世の中は激動していますね。考えてみれば1991年に湾岸戦争があり、2001年には9.11のテロ、その他シリアやアフガニスタン等、戦争が無い年はないという位に常に世界中が争っています。しかも湾岸戦争の時も9.11の時も、報道は相変わらず一方方向からしか入ってこないので、本当の姿は結局見えません。世の中というのはいつの時代も同じなんでしょうね。こうして居られるのも、我が身に直接被害が降りかかっていないからなのですが、今後は日本全体に様々な問題が身に迫ってくると思っています。

戦争という事態を目の当たりにしていると、こういう中で音楽をやっているという事を考えずにはいられませんね。ここ数日、ロシアのアーティストが様々な場面で出演をキャンセルさせられたり、スポーツではロシアチームとの対戦を拒否しているという話も入ってきましたが、結局は「音楽は国境を超える」という言葉も、平和という幻想の上にしかありえない言葉なんだと、空しく感じられます。私は人間が争っている姿を見るのが嫌なので、スポーツもゲームも一切見ませんが、人間にはそもそも他と争うという基本姿勢が本能の中に在るのでしょう。そしてそれを抑える事は極めて難しいのでしょうね。
震災の時も思いましたが、強大な力の前ではどんなものも破壊されてしまいます。築き上げたもの一切が一瞬で破壊され、多くの命も一瞬で失ってしまいます。ましてや人による武力というのは、いくら哲学や精神に裏打ちされていても、武力が使われるという事は、行使される側からしたら、それは悪魔の所業にしか見えないでしょう。そしてその力をお互いがバランスを保つためには、核の抑止力のようなものを持たないと成り立たない。それが人間です。
公園にて
しかしそんな世の中ではありますが、ここで文化を失う訳にはいかないのです。人間が生きている以上、国家は文化の上に作られるのであって、それぞれの文化に沿って、政治も経済も独自のものが出来上がっているのです。文化の無い国家はありえません。確かに人間は武力によって歴史を作ってきたと言えますが、どんな強い武力で国家を滅ぼしても、それぞれの地に芽生えた文化はそう簡単には無くなりません。文化には形も大事ですが、何よりも意識です。逆に言えば、我々がこの風土に生きる者として意識も誇りも感じられなくなったら、もう別の存在になってしまうという事です。この風土に培われた歴史や文化、生活というものは、我々をの存在を成す一番重要な部分であり、生きてゆく上での根幹です。
古代中国、周によって滅ぼされた殷では、その民族のエンブレムを舞の中に残したと言われます。春秋時代「桑林の舞」というその舞を見た晋候は病に倒れてしまったと言われる程の測りがたいエネルギーがその舞の中に在ったそうです。国が滅ぼされてもその舞がある限り、風土に生きた意識や魂は永遠に受け継がれて行く。文化とはそれほどのエネルギーを持っているし、またそれによって、その風土に生きる人間は生きる事が出来るのです。
しかし現在の日本は文化力があまりに脆弱です。私は右でも左でもないですが、国民が自分の国を誇りに想い、自国の独自の文化にリスペクト出来ない今の日本の状況は、世界的に見たら異常ではないでしょうか。かつて三島が言ったように「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国」になりつつある(尤ももう経済大国ではないし、富裕でもないですが)のです。皆が大好きなアメリカでもヨーロッパでも、国民が自国に誇りを持って映画でも音楽でも、自分たちの国の文化を謳歌している。そういう姿を見ている日本人が何故、彼らの姿や形や音楽の表面を真似て喜んでいるだけなのでしょう。何故、世界一長い歴史と言われる自分の国の文化を高らかに歌い上げないのでしょう。私は、踊らされて自らの姿を気づこうとしない現代日本人をとても歯がゆく思います。

クラシックもジャズも素晴らしい、同様に日本の音楽だって、同じように素晴らしいとは思えないのでしょうか。確かに伝統邦楽の世界は〇〇流やら家元やら賞やら名前やら、格や名誉に執心して文化の源たる創造的な活動をここのところ~特に戦後は~ほとんどしてこなかった。はっきり言って音楽としての創造の努力を失って、保身に走ってしまったのは厳然とした事実です。だから現代に生きる人々がそんなものに魅力など感じることは出来ない、というのは正直な意見だと思います。私自身もそう思うところがあります。しかしだからといって、この古代から続く豊穣な日本の文化を無視して顧みないという姿勢で本当に良いのでしょうか。日本はこのままでは本当に沈んでしまうように私は思います。
こういう不穏な時代こそ、日本の根幹を見つめ直す事は重要ですし、文化が一番大切な時期でもあると思うのですが如何でしょうか。

今週はVnの田澤先生とレコーディング。来週は第171回琵琶樂人倶楽部、そして3,11の追悼集会と続いています。この春は厳しい春になりそうで、ちょっと心が落ち着かないですが、今は自分がやる事に誇りを持って、しっかりやって行きたいと思っています。