舞人

先週は四谷区民センターホールにて「祭りの刻」という舞踊公演で演奏して来ました。

私は大谷けい子先生率いるダンスネオシノワーズチームの一員として、笛の玉置ひかりさんと演奏して来ました。大谷先生とはもう随分前に天王洲のアートスフィア(現 天王洲銀河劇場)で共演したことがあるのですが、今回はその時に上演した「平家幻想」というダンス作品を改変しての再演でした。

私は琵琶で活動を始めてもう25年以上経ちますが、最初から毎年舞踊家と舞台に立っています。ジャンルは様々で、舞踏のような前衛からバレエ、モダンダンス、フラメンコのような洋舞系、そして能や日舞、地唄舞等の和ものまで、色んな舞台で一緒にやって来ました。舞人と一緒にやると毎回いろんな発見があるのですが、それは何と言っても空間の使い方ですね。音楽家は音楽に集中するので、空間の把握はあまりしませんが、舞人は隅から隅まで空間を見て、照明効果も考えて舞台を創ろうとする。この姿勢・感性にいつも大いに刺激されるのです。今回はスタジオでの練習時には漠然としか全体が見えていなかったのですが、当日ゲネプロ動画を見返していて、自分が創造している遥か上を行く素晴らしい空間になっている事にびっくりしました。照明の使い方が絶妙で、実に美しい。更に各セクションの切り替え部分が、舞台全体で観ると実にスムーズなんです。音だけではちょっとつなぎがどうかなと思っていた部分も映像で観ると全く無駄がなく、且つ自然な流れになっていました。今回も舞台への視野をまた一歩広げてくれました。

大谷チームの面々 左から笛:玉置ひかり 舞踊:杉本音音 大谷先生 私 舞踊:工藤史皓


今回は笛の玉置さん、舞人の工藤君、杉本さんと若手が揃い、大谷先生が要所を締めるという形でしたので、とにかくフレッシュなエネルギーが満ちていて、全体にとてもさわやかな雰囲気がありました。良い経験をさせてもらいました。

何故舞人とずっと共演してきたのか自分では判らないのですが、縁があるのでしょうね。花柳面先生や津村禮次郎先生、バレエの雑賀淑子先生には何度も声を掛けてもらって、いくつもの舞台をやらせてもらいましたし、モダンダンスの萩谷京子先生や田中いづみ先生、フラメンコの川崎さとみさんなんかと御一緒したり、アンサンブルまろばしの公演では花柳面萌さんと新作を上演したり、そのいずれもがとにかく刺激的で、楽しく想い出深いものでした。舞踏の方は皆即興でやるのですが、そういうスリリングなものも面白かったです。本当に共演する度に多くの事を学びました。舞人によって私は育てられてきたのではないかと思う程です。こういう経験こそが私の琵琶人としての25年程の活動の財産ですね。是非次世代の琵琶人もこんな経験をして行って欲しいと思います。

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左:人形町楽琵会にて津村禮次郎先生と 右:ルーテル市谷ホールにて花柳面先生と

左:横浜ZAIMにてヤンジャさんと 中:キッドアイラックアートホールにて 牧瀬茜さん SOON・Kim(ASax)さんと 
右:武蔵野スイングホールにて かじかわまりこさんと

左:本木ストライプハウスにて 坂本美蘭さん 尺八の藤田晄聖君と

右:西横浜エルブエンテにて 藤條虫丸さん 魔訶そわかさんと


9月28日(土)には注目の若手の舞踊家 西川箕乃三郎さんと、今回共演した笛の玉置ひかりさんを迎えて、人形町楽琵会のラストライブをやりたいと思っています。人形町楽琵会はコロナでずっと休止状態でしたが、これで一区切り。規模は小さいですが、若手と一緒に今後の発展を期待して盛り上げたいです。

詳細はまだなのですが、是非お越しくださいませ。
人形町樂琵会 | 小堺化学工業株式会社 (kosakai.co.jp)

