秋の演奏会色々2015

やっと猛暑も過ぎエアコンなしで過ごせる日々になってきましたね。いよいよ演奏会シーズンの始まりです。
今年は日経効果もあってか、秋には色々な仕事を頂いていまして、何時になく充実した内容になっています。年々仕事の内容が自分の思い描く形になって来ているのが嬉しい限りです。先ずをご紹介。

9月4日 「日本書紀歌謡~旋律の泉を訪ねて」 於:近江楽堂

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9月5日「四ノ宮琵琶と弦楽器のアンサンブルコンサート」 於:京都山科 東部文化会館

四ノ宮琵琶

9月11日「9.11メモリアル」 於:近江楽堂

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9月12日 「SOON KIM  トリオライブ」 於:新宿百人町カフェアリエ

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9月16日 琵琶樂人倶楽部第93回「近代の琵琶楽」 於:ヴィオロン

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9月18~20日 今蘇る古の音色~琵琶で語る平家物語」於:箱根岡田美術館

箱根岡田美術館

9月27日「弦流フラメンコギターと琵琶ジョイントコンサート」於:和光大学ポプリホール鶴川

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10月9日23日「府中市明講座第一回第二回」於:府中市生涯学習センター

府中市民講座1

府中市民講座2
10月12日「玉津島神社奉納演奏と日本書紀歌謡~旋律の泉を訪ねて」於:和歌山市玉津島神社及びキューブホール

10月14日 第94回琵琶樂人倶楽部 「次代を担う奏者達Ⅲ」

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10月17日「ポリゴノーラシンポジュウム&パフォーマンス」於:近江楽堂

ポリゴノーラ

10月25日「シルクロードミュージアム演奏会」於:静岡シルクロードミュージアム

シルクロードミュージアム

10月31日「琵琶の魅力~古代から現代まで」於:豊田能楽堂

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11月6日「府中市明講座第三回」於:府中市生涯学習センター

11月7日「Reflections演奏会~深みゆく秋を聴く」於:北鎌倉古民家ミュージアム

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11月14,15日「劇団アドック公演 雛」於:麻布区民センターホール

11月19日「弦流+1ライブ」於:西荻音や金時

と続いています。樂琵琶での演奏がかなりのパーセンテージを占めてきたのが、この所の傾向です。逆に語り物はぐっと減りました。正に自分がやりたいと思う方向に行っているのが嬉しいのです。来年は樂琵琶も勿論ですが、薩摩琵琶での器楽曲をばっちり極めて行こうと思っています。そして来年はちょっとどうか判りませんが、薩摩琵琶の器楽曲を中心にしたCDも考えています。語り物の方はやりたいものもあるものの、まあこれ以上は私の役目ではないでしょう。先ずは何といっても器楽スタイルの確立が最重要な使命。独奏曲、デュオ、トリオ等、今までかなりやってきましたが、これからも様々な形の器楽曲をどんどんと世に送り出そうと思っています。

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楽器としての魅力をもっともっとアピールしたい。何しろあの妙なる音色を伴奏にだけに使うなんてことはもったいないじゃないですか。一般の人が思う琵琶はとはあの音色であって、歌ではないのです。次の時代を見据え、今こそ薩摩琵琶はその意識を変える時。新たな息吹があるからこそ、伝統的な語りのスタイルも残って行くのです。
創造と継承の両輪が共に回ってこそ歴史は刻まれます。私のやり方しか出来ませんが、琵琶を次の時代へと進めて行きたいのです。

プロの仕事Ⅱ

ちょっとご無沙汰してしまいました。この所、演奏の機会やお誘いが多く、飛び回っています。書きたいネタは山ほどあるのですが、何しろ時間が無いのです。また9月10月は大変多くの演奏会に恵まれ、ありがたい限りなのですが、その分ブログの方は少しペースが落ちて来るかもしれません。のんびりと書いて行きますので、よろしくお願いいたします。

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さて今日はこの言葉から 「すべてのジャンルはマニアが潰す」。

