継続は力かな?

先日、第92回琵琶樂人倶楽部が終わりました。阿佐ヶ谷の小さな名曲喫茶ヴィオロンを借りてやっている、とても地味な会なのですが、なんだかんだでもう92回とは、我ながら良く続いたもんだなと思います。今月は毎夏恒例のSPレコードコンサートでしたが、「永田錦心とその時代」というタイトルで、前半に永田錦心のSP、後半に永田錦心と同時代に活躍した他のジャンルの音楽家のSPをかけ、私が解説をさせて頂きました。

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琵琶樂人倶楽部は、流派や協会という小さなの枠の中だけで動いている琵琶の世界に、横のつながりを持たせ、一般の方にも色々な琵琶楽をどんどん聞いてもらいたいという想いで2007年の秋から、古澤月心さんと二人三脚で毎月やってきました。

プロフィール1s古澤月心さん
とにかく色々な琵琶人と交流したい。そして琵琶のイメージを何とか耳なし芳一から解放したい、という想いで始めました。未だに琵琶をやっている方も流派のことしか知らないという人も多く、大正昭和に出来た曲でも、何でもかんでも流派の曲は古典だと言ってはばからない状態なのです。そんな風潮に、私は大変な違和感がありました。若手の方がそういう先生方の言葉を鵜呑みにして、洗脳されるかのように頭を固くしていく例を何度となく見ていて、自由な立場にある私が正しい琵琶の歴史と知識をもっと広めて行かなくてはいけないのではないか、という想いで、まあちょっと一石を投ずるような気持ちで始めた訳です。

琵琶樂は衰退の極みにあるとずっと言われていますが、正しい認識が無ければ衰退するのは当たり前です。何でもかまわず古典等と言い放ってしまうということは、つまりは歴史認識が無く、邦楽の他のジャンルをろくに聞いていないし、邦楽以外のジャンルもほとんど知らないからこういう意見が出てくるのです。もっと広い世界に琵琶を届ける為にも、日本音楽の中での琵琶楽の変遷や、他ジャンルの音楽との比較文化論などがぜひとも必要です。そうすれば大正や昭和のものが「古典です」なんて言葉は出て来ないでしょう。

邦楽全体に音楽学というものがほとんど無く、中でも琵琶に関しては、学者でも真面目に研究をされている方はほんのわずかです。琵琶について発言しているブログなども少しありますが、そこから何を導き、どういうヴィジョンを琵琶に持たせてゆくのか、という所まで到底至らず、オタクやマニアの資料集めの楽しみ程度で終わっているのが現状です。

同じ琵琶でも自分が弾かない他の種類の琵琶には興味も知識も無いようでは、琵琶楽全体に明日という字は見えて来ません。色々な方と共演し、現代人の感性で創作や作曲も旺盛にやって、もう一度現代の社会と生活の中に琵琶が身近に存在するような状況をぜひ作りたいと思っています。

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永田錦心は「琵琶村の住人」と言って、厳しく当時の琵琶人を戒めていましたが、私は私のやり方で、面白そうな琵琶人達を繋いで行こうという訳です。琵琶樂人倶楽部に集う方や出演する方は、皆さんかなり色んな知識見識を持っていらっしゃる。私はこういう人達が好きなんです。こういう人達が次世代にバトンを渡してくれるんじゃないかと思っています。
世の中には、クラシックもロックも現代音楽もオペラも、ジャズもインドやアラブ音楽も、タンゴもブルースもある。私が個人的に好きなファドやフラメンコ、中世ヨーロッパの教会音楽など、素敵な音楽が世界に溢れている、こういった素晴らしい音楽の中に琵琶楽もあるのです。先日の会の時にも、そんな色々なジャンルに詳しい音仲間が集まりました。嬉しい限りですね。彼らの視点がきっと次世代を照らしてくれるような気がしています。