これからも魅力ある舞台を創って行きたいですね。

ジョージアフェスティバル

代々木公園でやっていたジョージアフェスティバルに行ってきました。

私がこのブログをはじめたのが2009年の秋なんですが、書き始めてすぐに中央アジアへツアーに出て、そのツアーの最後にジョージアに行ったのです。これ迄色んな国に行って演奏して来ましたが、ジョージアはとても記憶に残っていて、是非また行ってみたいと思っている国なのです。あれからジョージアの文化やワインなどずっと関心を持って来ましたので、日曜日の舞台で繰り広げられるパフォーマンスを見ていて、溢れるように想い出が甦って来ました。考えてみればもう15年も前なんですね。時の経つのは早いものです。この時のツアーは国際交流基金の主催公演で、トルクメニスタン・ウズベキスタン・アゼルバイジャン・ジョージア(当時はまだグルジア)と半月ほどかけて、コンサートホールや音楽大学などで演奏やレクチャーをやって来ました。

ルスタベリ劇場正面


ジョージアでのコンサートは首都トビリシのルスタベリ大劇場という大変立派な劇場でやりました。日本人としては我々が初めてだったようです。トビリシに行くまで10日以上ずっとイスラム圏の国を回っていたので、さすがに食事に関しては飽きて来ていて、メンバースタッフ共にそろそろ限界に来ていたのですが、ジョージアは野菜も豊富だし、豚肉料理やニンニクなどの味付けもあり随分と助かりました。勿論ワイン発祥の地ですので、ワインもたっぷりあって大満足。

左はトビリシに到着した日に日本大使館の方々に連れて行ってもらったレストランでの料理です。緑色のものはホウレンソウ(?)を使ったもので、なかなか美味しかったですね。あと川沿いのレストランで食べたちょっと癖の強いソーセージ(右)や、写真中央の小籠包みたいなヒンカリという料理も美味しかったです。
大使館でボイラーを担当している日本人の方の勧められて、オフの日に「ヒンカリハウス」という専門店に皆で行こうと待ち合わせたのですが、私は方向音痴なのか皆に巡り合えず焦りました。でもそのお陰でたっぷり時間をかけて市街をくまなくぶらついて、石畳の道(旧市街かな)に無数にある古い教会などを巡って歩き、街の雰囲気を楽しむことが出来たのです。街は治安も良く、全く心配無かったので、手作りのパン屋さんでちょっと変わったホットドックみたいなのを買って食べたりしながらぶらぶらと歩いていていると、バスの運転手さんも買い物途中のおばさんも、教会の前に差し掛かると皆十字を切って頭を垂れている姿になんかとても好感が持てました。大通りでは古本市が出ていてバンドが演奏していて、絵に描いたような素晴らしい街を、はぐれたお陰で堪能することが出来ました。後日、心優しい照明担当の方が改めてヒンカリハウスに連れて行ってくれて爆食してきました。

終演後5s

左:終演後ダイアスポラ担当大臣婦人、日本大使夫人と  中:終演後舞台にて  右:終演後メンバー・スタッフらと共に


演奏会場のルスタベリ劇場はそれはそれは素晴らしい劇場で、充実した演奏が出来ました。とにかくトビリシには良い想い出しかないのです。古の文化を感じさせるような旧く美しい街並み、親切に招き入れてくれる教会、美味しい食べ物、ワイン等々旅の最後の公演地としては極上のものでした。

街の教会5

左:旧市街の教会の夜のライトアップ 右・左 少し外れた所にある古い教会



久し振りにジョージアの文化に直接触れて、15年前が甦るようで本当に楽しい時間でした。ジョージアの料理もまた食べてみたいです。以前はジョージア料理の専門店が東京にもあったようなんですが、今は無いのが残
念ですね。私はロシア料理のお店はしょっちゅう行っていて、行くと必ずジョージアワインを頂いてますが、是非またヒンカリなんか食べてみたいですね。ここ数年松屋がジョージアの代表的な料理「シュクメルリ」などメニューに出していましたが、マジデガチなやつが是非とも食べたいですな。そしていつかまたジョージアに行って街と文化を堪能してみたいです。政治的にはなかなか大変なようですが、いつか実現したいですね。

