二次元の音色

先日近江楽堂にて「ポリゴノーラシンポジウム&コンサート」をやってきました。

ポリゴノーラ

ポリゴノーラとは植物が熟す過程の研究から生まれた新しい楽器のこと。

HPは http://oto-circle.jp/

先ずは灰野敬二さんの以前のパフォーマンスをご覧いただきたい!

 

円盤又は三角の形をした打楽器で、整数倍音ではない非整数倍音を奏でる新しい楽器です。この楽器を作ったのは広島大学教授の物理学者(専門は植物生理学)桜井直樹先生。スイカが熟す時に、叩いて音を確かめて行くと、その音程がガムランの音程のようだ、という発見から、このポリゴノーラが生まれました。
昨年辺りからこの楽器を世に紹介したいということで、桜井教授の妹である、桜井真樹子さんを通じて私や灰野さんらとやり取りを初めて、私が琵琶研究の薦田先生、尺八の田中君などを紹介し、その他様々な分野の専門家が集まり、今年から研究会を立ち上げ今回の発表に至りました。私はポリゴノーラを使った新作をポリゴノーラ・尺八と共に演奏したのですが、全体を通し、演奏、シンポジウム共に面白い展開となりました。
そして今回は何と言ってもメンバーが凄い!。なかなかこれだけのメンバーは集められません。

櫻井直樹 ポリゴノーラ開発者 物理学者
高橋悠治 音楽家
小沼純一 音楽評論家
薦田治子 音楽学者
一ノ瀬トニカ 作曲家
神田佳子 打楽器奏者
稲野珠緒 打楽器奏者
塩高和之 琵琶奏者
灰野敬二 音楽家
田中黎山 尺八奏者
櫻井真樹子 音楽家

ちょっとびっくりのメンバーですね。高橋悠治さんとは初めてお会いしましたが、ラストのワークショップの時に色々とお話しさせて頂き、嬉しかったです。この他にもスティールパンの製作者 園部良さん、物理学者 小方厚さん、同じく物理学者 秋元秀美さん等がコアメンバーとして、この発表に関わりました。

私は、ポリゴノーラ:灰野敬二さん、尺八:田中黎山君と演奏しました。さすがの灰野さん。なかなかの弾けっぷりで、演奏に潤いと命を与えてくれました。灰野さんとはギター関係の話でも何かと合いますし、これからも色々と組んでいくことになりそうです。また面白くなりそうです。

こうした新しい試みは実に面白い。それに今回は各分野のトップレベルの方々が集った事がレベルをぐんと上げましたね。琵琶奏者としてこういう所に食い込んで行けることが嬉しいですし、琵琶にもまだまだ可能性が十二分にあるということが改めて感じられます。
琵琶楽の研究者である薦田治子先生ともじっくりと話をしましたが、琵琶人はもっともっと色々な因習から解放されるべきだし、正しい歴史も認識すべきです。琵琶というものを素直な目で見る、そんな感性が今こそ必要です。そうしたことがレベルの向上につながり、あらゆる分野に琵琶が浸透して行くのだと思います。弾き語りしかやらない、認めないなどという視野や感性がいかに狭く、世の中からずれてるか、もういい加減に判らなくては。
今後琵琶楽を次世代に継承して行くためには創造が無ければただの保存になってしまいます。創造する力が琵琶樂全体を正しく認識する力になり、次世代に琵琶の響きを伝えることが出来るのです。創造と継承の両輪のバランスこそ今の琵琶楽に問われているのではないでしょうか。

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これからやりたいことがいっぱいあります。樂琵琶では敦煌琵琶譜を勉強してみたいし、平曲ももう少し突っ込んでやってみたい。そして薩摩琵琶に於いては、いつも書いているように器楽的な発展が何よりも第一の目的ですが、唄に関しても新たな節付けを考えたいと思っています。平曲は勿論、長唄や謡曲などとても豊かな節があることを思うと、薩摩琵琶の歌の部分ももっと発展して行くのではないかと思っています。ただこれだけの事をやれる時間が私にあるかどうかは判りませんが・・・。