方丈記3
7月の琵琶樂人倶楽部、俳優の伊藤哲哉さんを迎えて

琵琶樂人倶楽部はもうすぐ100回目を迎えるのですが、これまでやってきた軌跡は自分の中で大きな糧となっています。レクチャーをするにも、音楽以外の芸術、歴史や宗教など勉強しなくてはいけないし、SPレコードの解説をするにも古い資料を只管読み漁るという具合で、この8年間で自分の中に大きな幅というものが出来ました。また多くの琵琶人とも交流する事が出来、その人達を接して行く中で、自分が行くべき方向も道もはっきりと見えてきました。

profile10-s琵琶樂人倶楽部を始めた頃の私。ちょっと?大分?若い
音楽家はともするとオタク状態になり易い。一生懸命な姿勢が時に視野を狭くしてしまうものです。しかしリスナーは世に溢れる音楽を自由に楽しみ、その中で琵琶楽に接してくれるのです。オタクの感性で突き詰めても、この社会の中でどんな音楽として聴いてもらえるるのか、そこが判らなければマニアの域を出ることは出来ないし、結局琵琶で生活して行くことさえ出来ない。
この状況をどんどん変えて、琵琶がもっと日本の世の中に溢れ、世界に飛びだして行って欲しいな~~。その為にも琵琶人はもっともっと多くの音楽を聴き、勉強し、広い視野で、広い世界で活動して欲しい。流派や協会も結構だけれど、村の中に居ては琵琶の音は世に響かない。世界を舞台に活躍する琵琶人がもっと出て来て欲しいし、自分ももっと大きな世界でどんどん琵琶の音を響かせたい。

移りゆく琵琶の姿

この時期、秋の正倉院展に琵琶が出るかどうか、よく話題になりますね。そして雅楽では、あの正倉院の琵琶を全く改良せず今もそのまま使い続けている、という話もよく言われます。こんな所からも琵琶に関心が集まるというのは嬉しい事です。
私はレクチャーの機会がとても多いので、何時も琵琶楽の変遷をざっとお話ししているのですが、まだまだ琵琶=耳なし芳一という認識しかされていないのが残念です。是非もっと琵琶のことを知ってもらいたいし、琵琶人達にももっと認識を深くしてもらいたいものだと思っています。

正倉院この左のタイプは正倉院御物で有名ですが、現在ではもう使われていません。今使われているのは4弦のもので、いわゆる樂琵琶(下写真 作:熊澤滋夫)と呼ばれているものです。

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正倉院にはこの四弦のタイプと五弦のタイプがあります。四弦のこのタイプは現在までずっと糸巻も柱も全てが奈良平安時代と同じなのです。これは世界にも例の無い事例です。日本の一つの美学を感じますね。

しかし平安時代にはオリジナルタイプの樂琵琶も出てきます。現在平家琵琶と言われるサイズの小型のものが既に平安時代に出来上がっていたそうです。日本人の体格に合わせ小型化したのでしょう。こういうものが出来上がっていたからこそ、源氏物語に出て来るように女性の演奏者も数多くいたのでしょうね。
平安時代には既に琵琶法師が居たことが絵巻物などから確認されますが、それらの琵琶法師がどんなものを使っていたのかは定かではありません。既にこの時日本では小型の樂琵琶が生産されていたのか、はたまた大陸からもたらされた別種のものを手にしていたのか。その辺りは学者に研究をお任せするとして、少なくとも琵琶法師という存在が既にいて、且つ小型化された樂琵琶があったからこそ、鎌倉時代に入って平家語りというものが出来上がった事は間違いないですね。

では、何故雅楽ではあの大きな樂琵琶をそのまま使い、現在まで伝えられたのでしょうか。それは権力者の式楽として、権力に保護されて、権力の傍にずっとあった音楽だからとしか言えませんね。出来上がったものを変える必要が無いし、権威を保つためにもおいそれとは変えられないということでしょう。つまり世の中の変遷と共に在る、芸術・芸能とは全く違ったものとして存在していたということです。これが雅楽の特徴です。

