思考する音

普段ぶらぶらしている私も、秋はさすがに何かと飛び回っています。前回お知らせしたように人形町楽琵会も久しぶりに再開するし、次のアルバムのレコーディングもあるし、大学の講義もあるし、何だか久しぶりに追われている感じです。

人形町楽琵会2024 m

私はいつも普段から時空を飛び越えるような荒唐無稽な夢ばかり見ているのですが、こういう追われている時期には更に変な夢をよく見ます。怖い夢ではないのですが、ちょっと自分の心の闇が暴かれるような、何とも言えない変な夢が出て来ます。ちょっと頭の回路が変わっているんでしょうね。私は演奏だけでもソロ、デュオから舞踊や語り等、かなりのヴァリエーションでやってますし、その上レクチャ―等も入れると結構な数になります。且つ演奏曲は全部自分で作曲しますので、やっつけ仕事は出来ないのです。総ての仕事が塩高の作品という気持ちでやらせてもらってます。

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AsaxのSOON・Kimさんと photo 新藤義久

人間は、知識、情報、技術に本当に弱いんだなと年を経るごとに感じます。そういうものを身につけていると必ずそれを使いたがり、使って見せている事で満足し、本来やりたい事を忘れてしまう。上手な人ほど、それらを使い飛び回っている事で満足してしまう。だから技術や知識を勉強すると共に、精神の成長もして行かないと、かえって視野を狭め、得た知識や技術が妨げになってしまいます。音楽家も上手くなればなる程問われるのは技術ではなくて音楽です。歴史を振り返ればヴィジョン無き技術は原爆を生み、現代では太陽光発電等、後先考えないものが悲劇を生んで絶え間なく溢れています。

習った曲が上手に弾けるとそれを披露したくなるのはお稽古事としての楽しみでしょう。しかし自分のやりたい事よりも上手に出来る事を見せようとする心ではその先の世界へは行けません。上手を見せるのが自分の音楽だと勘違いして、果てにはおだてられてお墨付きをもらって、自分はそれなりだと思い込み、そこで思考を止めてしまう。本来見えるはずの世界を見ようとせずに自分で閉ざしている。そんな人を見ていると残念ですね。そこにその人の音楽が在るでしょうか。

私がいつも取り上げている永田錦心や宮城道雄は、邦楽の世界で自分のやりたい事を貫いて、その当時の最先端の日本音楽の姿を現しました。確かに演奏する全てが完全なオリジナルではなかっただろうし、二人とも若くして亡くなり志半ばであったと思いますが、あの明治という新時代に自分の考える独自のセンスと形を世に示したことは、日本の音楽や芸術にとって称賛すべき事だと私は思っています。お稽古事をやっている人と音楽家の違いはこういう所ではないでしょうか。

練習も勿論ですが、それと同じ位考える事も大事だと私は思います。初歩の段階で、感じる事、考える事を習慣づけてあげるのは先生の役目だと思っています。私も少しばかり生徒に教ていますが、常にどうやりたいかを問います。その根拠も問うし、自分の責任で演奏する事も合わせて言います。初心だろうがベテランだろうが、自らが考えて音を出す事、出す音に責任を持つ事が先ずは一番だと思って生徒に接しています。曲にも先生にも寄りかかっている状態ではは舞台に立って生きて行く事は出来ません。
私がするのは、生徒がやりたい事に対し、少しの技やアイデアを教え後押しする事。そして常に考える事を勧めているだけです。生徒が迷いの中に居る時に手取り足取り教えてしまうと、考える事を止めてしまう。大いに迷い、悩めばよいのです。その時の生徒にとって必要だと思えるアドバイスを少ししてあげる程度にしてあげるのが一番良いと、自分の経験上思いますね。とにかく好きなようにやらせますが、その「好き」というのを自分で探って、何故好きなのか、何故その音なのか、その「好き」が発生する根拠はどこにあるのか、そんな事を掘り起こす作業が重要だと考えています。その為に自国の文化を勉強し、歴史を紐解き、自分の感性の土台が何処にあるのかを自分で見つけて行かなければ、いつまで経っても表層意識の領域でうろうろしているだけです。共演者にも、自分で考え演奏して欲しいので、譜面もあえて細かく書き込まないようにしています。演奏家は出だしの音から、どうやれば一番ふさわしいかじっくり考えて頂き、その音に責任を持たなければ音が出せないように書いています。そうやってお互いで創り上げて行く作業が創造だと私は考えています。

