先日は滋賀彦根の還相寺さんにて、土曜の夜にライブ、そして日曜に親鸞聖人750回御忌法要で雅楽の演奏をしてきました。


近江は琵琶の糸を作っている木之本町などもあり、プライベートでも色々観て周ったことがあるのですが、ありがたいことに、ここ数年演奏で呼ばれるようになって御縁が深くなっています。近江は土地の雰囲気も人柄も皆さんとても穏やかで、深い歴史を感じながら気持ちがゆったり出来る素晴らしい所。ここには都会のあの刺さって来るかのような緊張感威圧感がないのです。東京に居ると常に何かに警戒しているようなストレスを自分でも判らない内に抱えてしまっているのでしょうね。いつしか疲れている自分に気づくことが、最近多くなりました。
年の内何回かは、こういう心穏やかに過ごせる所を周って演奏して行きたいものです。
さて、明日10日は「秘曲で語る平成絵巻 方丈記」の公演が相模原南市民ホールであります。キャパ400名程の小さなホールでありますが、ありがたいことにチケットはSOLD OUTだそうです。この公演もすでに3回目。今月末にも神戸の兵庫県芸術文センターホールであるのですが、もう何回か上演の機会があるような気がします。今年は鴨長明没後800年でもありますし・・・。ぜひやりたいです!!
毎日演奏会やリハーサルで飛び回っていると、だんだん気分が乗って来るのですが、前ばかり見ていると、ギラギラした風情になってしまうものです。まあそれがオーラとも言えますが、本物のベテランはあらゆる所に気が巡り、且つ留まっていない。いわゆる余裕がある。だから風情もふわりとして、相手に威圧感を与えないのです。ギラついた視線はどうしても相手を警戒させ、相手に一つの先入観を抱かせてしまうものですが、そうすると音楽も構えて聴くようになってしまいます。そしてまた自分自身もそのギラついた前方向の視点に囚われて、風情も音楽も小さくなってしまうのです。
常にふわりとした、構えを感じさせない自然体でありたいと思っていますが、なかなか難しいですね。自己顕示欲の塊のようになっては、音楽が押しつけがましく、包み込むような大きさが出て来ない。またそういう姿の演奏家の硬直した視線と風情が、私にはとてもいやらしいもの見えてしまうのです。これではとても「愛を語り届ける」ことは出来ません。色々な感性を持った方が聴いてくれるのだから、そういう人々を先ずは受け入れ、聴いてもらうという姿勢でいなくては活動が成立しません。けっして聴かせるのではないのです。
私は不器用なたちなので、普段から音楽以外の世界に接っすることで、音楽以外の所から、客観的に我が身を観て多くの気付きも得るようにしています。世の中には深い世界を持ったものが沢山あるし、日本古来のものには特にそういうものを感じます(形骸化して本質を失っているものも少なくないですが)。そんな世界を近くに感じていると、私の世界が広がり、思考が柔軟になり、音楽もより自分に近いものへと確実に変わって行くのを感じます。
方丈記リハーサル風景
それにしても年がいけは行くほどに、学ぶものが沢山ある事に気が付きますね。もうひたすら自分のペースで取り組んで行くしかないです。とにかくこれからも納得のゆくものをやって行きたいし、舞台に掛けたい。まだまだ道遥かなのです。
今後のスケジュール
6月12日 Mjamラストライブ。15年間お世話になりました。 於:新宿医大通りノアノア
6月15日 琵琶樂人倶楽部「器楽としての琵琶」
6月16日 日本橋富沢町樂琵会「現代の琵琶楽」
6月18日 「狂言を語る 謡曲を語る」於:広尾 東光寺
6月19日 琵琶樂人倶楽部開催100回記念演奏会 参宮橋リブロホール
6月27日 北大路魯山人の窯を受け継いだ河村喜史さん(其中窯)のサロンにて演奏会
6月30日 兵庫県芸術文化センターホール「秘曲で語る平成絵巻方丈記」
7月2日 京都桃山のサロン ラ・ネージュにて、朗読家の馬場精子さんとの共演」
7月9日 「旋律の泉を訪ねる」石川県白山の望岳苑
7月13日 琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶で語る平家物語」