heikebiwa5薦田先生所有の平家琵琶
鎌倉時代になると平家琵琶が登場しますが、この平家琵琶も柱の位置等、色々と時代によって変遷しています。楽器というものは時代の変遷、そして感性の変化に伴って、ふさわしい形に変わって行くのが、どの国に於いても常なのです。現在でも名古屋系の平家琵琶と仙台系のそれとは柱の位置、サワリ駒など違う点があります。
その後、近世後期になると薩摩で独自に琵琶樂が発展し薩摩琵琶となって行くのですが、もう既にこの時点で樂琵琶の美学や雅楽の様式・感性は、薩摩琵琶に何も受け継がれていません。理由は簡単。既に権力者の元を離れ、単に楽器として残り、音楽は伝えられなかったからです。琵琶はこの時点で市井に暮らす人々のものとなっていったのです。
薩摩琵琶は近代に入り発展して行きますが、幕末辺りの記録を見ますと薩摩琵琶の描写として、かなりそれ以前に在った盲僧琵琶に近いつくりをしていたという記録があります。つまりこの時点ではまだ現在の薩摩琵琶のような形は、はっきりと出来上がっていなかったということが判ります。

永田錦心2
永田錦心

薩摩琵琶が世間に知れるようになったのは、明治に西幸吉という方が東京に出て貴族達にコネクションを広げ、薩摩琵琶の存在を広めてからですが、この辺りから楽器の形も現在のそれになって行ったのでしょう。明治末期には、いつも私が書いている永田錦心師により錦心流が創始されましたから、新しい感性による新しいスタイルの確立で、弾き方や唄い方が変わって行きました。表面の形は同じでも、板の厚みや、撥の大きさなど、細部はどんどんと変わって行ったことと思います。正派と呼ばれる、幕末から続く一派の撥と錦心流の撥では厚みが違いますし、琵琶の鳴らし方自体が違います。

水藤錦穣4

水藤錦穣

そして昭和初期には水藤錦穣師によって五柱の錦琵琶が誕生します。ちょっと判りづらいですが、チューニングのやり方を変え、糸口を広げ、柱も五柱になって、更に四絃から五弦に改良されました。これは琵琶にとって大きな革命であり、またこの錦琵琶は女性の為の琵琶として開発されたというのが重要な点です。この五柱の琵琶のアイデアを出したのは師である永田だそうで、その後、水藤錦穰師の考案で五絃に改良したそうです。

錦菊水型そして水藤錦穰師の弟子であった鶴田錦史師によって更に柱の改良が行われました。糸口の形も水藤開発のものとは微妙に違っています。最初は柱は横に真っすぐでしたが、左の画像の柱は菊水型といって鶴田師の考案したものです。チューニングがどうしても合わないと感じた鶴田師は柱を互い違いにすることでその気持ち悪さを解消したのですが、音が合わないと感じた鶴田師の感性は、すでに現代の感性(つまりは洋楽的な感性)となっていたからこそ、「合わない」と感じたのでしょう。                                                       
しかしこの柱は結果的に普及しませんでした。それは柱を作るのが大変な事に加え、チューニングを合わせることも完全には出来ないからです。サワリの調整が出来る人なら判ると思いますが、柱をこのようにしたところで、やっぱり最後には柱を削ったりして音程の微妙な調整はしなくてはいけない。現在のように糸口側に段差を付け、互い違いにしてある方が、微妙な音程の調整はやり易いし、また楽器を作る上でも合理的なのです。現在鶴田流では1・2絃側と、3・4・5絃側の二つに分けて糸口の長さを削っています。私は、1・2絃側、3絃単独、4・5絃側の三つに分けて糸口の長さを調節してあります。

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塩高モデル 象牙レス糸口

第二次大戦後は、どんどん改良が進みます。先ず上記した、糸口でチューニングを合わせるための弦長及びサワリの位置の改良、そして半田淳子氏による第一柱の位置の変更がありました。普通の錦琵琶は、第一柱がドレミ的にはかなり中途半端な位置にあります。これを洋楽的な音程に近づくように位置を調整したのが半田氏です。この改良はその頃始まった邦楽器による合奏という現代邦楽の形態に於いては実に有効なものでした。しかし第二柱と第三柱の間が狭くなるので締め込みがしずらく、鶴田流でよく使われる第二中を締め込んで1全音上げるフレージングはちょっと厳しくなりますね。
また筑前ではありますが、同時期に田原順子氏によって、材質の変更がされました。それまで表版に桐を使っていた筑前琵琶に、薩摩琵琶と同じ桑を使いました。

