舞台こそ人生2015初秋

今年はもう8月辺りから演奏会が続き、秋の演奏会シーズンの始まりがひと月以上早い感じです。頭の中は正にウニ状態なんですが、舞台に立つというのはとにもかくにも喜びですね。少しブログも停滞気味ですが、のんびり書いて行きます。先ずはこれまでの演奏会のご報告から。

月始めは近江楽堂にて、フルートの久保順さん、尺八の田中黎山君とで演奏。拙作「二つの月~尺八とフルートの為の」と「西風~尺八・琵琶・フルートの為の」(初演)を演奏してきました。二人とも今耀くバリバリのプロなので、さすがの内容でしたね。
そして次の日は、京都山科東部文化会館にて演奏してきました。代表の小谷昌代さん率いる「弦楽ふるさとの会」主催のコンサートだったのですが、琵琶で地元を盛り上げようという志で集まった仲間達によるフレンドリーな会でした。

       嘉辰小谷デュオsirocco佐渡デュオ

左上の写真は会代表の小谷さんと「嘉辰」をデュエット中。右はViの佐渡文彦さんと「Sirocco」を熱演中。お二人ともとてもよく練習してきていて、気持ち良く演奏出来ました。佐渡さんの演奏はかなりの気合を感じさせるもので、ジプシーヴァイオリンのような自由に溢れ出るメロディーがなかなか素晴らしかったです。レベルもなかなかでしたし、アマチュアならではの良さが音楽への喜びを表現していましたね。とても気持ちの良いコンサートでした。

11‐2015

そして11日はまたまた近江楽堂にて和久内明先生主催の「9,11メモリアル」に参加。クリスタルデュオブレイズと「嘉辰」を演奏。あの響きの空間でクリスタルボウルとの共演というのは貴重な機会でした。特にこのクリスタルデュオブレイズのお二人は感性が素直で豊かなので、教会のような豊饒な響きの近江楽堂にはぴったりの演奏でした。素晴らしい!
来週は定例の琵琶樂人倶楽部の他、箱根の小涌園隣にある岡田美術館での3デイズ。素敵な場所での演奏は楽しみです。

啄木ソロ

有難いことに色々と声を掛けてもらって様々な場所で演奏出来るということは、演奏家冥利に尽きますが、音楽家はともすると舞台を飛び回っている自分に酔ってしまうものです。私自身30代の頃はそうでした。しかし自分が「何をすべきか」「何故それをやるか」をしっかり考えていかないと、レベルも質も上がらないし、評価も付きません。こういう時こそ、本当に自分のやるべきものを見極め、気合を入れ直したいものです。とにかく自分が納得する仕事で舞台を回りたいですね。ギャラ目当てのとりあえずの仕事をしていたのでは喜びは生まれない。自分自身が喜びに満ちていなければ、音楽の本来の仕事である「愛を語り届ける」こと到底出来るはずもありません。

藤原師長
琵琶楽は、平安時代の源博雅、藤原師長、室町時代の明石覚一、明治時代の永田錦心、昭和の鶴田錦史という先達がその時代時代の最先端を創造し、世に広めたからこそ今があるのです。私には及びも尽きませんが、志だけはこれらの先達と同じく日本の音楽をやりたい。永田錦心が表明したように、私も日本の芸術音楽を創りたいのです。琵琶楽が過去のものでなく、現代の中で息づいていることが重要。その為にも過去をなぞるのではなく、過去のものでも新たな視点と感性で、その魅力を更に輝かせるような創造をし続けるのが、私の役目だと思っています。

ただ面白いから、やりたいからというような浅はかな意識からは何も生まれない。明確なヴィジョンと哲学を持たないようなものは、何事に於いても賑やかし以上にはなりません。

箱根岡田美術館 (2)

さて、今週は定例の琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶の語る近代日本」。そして箱根岡田美術館での3デイズの演奏です。私がやるべき音楽はまだまだ尽きることは無いのです。もっともっと追究してやりたい事がある。弾き語りや古い形式にがんじがらめになっている琵琶楽を次の時代へと後押ししたいですね!!