のっけからビックリさせてすいません。この言葉は日本のプロレス団体を買収した会社の社長さんが放った言葉なんですが、最近とあるロックフェスティバルの後にも同じ言葉が言われました。どの世界でも同じような問題を抱えていますね。しかしマニア達が居たからこそ、その世界は支えられ形作られて行ったとも言えますし、マニア達が闊歩し出してからが、その世界の本当の勝負ということなのでしょう。主催者や演者側が、意識をどう持つかで、何事も大きく変化して行くものです。正にその器が問われるということですね。

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舞台人というのは、「誰か一人でも判ってくれればいいや」なんて言う人はいません。それは楽しみでやっているアマチュアの発想。プロは「来てくれた人全てを虜にするぞ」と思っています。若い頃、プロの方々と仕事をさせて頂くようになって、いつしか自然と自分もそうなって行くのを感じました。そういう意識にならないと一緒には仕事が出来ないのです。その位の気概があって初めてプロの舞台は成り立つのです。またその気概があるからこそ、魅力ある舞台を創る為に、どうするべきか考え、細部に渡りクオリティーが上がり、更に深いものへと進化して行くというもの。そして何よりも予定調和を繰り返さないのもプロの魅力であり仕事ですね。自分のレパートリーであっても常に可能性を追求し、進化して行くものです。常に時代と共に在るのがプロ!!。

舞台人は常に観客を裏切る位で良いのです。いつまでも未知の部分を感じさせ、それでも強烈に惹きつける魅力を持ち続けるからこそ、観客は付いて来るのです。受けを狙い、観客に媚びるようになるともう終わり、マニアに振り回され、マニアやファンの求めることをやることで稼ぐようになり、最後には潰れて行きます。そういう喰って行くための芸になった時点でファンも去り、レベルも落ち、魅力を失うのです。

3ショウビジネスと常に背中合わせの音楽の世界では、一筋縄ではいかない部分も多いですが、とにもかくにも高いクオリティーのものをやっていないと誰も振り向いてくれません。そしてその高いクオリティーが観客にどう届いているかが問題です。オタク然として自分の興味ある所だけを掘り下げて披露しても、人はあらゆる視点を持って聴きに来るのですから、そんな狭い器から発信してもすぐに飽きられます。これが判らない人は結局続かないですね。周りが振り向かなくなるからです。世の中、好きな事をただやっているだけではご飯は食べさせてくれません。

一番の誤解は「理解してもらおう」と考えることです。人が何年もかけて研究し創り上げたものを数時間で理解できる人は居ません。出来る訳ないのです。私達の役目は音楽であろうと、何であろうと、理解してもらうことではありません。「強い興味を持って頂く」ということです。解らなくても良いのです。強烈な魅力を感じてもらえばよいのです。バルトークやシェーンベルクの音楽を当時の人は理解していたでしょうか。ほとんどがしていなかったと思います。しかし何だか解らないけれど強烈な魅力を感じたのです。

言い方を変えると、舞台人は圧倒的なものを持っていなくてはいけないということです。「お上手」と思われることは、ほとんど観客の手の内の中に在って、やることが理解されてしまっているということであり、これまでに引かれたレールの上にまだ居るということ。未知の魅力というものが無い。それでは関心してもらえるかもしれませんが、強烈な魅力には程遠い。上手が見えるなんてものは、これまでの発想を超えていないということです。一流の演者は観客の理解や発想を超えた世界を魅せることが出来るかどうかなのです。
ドビュッシー、ラベル、パガニーニ、シェーンベルク、バルトーク、ジョンケージ、ジミヘン、ビートルズ、ツェッペリン、ヴァンへイレン、ピアソラ、パコデルシア、マイルス、コルトレーン、オーネットコールマン・・・。こうした人々に共通していえる事は、超越した世界を持ち、且つそれを表現出来たということです。

