先週、兵庫県芸術文化センターホールで、「秘曲でつづる平成絵巻 方丈記」の公演をやってきました。
役者の伊藤哲哉さんと方丈記に取り組み始めたのが1年前、それから仲間も集まり、色々な場所でやらせて頂きましたが、今回の公演はその集大成とも言うべき実に充実した公演となりました。


バックには映像作家のヒグマ春夫さんがインパクトのある映像を映し出してくれて、舞台はこんな感じになりました。
音響、照明もバランスよく、久しぶりに良い舞台で気持ち良く演奏することが出来ました。大きなホールでしたが、お客様もたくさん来て頂きまして、ありがたかったです。やはり大勢のお客様の前でやると、きりりとしますね。
左から照明の早川さん、芸術評論家の宮田さん、映像のヒグマさん
鴨長明:伊藤哲哉 5弦ウッドベース:水野俊介 樂琵琶:塩高和之
映像:ヒグマ春夫 照明:早川誠司 舞台監督:菊池廣
主催:YUKIプロデュース
このメンバーに加え、第一部に方丈記についての解説を服部祥子、小林一彦両先生に話して頂き、方丈記の魅力を語ってもらいました。
大きな公演をやるには資金も必要ですし、ショウビジネスでない我々のような演目では、そういくつも大きなホールでやる事は出来ませんが、これはぜひ今後も続けてやっていきたいと思っています。
そしてその後は、京都桃山にあるアートサロン ラ・ネージュにて朗読の馬場精子さんとの初共演をしてきました。
ここは打って変わって50名程のサロンで、お客様も満杯。眼の前にお客様が居るような状態でしたので、ホールとは全く雰囲気は違ったのですが、天井が高く、とても響きの良いスペースなので、こちらも琵琶の音が良く響き、気持ち良かったです。
そして「方丈記」が原文のままなら、こちらも平家物語の「敦盛最期」を原文のまま朗読して頂くという珍しい企画!。伊藤哲哉さんの舞台が豊かなキャリアに裏打ちされたベテラン俳優の充実した圧巻の一人語りなら、馬場さんは女性らしい柔らかく、ノスタルジックな雰囲気に包み込まれるような、爽やかな語り口でした。

馬場さんとはもう何年も前からやり取りがあって、いつか一緒にやる機会を持ちたいと話していたのですが、ここに来てやっと実現したという訳です。また9月には東京のキッドアイラックアートホールでも再共演がありますので、ぜひぜひお越し頂きたいと思います。
この所、様々な語り部さんと一緒にやることが多くなりました。それぞれ違った個性とスタイルを持っていて、なかなか面白いです。
私自身が弾き語りというスタイルを脱しつつあるので、こうして声を操る方々と組むことが多くなるのは当然の流れだと思います。今後私が声というものとどう向き合て行くか、音楽家として大きな選択であり課題ですね。
さて旅はこれだけでは終わりません。今回は奈良に3泊して、演奏会の跡は奈良周辺を散策してきました。中でも久々に行ったのが大宇陀。もう15,6年も前、まだ私がぎりぎり若手なんて言われていた頃に、大宇陀の古い町並み沿いにあるカフェで演奏した事があり、いつかまた行ってみたいと思っていました。そのカフェは既にオーナーも変わっているようでしたがまだお店は健在でした。残念ながら開店が11時ということで、ちょっと早過ぎて入ることが出来ませんでした。しかし近くの通り沿いの休憩所で、地元のおばちゃんとのんびりと話が出来て、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
