今年は本当に多くの演奏会を頂いて嬉しい限りなのですが、ゆっくり琵琶を聞けるのはどの演奏会ですか?と聞かれることも多いので、これからの秋の演奏会の中からピックアップしてお知らせさせて頂きます。
私の独演会などもあるのですが、今月は静岡県の磐田市にあるシルクロードミュージアムという所でやりますので、ちょっと東京の方には遠いですね。薩摩と樂琵琶をたっぷり一人で弾くんですが・・・。関東圏で一番しっかり聞いて頂けるのは、11月7日の北鎌倉でやるReflectionsライブシリーズ「深みゆく秋を聴く」でしょうか。樂琵琶の演奏ですので、薩摩琵琶を聞きたい方には向かないのですが、第一部は古典雅楽や秘曲そして敦煌琵琶譜の復曲など古典ものをガッツリとやって、第二部ではシルクロードへと想いを馳せたオリジナルをたっぷりと弾きます。
北鎌倉古民家ミュージアム、シルクロードミュージアムの他は、レクチャーコンサートが3つ(和歌山アートキューブ・府中市民講座全3回の内2回)と新しい倍音楽器ポリゴノーラのシンポジウム&コンサート(近江楽堂)、琵琶の各流派代表が出演する演奏会(豊田能楽堂)など色々あるのですが、いずれも演奏は一部だけで演奏をしっかり聴きたい方にはちょっと向かないものが多く、なかなかどれをお勧めしたらいいか悩むところです。
また私は演奏しませんが、毎月定例の琵琶樂人倶楽部では、若手女流3人にそれぞれ演奏して頂くという企画をやります。私は企画側なので、司会進行を担当しますが、こちらも女流の琵琶楽を聞きたいという方にはお勧めです。
12月には紀尾井町の料亭「福田屋」さんでの独演会や、フラメンコギター・ウード・琵琶のトリオによる「弦流」の演奏会、俳優の伊藤哲哉さんと組んだ「方丈記」の朗読舞台などが入っておりますので、こちらのHPスケジュール欄をご参照ください
http://biwa-shiotaka.com/schedule
お問い合わせは orientaleyes40@yahoo.co.jp まで。
私は琵琶奏者には珍しく(というか他に居ないのですが)薩摩琵琶・樂琵琶の両方を弾きますし、演奏形態も実に様々で、オーケストラとやったり、フラメンコと一緒にやったり、デュオ・ソロ、そしてレクチャー等々とにかく幅広いのが私の特徴です。まあ演者というものはお客様の期待に応える部分と、期待を裏切る部分の両方が無いとプロとしてやっていけませんので、これは良いことだと思っていますが、琵琶=渋い弾き語りという耳なし芳一みたいなイメージを持って来られる方は、皆さんびっくりされますね。
とにかく毎回どんな演奏会でも常に圧倒的な高いレベルでいることです。雑な演奏は絶対にしない。それが演奏家の矜持というものです。リスナーは想像していたのと違うものを観せられると。それがハイレベルであればあるほどかえって強い興味を持ってくれるものです。何しろ予定調和というやつが一番芸術家にとって相性が良くないですね。同じ曲をやっても前とは違う魅力を出してくるのがプロであり、リスナーはそこを期待して聴きに来るのです。常に時と共に内面が変化し、そこを表現してこそ音楽に命が宿ります。単なるお上手な演奏にはそれが無い。だからまともなプロの演奏は何度聞いても、汲めども尽きぬ味わいがあるのです。邦楽でも琵琶でも衰退の原因は正にここです!。
そして演者は芯がぶれていないということが何よりも重要ですね。幅広く出来るのは結構ですが、何をやっても主義主張に一貫したものが無くては、かえって評価を下げます。商売とはいえやるべきでない仕事はやってはいけないのです。アーティストは色々な形でアピールしながら自分の世界を確実に伝えて行くのが仕事。自分がやることで満足しているようではいけません。それはただの個人的な充実感。伝わる所まで徹底してやる。これが私達の仕事です。
という訳で、こんなことを想いながらこれからも色々とやります。様々な場面で琵琶が活躍しますので、是非是非ご贔屓に。
秋の風情が気持ち良い季節となりました。芸術の秋ですね。