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では私のような特に才能も無い凡人はどうしたらいいのか。先ずはレールの上に胡坐をかかないこと。これまでの自分のやってきたことにも胡坐をかかず、お得意なもので喜んでいるような自分を常に戒めていられるかどうか、ということです。常に前進、常に革新を自分自身が実践することです。更に気を付けないといけない事は、小さな自分の世界に囚われないことです。一生懸命頑張っていると、いつしか自分の頭の中で物事が完結してしまい、「私」という小さな牢獄の中でうごめいている事に気が付かなくなります。前進も革新もどんどんやるべきですが、囚われてはいけない。そんなものはただのオタクやマニアでしかない。だからそこに柔軟な心が必要なのです。
マイルスは貪欲なまでに色々なものを取り込んで、人が考えもつかないような所へどんどんと疾走して行きましたが、常に世界とコンタクトを取って観客をひっぱって行きました。世界中が彼の音楽に常に注目し、それが次代のスタンダードと成り、マイルスのやることがそのままジャズに成って行った。ピアソラもラベルもヴァンへイレンも皆そうですね。この辺にその人の器の大きさが見えて来るようです。

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カンツォーネ歌手の故 佐藤重雄さん、ミュージックマジックオーケストラと青山曼荼羅にて

時代は驚くべき速さで移り変わります。世の人々の感性もどんどんと変わり、若い世代がどんどんと新しいものを生み出して行きます。しかしマニアは氷のように固まり、留まり、形を変えようとしない。自分の世界の中に留まって「硬直した心」で、自分の聴いて来たものが変わって行くことを望まない。自分のこれまで過ごして来た時間の記憶の中の、いわば「お花畑」の中に居るのです。マニアがいつまでもそんな心を向けて来るということは、演じ手の方も何時までも予定調和の世界を相も変わらずやっているからに他なりません。

ジャンルはマニアが潰すのは確かですが、そのマニアを助長しているのはやはり、演じ手側なのです。

そして演じ手側がマニアやオタクと同じようになってしまったらもうお終い。舞台はお勉強の成果を発表する所ではないのです。演じ手が予定調和なことを繰り返し、今までの焼き直しに終始し、自らがマニアとなってしまったら、自分で自分を餌食にしているようなものです。


IMGP8058ジミーペイジの次は私かな・・?
私は琵琶をどう弾こうが、何でも結構だと思っています。ピックで弾こうが、ロックやろうが、その人の感性でやればよい事だし、伝統を背負おうが、全く無視しようが、その人の勝手。その音楽をを支持するかどうかはリスナーの問題でしかない。現に海外の尺八奏者なんかは、まったくに日本の音楽とは違う形で尺八を使って魅力的な音楽を創り支持を得ている人が沢山居ます。ギター一つとってもジミヘンからセゴビアまで、あらゆるジャンルがあり、スタイル、音楽があります。それが健全というもの。日本の中でも、笛、太鼓、三味線それぞれの楽器に於いて、様々なジャンルとスタイルがあるではないですか。何故琵琶は無いのでしょうか・・・・?

得意なものをやっているのも良いでしょう、でも更に豊かな世界を目指し、及ばずながらも時代と共に音楽家として存在したいのなら、常に人の発想を超えていることです。「こうでなくては」「こうやるべき」という「硬直した感性」では、名人芸以上には成れません。いや名人にも成れないでしょう。予定調和で平凡な感性からは、音楽は生まれないのです。

創り出し、囚われず、自分以外の人や世界と旺盛に関わりを持っていてこそ、舞台で音楽が鳴り響くのです。時代とも人とも垣根を作らずにコミュニケーションをどれだけ取れるか。私も器を試されています。

継続は力かな?

先日、第92回琵琶樂人倶楽部が終わりました。阿佐ヶ谷の小さな名曲喫茶ヴィオロンを借りてやっている、とても地味な会なのですが、なんだかんだでもう92回とは、我ながら良く続いたもんだなと思います。今月は毎夏恒例のSPレコードコンサートでしたが、「永田錦心とその時代」というタイトルで、前半に永田錦心のSP、後半に永田錦心と同時代に活躍した他のジャンルの音楽家のSPをかけ、私が解説をさせて頂きました。

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琵琶樂人倶楽部は、流派や協会という小さなの枠の中だけで動いている琵琶の世界に、横のつながりを持たせ、一般の方にも色々な琵琶楽をどんどん聞いてもらいたいという想いで2007年の秋から、古澤月心さんと二人三脚で毎月やってきました。

