新潟で、文弥人形猿八座との共演をやって来ました。今回は文弥人形結成25周年という事で、旗揚げした時の演目「説教をぐり」を、現在の座付き太夫、渡部八太夫さんの浄瑠璃で上演。以前も東京で上演した「ちぎりあれば~残された者たち」を再演してきました。
今回は前日に新発田市に泊まったのですが、新潟から新発田へ白新線で行く時の風景が良かったですね。ローカル電車は私にとってなによりの旅の御馳走なので、いつも楽しみにしていて、わざわざ早めに行って各駅停車のローカル線に乗るのが常なのですが、さすが新潟。一面の田んぼが広がり、その先に連なる山々にはまだ山頂に雪が残っていて、その風景はもう格別でした。見ているだけでも幸せな気分でした。夕方には夕陽が田んぼの水の上に映り込んで、これまた感動もの。そして乗っている人たちの気がとても穏やか。これはどの地方でも感じるのですが、特に今回はその穏やかな気を感じました。越後の風土に生きていれば、自ずから人の気質も穏やかになるのでしょうね。
東京に居ると、周りの騒音、街にあふれる人々のストレスフルな表情等々、自分で判っていないだけで自分の中に大きなストレスとして溜まってしまっている事が結構あります。こうして自然のおおらかな風景や、気の穏やかな人々の中に居ると、東京での日々の暮らしが、いかに異常なのかよく判ります。
若い頃はこんな都会の混沌の中からこそ芸術が生まれてくると思っていたのですが、今思うに、現在の都会はちょっと全てのものが過剰になってしまっているのかもしれません。人間が集ってこそ文化は生まれるのは確かな事だと思っていますが、現代では地方都市でもネットの発達によって情報・交流も適度に出来ますし、自然の良い空間もある。70年代80年代のように、新宿G街や二丁目辺りに集まって、仲間内と管まきながら芸論をかわしている時代は、とうの昔に終わったのです。ここ何年かで芸術家たちは地方に散って行くような気がしますね。
それは言い方を変えると、もう地方都市と都会の在り方が変わり、ある意味東京中心の時代の幕が下り始めたという事です。私が東京に出て来た80年代に、同世代の世界的なギタリスト 山下和仁さんは、東京に居る必要はないと言って、ずっと長崎を拠点に世界を回り活動を展開していました。私はその頃、jazzをやるならNYに行かなければだめだ、なんて思考に囚われていましたが、もうすでにその時点で器が違いますな。

10代の頃は刺激の無い静岡の町を、いかに早く飛び出すかしか考えていませんでした。その風土の素晴らしさも判らないし、豊かな自然の姿から音楽を紡ぎ出すことも出来ませんでした。しかしやっと、自分も年齢を重ね、また時代も変わり、今「脱都会」というキーワードが浮かび上がって来ています。
実は新発田にはちょっとした縁もあり、今回はそれもあって前日から新発田に行っていたのですが、とにかく素晴らしい風景の中に身を置く事が出来て嬉しかったです。これも導かれたのかもしれません。自分にとって、あるべき風土の中に身を置くという事は、やはり大切な事ですね。これからの人生と音楽活動をじっくりと考えたいと思います。良い旅となりました。