7月16日 フラメンコギターリスト日野道生先生との共演 於:経堂マレット
沢山のお仕事を頂いて嬉しい限りですが、ただこなすのではなく、一つ一つ柔軟な視線と姿勢を持って良い仕事をして行く、ただそれだけですね。是非是非ご贔屓に
この所ずっと忙しくしていて、オペラやバレエ等ゆっくり鑑賞する時間も余裕も無かったのですが、やっと一段落ついて、久しぶりにMetを堪能してきました。
今回観たのはドニゼッティの「ロベルト・デヴェリュー」。話はイギリスのチューダー王朝の女王3部作の一つで、以前このブログでも書いた、ジョイス・ディドナートが主演した「マリア・ストゥアルダ」もその一つ。今回はエリザベス女王の物語です。ディドナートも超の付く貫録の舞台でしたが、今回も負けず劣らず凄まじい圧巻の舞台でした。久しぶりにガツンと楽しみました!!。
先ず今回は出演者がばっちり私好みなのです。先ずは大のお気に入り、エリーナ・ガランチャ。
数年前にこの人のカルメンを観た時からもうやられっぱなしで、若手のメゾでは一番のお気に入りです。ズボン役も結構多く、役者としても他に無い独自の魅力を持っています。歌唱の方も年々充実してきているようで、聞く度に迫力を感じるようになりました。今回の役柄も表情といい、歌といいとても充実していて、益々魅力が溢れて行くようでしたね。メゾではディドナートの次を狙う存在として、何といってもこのガランチャが一押しなのですよ!。
そしてタイトルにもなっているロベルト役のマシュー・ポレンザーニ。彼も以前Metで観て、その声にグググっと惹かれました。こういう美しくのびやかな声質のテノールは少ないですね。私も一度でいいからこういう声で歌ってみたいものです。今回も実に素晴らしい声質を披露していました。ガランチャとの二重唱をちょっと聞いてみて下さい。
声を扱う者として、この歌唱力、美しい声質はとてもとても惹かれるものがあります。邦楽の歌い方ではありませんが魅力的ですね。私は元々声楽が好きで、20代の後半辺りから古楽に凝りだして、リート、アリア等聴きあさっていました。今でも声楽のCDが一番多いくらいなのですが、私が琵琶奏者として器楽の方に比重を置くようになったのは、ここ4,5年オペラにじっくりと親しんで、世界の一流の歌手達の歌を聴き、「声がこれだけ表現するんだ」ということをオペラから学び、同時に「声楽は俺が仕事にするべきではないな」と実感したからです。
さて今回の主役は何と言ってもソプラノのソンドラ・ラドヴァノフスキー。その歌唱は凄まじいレベルのもので、正に圧巻の歌唱でした。ばっちりとやられてしまいましたね。第一幕でのアリアなどグルベローヴァを最初に聞いた時のような衝撃でした。飛び抜けた技術とはこの事ですね。特にこの作品は歌唱力が必要な難しい作品だそうですが、物凄いレベルです。後半に行くにしたがって、演技力も加わり、観ていて彼女の歌うエリザベス女王の感情が、そのままダイレトに私の上に降ってくる来るようでした。ネトレプコなんかとはまたタイプの違う超ハイレベルな歌手ですね。今回がMet出演200回だそうですが、世界には凄い人がまだまだ居るんですね。この幅の広さ、層の厚さがやっぱり「世界」なのですね。邦楽はいつまで経っても日本の中、それも限られた中でしかない。残念です。いったいどこを見ているのやら・・・・。
では、ラドヴァノフスキーの歌を少しばかり
独唱の所が圧巻だったのですが、ご興味持った方は是非ライブビューイングを観に行ってください。これだけの細やかな表現を自在にコントロール出来るテクニックというのは素晴らしい過ぎます。声楽の世界に詳しい訳ではありませんが、次世代のグルベローヴァという感じでしょうか。
この衣装も凄いですね。ちょっと歌舞伎の女形みたいですが、Metは何しろ衣装に凝っているんですよ。こういう所に手を抜かない姿勢が好きです!。以前国内のオペラで、主役以外はユニクロのスーツみたいなのを着て、手抜きもいい加減にしろ!と叫びたくなるような舞台がありましたが、お客様は舞台全体を観ているので、少しばかり歌が上手とか、弾くのが上手いなんていう意識では良い舞台は出来ないのです。演奏技術は勿論のこと、衣装から所作、プログラム、照明、音響等々全体を見渡す視野で舞台を創っていかなくては、いつまで経ってもおさらい会の域を出ることは出来ません。