プロフィール1s古澤月心さん
とにかく色々な琵琶人と交流したい。そして琵琶のイメージを何とか耳なし芳一から解放したい、という想いで始めました。未だに琵琶をやっている方も流派のことしか知らないという人も多く、大正昭和に出来た曲でも、何でもかんでも流派の曲は古典だと言ってはばからない状態なのです。そんな風潮に、私は大変な違和感がありました。若手の方がそういう先生方の言葉を鵜呑みにして、洗脳されるかのように頭を固くしていく例を何度となく見ていて、自由な立場にある私が正しい琵琶の歴史と知識をもっと広めて行かなくてはいけないのではないか、という想いで、まあちょっと一石を投ずるような気持ちで始めた訳です。

琵琶樂は衰退の極みにあるとずっと言われていますが、正しい認識が無ければ衰退するのは当たり前です。何でもかまわず古典等と言い放ってしまうということは、つまりは歴史認識が無く、邦楽の他のジャンルをろくに聞いていないし、邦楽以外のジャンルもほとんど知らないからこういう意見が出てくるのです。もっと広い世界に琵琶を届ける為にも、日本音楽の中での琵琶楽の変遷や、他ジャンルの音楽との比較文化論などがぜひとも必要です。そうすれば大正や昭和のものが「古典です」なんて言葉は出て来ないでしょう。

邦楽全体に音楽学というものがほとんど無く、中でも琵琶に関しては、学者でも真面目に研究をされている方はほんのわずかです。琵琶について発言しているブログなども少しありますが、そこから何を導き、どういうヴィジョンを琵琶に持たせてゆくのか、という所まで到底至らず、オタクやマニアの資料集めの楽しみ程度で終わっているのが現状です。

同じ琵琶でも自分が弾かない他の種類の琵琶には興味も知識も無いようでは、琵琶楽全体に明日という字は見えて来ません。色々な方と共演し、現代人の感性で創作や作曲も旺盛にやって、もう一度現代の社会と生活の中に琵琶が身近に存在するような状況をぜひ作りたいと思っています。

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永田錦心は「琵琶村の住人」と言って、厳しく当時の琵琶人を戒めていましたが、私は私のやり方で、面白そうな琵琶人達を繋いで行こうという訳です。琵琶樂人倶楽部に集う方や出演する方は、皆さんかなり色んな知識見識を持っていらっしゃる。私はこういう人達が好きなんです。こういう人達が次世代にバトンを渡してくれるんじゃないかと思っています。
世の中には、クラシックもロックも現代音楽もオペラも、ジャズもインドやアラブ音楽も、タンゴもブルースもある。私が個人的に好きなファドやフラメンコ、中世ヨーロッパの教会音楽など、素敵な音楽が世界に溢れている、こういった素晴らしい音楽の中に琵琶楽もあるのです。先日の会の時にも、そんな色々なジャンルに詳しい音仲間が集まりました。嬉しい限りですね。彼らの視点がきっと次世代を照らしてくれるような気がしています。

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7月の琵琶樂人倶楽部、俳優の伊藤哲哉さんを迎えて

琵琶樂人倶楽部はもうすぐ100回目を迎えるのですが、これまでやってきた軌跡は自分の中で大きな糧となっています。レクチャーをするにも、音楽以外の芸術、歴史や宗教など勉強しなくてはいけないし、SPレコードの解説をするにも古い資料を只管読み漁るという具合で、この8年間で自分の中に大きな幅というものが出来ました。また多くの琵琶人とも交流する事が出来、その人達を接して行く中で、自分が行くべき方向も道もはっきりと見えてきました。

