう音色も音楽も流れ出ては来ないでしょうね。

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H氏は既に居ませんが、あの「愛を語り届ける」という言葉は、今、クリスタルデュオ・ブレイズのお二人が奏でる音となって、私の体に響いています。

明日は夏至。心を浄化するにはぴったりの日です。このCDを聴きながら、穏やかな心をもう一度自分の中に見い出して過ごしたいと思います。


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面白い試み

梅雨になりましたね。毎年6月は演奏会でてんやわんや状態なのですが、今年は割とゆったりしています。夏迄はレジュメ書きと作曲に追われている感じですね。夏から秋にかけては、通常の演奏会の他に、レクチャー付演奏会という私のライフワーク的なお仕事も多々頂いていますし、日経の記事のお蔭でしょうか、樂琵琶のお仕事が増えました。本当にこうして演奏家をやって行けるのは有難い事です。こんな日々を過ごしているのですが、このところちょっと幅を広げてみようという気分が湧き上がり、面白い試みをいくつかします。

soon kim trioかんげい館 音・言葉・人形
   Soom Kim トリオ   「からくりからくさを巡る三日間」

先ずはアルトサックスのSOON Kimさん、言葉のアーティストときたまさん、そこに私が加わったトリオで実験ライブをやります。どうなる事やら私にも判りませんが何だか面白そう。ここ7,8年程は、かっちりと創り上げたものを演奏する事が多かったので、私の原点でもあるジャズのスピリットで挑戦です。
そして来月は、朗読の櫛部妙有さん、人形作家の摩有さん、そして私というこれまた面白い組み合わせで3日間に渡り、地元でいつもお世話になっている音楽サロン「かんげい館」にて開催します。内容は梨木果歩さんの「からくりからくさ」という小説を軸にした朗読と琵琶と人形という企画ですが、どんな感じで皆様に観て聴いて頂けるか、ただ今じっくり思案中です。ぜひお越しくださいませ。詳細はHPの方をご覧ください。

ウードの常見さんと音や金時にて
私は生来の天邪鬼のせいか、時々寄り道したり、別の事をやってみたりすることが時々あるのですが、これが結構いいアイデアを生んだり、柔軟な姿勢を創り出すのに役立っているのです。これまでこと琵琶の演奏に関しては、場所や響きなどかなりこだわってやって来て、それなりに成果もあげてきたと思うのですが、少々飽和状態な部分もありました。それが先日のフラメンコの日野先生と小さなライブでをやって、ふっと力が抜け、肩の荷が降りて楽になった感じがして、視野も広がりましたので、少し実験的な事も試してみようという気分になってきました。
周りの人からすると、あいつは何やってんだか??と思われるかもしれませんが、これでまた幅が広がると面白い世界が出て来ると思います。乞うご期待!

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トルクメニスタンアシュカバッド マフトゥムクリ記念国立劇場にて

私はいつでも外に向けて音楽活動をやりたいと思っています。今自分の演奏しているこの音が海外にも流れて行くだろう、というイメージを常に持って演奏しています。そして特に海外にあっては、民俗音楽ではなくクラシックやジャズと同じように、芸術音楽という所で同等に演奏したいし、聴いてもらいたい。その為にも曲・演奏共にレベルにはこだわりたいですね。過去の日本音楽の歴史を土台とした上で、単なる珍しいアジアの民族音楽ではない、日本音楽の最先端である、私の音楽をこれからもやって行きたいのです。志は高くなくては!!

しかしながら何かを突き詰めて行くとかえって見えなくなる部分もあります。だからこそ、いつも書いているように、世界の一流と言われる音楽を常に観て聴いて、自分の感性と視野を養っています。私はまがりなりにも声を使う仕事をしているので、声の一つの頂点であるオペラを聴かずプロの演奏家ですなんて言えませんし、弦楽器をやっていて、ヴァン・へイレンやパコ・デ・ルシアを知らないという訳には行きません。おこがましいけれど、意識だけでも同等の演奏家、音楽家として舞台に立ちたいと思っています。

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ウズベキスタンタシュケント イルホム劇場にて「まろばし」演奏中

次世代を担う若者にはとにかく色々な音楽、それも一流と言われているものを聞いてもらいたいですね。小さな村の優等生で居るだけで良いと言うなら仕方がないけれど、名取も大学の名前も受賞歴も、そんな肩書きはからは音楽は少しも響かないという事を早く判って欲しい。世界に飛びだして行くには世界を知ることが必須!。巷では薩摩琵琶がいつの間にか鎮魂だの古典だのというふれ込みになっているのもよく見かけますが、こんな個人的思い込みでは世界に通用しない。シェーンベルクやバルトークと同じ時代の音楽が、「古典」になってしまうようでは、底の浅さを笑われるだけです。是非大きな世界を見て、日本中に世界中に琵琶の音を響かせてほしいのです。

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今年は例年になく、秋に面白いお話が沢山来ています。ブログでもお知らせして行きますが、年を追うごとに活動が面白くなって来るのは嬉しいですね。しっかりと務めさせていただきます。


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イェイツ・デー2015

昨日は、シアターXにて行われたイェイツ・デーに行ってきました。

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昨年も参加して、とても刺激を受けたのですが、今年も充実した内容で良かったです。昨日はちょうどイェイツの誕生日であり、且つ生誕150周年の節目でもありました。昨年参加してからイェイツを読み漁り、かなり自分の中に多くの想いもあるせいか、今年は自分の中にぐっと来るものがありました。