音楽の可能性をあらためて感じた一日でした。

次代を担う奏者達2015

先日、第94回琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達Ⅲ」をやってきました。今回は若手女流演奏家3人をゲストに迎え、大変華やかな演奏をして頂きました。

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演奏してくれたのは左から、平野多美恵さん(筑前琵琶)、藤高理恵子さん(筑前琵琶)、青山藍子さん(薩摩五弦琵琶)のお三方。それぞれのスタイルを持ち、それぞれの考え方で琵琶に取り組んでいる姿がさわやかでした。3人共すでに活動を色々とやっているし、方向性も見えて来ているようなので、今後の活躍が楽しみです。

琵琶樂には市場というものが無いので、仕事は待っていても来ません。プロとしてやっていくためには作品作りは何よりも第一ですが、それを世に出して行く術を身に付けない限り、お教室の先生で終わってしまいます。世に出なければ評価もされないし、収入も得られない。またレベルも上がらない。だからマーケティングやプロデュースということもプロとしての大事な活動なのです。自分の音楽をどうやったら世の中に響かせることが出来るか。ここを考え、実践し、且つレベルの高い音楽をやれる人だけがプロとしてやっていける。その他はただのお師匠さん。「上手」などとという言葉はプロへの評価ではありません。お稽古事への評価です。厳しいですがこれが現実です。こんな状況の中で彼女たちがどんな形で今後琵琶を世に響かせてゆくか楽しみですね。期待しています。

この日は、田原順子さんなどベテラン勢も駆けつけてくれて、終わってからの打ち上げもかなりの盛り上がりでした。

流派や世代に関係なく、こうして集うことが出来るのは琵琶樂人倶楽部ならでは。これからも次代を担う若手をどんどんと紹介して行きたいと思っています。シリーズ第二回目に出演してくれた我らが愛子姐さんも勿論合流。姐さん憧れの田原順子さんと感激の対面だったようです。

私に与えられた道は琵琶を演奏するだけでなく、多くの人に琵琶楽の魅力を伝えること。派閥や流派、格など小賢しい村意識に留まることなく、素晴らしいものを世に伝えるのが私の道です。そういう意味でも田原さんや、琵琶樂人倶楽部を一緒にやっている古澤月心さん等、垣根無く大きな懐を持っている先輩方々とつながって行くのは当たり前のことだと思います。志を同じくする人とはどんどんと繋がって行きたいですね。
来年は100回目を迎えるのでまた何か企画したいと思っています。我が道は果てしないのです。

創るということ2015

外はもう肌寒いような秋の風が吹いて来ましたね。季節の移り変わりは早いものです。最近では世の中の動向も刻一刻と変わり、体も感性が追い付いていきません。

府中市民講座1

とはいえ、私はまだ演奏会シーズンの真っただ中。昨日は府中市生涯学習センターでの講座をやってまいりました。お題は「琵琶が奏でた日本の心」。3回シリーズの第一回目で、古代・平安時代を話させて頂きました。
私は学者ではないので、あくまで琵琶楽を広く紹介するということに徹していまして、あまり学術的な文献やら写真やらを示すより、もっとロマンを掻き立てるようなお話を心がけています。勿論演奏も途中にはさみながらやって行きますので、ご興味のある方は第2回、3回に是非お越しください。
第二回 10月23日 中世~近世Ⅰ
第三回 11月 6日 近世Ⅱ~近代~現代
共に14時開演です。