profile10-s琵琶樂人倶楽部を始めた頃の私。ちょっと?大分?若い
音楽家はともするとオタク状態になり易い。一生懸命な姿勢が時に視野を狭くしてしまうものです。しかしリスナーは世に溢れる音楽を自由に楽しみ、その中で琵琶楽に接してくれるのです。オタクの感性で突き詰めても、この社会の中でどんな音楽として聴いてもらえるるのか、そこが判らなければマニアの域を出ることは出来ないし、結局琵琶で生活して行くことさえ出来ない。
この状況をどんどん変えて、琵琶がもっと日本の世の中に溢れ、世界に飛びだして行って欲しいな~~。その為にも琵琶人はもっともっと多くの音楽を聴き、勉強し、広い視野で、広い世界で活動して欲しい。流派や協会も結構だけれど、村の中に居ては琵琶の音は世に響かない。世界を舞台に活躍する琵琶人がもっと出て来て欲しいし、自分ももっと大きな世界でどんどん琵琶の音を響かせたい。

移りゆく琵琶の姿

この時期、秋の正倉院展に琵琶が出るかどうか、よく話題になりますね。そして雅楽では、あの正倉院の琵琶を全く改良せず今もそのまま使い続けている、という話もよく言われます。こんな所からも琵琶に関心が集まるというのは嬉しい事です。
私はレクチャーの機会がとても多いので、何時も琵琶楽の変遷をざっとお話ししているのですが、まだまだ琵琶=耳なし芳一という認識しかされていないのが残念です。是非もっと琵琶のことを知ってもらいたいし、琵琶人達にももっと認識を深くしてもらいたいものだと思っています。

正倉院この左のタイプは正倉院御物で有名ですが、現在ではもう使われていません。今使われているのは4弦のもので、いわゆる樂琵琶(下写真 作:熊澤滋夫)と呼ばれているものです。

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正倉院にはこの四弦のタイプと五弦のタイプがあります。四弦のこのタイプは現在までずっと糸巻も柱も全てが奈良平安時代と同じなのです。これは世界にも例の無い事例です。日本の一つの美学を感じますね。

しかし平安時代にはオリジナルタイプの樂琵琶も出てきます。現在平家琵琶と言われるサイズの小型のものが既に平安時代に出来上がっていたそうです。日本人の体格に合わせ小型化したのでしょう。こういうものが出来上がっていたからこそ、源氏物語に出て来るように女性の演奏者も数多くいたのでしょうね。
平安時代には既に琵琶法師が居たことが絵巻物などから確認されますが、それらの琵琶法師がどんなものを使っていたのかは定かではありません。既にこの時日本では小型の樂琵琶が生産されていたのか、はたまた大陸からもたらされた別種のものを手にしていたのか。その辺りは学者に研究をお任せするとして、少なくとも琵琶法師という存在が既にいて、且つ小型化された樂琵琶があったからこそ、鎌倉時代に入って平家語りというものが出来上がった事は間違いないですね。

では、何故雅楽ではあの大きな樂琵琶をそのまま使い、現在まで伝えられたのでしょうか。それは権力者の式楽として、権力に保護されて、権力の傍にずっとあった音楽だからとしか言えませんね。出来上がったものを変える必要が無いし、権威を保つためにもおいそれとは変えられないということでしょう。つまり世の中の変遷と共に在る、芸術・芸能とは全く違ったものとして存在していたということです。これが雅楽の特徴です。

heikebiwa5薦田先生所有の平家琵琶
鎌倉時代になると平家琵琶が登場しますが、この平家琵琶も柱の位置等、色々と時代によって変遷しています。楽器というものは時代の変遷、そして感性の変化に伴って、ふさわしい形に変わって行くのが、どの国に於いても常なのです。現在でも名古屋系の平家琵琶と仙台系のそれとは柱の位置、サワリ駒など違う点があります。
その後、近世後期になると薩摩で独自に琵琶樂が発展し薩摩琵琶となって行くのですが、もう既にこの時点で樂琵琶の美学や雅楽の様式・感性は、薩摩琵琶に何も受け継がれていません。理由は簡単。既に権力者の元を離れ、単に楽器として残り、音楽は伝えられなかったからです。琵琶はこの時点で市井に暮らす人々のものとなっていったのです。
薩摩琵琶は近代に入り発展して行きますが、幕末辺りの記録を見ますと薩摩琵琶の描写として、かなりそれ以前に在った盲僧琵琶に近いつくりをしていたという記録があります。つまりこの時点ではまだ現在の薩摩琵琶のような形は、はっきりと出来上がっていなかったということが判ります。