この辺りは万葉の郷なので、「かぎろひの丘」にも馳せ参じ人麻呂さんに想いを馳せ、阿紀神社などもに足を向けて、万葉の風に浸りのんびり歩いて来ました。
そして奈良に行ったら、美味しいものもしっかり頂くのがいつもの習わし。今回もビストロ・プチ・パリにて楽しんで来ました。鮎旨かったな。自家製のソーセージも・・・・。
古典の世界は魅力的なのです。良い仕事をさせて頂きました。
昨日は、北鎌倉の其中窯サロンにて演奏してきました。
其中窯入口
数年前にもここで演奏をやってきたのですが、ここはかの北大路魯山人が築いた窯。現在は陶芸家の河村喜史さんが引き継いで作陶をしています。
前回は窯をゆっくりを拝見する事が出来なかったので、今回はゆっくり拝見させてもらいました。結構広い敷地があるので窯も大きく、焼き上がったばかりの作品や焼成前の乾かしてある作品など陶芸に関わる色々なものが至る所に有って、興味のある人にはワンダーランドです。
窯の様子
私の母が元気な頃は陶芸にはまっていて、家でしょっちゅうろくろを回してましたが、私も小学生の頃には陶芸倶楽部に入っていましたので、陶芸はずっと身近なものでした。私は陶芸をやらないのですが、よく地方での演奏の後には、打ち上げなどでその土地の陶芸家とよく知り合い、作品を頂くことも多く、我が家には作家ものの陶器が結構沢山あります。また普段から集まる仲間には、このブログにも時々登場する佐藤三津江さんはじめ、陶芸をやっている人もけっこう居て、陶芸はいつも私の周りにあるものなのです。
河村喜史さんは代々続く陶芸家の家系に生まれ、祖父喜太郎さんは当時「陶工」という言葉しかなかった時代に、陶芸を芸術として認知させた一人だったそうです。「陶芸家」という呼び方もここから始まったそうで、その意思を受け継ぎ、喜史さんの父又二郎さんも色々な芸術家と交流し、この北鎌倉の地でサロンを展開したそうです。喜史さんも音楽に大変造詣が深く、現代音楽の作曲家とも交流を持っているので、色々と話を聞くだけでも面白いのです。今回は又二郎さんの奥様もサロンに来られて、お会いすることが出来ました。立派な作品集を頂いてしまいました。
更に今回は、ドキュメンタリー映画を作っている川瀬美香さんにもお越し頂いて、話が湧きました。もっとゆっくり時間があったら良かったのですが、まあこれも次回のお楽しみですね。

映画監督の川瀬美香さんによる撮影
画家のゼノビッチ美奈子さん、ブルースマンのホセ有海さん、古澤ブラザース、琵琶制作修行中のIさんらとの今年のお花見
琵琶などやっておりますと、音楽・美術・演劇など、色んな分野の芸術家と自然と知り合います。そんな芸術家たちと話をするのは、とても楽しく面白いのです。芸術家だけでなく、ものつくりをしている人は職人さんでも、農家の親父さんでも皆さん話が面白いですね。私はそんな人たちと常に接しているのがとにかく好きなんです。
私が主催する琵琶樂人倶楽部や日本橋富沢町樂琵会も音楽家だけでなく、音楽に関心のある方が気軽に集まれる所として発足しましたので、毎月色々な人が集ってくれて実に面白いのです。
こうして機会を頂くのは本当に嬉しいです。これからも良い仕事をどんどんとやって行きたいですね。
さて明日からは神戸の芸術文化センターホールで「方丈記」公演の為に行ってきます。その後京都桃山のラ・ネージュというサロンで、朗読の馬場精子さんとの企画、そのまたすぐ後には金沢から少し行った所にある白山の望岳苑にてディナーコンサートと続いています。もう一頑張り!