ルスタベリ劇場での演奏


このフェスティバルは、探したわけでもなく、ネットで見つけたのですが、これも何かの縁なんでしょうね。導かれたかな。東京でジョージアの文化に触れることが出来る場所もきっとあるのでしょう。探してみようかと思います。ワインも1本買ってきたので、今夜はこれを呑りながらのんびりツアーの写真など眺めて過ごしますよ!!。

本当に楽しい一日でした。

日々整える

今週は山形の鶴岡市にある本鏡寺にて演奏してきました。山形はもう15年ほど前に米沢の置賜文化ホールで演奏して以来ですので、とても楽しみにしていました。

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車窓から見た日本海

今回は新潟まで新幹線で行って、新潟から特急いなほに乗り、羽越本線に入って鶴岡に向かいました。日本海側を走るのですが、日本海は乗り鉄としては実にぐっとくる風情なんです。私が育った駿河の凪の海とはまた違い、ごつごつした岩が海岸線近くに在って、これが良い感じなんですよ。ずっと眺めていられますな。考えてみれば日本海側は随分と行っているんです。九州・山陰・北陸と結構色んな街に行ってます。長門から遊覧船で少々荒れた海に出たのも面白かったし、良寛さんの足跡を訪ねて行った出雲崎も良かったです。中でも新潟から村上まで車で連れて行ってもらった時に見た、海に沈む夕陽は忘れられませんね。感動しました。日本の風景は海山共に飽きる事がないですね。

山形「古から現代へ」裏 002今回はメゾソプラノの保多由子先生、フルートの久保順さん、私のトリオでクラシックの曲と私の作品のカップリングというプログラムでしたので,、邦楽演奏会という感じよりも音楽会という感じ。お二人もドレス姿でしたし、私も洋装で演奏しました。お客様も予約の方以上に集ってくれまして、100人を超えて熱気が溢れていました。
鶴岡は歴史のある街で、お堀や城跡などが駅の近くにあり、古い建物も結構残っていて、落ち着いた古の風情が好きな人には魅力的な街です。今回、街はあまり散策する時間が無かったですが、今度行く機会があったら是非街をぶらついてみたいです。
演奏会の後は地元出身の詩人 茨木のり子さん縁の「新茶屋」さんで打ち上げ。次の日には念願の羽黒山にも連れて行って頂き満喫。斎館という所で精進料理も頂いて来ました。勅使の間という素晴らしいお部屋を取って頂いて、料理長の方が直々に料理の説明に来てくれましたので、ゆっくりじっくりと味わってきました。

勅使の間
勅使の間 出羽三山HPより

ああいう自然の中に身を置くと身も心も整いますね。都会に帰ってくると、やはり東京は空間が全く無く、ひずみが半端ないなと感じます。未だに右肩上がりの経済成長こそが発展だ、豊かさだと世界中が血眼になって争っていますが、もうそういうセンスでは次の時代は訪れません。きっと多くの方がそう思っているのではないでしょうか。次世代の哲学と感性が必要だと感じてなりません。
出羽三山は是非とも行ってみたい所でしたので、演奏会は元より、念願かなって良い旅となりました。今度また行く機会があったら、次は月山に行ってみたいです。

1s羽黒山の杉並木

有難い事に、月に1,2度はこうした演奏会に恵まれ、毎月の琵琶樂人倶楽部も順調にやらせてもらっています。年を追うごとに、この道で生かされている事に感謝を感じますね。目下の目標は秋に予定している10枚目となる(オムニバスを入れると12枚目)オリジナルアルバムのレコーディングで、着々と中身を充実させるべく進めているのですが、とにかく納得できる充実した活動をやって行きたいですね。