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永田錦心

薩摩琵琶が世間に知れるようになったのは、明治に西幸吉という方が東京に出て貴族達にコネクションを広げ、薩摩琵琶の存在を広めてからですが、この辺りから楽器の形も現在のそれになって行ったのでしょう。明治末期には、いつも私が書いている永田錦心師により錦心流が創始されましたから、新しい感性による新しいスタイルの確立で、弾き方や唄い方が変わって行きました。表面の形は同じでも、板の厚みや、撥の大きさなど、細部はどんどんと変わって行ったことと思います。正派と呼ばれる、幕末から続く一派の撥と錦心流の撥では厚みが違いますし、琵琶の鳴らし方自体が違います。

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水藤錦穣

そして昭和初期には水藤錦穣師によって五柱の錦琵琶が誕生します。ちょっと判りづらいですが、チューニングのやり方を変え、糸口を広げ、柱も五柱になって、更に四絃から五弦に改良されました。これは琵琶にとって大きな革命であり、またこの錦琵琶は女性の為の琵琶として開発されたというのが重要な点です。この五柱の琵琶のアイデアを出したのは師である永田だそうで、その後、水藤錦穰師の考案で五絃に改良したそうです。

錦菊水型そして水藤錦穰師の弟子であった鶴田錦史師によって更に柱の改良が行われました。糸口の形も水藤開発のものとは微妙に違っています。最初は柱は横に真っすぐでしたが、左の画像の柱は菊水型といって鶴田師の考案したものです。チューニングがどうしても合わないと感じた鶴田師は柱を互い違いにすることでその気持ち悪さを解消したのですが、音が合わないと感じた鶴田師の感性は、すでに現代の感性(つまりは洋楽的な感性)となっていたからこそ、「合わない」と感じたのでしょう。                                                       
しかしこの柱は結果的に普及しませんでした。それは柱を作るのが大変な事に加え、チューニングを合わせることも完全には出来ないからです。サワリの調整が出来る人なら判ると思いますが、柱をこのようにしたところで、やっぱり最後には柱を削ったりして音程の微妙な調整はしなくてはいけない。現在のように糸口側に段差を付け、互い違いにしてある方が、微妙な音程の調整はやり易いし、また楽器を作る上でも合理的なのです。現在鶴田流では1・2絃側と、3・4・5絃側の二つに分けて糸口の長さを削っています。私は、1・2絃側、3絃単独、4・5絃側の三つに分けて糸口の長さを調節してあります。

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塩高モデル 象牙レス糸口

第二次大戦後は、どんどん改良が進みます。先ず上記した、糸口でチューニングを合わせるための弦長及びサワリの位置の改良、そして半田淳子氏による第一柱の位置の変更がありました。普通の錦琵琶は、第一柱がドレミ的にはかなり中途半端な位置にあります。これを洋楽的な音程に近づくように位置を調整したのが半田氏です。この改良はその頃始まった邦楽器による合奏という現代邦楽の形態に於いては実に有効なものでした。しかし第二柱と第三柱の間が狭くなるので締め込みがしずらく、鶴田流でよく使われる第二中を締め込んで1全音上げるフレージングはちょっと厳しくなりますね。
また筑前ではありますが、同時期に田原順子氏によって、材質の変更がされました。それまで表版に桐を使っていた筑前琵琶に、薩摩琵琶と同じ桑を使いました。

その後田中之雄氏によって、一回り大きな田中モデルが作られます。これは基本的な考え方として従来の錦琵琶と同じなのですが、ちょうど柱一つ分ほど棹が長く、それに伴ってボディーもほんの少し大きくなっています、棹のにぎりの感じは従来のものとあまり変わりません。
その後に塩高モデルが出来上がりました。私のモデルは棹の作りもボディーの作りも従来のものや田中モデルとは随分変わっています。(この記事の後、上記写真のように2017年に完全な象牙レスになりました)