 

熱狂的声楽愛好のススメ XIX~Met「湖上の美人」

8月の終わりから超絶に忙しい日々が続き、毎日作曲か、PCで書きものか、リハーサルかという日々を送っているのですが、こういう時には変な勘が働くのか、合間を縫って時間を作れるものなのです。不思議なもんですね。この所オペラにあまり行けてなかったので、どうしても観ておきたい作品をちょっと無理に時間を作って行ってきました。

        

作品はロッシーニ作曲の「湖上の美人」。何と言ってもディドナート&フローレスの、あの「チェエネレントラ」で大感激したコンビがやるのですから観ない訳にはいきません。先に観た友人からも大絶賛の感想を聞いていましたし、今回のアンコール上映を逃すと観れないという強迫観念から、強引に時間を作って駆けつけました。

     ディドナート1フローレス1

ロッシーニの作品はとにかく「歌・歌・歌」。どの作品もたっぷりと「歌」を堪能できるのですが、今回は今まで観た中でもナンバー1とも言えるような歌の饗宴を聞いた想いでした。
何といっても主演のジョイス・ディドナートは、もうこのブログでも何度も書いていますが、年齢と経験、技量、感性、肉体、それら全てが一番良い所に来ている、今一番乗っている世界のナンバー1です。そしてファン・ディエゴ・フローレスも今一番華のあるテノール。艶があり、けっして細くならない、何処までも鳴って鳴って鳴り響くあの声は、正に世界のトップの風格なのです。声といい姿といい申し分ないのです。
その二人に加え、バスのオレン・グラドゥス、テノールのジョン・オズボーン、メゾのダニエラ・バルチェッローナの共演者たちのまた素晴らしいこと!!!。ここまで歌うか!という程の歌・歌・歌を堪能しました。特大満足!!!

場面1メゾのバルチェッローナはズボン役(男役)で背も高く、主人公エレナの恋人という重要な登場人物をやっていて、テノールの二人も、その声質やキャラクターが違い、良いバランスが保たれていました。さすがにMetはキャスティングも言うこと無いです。ディドナート演じるエレナを巡る3人の男たちを三者三様の個性でたっぷりと聴かせてくれました。エレナのお父さん役のグラドゥスも実に深い良い声で、惚れ惚れしてしまうような艶を感じました。声を使う者としては、あんな声を一度は出してみたいですね。

場面3

インタビューでディドナートが「Top of The World」という言葉を使い、世界の一流の歌手達と仕事が出来ることが喜びだ、と言っていましたが、正に世界の一流が集う舞台でした。どのシーンも忘れがたいほどの充実ぶりでしたが、やはり最後のエレナの独唱は凄まじいまでの技巧と、自信に満ち溢れた存在感、トップであるという矜持の全てを感じました。

デュオ1

このレベル、この充実、世界のトップであるというプライドは、観ていて本当に感動以外のものは無いですね。いつもMetを観ると、自分の中に逞しいエネルギーが満ちて来ます。音楽というだけでなく、自分が生きて行く上での様々な勉強にもなります。これだけの舞台を創るのにどれだけの努力と研鑽と研究を重ねてきたのだろう、と見る度に思います。歌手本人は勿論のこと、オケも美術もスタッフも、世界一の舞台を創るんだ、という想いに溢れていなければ、あんな舞台は実現しません。
ともすると日常の自分は、忙しく色々なことに振り回され、知らない内に自己を見失いかけ、ふと感性も視野も狭く閉じがちになるものです。しかし世界のトップに立つ音楽家達の姿と世界最高峰の舞台を観ていると、そんなことに囚われてる場合じゃない!といつも叱咤激励されるような気分になります。時々こうしてあの姿を観に行くと、視野が開かれ、個人としての自立を想い、視野が世界に向かって行きます。自分が本当にやるべきことが改めて自分の中に見えてくるのです。

profile10

年を重ねて来て、活動をやればやるほどに自分の求める所に近づいているという実感は確かにあります。しかしまだまだ道遥か。私はとてもディドナートには及ばないと思いますが、それでも志だけは高く、同じく一流の舞台をやりたい。規模は小さいかもしれないし、派手なものでもないけれど、「この辺で如何?」なんて演奏だけは絶対にやりたくないのです。