2015年の会2015年の会レクチャーコンサート 於:如水会館
私は琵琶の演奏活動をしたすぐから、レクチャーにもかなり力を入れて来ました。最初は色々な大学での公開講座・特別講座ばかりでしたが、最近は美術館や寺社関係のイベント、今回のような市民講座等色々な場面に呼ばれることが多くなりました。毎月の琵琶樂人倶楽部もその一環なのですが、私自身がレクチャーをやりながら勉強しているとも言えますね。
琵琶を始めた頃、相対的に琵琶楽の全体像を語る人がほとんど居なかったのが私には不思議でした。琵琶奏者自体も、自分の流派以外を聞こうともしない。そんな姿にも疑問がありました。これだけ長い歴史があり、日本の文化の底辺を支えてきたものになのに、樂琵琶・平家琵琶・薩摩筑前琵琶は全くバラバラで語られ、大層な伝説みたいなものだけしかなく、その歴史に音楽学的な視線が向けられてこなかったのはおかしい。ならば私のやり方でやろう!という訳です。

日本人はすぐに感覚だけでものを測ろうとします。「なんとなく良い」とか「いいものはいい、理由は無いんだ」などと言って仲間と頷き合って喜んでいる。こういう論理性の欠如は小さな村社会では通用しても、大きな世界では通用しません。訳の分からないお友達同士の感覚としか映らない。
邦楽や琵琶が世の中から取り残され、絶滅危惧種と呼ばれるのは、こういうドメスティックなお友達感覚が原因だと誰もが判っていながらそれを止めなかった。大正や昭和に出来た曲でも、流派の曲は何でも「古典である」と言ってはばからない。戦後成立した流派も、「古典」ということをことさらに口にする。他のジャンルからすれば笑いものにもなりかねないような事を、仲間内感覚でずっとやってきてしまった。それはかえって視野の狭さ、認識の低さを自ら露呈しているようなものです。つまり衰退するにはそれ相応のことがあったということです。
比較文化論、歴史の考察、楽曲に対する新たな視点の発見など、やるべきことは多々あると思います。今後の琵琶界の姿勢と器が問われますね。

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薩摩筑前の新しい近代の琵琶楽は、これから社会の中に存在を示し古典になって行くかどうかの瀬戸際にあります。下手をすると明清楽のようになりかねない。クラシック、ジャズ、ロック、ポップス、各国の民族音楽などあらゆる音楽が溢れている現代社会に於いて、100年あるいはまだ50年にも満たない歴史しかない琵琶楽を、本当に日本の古典音楽として、次世代に受け継がせていきたいのか、どうか・・・・?。現状で良い訳がありません。

幸いここ10年程、琵琶楽研究の薦田治子先生がしっかり文献を挙げて、その歴史を解き明かす活動を展開しているので、若い研究者も少しづつ出て来て良い傾向にあると思います。しかし演奏家が付いてきてないですね。自分の流派が一番みたいな感覚の方が多過ぎます。演奏家の方もドメスティックな視線でなく、是非その目を外に向けて頂きたいものです。

11-s歴史のあるものを先の時代へと繋いでゆくには、先ずその歴史を知らなくては先に進むことは出来ません。バッハもベルトークも、マイルスもジミヘンも宮城道雄も永田錦心も鶴田錦史も皆過去をしっかりと認識する事で新たな時代を切り開いていったのです。ちょっとアイデアのある人は居るでしょう、しかし過去を見ずして作り上げたものが後の世に続いた試しはないのです。
過去の歴史を知り、冷静な目を持って全体を見つめるからこそ、そこを土台とし、または否定したりして創造という行為が生まれるのです。硬直した小さな村社会の感覚では、「創造」が出来ないのは当たり前なのです。

技術もまたしかり。ヴィジョンもなく、やりたいものも判らず、教科書通りに上手に弾けても、そこに創造は無いのです。何かを創造するために、それをやり遂げる為に技術を磨くのであって、目的も無く、言われた通りに弾けても意味は無い。それは単なるお稽古事の上達でしかない。何よりも先ずは創造ありき。その創造を成就するために、歴史をひも解き、知識を我がものとして知性を育み、形を成す為に必要な技術を考え磨く、こういう姿勢なくして創造はありえないし、まして次世代に受け継がせることなど出来ません。