多くの人に琵琶の音と私の音楽を聴いてもらいたい。地味なものですが、是非是非聞いていただきたいのです。
先日、琵琶樂人倶楽部開催100回記念演奏会をやってきました。
ちょっとしたハプニングもあり、終始ドタバタとした一日でしたが、とにかくここまで来たことに万感の想いがあります。
今回は独奏の他、古澤月心さんとのデュオ、尺八の田中黎山君とのデュオ、最後は「勧進帳」をやってきました。毎度のことながら多々反省はありますが、ともかくこうして形として100回目の記念演奏会が出来たことは本当に良かったと思っています。

会場のリブロホールはキャパを越え補助席を出す程の盛況ぶりで、会場には若い方も多く、琵琶人だけでなく、作曲家や芸術家も集まってくれました。私は、自分が次世代へと視線を注いでいれば、自ずから若い人たちも集まってくるという実感を持っていますが、今回も若き作曲家が二人来てくれて色々と話をして、日本音楽のこれからについて話が出来ました。実に楽しく嬉しい時間でした。彼らの柔軟な発想、何物にも囚われない自由な発想が実に頼もしいです。もう琵琶人も新世代の感性をどんどん取り入れて行かなくては!!
何ごとも、必ず新たなステップへと動く時期というものがあります。社会情勢は一番わかりやすい例ですが、こうした小さな会でも、個人の中でも、ある一定の期間を経ると必ず、次の段階へと進む時期があります。今私はそういうNext stepを踏み出そうとしている時期なのかもしれません。自分の中で色々なものが動き出しているのを感じるのです。
こういう時期が定期的に訪れるというのは日々進化・深化しているということでもあると思います。だから私は常にワクワクしていられるのです。そして能の津村禮次郎先生や日舞の花柳面先生など、常に挑戦と創造性が全身に満ちている人とも自然と繋がっていきます。志を同じくする先輩や仲間と繋がって行けるというのは、芸術活動をしてゆく上で実に嬉しいものです。逆に上手だけれども歩みを進めていない人とは、どうしても縁が薄くなりますね。
古典を継承して行くのはとても大切なこと。しかし常に創り出すという姿勢が無くては、古典も形骸化してしまいます。古典芸能は携わるだけでも充実感があると思いますが、時代によって受け手のセンスはどんどんと変わって行きます。古い演目でも、江戸時代と現代ではどんどん変わって行くのが当たり前。何処を変え、何処を遺すか、そのセンスを古典芸能は問われているのに、形ばかり遺して、新作と言いながら過去の焼き直しをしているようでは、その存在意義も意味もありません。新たな概念、センス、形式、様式、そういうものを次のステップへと導くような人が出なかったら、もう邦楽は終わりでしょう。
我々舞台人は時代を先取りして、常に聴衆の感覚を先導する位でなければ時代は進みません。それはクラシックでもロックでもジャズでも、演劇や美術の分野でも同じで、聴衆は最先端に惹かれファンになるし、次代を動かす原動力にもなって、芸術と社会がコミットして行くのです。またそういう活動があるからこそ、古典がまた意味を持ってきます。古典にも新たな命が吹き込まれ、新たな魅力が輝きだすのです。
私は最近、この1stアルバムの原点に帰ろうと思っています。勿論焼き直しはしません。同じ曲でも10何年も前と今では違う意味合いが自分の中に存在するし、具体的に出て来る音も違う。つまりセンスが変わってきているのです。しかし根本精神は同じ。このアルバムで示した精神は、今こそ時代の中で輝きを持ち始めるだろうと思っています。
今日本の古典芸能が衰退しているのは、社会とのコミットが無いからではないでしょうか。少しばかりファンが増えても多くの現代人の感性を動かすような魅力がなければ、結局好き者の為の存在でしかありえません。ドビュッシーもラベルもシェーンベルクも、ルイアームストロングも、チャーリーパーカーも、マイルスもジミヘンも、パコ・デ・ルシアも武満徹も、皆その当時の人々の心を激しく揺さぶり掴みました。だから今に伝えられ、またその先に挑戦する者が後を絶たないのです。江戸時代に出来た歌舞伎なども、きっとできた当時の人々の心を強烈につかんだのではないでしょうか。