先日はお世話になったH氏の命日でした。今年は線香も上げに行かず、氏がよく行っていた店で舞台の先輩とゆっくり呑んで来ました。いつまでも想い出を語られるのは氏も暑苦しいでしょうし、私自身も卒業して行かなければいけないという想いもありましたので、あえて氏の仲間の皆さんにも連絡をしませんでした。後日皆さんとはゆっくり会いたいと思っています。
H氏がいつも弾いていた琵琶
氏は仲間から大変慕われた方でしたが、仲間達それぞれの人生を全うすることを常に願っていた方ですので、自分なりに生きて行くことが出来ていれば、それが一番の供養かな、とも思います。今の私の活動は氏の願った形ではないかもしれませんが、これが私のやり方であり、私なりに氏から受け継いだものを実践しているのではないかと勝手ながら思っています。
氏の記憶はこれからもずっと私の中に続いて行くことでしょう。そういう意味では「雨降りやまず」なのですが、もうその想いは悲しさや寂しさではなく、一つの記憶として私の中に残っています。またこれが一番良い形ではないかな、と思えるようになりました。
ポプリホールにて、フラメンコギターの日野先生と
人間は肉体を持ち、その肉体も年と共に老い、ついには空しくなってしまいます。それ故、肉体に囚われて生きているともいえるのが人間というもの。容姿を気にしたり、
病気に悩まされたり、自らの感情に振り回されたり・・・。まあキリが無い位幻想を抱え込んで生きている
のが人間です。勉強すればその知識に囚われ、肩書きをもらえばプライドに振り回され、自分を飾り、どこかに所属しているということで安心したり・・・、まあ本来の姿のままで生きて行けないのが現実ですね。
世の中は相も変わらずパワー主義がまかり通る世の中ですが、なるべく色々なものに囚われない本来の自分らしい生き方をしたいものです。なにものでもない一個人として、幻想の鎧はなるべく脱ぎ捨てて自分の人生を全うしたいですね。以前の私は様々な意識や、勘違いしたプライドにがんじがらめになって、結局その影響が肉体にも出始めていました。その頃氏に出会い、一つ一つをほぐされ今に導かれたのです。色々なことを教わりましたが、囚われないということがH氏から教わった一番大きな事でしたね。きっと氏も今頃こんな私を笑って見ている事でしょう。
昨夜はまたあの葬儀の日と同じく、雨の夜となりました。しかし今年の雨は悲しい雨ではなく、これまでの想いを乗り越え、新たな自
分の人生を歩むためのみそぎの雨のように、ゆっくりと我が身に降りかかりました。何事もそうですが、次のステップに進むには時間がかかります。私もやっと
ステップを一つ上ったようです。
すっかり秋になりましたね。先日の仲秋の名月・スーパームーンは久しぶりにゆったりとした気分になりました。
この所、毎日「忙しい忙しい」とのたまっておりますが、こういう時にはかえって隙間を見つける勘が働くようで、Metのアンコール上映の最後に滑り込んで「マクベス」を観て来ました。気分のリフレッシュということは勿論ですが、芸術的な刺激は心身ともに栄養をたっぷり注がれた感じで、色々なものにやる気が湧いてきます。
今季の配役は、マクベス役にジェリコ・ルチッチ、マクベス夫人役に今絶好調のアンナ・ネトレプコ、バンクォー役にルネ・ペーパというオールスターキャスト。見ごたえのある作品でした。
とにかくネトレプコは今絶好調ですね。凄い勢いを感じます。何年か前から観てきましたが、どんどんと上り坂を上がっている感じで、その弾けっぷりは半端ではないですね。メゾのジョイス・ディドナートも今が旬ですが、タイプが全く違っていて、この違いも面白い。こういう幅の広さがMetですね。このマクベス夫人はネトレプコのキャラにぴったりでした。
Metで主役を張る人は、言い換えれば世界の一流の仲間入りをしたとも言えるかと思いますが、その中でもこれはと思う人は必ず現代オペラを代表する世界の超一流になって行きますね。以前ブログにも書いたウクライナ出身のルドミラ・モナルティルスカなどもMet初出演で「アイーダ」の主役を張っていましたが、まだ英語もおぼつかないような無名の新人ながら既に舞台度胸といい、PPPからFFFまで柔軟にコントロールするハイレベルの技量は目を見張るものがありました。あれから数年を経て、今や世界を舞台に活躍している姿を見ると、何だか嬉しくなってしまいます。英国ロイヤルオペラ来日公演では、ネトレプコと同じマクベス夫人を務めたのが記憶に新しいです。さすがにMet。こういう新人は逃さないですね。