Wind way

ドイツのWergoレーベルでリリースされた石井紘美作品集「Wind Way」 私がロンドンシティー大学で初演したライブの演奏が収録されています


これらの思考は作曲の石井紘美先生の影響です。石井先生ははっきり言って作曲のお勉強的な事は教えてくれませんでした。私は10代からジャズをやっていたので、一通りの音楽理論は解っていましたが、一応やって来ました感を出そうと思ってバス課題やソプラノ課題などやって譜面を書いて持って行っても「そんなものはあなたには本を読めばすぐ判るでしょ」なんて具合で、ろくに見てもくれませんでした。いつもアートとは何か、曲の背景には何があるのか等々ずっと話を聴くのがレッスンでした。シェーンベルクの「浄められた夜」なんかをかけて、その感想や分析を話してくれたり、時にはバルトークの「弦チェレ」という曲の音価やリズムを先生がグラフに表した図形楽譜のようなものを見せてくれて(ちんぷんかんぷんでしたが)、もうほとんど哲学の講義を何時間もお茶を飲みながら聴くというのが常でした。私が「格好良いですね」なんて適当な事を言おうもんなら、「そういう表面しか感じようとしない感性ではだめ。あなたはアートとエンタテイメントの違いが判ってないわね」等と冷~たく言い放たれる。今でもよく想い出しますね。とにかく深く考える、感じるという事を教えてもらった素晴らしいレッスンでした。あの20代の頃の体験が私の原点です。

振り返ってみると私が先生と呼ぶ人は皆そういうタイプの人でしたね。小学生の時に習ったクラシックギターの竹内京子先生も「好きなように弾きなさい」という人でしたし、ジャズギターの潮先郁男先生も、沢山の技術や知識を教えてくれた後に「自分のスタイルで弾きなさい」と言ってくれました。最初に琵琶を習った高田栄水先生も「芸術音楽として琵琶を弾くんだ」とよく言っていました。誰一人として上手に弾きなさいという方はいませんでしたね。本当に良い師匠達に巡り合ってきました。

オリエンタルアイズ1stアルバム「Orientaleyes」
私はギターで仕事をしていた20歳の頃、色んな仕事をやって、結局駒のように使われている自分に納得がいきませんでした。つまり技術の切り売りをしているだけで、上手な人がやれば私でなくともよいという事です。
それで20代の中頃になって、多分にラルフ・タウナーの影響もあり、アコースティックギターの独奏曲を創って、オリジナル性を打ち出し、小さなライブを細々やっていました。その後琵琶に転向してからは最初から一貫して、私でなければ成り立たない100%完全オリジナルな曲を創って演奏する事を第一の指針としてやって来ました。それで1stアルバムから今回リリース予定の10枚目のアルバム迄全て自分で作曲して演奏して来たのです。石井先生の作品が唯一例外ですが、その「HIMOROGI Ⅰ」も石井先生と何度も打ち合わせを重ね創り上げたので、私でなければ弾けないという自負を持っています。

音楽はその人がどんな思考をしているかで、奏でる音楽は随分と変わります。同じ曲でも全く違う曲のようになります。何故その曲を演奏するのか、どのように演奏したいのか、その発想の源はどこにあるのか、そういうものが自分の中に確固としておらず、視野もこり固まって様々なアプローチを想像する事が出来ないようでは、そこに自分の想いを載せる事は出来ません。
音楽をやるには歴史や宗教、文化・芸術・社会等々、音楽以外の様々な事にアンテナを張って、目を向けていないと、個人の小さな器の中でただ「格好いい」「いい感じ」みたいな浅い所でしか音楽を捉えることが出来ず、お上手以上のものは出て来ません。修行と称して自分を閉ざしていては音楽は響かないのです。世の流れはとてつもなく早いもので、有能は若手もどんどんと出てくるものです。すぐに追い抜かれてしまいます。小さく狭い意識では活動は続けて行けないのです。