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私が日々何をしているかというと、色んなものや身の回りのもの等、自分が気持ち良く居られるように整えているのです。まず一番は楽器のメンテナンスと譜面の見直しです。楽器の具合が整っていないというのは仕事の上では勿論の事、精神的にもよくありません。後は撥先の様子を見たり、ノミを研いだり(ついでに包丁も)と色々やる事はありますね。こういう事が面倒だという人は琵琶弾きには向かないかもしれませんね。
その他、いつも思いついたことをノートに書き留めていて、あれこれのんびり考えているんですが、新たな曲のイメージや構成、イメージ初演時のシミュレーションなど書き綴ったり、次のアルバムのリリース時期や、この先どんな感じで展開して行きたいのか、いつも自分で書いて自分で確認しながらやっています。本当に有難い事に、自分で思う以上に様々な形で声を掛けてもらっているので、ノートに書いた内容が自然発酵して、更に発展して、その都度書き直したりしながら日々の行き先について思いを巡らしています。こんな日々がもう25年程続いています。
身の回りを気持ち良くしておくことは私には大事な事で、どんなものでも必要以上に持たないようにしています。まあこうして日々自分の身の回りを含め、音楽活動をやってゆく上で、より良い形で居られるように日々整えるのが、長く続けられる秘訣です。
活動内容も、よく考え今後を見据えて行かないと、自分が納得してやりたい事を実現して行けません。舞台人は日々舞台に立っていると楽しいし、目の前は充実しているので仕事をこなす事で満足してしまって、自分のやりたい事を見失ってしまう人が多いものです。作品を遺せない人もとても多いのです。

今回の鶴岡公演は、知らない内に東京で溜まっているストレスを開放し、本来の心身を取り戻し、整えることが出来ました。有難い経験でした。

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さて、来週の琵琶樂人倶楽部では毎年の恒例となりつつある平家琵琶の会です。今年も津田惠月さんに演奏してもらいます。演目は「大原御幸」。ここは平家物語の中でも屈指の名文と言われるところで、文章を読むだけで平家已然音古典とつながって行く素晴らしい場面です。難しい事はさておき、こういう所を実際に耳で聞いて頂く事はなかなかないので、是非お越しくださいませ。また今回は「大原御幸」だけでなく、そもそも平家物語とは、という入門編的なレクチャーもやります。

2024年6月12日(水)
場所:阿佐ヶ谷ヴィオロン
時間:19時開演
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(レクチャー)ゲスト 津田惠月(平家琵琶)
演目:大原御幸 祇園精舎

お待ちしています。

習うという事

先日は、神奈川の貞昌院にて演奏してきました。今回はここ何年かお世話になっているカトレアの会のラストコンサートという事で、リクエストに応え、久しぶりに歌う曲を選曲しました。
演奏会で歌や語りをやるのはもう何年ぶりでしょうか。祇園精舎くらいでしたら時々やりますが、長い弾き語りはとんとやってないですね。ここ5,6年(10年位かな)は琵琶樂人倶楽部で企画ものの一環としてやることはあっても、他では年に一回やれば良い程度です。今回はお寺の雰囲気もあって気持ち良く演奏出来ましたが、久しぶりにやってみて思うのは、私は歌う身体をしていないという事。やはり琵琶の音を届けるのが私の仕事ですね。

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笛の大浦典子さん、筝の藤田祥子さんと 神奈川の貞昌院にて

最近よく思う事なのですが、古武術の甲野善紀先生がよくいう、「現代人は『見取る』力が失われつつある」という事が最近よく気になります。
昭和までは、職人でも武道でも音楽でも、弟子入りしてもろくに教えてもらえず、何年も横で見ながら盗んで技を身に着けて行った、という事を聞いている人も多いかと思います。私はそんな師匠に就いたこともないし、若い頃はそんな理不尽なと思っていたのですが、最近は自分が多少教える側になってみると、知識や技をすぐに教えてしまうという事に少し違和感を覚えるようになりました。甲野先生の話の中で、アボリジニは車の助手席に二日も乗せていたら、運転出来るようになってしまうと言っていましたが、見て会得して行くという「見取り」の力は確かに現代人はなくなっているように思えます。