2009年ジョージア 国立ルスタベリ劇場演奏会にて
次のステップを踏み出すには、今までを乗り越えて行かなくては足は出ません。また、何かが終わりを迎えるからこそ、次のものが生まれるとも言えるでしょう。悲しい別れもまた次への序章とも言えるのです。
伝統が老害になってはいけない。常に次のステップを踏み出して行く若者を育てるのが、伝統芸能に携わるものの役目ではないか、そんなことを語り合った記念演奏会でした。
19日日曜日に、琵琶樂人倶楽部開催100回記念演奏会を、参宮橋のリブロホールにてやります。
2007年から始めたこの琵琶樂人倶楽部も、こうして100回目を越してみると、正直「よくやった」という想いが込み上げて来ます。とてもとても地味な会であり、お客様も少ない時も多い時も色々でしたが、とにもかくにもこれまでずっとライフワークとして続けて来て本当に良かったと思います。勿論今後も淡々と続けて行きます。
今回の記念演奏会は、多くの方にご予約を頂きまして満席だったのですが、当日席を増設することが今日になって決まりましたので、後少しだけですが空きがございます。お時間のある方は是非ご連絡くださいませ。
今回の演目は琵琶樂人倶楽部らしくかなりヴァラエティーに富んでおります。
第一部
樂琵琶 「啄木」
最期の遣唐使 藤原貞敏が持ち帰った曲で、樂琵琶の秘曲として伝承されている独奏曲
平曲 「小秘事 祇園精舎」
平家琵琶の秘曲として伝えられる滅多に聴けない演目
掛け合い「壇ノ浦の戦い」
古澤月心作の珍しい四弦と五弦による掛け合い琵琶曲です
第二部
五弦薩摩弾き語り「平敦盛~月下の笛」
森田亨先生描き下ろし、私の作曲によるの新しい薩摩琵琶の弾き語り曲
現代琵琶「まろばし~尺八と琵琶のための」
塩高の代表曲、一音成仏の世界を現します。
掛け合い「勧進帳」
昭和の名作、語り手二人と琵琶による掛け合い語りによるドラマチックな作品
古澤月心さんと二人でずっとやってきましたが、古澤さんは創作意欲が旺盛で、毎回がチャレンジという感じでした。私にとってもここはレクチャー、作品発表の勉強の場であったし、多くの琵琶人を紹介するという琵琶の活性化の活動拠点でした。ジャンル、流派先輩後輩…とにかく垣根を取り払って琵琶の魅力を伝えるという他には無いこうした活動は、琵琶樂人倶楽部の特徴だと思っています。
これまで琵琶樂人倶楽部には色々なゲストが来てくれました。企画はすべて私がやっているので、これはと思う人にはどんどん声を掛けて、琵琶人は元より、語り部、白拍子、役者等面白い連中が沢山集ってくれました。皆さんとても素晴らしい演奏家ばかりで、これまでの全ての会が私の想い出であり、糧となっています。
このクレデンザという大きな蓄音機の前で、皆さん演奏してくれました。そして毎年8月にはこのクレデンザを使って、SPレコードコンサートも開催。私自身良い勉強になりました。今年の8月は「女流の時代Ⅱ」というタイトルで、主に水藤錦穣さんの特集を考えています。
これまで出演してくれた方々。もっと沢山の方々が居るのですが、写真に残っているのがあまり無く残念です。











皆様に支えられているという実感を今噛みしめています。
これからもどんどんと続けて行きますので、是非是非ご贔屓に。
梅雨に入りましたね。琵琶には厳しい季節なのですが、私はこのしとしとと降る雨が好きで、この風情を楽しんでいます。
世の中嫌な事件が立て続いておりますが、嬉しいニュースも飛び込んで来ましたね。ロイヤルバレエのプリンシパルに高田茜さん、平野亮一さんが選ばれました。私はバレエ通でも何でもないですが、こういうニュースは元気が出ますね。