日本人は「いいものはいいんだ」とすぐに論理的思考をやめて、自分の殻に閉じこもってしまいますが、それはこだわりでも何でもないですね。この世界がつながっている時代に小さな思考に囚われて、目の前に溢れる流行や自分を取り巻く小さな世界としか調和出来ないようでは、今どういうものが世界に流れていて、何が起きているのかが見えていないという事です。結局世のプロパガンダに流され最期には駆逐されてしまいます。コロナの数年間でそれは如実に可視化されました。「世界の中の私」という感覚はもう各自が持っていないと、生きて行け無い時代に入っていると私は思います。

グローバル意識は欧米標準という事ではないのです。むしろもう欧米の時代が終わったことを認識する事がグローバルでしょう。アメリカやヨーロッパに憧れ、アメカジやヨーロッパブランドの服を着て英語交じりでしゃべって喜んでいるような人がまだ沢山うようよいるのが現代日本です。これだけ文化の豊かな国に生まれ育ちながら、ろくに自国の歴史も知らず、日々垂れ流されるエンタメを見て喜んでいるばかり。それこそ世界標準の目でみたら、自分の生まれた国に誇りを持てない人間など、どの国に行っても最低レベルの人間と思われても仕方ありません。自国の文化も解らない人間が、どうして相手の国の事を理解できる??。そんなそんなことも解らないようになっているのが日本の衰退の一番の原因だと私は思います。
以前とある大学で講義をした時に英文科の講師だか先生が同時通訳で海外の学生向けにやりたいというので、お任せしたんですが、始めてすぐに「室町時代と鎌倉時代はどっちが先でしたっけ」なんて言って質問してきたことがあります。結局通訳は出来ず、その先生は早々に撤退して行きましたが、私はその時、もうこの国は終わるかもしれないと思いましたね。大学の英語の先生がまるで自国の事も知らずに英語を教えている現実。失われた30年なんて言葉がありますが、そうなるのは当たり前ですね。

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photo 新藤義久


現代人は精神よりも肉体に興味があって、精神の方が貧弱な人が多いように感じます。人間は肉体的な存在でしょうか。私は精神的な存在だと思います。いくら着飾ったところで、その人の中身は目つき、手つき、姿勢、動き、言葉に全部出てしまうので、中身が伴っていないとかえって表面を繕っているのが見すかされてしまいます。精神があって、そこに肉体が伴ってはじめて文化が生まれ、音楽が鳴り響くのではないでしょうか。
楽しく音楽をやるのは素晴らしい事です。しかし音楽を通して色んな事を考え、時代の中で生きて、深い想いを持って音を紡ぎ出す人も是非いて欲しい。特に琵琶のような旧く長い歴史を持ち、日本だけに留まらずオリエント全体に渡る深い歴史を持つ楽器なのですから、是非そんな方が居て欲しい。何を考え、どこを見て、どうやって生きて次の世代に渡したいのか。それがそのまま音楽になると私は思っています。この日本の風土や歴史に根差して音楽を創っている人と、一緒に音楽をやりたいですね。

The Summer Knows 2024

台風は大丈夫だったでしょうか。今年は猛暑・地震・台風と大変な夏でしたね。

清里高原


厳しい夏ではありましたが、個人的にはいつもながら淡々としたものでした。しかしまあ振り返ってみれば久しぶりの出来事や嬉しい事なども色々ありました。ちょっと高原に涼みに行ったり、久しぶりに海外の友人が来日して盛り上がったり、新たな音楽仲間との出逢いがあったりと、極々些細な事が多いのですが、以前よりゆっくりと生きるようにしているせいか、小さなことでも面白がって楽しめます。不穏な世の中に在って、こういう日々の悦びがあるというのは有り難いですね。

今年はビル・エバンスとエディー・ゴメスの演奏で

夏を過ぎると演奏会も増えてきて、リハーサルやら打ち合わせ等、動き回ることが一気に増えて来ます。11月の頭には、まつもと市民芸術館での公演もありますし、この所書いているように今は次のアルバムの制作に入っていて、10月に第一回目のレコーディングも決まりました。
琵琶樂人倶楽部の方も毎年9月には来年のスケジュールを出すのですが、既にほとんどが決まりました。そして10月の会で200回目を迎え、11月には18年目に突入という、何だか慌ただしい秋となりそうです。