日々色々なものから多くの刺激を頂いているのですが、オペラからの刺激程大きなものはないですね。音楽家としての姿勢や演奏技術に対する厳しさ、
舞台を創り上げて行く創造性、世界に向けられた視線等々、音楽を生業としている私にとって、これほど多くの示唆を与えてくれるものはありません。世界の超一流の舞台で、人生の全てをかけてしのぎを削るからこそ、トップレベルのものが生み出される。これが音楽家として生きる姿なんだと、いつも感心しきりです。知り合いのメゾソプラノの方は食事から日常生活の態度まですべてを歌の為にコントロールして舞台に臨んでいます。それ位でなければレベルは維持できないのでしょう。
こうした舞台を観て、音楽を人生としている方々と接していると、同じ音楽家として、自分が人生をかけて行くものは何か、という問いかけが常に自分自身に向けられます。私は器楽としての琵琶楽を確立したい。それが自分の人生をかけるものであり、進むべき道です。その為に日々を生きている。そしてやればやるほど自分の行くべき所に特化して行きたいという想いが強くなります。
これからまた色々な活動を展開して行こうと思っていますが、自分の行くべき道を突き進みたいです。もう余計なものをやる訳にはいかない。たとえ小さな舞台であっても、納得出来る仕事をして行きたいのです。
是非邦楽もかつて永田錦心が願ったように、世界の人に多くの魅力と刺激を与える芸術音楽であって欲しいですね。
先日箱根岡田美術館での演奏も終わり、のんびりしたい所ですが、次々と迫る演奏会の準備とレクチャーのレジュメ書きに追われ、ゆったり気分は無いのですね。しかしこれも演奏家として有難いこと。どんどんやって行きますよ!。この秋はちょっと面白い演奏会が目白押しですので先ずはご紹介です。
27日に鶴川にある和光大学ポプリホールという所でフラメンコギターの師匠でもある日野道生先生と演奏します。日野先生と組んだ演奏も今回で二回目なのですが、このシリーズがこれから発展して、ウードの常味裕司さんも加えトリオで演奏会をやって行くことになりました。
スケジュールは
10月27日 和光大学ポプリホール(日野・塩高) 14時開演
11月19日 西荻窪 音や金時(日野・常味・塩高)19時30分開演
12月25日 参宮橋 リブロホール(日野・常味・塩高)19時30分開演
題して「弦流」という名前でやる事になりました。
ペルシャ辺りから始まった弦の流れが西に行ってギターと成り、東に行って琵琶となった事を考えると実に面白い組み合わせだと思います。両先輩は20年前からよく一緒にやっていたようなのです。私は初めてですのでどこまで追いついて行けるか判りませんが、是非内容の高いものをやって行きたいものです。
この秋は浜松のシルクロードミュージアムでのソロ公演も来月ありますし、来月末には豊田能楽堂にて、琵琶の諸先輩と琵琶楽の様々なスタイルを披露する興味深い会もあります。是非是非お越しくださいませ。
こうした繋がりはとても興味深いのです。私は元々シルクロードオタクではあるのですが、正にシルクロードが繋ぐ出会いだと思っています。やはり自由に動き回っていると色々な出会いに恵まれますね。
ダンサーのヤンジャさんと
舞台に立つとは正にコミュニケーションを持つということ。今まで出会わなかった人と出会うことだと私は思っています。フラメンコギター、ウード、琵琶という稀有な出会いは、私が常に舞台で活動しているからこその賜物だと思っています。上の写真はダンサーのヤンジャさんと2008年に横浜のZAIMでやったパフォーマンスですが、こんな試みが人を呼び、今まで琵琶を聞いたことのない多くの人達と繋がりました。こういう活動もどんどんやって行きたいと思います。
