
昼間の陽射しはもうすっかり春の気配になりましたね。今はコロナという事もありますが、毎年この時期は演奏会が少ないので、ゆっくり身の回りを整えて行くのが恒例行事です。譜面や本やCD、PC周り、書類等々、ちょっとした整理や区切りを時々付けて行くと、気分もリフレッシュして新たな発想も出て来ます。今年も色々と整理して、お陰で部屋もすっきりしました。
それにしても春の陽射しは様々なものを想い起させます。私は音色の中に色彩が常にセットになって見えるので、季節による色彩の変化はそのまま自分の出す音色にも大きく関わってきます。表面的には変わらないと思いますが、私の中では様々な変化があって、いつもあれこれ色んな事を感じながら弾いています。
私の作る曲では秋がベースになっているものが一番多いでしょうか。冬と春は同じくらい。夏に関わるものはほとんど無いですね。それは私があまり夏の暑さが得意ではなく、夏の色彩が自分の中にあまりないからだと思います。琵琶に一番似合わない時期が夏だとも感じている事もあって、夏はぎらつく陽射し以外に、私を豊かな気分にさせてくれる色彩を感じないのです。常夏の国にはとても住めそうにありませんね。色彩感の乏しいものにはどうも関心が行きません。
舞台はどうなってゆくのでしょうね。ネットで仮想現実の世界に簡単に飛んで行けるようになりつつある昨今、季節の風情を感じ、漂うように遊ばせる感性は、もう今のやり方では伝わらないでしょうね。何事も時代に沿った形にして行く事が必要です。今後は音楽配信が活動の中の大きなパーセンテージを締めて行くのは間違いないと思いますが、どんな時代になっても、この日本の風土から沸き上がる豊かな感性を、次世代に届けたいものです。

目下の仕事としましては、来月頭の田澤明子(Vn)先生とのレコーディングです。ここ数年、随分と一緒にライブをやってきたので、これ迄の二人のレパートリーを録り、そのまま配信という事になります。こういう形がこれから一般的になって行くのでしょうね。
今後はCDとしての個体を作る事はもう無くなって行くでしょう。記念に残るものが欲しいという気持ちもありますし、コンセプトアルバムという概念は今後も持って行きたいのですが、世の流れと共にセンスもやり方も変わるのは致し方ないですね。私自身が変わって行かなければ音楽家として生きて行く事は出来ません。
毎月の琵琶樂人倶楽部はずっと同じ形でやって行けそうですが、私がメインでやっていた小さなサロンコンサートは、もうなかなか開催が難しいと思いますし、CDを売るという事もなくなるでしょう。またリスナーの年齢層も、コロナの影響なのか世代交代しています。年初めには横浜の7artscafeや日本橋楽琵会等、シリーズでの演奏会を展開しようと考えていましたが、少し読みが甘かったようです。桜が咲く頃からは、また色々と舞台の予定も入ってますが、今後の演奏会の開催については、更にじっくりと考える必要がありますね。先ずは今自分が出来る事として、このレコーディングをやる事にしました。

とにかく今はもっともっと作品を創る事。それに尽きます。ヴァイオリンやフルートとの作品は、和楽器同士のアンサンブル作品と共に、是非多く残しておきたいと思っています。琵琶を和楽器や邦楽、民族音楽という枠の中だけに閉じ込めたくないのです。とにかく形に固執していては、次世代に響きません。昭和4年に作られた宮城道雄の「春の海」は、ヴァイオリンと筝が豊かに日本の情景を描き出して、現代のスタンダードになりました。邦楽の新たな時代があの曲から始まったのです。豊かな日本の美を新しい形で、次世代に残した宮城道雄の功績は多大なものがあると感じています。そして現代では洋楽器と和楽器の合奏は時代の必然だとも思っています。
また演奏会のように、生音に包まれた場所で音楽を聴く事よりも、配信ライブやYoutube等で音楽に接するのが日常となるリスナーはどんどんと増えて行くと思います。そんなこれからの時代に於いては、ジャンルや伝統の在り方も感じ方も変わって行くと思いますので、多彩な楽曲や和楽器洋楽器の組み合わせ、新たなプログラム等、多様なバリエーションも必要だと思います。

日本の四季を感じるような作品を創りたいですね。新たな時代に新
たな琵琶の音色を響かせたい。私は宮城道雄のような曲は創れないかもしれませんが、それでもその高みを目標にしていきたいのです。