琵琶樂人俱楽部にて田澤先生と
先日ヴァイオリンの田澤明子先生の演奏会が大久保のヴェルトゥオージで開催されました。正に秋の始まりを感じさせてくれるようなさわやかで、且つ充実した内容でした。相変わらず、あちらの世界に行ってしまったかのような驚くべき技術と高い音楽性。独自の表現を考え抜いた超ハイレベルの演奏でした。この田澤先生と時々ご一緒させてもらっていると思うと身が引き締まります。本当に嬉しいです。10月のレコーディングでも2曲演奏してもらうのですが、楽しみで仕方ありません。笛の大浦典子さんやメゾソプラノの保多由子先生等、私は素晴らしい音楽家に囲まれているな、とつくづく思います。こういう仲間たちが私の一番の財産だなと実感しますね。作曲をしても、それを実現してくれる人が居なければ音楽には成りません。また譜面通りに演奏してもらっただけでは、そこには命は宿りません。譜面に書かれた音符から独自の世界を紡ぎ出し、更に一緒になって創り上げる事で、私の小さな頭で考えたことが何倍にも大きくなって、新たな世界の創造へと繋がって行くのです。

夏の終わりは年間末と共に一つの区切りという感じがします。そのせいかこの時期には上半期の様々な事が甦りますね。私も随分長く生きて来ましたが、こうして年を経ても先を見て歩んで行けるというのは幸せな事。私は琵琶の曲を創り演奏するのが仕事ですので、これからもどんどん良い仕事をして行きたいです。そしてまた来年もこんな夏の終わりを迎えたいですね。

さて、今月は演奏会も始まります。久しぶりに人形町楽琵会が再開という事で張り切っています。これ迄はベテラン演奏家・舞踊家にゲスト出演を願いましたが、今回は心機一転、今を時めく若手二人を迎え、新鮮な内容でお届けします。是非お越しくださいませ。


9月28日(土)  開演:14:00
場所:小堺化学本社ビル 地下MPホール 馬喰横山駅A3出口より直進徒歩3分
アクセスマップ アクセスマップ | 小堺化学工業株式会社 (kosakai.co.jp)
出演:塩高(琵琶)玉置ひかり(笛) 西川箕乃三郎(舞踊)
料金:2000円
お問い合わせ Office Orientaleyes  biwa-shiotaka.com 
       小堺化学工業 
03-3662-4701 kosakai_h@kosakai.co.jp 

もっと日本に、世界に豊かな文化が溢れて欲しいですね。国家=文化だと私は考えています。政治も経済も軍事も皆国家にとっては必要な物ですが、それは文化という土台があって、初めて独自の経済や政治になって行くのではないでしょうか。今こそ文化を大事にして行く時代ではないかと!。

歩いて行こう

先日のSPレコードコンサートは盛況のうちに終えることが出来ました。やはり水藤錦穰先生は圧倒的ですね。あれだけの技は今では聴く事が出来ません。粒のそろった一音一音は、実にスピード感があって且つ艶やかで、正にトップレベルの技術ですね。目指す音楽は私とは違いますが、一つの技術的目標としてずっと畏敬の念を持っています。

水藤錦穣6

錦琵琶を創った水藤錦穰師

毎年SPコンサートが終わると夏も盛りを過ぎたという感じがします。もう17年もやっていると、私には年中行事みたいなものです。もうそろそろ歩き回ることが出来る季節になるので、お散歩三昧が始まります。秋は演奏会も多いのですが、地方公演に行った先で、空き時間に周辺を歩き回るのが実に楽しいのです。

フンドーキン旧社屋1フンドーキン旧社屋
随分前ですが大分の臼杵にあるお寺で演奏会があって、演奏会の合間に臼杵の街を散々歩きました。そこで食べたフンドーキン味噌がとっても美味しくて、以来ずっと我が家はフンドーキンです。ここ数年では新潟や松江の街をくまなく歩きました。もうほとんどビョーキみたいなもんです。でも歩き回っていると色んな音が聞こえ、季節の移ろいが見えて、沢山の人に出逢います。そしてそこでの多くの体験が私の音楽を創ったのだと思っています。