今年の秋から冬には沢山の演奏会の機会を頂いています。琵琶という楽器の性質もあって、私は伴奏という立場のものはほとんど無く、曲も全てが私が作曲したものだけしか弾きません。だから、お客様にはどの舞台でも100%塩高の音楽を聞いて頂く訳です。Metの歌手達が自分のスタイルでプライドを持って世界に向けて歌い上げるように、私も志を高く持ってやりたいですね。今年は新作の初演もいくつかやりますし、樂琵琶のみのソロ公演もあります。のんびりはしていられません!Metを観てまた元気が湧いてきました。

熱狂的声楽愛好のススメ XIX~Met「湖上の美人」

8月の終わりから超絶に忙しい日々が続き、毎日作曲か、PCで書きものか、リハーサルかという日々を送っているのですが、こういう時には変な勘が働くのか、合間を縫って時間を作れるものなのです。不思議なもんですね。この所オペラにあまり行けてなかったので、どうしても観ておきたい作品をちょっと無理に時間を作って行ってきました。

        

作品はロッシーニ作曲の「湖上の美人」。何と言ってもディドナート&フローレスの、あの「チェエネレントラ」で大感激したコンビがやるのですから観ない訳にはいきません。先に観た友人からも大絶賛の感想を聞いていましたし、今回のアンコール上映を逃すと観れないという強迫観念から、強引に時間を作って駆けつけました。

     ディドナート1フローレス1

ロッシーニの作品はとにかく「歌・歌・歌」。どの作品もたっぷりと「歌」を堪能できるのですが、今回は今まで観た中でもナンバー1とも言えるような歌の饗宴を聞いた想いでした。
何といっても主演のジョイス・ディドナートは、もうこのブログでも何度も書いていますが、年齢と経験、技量、感性、肉体、それら全てが一番良い所に来ている、今一番乗っている世界のナンバー1です。そしてファン・ディエゴ・フローレスも今一番華のあるテノール。艶があり、けっして細くならない、何処までも鳴って鳴って鳴り響くあの声は、正に世界のトップの風格なのです。声といい姿といい申し分ないのです。
その二人に加え、バスのオレン・グラドゥス、テノールのジョン・オズボーン、メゾのダニエラ・バルチェッローナの共演者たちのまた素晴らしいこと!!!。ここまで歌うか!という程の歌・歌・歌を堪能しました。特大満足!!!

メゾのバルチェッローナはズボン役(男役)で背も高く、主人公エレナの恋人という重要な登場人物をやっていて、テノールの二人も、その声質やキャラクターが違い、良いバランスが保たれていました。さすがにMetはキャスティングも言うこと無いです。ディドナート演じるエレナを巡る3人の男たちを三者三様の個性でたっぷりと聴かせてくれました。エレナのお父さん役のグラドゥスも実に深い良い声で、惚れ惚れしてしまうような艶を感じました。声を使う者としては、あんな声を一度は出してみたいですね。

場面3

インタビューでディドナートが「Top of The World」という言葉を使い、世界の一流の歌手達と仕事が出来ることが喜びだ、と言っていましたが、正に世界の一流が集う舞台でした。どのシーンも忘れがたいほどの充実ぶりでしたが、やはり最後のエレナの独唱は凄まじいまでの技巧と、自信に満ち溢れた存在感、トップであるという矜持の全てを感じました。

デュオ1

このレベル、この充実、世界のトップであるというプライドは、観ていて本当に感動以外のものは無いですね。いつもMetを観ると、自分の中に逞しいエネルギーが満ちて来ます。音楽というだけでなく、自分が生きて行く上での様々な勉強にもなります。これだけの舞台を創るのにどれだけの努力と研鑽と研究を重ねてきたのだろう、と見る度に思います。歌手本人は勿論のこと、オケも美術もスタッフも、世界一の舞台を創るんだ、という想いに溢れていなければ、あんな舞台は実現しません。
ともすると日常の自分は、忙しく色々なことに振り回され、知らない内に自己を見失いかけ、ふと感性も視野も狭く閉じがちになるものです。しかし世界のトップに立つ音楽家達の姿と世界最高峰の舞台を観ていると、そんなことに囚われてる場合じゃない!といつも叱咤激励されるような気分になります。時々こうしてあの姿を観に行くと、視野が開かれ、個人としての自立を想い、視野が世界に向かって行きます。自分が本当にやるべきことが改めて自分の中に見えてくるのです。

profile10

年を重ねて来て、活動をやればやるほどに自分の求める所に近づいているという実感は確かにあります。しかしまだまだ道遥か。私はとてもディドナートには及ばないと思いますが、それでも志だけは高く、同じく一流の舞台をやりたい。規模は小さいかもしれないし、派手なものでもないけれど、「この辺で如何?」なんて演奏だけは絶対にやりたくないのです。