見取りが出来る人は、ただ真似るという事でなく、どんどん工夫もするし、技の先も考える。この技でどんなことをやろう、どんな世界を創ろう、という発想が自然と湧いてくるのでしょう。武道でも音楽でも、その先に思考が行く人は技も冴えて、ヴァリエーションが増え、更に多くのものを見取り、あらゆる場面に応用が利くようになります。「その先」が見えて来ない人はいつまで経っても、見ただけの事しか出来ず、教えてもらった事以外何も出来ません。
伝統芸能の世界でも習った事をしっかりやるだけで自分への問いかけをあまりしない人が多いように感じますが、そんな人に目を開かせるのが本来師匠の役割ではないかとも思います。今日本全体が衰退に向かっているのも、物事の「見取り」が出来ずその先へと視線や思考を向ける事が出来なくなっているからかもしれません。

4福島県 安洞院にて 能楽師の津村禮次郎先生と
何故見取る力が無くなってしまったのか。本当に教える事の出来る先生が居なくなったと同時に、それは便利な世の中になって、直ぐ結果を求めるようになった事と、手取り足取り教えないとクレームが来るような社会が通常の状態になっているという事でしょう。
また日本は超忖度社会であり、集団やコミュニティーの中に居ると、なるべく異を唱えないように、問題を起こさないようにと考える民族です。それがコロナ禍でいっそう進んだように思います。そういう体質では目の前を繕う事ばかりで、表面的にしか関わろうとせず、優等生で居ようとする。だから自分がどう思っていても集団に対し異は唱えずディスカッションをしようとしない。挙句の果てにへつらうようになる。私はよくその性質をティーチャーズペットと言ってますが、もう少しきつく言う友人は、コロナ禍の頃から羊根性と言い放っていました。まあ思考停止状態で何でも言われた通りにする姿を見ればそう言いたくなるのも判ります。

先生と同じ方向を向いて、同じ思考をするのが良い生徒ではないのです。独自の視点や感性を掴んだ生徒こそが良い生徒なのです。何故か。それは表面の技ではなく「根理」を掴んだという事に他なりません。見取りが出来るとは、表面を真似する程度の事ではなく、その表面の奥にある「根理」を掴む事です。それが出来ないと上達もしません。先生も自由な方向に向かう生徒を認め、自由に活動させてあげれば良いのですが、伝統邦楽の場合は、そんな優れた生徒が自分とは違う形で活動をすると、脅かされるようで怖いのでしょう。私の就いたお師匠様たちは皆、私に対して「止めろ」とか「だめだ」という事を一切言わない人ばかりでしたので、自由にやらせてもらいましたのでありがたかったですね。武道の世界では「三年学ぶより、三年師匠を探せ」と言われますが、師匠はじっくりと選んだほうが良いです。どんな師匠に就くかでかなりその先が変わってしまいますし、どんな師匠を選ぶかというのも、結局その生徒の感性なのかもしれません。選ぶ時点から既に道は見えつつあると言っても過言ではないでしょうね。そして師匠の跡を求めず、師匠の求めた境地を求めるようでありたいものです。

枯木鳴鵙図私はこのブログでよく宮本武蔵を取り上げますが、それは武蔵が、師匠に就くこともなくあれだけの境地を得る事が出来、人生を全うした所に感じ入るからです。剣が強いなんてのは、少しばかり体力に恵まれただけで在って、それは肉体の衰えと共にすぐに腕は落ちてしまいます。人生かけて武道に邁進するには、肉体を突き抜けた境地に感性が行っていないと、ただ衰えるばかり。音楽も同様で、習ったことを器用にやるような低レベルの境地ではなく、独自の世界を具現化することが出来る人間は、「根理」と「その先」が見えているのです。
それには世の権力に取り込まれない自由さと、強靭なメンタルが無くては実現しません。何かに寄りかかり、その名前や権威のそばにいる事で自分を飾り立て安心するような根性・精神では、「その先」の世界は想像すらつかないでしょう。時代がどうであれ、我が道を行く強靭なメンタルと身体が備わっている事は必要なのです。そしてそこに想像力・創造力が無くてはならない。