その後田中之雄氏によって、一回り大きな田中モデルが作られます。これは基本的な考え方として従来の錦琵琶と同じなのですが、ちょうど柱一つ分ほど棹が長く、それに伴ってボディーもほんの少し大きくなっています、棹のにぎりの感じは従来のものとあまり変わりません。
その後に塩高モデルが出来上がりました。私のモデルは棹の作りもボディーの作りも従来のものや田中モデルとは随分変わっています。(この記事の後、上記写真のように2017年に完全な象牙レスになりました)

田中モデルがあくまで弾き語りを念頭に作られているのに比べ、塩高モデルは器楽を目的として作られていて、棹の太さや握り、ボディーの大きさ、転珍(ヘッド)の大きさ、絃高(柱と絃の間の事)等、その造りにはかなりの差があります。また使用する絃も太くなっていて、サワリも長くなるように調整されています。

鶴田&武満
武満徹と鶴田錦史

このように琵琶はどんどんと改良され変化しています。現代人はドレミで子供の頃から教育されているので、知らない内に洋楽的な音程感覚を持っていますが、それは民謡でも雅楽でもかなりの影響が出て来ているように思います。そうした時代の感性の変化に従って琵琶の姿も変わって行ったのです。

今、琵琶楽は世の人々の生活に沿っているでしょうか。芸術音楽として次の時代を期待させてくれるような、ワクワクする音楽を創っているでしょうか。琵琶は確かに千年以上の歴史を持つ日本の伝統楽器ですが、それだけの歴史があるのなら尚更のこと、時代の最先端を行くものでもあって欲しい。でなければただの骨董品になってしまって、次の時代にあの妙なる音色をつなげることは出来ません。古典に胡坐をかいて権威にすり寄り、名前を振りかざし、過去をなぞるようになったらもうおしまい。古典を次の時代に聴かせるためにも旺盛な創造性が必要なのです。雅楽のように権威がバックについている音楽は別として、これはどの分野でも同じ事です。創造力が無ければ次世代の人の感性に訴える事が出来ません。

今、琵琶樂に携わる人の器と創造性が問われているのです。

次回の琵琶樂人倶楽部のお知らせ
第92回琵琶樂人倶楽部「SPレコードコンサート~永田錦心とその時代」

92回チラシ

8月16日(日) 

場所: 名曲喫茶ヴィオロン (JR阿佐ヶ谷駅北口 徒歩5分)
時間: 18時00分開演
料金: 1000円(コーヒー付き)
出演: 塩高和之(司会)

演目: 尼港の嵐(前半のみ) 小督 本能寺(以上永田錦心)
     宮城道雄「六段」 喜波貞子「美はしき天然」
     藤原義江「まちぼうけ」 三浦環「アロハ・オ・エ」
     奥田良三「ジョセランの子守歌」 宮内庁楽部「更衣」他 

うつろふ色

先日、久しぶりに尺八奏者グンナル・リンデルさんと会って、ゆっくり話をしてきました。

グンナルさんとは、10数年前、PANTA RHEI というコンビ名で演奏・レコーディング・ツアーと、とにかく沢山仕事をしました。楽しい日々でしたね。私は一人で演奏する事も多いですが、常に相棒が欠かせません。今は笛の大浦さんが音楽的な相棒ですが、以前はグンナルさんが正に相棒でした。彼は母国であるスウェーデンに帰り、ストックホルム大学に於いて日本学、特に中世日本文化の研究で活躍しています。ヨーロッパでは尺八奏者としても活動しているそうなので、是非またその内共演したいです。

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グンナルさんが参加した私の1stアルバム「Oriental eyes」2002年

グンナルさんはかなりいける口なので、ついつい杯を重ね、邦楽から仏教や神道、現代日本の風俗や社会等、とめどなく話が及びました。とにかく日本人以上に日本の文化を勉強し、勿論論文も日本語で書ける。だからとにかく話が尽きないのです。もうかなり前に、グンナルさんや筝のカーティス・パターソンさんと一緒に創ったCD「和」のライナーノーツも全てグンナルさんが日本語で書きました。
これまで尺八に関するかなり専門的な論文をいくつも書き、藝大にも彼の著作は収められています。その他、中世日本文化についての論文はいくつも書いているようで、現在は吉原文化に関する本を執筆中とのことです。全く持って恐れ入ります。