オペラは現代の生活からはかけ離れている話ばかりなのですが、今の日常とリンクする所を沢山感じます。それは歌舞伎でも古典文学でも同じだと思いますが、私はこういう所があるからこそ、共感も感動も生まれるのではないかと思っています。
今、邦楽に於いて「古典を演奏するとは何なのか」、もう一度考えるべき時ではないかと思います。あまりに邦楽と日本の社会が乖離しすぎている。自国の歌を歌えず、古典もろくに知らない。それが普通だと皆が国民が言い張っている国が良い状態にあるとは思えません。アイデンティティーも何も無い。経済も国力も落ちている今こそ、古典の力を日本人に取り戻す時なのではないでしょうか。
演者は古典をやっていると何か高尚なものをやっているような錯覚に囚われるのかもしれませんが、その類いの満足感でやっていても何も観客には伝わりません。もっともっと古典をやるとはどういうことか考えるべきです。色々な問題があるのだと思いますが、どんな時代に在っても芸術家は世の常識、因習などを乗り越えて表現し、次の時代を見せてくれるもの。邦楽人が本当に芸術家なのだったら、時代がどんなであれ、日本の音楽の心を伝えることが出来るでしょう。今こそ邦楽人の出番です!!。
オペラに身を浸し、人生を堪能しながら、邦楽の未来を憂いたひと時でした。
先日、星川京児さんのお葬式に行ってきました。
一噌幸弘さんの笛が鳴り響く中、星川さんの棺が旅立つ所では何とも言えない気持ちになりましたが、生き残るのも旅立つのも、またそれぞれの運命。これもはからいなのでしょうね。
1st 「orientaleyes」
これは私の1stアルバム。14年前にリリースしたものですが、何時もネタにしている「T師匠と同じ音がする」という言葉は、星川さんがこのCDの最初の音を聴いて言ったのです。これは今での私の一番のお気に入りの作品でもありますが、本当に鋭く、且つ暖かい言葉を常に投げかけてくれました。
前のブログにも出した2ndアルバム「MAROBASHI」では「やはり声はT流。血は争えないと見える」と評して、声や唄い方もよく似てると言われました。嬉しいんだか怒られているんだか・・??
星川さんは、一緒に居ると常に周りを楽しくさせてしまう人でしたが、そのエネルギーに触れていたことが、そのまま私のエネルギーになっていたんでしょうね。
今になって星川さんの数々の言葉が私の中に次々と甦っています。その言葉一つ一つに導かれて今ここに在るのかな、なんてことを思っています。
私は、どうにかこうにか今迄まあまあ順調に活動を重ねさせてもらいました。別に売れた訳でも何でもないですが、こうして琵琶を生業として生きて行けることはありがたいことであり、支えてくれた星川さんのような先輩達のお蔭でもあり、また運が良かったと思っています。私の演奏や舞台を観て、お客様は何かを感じ、想いを持って帰ってくれただろうか。星川さんのような影響力はないとしても、私も舞台人の端くれ。舞台を観た人が、何かをつかんで想いを持って帰って頂けたのだったら嬉しいですね。
舞台は観る人、演者スタッフなどなど関わる人すべてにとって異空間であり、特別な時間です。もっと言えば舞台とは一つの命であり、舞台が終わるとはある種の死でもあるのかもしれません。観客にとって舞台が終わるということは、今まで目にしていた実態が消え去り、自分の中に想いや感動だけが残るということです。心の中だけにその舞台は遺こされ、その想いをま
た自分の人生の中に刻み明日を生きて行くのです。
30代の頃、かつて日暮里にあった邦楽ジャーナル倶楽部「和音」にて
考えてみれば星川さんとの出会いは舞台の始まりであり、今その舞台の幕が下りた、ともいえます。上の写真の頃、私は琵琶奏者としての第一歩を歩み始め、その頃星川さんと出会った事を思うと、一つの舞台が今終わったのだと思えて仕方がないのです。もう本人の実態は無くなってしまいましたが、想いや言葉が遺され、その言葉が私の明日の活動の糧になって行く。つまり星川さんの肉体的な死は、私の次の舞台への序章とも言えるのかもしれません。
