いよいよ冬ですね。若い頃はやっと革ジャンが着れるなんてワクワクしたものですが、寄る年波には勝てず、近頃は寒さが心にも体にも響きますね。
さて今回は「旅と琵琶」。私は琵琶で活動を開始してからもう随分と時が経ちました。国内では九州から東北まで(北海道だけ行った事がありません)多くの場所に導かれ、稀有な体験をかなりさせてもらいました。多分私程旅をして来た琵琶奏者は他に居ないんじゃないでしょうか。

とにかく活動を始めた最初の頃は毎月のように旅に次ぐ旅という具合で、なかなか充実の音楽人生を送らせて頂きました。あの頃から移動に関しては苦労していましたが、未だに毎回気を遣いますね。私は基本的に国内でしたら九州でも新幹線で行きますし、島根など新幹線の通っていない所にも、在来線を乗り継いでのんびり移動します。前の日や演奏後もホテルを取らないと時間的に難しいので、現地の人には敬遠されがちですが、そういう条件が整はない限り地方公演には行きません。
30代の頃、某邦楽雑誌の編集長に「琵琶で呼ばれるのではなく、塩高で呼ばれるようになれ」と言われましたが、こんな面倒な条件でもこいつを呼びたいと思わせる位にならないと、とても琵琶奏者を生業には出来ません。


海外も中央アジア、ヨーロッパ、カリブ海周辺等にも行かせてもらいましたが、何せ私の琵琶は巨大ですし、各航空会社で琵琶を飛行機に持ち込んだ前例があまりないので大変なのです。スカンジナビア航空などでは、前例がないので認められないとのお達しをもらってしまいました。ストックホルム大学の先生の推薦文で何とかなったのですが、とにかく琵琶を飛行機に持ち込むのは揉め事の種なのです。飛行機に乗せる時には全て席を二席取ってもらってます。プチプチの緩衝材に巻いて貨物室に入れてしまうという方も居るようですが、私には考えられません。勿論国内線でも飛行機を使う時には二席用意してもらってます。逆に二席分の予算が先方に無い場合は、お仕事自体をお断りする事も多いです。
時にはスケジュールの関係で分解型琵琶を宅急便で送る事もありますが、分解型を使うのは、あくまで弾き語り中心の会の時のみですね。また分解型はキャリーケースではなく「箱」ですので、ゴロゴロ持ち運ぶことはほとんどできません。宅急便で送っても大丈夫なように、写真のようなProtexという精密機械を運ぶような特殊な大きく重く頑丈なケースを使うので、演奏会場に直接送り、そこで演奏したらまたばらして宅急便で送るという形で使っています。以前も島根県益田市のグラントワの公演で、ホールにこれを送り演奏したことがあります。これだと安心して送る事が出来ますが、現地で持ち運ぶには車がないと動けませんので、これはこれでまた厄介なのです。

高々この程度のものを運ぶのに、何をそんなに手間をかけるのか、なかなか判らないでしょうね。実は少し後に飛行機で移動する仕事が2つほど来ているのですが、どうなることやら。宅急便で送って現地でレンタカーを借りればよいでしょうなんて言う人も居るのですが、地方在住の方に「私は車の運転をした事が無い」と言うとこれまた本当にびっくりされます。
私の琵琶と標準サイズの琵琶比較
標準サイズの琵琶で弾き語りをするだけだったら、こんな苦労も無いでしょう。私の生徒には常にギターと琵琶を両方担いで、どこにでも行く若者もいますし、標準サイズの分解型なら、一般的なキャリーケースの中に納まって、どこにでも持って行けます。弾き語り専門の方なら全く心配も無いしストレスも無いです。しかし私の場合は器楽曲が演奏の中心ですし、標準サイズの楽器では、器楽曲は自分の思う表現が出来ないので、いつも大型を持って行きます。弾き語り系の仕事の時には中型を持って行くこともありますが大体大型が多いですね。また弾き語り系の仕事の場合、色んな事情で分解型も時に使いますが、プログラムに器楽がある時には、分解型ではとてもこなせません。全然物足りないのです。だからここまで移動に苦労する訳です。あくまで表現者として、演奏する音楽には微塵も妥協はしないので、活動を始めた25年程前から、ヨーロッパだろうがアジアだろうが国内だろうが、あの巨大な大型琵琶を持って行くのです。琵琶=弾き語りだと思っている人には関係ない話です。
昔ピンクフロイドというバンドが世界ツアーをやる時に、あまりの機材の多さに、移動が大変で公演をやるのが難しいという話を聞きましたが、自分が思う事をやりたいのなら、そのリスクも引き受けるようでないと活動はやれませんね。それは単に運搬云々という事だけでなく、活動全般に渡ります。自分でオリジナルな音楽を創りアーティスト活動をするには、経済的な面は勿論、習った曲を並べて「演奏会」なんてメンタルをしていたら全く生業としてはやっていけません。
いつも書いていますが、軍国時代に成立した薩摩琵琶の曲を、私が演奏する訳には行きません。アーティストとしての質を疑われれしまいます。私は自分の作品を演奏して、日々の糧を得ている訳で、納得のいかない他のものを演奏したのでは、私の評価にも関わります。ま
た弾き語りはその中のスタイルのごくごく特殊な一部でしかないので、ヨーロッパでも中央アジアでも流派の弾き語り曲は一切やりませんでした。先日の静岡の公演でもメインは現代曲。弾き語りもやりましたが、勿論それもオリジナル作品です。
上手を披露するのはお稽古事、アーティストは独自の世界観を表現するもの。この違いが判らずに勘違いしている邦楽人琵琶人は多いですね。
近江楽堂にて 尺八:田中黎山 Per:灰野敬二 各氏と
お陰様でどんな舞台でも自分の作品を演奏させて頂いているので有難い事ですが、とにかくオリジナルな世界を具現化するには、私の場合標準サイズの琵琶ではどうにもならないのです。これからもあの巨大な琵琶を担いで旅をする事になると思います。
以前から私の演奏会では、従来の「月に叢雲花に風」なんて唸るのを琵琶だと思っている方には、かなり違和感を与えていました。1stCDを出した時にも、全編現代音楽作品でしたので、芸術系の方には熱狂的に支持されましたが、弾き語りの流派の曲が古典だと思い込んでいる人には、全く訳が分からなかったようです。
「媚びない、群れない、寄りかからない」というモットーは琵琶を手にした最初から変わりません。お陰様で、自分の作曲作品を演奏して、こうして生かされて頂いているので有難い事ですが、とにかく自分の表現をしない限りは、活動そのものが成り立ちませんので琵琶自体も私の表現が出来る大きなものを使うのです。

以前石田琵琶店に行った時に、とあるお客さんが訪ねてきて「琵琶が重いので、小さい琵琶を作って欲しい」と言っていましたが、その時親父さんは「あれが重いようじゃ、もう琵琶をやめろ」と言い放っていたのを覚えています。さすがに親父さん気骨がありますな。自分の楽器は自分の体と同じ。自分の音楽をやりたかったら、どこまでも責任を負うのは基本ですね。