2013年に会った時。上野の居酒屋にて
彼のように言語は勿論のこと、歴史・宗教・芸能・風俗まで徹底的に勉強する人が居る反面、とうの日本人はどうでしょうね・・・?。琵琶でも二言目には「シルクロードから続く古の云々~」等と都合よく宣伝して、「古典だ、伝統だ」とキャッチコピーを付けながら近代に出来上がった薩摩琵琶を弾いている輩が多いですが、果して樂琵琶や平家琵琶は勉強しているのだろか・・・・?。
よく言われる事ですが、どうも日本人はオタク的に興味のある所は掘り下げるけれど、総合的に全体を見ることをしないですね。近代といえば近代ばかり、古代といえば古代ばかりのオタクさん達が多すぎると思うのは私だけでしょうか・・・?それにしても日本文化の素晴らしさを感じているのはもはや海外の人なのかもしれません。

グンナル 和CD
若き日、グンナルさん、筝のカーティス・パターソンらと一緒に創ったCD「和」。懐かしい限りです。

グンナルさんと10数年前から一貫して話し合っているのは、邦楽の感性や風情、つまり根本にあるものについてです。邦楽演奏家は、邦楽の魅力をどこまで感じているのだろう?と思わず思ってしまうことが多々あるのは、私もグンナルさんも同じです。
尺八や琵琶で、音を半音程変化させるような音が良く出てきますが(メリ・カリ・締め)それは音程が単に上がる下がるということでなは無いのです。音に陰影を付けているのです。その音には色々なものが表現され、正にその音こそ邦楽の音色であり、邦楽の感性が凝縮しているのです。メリカリや締める音色には滔々と流れる邦楽の歴史と文化が溢れているのです。そういう所を感じずにバラバラ弾いていても邦楽にはなりません。私はこのメリカリや締めの音を表現するのに、陰影という言葉の他に「色のうつろひ」とも言っています。色が淡くうつろって行く様と言っても良いかと思いますが、この色のうつろひ具合が感性そのものと言えます。間についても同じで、師匠と同じように0.1秒も変わらずに出来たからといって、そこに深い感性と文化が無ければ何も出て来ません。かえっておかしなものになってしまいます。

biwa iroiro私は日頃から短歌を作る事を勧めていますが、日々の中で目に映る事に対し、常に詩情を持って接する姿勢こそ邦楽の根本だと思っています。上手か下手かは別にして、四季によって移ろう自然の情景に想いを持ち、そこから言葉を紡ぎ、歌に表わして行くそんな意識と感性がなければ、メリ・カリ締めの陰影や色彩は何時まで経っても理解できず、ただ音を上げ下げしているだけです。あの一音にこそ、邦楽の姿があると言っても過言ではないでしょう。

だから常日頃から「この風土が無くては成り立たない」ということを何度も言うのです。先日も地元の神社の能楽堂でバリダンスをやっていましたが、形を真似ても風土が無ければその本質は描けません。異文化でも何でも、先ずは日本人としての感性がどれだけ豊かなのか、ということが問題です。その感性を持って異文化に接するからこそ相手の豊かな魅力を感じられるのであって、感性の無い人は、表面の目新しさに喜んでいるだけです。
この風土の中に生き、四季に想いを馳せ、日本の辿った歴史を古代から見つめ、悠久の歴史の中で琵琶という古から続く楽器と文化を我が身に抱くのです。オタク目線では到底捉える事は出来ません。知識も技術も、感性の前には全てがひれ伏すのです。