少なくとも関係者やお弟子さん、知り合いに招待券をばらまいてご祝儀を頂くような事はやりたくないですね。そんな邦楽会の満席の会場を見ると何とも寂しい気持ちになります。ドメスティックな視野と感性は音楽と正反対なもの。音楽家は常に感性が外に開かれていなければ、いつまで経ってもお稽古事の域を越えられません。リスナーとも共演者とも色々な人と繋がって行くべきだと思っています。自分が演奏して満足するのではなく、音楽を届け、愛を語り、多くの人達と分かち合うのが音楽家というものではないでしょうか。
この秋は面白い仕事がいくつも続いています。とにかく良い仕事をどんどんとして行きたいですね。それが私に与えられた仕事だと思います。
先日3日間に渡り、箱根小涌谷の岡田美術館にて「今甦る古の音色~琵琶で語る平家物語」と題した演奏会をやってきました。
岡田美術館 http://www.okada-museum.com/
この辺りは国立公園になっているせいか、樹木も勝手に切っていけないような条例があるそうで、色々な木が溢れ、山の風情が自然で気持ち良いのです。箱根は色々な美術館がありますが、この岡田美術館が出来たことで、正に美の山になりましたね。岡田美術館はまだまだ開館して間もないのですが、その規模は驚くべきものがあります。収蔵品は質、量共に本当に素晴らしく、ここはこれから東洋美術コレクションの世界的中心基地になって行くだろうと感じさせるに充分な美術館です。お勧めですよ。
過去の作品のコレクションもさることながら、若手の作品も色々とあります。中でも「風・刻(かぜ・とき)」という、福井江太郎氏により風神雷神図を創造的復元をされた、横幅30メートルにも及ぶ巨大な壁画作品が有名です。今回は、初日が2階に展示されている尾形光琳の大作「菊図屏風」の前で演奏、2日目と3日目はその風神雷神図を背にして野外で演奏してきました。


箱根は、以前にも「やまぼうし」というギャラリースペースで何度か演奏させて頂きました。その時はなかなかゆっくり箱根を満喫する余裕も無かったのですが、今回は3泊して箱根の山の風情や食事も満喫させてもらいました。小田原からも近いので海の幸も豊富ですし、空気も良いし、ぜひまた行ってみたいですね。
今回も共演は何時もの相棒、笛の大浦典子さんでしたが、もしまた機会があったら、次は樂琵琶も持って行って雅Reflectionsコンビで雅楽も演奏してみたいです。
芸術には先ず何よりもまず感性ありきです。そして感性を育むのが風土、この風土から感性が生まれ芸術が花開くのです。更に芸術を育てるのが社会です。宗教や政治も大きく芸術の発展に関わっていますし、環境ということも大事です。経済的なバックボーンも勿論大いに必要です。しかし現代では皆がエンタテイメントになってしまい、売れないものには手を出さないようになり、芸術に対するスポンサーという存在が少なくなってしまいましたね。大変残念です。
こんな時代にあって、岡田美術館には芸術を支えて行く要素がしっかりと揃っていて、人的レベルも高い。本当に次世代の芸術の為に必要な要素が溢れていると感じました。
近代からの邦楽は流派や協会、連盟等組織を作ってやるようになりました。能や長唄など長い歴史のあるものは、流派や組織というものの内に大きな知識・経験・知性・見識等が家に蓄積されていると思いますが、明治以降の新興の邦楽は今大きな節目を迎えていると思います。
戦後は特に、○○連盟や○○会等という形で現代邦楽の活動が始まりましたが、同志が集まり演奏会を開くところで終わってしまっている。社会の中に入っていけてない。これでは自己満足以上にはならず、いつまでもドメスティックな視線から抜け出せないと思うのは私だけでしょうか。
琵琶のような独奏楽器は常に単独で動き、自分の力で多くの人と繋がって行くのが自然な形だと私は思います。
とにかく大きな視野を持ち、世界に目を向けて行かないと、何時まで経っても珍しい以上の認識は得られず、衰退して行くばかり。お稽古事を脱する事は出来ません。邦楽に携る我々は意識そのものを変えるべき時に来ていると思います。
さわやかな箱根に渡る風を身に受け、岡田美術館の在り方を目の当たりにして、あらためて自分の方向性を考えさせられました。