OKINAWA Calling

先週はずっと沖縄に行っていました。今回は演奏会ではなく教育プログラムで、最初に日本の学校二ヶ所で演奏して、あとはずっとインターナショナルスクールを中心に回ってきました。

メンバーは、もう20年来の付き合いで、特にこの所特にお世話になっているJCPM7 arts cafeのリーダー、ジョセフ・アマトさんとアマトさんの片腕として頑張っているミツタユージ君と私の3人で行ってきました。英語の方は二人に任せ、私は日本語担当。しかしいつも思うのですが、英語を喋れないと本当につまらないですね。今回は特に会う方が皆英語圏の方ばかりでしたので、いつも以上に実感しました。

大山小学校2大山小学校

宜野湾市立大山小学校音楽鑑賞会(学校のHPより転載)


日本の学校の生徒と、インターナショナルスクールの生徒は随分と反応が違います。以前横浜インターナショナルスクールで授業した時にもそうでしたが、日本人は皆判で押したように恥ずかしがるのですが、そんな子はインターナショナルスクールではあまり居ません。今回は「祇園精舎」をローマ字で書いて、皆に歌わせたり琵琶を弾かせたりしたのですが、もうラップのように歌い踊り出す子も居て、とにかく楽しんじゃおうという気分が溢れてたのが良かったですね。文化の土台が違うからしょうがないのですが、日本人特有の、「周りの出方を見てから自分が動く」という所は何とかならないかなといつも思います。このコロナ禍でも日本社会全体がそうでしたが、日本全体が大きな村状態で自分の意思を優先せず、常に周りを気にしながら生きなければならないのは、かなり窮屈だと私は感じています。ちなみにインターナショナルスクールでは先生もマスクをしていませんし、生徒にも自分の意思で決めるようになっていましたので、私は終始ノーマスクでした。

北谷フィッシャリーナサンセットビーチ


今回のメインは宜野湾市と読谷村のインターナショナルスクール。私たちはちょうど真ん中辺りの北谷町美浜地区、フィッシャリーナと呼ばれているしゃれた海辺のホテルに連泊していました。サンセットビーチはもう映画に出てくるような場所で、おじさん一人で黄昏ていても全く絵にはならないのですが、ジャケット一枚あればちょうど良い位の気温でしたので、のんびり沖縄のフレイバーを感じられました。
しかしこのロマンチックな景色の中を突然爆音が響き渡るのです。そう、この周りには普天間、嘉手納他、米軍の施設が沢山あり朝夕問わず米軍機が飛び交っているのです。それは経験してみないと判らないようなとんでもない爆音なのです。東京では考えられないような現実に、いったい何が始まったのか最初は判りませんでした。ホテルのTVでちょうど宜野湾市民が夜間早朝の米軍機の発着を止めるよう訴訟を起こしたというニュースを見たのですが、この現実はちょっと厳しいですね。

国防という事が最近は特に話題になっていますが、この現実を目の当たりにして、日本社会が今抱えている現実の厳しさを感じずにはいられませんでした。一般道でも迷彩柄の軍の車が走っていましたし、私が行った学校の子供たちも皆軍関係者の家族でもあり、沖縄の経済も米軍あってこそ成り立っているという意見も聞きました。
有史以来地球上で争いが無くなった事はありません。争いで勝ったものが英雄となり、歴史は常に勝者の側から見たもののみが伝えられ、平和を願いながら戦争を繰り返している。人間はいくら文明が発展しても、根本的に何も変わっていないのだと爆音を聞きながらしみじみ感じてしまいました。

そんな中でしたが、読谷村ではBloom Coffeeという良い感じの緩さがあるお店でリラックス出来ました。

自家焙煎のルワンダのコーヒーとBLTサンドを頂いたのですが、コーヒーも実に良い香りでしたし、サンドウィッチもフレッシュな野菜と質の高いベーコンを使っていて、クオリティーがかなり高く満足しました。この日は沖縄クリスチャンスクールインターナショナルという海辺にある学校での授業で、二日間に渡り朝から15コマもやったのですが、天気もすっきりと晴れて、素晴らしい景色の中、子供たちも4クラス、どのクラスの子たちもノリノリだったので、楽しい二日間でした。

琵琶などやっていると、大人は教養だの権威だのと、色んなバイアスを持って琵琶に相対するのですが、もっと面白がって接しても良いんじゃなかなと、この所よく思います。「~~してはいけない」「○○は間違っている」等と禁止や否定を常に心に持っていては見えるものも見えません。大人はすぐに自分を証明する為なのか、肩書を何かしら欲しますが、そんな衣は一歩外に出たらただの重たい鎧でしかありません。琵琶をやり出して、邦楽のそういう現状を始めて目にして、こういうメンタルからは素敵な音楽は生まれないと感じた気持ちは、今でも変わりませんね。

photo 新藤義久


私が平家物語などをあまりやらなくなったのも、戦争の話、人殺しの話を音楽で語りたくなくないからです。平家物語は確かに勧善懲悪のような単純なものではありませんが、今薩摩・筑前でやっているそれは、ちょっと和風な雰囲気を纏ったエンタメでしかないと私は思っています。その歌詞は私には、古典の深みも魅力も感じる事の出来ない残念なものに思えます。平家
物語をこんな受けの良いエンタメにしてやって欲しくはないと習い始めから思っていましたので、私は流派の曲は一切やりません。

大変残念なのですが、邦楽では習ったことを上手にやるという事に意識が行ってしまい、内容を考察をして、自分の哲学を持って音楽表現をしていると思える奏者は見当たりません。結局戦争物語を冒険活劇のようなエンタメとしてやっている。こんなものを私がやる意味が何処にあるのかと、琵琶を手にした最初から思っていました。だから敦盛や経正など、琵琶らしい題材として別の視点で歌詞も曲も作り直して、自分らしい解釈を持って演奏して来ましたが、そろそろもうそういう戦争物語の弾き語りもやめようと思っています。祇園精舎以上に素晴らしいと思える琵琶語り曲は、今の所知りませんね。

今回は丸5日間子供達と共に過ごし、沖縄の現実も肌で感じて、新たな時代にやるべきものを考える良いきっかけとなった旅になりました。また改めて沖縄に行きたいですね。

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