田中モデルがあくまで弾き語りを念頭に作られているのに比べ、塩高モデルは器楽を目的として作られていて、棹の太さや握り、ボディーの大きさ、転珍(ヘッド)の大きさ、絃高(柱と絃の間の事)等、その造りにはかなりの差があります。また使用する絃も太くなっていて、サワリも長くなるように調整されています。

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武満徹と鶴田錦史

このように琵琶はどんどんと改良され変化しています。現代人はドレミで子供の頃から教育されているので、知らない内に洋楽的な音程感覚を持っていますが、それは民謡でも雅楽でもかなりの影響が出て来ているように思います。そうした時代の感性の変化に従って琵琶の姿も変わって行ったのです。

今、琵琶楽は世の人々の生活に沿っているでしょうか。芸術音楽として次の時代を期待させてくれるような、ワクワクする音楽を創っているでしょうか。琵琶は確かに千年以上の歴史を持つ日本の伝統楽器ですが、それだけの歴史があるのなら尚更のこと、時代の最先端を行くものでもあって欲しい。でなければただの骨董品になってしまって、次の時代にあの妙なる音色をつなげることは出来ません。古典に胡坐をかいて権威にすり寄り、名前を振りかざし、過去をなぞるようになったらもうおしまい。古典を次の時代に聴かせるためにも旺盛な創造性が必要なのです。雅楽のように権威がバックについている音楽は別として、これはどの分野でも同じ事です。創造力が無ければ次世代の人の感性に訴える事が出来ません。

今、琵琶樂に携わる人の器と創造性が問われているのです。

次回の琵琶樂人倶楽部のお知らせ
第92回琵琶樂人倶楽部「SPレコードコンサート~永田錦心とその時代」

92回チラシ

8月16日(日) 

場所: 名曲喫茶ヴィオロン (JR阿佐ヶ谷駅北口 徒歩5分)
時間: 18時00分開演
料金: 1000円(コーヒー付き)
出演: 塩高和之(司会)

演目: 尼港の嵐(前半のみ) 小督 本能寺(以上永田錦心)
     宮城道雄「六段」 喜波貞子「美はしき天然」
     藤原義江「まちぼうけ」 三浦環「アロハ・オ・エ」
     奥田良三「ジョセランの子守歌」 宮内庁楽部「更衣」他 

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先日、久しぶりに尺八奏者グンナル・リンデルさんと会って、ゆっくり話をしてきました。

グンナルさんとは、10数年前、PANTA RHEI というコンビ名で演奏・レコーディング・ツアーと、とにかく沢山仕事をしました。楽しい日々でしたね。私は一人で演奏する事も多いですが、常に相棒が欠かせません。今は笛の大浦さんが音楽的な相棒ですが、以前はグンナルさんが正に相棒でした。彼は母国であるスウェーデンに帰り、ストックホルム大学に於いて日本学、特に中世日本文化の研究で活躍しています。ヨーロッパでは尺八奏者としても活動しているそうなので、是非またその内共演したいです。

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グンナルさんが参加した私の1stアルバム「Oriental eyes」2002年

グンナルさんはかなりいける口なので、ついつい杯を重ね、邦楽から仏教や神道、現代日本の風俗や社会等、とめどなく話が及びました。とにかく日本人以上に日本の文化を勉強し、勿論論文も日本語で書ける。だからとにかく話が尽きないのです。もうかなり前に、グンナルさんや筝のカーティス・パターソンさんと一緒に創ったCD「和」のライナーノーツも全てグンナルさんが日本語で書きました。
これまで尺八に関するかなり専門的な論文をいくつも書き、藝大にも彼の著作は収められています。その他、中世日本文化についての論文はいくつも書いているようで、現在は吉原文化に関する本を執筆中とのことです。全く持って恐れ入ります。