今年の秋から冬には沢山の演奏会の機会を頂いています。琵琶という楽器の性質もあって、私は伴奏という立場のものはほとんど無く、曲も全てが私が作曲したものだけしか弾きません。だから、お客様にはどの舞台でも100%塩高の音楽を聞いて頂く訳です。Metの歌手達が自分のスタイルでプライドを持って世界に向けて歌い上げるように、私も志を高く持ってやりたいですね。今年は新作の初演もいくつかやりますし、樂琵琶のみのソロ公演もあります。のんびりはしていられません!Metを観てまた元気が湧いてきました。

秋の演奏会色々2015

やっと猛暑も過ぎエアコンなしで過ごせる日々になってきましたね。いよいよ演奏会シーズンの始まりです。
今年は日経効果もあってか、秋には色々な仕事を頂いていまして、何時になく充実した内容になっています。年々仕事の内容が自分の思い描く形になって来ているのが嬉しい限りです。先ずをご紹介。

9月4日 「日本書紀歌謡~旋律の泉を訪ねて」 於:近江楽堂

4

9月5日「四ノ宮琵琶と弦楽器のアンサンブルコンサート」 於:京都山科 東部文化会館

四ノ宮琵琶

9月11日「9.11メモリアル」 於:近江楽堂

11‐2015

9月12日 「SOON KIM  トリオライブ」 於:新宿百人町カフェアリエ

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9月16日 琵琶樂人倶楽部第93回「近代の琵琶楽」 於:ヴィオロン

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9月18~20日 今蘇る古の音色~琵琶で語る平家物語」於:箱根岡田美術館

箱根岡田美術館

9月27日「弦流フラメンコギターと琵琶ジョイントコンサート」於:和光大学ポプリホール鶴川

弦流2015-9

10月9日23日「府中市明講座第一回第二回」於:府中市生涯学習センター

府中市民講座1

府中市民講座2
10月12日「玉津島神社奉納演奏と日本書紀歌謡~旋律の泉を訪ねて」於:和歌山市玉津島神社及びキューブホール

10月14日 第94回琵琶樂人倶楽部 「次代を担う奏者達Ⅲ」

shiotaka4

10月17日「ポリゴノーラシンポジュウム&パフォーマンス」於:近江楽堂

ポリゴノーラ

10月25日「シルクロードミュージアム演奏会」於:静岡シルクロードミュージアム

シルクロードミュージアム

10月31日「琵琶の魅力~古代から現代まで」於:豊田能楽堂

豊田能楽堂-s

11月6日「府中市明講座第三回」於:府中市生涯学習センター

11月7日「Reflections演奏会~深みゆく秋を聴く」於:北鎌倉古民家ミュージアム

2015古民家

11月14,15日「劇団アドック公演 雛」於:麻布区民センターホール

11月19日「弦流+1ライブ」於:西荻音や金時

と続いています。樂琵琶での演奏がかなりのパーセンテージを占めてきたのが、この所の傾向です。逆に語り物はぐっと減りました。正に自分がやりたいと思う方向に行っているのが嬉しいのです。来年は樂琵琶も勿論ですが、薩摩琵琶での器楽曲をばっちり極めて行こうと思っています。そして来年はちょっとどうか判りませんが、薩摩琵琶の器楽曲を中心にしたCDも考えています。語り物の方はやりたいものもあるものの、まあこれ以上は私の役目ではないでしょう。先ずは何といっても器楽スタイルの確立が最重要な使命。独奏曲、デュオ、トリオ等、今までかなりやってきましたが、これからも様々な形の器楽曲をどんどんと世に送り出そうと思っています。