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私の器でどこまで出来るかは判りません。他の人はまた其々の考え方があるでしょう。しかしこうした日本文化を創ってきた琵琶楽の歴史への考察無くして「琵琶を弾いています」などと言うことは私には考えられません。これだけ日本の歴史に深くかかわってきた琵琶に携わる以上、出来るものはどんどんとやらない訳にはいかないし、私は及ばずながら、日本文化の最先端でありたいと思うのです。勉強も精進も果てしないですが、自分のペースでじっくりと取り組むのが私の人生に与えられた道だと思っています。

さて、明日から和歌山で演奏会、14日は琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達Ⅲ」若手女流の共演(私は司会役)。週末は近江楽堂にてポリゴノーラシンポジウム&コンサートです。
今年の秋はお休みが出来ないですね。ありがたいことです。

秋の演奏会色々2015-Ⅱ

今年は本当に多くの演奏会を頂いて嬉しい限りなのですが、ゆっくり琵琶を聞けるのはどの演奏会ですか?と聞かれることも多いので、これからの秋の演奏会の中からピックアップしてお知らせさせて頂きます。

私の独演会などもあるのですが、今月は静岡県の磐田市にあるシルクロードミュージアムという所でやりますので、ちょっと東京の方には遠いですね。薩摩と樂琵琶をたっぷり一人で弾くんですが・・・。関東圏で一番しっかり聞いて頂けるのは、11月7日の北鎌倉でやるReflectionsライブシリーズ「深みゆく秋を聴く」でしょうか。樂琵琶の演奏ですので、薩摩琵琶を聞きたい方には向かないのですが、第一部は古典雅楽や秘曲そして敦煌琵琶譜の復曲など古典ものをガッツリとやって、第二部ではシルクロードへと想いを馳せたオリジナルをたっぷりと弾きます。

2015古民家

北鎌倉古民家ミュージアム、シルクロードミュージアムの他は、レクチャーコンサートが3つ(和歌山アートキューブ・府中市民講座全3回の内2回)と新しい倍音楽器ポリゴノーラのシンポジウム&コンサート(近江楽堂)、琵琶の各流派代表が出演する演奏会(豊田能楽堂)など色々あるのですが、いずれも演奏は一部だけで演奏をしっかり聴きたい方にはちょっと向かないものが多く、なかなかどれをお勧めしたらいいか悩むところです。
また私は演奏しませんが、毎月定例の琵琶樂人倶楽部では、若手女流3人にそれぞれ演奏して頂くという企画をやります。私は企画側なので、司会進行を担当しますが、こちらも女流の琵琶楽を聞きたいという方にはお勧めです。
12月には紀尾井町の料亭「福田屋」さんでの独演会や、フラメンコギター・ウード・琵琶のトリオによる「弦流」の演奏会、俳優の伊藤哲哉さんと組んだ「方丈記」の朗読舞台などが入っておりますので、こちらのHPスケジュール欄をご参照ください

http://biwa-shiotaka.com/schedule
お問い合わせは orientaleyes40@yahoo.co.jp まで。

1私は琵琶奏者には珍しく(というか他に居ないのですが)薩摩琵琶・樂琵琶の両方を弾きますし、演奏形態も実に様々で、オーケストラとやったり、フラメンコと一緒にやったり、デュオ・ソロ、そしてレクチャー等々とにかく幅広いのが私の特徴です。まあ演者というものはお客様の期待に応える部分と、期待を裏切る部分の両方が無いとプロとしてやっていけませんので、これは良いことだと思っていますが、琵琶=渋い弾き語りという耳なし芳一みたいなイメージを持って来られる方は、皆さんびっくりされますね。

