中世以前の古典芸能に関心のある方なら「宿」(シュク・スク)の事は知っていると思います。能では翁の成立に深く関わっていたり(または宿そのものとされたり)、摩多羅神、猿=先住民=国津神などとも繋がっていて、古代芸能と「宿」や「宿神」というのは大きな関係があります。近世からの三味線中心の文化ではほとんど言われないという所も面白いですね。探してみると「宿」のことを書いた本や小説は結構あります。有名な所では、夢枕獏さんの書いた「宿神」という作品などもなかなか面白いですよ。
「宿」は優れた芸能を演じている時に現れる「何か」と言ったら解ってもらえるでしょうか。フラメンコでも「ドゥエンデ」という神懸ったような瞬間の時を言い表す言葉がありますが、確かに何かが宿っているような、「宿」を感じるような、現実を越えてしまった瞬間は長年舞台をやっているとあるものです。きっと舞台人それぞれにそんな体験を持っていると思います。



今迄やった中では戯曲公演「良寛」のラストシーンがそうですね。能楽師の津村禮次郎先生と私の弾く樂琵琶のみで約8分間やるのですが、津村先生は正に翁となってゆったりと舞います。私は拙作「春陽」を撥を使わず指で静かに弾くのですが、その8分間は会場全体が早朝の湖面のように清浄で、場は静寂に満たされ、且つ生命が静かに存在する、言葉ではとても言い表せないような精緻な世界が出現します。津村先生は毎回客席の方から舞出るのですが、舞が進むにつれ、静寂を越え「宿」が現れてくるような瞬間を迎えるのです。ここ10年に渡り「良寛」は幾度となく再演して来ましたが、これ迄「宿」を感じるようなラストシーンは2回ほどありました。

他にはヴァイオリニストの田澤明子先生との共演の時ですね。近々では4月の三浦半島で開催されたプライベート演奏会での田澤先生の演奏は正に神懸っていました。私は横で一緒に演奏していて「ついに越えてしまった」と感じたのを今でも覚えています。田澤先生・津村年生とは、人形町楽琵会にて拙作「二つの月」で共演させてもらったこともありましたが、実は今月、哲学者の和久内明先生主催の「9.11メモリアル」にて、またこの3人による「二つの月」が再演されます。
武蔵小金井駅前にある宮地楽器ホールにて、9月11日に開催されますので。是非お越しください。
08 | 8月 | 2023 | SHIOTAKA Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – (biwa-shiotaka.com)詳しくは私のHPのスケジュール欄を御覧になってみてください。当日ふらりとお越しになっても結構です。
また当日は戯曲「良寛」の第二幕の部分の再演もします。私と津村先生の他、ここ数回「良寛」で共演しているパフォーマーの中村明日香さんも加わっての上演です。
この私が体験した「宿」が現れる瞬間というのが、果たして「宿」なのかどうかは判りません。しかしその瞬間は、確かに現実・現世を越えた恍惚とも言える時だったのです。それは美を体感したとも言い換える事が出来るかもしれません。確かに現世ではない次元への飛翔の瞬間だったです。小説「宿神」では蹴鞠をしている時に立ち現れる情景が描かれていますが、私がこういう経験したのは、ここ10年です。リスナーとして舞台やレコードCDなどを聴いて、感動した体験は色々ありますが、自分が演奏して感じるあの瞬間は、どんな言葉を尽くしても表現できるものではありません。そして面白い事に津村先生と田澤先生とでは、それぞれ違う世界が現れるのです。津村先生は上記したように静寂精緻の世界。田澤先生は、ある種超えてはいけない狂気の領域へ踏み込んでしまったような世界観なのです。
ただどちらもこの世のものではありませんでした。

photo 新藤義久

これからも「宿」に出逢いたいものです。