石仏13

臼杵の石仏

私にとって、「歩く」という行為はとても自分らしいと感じています。私は車の運転をしないので、どこに行ってもひたすら歩くのですが、歩く事で得たものは実に多いですね。インターネットに関しても世の中の色んなことに関しても、私は現代のスピードに対応出来ていません。しかしこの時代遅れの「のろさ」で歩いていると、普段見落としてしまがちなものも様々見えて来ます。先日のSPレコードコンサートでも、来場の皆さんが一様に「SPでないと聴こえない音がある」と言っていました。この日はAsax奏者のSOON・Kimさんも来てくれて、チャーリー・パーカーの「Embraceable You」を聴いて「SPでなければ聴こえて来ないね。パーカー最高」と言っていましたが、SPからLPになった時に何かを失い、LPからCDになった時もノイズの無い綺麗な音に隠れて何かが失われ、またネット配信になった今、私たちはまたも何かを失ってしまったような気がします。そしてその失ったものは実はとても大切な部分だったのかもしれません。

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私は古代から中世辺りの時代にとてもロマンを感じる方で、その時代のものが残っている街にはとても惹かれます。現代は人間の本来持っている生きるスピードを超えてしまったと感じているので、スマートシティーみたいな所には魅力を感じません。現代のハイスピード文明のお陰で海外にも行けるし、全国を回ることが出来るのですが、自分の足で歩く事を忘れた現代人は、あまりに多くのものを失ったとも同時に思っています。だから旧い歴史のある街を歩く事で、その失ってしまった何かを感じ取ろうとしているのかもしれません。
色んな所に行くのですが、なかでも奈良はもう何度歩き回ったか忘れる位行っています。奈良の旧い土地を巡っていると、何ともノスタルジックな気分になりますね。もう20年以上前ですが大宇陀の古い町並みの一角で小さな演奏会もやったことがありました。あの辺りは今も素朴な雰囲気がいい感じの所ですが、万葉の時代は狩場だったそうです。人麻呂の「東の野に炎の経つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」の歌も、ここで詠んだのかと思うとぐっと来ますね。ああいう場所に行くと、自分の中の時間が大きく広がるような不思議な感覚になります。

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笠置寺  柳生街道  


他には葛城古道や山の辺の道、柳生街道など何度か歩きましたが、ゆっくり歩いていると色んな出逢いがあって実に楽しいのです。車で動き回っていては体験できません。歩く事で初めて見える、聴こえるものがありますね。
山の辺の道を歩いたのは12月。木津での演奏会の後でしたが、天理からのんびり歩いていって、途中でミカンの収穫をしている農家の方に出逢って、その場でもぎたてのミカンを頂き、そのあまりのみずみずしさに感激したり、寒さに震えて三輪に辿り着き、そこで食べた温かいにゅうめんとむかご御飯にほっとしたりと、こんな素朴で小さな思い出が沢山あります。柳生の里から笠置寺まで歩いて、そこから笠置の山を下りてふもと温泉で休んだのも気持ち良かった。奈良駅からバスに乗って、わざわざ浄瑠璃寺の随分手前で降りて、何時間もかけててくてく地元のおじいちゃんとお喋りしながら、周りの景色を見ながら浄瑠璃寺に辿り着き、そのまま岩舟寺まで山の中を歩いたこともありました。ああいう所に行くと本当に落ち着きます。こういうのは時間をかけてゆっくり歩かないと体験できないですね。私はやっぱり沢山の人が蠢き、何でも手に入る便利な都会で生きるのには向いていないのかもしれません。