2013年に会った時。上野の居酒屋にて
彼のように言語は勿論のこと、歴史・宗教・芸能・風俗まで徹底的に勉強する人が居る反面、とうの日本人はどうでしょうね・・・?。琵琶でも二言目には「シルクロードから続く古の云々~」等と都合よく宣伝して、「古典だ、伝統だ」とキャッチコピーを付けながら近代に出来上がった薩摩琵琶を弾いている輩が多いですが、果して樂琵琶や平家琵琶は勉強しているのだろか・・・・?。
よく言われる事ですが、どうも日本人はオタク的に興味のある所は掘り下げるけれど、総合的に全体を見ることをしないですね。近代といえば近代ばかり、古代といえば古代ばかりのオタクさん達が多すぎると思うのは私だけでしょうか・・・?それにしても日本文化の素晴らしさを感じているのはもはや海外の人なのかもしれません。

グンナル 和CD
若き日、グンナルさん、筝のカーティス・パターソンらと一緒に創ったCD「和」。懐かしい限りです。

グンナルさんと10数年前から一貫して話し合っているのは、邦楽の感性や風情、つまり根本にあるものについてです。邦楽演奏家は、邦楽の魅力をどこまで感じているのだろう?と思わず思ってしまうことが多々あるのは、私もグンナルさんも同じです。
尺八や琵琶で、音を半音程変化させるような音が良く出てきますが(メリ・カリ・締め)それは音程が単に上がる下がるということでなは無いのです。音に陰影を付けているのです。その音には色々なものが表現され、正にその音こそ邦楽の音色であり、邦楽の感性が凝縮しているのです。メリカリや締める音色には滔々と流れる邦楽の歴史と文化が溢れているのです。そういう所を感じずにバラバラ弾いていても邦楽にはなりません。私はこのメリカリや締めの音を表現するのに、陰影という言葉の他に「色のうつろひ」とも言っています。色が淡くうつろって行く様と言っても良いかと思いますが、この色のうつろひ具合が感性そのものと言えます。間についても同じで、師匠と同じように0.1秒も変わらずに出来たからといって、そこに深い感性と文化が無ければ何も出て来ません。かえっておかしなものになってしまいます。

biwa iroiro私は日頃から短歌を作る事を勧めていますが、日々の中で目に映る事に対し、常に詩情を持って接する姿勢こそ邦楽の根本だと思っています。上手か下手かは別にして、四季によって移ろう自然の情景に想いを持ち、そこから言葉を紡ぎ、歌に表わして行くそんな意識と感性がなければ、メリ・カリ締めの陰影や色彩は何時まで経っても理解できず、ただ音を上げ下げしているだけです。あの一音にこそ、邦楽の姿があると言っても過言ではないでしょう。

だから常日頃から「この風土が無くては成り立たない」ということを何度も言うのです。先日も地元の神社の能楽堂でバリダンスをやっていましたが、形を真似ても風土が無ければその本質は描けません。異文化でも何でも、先ずは日本人としての感性がどれだけ豊かなのか、ということが問題です。その感性を持って異文化に接するからこそ相手の豊かな魅力を感じられるのであって、感性の無い人は、表面の目新しさに喜んでいるだけです。
この風土の中に生き、四季に想いを馳せ、日本の辿った歴史を古代から見つめ、悠久の歴史の中で琵琶という古から続く楽器と文化を我が身に抱くのです。オタク目線では到底捉える事は出来ません。知識も技術も、感性の前には全てがひれ伏すのです。

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グンナルさんと一緒に演奏していた頃 若いね~~~

いつも書いている宮城道雄や永田錦心は、次の時代を感じさせてくれました。それも強烈に!。しかしその根底には滔々と流れる日本の感性が溢れ、脈々と続く日本文化が流れていたのです。当時の若者は、そこにこそ希望を持ち心酔したのです。ただ
の賑やかしではすぐに飽きられます。そうではない本当の魅力を湛えたものだけが次の時代のスタンダードとなるのは当たり前のこと。宮城、永田には本当の魅力があったということです。
後に続く私達は何をすべきでしょうか。先人のやったものをなぞる事でしょうか。それとも先人の志をもって、たとて及ばずとも次世代が希望を抱き心酔するような音楽を創造する事ではないでしょうか。

たとえ遠く離れていても、同士とは話が尽きないのです。

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