この武蔵が描いた古木鳴鵙図は御存じの方も多いかと思います。墨の濃淡のみで表現する没骨法、そして対象となるものを際立たせるために、筆数を少なくして本質を際立たせる、いわゆる減筆体で描かれており、構図も独自性に溢れて、鋭く且つ静寂な緊張感が感じられます。宋時代の水墨画を模写して絵を学んでいた武蔵なので、牧谿の一部の作品を参考にしたとも言われていますが、日本にも中国にもこういう構図はほとんどありません。大体そんな小手先のアイデアに乗っかるような武蔵ではないと私は思います。また迷いの無い一筆に見える枝の線も上下から書いている二筆です。二筆をこれだけ迷いなく描けることの方が一筆より凄いと思いませんか。一説には武蔵は左利きだったとも言われていますが、何にしろ迷いがあったら描けません。二刀を使う武蔵らしいとも言えるかもしれませんね。

宮本武蔵

宮本武蔵は身体だけでなく知性の人でもあって、物事をオタクのような目先の小さな点で捉えることなく、社会全体を捉える知性と能力そして体力があり、その上で我が道を歩んだのです。それが「見取り」の究極だと私は考えています。我々とは比べようもありませんが、我々もそれぞれが自分の出来る所で「見取り」をする習慣を普段から持っていないと、思考も身体もどんどん鈍くなってしまいます。目の前の事だけ、教えてもらった事だけ、自分が興味ある所だけしか見えないようなオタク体質では、音楽は生まれる事も響く事もないでしょう。

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photo 新藤義久


私はこれ迄、少しだけ師匠にも就いたこともありましたが、その師匠たちは皆、好きなように自分らしいことをやりなさいと言ってくれました。まあ私は普段から変なオーラが出ているようで、私に何か言った所でそれに従うような人間ではないと感じたのかもしれませんが・・。作曲の石井紘美はいつも考える事を教えてくれましたし、ギターの潮先郁男先生は

人と比較してはいけない。自分のグルーヴを大切に。それぞれの技法があるのだから。今の自分のスタイルを磨いて行くのが大切」

と、まだ20歳前後の迷いに迷っている私に言ってくれました。本当に良い師匠に恵まれました。

琵琶に関しては演奏曲も活動の最初から全て自分で作曲しているので、最初に少し習ってみましたが、ほぼ独学に近い形でやっています。子供の頃から古典やシルクロードが好きだったこともあって、何でも自分で考え、時に勉強もし、演奏もレクチャーも総ての活動を自分の裁量でやって来ました。大したことは出来ていないかもしれませんが、自分のやっている事に迷いはないし、これ迄の軌跡にも充実感を感じています。賞やお名前などは私には必要ないですね。そんなものをへたに持って看板にしていると、そこに寄りかかるようになって音楽が甘くなってしまいます。邦楽はそうやって衰退していたのです。どんなものでも評価するのは常にリスナーです。つまらない看板を掲げるより舞台に立った方がいいですね。
私は最初からずっと自分の思う所を、自分の歩みたい道をただ歩んでいるだけです。それが大したことないものであればリスナーから評価はされないだろうし、全ては自分に結果として帰ってきます。
年を経れば経るほどに、自分のこのスタイルが一番自分に合っていると実感しますね。その為にも「見取る」力は常に発揮していないと、世の激流に流されてしまいます。

「己こそ己の寄るべ 己をおきて 誰に寄るべぞ よく整えし己こそ まこと得がたき 寄るべなり」 

「根理」を掴み琵琶の深い音色を音楽にして、次世代の琵琶樂を表現する人が出てきて欲しいですね。

歩む道は一つなれど果て無し

暫く間が空いてしまいました。作曲をしているとどうも頭の中が常に曲の事ばかりになってしまって、他の事が手につきませんね。
先日の保多由子先生のリサイタルは無事終わりました。今期は拙作「経正」と「Voices」の二曲を取り上げて頂き、この二曲を王子ホールで演奏出来たことが本当に嬉しかったですね。琵琶唄は歌と絃を分けて行くべきという事をずっと言って来ましたが、それが最高のシチュエーションで実現したのですから、今回は記念すべき演奏会になったと思っています。
「Voices」、「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」「東風(あゆのかぜ)」「君の瞳」は近年の私の代表作だと思っています。その中でも特に一押しの「Voices」が最高の場所と最高のメンバーとで上演できたことが本当に嬉しかったです。メジャーなものからは程遠いですが、自分のやりたい事をずっと続けてきて良かったと実感できる一日となりました。