イエイツ能に強い興味があったというイェイツは、当時秘書だったエズラ・パウンドから能についての情報を得て、象徴主義的な彼の思考に相通じるものを能の中に見たのです。エズラ・パウンドはフェノロサの遺稿を譲り受け、その中の能に関する記述を自分なりに噛み砕き、それをイェイツに伝えたとされていますが、象徴主義神秘主義に傾倒していたイエイツにとっては、能の哲学や形式はぴったりだったのでしょうね。

イェイツは、能の哲学や様式を元に舞踏劇「鷹の井戸」を書き上げ、ロンドンで初演していますが、その時に踊ったのが伊藤美智郎です。伊藤は後にアメリカに渡ってブロードウェイで活躍した伝説のダンサー・振付師で、俳優座を主催した千田是也の兄でもあります。なんだか日本の芸能史と絡み合うように繋がって行きますね。ちなみにイエイツはこの時の出来栄えが大変お気に入りだったそうです。

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「鷹の井戸」は、1949年に横道萬里雄により新作能「鷹の泉」という作品に脚色され上演、その後67年に観世寿夫らの要望で、更に「鷹姫」という作品に昇華しました。これは大変な野心作で、当時、能の世界が芸術演劇として旺盛な創作に燃えていた事を物語る傑作として今でも語り継がれています。昨年に続き今年も観世銕之丞さんがその「鷹姫」の謡の一部を素晴らしい声で披露してくれました。銕之丞さんは「鷹姫」に子供のころから出演し、全ての役を経験しているので、「鷹姫」の全てを知る男でもあります。沁み入る程に素晴らしかった。琵琶でこんな声をしている人はなかなか居ないですね~~~。

鷹姫この「鷹姫」では能の世界の常識をぶち破り、オーディション形式で出演者を募り、シテ方ワキ方等の区別なく、新しい芸術の形に賛同する若手が集い、且つ、演出家として野村萬を置いて完成させた作品です。どこまでも能のしきたりや習慣を乗り越えて作られた傑作です。是非生で見てみたいです。

私は昨年からイェイツの作品をまともに読むようになったのですが、その感性をとても身近に感じています。象徴主義的、神秘主義的な所は勿論、アイルランドの革命とも深く関わり、アイルランドの精神を代表するような彼の作品など、共感できる部分を多く感じるのです。「我々自身が流す赤い血以外に、あるべき薔薇(革命と自由の象徴)を育てることは出来ないのだ」という有名な一文がありますが、これは音楽や芸術でも同じ事。私にはイエイツの詩を読むたびに、その言葉が深く我が身に浸透して行くのを感じます。それこそ同じ血をどこか感じています。

ノヴェンバー

60年代といえば琵琶でも鶴田錦史によるノヴェンバー・ステップスが発表された頃です。今、琵琶にはそんな芸術的創造性と活動がどれほどあるのでしょうか・・・?。残念です。永田錦心は当時のグローバルである全国が視野にあったし、鶴田錦史は世界が射程距離に入っていた。しかし今は、有名になりたい、売れたいという自己顕示欲旺盛な人はわんさかいても、真摯に創造的芸術音楽に身を捧げている演奏家は、はっきり言って見受けられないですね。流派の曲を上手にやるのも結構ですが、賞や肩書きを頂いて、それで鼻高々になってプロ気取りでいるような器では、逆立ちしたって新しいものは生まれませんね。

永田錦心2永田錦心は琵琶を芸術音楽にしたい、という信念で新しいスタイルを打ち立てました。かつてパコ・デ・ルシアがフラメンコを世界舞台に持ち上げたように、世界視野で創作、演奏活動をするヴィジョンを持つ人がぜひ出て来て欲しいと思います。鶴田錦史は、ノヴェンバー・ステップスを弾く二代目を求めたのではなく、次世代のノヴェンバー・ステップスを創る事を弟子に託したのではないでしょうか。むしろノヴェンバー・ステップスをぶっ壊すくらいの人をこそ待ち望んでいたのではないでしょうか。それは永田錦心の数々の言葉を読んでも同じ事を思います。

薩摩琵琶は確かに能のような長い歴史は無いけれど、他には代えがたいあの独特で魅力的な音色があります。まだ歴史が無い分、新しい事をやれる要素はいくらでもあると私は思っています。唄一つとってもこれから色んなスタイルで唄と琵琶を合わせる事が可能だし、演奏のテクニックもどんどん開発される余地があります。私も随分と色々な奏法を実践し、作曲し演奏して回っているんですから、他にもどんどんそういう人が出て来ない方がおかしいのです。どんどん新たなスタイルが出て来て、多種多様な琵琶楽が溢れて欲しいものです。

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「鷹姫」が出来た頃のような、沸騰するする程の芸術への創造性が今こそ欲しい。薔薇は我々の身からほとばしる血でなければ育たないのです。琵琶も血を持って次の時代を創る位で良いと思います。小さな所で満足して「先生」と呼ばれて喜んでいるようでは、次の時代は迎えられないのです。熱き血こそ次の時代の扉を開ける事が出来るのです。

イエイツから琵琶に想いが広がりました。

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