祭の効用

私の住む杉並区では、この時期毎週のようにイベントをやってます。阿佐ヶ谷ジャズストリート(ジャズ)、高円寺フェス(ロックポップス)、荻窪音楽祭(クラシック)など、それぞれ特色のあるフェスが目白押しなのです。今年も阿佐ヶ谷ジャズストリートにちょっとだけ参加してきたのですが、楽しい時間でした。

阿佐谷は普段から人通りが多く、商店街はいつもにぎわっているのですが、この二日間はいつになく華やいで、ただ歩いているだけで自然と元気が出ますね。ジャズは邦楽と同じく、演奏する人も聴く人もどんどん減って行っているのですが、阿佐谷ジャズストリートは地元縁のピアニストの山下洋輔さんや海外で活躍されたベテランギタリストの増尾好秋さんなど、大御所級の方々も出演してなかなかのハイレベルの演奏が繰り広げられています。ストリートの方はポップス系の方たちが主で、あまりジャズはやっていないのですが、楽しいバンドが多く、色々と見て聴いて回っているのは結構楽しいのです。この二日間は浮世の憂さも忘れて気分は上々でした。こうした祭りで皆が楽しくなったり癒されたりして幸せになるのは良い事ですね。やはり人間にはエンタテイメントが必要なんだなと思います。

私は残念ながら凡そエンタテイメントを提供する側には向かない人なので、琵琶の演奏ではなかなかこういうイベントでの演奏はないですね。今回もちょっと隅っこの方でお手伝いをさせてもらった程度なのですが、まあ私の曲では笑ったり踊ったりは出来ないし、この仏頂面ではどうにもエンターティナーには成れませんな。

しかしこういう非日常を過ごす事は、日々のストレスを晴らしてくれるし、精神も肉体も整える事が出来るのだと思います。私ものんびり生きているようですが、知らない内にストレスは溜まりますし、時々こんな時間があるとリフレッシュできます。音楽家としても良い刺激を受けて、色々と気づく事も多いです。日本人はあまり普段はものを言わずに自分の内に溜め込んでしまうので、それで時々発散させるために各地に色んなお祭りがあるんでしょうね。

30代の頃やっていたグループ「Orientaleyes」
ターンテーブル、アナログシンセ、フルート&琵琶

この二日間の祭りで、私は色んな事を感じ考えました。古い友人も阿佐ヶ谷に駆けつけてくれましたし、ランチの時間には、蕎麦道心にて久しぶりに逢う音楽家達とゆっくり話をする時間もあって、良い時間を頂きました。ちょうど今月は月中で演奏会やらレクチャーなどの仕事が一段落着いていたので、追われている仕事も無く、しっかりリフレッシュ出来ました。
私はロックも好きなんですが、中学高校の時からずっとジャズを聴いているので、やはりジャズが一番しっくり来ます。古典文学や和歌には勉強するでもなく身近に親しんでいたので、ルーツは確かに日本文化だと思うものの、青春の思い出と言えばやはりジャズなんです。ジャズの大御所は故郷の静岡に結構公演に来てくれまして、数えきれないほど聴きに行きました。カウント・ベイシーやフレディー・グリーン、エルビンジョーンズなんかと握手したのを今でも思い出します。その他ソニーロリンズ、ミルト・ジャクソン、ジムホール、エド・ビッカート、バーニー・ケッセル、ハーブ・エリス、ジェームズブラッド・ウルマー、カルビン・ウエストン等々、そして東京に出て来てからはマイルス・デイビス、ジム・ホール、パット・メセニー、スティーブ・カーン、ケニー・バレル、ジョー・パス、オスカー・ピーターソン、リチャード・デイビス、ジョン・マクラフリン・・・。もう怒られそうなので止めておきます。皆20代の頃に強烈な印象と共に目の前でかじりつくように観て聴いてきました。

今、私が日本の音楽に対し冷静に自分なりの視点で接することが出来るのは、このジャズの体験があるからだと思っています。かのゲーテは「ひとつの外国語を知らざる者は、母国語を知らず」と言っています。つまり今邦楽衰退の一番の問題は他を知らないという点にあると思っています。他との比較が常に出来ていないと、結局自分の知っている事が正解だと思い込み、音楽全体の姿が見えて来ない。今はクリック一つで世界とつながる時代です。日本だけを見ていては邦楽も成り立ちません。世界の中の日本、琵琶、私という感性が持てないとオタク状態から抜け出せません。私の曲も配信で買ってくれるのは海外の方が圧倒的に多いです。こういう展開をしてこれたのも、演奏するすべての曲を自分で作曲していたからだと思いますし、またこれ迄25年程に渡って活動してこれたのも、日本人としての感性とジャズの知識や経験があるからだと確信しています。

この二日間ジャズフェスを聴いていて思ったのは、改めて私はエンターティナーではないという事と、そういう音楽活動を自らに求めているのではないという事。もう少し言うと、私はジャズでも邦楽でもかなり室内楽的な静かな空間で聴く音楽を創っているのです。決してリスナーをエンターティンする音楽を創っている訳ではないのです。どんな音楽にもエンタテイメント性はあるし、リスナーを乗せて楽しくなるのはとても気持ち良いですが、私のしたい事はそこではないのです。こういうジャズフェスで皆で盛り上がるのも音楽の大きな楽しみの一つだと思いますが、それは私の仕事ではないですね。私は若き日にジャズギターに夢中になってやっていましたが、ジャズギター自体がジャズの中では大変地味な存在で、サックスのように豪快にダイナミックスを表現できる楽器ではありません。そういうものに若い頃から親しんでいたせいなのか、琵琶でも大声張り上げて喜怒哀楽の感情や主義主張をまくしたてるように歌うスタイルには今でも馴染めません。じっくり琵琶の音を聴いてもらえるような音楽を創って行くのが私の仕事だと実感しています。

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Photo 新藤義久


私はいつも頭の中で色んなタイプの曲の構想を練っています。しかし最後にはどうしても静寂感があって漂うようなもの、もっと言うと柔らかさと精緻なものが共存しているような世界観がその根底に出てきてしまいます。人間の作り出したルールによる秩序ではなく、自然が生命の誕生と共に宿していただろう人知を超えた調和が感じられないと、途端に窮屈に感じてしまいますので、ジャズもこねくり回した複雑な理論を追いかけている自分にふと疑問を感じ、もっとルーツに行きたいと思った結果琵琶に辿り着いたのです。
自分自身や自分を取り巻く環境を整える事は、私にとって音楽を生み出して行く事と同じなので、売る事や有名になる事を優先するショウビジネスのエンタテイメント音楽とはどうしても距離を置いてしまいます。つまり私の中でそれはいびつな形であって、それでは「整はない」のです。

楽器のメンテナンスの話もよく書きますが、それも整える事です。私が普段使っている琵琶は100年物から20年物まで色々ありますが、どれも素晴らしい音で鳴ってます。常にメンテナンスをしてゆっくりと付き合って行くと楽器と自分が調和してくるのです。5年もろくにもたないPCやスマホでネット配信して、こうしたブログなども使いながら活動をしている訳ですが、そんな先端の技術や物が無いと成り立たない現代の生活に今一つなじめないのも、私の性格なのでしょう。

SKY Trio+1 ASax:SOON・KIM  FL:吉田一夫 B:うのしょうじ 

この阿佐谷ジャズストリートは、改めて自分の音楽を見つめ直す良いきっかけて与えてくれました。年に一度位こういう時間があるのは嬉しいですね。

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