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photo 新藤義久


今世界中が不穏な空気に覆われて、至るところで紛争・戦争があり、日本国内でもままならない状態になっています。しかしそれは今を生きる人間たちの心が造り出している現実だと私は思います。SNSなど見ていると、おしゃれで綺麗な格好の内側にある現代人の闇が容赦なく飛び掛かってくるのです。10年程前にはミクシィやfacebookをやっていましたが、あまりに人間の想念・欲望・情念が見えて来て耐えられず退会してしまいました。まあそれはそのまま自分自身の心の闇を見せられているという事でもあるのかもしれませんが、とにかくああいうものが身の回りにあると、どんどん自分もその渦に巻き込まれ同化してしまいそうで、とてもあの中には居られませんでした。
今でもたまに知人が面白い記事を見せてくれる事がありますが、現代人はもう内に持っている狂気を隠さなくなり、常に吐き出し続ける事に慣れてしまったのでしょう。業火の只中にあるとはこういう事なのかもしれません。私はこうして好き勝手に一方通行でブログを書いている位がちょうど良いです。

琵琶湖の朝日s

朝陽の昇る琵琶湖

自分の作品が配信によって世界に流れているこの現実の中で生きながら、私は「歩く」事でその文明の陰で失った何かを探しているのかもしれません。もうこの文明を拒否して生きる事はかなわないのだと思いますが、ゆっくり「歩く」事も忘れたくないですね。

夏恒例 SPレコードコンサート2024

今年もSPレコードコンサートの真夏の夜がやって来ました。琵琶樂人倶楽部も今回でなんと198回目。我ながら凄いな~~と思ってます。さて今回のSPコンサートは、昨年に続き永田錦心、水藤錦穰、田中旭嶺の演奏を聴いて頂きます。色んな演奏家のSPがあるのですが、やはり永田錦心、水藤錦穰は外せませね。毎回レコード選びはヴィオロンのマスターとゆっくりコーヒーを飲みながらやるんですが、特にここ数年はどうしても永田・水藤辺りに落ち着いてしまいます。やはり次のLP時代の鶴田錦史へと続く最重要アーティストとして欠かせませんね。
永田と水藤は師弟であり、水藤と田中は親しい友人で、二人して腕を磨き合ったという間柄。この頃は素晴らしい伝承があったんだなと思います。単に技や曲ではなく、あくまでのその志を継ぐという伝承の基本が守られたのがこの時代でした。いつの時代も肩書を並べて優等生ぶりをアピールする輩は多いですが、そういう人達は基本的に音楽家ではありません。そんな音楽家・芸術家の感性を持っていない人ばかりになったらもう何も生みだす事は出来なくなってしまいます。伝承とは創造であり、そして前衛であるのです。そこがしっかりと在ったのがこの時代だったと、SPを聴きながらいつも感じ入ります。
是非永田錦心の志を受け継いで、永田が願ったように新しい時代の琵琶樂を創る人が出てきて欲しいですね。私も微力ながらその永田錦心の志を胸にこれからもやって行こうと思います。

いつも思いますが、SPレコードはやり直しの効かない一発録音。だからその技術は現代では考えられないようなハイレベルだったのだと思います。また演奏の気迫も、今の何でも加工できる時代の演奏とは全く違います。この機会に是非聴いてみてください。

SPコンサートにて photo 新藤義久

今年も後半はSPでジャズを聴いて頂きます。同時代に発展したジャズは、やはり70年代にはだんだんと形骸化の道を辿りました。ジャズはそれでも形を変えながら80年代半ば位迄は、その勢いもまだまだ健在でした。しかしショウビジネスの発展と共に育ったジャズは、時代の中で次第に需要が無くなり、60年代を牽引していたジョン・コルトレーンやオーネット・コールマン、ジャズの歴史をそのまま生きたルイ・アームストロング、そしてジャズの代名詞とも言えるマイルス・デイビスの死去を境に多様に変化して、ポップス、ロックなどに溶け込むような形でその姿は消えつつあります。
現在ではジャズを教える音楽学校も多々ありますが、技術や知識は受け継がれているものの、その志は琵琶同様あまり見えて来ません。音楽は常に社会と共に在るので、社会の変化に対応できなければ消えて行きます。ジャズも琵琶樂も激動する社会には着いて行けなかった音楽という事なのかもしれません。
ただこれだけの遺産が残されている訳ですから、その何かを受け継ぎ、また新たな音楽として世に打ち出すような人物がきっと出現するのではないかと、私は期待しています。是非先人の遺した遺産を今一度聴いてみてください。そこには多くの発見と感動が溢れている事と思います。