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楽器としての魅力をもっともっとアピールしたい。何しろあの妙なる音色を伴奏にだけに使うなんてことはもったいないじゃないですか。一般の人が思う琵琶はとはあの音色であって、歌ではないのです。次の時代を見据え、今こそ薩摩琵琶はその意識を変える時。新たな息吹があるからこそ、伝統的な語りのスタイルも残って行くのです。
創造と継承の両輪が共に回ってこそ歴史は刻まれます。私のやり方しか出来ませんが、琵琶を次の時代へと進めて行きたいのです。

プロの仕事Ⅱ

ちょっとご無沙汰してしまいました。この所、演奏の機会やお誘いが多く、飛び回っています。書きたいネタは山ほどあるのですが、何しろ時間が無いのです。また9月10月は大変多くの演奏会に恵まれ、ありがたい限りなのですが、その分ブログの方は少しペースが落ちて来るかもしれません。のんびりと書いて行きますので、よろしくお願いいたします。

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さて今日はこの言葉から 「すべてのジャンルはマニアが潰す」。

のっけからビックリさせてすいません。この言葉は日本のプロレス団体を買収した会社の社長さんが放った言葉なんですが、最近とあるロックフェスティバルの後にも同じ言葉が言われました。どの世界でも同じような問題を抱えていますね。しかしマニア達が居たからこそ、その世界は支えられ形作られて行ったとも言えますし、マニア達が闊歩し出してからが、その世界の本当の勝負ということなのでしょう。主催者や演者側が、意識をどう持つかで、何事も大きく変化して行くものです。正にその器が問われるということですね。

8

舞台人というのは、「誰か一人でも判ってくれればいいや」なんて言う人はいません。それは楽しみでやっているアマチュアの発想。プロは「来てくれた人全てを虜にするぞ」と思っています。若い頃、プロの方々と仕事をさせて頂くようになって、いつしか自然と自分もそうなって行くのを感じました。そういう意識にならないと一緒には仕事が出来ないのです。その位の気概があって初めてプロの舞台は成り立つのです。またその気概があるからこそ、魅力ある舞台を創る為に、どうするべきか考え、細部に渡りクオリティーが上がり、更に深いものへと進化して行くというもの。そして何よりも予定調和を繰り返さないのもプロの魅力であり仕事ですね。自分のレパートリーであっても常に可能性を追求し、進化して行くものです。常に時代と共に在るのがプロ!!。

舞台人は常に観客を裏切る位で良いのです。いつまでも未知の部分を感じさせ、それでも強烈に惹きつける魅力を持ち続けるからこそ、観客は付いて来るのです。受けを狙い、観客に媚びるようになるともう終わり、マニアに振り回され、マニアやファンの求めることをやることで稼ぐようになり、最後には潰れて行きます。そういう喰って行くための芸になった時点でファンも去り、レベルも落ち、魅力を失うのです。

3ショウビジネスと常に背中合わせの音楽の世界では、一筋縄ではいかない部分も多いですが、とにもかくにも高いクオリティーのものをやっていないと誰も振り向いてくれません。そしてその高いクオリティーが観客にどう届いているかが問題です。オタク然として自分の興味ある所だけを掘り下げて披露しても、人はあらゆる視点を持って聴きに来るのですから、そんな狭い器から発信してもすぐに飽きられます。これが判らない人は結局続かないですね。周りが振り向かなくなるからです。世の中、好きな事をただやっているだけではご飯は食べさせてくれません。

一番の誤解は「理解してもらおう」と考えることです。人が何年もかけて研究し創り上げたものを数時間で理解できる人は居ません。出来る訳ないのです。私達の役目は音楽であろうと、何であろうと、理解してもらうことではありません。「強い興味を持って頂く」ということです。解らなくても良いのです。強烈な魅力を感じてもらえばよいのです。バルトークやシェーンベルクの音楽を当時の人は理解していたでしょうか。ほとんどがしていなかったと思います。しかし何だか解らないけれど強烈な魅力を感じたのです。