とにかく毎回どんな演奏会でも常に圧倒的な高いレベルでいることです。雑な演奏は絶対にしない。それが演奏家の矜持というものです。リスナーは想像していたのと違うものを観せられると。それがハイレベルであればあるほどかえって強い興味を持ってくれるものです。何しろ予定調和というやつが一番芸術家にとって相性が良くないですね。同じ曲をやっても前とは違う魅力を出してくるのがプロであり、リスナーはそこを期待して聴きに来るのです。常に時と共に内面が変化し、そこを表現してこそ音楽に命が宿ります。単なるお上手な演奏にはそれが無い。だからまともなプロの演奏は何度聞いても、汲めども尽きぬ味わいがあるのです。邦楽でも琵琶でも衰退の原因は正にここです!。

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そして演者は芯がぶれていないということが何よりも重要ですね。幅広く出来るのは結構ですが、何をやっても主義主張に一貫したものが無くては、かえって評価を下げます。商売とはいえやるべきでない仕事はやってはいけないのです。アーティストは色々な形でアピールしながら自分の世界を確実に伝えて行くのが仕事。自分がやることで満足しているようではいけません。それはただの個人的な充実感。伝わる所まで徹底してやる。これが私達の仕事です。

という訳で、こんなことを想いながらこれからも色々とやります。様々な場面で琵琶が活躍しますので、是非是非ご贔屓に。

雨降りやまず2015

秋の風情が気持ち良い季節となりました。芸術の秋ですね。

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箱根の山

先日はお世話になったH氏の命日でした。今年は線香も上げに行かず、氏がよく行っていた店で舞台の先輩とゆっくり呑んで来ました。いつまでも想い出を語られるのは氏も暑苦しいでしょうし、私自身も卒業して行かなければいけないという想いもありましたので、あえて氏の仲間の皆さんにも連絡をしませんでした。後日皆さんとはゆっくり会いたいと思っています。

seingakubiwaH氏がいつも弾いていた琵琶
氏は仲間から大変慕われた方でしたが、仲間達それぞれの人生を全うすることを常に願っていた方ですので、自分なりに生きて行くことが出来ていれば、それが一番の供養かな、とも思います。今の私の活動は氏の願った形ではないかもしれませんが、これが私のやり方であり、私なりに氏から受け継いだものを実践しているのではないかと勝手ながら思っています。
氏の記憶はこれからもずっと私の中に続いて行くことでしょう。そういう意味では「雨降りやまず」なのですが、もうその想いは悲しさや寂しさではなく、一つの記憶として私の中に残っています。またこれが一番良い形ではないかな、と思えるようになりました。

ポプリホールにて、フラメンコギターの日野先生と


人間は肉体を持ち、その肉体も年と共に老い、ついには空しくなってしまいます。それ故、肉体に囚われて生きているともいえるのが人間というもの。容姿を気にしたり、
病気に悩まされたり、自らの感情に振り回されたり・・・。まあキリが無い位幻想を抱え込んで生きている
のが人間です。勉強すればその知識に囚われ、肩書きをもらえばプライドに振り回され、自分を飾り、どこかに所属しているということで安心したり・・・、まあ本来の姿のままで生きて行けないのが現実ですね。
世の中は相も変わらずパワー主義がまかり通る世の中ですが、なるべく色々なものに囚われない本来の自分らしい生き方をしたいものです。なにものでもない一個人として、幻想の鎧はなるべく脱ぎ捨てて自分の人生を全うしたいですね。以前の私は様々な意識や、勘違いしたプライドにがんじがらめになって、結局その影響が肉体にも出始めていました。その頃氏に出会い、一つ一つをほぐされ今に導かれたのです。色々なことを教わりましたが、囚われないということがH氏から教わった一番大きな事でしたね。きっと氏も今頃こんな私を笑って見ている事でしょう。

出雲崎2

昨夜はまたあの葬儀の日と同じく、雨の夜となりました。しかし今年の雨は悲しい雨ではなく、これまでの想いを乗り越え、新たな自
分の人生を歩むためのみそぎの雨のように、ゆっくりと我が身に降りかかりました。何事もそうですが、次のステップに進むには時間がかかります。私もやっと
ステップを一つ上ったようです。

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