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グンナルさんと一緒に演奏していた頃 若いね~~~

いつも書いている宮城道雄や永田錦心は、次の時代を感じさせてくれました。それも強烈に!。しかしその根底には滔々と流れる日本の感性が溢れ、脈々と続く日本文化が流れていたのです。当時の若者は、そこにこそ希望を持ち心酔したのです。ただ
の賑やかしではすぐに飽きられます。そうではない本当の魅力を湛えたものだけが次の時代のスタンダードとなるのは当たり前のこと。宮城、永田には本当の魅力があったということです。
後に続く私達は何をすべきでしょうか。先人のやったものをなぞる事でしょうか。それとも先人の志をもって、たとて及ばずとも次世代が希望を抱き心酔するような音楽を創造する事ではないでしょうか。

たとえ遠く離れていても、同士とは話が尽きないのです。

絃は歌うⅡ

先日、Viの田澤明子さんとPの相馬泉美さんのデュオによるサロンコンサートに行ってきました。

場所は渋谷のラトリエby APCという所。小さなサロンでしたので、じっくりと目の前で堪能出来ました。とにかく素晴らしいの一言。田澤さんはクラシックファンなら知っている人も多いと思いますが、素晴らしい実績を重ねて来ただけあって、演奏に迷いが無く、けれんも無く、豊かな音楽が鳴り響いていました。このクオリティーをま近で聴けるというのは本当に幸せです。

曲はヴェートーベン、ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキー等でしたが、ちょっと定番ものよりも通好みの選曲でした。あそこまで弾きこなすには、どれだけの修練を重ねてきたんだろう??と、聞きながらそのレベルの高さに驚くやら、感心するやら、ドキドキしながら聞いていました。特に最後のチャイコフスキーの「メロディ」「ワルツ・スケルツォ」では、絃が直接語りかけてくるような、歌いだすような、滅多に味わえない類い稀な空間がそこにはありました。

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津村禮次郎師 戯曲公演「良寛」にて

何か突き抜けるには、それなりのレベルが必要ですね。単なる技術というものよりも、想いの深さとでも言いましょうか・・・。ジョンレノンもボブディランもジミヘンも皆そうだったと思います。頑張っているだけでは、まだまだレールの延長線上に居て、本来の自分は表に出て来ない。既にある価値観ではなく、そこを乗り越えて次の世界へ、自分の世界へ進まなければ、本当の意味での音楽は鳴り響かないのではないか、最近そんなことをつらつらと考えてきましたが、田澤さんの演奏を聴いて、何かピンと来るものを感じました。きっと田澤さんは壮絶な修練を小さな頃からやってきたのでしょう。更に様々な人生経験も経て、今またチャイコフスキーに向き合った。だからこその演奏だったと思います。今年聞いた、灰野さんや中島由紀さんと同じく、音楽が自分の人生そのものになっている。素晴らしいですね。

1私は壮絶な修練を経てきた人生でもないし、竹山のようなどん底から這い上がるような経験もしてきていない。まあせいぜい高円寺のアパートでくだ巻いていた程度の事。毎日悶々と己のやる事を見つめ、何にも振り回されず、自分らしくあろうと思いながら現実にへばりついて生きているだけ。残念ながら人の真似は出来ないし、優等生にも成れない。この自分というものを受け入れて行くしか私の人生は全う出来ないのです。
田澤さんや、先日のストリングラフィーの素晴らしい音楽に触れて、あらためて自分のやる事をもっとポジティブにやろうと思いました。頑張るという事でなく、もっと素直に自分の行くべき所を歩んで行こうということです。また自分の出来る事と出来ない事があるということも、今までずっと思っていましたが、あらためて思いました。彼らのようには出来ない、でも私にも私にしか出来ない事がある。それをやろう。こんな思いが自分の中に満ちて来ました。

日の出1

過去の作品であろうが、自分のオリジナルであろうが、演奏するのは今生きている自分以外に無いのです。たとえスコアがあっても、自分という存在がそこに介在する以上、自分の肉体を通して出て来るものは自分の命の一部となって初めて音楽としての命が響きだす。その時に余計なものが付いていたら、自分の音楽として鳴り響かない。化粧も派手な衣装も肩書きもキャリアも何にも要らない。何者にも囚われる事無く、何処までも自分自身でなくては音楽は呼応しないのです。音楽の前には何処までも私自身のありのままの姿であり続けたい。