言い方を変えると、舞台人は圧倒的なものを持っていなくてはいけないということです。「お上手」と思われることは、ほとんど観客の手の内の中に在って、やることが理解されてしまっているということであり、これまでに引かれたレールの上にまだ居るということ。未知の魅力というものが無い。それでは関心してもらえるかもしれませんが、強烈な魅力には程遠い。上手が見えるなんてものは、これまでの発想を超えていないということです。一流の演者は観客の理解や発想を超えた世界を魅せることが出来るかどうかなのです。
ドビュッシー、ラベル、パガニーニ、シェーンベルク、バルトーク、ジョンケージ、ジミヘン、ビートルズ、ツェッペリン、ヴァンへイレン、ピアソラ、パコデルシア、マイルス、コルトレーン、オーネットコールマン・・・。こうした人々に共通していえる事は、超越した世界を持ち、且つそれを表現出来たということです。

マイルス1

では私のような特に才能も無い凡人はどうしたらいいのか。先ずはレールの上に胡坐をかかないこと。これまでの自分のやってきたことにも胡坐をかかず、お得意なもので喜んでいるような自分を常に戒めていられるかどうか、ということです。常に前進、常に革新を自分自身が実践することです。更に気を付けないといけない事は、小さな自分の世界に囚われないことです。一生懸命頑張っていると、いつしか自分の頭の中で物事が完結してしまい、「私」という小さな牢獄の中でうごめいている事に気が付かなくなります。前進も革新もどんどんやるべきですが、囚われてはいけない。そんなものはただのオタクやマニアでしかない。だからそこに柔軟な心が必要なのです。
マイルスは貪欲なまでに色々なものを取り込んで、人が考えもつかないような所へどんどんと疾走して行きましたが、常に世界とコンタクトを取って観客をひっぱって行きました。世界中が彼の音楽に常に注目し、それが次代のスタンダードと成り、マイルスのやることがそのままジャズに成って行った。ピアソラもラベルもヴァンへイレンも皆そうですね。この辺にその人の器の大きさが見えて来るようです。

青山曼荼羅
カンツォーネ歌手の故 佐藤重雄さん、ミュージックマジックオーケストラと青山曼荼羅にて

時代は驚くべき速さで移り変わります。世の人々の感性もどんどんと変わり、若い世代がどんどんと新しいものを生み出して行きます。しかしマニアは氷のように固まり、留まり、形を変えようとしない。自分の世界の中に留まって「硬直した心」で、自分の聴いて来たものが変わって行くことを望まない。自分のこれまで過ごして来た時間の記憶の中の、いわば「お花畑」の中に居るのです。マニアがいつまでもそんな心を向けて来るということは、演じ手の方も何時までも予定調和の世界を相も変わらずやっているからに他なりません。

ジャンルはマニアが潰すのは確かですが、そのマニアを助長しているのはやはり、演じ手側なのです。

そして演じ手側がマニアやオタクと同じようになってしまったらもうお終い。舞台はお勉強の成果を発表する所ではないのです。演じ手が予定調和なことを繰り返し、今までの焼き直しに終始し、自らがマニアとなってしまったら、自分で自分を餌食にしているようなものです。


IMGP8058ジミーペイジの次は私かな・・?
私は琵琶をどう弾こうが、何でも結構だと思っています。ピックで弾こうが、ロックやろうが、その人の感性でやればよい事だし、伝統を背負おうが、全く無視しようが、その人の勝手。その音楽をを支持するかどうかはリスナーの問題でしかない。現に海外の尺八奏者なんかは、まったくに日本の音楽とは違う形で尺八を使って魅力的な音楽を創り支持を得ている人が沢山居ます。ギター一つとってもジミヘンからセゴビアまで、あらゆるジャンルがあり、スタイル、音楽があります。それが健全というもの。日本の中でも、笛、太鼓、三味線それぞれの楽器に於いて、様々なジャンルとスタイルがあるではないですか。何故琵琶は無いのでしょうか・・・・?

得意なものをやっているのも良いでしょう、でも更に豊かな世界を目指し、及ばずながらも時代と共に音楽家として存在したいのなら、常に人の発想を超えていることです。「こうでなくては」「こうやるべき」という「硬直した感性」では、名人芸以上には成れません。いや名人にも成れないでしょう。予定調和で平凡な感性からは、音楽は生まれないのです。

創り出し、囚われず、自分以外の人や世界と旺盛に関わりを持っていてこそ、舞台で音楽が鳴り響くのです。時代とも人とも垣根を作らずにコミュニケーションをどれだけ取れるか。私も器を試されています。

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