8月18日(日)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:17時30分開場 18時00分開演
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(司会・レクチャー) 
演目:上記フライヤー参照ください

追伸

琵琶樂人倶楽部も10月の会で開催200回を迎え、11月で18年目へと突入します。100回目の時は別の場所を借りて演奏会をやりましたが、今年は開催200回記念をいつものようにヴィオロンで、Msの保多由子先生、Vnの田澤明子先生、尺八の藤田晄聖君を迎えて、私の作曲作品を演奏します。改めてお知らせしますが、こちらは10月9日です。是非是非よろしくお願いいたします。

お待ちしています。

溶け合う音

我が街阿佐ヶ谷は今、七夕祭りで大賑わいです。世の中は常に不安が付きまとうような時代になって来ましたが、たまにはこうしたイベントで憂さ晴らしもしないとやっていられませんね。

5年前の「100分e名著」カット
最近何となく感じるのですが、ここ5年程、つまりコロナ禍少し前辺りから、何とも言えない変化を感じています。5年と言えば肉体的にも随分と変化しますので、肉体的なものからくる感覚かもしれませんが、特に時間の過ぎ行くスピードがあまりに早く感じます。まあこの5年で社会の在り方やセンスも大きく変わって来て、世の中が急激に変わったという事なのでしょう。時代のポイントを通過した、そんな気がしています。

そんな中、自分の活動も作品もかなり変化してきました。2018年にリリースした「沙羅双樹Ⅲ」でかなり自分の世界が形として出来上がって、自分の思う世界が以前よりずっと具体化して来たのが一つのきっかけだと思っていますが、その辺りから自分の中で原点回帰が始まってきたように思います。

私は音楽の好みがプログレッシブロックやフリージャズ、現代音楽辺りにあって、とにかく伝統的なものより前衛的なものが好きなんです。民族芸能なんかにも興味があるのですが、私にとって音楽はあくまで自分の表現として、作曲し演奏するものであって、リスナーを躍らせたり笑わせたりするエンタテイメントとは考えていません。それは最初から変わっていませんね。受けるかどうかなんて事は全く考えず、自分が納得するかどうかが100%です。だからショウビジネス分野でやっている人は、同じ琵琶を弾いている方でも、全く別の分野の方としか思えません。ギターでもジャズを弾いている人とフォークソングの弾き語りをやっている人の違いみたいな感じでしょうか。その距離感はかなりのものです。

かつて演奏していたジャズは今でも好きで良く聴いているのですが、演奏している頃はフラストレーションをいつも感じていました。それはリズム・メロディー・ハーモニーにどこまでも囚われている所ですね。ジャズは聴いていると演奏家が自由に何でも出来そうなんですが、実際はドレミからもビートからも解放されないという所がストレスでした。一方現代音楽の方は随分様々な手法を駆使していると思いますが、どこまで行っても譜面から解放されず、演奏家の音楽ではなく作曲家の音楽という所を強く感じてしまいます。その点、邦楽の持っている自由自在な「間」やハーモニーに囚われない音の並び、微妙にそして大胆に変化して行く音色、そしてどこまでも音楽が、演奏家のものであるというところが私を惹きつける部分です。洋楽はどうも私には束縛が多過ぎるのです。

2002年1stアルバム「Orientaleyes」   2018年8thアルバム「沙羅双樹Ⅲ」


1stアルバムでやっていた世界観は簡単に言うと、「まろばし」等に代表されるように、洋楽の五線譜では表せない日本特有の「間」や、ハーモニーやリズムに囚われない即興性などを土台として、琵琶の音色と技術を用い、そこに少しばかりの洋楽の知識を盛り込んで創り上げた作品が中心でした。まだ粗削りで未消化な部分も多々ありますが、勢いだけは120%でしたね。多分にプログレやフリージャズに近い作品だったと思います。未だにこの1stアルバムを支持してくれる人が結構居ます。