良い音楽を聴かせて頂きました。


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絃は歌う

先日、かねてから話に聞いていたストリングラフィ・アンサンブルの演奏を聴いて来ました。

ストリングラフィー3
公演チラシより

絹糸に紙コップを取り付けただけのシンプルな楽器なのですが、これが実に多彩な表現をするのですよ。音楽的なクオリティーはかなり高いです。簡単に言うと糸電話と同じなんですが、擦ったりはじいたりして、音色音程リズム表情etc.本当にヴァイオリンやチェロと同じなんです。朗々と歌うかと思えば、パーカッシブなリズムも出すし、和音も自在。聞きながら色々な可能性を想いました。

ストリングラフィー2公演チラシより
この楽器を発明したのが水嶋一江さん。水嶋さんは作曲家なので、全体に曲が良く出来ていてアレンジも面白い。この日は最初にミニマムっぽい水嶋さんの現代作品をやってくれたのですが、演奏時のパーフォーマンス性もあるし、色々と可能性を感じました。またアンサンブルがピタッと決まっていてリズム感もいい感じ。相当練習しているな、と思っていたら、1日8時間位やっているそうです。頭が下がりますね。この情熱が琵琶の世界にも溢れているといいですね。水嶋さん以下メンバーが生き生きと演奏している姿がスカッとしていて気持ち良かったです!!。皆さんそれでいて本当に謙虚で、とても好感が持てました。
この日はスタジオでのライブで、外国の方もいらしていたので、比較的ポピュラーな選曲でしたが、英語でのレクチャーも充分こなせるし、この楽器の表現力と高いアンサンブルの力があれば、凄い音楽が作れそうな気がしました。新しい楽器ですので、認知されるためにもポピュラリティーはとても大事な事だと思いますが、是非芸術音楽の分野でも存在を示して行って欲しいと思います。この日演奏してくれた水嶋さんの作曲作品もなかなかのレベルだと思いました。

皆さんも是非一度体験してみてください。気軽なスタジオライブは毎月やっているようですし、8月には全労災ホール・スペースゼロにて大きな演奏会を開くそうです。

ストリングラフィー4

STRINGRAPHY HP   http://www.stringraphy.com/index_j.html

作曲やプロデュースの面で色々と考えるべき部分も多く大変だと思いますが、是非この志を貫いていってほしいと思います。こうした問題は琵琶のような伝統楽器も同じく抱えていると思います。現在の状況を見れば、過去に胡坐をかいて予定調和なことしかやらなくなったから、衰退したのは明らか。もはやどこへ行っても「珍しい」存在でしかない琵琶は、ストリングラフィーと同じく、今後の作曲や活動のやり方を、つまりは器を問われていると思います。
常に時代と共に「創造」して行かなければ、いくら歴史がある楽器といえども世の中に響き渡りません。音楽はどこまでも生ものなのです。常に時代と共に在ってこそ音楽。琵琶もストリングラフィーも、同じ土俵に立っていると思いました。

新しいものを世に問うには、人を納得させるだけのものが必要です。旧来の価値観で上手云々というよりも、新しい価値観を感じさせてくれるようなものに人々は惹かれます。でなくては時代は動かないのです。永田錦心やジョンレノンのように、旧来の価値観での上手い下手を超えた、新たな価値観やクオリティーが必要なのです。それが新しい時代を創るのです。

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やっぱり絃は良いな~。情感が溢れているし、表現がダイレクトに伝わってくる。私が薩摩琵琶に出会って気に入ったのは、音が伸びることです。ギターはディストーションをかけないと音は伸びませんが、私の琵琶はサワリを長く調整していることもあって、そのままでディストーションがかかっているような音が出る。ヴァイオリンのようにはいきませんが、和音も出るし,パーカッシブな表現も出来るし・・・、ストリングラフィーの多彩な表現を聞いていたら、かえって琵琶の音色を再認識しました。樂琵琶はまた違った意味で魅力的なのですが、とにかく絃が歌うというのは表現者として嬉しいのです。
ストリングラフィーには大きな可能性があると感じました。それに絹糸の響きにはどこか人を惹きつけるものがあるんでしょうね。

また一つ視野が開けました。

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