まだ元気だったころの母と
先日亡くなった母も多くの言葉を遺してくれました。私は、「親というものは有難いものだ」と亡くなってから想う親不孝者ですが、涙も乾かぬままに葬儀を終え、仏壇の中を整理していたら一枚のメモが出てきました。母は最期の数年寝たきりで、会話も出来なくなっていましたので、多分この写真の頃、まだ少しは動ける時に書き遺したようです。穏やかという言葉が一番似合う母らしい言葉が最後に遺りました。
「元気で長生きして下さい。また会いましょう」
遺された言葉は深く心に刻まれるのです。
五月の風はまた一人大切な人を連れて行ってしまった。
私の琵琶奏者としての活動の最初から、ずっと暖かいアドバイスを送ってくれていた、音楽プロデューサー星川京児さんが亡くなりました。
星川さんは民族音楽のプロデューサーとして世界中を巡った方なので、とにかくそのお話が面白かった。邦楽では鶴田・横山両先生のレコーディング秘話や、クラシックやジャズ、民族音楽の裏事情。アラブ圏での珍事等々、シルクロードオタクの私としては、とにかく興味深いお話ばかりで、いつお会いしても楽しい人でした。 とにかく星川さんの知識はあらゆる分野に渡って詳しく、歩く百科事典という風でしたね。
一時期、星川さんと奥様がやっていたお店「アノマ」では、なかなか手に入らない中国茶と、世界中のお酒と旨いもんをたらふく頂きました。この本は、星川さんが色々な国でのお酒にまつわるエピソードをまとめた本で、今も時々読み返しては楽しんでます。実に星川さんらしいなと思っていましたが、これも一つの想い出になってしまうんですね・・・・。そういえばアノマではライブも一度やらせてもらったな~~~。
がんの治療中ということは知っていましたが、今訃報を聞くなんてことは全く想定外のことでした。
星川さんが治療を始めてからお会いする機会も少なくなったのですが、「なってるハウス」というライブハウスで演奏している時にひょっこり来てくれて、私が一杯勧めると、「今は酒は呑めないんだ、でも必ず復活するよ」なんて言っていたのも、つい最近のように思えて仕方がないです。私が関西のツアーに出ている時にも、大阪の地下街の串カツ屋で一杯やって行こうかな、と思って店に入りかけたちょうどその時、星川さんから「星川です。まだ生きてるよ」なんて電話が入ったこともありました。何だか想い出ばかりが浮かんできます。
星川さんと出逢ったのは、T師匠を通じてでした。師匠が鶴田先生と一緒にレコーディングした時も星川さんがプロデュースを担当したそうで、当時若手と言われていた私に、その時のエピソードをアドバイスも交え話してくれたのが最初でした。まだ私は30代でこんな顔してました。「はねっかえり」という言葉がありますが、まさにそんな時代でした。
時々ブログでも使うネタですが、私の1stアルバムを聴いたとたんに星川さんから「T師匠と同じ音がしている」と評して、褒めながらも活を入れてくれたのは忘れられません。以来私が出すCDには多くのアドバイスとCD評を邦楽ジャーナルに書いてくれたのが、本当にありがたかったです。そして「色々大変だろうが、苦しくともCDはどんどんと出せ。止まってはいけない」と言われたこともしっかりと耳にこびりついています。
まだ63歳。樂琵琶での成果を近々まとめて聴いてもらおうと思っていただけに、本当に残念でなりません。
星川さんに邦楽ジャーナル誌上にレビューを書いてもらった2ndアルバム
こうして私の周りの先輩達が旅立ってしまう度に、私はこうした人たちに生かされていたんだな、と思います。もっと生きている内に気づけよ!と思うのですが、いつもいつも亡くなってから改めて首を垂れるばかり・・・。
両親は勿論のこと、ジャズギターの沢田俊吾先生、カンツォーネの佐藤重雄さん、尺八の香川一朝さん、H氏、そして星川さん・・・。皆さんが居たからこそ今の私があると思います。
