
このところ昼間が結構暖かいので、時間を見つけてはお散歩に出かけています。紅葉もまだまだ楽しめますし、気が付かない内に凝りが溜まった心と身体をほぐすにはぴったりなのです。
上の写真は「高円寺」山門。ロックの聖地で知られる高円寺の駅前のざわめきからちょっと外れた所に「高円寺」があります。毎年行っているのですが、毎年紅葉が素晴らしいのです。とても静かで穏やかな風情で人も少なくてお勧めですよ。今年も静かな風情を楽しみました。
善福寺緑地
我家の近くの善福寺緑地もこの通り。こちらも良い感じで、晩秋の陽の輝きが注いできて素晴らしかったです。
日々の中にこうした時間を少し持てるというのは嬉しいですね。西行は「吉野山 梢の花を見し日より 心は身にもそはずなりにき」と詠っていますが、心奪われて、身体から心が浮かれ飛んで行ってしまうような心持は、現代社会の中で感じる事は少ないですね。何かに追われるかの如くに生きざるを得ない現代社会の中に在っては、目の前のものをただ客観的に見る事は出来ても、そこにあるはずの美しさを見逃しているように思います。
現代は「物で栄えて心で滅ぶ」と言われていますが、現代人は物でも時間でも消費するだけで、風土に寄り添うことも愛しむことが少なくなっています。人間が全ての中心で、自然も、先人が紡いできた歴史さえも忘れさり、貪るかの如く資源を掘り尽くし、消費すること=人間が生きる事であるだとばかりに、生きて来きました。
今、そんな現代人の姿勢を見直すべき時に来ているのではないでしょうか。物量的な刺激ばかりを追いかけていると、心が麻痺してしまうのは当たり前です。刺激に更に刺激を重ねて求めるようになっている現代人は、金や物、権利、地位、名誉等々そういうものを得るために日々働いている。そこに美を求める心はまだ残っているのでしょうか。目の前の欲に振り回され、人間としての喜びを自ら避けているようにしか、私には思えません。ましてや芸術に関わる人が、そんな態度では世の中は疲弊するばかりでしょう。


現代は何でも効率的で便利で機能的なものだけが優先する社会。様々なもの、色々な生き方をしている人が溢れているようで、実は人々の志向は、とても画一的になっているのではないでしょうか。まだ70年代80年代辺りは個性的な芸術家も旺盛に活動していて、時代に弾力があったように思います。「舞踏」なんかが生まれて来たのはその時代の弾力を示していますね。しかし今、皆が同じような方向を見て、同じ思考を持ち始めている。これは経済と密接な関係があるのでしょうし、私如きが論じる事が出来るものではありませんが、勝ち組負け組などという言葉が出てくること自体が、社会の硬直した姿を現しているように思います。株やFX等の広告がやたらと増え、お金を持つことが勝ち組であり、幸せだという思考は、形を変えた洗脳と同じだと私には思えてなりません。
私はもっと音楽を創りたいのです。この風土から生まれる現代の音楽を創って、聴いてもらいたいのです。琵琶はもっと豊かな世界を紡ぎ出すことが出来る。私は舞台をやる度にそんな想いを強くします。もっともっと豊かな世界があるはずだと。
身体から心が飛び出
して行くような曲と音色を奏でたいですね。

さて毎度しつこいですが、今週今年最後のサロンコンサートがあります。ヴァイオリニストの田澤明子先生を迎え、古典スタイルから現代作品まで演奏します。
12月17日(金)
場所:MPホール(日本橋富沢町11ー7 小堺化学KCIビルB1
時間:19時00分開演
料金:2000円
出演:塩高和之(琵琶) ゲスト 田澤明子(Vn)
演目:二つの月~Vnと琵琶の為の 君の瞳 西風 平経正 他
問い合わせ:orientaleyes40@yahoo.co.jp
心が飛び立つような感動を日々感じられる世の中になって欲しいものです。