Msの保多由子先生 photo 新藤義久

話は前後しますが、GWには日比谷野外音楽堂にて、かねてから一度ライブを聞いてみたいと思っていた「八十八か所巡礼」のライブに行ってきました。久しぶりに生きた音楽を身体の隅々まで堪能出来た最高のライブでした。スカッとしたね。

プログレッシブロックの系譜を受け継いでいるその音楽は、変拍子の多い複雑なリズムや凝ったアレンジメントが特徴で、歌中心のいわゆる売れ線のポップスとは全く違います。それゆえメジャーに乗る事はないですが、それでも日比谷野音がソールドアウトですから、しっかりファンを獲得して世に浸透しているという事です。会場には10代の若者から、私みたいな年代迄幅広い層が集う熱狂の夜でした。
彼らは自分達が気持ち良いと思う事、やりたいと思う事を只管20年やって、ここ迄来たと言っていましたが、とても共感しますね。もう世の中はメジャーレーベルからデビューしたとかヒットチャート1位になったとか、そんな所で活動する時代ではないのです。リスナーは全世界ですし、TVに出た、新聞に載ったなんて事しか頭にないようでは次の時代は生きられません。TVや新聞はもう報道の主流メディアという時代はとっくに終わっていると思っている人は私だけじゃないでしょう。

若者には、先ず自分がやりたい事をどんどん突き進んで欲しいものです。高円寺辺りのライブハウスには熱い想いをただ吐き出しているだけな人も多いですが、最初はそこからでもやってみなくては始まりません。次はそれを音楽にして創って行く努力をする。これが出来るかどうかが音楽家に成れるかどうかの分かれ目ですね。パフォーマーではなく音楽家なのですから、音楽としてレベルが高いかどうかは大事な事。派手なパフォーマンスで目の前の観客をびっくりさせても、音楽に魅力がなくては地元のライブハウスからは抜け出せません。八十八か所巡礼は、とにかくそのレベルがメチャクチャ高い。びっくりする位のアンサンブル能力で、各人のそれぞれレベルも超絶でした。そういう所も妥協せずやっているのが良いですね。正にプログレの魂を受け継いでいるなと思いました。それに右左という事でなく、結構愛国心があるのも好感が持てました。

私もやりたい事をずっとやって来ました。琵琶を手にした時から、ずっと自分のやりたい事をやって来ました。今年の暮れには10枚目となるアルバムの録音とリリースを予定していますが、自分の中から沸き上がるものを音楽で表現してこそ音楽家だと、年を重ねるごとに実感しています。その想いが湧き上がって来なければ、音楽を生業として生きる意味もないです。自分の演奏する曲には絶対の自信をもって舞台に立ちたいし、いつでもどんな所でも自分のやりたい音楽をやりたいですね。

世の中見渡せば、伝統邦楽の世界でも音楽より「売れたい」「有名になりたい」という自己顕示欲に囚われ、音楽が二の次になっているような人が溢れている有様。自分のやりたい事よりも先に自分を取り巻く社会と繋がりたいと思ってしまうと、人は自分を保証してくれる名前や権威におもね、へつらうようになってしまいます。
これからを生きる若者には、そんな小さな視野ではなく、本当に自分のやりたい事を突き進み、それを成就させるスキルを身に着けて欲しい。邦楽では先生と言われながら実は生業に出来ていない人がほとんどです。自分のやりたい事を成し遂げるには、それなりのスキルがどうしても必要なのです。そこから逃げてはいけないし、またやりたい事を捻じ曲げて稼ぎに走ったり、食って行く為の芸に陥ったらもう音楽家としては失格。自分の歩む道をしっかりと踏みしめて進んで行って欲しいですね。

Asax:Soon・Kim   Vn:田澤明子 両氏と 琵琶樂人倶楽部にて


自分のやりたい事をやりたいのです。八十八か所巡礼のように多くのファンは獲得できないかもしれませんが、それでも自信をもって自分のやりたい事をやりたいのです。最後迄。

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