星川さん、もう一度ゆっくり呑みたかったですね。
ご冥福を。
5月は本当にさわやかな季節ですね。5月は毎年演奏会がぐっと増えて行く時期で、秋と共に5月6月は、私にとって演奏会シーズンなのです。先日も小山台会館にてレクチャーをやってきましたが、季節が良い事もあったのでしょう、小さな会場ながら100名近い御予約を頂き、盛会となりました。
そしてまたこの5月の風には別の想いもあります。私の両親はこの5月の風に乗って共に旅立ってきました。普段から穏やな父母でしたが、二人共に眠るように静かに、さらりと旅立って行きました。80年程の使命を全うし、この風と共にさわやかな気分で旅立ったことと思っています。
私
はこの体を両親から受け継いだわけですが、一番受け継いだのは、両親から吹き来る風だったと思います。仏教でも禅風といって、師匠からの教えを風と表現するようですが、まあ私の場合はその風を「愛」という言葉に置き換えるのが一番でしょうね。年齢が行けばいくほどに、「愛」は何にも勝る人間の持つ能力だと思うようになりました。現代の社会は「愛」の力を見失っているのかもしれませんね。武器よりも、お金よりも勝るエネルギーは「愛」ではないのかな????。
「風」は私の中の大きなテーマです。風をモチーフにした作品も、薩摩、樂琵琶両方で沢山作りました。風に乗って軽やかに時代も国境も越えて行くような音楽は好きですね。風土や歴史を感じさせながらも、しきたりや格式に囚われずにいつの時代でも、どんな国に行っても響くような音楽が理想です。そんな意味で筝曲の「みだれ」や「春の海」などはやはり名曲だと思います。時代を越え、多くの人に聴かれる音楽は、何処までも風に乗って伝えられ、受け継がれて行くと思います。けっして組織の力などではないですね。
社会というものがある以上、必ずそこには「俗世」という人間が作り出した有象無象の色分けや幻想があるもの。人間を救うはずの宗教の中にも、伝統芸能の世界にも・・・・。しかしそんなものに振り回されていたら、美しい音は大して聴こえません。そんなものに目を奪われていたら、本当の姿も眼差しも見えません。
肩書きも価値観も時代によって、国によって全く違うものです。そんな小さな世界の重苦しい鎧を着ていたら、風に乗るどころか地べたにしがみついているしかないでしょう。アンティゴネーの瞳のように国境や法律、そして時代さえも飛び越えて渡り行くには、音楽そのものだけでいい。かの北大路魯山人は「芸術家は位階勲等とは無縁であるべきだ」といって人間国宝の要請を二回も断ったそうですが、だからこそ彼の芸術は今尚多くの人に支持されているのでしょうね。身軽な姿でなくては!!。
結局人間は最後には「想い」だけの存在になるのではないかと思うのです。肉体はいつか滅びるし、格も階級も、そんな鎧を着たまま旅立つのは、結構しんどいものです。物事に形があるのは必然だと思いますが、受け継がれるのは「想い」のみではないでしょうか。形を受け継ごうとすれば、ただ形骸化ばかりが進み、「想い」はどこかへ行ってしまうのが世の常です。「想い」を受け取らない限り受け継ぐことは出来ないだろうし、その「想い」を受け継げば形はむしろ、どんどん変わってゆくのが当然ではないでしょうか。「想い」を受け継いだ者がまた新たな命を生み出し、人も社会も動かして行く。こうしてその「想い」は風のように制限なく広がって行く。そう思えてなりません。
2009年ウズベキスタンタシュケントの旧市街にて。 ツアーメンバーと
幸い私には素晴らしき仲間達が居ます。何者にも囚われない、純粋で、何時もワクワクした心を持った仲間が居るからこそ、今の私があるのです。最近も、私には無い才能と感性を持ったアーティストに出逢いました。5月の風が運んでくれた出逢いだったかもしれません。夏に成果を見せます。乞うご期待!!
俗世に囚われる事無く、大きな世界に羽ばたいて行けるか、私は今その岐路に立っている。今こそ私本来の仕事をする時に来ていると思っています。
「Think of nothing things, think of wind」