高田茜さんは一昨年のジゼルの舞台を拝見しましたが、こうして日本人が世界の舞台で活躍する姿を見るのは、正直な気持ちとして実に嬉しいものです。まだ26歳だそうなので、これからが楽しみです。ジゼルでは小林ひかるさんや崔由姫さんもがんばっていたので、今後の夢も広がりますね。活躍を期待しています。
最近は2014年に木田真理子さんがブノワ賞、今年もオニール八菜さんが同賞を受賞しましたし、ローザンヌのコンクールでは毎年のように日本人が入賞しています。何故バレエの世界ではこうも日本人が活躍できるのでしょうね。音楽界も頑張って欲しいです。
それにしても世代交代が良い形で行われ、新しい時代へと変化して行くのは良いことですね。ロイヤルバレエでは熊川・吉田の時代から、日本人プリンシパルはもう20年ぶりだそうですが、世代を超えて有能な人材が出て来るというのは本当に素晴らしいです。日本のバレエも底辺が広がり、定着してきたということでしょうか。邦楽界もそうなって欲しいものです。
ルーテルむさしの教会にて
私は今やっと「日本」という小さな枠からなんとなく「世界」という視野が開けてきた所。こんなに長く音楽をやっていて、正に亀のようなのろさですが、致し方ない・・・。これまで少しばかりヨーロッパやシルクロードなど海外のツアーなどもやってきましたが、CDに関しては、私が参加した(ロンドンシティー大学でのライブ録音)石井紘美先生の作品集がWERGOレーベル、NAXOSレーベルで世界に出たくらいで、なかな
か意識が世界まで向かなかったのです。ここ数年、やっとこれまで国内で出した7枚のCDなどがネットで世界に配信され、売り上げは少ないものの、多くの国の人が聴いてくれて本当に嬉しく思っています。また私の作品を台湾の演奏家たちが何度かリサイタルにかけてくれたりして、世界への入り口が少しばかりですが見え、私自身の意識もようやく変わってきました。ロイヤルバレエで活躍している若者達の足元にも及びませんが、意識が変わると行動も変わるし、物の見え方捉え方も変わりますね。この年になってやっとこういう意識を持てたということは、これが私のペースなのでしょう。人の何十倍も時間がかかるというのは性分というか運命というか・・・・。
しかしながら年を追うごとに感じるのは、時間というものの無情さです。人間の肉体に与えられた時間にはどうしたって限りがある。そんな個人の有限な時間に対し、世の中は刻一刻と変化し続け、価値観も法律も常識も…何もかもが変化し続けて、私達を待ってはくれません。
私はもう肉体的な限界も間もなく来るだろうし、どこまでやれるか判りませんが、意識だけは年を追うごとに鋭くなって、今年から新たなシーズンが始まったような感じがしています。これまで10年周期位でシーズンが変わって行くのを感じていますが、今年に入り、また新たな世界が生まれつつあるのをひしひしと感じます。結局最初に私が志向していた世界が一回りして、甦ってきた感じです。それも変遷を経てきた分、多くの充実を伴って形が創られて行くような、そんな気分なのです。きっと自分らしい音楽が出来上がると思います。
先日、17年に渡って若手を応援してきた伊達佑介先生主催のMjamというライブシリーズが幕を閉じました。私は1stCDを出した時から15年お世話になりましたが、ここは私を育ててくれた場でもありました。個人的な小さいことではありますが、何だか一つの時代が終わるかのような気分でしたね。こうした小さなことも個人的にはとても大きな変化であり、移りゆく時代を感じさせます。世の中に不変ということは無いとは解りながらも、そのスピードの速い変化に簡単には付いて行けない自分というものを感じずにはいられません。
これからは、他の人よりは随分と遅いペースではありますが、自分本来の歩みを持って世界に目を向けて行きたいと思います。ロイヤルバレエの若者のようにはとてもいきませんが、私なりの世界へと歩み出していきたいですね。