昨日は急に雪になりましたが、そろそろ桜の季節になりますね。ただ世の中は未だ混沌として、どうにも穏やかな気分にはなかなかなれません。一時でも平安な心を取り戻せたらいいのですが、厳しい春になりますね。この写真は伊豆高原の一碧湖近くに住む友人が先週送ってきたもので、すでに満開の河津桜を楽しんだようです。

我が家には色んな方がやってくるのですが、先日珈琲の専門家、いわゆるバリスタの方が来てコーヒーを淹れてくれました。その淹れ方を見ていてびっくり。今迄私が一番アカンと思っていたスタイルで、且つお湯も沸騰したものを使うのです。しかし味はいつものコーヒーよりずっとふくよかで、苦みがほど良い感じで全体に行き渡っていて、コクがぐっと増すのです。時間はかかりますがとにかく旨い!。驚きでした。
考えてみたら、私は18歳の時に喫茶店のバイトで習った淹れ方が一番良い味が出ると思い込んで、ただ教わった通りに毎日ルーティーンでやっていただけなのです。研究した訳でも何でもなく、単に慣れているだけで、そこそこの味を盲目的にこれが一番と信じていただけでした。
若きバリスタの姿に、日常の中に埋もれていた自分の囚われや、いつしか柔軟さを失っていた自分の頭の硬さを思い知りました。正に目から鱗とはこの事です。あれからずっと我が家ではこのバリスタの方の淹れ方で、豊かな味を楽しんでいます。良い気づきとなりました。感謝!。
日常的なものの中にはこうした、ただ習慣になっているだけで、よく判っていないものが沢山あるのでしょうね。せめて音楽に関しては、常に柔軟で真摯な姿勢で接していたいものです。

その後、この間ヴァイオリンの田澤明子先生と録音した音源の編集作業でスタジオに行ったのですが、これまた多くの気づきが待っていました。私は7枚目までのCDはホールを借り切って、ワンポイントの高性能マイクで一発録りをしていまして、8枚目の「沙羅双樹Ⅲ」で初めて、今後のネット配信を見据えて、スタジオでのマルチ録音に挑戦しました。今迄録音の商業的な仕事は都内の色々なスタジオでやって来ましたが、そういうものは自分の音楽でもないので、弾いた後は全てお任せで、自分でテイクを聴く事もせず帰ってしまうのが常でした。8枚目のCDでも全体の音作りはプロデューサーにお任せでしたので、自分の演奏テイクを聞いて、あれこれいじるという事はほとんどしませんでした。
しかし今回は、プロデューサーが居ないのでエンジニアと直接やり取りをしていて、その場で私とViの音量バランスを変えたり、それぞれ別の残響を付けたりして、エンジニアの方が残響、定位、音量バランス等変えて聞かせてくれたのです。そうすると全く演奏の印象が変わるのです。演奏は同じなのに、別のものになって行く様は驚きでした。

コーヒーも音楽も、テクニック次第で別のものになって行く。つまり世に在るものというのは、全て人の手によって創り出されたものという事なのです。同じ譜面でも演奏家によって大きくその表現が変わって行きます。音楽はその多様な表現を内包しているからこそ、生き生きと生命感が漲るのかもしれません。その奥行きの深いものが古典として残って行くのでしょうね。
コーヒー一つとっても様々な味を引き出すことが出来る事を思うと、ただ一つを、「これがコーヒーの味だ」と思い込むとえって感性を鈍らせますね。様々な味や好みがあって良いし、そのどれも支持する人が居る。音楽と同じように、これが正解などというものはないし、真実は人によって一つではないという事です。そしてそこに正統や異端などという事をすぐに持ちだしてしまう人間の卑小な感性は、いつの世も変わりませんね。
多様性の時代とはよく言われることですが、ただ多くのものが集まるというだけでなく、同じものでもその中に様々な局面も形も感性も表現もあるのです。
今の世の中も、何が真実なのかは報道やネット情報では判りません。この混迷の時代に在っては、何事に於いても思い込みや習慣に囚われることなく、自分の目で見て感じて、物事の姿を求めて行きたいものです。