1stアルバム「Oriental eyes」より

琵琶を手にした最初の時点で、自分の好みや方向性がその時点ではっきりと認識できていたというのは大きかったと思います。琵琶という相棒を得たことで、技も手法も音色も自分のやりたい事が実現出来るようになり、リズム・メロディー・ハーモニーから解放され、日本の感性を土台に音楽を創り、演奏者主体の即興性も加味され、とにかく洋楽の束縛から解放され、自由に音楽と関わることが出来るようになりました。その上で、洋楽の知識を利用する事で、やっと自分の音楽が形として現れるようになったという訳です。

一時期、自分でも弾き語りが出来なければいけないんだという囚われもあったのですが、ちょうどその頃、全く違う世界を持つ樂琵琶にも取り組み、こちらでは器楽曲を沢山作曲し、多くの作品をリリースして来ました。それもあって、弾き語りの呪縛に苦しむこともなく、樂琵琶によって自分の作品の幅が広がり、作品ががどんどんと出来上がってきたこともあり、だんだん薩摩琵琶での弾き語りはやらなくなりました。特に2018年の「沙羅双樹Ⅲ」の壇ノ浦をきっかけにもう弾き語りというものから吹っ切れて、今では、弾き語りをやる機会は年に数回という位になりました。やっぱり元々琵琶唄には全く興味がありませんでしたし好きでもなかったので、そういうやりたくない事は自分の音楽が確立して来れば自然とやらなくなるものですね。
樂琵琶は雅楽の楽器ですので、雅楽を基本にしていましたが、雅楽をやらなければというストレスは最初から全く感じる事無く、雅楽は自由に学び、またやりたいように雅楽の知識や技を自分の音楽に取り入れることが出来ました。樂琵琶ではシルクロードをイメージして作曲した作品が多いですが、前衛的な作品もいくつか出来上がって、次のアルバムではVnとのデュで「凍れる月~第二章」同じく樂琵琶独奏の「凍れる月~第四章」を収録予定です。

photo新藤義久

これ迄は樂琵琶と薩摩琵琶はそれぞれ二つの世界という感じでしたが、ここ5年程で薩摩琵琶も樂琵琶も、ただ塩高の音楽という所に集約されて、自分の本来持っていた世界が手法技法を超えて、溶けあうようにして表に出て来たように思っています。それが私の場合、多分に前衛的な作品という形なのです。一見ある意味相反するものが、私という器を通して一つに溶け合って行くようで、二つの琵琶の間に差異はほとんど感じなくなってきたのです。

2stアルバム「MAROBASHI」より


上記に張り付けた「太陽と戦慄第二章」、「in a silent way」、そして定番の「まろばし」等の作風は、2018年リリースの8thアルバム「二つの月~Vnと琵琶の為の」で新たな展開をしました。そして次のアルバムで収録を予定している「Voices ~Ms・Vn・琵琶の為の」へと繋がりましたし、今、また薩摩琵琶と笛による新たな作品も姿を現しつつあります。どんどん先へと進んでいるようで、実はどんどんと自分の奥底へと回帰しているようにも感じます。

私は琵琶を弾けば弾く程に色んなものから解放されてゆく感じがしています。時間はゆっくりですが、この30年程は肉体はそれなりになって来ても、精神は毎年ベールを脱ぐように軽くなり、楽になり、だんだん本来の自分に戻って来ている気がしています。まあ性格的に伝統やら流派やらというものに留まるようなことは最初からなかったですが、それでもどこかに囚われていた部分も様々あったと思います。それが少しづつ解放されて自分の音に成って行ったという事です。ここ5年間ほどでそんな気分が加速してきたので、これ迄とは違う時間が流れているように感じたのかもしれません。きっとどこかで社会の変化と連動しているのでしょうね。

今後も更に音楽は自分らしくなって行くでしょう。とにかく言える事は音楽以外の欲を持って取り組まない事ですね。余計な欲を持っていると躓きが多くなるし、脇道に逸れやすい。またその欲に振り回されて自分のやりたい事が霞んでしまう。音楽家はとかく周りにまとわりつく欲に振り回されやすいので、自分の行くべき道が霞まないようにマイペースで進みたいです。

納得の行く作品を創り演奏をして行きたい。それだけですね。

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